エコ?節約?本当は?
表題の取り組みが盛んに取り上げられている。
アイドリングストップ、エアコン設定温度を下げる、多人数乗車推進、マイカーノルマーデー、空ぶかし抑制、、、、、
そして、その理由は、地球温暖化防止とか、ガソリン価格高騰に対する家計防衛とか、、、、
でも、こういう価値観っていうのは、レジャーでは車に乗るな!スポーツカーは不要だ!実用或いは仕事のみで使うだけにしろ!って感じであり、こういうノリでは、趣味=単車、自動車、ドライブ、ツーリングって価値観自体が否定されていくのでは?と思うところ。
確かに、地球温暖化防止、石油資源保護、、、、大事であるけど、いろんな矛盾というか無理を含んでいるように思う処。
俺的には、仕事や実用では車を抑制するけど、趣味では燃費は気にしない、楽しみたいって思うのだが、究極的には石油資源で遊ぶっていうのは許されない時代がくるかもしれない。しかし、逆に言えば、そういう時代が来る前に存分に楽しんでおきたいってのもある。
大きな見方で見れば、環境問題、地球温暖化対策では排出温暖化ガスを抑制しなければならない。で、結局、どの程度にするか?っていうと、これは発達の度合いとか、歴史であるとか、貧富の差、財力の差、国家間の差は関係無いって言うのが正論だろう。許容される排出ガス量が決まれば、それを人口で割って一人あたりの排出ガス量は平等にって考え方が地球に生きる人が与えられる権利が平等って観点から考えると一番スマートである。
国家における人口で割り当て排出ガス量が決まり、結果、一人あたりが決まる。となると、結果的に、一人が使えるエネルギー量が決まる。そう、電気もガスもガソリンも全て一人が使える量は平等って考え方が一番不公平が無い。金持ちだから沢山支えるって話でなく、誰もが同じ量。現状、豊かな暮らしを享受していれば節制が迫られるだけの話で良いんでは無いだろうか?
以前も話したけど、車も単車も何乗っても、何のために乗っても個人の自由だが、一人が使える燃料が一定という考え方で統一すれば全然OKである。
しかし、現状はそういうレベルの問題でなく、日本では原油価格高騰、物価上昇、生活苦で節約頑張るって考え方であり、そういう論法が前提で、環境論を振りかざすのは焦点がぼやけているように見える。その論法にしても、本当に原油高騰で生活苦?って人がどれ程居るか?っていうと、これまたマスコミの報道実態と実状はマッチしていないのでは?と思う事が多い。本気で環境論を考える社会構造であれば、快適志向の重厚長大な車の氾濫や高級車販売促進は有り得ないし、家庭レベルでも、一人運転が殆どの大型SUVブームなんても有り得ない。町を見ると、生活がひっ迫した人が多いか?というと、そうは見えないというと非難を浴びるだろうか?
ガソリン価格高騰、景気の重し、とか色々と言われているけど、ぶっちゃけた話、リッター価格が1000円くらいになると考えるかも知れないが、500円程度では多分、それ程、ライフスタイルは変わらないように思うところ。ガソリン価格に対して、マスコミが騒ぐ程に世間が敏感だとすれば、昨今の多人数乗車前提の重量級自動車、それもフル装備+オートマチックという構成、更に更に、大きめというか、大きすぎるエンジンを搭載した車が人気というのは、本当に切羽詰まった状況に無い事の証明とも思えるからだ。
生活が苦しくなる事を望む人は居ないだろうけど、実際に資源の争奪戦、環境の変化という状態は迫りつつある訳であり、今のグダグダの中では何も変わりそうになく、破滅への道を歩むように感じるところ。
ドラスティックな変化こそが必要であり、そのためには、ガソリン価格が1000円/リットルぐらい迄高騰して、原油消費が成立しない世の中になって、従来の価値観(企業)が崩壊し再構築するくらいのインパクトがあった方が良いのでは無いだろうか?物価のアホみたいな上昇、更には、原油に浮かんだ企業の沈没という激変が起こらないと何も変わらないような気がするところだ。
| 固定リンク
コメント