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2008年10月17日 (金)

80年代初頭自転車少年的ブランドインプレッション

 1980年といえば、昭和55年である。自分が自転車少年だった中学高校生の頃の話。なお、オートバイに開眼したのが中学二年の頃であり、1980年代初頭といっても自転車が主だった時代は、1977~1982年の頃の話。単車で競技活動開始したのが1981年からだから、完全に自転車がメインというのは実は1970年代末期とも言う。そうは言っても、トラックとかロードとかを部活を通して行っていたり、スポーツサイクルショップで引き続きバイトを行っていたのが1984年迄あり、この間は、ショップ勤めや部活の関連で自転車業界の話しは結構聞いていた。

 1984年の暮れに大腿骨の粉砕骨折によって二度と脚が曲がらないと宣告されてからは自転車は完全にフェードアウト。責めて正座したい!階段歩きたい!脚が曲がりロードスポーツモーターサイクル程度には乗りたい!とリハビリをしたのが1985年春の事だ。介護士のリハビリメニューを無視して自家製特性メニューの強引なリハビリの努力の甲斐あって膝関節が骨折前の状況に戻ったのが1985年7月、勿論、脚にはステンレスプレートとボルトが入った状態であり、既にピストバイクで240rpm程もブン回す走りは出来ないと思っていたし、試しもしなかった。1985年8月には、手持ちの自転車(ズノーフレーム+オールカンパレコード、531パイプで組んだユーレー+TAのスポルティーフ、ワンダーフォーゲルのパスハンター、ARAYAのBMX、三連勝のピスト等)は、自動二輪車購入の軍資金のために全て売却した。

 1985年8月からは、それまでメインだったトライアルを辞めてオンロードバイクでのスポーツ走行とかタイヤメーカーが主催のアマチュアレース、MCFAJ等のレース活動にも参加。しかし、大腿骨に組み込まれた特性!ステンレスプレートの事を思うと200km/h近辺で競技する事の恐さを実感し、1986年頃からはロードレースよりもジムカーナ、トライカーナに以降して、そっち方面で活動。勿論、脚に異物が入っている事自体がモータースポーツにはミスマッチなんで1986年の3月には摘出手術を受けた。1987年からは進学、就職活動、研究等のために実競技はパスして、1990年頃にはモータースポーツとは完全に離れた。その後、就職後は再び馴染みのショップでメカニックサポートを行ったりして過ごし、1996年頃まで活動ってパターン。1985年からの10年間は自転車の事なんぞ頭に全く無い状態で、単車一色の時代。

 そんな訳で、自転車は1984年を最後に遠ざかっていたけど、単車競技生活、それとは別に小学校から行っていた部活としての水泳等は継続していたし、1993年頃から乗ってセッティングを出すメカニック的な活動もあって身体を維持するという意味で筋トレ系は引き続き行っていたため、体力的な衰えはそれ程でも無く過ごせたのはラッキー。その後、自転車に復帰したのがつい最近の2006年の事である。

 そんな1980年的価値観で停まった元自転車少年から見た現在も持っているブランドイメージは、、、、、

1.自転車エンスージアスト
 知識と経験を相当長く持ち、スポーツサイクルの歴史とか伝統も重んじる大人の選択に見合うバイク、、、、、、新興ブランドでは有り得ない。一種の銀塩カメラマニアとも通ずるもので、この人達の嗜好は、トップバリューでデローザ、コルナゴ、チネリっと処だろうか?やはり、ロードバイクの王道はイタリアンロードレーサーである。チョット落ちて、ピナレロ、更に落ちてビアンキってところか?アンチイタリアンな人からはフレンチバイク、或いはUK製バイクも有りって形で、ジタン、プジョー、ラーレー等も有りかも、、、共通はヨーロピアンブランドって事。

2.自転車で競技志向
 カメラマニアというよりも実際に乗って云々の世界で名より実を取る選択。金が在れば、東叡、それ以外なら、小林、ナカガワ、ZUNOW、三連勝、マキノ、アマンダ、バラモン、ケルビム、イリベ、ナガサワ、、、ロード生粋のビルダーというよりもピストバイクビルダーが提供するものだろう。そういうのはチョット高価過ぎるということで、我々(当時気分で)高校、大学生での部活人としては、BS、ナショナル、片倉って所が信頼の厚いブランドってところ。言えるのは国産ブランドって所。

3.ブーム便乗スペックマニア
 自転車って歴史的競技において歴史が無いけどスペックが賑やかなモデル。最近多い新興ブランドがその典型だが、新興ブランドはロード発祥のイタリアでなく殆どがアメリカブランド、つまりはMTBを発祥とし、その後のトライアスロンバイクメーカーが作ったロードバイクが該当する。最近シェアを拡大しているTREK、FELT、GIANT、キャノンデール、スペシャライズド、LOOK等の高級車で、今ならカーボンフレームに派手な塗色なバイク。アメリカンブランドだが、台湾産が多いって感じ。

 走ってる自転車を見て思うのは、多分、昔からの自転車好きの選択肢に3.の選択は有り得ないか?って思うところ。そして、この人結構凄そ!って思うのは100%が2.の選択の場合。1.の場合は、年輩の人は古めのヨーロピアン、若年系の場合は結構オサレ系か?って印象。1.と3.を比較すると、1.がオサレ、3.がオタクって印象だ。
 実際に乗り手と遭遇する場合、挑発行動に出るバイクは99%が3.の選択をしているのが興味深いところ。そんな訳もあって、自分的には3.の選択は未来永劫有り得ない。

 これらのブランドを比較すると、スケルトンが結構違う。2.のタイプは独特なスケルトンだが、これは日本人体型に合わせた結果かな?と思う。1.と3.を比較すると、3.のバイクは全体的に間延びした印象であり、生粋のロードバイクというよりも直進性重視って感じにも見えるし、全体的にスローピングで低い割に長い感じ。やはり、ロードバイクかもしれないがロードレーサー的ではないように見える。

 乗り手に思う印象は、モノと人には釣り合いというかバランスが確実に存在するけど、その釣り合いが取れなければイケテナイって思うのは、自転車を競技機材として思うからかもしれない。機材が使い手を大きく上回る組み合わせっていうのは、未熟者が高級道具ってアンバランスな印象だが、そういう違和感を感じる人は、本来、そういう選び方をしないとも思うけど、そういう違和感に鈍感な人っていうか、自転車を競技機材とは異なる鉄道模型的な印象で収集物的に選ぶ人も確実に居る。機材としての適性を超越して製品としての高級さを求めて選択する人の多くは、3.の選択をしているようにも思う。
 まぁ、ブランド的には3.は新興メーカーであり、新興メーカーのアピールとしては伝統的要素が無い分、煌びやかなスペックを飾り立てる傾向(例えば、価格帯の割にグレードの高いコンポであったり、或いは、おまじない言葉のようなカーボン等新素材だったり)が強く、それに惹かれる人を取り込んで商売として成立させるという感じである。
 しかし、最近のブームでのCM戦略(実際、飾り言葉で修飾しやすい装備を持っているのも新興メーカー製だし、、、)のせいか、TREKなんて新興メーカーが高級バイク扱いとなっているのは、チョット変な感じもする。カーボン新素材に高級コンポ、ここ数年のレースで活躍しているから一流ブランド?歴史が無いのは、例えばF1ならマクラーレンとかフェラーリでなく、ベネトンみたいなモン?って感じである。伝統競技であるサイクルロードレース用機材としては、やはり伝統が無ければホントのブランドには為らん気がする。

 思うに、自転車っていうのは、そのスケルトンが最重要でありコンポグレードとか材質よりも遙かに重要だが、そのスケルトンや工作に希望が出せるのは上でいうと2.の選択しか有り得ない訳であり、そういうリクエストが出せる人にとっては、2.の選択が全てに勝るとも言える。仮にセミオーダーであっても日本製バイクのスケルトンは日本人向けなのは間違い無い訳で、海外ブランドは如何に高額であっても所詮は外人向けの既成品でしかないとも思うのである。

 とまぁ、そんな印象を持っている。しかし、こういう印象っていうのは、あくまでも1980年的な発想なんだろうと思う。

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