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2008年5月10日 (土)

昭和回想

 最近、テレビ番組、テレビ通販でよく見掛けるキーワードが『昭和』である。ドラマでも『Around 40』っていう番組があるけど、あれも昭和回想的背景が支配的な番組。
 昭和っていうと、昭和64年が最後の年。実質は、昭和63年が最後の年だが、メディアでよく見るせいか、自分の意識も昭和に戻り気味、昭和って言うよりも、昔々の事を思い出す事が多いし、身の回りでの付き合いも昔の付き合い絡みってのが多い。絡みといえば、先の記事でもアップしたけど、産官学研究会の懐古親睦会(土曜日開催で出席予定)もあるし、金曜日は、地元企業に勤めるTさんから久々に電話が掛かってきたりした。
 このTさんからの電話は、広島工業会の総会が5/25に開催の予定であり、その世話人担当年度が昭和63年3月卒業生が該当するということで、その在広卒業生が役割を担うんだそうだが、その前打ち合わせに、二名しか集まらなかったのだが、手伝って貰えないか?って話。
 残念ながら5/25は家事都合でお断りしたのだが、このTさん、20年前の事を覚えていらっしゃる様で、電話の先で、私が塾経営していた事、単車が趣味で後に乗せた事がある事なんかを覚えて居られたのにはビックリ。
 20年前というと、相当に昔なんだが、ふと振り返ると、出身大学が広島市内から東広島市に移転を開始したのが昭和57年。自分の入学年度が昭和59年で、当時は一般教養が広島市内で受講、二年次の後期(昭和60年秋)からが東広島キャンパスで受講だったのだが、その僅か1年半しか居なかった当時の本部キャンパスが、どういう配置だったか?を鮮明に思い出す事ができる。今は移転完了で、1997年に大学は取り壊されて1998年にグリーンフェスタって祭が開催され、今は公園+マンション建設と変わっており、20年という月日の長さを感じる割には記憶は風化していない。
 更に、遡れば、出身高校も校舎の建て替えで昭和50年代後半の面影は無いけれど、どこに何があったか?も完璧に思い出せる。更に更に遡り、昭和40年代後半の出身小学校も校舎建て替え後の今でも当時のレイアウト等々は完璧に思い出せる。

 20年以上という実質的な期間の長さはさておき、人間の記憶っていうのは、20年如きでは色褪せないみたい。20年という期間の長さを実感するような変化した場所もあれば、20年経っても変化の無い場所もある。

 こういう事を思い出す事自体、自分が年を取ったって事かもしれない。20年は長いけれど、記憶の鮮明さから思うに、ほんのチョット前って感じがしないでもない。これからの20年はどうなるんだろうか?まぁ、何も変化しない、変わらないっていうのが実は一番幸せなのかも知れない。

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