食材制限式ダイエット方法より効果的なダイエットとは?
先日のニュースでのネタ。ダイエットに食事制限を行う方法を取った場合、低脂肪法よりも低炭水化物法の方が効果が大きいとのこと。元ネタは↓
http://www.nankodo.co.jp/yosyo/xforeign/nejm/xf2hm.htm
のことだが、何時も思うのは、人間の三大欲求の一つである食欲に制限を掛けるダイエットっていうのは、生理的、本質的に有りかどうか?という事。
確かに、暴飲暴食で身体を壊したり、食べ過ぎ、動かない過ぎで、極度の肥満に陥ったりという実例を見る事も少なくないし、そういう人の肥満の原因を運動量消費<<<食事量摂取という収支非平衡に求めるのは正しいけれど、この食べ過ぎというのは、欲求的に正常な食行動か?というと、食行動自体が異常性を帯びており、その異常な食行動を行わせる背景というか原因を取り除く事こそが重要ではないか?とも思うところである。
食事という行為は重大欲求の一つであり、なんらかの精神的な抑圧を受けた際に、快楽?でバランスを取るための安直な行動とも言える訳であり、異常な食行動というのは、本来の生理的な食欲を越えた行動と考えると、それを押さえ込むのは異常な食衝動を引き起こす要因を取り除く方が、食行動に走る人の精神的抑圧の度合も少ないのでは無いだろうか?とも思うのである。
食を制限するのは、異常な食行動を排除するのが目的であり、節制をストイックに求めるものとは異なるものである。異常な食行動は異常食によって得られる至福感で紛らわせる不満が根底にあるはずであり、それを取り除けば、恐らくは異常な食行動に走ることは無いように思うのである。
多くのサラリーマンのイメージである職場での不満を酒で紛らわせるのも同じであり、不満が無ければ酒にも走らない。ストレスを受けるから、解消法に走るという論理と同じ理屈である。
これは、加齢と共に肥満傾向が強まるが、加齢と共に生活環境から制約を受けて、自己表現が出来なくなる事による結果ではないか?とも思うのである。
つまり、加齢と共に肥満状態という異常食行動に走らないためには、個人が自己を開放できる世界を大事に持つ事ではないだろうか?
自分の世界を成長と共に大事に持つことこそが、肥満という異常食行動の結果から遠ざかる唯一の方法のように思うのである。
食いたいモノは食う。しかし、異常な量とならない程度で普通は満足できる筈であり、その適量で満足を得るのは、他の日常で精神が満たされているからである。日常で満足を得るフィールドこそが、肥満に悩む人にとっての特効薬であり、それが食行動自体が楽しみとして残す唯一の手段とも言える。
何か不満、不平を抱える人の捌け口が異常食行動、深酒であるならば、その異常摂取行動自体を制限すると、更に、他の異常行動に走りかねないし、制限のために、制限すると、更に、ストレスがたまり、精神性に異常を来す破局を招きかねない、、、そんな風に思うのである。
食い過ぎで困る奴は、幼少を振り返り、自分が本当に楽しかった事は何かを、今一度探す事が大事であり、その楽しい世界に再突入する事が良いのでは無いだろうか?
人生においては、大人になるまでに、自分の最大の楽しみを見つける事が最重要であるというのが私の持論である。それさえあれば、何でも出来るし、どんな事も割り切って考える事ができる。私の場合は、それが単車であったり、自転車だったりするのである。
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