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2008年7月10日 (木)

 色んな人と話をすると、結構、安易?簡単?に、研究とか開発とかに憧れたり、その必要性を説いたりとか、、、まぁ、ある訳だ。

 しかし、前の記事にも書いたけど、その研究とか開発という行為は、とてつもなく孤独で、その成果を得る迄の間は相当の時間を要する場合もあるし、その間の自身の気持ちの変化や、周囲の眼に対する孤独感も当然あって、実は貧乏くじに近い業務だったりするのである。

 では、何故に、そういう割の合わない業務が存在するのか?というと、理系、文系関係無しに自分で考えた事、自分で編み出した事、自分が初めて発想した事、気付いた事が、実際に思い通りになるという、その瞬間の満足度が、他の何よりも貴重で大きなものだからである。
 どんな仕事であっても、そのテーマに対して発想の起点を生み出した人間で無ければ、その満足感と自負は得られない。発想に基づいて動いただけの人間が感じる充実感と、その発想自体を生み出した人間が感じるそれは全く異質で、次元の異なるものである。
 大企業的に言えば、研究チームの発案チーフが感じる満足感と、それを手伝うスタッフの満足感は全く異質ということ。

 廻りがどんな評価をしようとも、内面的に自分自身で素直に満足が感じれるかどうか?の一点では、他人のアイデアの上に基づいたものでは、遠慮、後ろめたさ、といった満足感に対してはマイナスの要素が含まれている。こればっかりは、編み出した人間で無ければ感じる事は絶対に出来ないモノである。今回、この記事を書くに到った理由となった相談者の話によると、そういう個人開発に対する評価がどうのこうの、、、って話があったけど、個人での開発に対する見返りというのは、自分の気持ちに素直に満足が感じられるか否か?であり、組織からの評価とか、周囲からの評価という他人の視線を意識している時点で、恐らくは個人での単独開発って取り組みは彼らには出来ないだろう。自分の意識で行動して、自分の自尊心に嘘を付かずに自分で満足が得られるか否か?が問題であり、その満足感を得るための前提というか必然は、行動の原理自体が自分自身で編み出したか否か?に掛かっている。

 本来、新しい価値を生み出したり、長きに渡り抱えた問題を解決する手法を生み出したりするのは、行動における目的、目的を生む状況、その状況を招く原因・・・・といった因果関係を冷静に見抜き、そこから取り組む人間の経験と知識を駆使するという行為の事であり、それっていうのは、独りだけの世界である。その世界を楽しめるかどうか?が、それが出来る資質があるかどうか?に拘わってくるのである。

 勤務先においては、巨大町工場的な中小企業であり研究組織は無いけれど、その企業なりに抱えてきた問題を十数年の内に数件の問題を解決したり、特許取得を行ってきたが、そこでは、時間の流れの違う他業務の従事者と席を並べて、こういう業務を取り組んできたが、そういう時間の流れ方に違いから感じる焦燥感っていうのは、過ごした人間でなければ、なんたるか?は恐らく判らないだろうと思う。更に言えば、そういう過ごし方で独りで物事を最後迄諦めずに取り組める奴が居るか?というと、そうも思えない事が多い。

 しかし、製造業であるからには、やはり新しい価値を生み出すというのは重要な事であり、そういう価値を生み出すフィールドというのは必要だとも思う訳だ。今は中企業といっても町工場状態であり、何か新しい事?困った事?っていうのは、全くの一個人に兼務で任せた対応しかしていないし、そのテーマ自体も他からパクったものばかりだが、これでは将来に不安を持つ人が出ても仕方ない話である。不安の理由は、後ろめたさばかりでなく、ビジョンの無さ、計画性の無さ、そのプロジェクトに対する周囲の視線や雰囲気が該当する。

 どういうタイプの人が新しい価値を生み出したり、問題を見抜く目を持っているか?は判らないが、そういう眼を持って、尚かつ、全くの孤独に自己を保って打ち込めるような忍耐と発想力を持つ人っていうのは皆無に近いのでは?っていうのが個人的な感想だ。自慢では無いが、下記に紹介するアイテムの中には、会社としては取り組まないという答えに反旗を翻して、自己資金による特許取得、運用会社の設立、協力企業の開拓を勝手にやって、今は、その製品が様々な分野から需要を生んでいる案件もある。
 少なくとも、環境的に新しい価値に取り組む事を容認し、仕事を認めてやるような後ろ盾というか、そういう組織があれば、その中で、新しい価値や問題解決を行える人っていうのは居るかも知れない。

 人によって価値観は違うけれど、人や組織が歴史的に困っている問題を本質的に解決した時に感じる満足感や、今迄に存在しないモノが実際に機能する事を実感する時に感じる充実感っていうのは、なかなか味わえるものではないのだが、そういう感覚を、望む人間に味わわせる機会を与えてやりたいと思う今日この頃である。

 自分自身、出来て良かった!というアイデアは何アイテムかあるけれど、振り返ってみると、

・Ni、Coを全く使わずに常圧焼成のみで密度を上げる事が出来るWC基焼結体の発明
・無潤滑摺動と耐スラリー摩耗を両立し、破壊形態を制御できる軸受複合材料の開発
・通電軸電流監視によって均質性、焼結性を高める3軸通電式焼結装置の開発
・非鉄金属鋳物の鋳込法案のブラッシュアップによる欠陥抑制
・同上工程における生産計画精度を高めるスケジューリングアルゴリズムのデザイン
・製品製造制約を設計拘束条件に取り入れコスト低減を実現した設計ガイダンスの作成
・液化低温ガスび混合物性推算をリアルタイムで行うプログラムの作成
・計測データをリアルタイムで修正(?)して必要書式で出力、保管するシステムの作成

 等々があるけど、どれも前例無しでオリジナルデザイン、単独実施だけど、どれも結構な満足感が味わえたのは事実であり、そういう気分を次の世代に体験して貰いたいとも思うところ。まぁ、自分の反逆?(なんたって、何かをやろうという意欲の根元は、会社に貢献しようって意識は皆無であり、人が出来ない事をやって満足を得たいという自己満足のためであり、自分の利益に繋がることしかしないから、、、組織も会社も言ってみれば糞食らえである。)としては、、、実は色々あるけど内緒。
 そういう機会を望む人が居れば、チャンスを与えてみたいところ。但し、仕事に優劣は無いけれど、その思いを実現できるか否か?っていうのは、問題と個人が見合っているか?が大事であり、希望する人間に格が備わっているか?格を磨く気があるか?も結構重要だったりする。

 こんな文章を書く気はサラサラなかったけれど、ここ何年か、後輩を含めて若い世代が不安を打ち明けてきたり、希望を語ったりする事が多く、彼らに対する解答の背景の一つとして文章にしてみたりしただけである。

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