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2008年7月 4日 (金)

カウンセラー?

 昔から、身上相談を頼まれる事が多い。大学、大学院時代から社会人生活を経てもそうだ。
 勿論、相談もあれば愚痴もあるし、その悩みの対象が、個人の付き合い、趣味、学問から仕事、将来、、、、様々である。

 まぁ、聞く事は可能だが、その解決策自体が相談者にとってベストか?というと、必ずしもそうではないし、結局は本人が決断する訳であり、決断には他人の意見はあくまでも参考程度だし、他人の選択が本人の選択として最適か?なんて事は判らないのである。

 ただ言えるのは、どんな選択であれ、その選択は自身の選択であり、仮に他人の言うとおりという風にしたとしても、その選択の段階で他人の意見に従うと決めたのは本人である。という訳で、その選択の結果が、自分の思い通りにならなかったとしても、それも又、本人がそういう意志決定をした結果である。そういう意味で、選択に迷いが生じたとしても、結局は、本人の判断でしか物事は流れないので、他人がどうする事も出来ないのである。

 他人の意見が、本人の選択に役立つか?というと、それぞれが色んなジレンマを乗り越えていく際にどのような考え方をしたか?という事で、それを期待するのかもしれないが、それとて、考え方自体を自発的に生み出す場合と、教授を受ける場合では、そのバックボーンが違う訳であり同じ結果は得れる場合が少ないと思うのである。

 結局は、自分の問題は自分で選択するしかないのであり、結果は自身で受け入れるしか無いのである。そして、そんな選択に際する悩みやジレンマというのは、どんな人にも直面するものであり、悩み無しで生きている奴なんか居ないものである。

 敢えて、アドバイスをするとすれば、悩みの原因となるような問題が起こるとすれば、その対処は、その瞬間に考えれば良いというくらいか?悲観的であろうと、楽観的であろうと、先を考えすぎるくらいなら、その瞬間の判断に従って行動して、刻々と変化する状況に合わせて再考するのが無駄がないというくらいである。

 行動せずに悩んでいても状況の変化は期待できないが、取り敢えず何かすれば状況は変化するもので、そうすると悩みの質も変化する。好転するか悪化するかは判らないが、どういう結果であれ、その時に考えれば良いのでは無いだろうか?
 それと、あんまり人の目を気にしないのがベストだ。人は人、自分は自分である。他人からどう思われているか?他人と自分を比較して優越感、劣等感を感じたりっていうこと自体無意味である。個人は個人であり、その個人の問題は他人との相対性で変わるモノでなく、本人の絶対値的な問題であり、他人を気にすることで、無用な悩みや安心を生みかねない。

 結局は、自分の事は、自分で判断して、取り敢えず、瞬間に思い付いた選択を歩む、そして、次の事はその時に考えるっていうのが答えにしかならないのである。

 どうやったら、新しい発想は生まれるか?或いは、勉強が好きになれるか?或いは、単車や自転車で速く走れるか?上手く泳げるか?なんてモノも一緒だ。結局、その満足を得るには、満足を得れない問題が個人特有の問題として有る訳で、その問題は、好む好まざるによらず本人は知っているモノ。その問題の解決の最短距離も見えているもの。それに対して行動をとれば状況は変化するし、先送りすれば問題が複雑化するだけ。

 悩みとは、問題であり、問題とは不満、不具合である。当然、それには原因があって、その原因を取り除く上で必要なモノも決まる。必要なモノを手に入れるには、自分に何が足らないか?っていうのもホントはみんな気付いている。
 大体、悩んでいるモノの解決策っていうのは、苦労しなければ手に入らない。何故ならば、本人の過去の生い立ちで、その解決策を得られなかった訳であり、過去の取り組みから踏み出した行動をして初めて解決策が近づくのである。

 だから、ハウツー本、金、助言といった手抜き対応では絶対に問題は解決出来ないのである。そんなもんである。
 ただ、生きる上で、そういう後悔や強迫観念で緊迫していては疲れるんで、まぁ、或る意味、気楽に、時折、気合いをという形で生活に抑揚をつけて過ごせばOKな訳だ。

 読んでいる人には、書いてある事の意味が伝わらないかもしれないが、まぁ、どんな人でもその人なりに自然体で過ごすというのが結局一番イイという事である。

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