原油高騰で漁出れん!から見た社会の構図
って訴えの集会を開いているニュースが7/15のテレビニュースの一番であろうか?
原油価格の高騰で、漁船が使用する重油のリッター単価が従来の30円程度から100円オーバーという約3倍の高騰により出漁時の船の燃料代も賄えないっていうのが問題。
この問題に対して、漁連に燃料費補助を!って動きも見え隠れするけど、燃料費高騰によってダメージを受けている産業は他にも数多くあって、これまた簡単に燃料費補助って話しにならないというニュースも聞いたところ。
普通に考えれば、原価が高騰する訳だから、この原価が商品価格に転嫁されるべきって思うのだが、漁業の場合は、セリという仕組みから魚の価格決定に漁業者が関与できないというのがシステム上の問題なんだそうだ。
まぁ、セリというシステムの問題点ということだが、実は、宅急便等の配送料にしても業界の競争によって配送コストの高騰を配送料に転嫁できないらしいし、ガソリンスタンドのガソリン価格の高騰も、過剰競争によって、やはり高騰分全てを価格には転嫁できないという問題があるそうだ。
食料品の高騰っていうと、生活を直撃するのは確かだけど、その産業に従事する人だけに負担が集中するというシステム自体は、やはり問題を抱えていると言わざるを得ない。本来なら実を生むところが享受を得るという社会が理想的だが、役人や官僚、省庁等の税や公費の執行状況から見ても不条理が蔓延しているのが、この世の中である。
世の中の構図を客観的に眺めると、このような価格決定においても主導権を持つモノ、持たざるモノによって実益や評価の再配分では非常に大きな不公平感が生まれるモノが多い。それも世の中の定めといってしまえば、仕方ないけど、本来、得とか損という言葉は、得っていうのは取り組みや努力に対して、想定外の利益や評価を得る事を『得』っていい、逆に、報われない場合を『損』っていうのだろう。今の世の中は、このような損と得ってモノが偏ったままで、損する人はずっと損するという構図が不条理を生んでいるようにも思うところである。
このような不条理は、どんな世界でもあることだろうけど、実際は、そんな不条理に対して折り合いを付けながら皆さん暮らしている訳だ。そう言ってしまえば、身も蓋もないけど、損な役回りをしている方にしても、やはり、どこかで折り合いを付けるのだろう。この折り合いって言葉が、業界や組織で蔓延する事を防ぐっていうのが、今の政府や組織、団体、業界の方針付けを行う権限を持つ方に求められているのである。
損な役回りに対して、みんなが折り合いを付けるという意識に走ったとすれば、その時こそが、カタストロフがやってくるように思う。何故ならば、不公平感による不満が鬱積したり、損な役回りに対して我慢の限界を超えた時、殆どの人は実を生む行動を意識的に制限したり、放棄することで損を感じないように講じるのであり、そうなった時には、全体が必要としている実を得ることが誰にも出来なくなるからであり、今の場合、漁師の皆さんが漁を辞めてしまうと、食卓から魚が消えて無くなり、強いては、遠洋での漁業自体が行われなくなり、果ては、海洋資源の重要度認識も下がり、周辺の資源争奪に対しても後手の対応しかとれなくなるという流れが生まれるかも知れないし、そういう状態が固定化した時が、いわゆるカタストロフって状態となるかもしれない。
本来、自由競争社会っていうのは、取り組みに応じた見返りが万人に等しく生まれるという原則の上に成り立つモノ。その対局にあるのが、その原則に反した度合が大きな社会で、つまりは取り組んだモノが損をして、旨味は一部の特権階級だけが吸い取る腐敗社会である。因みに、共産主義的、或いは、社会主義的な考えという理想論は、平等の定義にもよるけど、原則万人に利益が等しく享受される社会。
今の社会構造を眺めると、利権社会というモノであり、既に自由主義的とは言い難いのが実状であり、最近の矛盾、不景気、、、、こんな歪みっていうのは、本来の形とは異なる損と得のアンバランスから生まれたモノのようだ。
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