個人と公共
個人的には今恵まれた状況にあると思うのだが、その財を生むフィールドっていうのは、世界でいう環境問題の古いシステムを維持する機構に属しているというのが、内面に葛藤を生んでいるのが自分でも判るところ。
どんなフィールドにあっても他人が思い付かない事を作り出すっていうのが趣味?のようなものだけど、少なくとも給料を貰う上で組織に提供する知恵っていうのは、組織が利益を得るための道具に使われる訳で、その組織が旧態然とした仕組みの上の組織だとすれば、究極的には、自分の行った事っていうのは、旧態然とした仕組みにとって都合の良い仕組みという事になる。
まぁ、職業っていうのは、そういうものかもしれないが、儲かったとしても世界の新しい価値観とは対局のフィールドで儲ける事っていうのは微妙に抵抗感を感じてしまうものでもある。
例えば、どんな産業でも言い方によっては正義の味方的な表現は出来る。電力会社が温暖化防止のために原発をアピールするっていうのは、少し論点がずれているのと同じように、どんな会社であっても、言い方によっては良い会社!って言う事が出来る。
そんな感覚があるのだが、仮に誰も作れないモノを作って楽しむのなら、そんな言い方によってはという制限で正義の味方をアピールしなくても、本質的に貢献できるモノを作るフィールドで知恵を提供してみたいと思う今日この頃である。
例えば、先の話ではないが、先頃完成した完全無潤滑状況~土砂摩耗領域で使用可能な摺動機構を有する機械部品は、旧態然とした化石燃料をハンドリングする流体機械に適用するでなく、どちらかというと、温暖化による海水面上昇、或いは、高潮被害、洪水被害で生活が脅かされる人の生活を守るための流体機械に適用するためだけに使いたいという気もするのである。一方で、化石燃料の消費を促進するに使い、一方で、それによる弊害を守る側にも使う。
今、両方の企業に商品を卸しているのだけど、利益はさておき、一方の本質的正義のためだけに知恵を提供する方が精神的に納得できる気がするところである。
現実問題、そんな綺麗事ばかりでは貧乏くじを引くのだろうけど、貧乏か裕福か?の前に、納得出来るか否か?の方が大事なような気がするのである。
そうは言っても、家族(嫁、子)が居ると、もう少しバックボーンをしっかりしておきたいところでもある。今、先のシステムを更に高度に成立させるためのシステムプロトを製作中であるが、これの拡販、宣伝に努め、バックボーンが確固としたモノとなる目処を付けるのが行動を起こす上で必要な事かも知れない。
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