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2008年5月17日 (土)

好奇心=疑問探求心を失うのは何時?

 単車、自転車に限らず、日曜大工、育児、或いは、プログラミング、機械システム、材料技術的内容等々を含めての全ての分野において、なんていうか、新しいアイデアが閃く瞬間っていうのは最高に楽しい。
 そのアイデアが独力で考えたモノだったら尚更であり、これが他からコピーされたりすると更に最高だ。アイデアっていうのは、独りよがりでも全然OKだが、第三者を驚かせる事が出来る、そう、見た者にインパクトを与える事が出来れば、それこそ最高だ。

 逆に、如何に素晴らしいような者でも、盗作であったり、模倣であったりというのは後ろめたさ100倍であるし、毎日が変化の無い日常を只永遠に重ねて過ごすような精神的に起伏が無いようなのは最悪である。月曜が週初め、火曜、水曜・・・・で金曜週末で、土曜、日曜。そのリズムに変化なく、属する環境にインパクトを与えることなく粛々と過ごす。気が付けば、何を生み出すことなく、老いを重ねる。

 いつの間にか、そういう物事を考える事自体が出来なくなり、その決められた事を機械的に行うことしか出来なくなる。そういうのは、なんか楽しくない気がする。

 まぁ、色んな価値観があるんで、一方の言い分に対し、他方の言い分もあるだろうけど、只、ひたすらに、受動的な思想、例えば、仕事は教わるモノ。教わったモノ以上はしない。習ってない事は出来ずが当然。与えられた事のみを繰り返す事が美徳で、繰り返す事自体の意味よりも、繰り返す事自体しか見えないっていうのは、何か、組織の交換可能なパーツにしかなっていない。勿論、交換可能なパーツが急に無くなると困るけど、いくら交換しても、過去を繰り返すということしか出来ないのも真実。

やはり、革新は必要だが、革新とは、今迄見えてこなかった価値を見つける事であり、それは随所に潜んでいる発見が必要だ。新しいモノを見つける事を目的っていうのは、好奇心が全てであり、その好奇心こそが発見の原動力。好奇心があれば、守り的姿勢は生まれないし、問題を諦める事もない。

そういうのが自分の価値観である。そして、好奇心を保たせるような教育が大事なんだろう。

我が子の教育では、好奇心を保たせるというのを最大の目的としたいところ。

そういう視点で各世代を見つめると、、、、

幼稚園、小学校くらいまでは、みんな好奇心アリアリ。
小学校高学年~、徐々に好奇心の探求活動をするヤツが減る。
社会人~、逆に好奇心を追求するヤツが殆ど居ない。

そんな感じだが、どこに好奇心を失う、探求活動を辞める原因があるのだろうか?持った好奇心=疑問だが、その疑問が明らかになる時程楽しい瞬間は人生において無い筈だが、その探求活動をしなくなるのは、何時?何故?だろうか?これを、今後は調べていきたい所。

そう思うと、幅広い世代との交流が可能な受験産業に再参入してみたいような気もする。

ただ、人間っていうのは弱い生き物であり、ぬるま湯的な環境に浸かってしまい、労力の割に高給を得ると、安定志向という人として最低な価値観に引きずられる。その理由は、家庭環境、老後への不安、年金受給資格の逆算、純粋の自己評価と自信・・・・という別の要素を踏まえた、損得勘定をする訳だ。

ソコソコ良い成績評価、給与を得たとしても、より実践的に機動的に探求活動を行える環境の方が重要だというのは、頭では理解しても、実際に行動するっていうのは難しいもの。
今の関心事は、技術的に新しい発見を検証し第三者に提案するという事よりも、多くの人の事態から、疑問探求活動をしなくなるのは何時からか?何故か?を見極める事。

こういう風に関心事が変わったのは、恐らくは、自分の子供が生まれて育児を行う際に伝えるべきものは何か?を考えるようになったためだろうと思う。
自分の疑問を明らかにするには、実際の現場で各世代が、どういう価値観を持っているかを間近で見なければ判らないだろうから、そういう世界に強い関心を持っている所。

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