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2008年9月19日 (金)

能力(性能)を律する要素

 今年の三大クラッシックレースの最後を飾るブエルタも後半戦。本場ヨーロッパの自転車競技っていうのは考えられない距離を考えられないスピードで毎日走り続けるというもので、常人離れした人間の世界の話である。
 そんなレースに参加する選手を見ると、殆どが25歳前後~高齢でも35歳程度迄っていう状態。高齢化?すると競技の世界では通用しなくなるようである。これって、自転車競技に限らず、職業スポーツ、企業スポーツのような世界(野球、格闘技、陸上・・・・)では、どんなジャンルでも最高で35歳程度っていうのが殆ど。勿論、中には鉄人と呼ばれるアラウンドフォーティ世代が一線で活躍する稀な例もあるけど、それは、あくまでも稀な例。自転車競技の世界では、アームストロングが復帰する?って噂もあるけど、それも稀な例。
 このように道を究めた専門職?のような人の競技生命っていうのは、年齢によって律せられている様子。年齢で律せられるのは、身体能力(筋力、持久力)であり、その身体能力によって戦闘力を失い引退というパターンのようである。

 これに対して、素人が遊びで行う趣味スポーツの世界では、身体能力的にはピークを過ぎた年齢層の人達の活躍が顕著である。
 例えば、ネタとしている自転車なんかもそうだけど、40代以上のサイクリストが相対的に優秀な成績を収めたり、草野球でも活躍したりとしている。本来的には身体能力はピークを過ぎて下降線を辿っているにも拘わらずである。

 この二つから言えるのは、どんな競技でも競技的な優劣というかレベルを律する要素は一つでないということと。律する要素が何か?によって、運動というモノの習熟度に差があるようにも見えるのである。

 一般に運動というのは、その到達度というのは、身体的能力、経験的技量の二つの要素によって決まるものである。解りやすく言えば、どんなに身体能力が優れた人でも、初めて接するスポーツではダメダメであり、どんなに幼くても、高齢であっても、経験や知識、センスがあればソコソコという例があるということ。
 それ故に、スポーツとか運動で上達するっていうのは、その双方、身体的能力の鍛錬と論理や知識に基づいた経験的技量の蓄積っていうのが必要ということ。
 だから、職業系、企業系アスリートっていうのは、技量の差はあるけど、少なくとも、その世界における基本的な技量は相当なレベルにあるのは間違いなく、その技量を実践するに必要な身体的な能力の衰えによって、例えば、引退を決意したりするのだろうと思う。

 これって、極当然で、普通の事で、記事にするレベルの内容ではないのだが、ブームで運動を始めた人とか、熱い男を見ると、その辺が解っていないのかなぁ?と思う事があるのである。身体能力に着目せず、機材や理屈に傾注すぎる人を見ると、そのレベルというか到達度が機材や理屈の内容に支配されると思いすぎに見えるし、直接的に関係の無い筋トレと持久系トレーニングばかりしている人っていうのは、特化した機材の扱い方とか選び方、調整の仕方への考えが疎かになっているという風に見えるのである。

 一番楽しめるのは、趣味としてであってもスポーツとはそういうモノだと認識することで、その中で自分の納得できるレベルを、それぞれの要素の足らない部分を磨いていくことで新しい発見に遭遇するというところでは無いだろうか?それ故に、現状を律する要素が何か?を常に考えて、それを修正することで、次に律すべき事に対応していくという付き合い方をすれば、恐らくは、終着点は無いのであろう。そう思うのである。

 自転車でも単車でも、他人と比較してではなく、自分自身の中で、自分のレベルを律する要素を一つずつ潰し、律すべき何かを探し求めていくというのが終わりのない楽しみに結びついているのだろう。それは、職業系、企業系スポーツのように相対的な結果が求められる世界のスポーツとは異なり、自身の理想という絶対的な結果、固有のターゲットに独自に進んでいくという世界であり、これが正しく趣味の王道なんだと思うところ。

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