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2008年5月28日 (水)

時間の使い方

 前の記事で寝る時間の重要性ってのを書いたけど、果たして、現代人はどのような生活をしているのか?を考えると、疑問に思うことが多いのも又事実である。

 人間らしい生活とは?

1.しっかり運動して身体機能を高く保つ。
2.しっかり勉強して脳の活力を高く保つ。
3.家族とのコミュニケーション(家事、育児)を確保する。
4.勿論、しっかり食事、入浴、睡眠して疲労を翌日に残さない。

 ということ。

 1.の運動って部分は、日常行動で運動が少ない人程重要であり、話題の生活習慣病が気になる年齢以降程重要な要素。生活する上で元気が大前提であり、元気で健康を確保するために欠かせない要素である。
 自分の場合に当て嵌めると、最低でも1日で2時間は運動時間を確保したい。

 2.の勉強って部分は、筋肉という部分でなく脳という部分での老化を防ぐための必須要件。趣味の分野での調べモノから、ニュース、新聞等の視聴等々で活字を主体として脳を働かせる行動。勉強っていうと堅苦しいけど、頭を使うって意味で、好奇心を発揮させる事が重要。言い換えれば、好奇心活躍のフィールドである趣味の時間を過ごすと言う事。
 自分の場合は、理工系ということもあり、学生時代に入手した専門書を定期的に読んでいるし、関連図書の読書から最新技術のトレンドの調査、世間の技術動向の調査も行う。個人的に出願する特許資料の作成等々も行っている。これも最低で1日平均で1時間は確保したい。

3.の家族のためって部分では、共同生活者が嫁だけの状態から、子供が増えると更にやる事が増える。嫁との会話も勿論だが、子供の成長に併せた教育(本読み、工作、作画、鉄棒、ボール投げ・・・)や、育児絡みであれば風呂入れやら何やらで最低でも1日1時間は必要。場合によっては部屋掃除、洗い物、風呂掃除・・・・も。家族と会話し時間を共有する事が最大の目的であり、生活の仕事を家族で分担するという意味。働いているから帰宅後はゆっくりというのはナンセンスであり、帰宅したらみんなで共同作業っていうのが理想。

4.の人間として生きる上での最低限の生活で食事、入浴で1時間は必要だし、睡眠時間も必要だ。

 この時間を積算すると1.から3.で既に4時間が必要で、4.の睡眠以外でも1時間が必要で、起きて活動している時間だけでも5時間が必要って事になる。
 起きて活動している時間というと、働くために拘束される時間というのが誰にでもあるけれど、それは通勤時間、昼休憩時間、残業(2h)を合算すると概ね13時間になる。
 ということで、睡眠外所要時間は5+13=18時間である。この時点で、全ての行動の間に隙間無しとしても寝る時間は最大で6時間しか確保できないのが自分の悩み。
 実際は行動に合間の時間が生まれているので、実質睡眠時間は5時間未満って事が多い。
 昨晩は、偶然子供が早く寝てしまったので、育児時間がカットできたため、特別に調べもの読書等々もカットしたために寝る時間を増量できたために2時間の睡眠時間増量が出来たのだが、そういう事は稀である。

 どんなライフスタイルを作るか?っていうのは個人の自由だが、三十路を過ぎて、不惑を過ぎてって状況で、恐いのが『身体の老化』と『脳の老化』である。これを防止するには、身体と脳を積極的に使うのが必要であり、身体と脳を使いながら家族と共に過ごすっていうのが最重要だ。

 最近よく聞くのが、働き過ぎたサラリーマンの退職タイミングでの熟年離婚とか、ゆとり教育の弊害?との言われで見られる子供の学力低下、馬車馬のような労働の果てによるストレス原因の疾病、運動不足生活の果てによる生活習慣病~重大疾病との闘病生活、老後における目的意識喪失によるアルツハイマー等症候群の発症、、、、、という好ましくないニュースだが、こういうのは、全て現代人の社会生活の果ての結果では?というのが俺の感想。

 誰のために働いて、何のために生きるのか?っていう部分で、少なくとも、先のような悪い結末を迎える事は、結局は、他人のため、金のために働いた終末的状況に見えるのが印象だ。金が沢山欲しければ、時間単価を上げるのが筋であり、働く時間を単純に増やして稼ぐっていうのは、先述のような他にやるべき時間を削ることに直結するのは頂けない。少なくとも、手当目当てで就業時間を引き延ばしたり、家帰ってもボーッとするだけで意味無いけど会社に居れば金になるので居るなんて価値観は持ち合わせていない。
 俺的には、次世代(子供)には自分の考え方やモノの見方や価値観を伝えるのが使命で、それを家族で行うっていうのが理想の姿。それを長きに渡り行うには、時代の流れで変遷する情報や常識に後れる事無く付いていける知識や専門性を持ち続け、更には、子供が成長しきる迄は、自分が伝えるという事が出来る健康を維持するというのが最重要と認識している。そのためには、新たなる知識を身に付けるという習慣は必須だし、生物的な衰えを加味した上でのライフスタイルの調整で過度な老化や疾病を防止するっていうのも当然と思うのである。

 次の世代に何を伝えるか?は、自分が得意なモノを伝えるのが自然の姿であり、自分が好きな事を諦めるような人生では、何も伝えれないというのが持論で、その軸足がぶれては何も伝える事が出来ないとも思う。

 果たして、世の中には、身体と脳の健康を確保して、世代を越えて意識を伝える事を最重要として日々を生きている人は何人いるのだろうか?と思うことが多い。
 毒舌ではないが、勤務先での年輩の人、或いは、同世代、若年世代を見て思うのは、健康状態を見ると『コイツは身体が腐り始めている、、、、』と思ったり、考え方や発想を聞くと『コイツの脳は既に腐っている、、、、』と思ったりする。価値観の相違といえば、それまでだけど、発想力の無い事なかれ的な考え方や、自由に動かす事の出来ない身体と薬無しでは生活できな身体っていうのは、生物として生きているのではなく、延命処置されているだけのように見えるのである。

 ここ2、3年のライフスタイルでは、紹介したように運動時間を2時間+αを生活に取り入れたために睡眠時間やその他の活動時間が削られ気味、それが問題だが、これをどのように調整するか?が今からの問題である。
 少なくとも、運動時間は減らせないし、育児、家事、勉強、睡眠時間も減らせない。これからどうしようか?大きな悩みである。

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