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2008年6月17日 (火)

理屈より感覚

 先週は、運動に際しての心拍数、運動強度について関心があったけど、まぁ、競技者でも無ければ、そんな数値に敏感になる必要も無さそうっていうのが結論である。
 何と言っても、これらの数値の鍵が心拍数っていうのはOKだけど、心拍数の絶対値が殆ど無意味であり、要するに、個人にとっての運動時の心拍数が、個人の運動能力に対してどの様な負荷になっているか?というのが問題であり、運動時の心拍数以上に、基本的な個人のスペックである安静時心拍数、最高心拍数っていうのが重要とういこと。

 結構、数値に敏感な人ほど、心拍数がナンボで、運動強度が幾ら?って気にしているけど、その大元の根拠(強度=割合で、分母が重要)となる最高心拍数値自体がいい加減な人が多い。
 実際、最高心拍数の計算式も様々であり、どれを採用するか?にもよるし、その基礎式のサンプルモデルと個人の能力の違いも在る。最高心拍数の求め方も下記のように最低でも4種類はあるし、

1.[最大心拍数]=220-[年齢](運動習慣のある人は210-[年齢])
2.[最大心拍数]=204-0.69×[年齢]
3.[最大心拍数]=男性で214-0.8×[年齢]、女性で209-0.7×[年齢]
4.[最大心拍数]=1.1×[安静心拍数]+115

 この辺が怪しいモノ。選び方によっては最大心拍数も最大で30くらいは変わる訳であり、この30の差が運動強度から適切とされる目標心拍数に与える影響も極めて大きいのが実際である。

 心拍数関連で運動強度と目的、効果を見ると、

心拍レベル(HRR)

期待できる効果

使われる過程

50~75%

持久性 酸素摂取量 毛細血管

有酸素

75~85%

拍出量増加 筋肉量増加

無酸素、有酸素

85~95%

筋力増加 耐乳酸性

乳酸性無酸素

95~100%

最大酸素負債量

非乳酸性無酸素

って感じ。だから最大心拍数で実測から公式の何を使うか?によって30も変われば、上表でいう心拍レベルからいうと1の項目から2の項目、或いは、2の項目と3の項目という風に運動強度が変わり、得られる結果が変わって来るということにもなる訳だ。

 ということで、書いてある数値、他人の数値を目標に、最大心拍数や安静時心拍数を近付けるには、どうしたらよいか?っていうと、これまた、微妙。ここで、良く聞くのは、例えば、自転車で速さに憧れる人が安静時心拍数を下げる事を目標にしたり、最大心拍数を上げるのを目標にしたりって話だが、大事なのは、満足行くように自転車に乗るには?っていうのが一意の筈であり、その結果を得た身体状態で、これら心拍数値がどうなったというのが本筋のような、、、、。
 大体、最大心拍数ってのはトレーニングで変わるものか?と言うと否定的な論が多いのも事実だし、安静時心拍数を下げるには?っていうのも実に難しい問題。まぁ、その辺の数値が運動に適した状態に変化するっていうのは、運動に適したように身体が変化するということで、そういう運動を行うような生活をすれば自然となる筈だが、数値に囚われすぎて過酷に奔りすぎると、身体の適応化の前に身体が壊れてしまう。

 ということで、あんまり気にせずに乗るのが一番のような気もする。そして、運動するならハァハァゼェゼェで乗るんではなく、自分の感覚で長く続ける事が出来る範囲の最大の負荷を続けるっていうのが重要なのかもしれない。

 人間の身体、運動意欲と疲労感リミッターだけど、上手い具合に出来ているように思うのが素直な感想。長距離水泳、自転車走行、、、、いろんな継続運動が行って思うのは、運動する際に増やせる負荷っていうのは、行う時間に併せて反射的に自らの意志で定めている訳であり、このような感覚的な機能っていうか、本能っていうのは、昨日迄に並べた屁理屈?(運動強度、マフェトン理論・・・)は知らなくても、それなりに順応しているようでもある。

 何でもだが、理屈先行で屁理屈野郎になるよりも、理屈や理論は知っていても、それに捕らわれすぎるでなく、自分の感性や感覚、意志で続けた結果を見て、理論や理屈で今の結果を説明を付ける程度の付き合いが大事だと思うところ。

 結果を納得するのが理屈。結果がどうなるか?は人次第である。定める目標が無謀過ぎる場合(ライバルが他人、或いは文献等々にした場合等)、その結果を得るために無理矢理組み立てた理論に併せた練習の果てが故障を招くように思うところだ。数字に拘るのではなく、現状の状態をスケールに乗せた結果が数字であるとい捉え方が大事である。最近は最初にスペックありき、数字ありきの人が多いけど、その数字が何をもたらすか?何を意味するか?っていうと答えられない人が多いのも事実であり、感覚的に数字に拘ったり、一喜一憂したりするのは本末転倒な気もする。

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