壊れなかった自民党?既定路線の麻生内閣と小泉元首相の政界引退
色んな意見があるけど、小泉元首相の政界引退のニュースは麻生内閣誕生のニュースよりも遙かにインパクトが大きいようだ。
辞められた理由、本意は本人にしか判らないけど、勝手に本人になったつもりで感想を書いてみる。
元首相が前回の衆議院総選挙で勝ったというか人気を博したのは、本人に目的意識が合ったためで、その意思の力が明確に見えたためだと言える。当時、民主党に勝つとかはどうでも良かったんだろう。そこに計算が働いたという事を否定しないが、恐らくは、そんな事は後からのこじつけであり、本当は、純粋に郵政民営化をしたいというだけだったんだろう。その郵政民営化の根底には、本当の意味での実力主義を根付かせるという考え方があったのだろうと思う。
その意思に社会が共鳴したのが歴史的大勝利であり、民主党が負けたのではなく、国民の視界から消えた事が原因であろう。
その後、郵政民営化と同じ考え方で様々な改革を推進しようとしたけれど、その理想と現実社会のズレ、当然、権力に居れば反体制の目も出てくる訳だ。選挙で勝った段階では、自分の意識に皆が共鳴したと錯覚したのでは無いだろうか?共鳴したように見えて、殆どの同調者は、元首相の真意に完全に同意したモノは寧ろ少数派で、小泉人気にあやかろうとする場当たり的な賛同者ばかりだったのが現実だったのだろうが、その本意を見誤ったというか、愛想を尽かしたのが、今回の引退発言に繋がったのだろう。
その後の政権というと、本来は小泉政権の重職を担った人に引き継がれていたにも拘わらず、現実路線は、当時の路線とは変質した路線に傾いたのは、元首相から見て、恐らくは本音で語ったであろう『自民党をぶっ壊す!』って考えを改めざるを得ない『自民党はぶっ壊れていないのか、、、、、』という事を自覚したのであろう。
恐らくは、そこで喪失感というか無力感を感じられたのでは無いだろうか?何となく、自民党や政権、国民に見切りをつけての引退発言で、後は、自分は好きなように歩んで行くさ!って感じに見えるのである。
引退を決意したのは、選挙は政治目的にすべきという信念が仲間に感じられなかったのが最大の原因であろう。
福田前首相の辞意の根底には、自分では選挙に勝てない。選挙に勝つには世論の注目が必要。そこで最大の武器は辞意表明と総裁選である。但し、総裁選は形だけで、麻生内閣は既定路線。既定路線であっても、世間の注目のためにサプライズな候補者を乱立させ注目を集めさせて総選挙で民主党を霞ませるというストーリーだろう。
そのストーリーに対し、元首相は、そこに政治目的が感じられず、それに便乗するかのような行動で纏まった自民党政治に三行半を突きつけたのでは無いだろうか?
しかし、現実には、そういう卑しさは国民皆が感じている事であり、そういう卑しさよりも、今ならば民主党の小沢代表のような正攻法でどっしりと構える方が強く見えるのは皮肉なモノで、その結果が麻生内閣の発足段階の支持率に現れているのでは無いだろうか?それには、元首相が予測した事だろうし、元首相が支持を表明した小池氏に対する票が集まらない現状を見て、落胆、嘲笑、喪失、、、、といった気持ちが芽生えたように思う。
今、引退発言を行うというのは、自民党にとっては決してプラスとは働かないが、それをさせたのは、一度、自力で民主党と闘ってみたまえ!っていう仲間に対する挑発というか、実力の程を弁えろというか、そういう意識を感じるのである。
元首相の考えが果たしてどうか?は知らないが、政治家全体に政治目的を持って行動せよ!というメッセージを感じるのは自分だけだろうか?
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