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2008年6月 6日 (金)

目的と手段の入れ替わり

 最近思うこと。それは、表題のように目的と手段が入れ替わっている事があまりにも多いような感じ。

 例えば、自転車、、、、、本来なら自転車が楽しいから乗る!ってのが本来であり、省エネのため、節約のため、健康のために自転車の乗るのとは、少々趣が違うのでは?って印象。自転車に乗って楽しむと、結果として省エネになるし、節約にもなるし、健康にも良いって事。

 例えば、仕事、、、、本来なら時間内に仕事がこなせないから残業する!ってのが本来だが、ホンネの部分で手当最大が最高という価値観で、残業するために定時迄の密度を下げて仕事するってのも本末転倒。

 技術開発でもそうだ。技術のコアに執着しすぎると、本来は目的のためのコア技術の筈が、コア技術を前提にして難儀な方法で機能させようとする考えかた、、、目的達成のために最短となるコア技術に乗り換えるって考えが出来ない人が多い。

 ダイエットもそう。ダイエット自体を目的にして色々な事を始めるが、本当は、ダイエットが不要な身体というのは結果ではないか?って話。

 付随する話?かどうか知らないが、目的と手段が入れ替わり気味な人っていうのは、手段を取りそろえたら目的が自然と適うと思いがち。目的を得るための手段っていうのは、ホント様々なパターンがあるのだが、一意的な手段のみに拘り、それを収集することで自然と目的が達成されるって考え方。いつの間にか、手段を集める事が目的になるのも、これ系の人に多そう。

 例えば、参考書を買いまくることで勉強したと錯覚する受験生とか、高級なパーツと装備を纏う事で速さを得たと思うロード乗りの方とか、或いは、きらびやかな電子デバイスをフル装備したから高性能を得たとか、残業手当を大量に稼いだから仕事が出来る奴になったとか、、、、

 まぁ、どうでも良いけど、何をするにしても、時折原点回帰して、何のために活動しているか?目的は何か?方向性は間違っていないか?を検証し、別の選択の可能性を常に考え、最も良い方法を変なプライドや自尊心に拘る事無く取り入れるって柔軟性が必要だ。そのためには、ターゲットをしっかりと見定め、得る結果に対応した目的、問題となる原因を紐解く洞察力を養うのが大事だ。目先の論理、利益ばかり見ていると、何しているか判らなくなる。結果、何も生み出す事が出来ないという事態に陥りそう。

 どんな活動(趣味、遊び、仕事、スポーツ・・・)にも目的がある訳で、その目的を変質させると、何言っても詭弁になる。目的に最適な方法を得るためのトレーニングを学生時代にみんな行ってきた筈であり、その方法を執るステージフィールドが科目というもの。
 誰しも、好きな分野がある筈で、その分野での考え方というのが、その人が行動に目的を定め手段を得る考え方のヒントになる。それを分けて、割り切るから、仕事=我慢の時とか、他人の仕事が気になったり、現状に不満を感じ耐えると言う事で逃げているだけである。特に、仕事=楽しい事と考えず、仕事は我慢して金稼ぐ事と思う奴は、楽しみながらやっていないという時点で、そこで遊ぶチャンスを失っている。

 遊ぶっていう事は、自分なりに因果を見極め自分の方法論とトライして結果を追うって行為のこと。それは手段の収集でも、他人への追随でも無い。自分の世界の構築って事で、それこそが遊びである。

 似たネタになるんで、追記するけど、最近多いのは単車で峠を走るには?小径車の最高速度は?って検索でお越し下さるお客さんがいらっしゃる。単車で峠を走るには、スペックは殆ど関係ないというのが持論であり、タイヤの能力を使えるか?ということで、つまりは、タイヤからのインフォメーションを何処まで感じれるか?であり、それを感じて予測してって経験の積み重ねが安全に走るコツだし、小径車の最高速は、乗り手次第でフルサイズとの差異よりも、乗り手の差異に帰結する。体力に溢れた人なら、小径車でも60km/h近くは出るだろうし、ピザネロなんかでは高いロードでも瞬間35km/hがせいぜいだろう。(過去も目撃談ですよ。)
 モノは道具であり、結果を生む主要因では無い。っていうのが持論だ。

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