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2008年7月 8日 (火)

研究って?

 この週末は、大手製造業の研究部門の長の方と話す機会があった。

 で、研究とは?という話が出てきて、当たり前ながら、みんなが忘れている事の話が出てきた。

『研究なんかは100とか1000のアイテムを取り組んで、実を結ぶのは多くて三つ程度。』

って話である。その実を結ぶ研究っていうのは、最初の思い付きの段階は、殆ど誰もが関心を持たない、気が付かないというモノの場合が多く、逆に、誰かが何かをやっているという情報からスタートする場合は、既に情報が漏れてきている段階で、先行者が居て、結果として競争力は持てない事が多いとの事。

 正しく、そうである。

 誰かが何かをやっているから、我が社でも、、、、ってノリでは結果が利益に結びつかないばかりか、時間の浪費で終わるのでは?とも言っていた。

 これまた、正しくそうである。

 一方で、若い世代には、研究とか開発という言葉に憧れる人が多いとも言われていたが、コレもまた、正しくそうだ。

 研究とか開発とかの言葉は、言葉が持つイメージ程カッコイイものではない。特に、初期の起点から行う場合は、全くの無から立ち上げる場合の方が多く、その無の状態から何かを生み出す過程っていうのは、非常に泥臭く、幼稚くさく、無意味っぽくも見えるものである。そして、そういう格好悪い期間は思いの外長く掛かるものだったりする。

 そういう格好悪い、泥臭いという準備期間が実に長く、その長い潜伏の時に組織的な制約や、担当者のモチベーションが尽きると、実を結ぶ前に朽ち果ててしまうものでもある。
 そういう長い期間の印象を、単に憧れる人っていうのは知らない場合が多い訳である。

 更に、その長い期間において考える事っていうのは、いろんな現象を多方面から基礎的に見て考えるというという事であり、実は、憧れて実践するには、相当に幅広い知識で原理的に見つめてイメージするという作業が必要であり、そういう知識と見方と根気というのば要求されるものということだ。

 だから、そういう何か新しいモノを生み出すには、発端の部分は、それを担う個人の仕事なんだが、組織としては、そういう個人を労る?ように計らうのが大企業としての考えということらしい。

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