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2008年8月21日 (木)

安全教育!教育?

 会社の現業部門では労働災害防止という事で安全教育に熱心なフリをしている。その中で教育用資料は、どこかの安全パンフレットを安全担当者が棒読みして講義するというもの。そして、その資料には教育の重要性?がトクトクと書かれている。

 教育の必要性は、必要な知識レベルに皆が到達していれば災害は防げるという論理が根底にあり、必要とされる知識と現実の知識のギャップを埋めるために教育が必要という論理的展開が為されている。

 その思想的根底には、教育によって知識を持たせ、組織としては知識を明文化したマニュアル、手順書を徹底的に整備し、それを確実に行う事でレベルを上げる・・・・・って事らしい。

 まぁ、起こりうる事態が過去の前例に当て嵌まるモノばかりで、その状況判断が手順書によって完璧に分類できてって前提なら判らないでないが、、、、話を聞いていたらなんかチョット違うよなぁ、、、って印象である。

 過去のフォーマットに則った事しか起こらなければ問題無いけど、現実社会においては過去と同じ事っていうのは実は二度と起こらないのである。明文化、マニュアル化、手順整備、、、、っていうのは、如何にも最近の日本的な考え方のように見えるのである。

 教育するっていうのは、実は相当に難しいものであり、組織体系で担当しているからというレベルで教育するに値するレベルには到底達しないのが現実であり、印象としては教育ってモノを舐めているのでは?というのが素直な感想だったりする。

 自身、教育という言葉は好きだけど極めている訳でもないけど、人に教えるっていうのは、自分の考えを自分で理解するというレベルとは違うレベルにある訳である。

 自分自身、教育というと中高生相手の塾という形で金を取って教えていたけど、振り返ってみると、その期間は20年以上であり、その20年間の積み重ねの上で人に教えるって意味が漸く判ってきたかな?という感じ。そうやって教える、教育するという意味を自分なりに理解しているつもりだが、企業における教育担当の人間に、その教育の意味、教育で伝えるべき事は何か?が判っていないのでは?と思うことが多いのである。

 教育は大切だけど、教育とは、前例集を纏めて覚えさえるでもなく、手順を教えるものでも無いのである。教育の科目が安全であれ、工学であれ、或いは、様々な受験科目、専門科目であれ、実はみんな同じなのである。科目や分野が違って内容が違うように見えても、実は考え方の基本は同じであり、そこでの論理の展開方法は全く同じなのである。
 よく言われている年輩者がパソコン苦手、IT苦手、コンピューター無理、プログラミング不可能、、、、って言い訳を聞くけど、そういう考え自体が、自分で何かを突き詰めて自分なりに納得したという原体験を持っていないというバカ宣伝をしているのである。プログラミングもシステムデザインも、材料開発も、機構開発も、、、、或いは、管理手法の構築もみんな同じである。その際に用いる様々な手法も分解して追ってみれば、結構単純化されており、様々なシミュレーションも実は単純なのである。

 教育を語るならば、どんな分野でも構わないので、自分自身で突き詰めて、その分野で考えを進めるに必要な思考手順を確立することが重要であり、自分に嘘を付かず、自分なりに納得出来たという気持ちになれたとすれば、実は、どんな分野の、どんな事象、現象であっても、実は相似性を持った似たような現象に見えたりするモノである。そうすれば、分野の違いは自分にとって新しいチャレンジをする際の障害ともならないのである。
 ここで言う納得っていうのは、各人なりの納得であり、その世界を極めるという大それたものとは違い、自分なりに理解出来たという実感を得る事だ。

 少なくとも、教育というからには、人に思想を伝える事が重要であり、そのためには、自分の秀でた自信の持てる分野において、納得出来る考えが出来たという実感を得る迄に何かの取り組みをしなければ、人に教育する資格なんぞ無いのである。教育で伝える事は、答えを手順通りに出す能力を与えるのでなく、教育を受ける側が将来遭遇するであろう問題に対して、その状況に応じて、その人なりの答えを自分で見出せる能力を授ける事である。だから、教育課程では、その適性分野(機会)を与えるために科目が存在し、上級学府に行くに従って、その分野毎に必要な知識を教え、解を導く手順をより高度に紹介するような形態となっているのである。

 色んなジャンルを見せる事によって、その手順を自分のモノに出来るような興味を見つけ、そこで理解できたと思えるようになれば、それまでの成長過程において目に触れた苦手分野、或いは、専門外分野でも、霧が晴れるように理解できるようになるものである。そうすれば、分野の専門性、科目の違いを超越して、いろんな知識が水平展開する事が可能となり、思考のネットワークが複雑に構築されて、いろんなアイデアが生まれ、色んな事が出来るようになるのである。そのような域に達するまでに、自分自身の拘れる何かをテーマに諦めずに理解を進めるという取り組みが重要となってくるのである。

 教育とは結構難しいモノ。そういうのは、何かを得たという実体験を経験として有した人間にしか出来ないモノ。そして、そういうレベルに達する人っていうのは案外少ないモノ。最近は、そう思うのである。教育するには、何かを妥協無しで突き詰めるという経験が必要で、そこで始めて見えてくるモノがあり、そこで見えたモノが実は普遍性を持っているという事に気付いて始めて教育者としての資格が得られるのである。

 教育という名を振りかざしてテキストを棒読みするのは時間の無駄。こういう体裁で仕事をしているというのであれば、それはとても悲しいことなのである。そういう奴らは、少なくとも、自分に教育者の資格が無いと辞退するような心こそが、最初に必要なものだったりするのである。

 勉強という名で机について、過去問をあたったり、例題を反復練習したりするのは、その世界を理解する事にはならないのと同じ様に、機械的に手順を覚えるのも安全教育とは違うように思うのである。

 まぁ、戯れ言である。

 しかし、昨今のISO準拠云々、、、、技術の伝承、、、、、教育、、、、、手順化、、、、って話を見ていると、そこには新たな価値を創出する力は生まれないような社会に向かっているような、そんな気がするのである。

 手順遵守、既成概念なんぞは糞食らえなのだ。必要なのは独創性とチャレンジスピリッツなのである。それを無くして発展は有り得ないのである。

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