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2008年5月16日 (金)

理工系出身者を見て思う事。

 自転車でも、健康でも、単車でも、、、はたまた、自分の専門分野でも無い話。

 それは、自分と近い世代から若い世代の人の一部と自分の考え方の違いの話である。まぁ、世代だけで分けると、文系から理系、性別の違い等々で同じ考え方を持つ人っていうのが少ない方が当然なんで、もっとタイトな経歴に絞っての話。

 例えば、今は製造業に勤務しているが、自分の経歴は?というと、大学の理工系学部卒業で、製造業勤務。ということで、同じ製造業に勤務して、理工系学部を卒業して働いている連中で、自分と考え方が違う若い世代との話。

 自分は、自分以降の世代、特に、ここ数年ならば、面接もしているし、導入研修にも参加している。また、自分が新入社員に近い時でも、直近で入社した世代とは、それなりに話す機会があったのだが、その多くの理工系学部出身者は、話として、技術に拘り、研究開発に憧れて、、、、という人が多かったのだが、入社して数年が経過すると、殆ど全てが技術に拘りは持たず、自分で自分の限界を定め、自分が何かをやろうという意志を現す奴が居なくなる。

 挙げ句の果てには、会社で給料を貰うという行為で、その対価に拘る余りに、ひたすらに残業時間を稼ぐ事に注力したり、その残業行為=身を粉にして仕事をしている事として、身を削る状態に自己満足を覚えるかのような考え方をする奴が多い。

 身を粉にして働くという行為を美徳のある事とするというのは、何かが違うように思う。それも仕事かもしれないが、仮にも、入社段階でカッコイイ事を抜かす奴が、時間を重ねる事しか考えれなくなっているというのは、強い違和感を感じる。

 最初の意欲表明の段階で、技術開発なんてカッコイイ事を言いながら、ただただ繰り返し日常を重ねるだけに留まるのは、アリだろうか?開発って言葉は、単純な作業の中でも、新たな方法を生み出すという行為にも当て嵌まる筈。見た目、開発とは縁遠い作業であっても、日常行為を改める事は可能だが、そういう価値観に気付くことなく日常を重ねて、当初の価値観とは違う価値観で過ごしている現状に気付かずにいる奴らを見ると、何とも言えない気になる。

 自分も決して開発系職種に携わっている訳ではないが、常に、頭の中では目に見えるモノに独自性を加え新たな価値を生み出せないか?って事を考えている。その発想が、勤務先にとって有用で無い場合であっても、自身に自信が持てれば私財を投入しても、権利を主張し、それを拡げようと思っている。
 自分で考えたアイデアが自分以外の他人にも使われるというような事があれば、それは、勤務に属するか否かは関係無しに、技術系出身として一番嬉しい事である。

 少なくとも、他人に使われるかどうか以前に、自分自身で考えた事が、自分の発想で、自分の力で具体化出来た時というのは、自分が理工系である事を実感する時であり、理工系の人間としての楽しさが実感出来る時でもある。

 理工系出身の奴っていうのは、そういう部分があると自分は思うのだが、自身の勤務先の若い世代を見て、そういう自分で何かを生み出そうという意識を持つ奴っていうのが極めて少ないように思う。
 そういう奴は、何故か、他人が何しているか?それに対する批評ばかりしているように思う。

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