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2008年7月24日 (木)

ロードブーム、ピストブーム

 水曜日の地元新聞で見つけた記事。それは、シングルスピードバイクにフラットバーを装着してカラフルなパーツと好みのギアを組み付けて、メッセンジャーバックを背負って乗るのがトレンディー?で、広島でもツーキニスト?の選択肢として注目を浴びているそうだ。
 で、記事に掲載されていたのが、カラフルはホイール周りにメタリック系カラーのホリゾンタルクロモリフレーム車。

 謳い文句としては、素人にも扱いやすいギア比が装着可能で、メンテも簡単、、、、、とまぁ、ありきたりな謳い文句が並んでいるところ。

 そんなピスト系ファッションバイクと並んで、時折記事になるのが、最新のコンポ+CFRPを始めとする新素材をバンバンに採用したロードバイクと、それに乗って風を切ってメタボリック対策に大流行って記事。

 本来、シングルスピードもロードバイクも結構特化された車両であり、その潔さを受け入れて乗るっていうのが格好良さだったと思うけど、最近は、そんな車両をベースに個人の思いで自由にカスタマイズされたモノがファッションアイテム、ダイエットツールとして広く受け入れられているようだ。

 ピストバイクっていうのは、基本は固定シングルで乗る場所が極限られた場所で、その狭い範囲で最高の気持ちよさ(速さ?)を具現化するための道具であったりした筈である。ロードバイクっていうのも基本は同じで、脚が足らないからギア比を拡げるとか、不便だから便利さを付加するという質のバイクとは異なり、見合った脚の持ち主が活用して初めて、その世界が堪能できるというモノであり、不便さは不便ではなく、本来の機能のための必然性追求の結果故に割り切るという考え方が根底にあるものと思うのだが、最近の流行では、カスタマイズベースということで、あくまでも素材。素材を変更するのは、使い手の思い!って考え方が主流になっているように思う。

 そう思うと、ピストベース、ロードベースの様々なモデルっていうのは、実は既に、そのスピリッツを失った別個の存在のようにも感じるところだし、それが主流となることで、本来のピストバイク、ロードバイクの潔さが伝わりにくくなっているような気がしないでもない。ブームという流行で雑多な人の視線が集中すると、その対象を雑多な人へのアピール度優先となり、本来の意味を失い魅力も失うって事は少なくないが、それって、過去の単車のレプリカブームとオーバーラップするところである。

 一見ロードバイク、ピストバイクっていうのが増えていて、自転車人口が増えるっていうのは喜ばしい事だけど、ブームっていうのは反動が間違いなくやってくる訳であり、そうなった時にどうなるか?っていうのが実は心配だったりする。更には、雑多な視線の注目を浴びるための構成が増えすぎると、そういう視線の注目の外に位置するモデルっていうのが見つけにくくなるっていうのも少々寂しいところである。

 ここからは、勝手な考えだが、例えばロードバイクについて、、、、

 ロードバイク(ロードレーサー)の定義はなんぞや?というと、個人の主観としては、何と言っても潔さである。潔さっていうのは、特定の状況で効率良く走るために、不要なモノを削ぎ落とすという事。無駄とは言えない無駄というか余裕を削り、只一点のために追求するってスタイル。その潔さというベクトルでみた究極のスピードバイクがピストバイクとすれば、同じベクトルに有るものと思う。

 昔の自転車乗りの私の思うロードバイクの潔さは何か?っていうと、

 兎に角、タイト、ナロー、高剛性、無駄無しという方向で全てが構成されるべき。 具体的には、タイヤとフレーム間のクリアランスは極小。フォーククラウンとタイヤの隙間、Fタイヤとダウンチューブの隙間、Rタイヤとシートパイプの隙間、Rタイヤとステーブリッジの隙間。踏み幅は狭く、チェーンラインの角度も然り。回転を上げるためには、踏み幅(Qファクター)は狭いのが必須。チェーンの捻りも最小が必須。伝達ロスは極力押さえる。伝達時における外乱によるロスも最小狙い。同じギア比なら歯数構成は大きい組み合わせで!チェーンのコマ曲がり角度の面でもだけど、大きな歯数構成の方が駆動時のチェーンの張力が大きい。その分、外乱による乱れの割合が小さくできる。勿論、歯数構成は必要最小限。歯数構成の幅(キャパシティー)が大きいとケージも大きく、テンションで惹くべきコマ数も沢山必要で、外乱等々でチェーンが踊りやすい。その分、ロスも大きい。
 更に言えば、そういう構成でガンガンに踏む人のパワーに見合った剛性が各部に確保されている訳で、そういうトルクが生めない人には、パッケージが持つ剛性なんぞ無用の長物となる。
 思い付くところで、そんな所。逆に、どんなに高級なコンポ、新素材で構成されていても、スケルトン的に緩い構成は潔さが感じられない。 ロードバイクが必然的に形(スケルトン、ギア比)が定まるならば、その速度域に合わせた設計が為されている。よって、その形にして、形に意味を持たせるギア比、スケルトンは必然であり、その構成を回しきれないのは、想定された速度域に達しない。乗るのが目的ということは、或る意味、真だが、そのために、そのモデルに汎用性、万能性を入れすぎるっていうのは、そのモデルのストイックさが失われる事にも繋がると思う。

 逆に、ロードを選ぶって人は、それを承知で、それに見合った自分を判断してから手に入れるというのが昔的な考え方かもしれないが、そういう乗り手と自転車の関係が潔さだと思うのである。ピストバイクも然りであると思うのである。

 勿論、自分自身、ロードバイクもピストバイクも乗るに見合ったレベルにあるとは思わないが、そういう空気が好きなのは確かであり、その空気を自分に合わせたカスタマイズをおこなうとなると、何をどうすれば、そういう空気が手に入れれるか?を考えると、それは、車体の構成する一点毎のパーツよりも全体の雰囲気を決するスケルトンの方ではないか?と思うのである。

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