« 信じられるモノ | トップページ | ポジション »

2008年7月26日 (土)

博士論文?

 金曜朝の会長殿との打ち合わせ。

 昨今、話題の原油高、原材料高の対策の話。この話、地元の新聞とテレビでも取り上げられている。この効果をチャートで判りやすく説明してくれという依頼を受けて、過去の経緯、データの分析、結果等々を一覧のチャートに記して提示したところ。

 この発端は、4年前に遡り、当時勤務先の企業が抱えていた問題を当時の段階で予測して、何をすべきか?を洗い出して、計画立案後に担当者の人選を行い進めてきたモノであり、その効果は去年の段階で一応評価の土壌に上る状態になっていたモノ。

 この成果は、私の意見に同意してくれて協力してくれながらも、当時、その協力者との意見調整が上手く行かず、結果的に退社された方々の努力の上に成り立っており、自分としては、そういう真の功労者を評価すべきという事を常日頃から訴えていた。しかし、組織の実態は全く無関係の人間が、さぞかし実行者のような顔で全面に出ているのが実情。

 そのような組織の中で、先週、勤務先のトップ(会長&社長)から、今回話題になっている案件を技術要素と効果を判りやすいチャートとして示し、その効果を絶対的な数値として示した表も提出して欲しいという依頼を受けて、その解答を木曜日に社長、金曜日朝一番に会長さんへ提示したところ。

 そうすると、現代の技術から経済効果が現れた良い案件と思うので、大学と共同して表題のように博士論文を提出しろ!という話。この件に関しては、論文作成は、その手間を担うべき人(自分が功労者と思っている奴)は、もっと別に居るだろう?といって断っただけだ。それをやったとアピールする奴が、その手間を担えば良いので俺はノータッチだ。

 そもそも、はっきり言って、甘過ぎである。博士って奴らは、世間の常識から見ると変態であり、変人であり、普通の人では無い(良い意味での話だよ!)のであり、そういうアブノーマル(Above normal 、つまり標準を上回るって意味)な人が執念の積み重ねを経て博士となるのである。根本的に博士課程に見合う専門性、先進性があるか?という段階で、経営者が感激?しているような今回の件なんかは見た瞬間に答えがでるような取り組みであり、論文ネタにさえならないのは明白。仮に、自分が抱えるテーマで博士課程論文ネタになりうるネタは何か?っていうと、度々紹介してきた先行待機ポンプ等で使われる事を想定した完全無潤滑~土砂摩耗雰囲気の全ての領域で全く壊れることなく使う事が出来る全く新しい摺動システムくらいか?それにしても、テーマを扱うのが自分である限りは不可能だろう。博士論文というモノは、自分の印象では、博士を狙うに相応する知識的バックボーンを駆使した上で、構築した論理を文章としたモノ。テーマが有っても、それを博士論文の格式に相応する知識を駆使して表現する事は、自分には出来ない。自分自身、先輩や同級生で博士課程を修了した人と付き合ってきたが、どう考えても自分にその器があるとは思えないので、基本は辞退である。どいつもこいつも、学位を甘く見過ぎている。

 っていうよりも、こんな他力本願的で蜜に群がる者で構成された組織のために一肌脱いで貢献しようなんて思いはサラサラ無いわけであり、一肌脱いで協力して欲しかったら、それに見合わない人が、そういう顔して表に出る事を恥と思えない価値観が蔓延している限りでは、無理。実際に、どんな動きをしたとしても、それは、廻りの協力あってのモノであり、その協力者を称えない風習がある限りは、だれの協力も得れなくなるモノ。将来に渡り、やっても旨味は無いジャンって思いが蔓延すると、知恵の結集は不可能となるのである。

 自分自身、大した事は無いけれど、自分の考えを実践するに協力してくれる人は大事にしたい訳であり、それが埋没するような組織では、廻りに協力も依頼出来ない。協力なくして何も出来ない訳であり、そういう状況では、新しい事には現状は一切ノータッチの不干渉の気分。
 将来、何らかの危機が訪れた時、危機感を皆が共有するような空気が組織には必要と思う今日この頃。今は、誰かがやってくれるだろう、、、って意識が強すぎである。

 まぁ、こういう風土を作ったのは経営者であり、最近は経営者には協力できないなぁ、、、って気が大きいところ。これからしばらくは、お手並み拝見ということだ。此処で言うお手並み拝見っていうのは、他人に対して『お前ら出来ないだろう!』って意味ではなく、何某かの行動を起案して計画を練って手順を決めて行うというプロセスを結果が出るまでやる上での苦労と味わって見ろということ。誰かが何かを行うと、その人なりのアイデアが浮かび、それに従って何らかの結果が出るのは間違いないけど、その過程の面倒臭さを実感すれば、その結果(良い結果でも、悪い結果でも)にどう向き合うべきか?っていうのは、当事者となった事の無い人間が本当の当事者になって初めて気付くものだということである。(そうは言っても、新しい案件に殆ど全ての人がNoという解答を行い、率先してやろうという意志を示す奴はいないから無理か?)

 まぁ、一度、みんな自分からアイデアを出してプロセスを決めて見抜いて行動してみれば良いのである。そうすると、発想の重要性とか、その起案の意味とか、分担の意味とか、分業スタッフへの感謝とか、色んなモノが事欠かせないって事が気付くかも知れない。一部を見て全てを掌握したような気になる奴がいるとすれば、最後の後始末迄、やればよい。それが解らない奴は、それを実体験で学習すべきだろう、、、、。最近は、愛想を尽かす事が多いなぁ、、、、で、今は金曜の昼休み中である。

 まぁ、博士論文ってのは生涯の最終目標として自分の中で存在させても悪くない。仮に博士論文となると、先の話ではないが、完全無潤滑から土砂摩耗雰囲気の全域で使用可能な全く新しいジャーナル軸受のデザインについてかな?と思うところ。今は、その摺動メカニズムを紐解いて明らかにしていく上で、今の立場を利用して過ごすというのが基本である。それ故に、今は他の事を考える暇は無いのである。このシステムが完成すれば、結構楽しみである。今時点においては、その前段の摺動システムが既に地方自治体等に納品されて稼働準備段階という事。これ関係のネタが博士論文に繋がれば?って思う今日この頃である。自分の意識では、博士論文ネタっていうと、その分野において過去の誰もが試した事のない論理を論理的破綻無しで使用可能であるという論理を展開し、それを実証、評価した上で新しい論理を生み出すというストーリーが必要と思うところである。

|

« 信じられるモノ | トップページ | ポジション »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 博士論文?:

« 信じられるモノ | トップページ | ポジション »