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2008年5月15日 (木)

受け売り爺さん

 訳判らないタイトルかもしれない。
 っていうのは、最近は自転車ブームということもあり、自転車、特にスポーツサイクルが人気の的だ。そして、スポーツサイクル=速いという先入観からか、結構、速さに拘る人が多い。

 そんな中、HOW TO本、或いは、色んな技術論を見掛ける事がある。まぁ、どんな方法でも良いのだが、氾濫する情報を見ると、各自で自分の主張っていうのはよく見るけど、それに対して、これまたよく見るのが、他人の否定って言うやつだ。

 一番目にするのは、著名な自転車競技者だった今中氏の理論と、その否定論者である。まぁ、詳しい事は言えないが、一方が他方を(殆どの場合、ショップ経営者が今中氏を)否定したり、批判したりっていうのは、良く聞いたりするのだが、何故に、否定する側は否定するのか?を追求すると、その根拠が見えない時も少なくない。

 否定するならば、否定に見合う根拠と論理の展開を元に、持論との対比を明確にすべきではないだろうか?って思うのだ。
 単純に速くなりたいという憧れを持つ素人から見ると、氾濫する情報の何を選ぶか?の選択においては、選択しようが無い状態に陥って、迷いのパラドックス、或いは、矛盾する組合せに走るって状態にも為りかねない。

 少なくとも、論理を展開し、特に、他の論理を否定するならば、それに見合った根拠も合わせて述べるべきだし、少なくとも、論理を展開するならば、論ずる者自身が、持論を実感できるような行為を実体験しなければ空論に終わるんでは無いだろうか?

 雑紙の編集者にしろ、ネット管理人にしろ、ショップ経営者にしろ、誰であっても、仮に他人に影響力を与えるような意見を述べるのであれば、述べる事自体は、実体験に基づいた事実を伝えて欲しいのである。受け売りであったり、他人の伝聞であったり、、、、或いは、空想であったりと、実体験に基づかない言葉というのは、その空虚さが見抜ける人からすれば淘汰の対象で気にならない戯言と処理されるだろうけど、何も判らない子羊のような人から見れば、単純に凄い!って関心するだけである。

 所詮、ネットや雑紙、ショップ経営である。そんな世界で展開される持論自体は正しい必要は無いけれど、論理の正誤以前に、その論理が展開する者自身の言葉かどうか?っていうのは重要ではないだろうか?
 思うに、主張したい論理というのがあったとすれば、それは論ずる者の体験に基づく論理であり、その言葉は、論ずる者なりに構築した論理に基づいている。少なくとも、私のサイトでは、

『持論』=『自分の実体験から得た感覚』=『自分で納得できる論理的整合性』

を重視しているつもりだし、最近の記事であるペダリングネタサドルネタも一般論とは異なるかもしれないが、持論、経験、論理的整合性をセットで記事にしているつもりである。

将来、実体験出来ずに、体裁だけで情報を記事にするようになってしまったとすれば、表題の如く、『爺さん』になってしまうかもしれない。

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