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2008年10月31日 (金)

実用チャリに必須なモノは、、、

 昼ポタ、買い物、社内移動等々に活躍しているのがスピママGTR号である。
 この自転車、見た目小汚くなっているのだが、、、、、それは大活躍の証明?でもある。

 実用車に求められる性能は何か?

1.水たまり、雨上がりの路面でも汚れない泥よけ(フェンダー)は必須。
2.ズボンの裾が巻き込まれるようなフロントメカ、ギア歯、チェーンの剥き出しはNG。
3.断続的駐輪が多いので簡単に施錠できる車体への固定錠、スタンドは必須。
4.荷物の積載性を考慮してコンビニフック&キャリアは必須。
5.メンテナンス要求の低い電池切れの心配無用な灯火類は必須。
6.メンテナンス要求の低いエア持ちの良いタイヤ&チューブが必須。
7.市街地における乗降性を考慮して低床式フレームがあれば好都合。

 それでいて、軽快に走るというと、、、、
 それがスピママ号の装備だが、内装三段+ローノーマル9段による超ワイドレシオのギア。急停止時におけるシフトダウンの速さ、シフトダウン出来ずとも内装変速を併用することで発進時におけるアシスト性能は大変重宝する。特にローノーマルの急激なシフトダウンはメリットは大きい。更には、フロントシングルでWガードっていうのはズボンの巻き込まれは無いし気楽に使えつつも、どんな団地も走れる心強さがインテゴによって得られている。使って初めて判る下駄的な高性能である。
 このDAHONの良いところは、キャリア積載には及ばないけど、コンビニでの買い物を持って帰る時の話し。ハンドルバーのクランプ用クイックレバーにコンビニ袋を引っ掛けて運転しても操縦性は変わらない。コラム中心付近に重量が集中しているので首振り等は起きない。ステムも長く、フレームは低いところに一本だから袋がぶら下がっても邪魔に為らない。普通の自転車では、ハンドルポストは此処まで長く無いので、どうしても右か左に傾くし、ステムの突き出し等によってぶら下げる場所によってはハンドル操舵力に大きな影響がでる。

 後は、バカにされがちだが、固定錠は便利だし、サドルレールにワイヤーをぶら下げておけば、駐輪中には、サドルを下げてワイヤーの一端を固定式馬蹄錠で留めればサドル抜きのイタズラ対策にもなる。ワイヤー錠はスポーツサイクルではデフォルトだろうけど、実用車ならば固定錠だ。
 話が戻るけど、マジ軽ライトはホントに便利。抵抗は全く無しで自動点灯、メンテナンスフリーや英式アリゲーターバルブ+一寸太めのマラソンスリックも良い具合。日没が早く、暗くなるのが早い今の時期、路面が見えにくいけど、無頓着に走れるのはホント便利だ。

 DAHONの本来の姿は、こういう姿のように思う。車に積んで運んで、市街地の気楽な便利な下駄として活躍して車に積んで持って帰る。西DAHONは奇形だが、スピママは正常進化のように感じるのは自分だけだろうか?DAHONは、市街地でのコミューターが本来の用途のように思う。

 思い起こせば、boardwalkを最初に買った時に想定していたのは、こういう使い方。こういう使い方を高いレベルで満足させるには、今の仕様が好都合だ。

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ダイエットに効果的な筋トレ!

 これも水曜日の『ためしてガッテン』での話。番組では、これまでの常識を覆す!って言われていた?らしいが、自分的には普通の事で、何年も引き続き行っているスタイルなんで目新しくもないのだが、まぁ、番組で正当性が紹介されたので記事にしてみる。

 先の記事で、加齢性筋萎縮症には『スロートレーニング』で負荷よりも時間を重視して筋肉を無酸素状態にして成長ホルモンを分泌させよう!って話だったけど、そのような筋トレによって身体が、どう変化しているか?その変化を効率的なダイエットに利用するには?って話。

 一般に通常の筋トレを行うと、体内脂肪が遊離脂肪酸に変化するという。この遊離した脂肪は有酸素運動によって消費されやすい状態なんだそうだ。そして、脂肪が遊離脂肪酸となるのは、筋トレが最大で3時間が一つの目安ということ。

 この特徴を利用して、筋トレ後に有酸素運動を行うと効果的に脂肪が消費されるという。つまり、筋トレを行った後に、ウォーキング、自転車、水泳って運動を行うと効果的にダイエットが出来ると言う事。

 これは、自分の毎日の運動メニューで、筋トレ系サーキットトレーニングを最長で1.5時間やった後に、ローラー台を1時間漕ぐというのと全く同義。

 それ故に、目新しくも何もないし、昔の自転車部時代、水泳部時代の運動も全てこうやってきた。だから今更!?って感じだが、改めて紹介されていたので記事にしてみたのだ。

 何にしろ、自分も年齢的に加齢性筋萎縮症の時期となる不惑の年齢も半ばの世代。今のところ筋肉減少を感じる事は無いけど、それは案外、今のようなライフスタイルの効果なのかもしれない。

 前の記事ではないが、折角テレビを見て情報を仕入れたので、トレーニングの基本は守りながら、最初のサーキット筋トレの1セット目だけはスロートレーニングで行ってみようと思うし、サーキット筋トレとローラー台の合間に行うダンベルフライ+ダンベルベンチプレスは非常にゆっくりとした運動なので、このゆっくりとしたダンベル運動をサーキット筋トレの前にも行おうと思う。メニュー的には、

1.ダンベルフライ(15kgf×20回)+ダンベルベンチプレス(15kgf×20回)
2.スローサーキットトレ(ベンチプレス、スクワット、腹筋、腕立て、背筋)2セット
3.通常のサーキットトレ(ベンチプレス、スクワット、腹筋、腕立て、背筋)8セット
4.ダンベルフライ(15kgf×20回)+ダンベルベンチプレス(15kgf×20回)
5.ローラー台(90rpm→120rpm→max200rpm→120rpm→90rpm)60分
6.ダンベルフライ(15kgf×20回)+ダンベルベンチプレス(15kgf×20回)

って感じ。従来メニューと比較すると、ダンベル運動を初っ端に1セット追加して、サーキットトレーニングの初回2セットをスロートレーニングに変更する感じ。スロートレーニングにすると、その部分だけで随分と時間が延びるのでこれ以上は無理。このメニューでは多分3時間近く掛かりそう、、、、。

 本来、スロートレーニングとは負荷時間を稼ぎ、総合的な運動時間は短縮できるのがメリットらしいけど、基本は従来量+αの運動という事で老いと闘うので、量の加減は将来行うかも知れないけど、取り敢えず、こういうパターンで木曜日から行ってみる事にする。

 因みに、火曜日からは新型のTANITAの体脂肪率測定機能付きヘルスメーターを使っているので体重は0.5kg刻みから0.1kg刻み表示に、そして体脂肪率の表記も追加となっている。

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加齢性筋萎縮症防止!?効率的筋トレ法は何?

 水曜日のNHKの『ためしてガッテン』での放送内容だが、効果的な筋トレ方法の紹介をテレビでやっていた。

 番組構成的には、歳を取る毎に筋肉は衰えて身体の自由が利かなくなる。筋肉の衰えを防ぐ事が重要だが、筋肉を肥大させる成長ホルモンの分泌は少々の負荷を筋肉に与える位では分泌されない。特に、成長期を過ぎてからは、筋肉細胞の増殖自体が行われないので、筋肉をつけるには筋肉を肥大させる事しか筋肉量を増やす事は叶わない。

 この筋肉細胞の数、筋肉細胞の大きさっていうのは、成長期迄は増加しやすく、肥大しやすい。そして40歳前後迄は保たれる。その後は徐々に衰えるというのが、人の定めであり、この定めを『加齢性筋萎縮症』という。で、この定めの理由が筋肉を肥大させる成長ホルモンの分泌量が低下するということ。

 番組では、成長ホルモンの分泌量を確保するには何が効果的?って話。

 ここで、一言思った事は、加齢によって成長ホルモン分泌が低下するならば、運動したたところで意味は無いけど、運動したら成長ホルモンが分泌されるっていうのは、成長ホルモンの分泌が加齢による変動の影響をうけるのではなく、加齢にともなう人間の生活習慣、運動習慣の変遷が成長ホルモンの分泌量を決めているのでは?という疑問だが、、、、

 それはともかく、成長ホルモンを分泌させるのに有効なのは、何はともあれ筋トレということ。筋トレで成長ホルモンを分泌させるのは、筋肉を無酸素状態とする事。一般に無酸素状態となると疲労を和らげる乳酸が発生するが、その乳酸の量によってホルモンの分泌が制御されるという。つまり、成長ホルモンを分泌させるには、筋肉を無酸素状態とするのが効果的ということ。

 で、一般的な筋肉の無酸素状態化を計るのが、大きな負荷による無酸素運動ということ。無酸素運動はRM値が小さい回数の大きな負荷を与える事が一般的な方法。

 しかし、番組では低負荷でも無酸素運動状態を作る紹介である。低負荷で無酸素運動状態とするには、筋力を加える時間を長くするということ。低負荷を長時間加える事で筋肉で筋肉内の血管を圧迫し、乳酸を発生させるという。
 これを『スロートレーニング』というらしい。

 ここで、更に一言。低負荷で無酸素状態を作る。その方法が低負荷長時間で筋肉自体で筋肉内の血管を圧迫するという方法だが、これは外部的に血流を制限する『加圧トレーニング』と同じ原理である。

 この方法によって、低負荷であっても活発に成長ホルモンを分泌させて筋肉肥大を助けるというのが、この番組の説明であった。

 なるほど!って思う反面、当たり前だろとしか思わない面もある。

 最後に一言。その理由は、軽負荷の通常速度のトレーニングとスロートレーニングでの筋肉収縮時間の比較を番組でやっていたからだ。通常速度では、筋肉に仕事をさせるのは脈動的な周期で行われておりエネルギーの絶対値は筋肉収縮量グラフの積分値になるはず。スロートレーニングでは長時間の負荷を続けるので積分値自体は大きくなっている。大きな負荷による通常速度のトレーニングでも積分値自体は大きい。
 つまり、エネルギー量に応じて筋肉が仕事をする訳で、消費エネルギー量に比例して筋肉は腫れる筈。ならば、スロートレーニングだろうが何だろうが、エネルギー量が同じなら同じように腫れるのでは?って疑問だ。スロートレーニングでスクワット10回を100秒かけてやるのと、スクワット10回を20秒で行うのでは前者の方が消費エネルギーが大きいのは当然。しかし、100回を150秒かけてやるのではどうか?っていうと、微妙である。

 結局はエネルギー=出力×時間=積分値であり、出力と時間のどっちを重視して多くの仕事をさせるか?の話であり、時間を無限時間のようにするのが、昔ながらの『アイソメトリックストレーニング』である。考えてみれば、あんまり目新しい事ではないのだ。

 実際、水曜日のサーキット筋トレでは、最初の1セット(ベンチプレス50回+スクワット100回+腹筋100回+腕立て50回+背筋50回)を通常の5倍の時間を掛けてやったけど、その5倍の時間を掛けてやる場合と、いつもの速度で5セットやる違いっていうのは心拍数的には違いが少ない印象である。結局はスローで1セット+通常で9セットで所要時間は何時も1.5倍の時間を要したが、結局は出力×時間に集約されるのではないか?と思ったところである。

 ただ、言えるのは、同じ成長ホルモンの分泌であっても、時間を掛けて負荷を稼ぐのと、負荷を増やして負荷を稼ぐのは獲得できる筋肉の質は違うように思うところ。
 この辺はこれから明らかにされていくのだろう。

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2008年10月30日 (木)

睡魔の理由は?

 ダイエットというか、習慣化した運動と育児の両立が難しい。結果、睡魔との闘いが続く。

 我が家では、子供を風呂に入れて寝かし付けるのが午後9時頃である。嫁も結構早い時間帯に寝る。で、午後10時には自分以外は寝静まるのだ。これは、これで好都合であり、この前後からサーキットトレーニング、ダンベル筋トレ、ローラー台と行うのだが、その所要時間が2時間半くらい。それから風呂入って、ブログ、サイトの更新作業したり、調べモノしたりして寝るのが午前1時過ぎくらいである。これで、午前7時過ぎくらい迄の6時間の睡眠時間が確保できれば問題ないのだが、、、、、

 最近は、下の息子が異様に早い目覚めでイタズラのし放題である。嫁が、娘の弁当作り、洗濯等で早起きするのが午前6時前だが、その前から息子は活動している。息子が暴れると嫁が動けない、、、、で、結局、6時前、下手すると5時頃から息子が攻めてくる。

 こうなると、寝て置く訳にはいかない。最悪の場合で4時間未満の睡眠時間となる、、、、、すると、昼食後の睡魔ちゃんが襲来する訳だ。それでも、立ち仕事とか、或いは、調べモノしている時は何ともないけど、会議とか打ち合わせで人と話をしている時の、更に、その話しが自分の判断で、くだらない、しょうもない、つまらない、論点が見えないと思い出すと、強烈な睡魔がやってくる。

 そう言えば、会議の時間、講習の時間程睡魔がやってくる。ホント、面白く無いというか、意味がない話が多いのか?或いは、睡眠不足か?この時間が一番の苦痛である。

 睡魔の原因は、睡眠不足ではなく、本能的に、無駄な時間か?と思える瞬間は無意識に身体を休めようとする生体反射のようなものっていうのが持論だが、そうすると、結構無駄な時間が一日の中には多いって事か?そういう時に身体を休めないと動きたい時に活動出来なくなるのも道理だ。

 それにしても、運動と育児の両立っていうと、こういうところで難しさを感じる。

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モノとモノの均衡

 以前、記事で小生意気な事を書いた事がある。

一つは、『700Cは道具、小径は玩具』って記事だ。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/04/700c_9315.html

で、もう一つが『道具は手段、玩具は目的』って記事である。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/04/post_df24.html

が、それだ。

 これは、自分の感想だけど、目的というのが別にあると、それに向かう上での選択肢は自ずと限られるという意である。で、カッコイイのは、その組合せにおいて全ての構成要素の意志が同じ方向に向いているのが該当すると思うのである。

 例えば、速度を求める場合に、純粋に求めるとなると普通に考えて選択肢はフルサイズのバイクに、用途に併せたアッセンブルという事になる。普通に速度を求めて折り畳み小径車を選ぶ事自体がナンセンスである。折り畳み小径車をベースに何かするのであれば、それは速度を求めるのではなく、速度の出るフルサイズに何処まで近付けるか?というのが目的であり、それは似ていても異なるものだと思う。

 そういう感覚で考えると、自分自身は小径車とか遊び自転車にレーシングコンポの最高峰であるDURA ACEなんて使うのは避けたくなるのである。イメージ的には、部品に対して申し訳ないとも思うし、物と物が不釣り合いな印象を抱くからだ。
 逆に、フルサイズのロードモデルでは純粋にDURA ACEなんてグレードは素直に良いなぁと思うのである。これは、物と物が釣り合っているように見えるからだ。

 世の中には一点豪華主義という言葉があるけど、この言葉は、オモチャ自転車にDURA ACEというのとは異なり、ロードバイクで殆どが105構成の中にDURA ACEが一つ存在するって印象を持っている。

 こういう考え方がどうか?は知らないけど、モノにはそう言うバランスというのが存在していると思う。
 更に言えば、人とモノにも間違いなく釣り合いっていうバランスが存在しているように思う。
 人が操作するモノ、モノを操作する人っていうのがカッコイイっていうのは、モノと人が上手い具合にお互いの格好良さを引き立てる関係にある状態であり、人>>>モノならいざ知らず、人<<<<<<モノのような力関係では、モノが可哀想にも見えるし、滑稽で、みっともない感じを受けるのである。

 特に、自転車とか単車とかは、乗り手の様(技量や経験)が一目瞭然なために、そう思うし、もしかしたら、そう思われているかも知れない。実際、二輪車で出掛けると装備云々の前に、オオゥ!って思う人と、アレッ?って思う人の二通りがある。

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タニタの体脂肪測定機能付きヘルスメーター

 火曜日から表題の如く、タニタの体脂肪測定機能付きヘルスメーターを活用している。
 このヘルスメーター、居住地域、測定者の性別、年齢、身長を入力することで体重を測定した後に体脂肪率も測定してくれるモノ。測定者は6人迄登録出来るけど、最低年齢は7歳だ。因みに、測定単位は0.1kgであり、コレまで使っていた0.5kg単位のモノより正確に測定出来るのだ。

 この体重計で測定した初日の火曜日の結果、従来の体重計と全く同じで65.5kgである。因みに体脂肪率は10.7%という状態である。ここ二年は体重は65±1kgの範囲で、体脂肪率は11±2%の範囲で落ち着いている模様だ。

 この体重計はTANITAのBFシリーズであり

http://www.tanita.co.jp/products/kenko/index.html

 から検索できる。見ると非常に他種類の体重計があるようだが、高機能になると体組成計で、脂肪に限らず、骨量、代謝と様々に判るようだ。価格的には、体組成計は10,000円以上、体脂肪計が5,000円以下という価格構成のようだ。

 でも、体脂肪率というよりも、最小測定単位が0.1kgというのが今までからは大きな進歩である。0.5kg単位だと殆ど変化が見えないのだ。

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2008年10月29日 (水)

えっ!?また、金利下げるの?それよりも、、、

 何となく新聞、ニュースを見ていたら、今の金利である0.5%を0.25%に下げようという機運もあるそうだ、、、、、欧州、米国が金利を下げるのに追随するっていうのは判るけど、あちらさんは下げ代が残っているから下げるので、日本は下げ代は無きに等しいと思うのは気のせいか?

 素人考えでは、外国の消費意欲が減退し、今の円高と併せて、日本の製造業の製品が売れなくなる。すると株は下がっても、今の円高は何れ反転して円安になるのでは?っていうのは素人考えなのだろうか?
 今のタイミングで金利を上げて円高誘導して産業構成を切り換えるカンフルとした方が良いように思う。

 過去の不景気で痛みを伴うって言葉が聞かれたが、基本は労働者が痛みを感じるもの。経営者にとって痛みを伴うのとは違ったように思う。今、円高誘導して経営者に痛みを判らせるっていうのは悪くない選択のように思う。どのみち、労働者は痛みを感じる訳だから、労働者だけが痛みを感じるでなく、経営者も痛みを感じるというと、企業の枠自体をリビルドすべきでは無いだろうか?

 こういう意見は少数派、過激な意見だろうけど、東芝のHD DVD撤退とNAND型RAMへの集中投資のような経営資源の選択と集中の如く、製造品目の見直しをすべき時期にきているように思う。真綿で首を絞めるように象徴的な意味しかない金利引き下げとか、金融機関への公的資金注入で企業体力を無意味に消耗させるよりも、実態体力が残っている内に、頭の切り換えを促す方が良いと思うのは間違いだろうか?

 少なくとも日常生活で一般民衆が使うモノっていうのは、そのレベルの製品完成度で良い訳で、そういうレベルのモノに超高性能を求めてもユーザーの欲求を越えている場合は、何の競争力にも繋がらない。そう言うレベルのモノは、アジアの他国の製造で十二分なような気がするのは、日本車が過去にアメ車を席巻したのと同じ構図に見える訳だ。

 軍需産業、航空産業、或いはコンピュータ関連のアーキテクチャ産業を抑えた米国っていうのは、今不景気であっても地力は相当に強い筈だし、その分野では他国の追随を許さない。日本の産業は他国との競争が強いられている点が致命的に異なっている。如何に小さな町工場が日本を支えているとは言え、そういうレベルでは国を支える事は出来ない。絶対的に他国に対して追随を許さない産業分野の育成を計るのが重要だと言える。
 企業体力が実質的に残っている内に、そういう産業に転換させる施策こそが必要で、今更、貸し渋り、貸し剥がし対策とか、金利引き下げなんぞしていても勝ち目は無いと思うのである。

 勝手に思うのは、今の産業で作られる製品の精度、完成度は相当のレベルに達していて、それが普遍化しているのが現実。そのレベルをうち破るには、製品の完成度を律している要素を取り除くのが必須。その要素的な制限は、製品の材料組成によってもたらされていると言っても過言ではない。
 コレまでも取り上げた先行待機ポンプについてもそう、太陽電池関連もそう、海水淡水化もそう、、、、この変の新しい製品は、そのコアに従来材料を用いないという共通点がある。つまり、製品性能の律速用件である材料革新こそが、これからのキーワードでは無いだろうか?

 材料っていうのは、未知の分野が極めて多い。例えば、複合炭化物。これは、三元系以上の炭化物で、無機材料ながら弾性や、塑性を有するモノもあるし、従来二元系炭化物と複合化すると強靱な材料も作れる。一方で、炭素といえば、カーボンファイバー、C/Cコンポジット、それをベースにしたセラミック化材料も有望、ゴムの世界でもそうだ、未だ有機化学は発展途上である。
 このように、世の中の既存材料が持たない物性を提示するだけで従来製品が革新製品に変わる。さらに、材料というのは簡単に真似が出来ないという特徴もある。

 政策的には材料産業育成のプランを提示する等を期待するのは偏狭的な見方だろうか?

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次から次へと

 何か知らないけど、ジャンルを問わず、不祥事というか改竄というか、偽装というか、、、そういう事が次から次へと出てくる。食の安全とか、補助金貰いながら総合周産期母子医療センターを掲げたり、或いは、新幹線高架のパネル性能不良前提での出荷とか、、、この傾向は、少し前の自動車メーカーのクレーム隠し、菓子メーカーの賞味期限改竄、建築の強度計算偽装とか、年金の国ぐるみの詐欺行為とか、、、凄い物である。

 多分、それが普通の世の中なんだろう。多くの人の本質にはばれなければOKという意識が潜んでいるのだろう。良心というものよりも懲罰を恐れての確信犯的な意識を殆どの人が持っているんだろうなと思うところ。小さなところでは、犬の散歩で糞をほったらかしというのも結局は同じである。

 愚痴ではないけど、最近の株安、円高で嘆く人も居る。だけど、そのコメントを聞くと、先週から資産が一千万円目減りしたとか、、、でも、運用を初めて一千万円儲けたって話しはしていないだろうから、実際のところ、それって損?って感じだし、、、、そもそも、時価総額って意味が意味無い。時価って概念は、物の価値が物の本質以外で決まる要素が大きいという矛盾が時価の影響を大きくしているだけとも言う。
 株安、円高で悲しい人が居る反面、これを勝機として外貨預金を始めたり、両替に群がる人も居る。多分、そうやって踊る人が、後の状況で損した場合に叫き立てるんだろう。

 大腿、金利差とか、レート差、或いは、株価変動で利益を得るという行為自体が金が目的となっている。金なんぞは、行動の結果であり、結果が金で現れるだけと考えれば、そういう行為に関心は行かないし、騒ぐ事もないような気がする。

 先の、不祥事とか改竄っていうのも、結局、利益を計上して損を食いたくないという心理からのもの。良い物を作るとか、美味いモノを提供するというのが目的ならば、損得勘定は二の次の筈だが、大多数が、ホンネの部分では金が大事って思っているんだろう。

 まぁ、企業においても、建前で仕事を引き延ばして残業手当を稼ぐってのも多いけど、彼らの理由は、休みに家にいてもやる事無いけど、出社したら金になるって理由も聞いたりする。金を稼ぐために勤務するという思いが強すぎると、いい結果を招かないと思うところだ。

 ぶっちゃけた話し、金なんぞ、どうでも良いと思うのは言い過ぎだろうか?全く無いのは困るけど、金のために!って意識が強すぎると、最後に金しか残らないようになるのは、あまりにも悲しいように思う。

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血圧も冬モード

 昨日から急激に気温が低下している。
 日中の最高気温が20℃に到達せず、朝は10℃前後という状態。先週迄は、この状態+5℃程度で日中は夏日でもあったのだが、今は日差しも無く肌寒い程だ。

 で、昨日から血圧が一気に上昇傾向である。収縮期血圧が120+αmmHg、拡張期血圧が70mmHg前後って状態。それに併せて心拍数もガクッと落ちている。40~44bpmってところ。気温にあわせ体感が変化するけど、それに連動して血圧、心拍数が変化する。
 夏場に比べると、血圧数値で+10mmHg程度上昇し、心拍数は5~10bpm程度低下する。

 人間の身体は結構レスポンス良く追随するものだと感心するばかりである。

 因みに、本日火曜日より、漸く衣替えである。昨日迄は薄手の生地の半袖作業服だったけど、今日からは厚手の長袖作業服だ。いよいよ?冬モードである。これからは、単車シーズンだ。紅葉の中のワインディングを駆け抜ける!最高である。このくらいの気温になると、単車の装備で暑苦しくならないので良い。

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2008年10月28日 (火)

勝手なブーム感

 最近はスポーツ自転車ブームなんだそうだ。自転車っていうと、1970年代後半から1980年代後半迄の10年間がメインの趣味で、最近は?というと2006年以降復帰しただけで、その間の20年間は自転車とは完全に遠ざかっている。それ故に、ブームがどうこうを語る資格も何も無いけれど、、、、

 最近の自転車ブームっていうと、折り畳み、小径ブーム、ピストブーム、ロードブームということらしい。でも、これらのブームは今旬なモノと、旬を過ぎたモノがあるようだ。

 勝手な感想だけど、自転車の出荷台数を稼いでいるのは当然ながら激安系だろうけど、例えば、折り畳み小径車関連。この辺りは、リーズナブルな価格と取っ付きやすさの部分と趣味性の高いオモチャ的な部分でブームを牽引していたのだろうけど、リーズナブルな価格と取っ付きやすさという工作オモチャ的な部分が裾野を拡げていたように思う。しかし、昨今の原材料費高騰によって旬は過ぎたように思う。
 DAHONを例にとると、2003年モデル~2006年モデルくらいが選択肢が広く遊べる存在だったように感じる。2007年モデル以降は遊べるという部分がかなり減っているように感じる。この傾向はDAHONに限らず、全体的に高価格推移しているために遊ぶオモチャとしては今一のようだ。更には、ステータス系高価格車は高価格になりすぎて、今やロードバイクのステータスにみんな目移りしているように感じる。
 フルサイズのバイクもピストがどうこうって話も、元はシンプルで中古で手軽でリーズナブルって部分で出回ったのだろうけど、安物完成車が出回ると差別化目的か、或いは拘り系の一部のマニアで本格高級車志向が盛り上がっているけど、そうなると値段自体で敷居が高くなっているように見える。値段が高くなると下火になるのは、どんなブームでも然りだ。

 そもそも、折り畳み小径も金を掛けても、投資する方向が走行性能向上目的となると本来の姿から懸け離れるし、そうするほどに虚しく?もなる。行きすぎるとロードバイクの方が良かったという、最初に折り畳み小径を選んだ理由さえ見失いかねない。
 ピストバイクも然り。シンプル故に手軽に気楽に!が、コンセプトだろうけど、拘りすぎると乗るのが勿体なくなるし、性能を追求するにもシンプルが基本で、結局は乗りにくさにウンザリってパターンが目に浮かぶ。
 この辺りの自転車は、工作的に遊ぶという面では一定の支持を得るかもしれないが、乗って何某には限度があるように思うし、その自転車に相当な割り切りを持って接する度量が無いと維持し続けない感じである。

 そういう意味では、ロードバイクはローエンドからハイエンド迄充実しており、昨今の節約ブーム、ダイエットブームとも合致しているし、選択肢が幅広い上に、実際に走るという機能では先の二車とは異なるので、ブームを支える人口は多い感じだ。
 しかし、ロードバイクに接する人口の多くは、節約目的とか、ダイエット目的であり、手段としての自転車って接し方から、目的が失われたというか、目的に関心を失えば多くの人がロードバイクから離れていきそう。
 ロードバイクが目的って場合になると、前二車と同様に、価値観が高級、高性能であり、それは売り手も買い手も雑誌も、そういう方向で囃し立てている。そうなると、結局は理想を選るには機材だけでは無駄という厳しい現実に直面し、これまた先細りの感が否めない。

 日本人は、車でも単車でも安楽系かつ安直系な高性能が好きな民族?とも思う。単車ならアメリカンかスクーター、車ならATがデフォなミニバンかコンパクト。ならば、自転車は?って考えると、案外電動アシスト自転車が流行するのか?とも思うところ。

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予想外の経済環境の変化?

 最近の景気動向から、表題のような嘆きを聞く。
 特に耳にするのが円高による企業収益の圧迫ということ。しかし、サブプライム問題が取り上げ始められる以前に、日本の円安は政策的な低金利によってもたらされた現象というのは随分と昔から言われていた事。
 低金利の円を調達して海外で資金運用するという仕組みで、金融がなりたっており、今回のサブプライム問題にも根っこの部分で日本の行きすぎた低金利政策っていうのは大きな責任を持っているとも思える。この行きすぎた低金利政策による輸出製品の価格競争力で利益を享受していたのが日本製造業であり、これまでの好業績っていうのは政策的な為替誘導によって得られたバブル的な利益とも言える。これを基準に考えれば、今の事態は相当に経営を圧迫するんだろうけど、本来、通貨金利差で資金運用するって構図自体が間違いであり、それを放置していたのが今のダメージの原因だ。

 その金利水準の引き上げ論議に常にけん制を入れていたのが政府与党であり、その辺を問い質したいところ。外国通貨が金利引き下げをすると、そのような資金の流れが変化するのは自明の理であり、下げしろの無い円はどうしようもないのが現状だ。行きすぎた低金利政策の長期化が今回の事態の元凶ともいえよう。

 現在の為替水準は、本来の日本製造業が耐えて然るべき水準の筈だが、恐らくは為替差損が収益を相当圧迫するだろう。円高が進み、輸出製品の売り上げ鈍化により収益力低下で株安になる。株安が進むと資金調達力が衰える、、、、ってパターン。特に、海外における消費意欲を落ちている現状では、価格が高めに見える日本製品は敬遠されがちとなると更に厳しいだろう。で、日本製造業の体力が失われる果ては、、、多分、円安になるんだろう。株安+円安ってパターンが終末的な事態だろう。

 しかし、今の円高水準が予想できない水準というのは、やっぱり理解出来ない。景気は波がある。それ故に、金利差が逆転する事態は想像できた筈だが、好景気と言われつつも何故に、あれほど迄も長きに渡り低金利政策を続けたのか?というのが未だ不思議。
 金利を下げるというのが景気刺激において有効な策だが、好景気な時期に金利を戻さずして、何時戻すつもりがあったのだろうか?
 官に限らず民に対しても思う事だが、最高の業績を更新しながらも、その収益を何故に円高に耐える競争力を持つ新規事業、分野の市場化を推進しなかったのだろうか?

 その辺がとても不思議に思う事である。

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健康器具で事故多発!?

 表題の測定は無事に終了!って言いたいところだけど、右耳の高い周波数側が難聴気味ということで、次から次へと毎年不具合が現れるのは、なんともし難いもの、、、、
 まぁ、レントゲン、バリウム、血液検査の結果は暫く後なんで、その時に結果を見て判断するのだが、、、、、

 最近は、健康ブームということで、健康診断の結果をみんな結構気に掛けたりしている。そして、心配が起きれば、ジム通いを始めたり、健康グッズを買ったり、サプリ飲んだりと行動を起こされる方が多い。

 そんな中、目を引いたニュースがこれ↓

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081026-00000561-san-soci

 記事によると、健康グッズによる事故原因は特定されていないようだ。

 しかし、これら健康グッズで事故に結びつくようなのはフィットネス機器であり、本来はスポーツクラブに設置されているようなモノ。これを家庭に!ってのが最近の傾向だが、この手の機器は、本来はトレーナーの説明に従った利用が原則であり、家庭で器具を買ってもトレーナー迄は付いてこないのが現状。
 更に、この手の器具でジムにあるようなのは実は相当に高価で手軽に買えるような価格では無いのだ。
 それを家庭に持ち込むとなると、実は機能や構造は相当に簡略化されており、製造国も日本以外の国(中国、台湾、インドネシア)の場合が多い。勿論、外国製造が悪いとは言わないが、少なくとも値段なりであり、各部の仕上げとか安全装置は相当にいい加減と言わざるを得ない。その辺を留意して使わないと、結構危ない。

 実際、我が家にもフィットネス機器を何台か導入したけど、フリクション式のエアロバイクでは負荷と時間を掛けすぎると発熱によって負荷が全然変わってくるし、摩耗粉が激しく出る。ダンパー式のベンチプレスではグリップシャフトの溶接部が破断して溶接修理を何度か施した事がある。腹筋、背筋台では膝掛けバーの位置が不適切(台の斜度固定ボルトと兼用している場合が多く、それではNG、膝下のバーと足首のバーは脚の長さで調節しないと使いにくい)で、そのまま利用すると腰を痛める。

 一番イイのは、エアロバイクなら三本ローラーに負荷ユニットを乗せるのがガシガシ行けて最高だし、胸筋きたえるならばフリーウエイトのバーベルベンチプレス、腹筋、背筋は簡単なシットアップベンチでOKだ。変に横着して鍛えるってタイプや、大きさの割にリーズナブルというか安価っていうのは、なんらかの不具合やリスクを抱えるモノ。それは値段なりな訳で、その不具合を修正する気構えや、リスクを解消するような配慮を持たなければ大きな代償を払う事になる訳だ。

 この辺りに留意して機材選びをするのが大事。まぁ、体力強化に回り道無しである。簡単に効果が得られるという謳い文句程、実質効果が得られないモノ。
 細くするために窶れるのはダメである。細くするのは無駄を排除する。無駄=脂肪であり、脂肪を使う筋肉を増量する。筋肉増量には10RM値の負荷運動をサーキットメニューで組んで地道に毎日1時間程度ずつやるのが一番。10RM値なら身体も痛めない。1RMで追い込むのはお奨めしないし、心拍数からみた運動強度で90%級を攻めるのもお奨めしない。10RM負荷で程良い汗を掻きながら長時間ってのがお奨めだ。それには、本格的な機材よりもシンプルな機材こそがふさわしい。シンプルな機材では故障を招く事は少ないと思う。

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下駄チャリでは空気圧管理を少なくしたい

 先週はスピママGTR号で昼ポタ中にタイヤパンクに見舞われた。これに使っていたタイヤはシュワルベのステルビオで406-28で、適正空気圧は85~120psiというもの。このエアは、120psi入れていても1週間すれば90psi迄低下、更に1週間で70psi迄低下、その後は暫く耐えるというパターン。
 似たようなタイヤでは451-28のステルビオの場合は、120psiから始まって、1週間で100psi程度迄低下する。451-28のIRC ROADLITE EXの場合では100psiから始まって1週間で90psi、2週間で80psiという感じ。
 対象にフルサイズ700Cのバイクでは622-22ってサイズ。これはIRCのREDSTORM LITEってモデル。上限空気圧は130psiで、使用時は125psi。これは1週間経過しても110psi程度は保っている。更に一週間でも95psiは保っている。

 概ね、小径程空気圧の低下率は速い感じ。空気は何処から漏れるか?というと可能性としては、ゴム面、バルブ部の二カ所。だけど、径の大きさに逆比例して低下率が大きいのを見ると、殆どがバルブ部からのリークだろうか?圧が高いほど差圧が大きく抜けやすいのは道理だが、同じ量がリークしても小径の方が充填された空気量が少ないために空気圧の低下が顕著となる訳だ。
 そして、このリークは大気圧との差圧が小さい程少なくなるので、一定以上低下してからは空気圧の低下は遅くなる。となるとメンテナンス頻度を少なくするためには、保持空気量が或る程度確保出来たタイヤ、具体的には小径なら或る程度太めの方が都合が良さそう。当然といえば当然。太めのタイヤの方が更には使用推奨範囲が低い圧力から設定されている場合が多く、バルブからのリーク量が少なくなる程度のタイヤ空気圧でも推奨範囲に入っている。

 この辺が実用性能という面では大事なんだろう。因みに、タイヤサイズによる空気圧保持って部分では上記のような傾向だが、バルブの違いによる漏れ耐性はどうだろう?

 以前といっても大昔に持っていたピストではダンロップバルブだった記憶がある。当時から現代迄、ロードバイクではプレスタバルブだ。最近MTB等で見かけるシュレッダーバルブは昔は自転車用にはなかったような気がする。

 プレスタバルブをつけた自転車っていうのは小径からフルサイズでも細いタイヤのモノが多かったからかもしれないが、構造的にシンプルでバルブ径が細く軽量という特徴から考えると、重量を重視した上での採用で、本質的には漏れに対しては弱い構造に見える。経験上、プレスタバルブはエアの抜ける速度が速い気がする。
 因みに、ダンロップバルブっていうのは高圧になると空気を入れるのは難儀だけど、エア圧低下は極めて少ない感じ。難点というとエア補給時以外は原則として空気圧が測定出来ないと言うところ。
 シュレッダーバルブっていうのは、ダンロップバルブとプレスタバルブの利点を併せ持つ構造。本来、自動車や単車向けのバルブであり信頼性も高い感じがする。

 イメージ的には自転車っていうとプレスタバルブが似合っているような気がするけど、漏れに対する空気圧メンテの煩わしさから言うと米式が良いのだろうか?しかし、メンテが為されない前提のママチャリや子供車から競輪用超高圧に使えるという性質を考慮すると、案外一番頑丈なのは、一番安っぽく、一番普及しているダンロップバルブなのかもしれない。
 ダンロップバルブには昔ながらのムシゴムタイプと、逆止弁によるスーパーバルブってタイプがある。このスーパーバルブの逆止弁は解放型で外にバルブが露出されているタイプと鰐口型でバルブが内蔵されたタイプがあるようだ。一般にムシゴムタイプで十分だが、高圧気味で使うならばスーパーバルブタイプが良さそうだ。

 ということで、やっぱり下駄チャリのような日常的に使う自転車では神経質にならずとも安心して使えるってなると、或る程度の保持エア量が確保できる太めのタイヤで低下してリーク速度が小さくなるような圧はタイヤの適正空気圧に入っているようなのが具合良く、バルブとしても抜けが少ないシュレッダーバルブかダンロップバルブが良さそうである。

 今回、スピママGTRではステルビオの反動?から、マラソンスリック+BSのエアー漏れ50%低減を謳い文句としたスーパーチューブとアリゲータ型スーパーバルブという構成を採用している。これで、エア圧低下日数を計り、この次にはシュレッダーバルブのパナレーサーのチューブを試してみる予定である。

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2008年10月27日 (月)

追い抜きどころ

 週末は山道を抜けてスポーツセンターに通う。その山道とは結構はワインディングロードである。遅い車?に引っ掛かると随分と時間をロスする。定時勤務後の水泳であり、帰宅時間を守りたいし、泳ぐ時間も1時間は確保したいとなると、道中のタイムロスなNGなのだ。

 で、この山道は実は単車で昔から走っていた道である。こういう曲がりくねった道を急いで走る場合はともかく、急ぐつもり無く走る際にも、時折、超違和感を感じる事がある。

 そう、このような道は速度の多少でなく、リズムがとても重要なのだ。加速と減速が理に適った動きをする。更にはコーナーではセンターラインを絶対に割らないという事。

 そんな道だけど、最近はリズムが作れない車とか単車が異様に多い気がする。自分自身、イライラした性格かもしれないが、リズムが合わない車が視界に入る場合、そこそこ飛ばして危なっかしい場合は、距離を思いっ切り開けて走るけど、リズム悪い運転の殆どの場合は、速度の調節が路面とマッチしておらずリズムが滅茶苦茶に悪い車ほど、後方に渋滞の車列を作りやすいのである。
 そんな時は、躊躇無く安全に抜くのがモットー?である。但し、リズムが悪いのは、加速タイミングでブレーキという車が殆どで、それは踏んではいけない所でアクセルを踏む運転故の結果だ。踏んではいけないところで踏むっていうのは、乗り手が飛ばし屋さんなためである場合が多い。更には、殆どの場合がセンターライン割れで危なっかしい運転なのだ。こういう車とは離れたいので抜くと決めている。

 ということで、この週末(赤いベリーサ)、その前の週末(銀のパッソ)と一台ずつ車をパスしたのだ。で、抜くタイミングはコーナーの立ち上がりで抜いて、次のコーナーの進入迄に完了するというパターン。
 でも、そうするとバックミラーの中で鬼神の勢いで追いつこうとする様子が見れる。勿論、煽る事はせずに、見て危ないと思えば一気に抜き去るだけなのだが、そういう車の追い抜きどころってのは、コーナーレイアウトで動作が完了できる所っていうのは勿論、実は下り坂の場合が多い。下り坂で、そういうレイアウトで、更に、その先も暫くそういう区間が続くところである。下り道を追い抜きどころと定めているのである。

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タイヤの抵抗は、何が影響する?

 一般に競技系?スポーティな自転車のタイヤっていうのは、細く、軽く、高圧で、、、、ってなっている。細いのは接地面積を減らし路面抵抗を軽減する。高圧っていうのも結果的に接地面積を減らし、更にはタイヤの接地状態における復元過程の偏芯性による転がり抵抗を減らすためとも言われている。で、軽くっていうのは、掛けた駆動力で即座に加速度を得るためという部分が最も多く、後は、登坂等における重量軽減によるロス削減が狙いだったりする。

 なるほど、っていうか殆ど何も考えずに自転車のスポーツタイヤっていうと、細く、軽く、高圧で、、、、って方向を選んでいる。

 でも、考えてみると単車の場合は、コーナーリングにおけるグリップのあるけど、決して細くは無いし、空気圧も自転車に較べると相当に低いもの。車もそうだ。これは、自転車が純粋に直進時における転がり抵抗を極度に抑えたいという部分が目立っているための違いとも言える。

 で、本題、、、、、

 金曜日に、スピママGTR号に乗った。タイヤは、従来のシュワルベのステルビオ・スーパーライトのケブラービード仕様で406-28からマラソンスリックってタイプの406-35への変更だ。見た目的には相当に太くなっている。重量も一本あたりで2倍近い重量増だ。

 でも、、、、乗った感じ、あんまり変わらないのである。心持ち、適性空気圧が低くなった分、乗り心地がマイルドになったと言えば、そうかもしれない。120psiから95psiの効果だろう。エア量が増えて、圧が低下した分、急激な衝撃を吸収してくれるようだ。

 しかし、綺麗な路面を走っている限りでは、踏み心地から速度のノリに到るまで差は皆無に近い。重さ、接地面積等々多くが変わっているにも拘わらずである。
 見た目が違うのに、違いが少ないっていうのは、、、、この二つのタイヤの共通点は、接地面におけるパターンである。どっちもスリックタイヤなのだ。

 更に振り返ってみる、、、、その昔、KENDAのKWESTってタイヤもスピママでは使っていたのだが、そのタイヤをマラソンスリックに交換した時は確かにタイヤの違いを感じていたけど、KENDAのKWESTとマラソンスリックでは、幅、重さ、空気圧は殆ど同じで、違いは接地面のパターンだったのを思い出す。
 自転車に乗って感じる違いの箇所っていうのは、一定速度を保つ際に追う力の入れ具合の差だったり、空走状態での速度低下の場面が多いけど、そこで効いてくるのは、接地部位の変形の度合だろうか?と考えたりする。駆動力のレスポンスは接地部が剪断によって捻れずに力を伝えるかどうか?であり、自転車は軽いといっても絶対的な接地面積が極小故に接地部の圧力は高く、その圧力に対する接地局部の合成が大きな差を呼んでいるのだろうか?と思ったのである。

 そう考えると、空気圧の多少による圧力の掛かり方よりも、接地部コンパウンドに集中する力の方が遙かに大きい筈。となると、コンパウンドの硬さ、パターンブロックの耐剪断力が一番影響が大きいように思う。
 そう考えると、オフ車のブロックパターンでは空気圧を如何に上昇させても転がり抵抗は小さくならないが、空気圧が高く、接地面積が小さくても軽く走らない事の説明も付く訳だ。
 更には、ロードタイヤのカーカス+ゴム膜ってタイヤがエアによって接地面剛性を確保し、ゴムの弾性の影響を小さくするという考え方が高圧タイヤの意味の一つという考えも説明出来る。

 今更ながら思ったのは、単車では常識的な考えだが、自転車でも転がり抵抗を小さくするには、接地面のブロック剛性を如何に高めるか?という事。

 これが、マラソンスリックがステルビオに迫る走行感を生み出す理由なのだろう。
 更には、DAHON社が盛んに連呼するBigApple(20×2.0)という幅広タイヤの抵抗の低さの根拠も想像が付く訳だ。そう言えば、大昔のブリヂストンのロードマンにはトリアルタイヤって1-3/8サイズのタイヤがあった。これは断面が三角で接地面が基本がスリックとなったタイヤだが、やはり似たような考えだろう。まぁ、このタイヤはゴム自体が結構厚く本当に低抵抗を狙ったものではないが、、、、

 ということで、今使っているフルサイズのバイクのタイヤがレッドストームライトって完全スリックはグッドチョイスだし、スピママGTRに選んだマラソンスリックも悪くない選択かもしれない。街中の段差については蓄えるエア量で乗り心地を確保しつつも、抵抗の少ない走行性が得られるパターンレスのスリックタイヤは晴れの日限定ならベストかもしれない。
 我が家のスリックタイヤバイクは、フルサイズ700C全車、小径ではオ・モイヨWWがステルビオ、スピママGTRが今はマラソンスリック(ステルビオに戻すかも、、、)って所。パターン付きタイヤがルイガノMVFと西DAHON。散歩、サイクリング用がパターン付きってなっている訳だ。

 実際、雨の日ではパターンレスのスリックタイヤは結構怖いかも知れない。去年のラングスターで雨の日に横滑ったのもパターンの無いタイヤのためだったのか?とも思える訳である。
 走りの軽さはタイヤ接地面のパターンの差、コンパウンドの差だろう。しかし、溝無しは雨にも弱く、路面上の異物にも弱い。走る場所限定で、安全か?を見極める事が出来る人にはお勧めである。

 今一度、タイヤ選びの際はパターンとゴム厚を重視しようと思うのであった。

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2008年10月26日 (日)

遺伝子の影響による筋肉肥大

 染色体の異常によって筋肉が肥大する症状があるそうだ。
 これは、フジテレビの番組で放送された内容だが、牛とか犬で、異様にマッチョな個体が希に発生するという。これは染色体異常によるもので、『マイオスタチン関連筋肉肥大』という病名が付けられている。これが染色体異常によるものと判明したのは比較的最近の1997年で、その症例を持つ牛の分析で明らかになったものらしいが、なんと、この症状がヒトでも確認されたという。これが2006年の事で、異様にマッチョな赤ちゃんの染色体を調べると同じ状態だったそうだ。

 ヒトは23組の染色体を持っているが、この二組目の染色体中の遺伝子配列の異常が、この症例を引き起こすという。
 この異常が生じれば、マイオスタチンという物質の分泌が行われないそうだ。因みに、マイオスタチンっていうのは筋肉増加を抑制する物質で、その反対物質がHGFという物質で、そのバランスによって筋肉がトレーニングや成長に従って形成されるらしい。
 筋肉は筋肉繊維中の筋肉細胞の分裂によって細胞数を増やすのだが、その細胞分裂の加速物質がHGF、抑制物質がマイオスタチンであり、この異常ではマイオスタチンが分泌されずHGFのみが分泌されるという。結果、常に筋トレを行っているのと同じ状況であり、結果、マッチョとなる訳だ。

 筋肉は大量のエネルギーを消費するために、筋肉が増加すると脂肪が蓄えられなくなる。そして、常に筋肉が増えるので筋肉が必要とする脂肪等のエネルギー物質を常に摂取しなければいけないのだ。この赤ちゃんは、通常の赤ちゃんに較べると40%も筋肉が発達しており、一日の摂取カロリーは何と1800kcalにも及ぶそうだ。
 この筋肉増殖中に、脂肪の摂取を辞めれば、体内の脂肪物質が筋肉に吸い取られる事態にも繋がるという。そして、体脂肪が無いために、体内の脂肪物質が失われる場合は、体細胞の細胞膜とか神経細胞が狙われるそうだ。これらの物質が脂肪で出来ている故の事だが、細胞膜とか神経細胞を守るためには脂肪を食べ続けなければならないのである。

 そして、この話の流れでは、人間の遺伝子を解明するのに大きな成果を挙げられたワトソン博士の紹介があったけど、博士曰く、、、、人間の癌さえも遺伝子の変異によって生じる疾病とのこと、、、、これは、前記事に癌について書いた事の説明では足らない事にも通じる。話がチョット逸れるけど、遺伝子は心の病にも影響するとの話。極論すれば、人間の遭遇する様々な事は全て遺伝子に大きな影響を受けているという話である。

 そして、現代において遺伝子の解明が進み、様々な疾病に対して、遺伝子面からの解決が急ピッチで進んでいるという。

 ということで、遺伝子が成体機能の調整に影響するという知見から、案外、関連性を見出して発見されるホルモン物質等で効果的な筋肉増強法とか、究極のダイエット法とかが見つかるのかもしれない。

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疾病の原因から見た恐さ

 疾病で最近話題の病といえば生活習慣病を発端とする脳梗塞、糖尿病等の疾病だ。これらの病の原因は?っていうと、遺伝的要素も少なからず有るだろうけど、一番の原因は、食習慣と運動習慣の非平衡によるエネルギー過剰摂取によるバランスの破綻だろう。
 で、この疾病以前の怖い病といえば、やはりガンである。ガンっていうのは、元々が正常な細胞が変異し、それが伝播(浸潤)する事によって異常細胞特有の異常細胞の増殖に特化した活動が本来の細胞の機能を停止させることで死に至るというモノ。
 もう一つが、最近特に危機が高まっている新型インフルエンザとか1980年代から不治の病と恐れられているHIV感染いよるAIDS等のような人体にとって迷惑な生命体の浸入による機能不全で、カビ、菌、ウイルス等による感染症だ。

 他にも、過剰医療による薬害とか、いろんな場合があるけど、疾病については、大きくは三つ(平衡破綻、異常細胞、異物感染)に分けられるようだ。

 この三つの病は何れも怖いモノ。それぞれに原因はあるけど、その原因の支配的な要因が日常の取り組みによって避けられるかどうか?が畏怖の念の抱き方の差になっているように思う。

 糖尿病に到る生体機能の平衡性破綻は、生活習慣によって陥る訳で、生活習慣で人体の本来の機能をフル活用するように過ごせば回避できるものは、仮に異常状態に陥っても或る程度は回避可能であろう。疾病か否かの判断はデジタル的でなくアナログ的な状況の悪化によって判定されるために、怖い病であっても、回復も可能故に怖さはそれ程でもない。
 癌は?というと、細胞の癌化っていうのは、細胞分裂における分裂失敗によって生じるもの。なぜ失敗するか?っていうと、分裂が正常に行われないのは、細胞にとって不安定な状況が細胞外環境に影響を受けるためだろうが、その細胞外環境の異常性っていうのは、前項の生活習慣異常によってもたらされるモノ。それ故に、癌が現れる前には、その対応は或る程度可能だが、癌の厄介なのは、その異常増殖性(不死、分裂、浸潤)であり、最初の一個の発症は対応可能だが、出来てしまえば、それ自体が原因であり、物理的な完全除去以外に原因を取り除く事が出来ない事。で、癌に冒されたかどうか?というのは、癌細胞が在るか無いかの判定でデジタル的な判定である。
 異物感染は、異物に接する頻度を抑える事が基本であり、余程の相手でない限りは、身体の抵抗力を高めることで浸入異物を殺菌できる力を蓄える事だ。しかし、一度体内に入ってしまうと、癌と同様に異物を取り除かない限りは、病から逃れる事が出来ない。そういう意味でデジタル的な判定で病か否かが決まる。

 このように考えると、最近話題の生活習慣病のような疾病は、YESかNOかの世界で無い分、どんな変化であれ対応可能という点で怖さは少ないもの。
 しかし、癌細胞やウイルス、病原菌という生きた異常生物(細胞)は、非常に厄介だ。この異生物が別個の生体の場合はまだしも、癌のような細胞は、元々が正常細胞だっただけに、そのリスクを常に抱えているということである。

 自分的には、どんな疾病もお断りだが、やはり一番怖いのは、正常細胞の変異によって生まれる癌、悪性腫瘍のようなモノ。次が、未知の病原菌で免疫機能が働けないような物質というところ。糖尿病等の生活習慣病は、怖いけれど、回復させる事も不可能でないような病は、癌や新型ウイルス感染症に較べると恐怖の度は少ない感じである。
 外部からの病原菌、ウイルス関連は、感染エリアに近づかない等の防御も取れるけど、癌や腫瘍は怖い。元が正常細胞が変異して、異常分裂、浸潤、不死化するっていうと、消えて無くなる事は極稀ということ。

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2008年10月25日 (土)

スイスイ平泳ぎ!

 急遽、当日執筆の記事をアップ!
 本日、金曜日はプールで水泳だ。水泳は平泳ぎで3kmをノンストップで泳ぐのである。

 そして、本日の3km水泳の所要時間は50分程である。3000mを50分だから50分×60秒=3000秒である。tまり100mを100秒ペース。とても判りやすいペースだが、50mを50秒のペースである。振り返れば、このペースは小学校中学年の頃の平泳ぎの短距離全速力のペースと同じで、このペースをその気になれば二時間は楽勝で維持出来る訳だ。今の時点では短距離をフルで泳いでも100mは80秒程度(現役時代からみると随分遅くなっている、、、因みに70秒程度だったから)だから、不惑を過ぎたオッサンで連続3kmとか5kmで100mを100秒ってペースというのはまずまずか?

 このペースで、50mのストローク数が13ストロークくらいである。1ストロークで4m程進むのだが、一漕ぎ、一蹴りで4mというと泳いでいても結構な進みを実感出来る。速度を上げると、残念ながらストローク数は15~16ストローク迄増える。

 元々、自分でいうのも何だが、キックは自信があるのだが、掻きが苦手なのだ。というのも、競泳を始めた小学校二年の頃と現代は平泳ぎの形が全く違う。1ストローク1ブレスから2ストローク1ブレス、そして再び1ストローク1ブレスである。キックは変化というよりも選択肢が或る程度のモノで対応できたけど、掻きのリカバリーの経路は微妙に変化して癖が取れない。平泳ぎの泳ぎ方っていうのは、ここ35年の間で結構変化しており、その度に泳ぎ方を時代のトレンドに併せていたのがだが、染みついた癖はなかなか抜けない。
 思い起こせば、最初は1ストローク1ブレス、途中、スイミングクラブで田口選手の指導で2ストローク1ブレスに変えて、これで小学校高学年から高校迄過ごした。大学に入ると、再び1ストローク1ブレスがルール化(2ストローク1ブレスでは潜水泳法となる場合があるので、、、)されて、2ストローク1ブレスなNGになった筈。キックもウィップキック、ヴェッジキックとあるし、泳法もストレート泳法、ウェィブ泳法とある。キックにおけるリカバリー時における推力低下を最小限というのにはアップキックと言われているらしいが、ウェイブ泳法で呼吸で上体をジャンプさせる際に身体の角度が起きあがる時に全面投影の陰に足のリカバリーを入れるような事だが、自身、この方法で泳いでいる。

 で、ここ15年は特に昔の癖が出るのを防ぐ工夫に注力していたのだが、最近は、結構上手く掻けるようになってきた。何故か?っていうと、昔の2ストローク1ブレスは、下手すると潜水泳法になるし、その場合の速度はストレート泳法で、基本は飛沫等による抵抗増大を抑える事で速度を稼ぐものだが、今の1ストローク1ブレスでは、リカバリー時の抵抗を最小限で推力を失わないというのが原則で、ウェィブ泳法が基本となり全く泳ぎ方が違う。社会人で水泳を本格的に復活し平泳ぎだけ昭和人では格好悪いので今風の泳ぎに戻す努力をして、漸く慣れてきたところ。基本は、ウェィブ泳法でアップキックだが、それをすると手で推力を生む事が疎かになるのが自分の欠点で、特にプルが下手くそなのだ。
 ところが、今日は結構いいプルが出来たのだ。北京オリンピックで北島選手の泳ぎをテレビで結構紹介していたが、それを参考に自分なりにリデザインして工夫していたのだが、今日はイイ感じだった。
 隣のレーンで泳いでいる高校生か大学生の水泳部の自由形での遠泳を上回るペースだったので、それなりに満足である。

 実は平泳ぎっていうのは、4泳法の中で最も難しいと思う。所謂カエル泳ぎではない、競技型の平泳ぎの話だ。推力が完全に失われる瞬間があるために速度が出づらいのである。更に、脚の可動方法の自由度が著しく制限されており、動かし方の制約がきついバタフライのようでもある。そんな平泳ぎでは、生んだ推力を如何に失わせずに水中を進むか?が鍵だが、手を伸ばす際、脚を畳む際に推力を失わせない工夫がポイントだが、これがなかなか難しいのだ。1ストロークで数メートル進むには、この辺が重要なのである。

 こうして考えると水泳もスポーツ。スポーツの優劣はタイム。タイムの削り方は論理に併せた実践。この辺は、自転車や単車でのセオリーに併せた機材セッティングとライディングと全く同じ。これは、新素材開発、或いは、プログラミングデザイン等々と全く同じ思考法と実践法というのが面白いところである。

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円高OK!?

 ここ最近は、予測通りに円高が進行しているが、各メディアは円高による生活圧迫、企業業績の下方修正のニュースが飛び交っている。
 円高では、輸出産業では円ベースの売り上げが目減りするからだ。

 このような円高に耐える体質として、円建て契約とか、事業所の海外進出で製造業は手を打ってきた。

 今回の金融危機では海外消費者の消費意欲の減退もあり、輸出製品の出荷額が減るという事で、輸出企業には更なる業績の下方修正が迫られるという、、、、。

 しかし、過去の為替レートを見ると、

1985年が260円/ドル
1987年が120円/ドル
1990年が160円/ドル
1995年が80円/ドル
1998年が140円/ドル
2000年が100円/ドル
2002年が130円/ドル
2005年が110円/ドル

 となっている。2008年の今年は100円/ドルを境に変動しているようだ。

 しかし、これは円高を嫌う政策故の結果であり、日本の輸出製品の多くは、今や日本でしか作れない物は少数派であり、海外製品との性能差も小さくなり輸出製品の競争力に価格の絶対値が大きな影響を持つようになったのが最近の事かも知れない。

 所定性能を実現するならば、日本製に限らずともOKという時代においては、円高による価格上昇はモロに影響を受けるが、逆に言えば、そういう土壌でしか勝負出来ないジャンルの製造にしがみついている現状が、円高に弱い体質になっているのでは無いだろうか?

 他国で出来ないで、需要の高い市場開発と製品投入が円高に強い体質だが、それが出来る企業風土の育成が急務だり、それを必須と思えるような政策誘導が今求められているように思うのは気のせいだろうか?

 何時までも、自動車、汎用的な産業機械、家電を作って売って儲ける場合では無いように思う。デジカメも、液晶テレビも、、、、、そんな物は日本で作っていけないモノであり、そんなものを作っている場合ではないのだ。色んなジャンルの製品の新しい使い方が提案できるようなキーデバイスの開発こそが現代において必要なモノだろう。そのために、教育を充実させるっていうのが、今後50年で必要な方針だ.。

 未だ、日本の企業は円高に耐える特徴を持つ製品をもっていないかもしれないが、それでも政策によって円安誘導し既存企業を守るよりも、他との相対性から円高となっている今、80円/ドルを突破するくらいの激震があっても良いように思う。そうすれば、微々たる効果の円安誘導政策は無力という事を実感するだろうし、完全な企業自体のリストラクションによって、生き残るために必要な変革が生まれるかも知れない。

 いっそ、全部潰れるってのも面白いかもしれない。

 こんな辛口の理由は、選挙地盤に直結する産業界の圧力?による、低金利政策の長期的な維持による消費拡大と円安誘導政策、果ては、他国に対する金利格差による過度な円安状況に慣れて産業構造を変えなかったみんなの責任だ。金融危機に伴う金利格差の解消による円安傾向が消えれば、自ずと本来のレートに戻るだろう。既に他国通貨と円の金利差が縮小し、他国の経済情勢から他国の金利が上がる事は有り得ないし、日本の金利も下げようのない状況であり、反動も含めて相当な円高が進むだろう。

 それで生活が困窮する事態もありうるだろうが、最近数年間における政策金利の舵取りのツケを払っているだけのようにも見える。仕方ないといったら無責任だろうか?

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ダイエットに効果的な筋力強化

 ダイエットを短時間で効果的に行うには、運動の際に動かす筋肉を増やす事である。つまりは、筋肉を蓄えることだ。同じ時間で同じ部位を動かすにしても、その部位に沢山筋肉が付いていたら消費カロリーは当然増える訳で、ダイエット効率アップには筋肉量アップが必然である。
 筋肉量アップ=筋肥大って事だが、筋肥大を行うには、どういったトレーニングが良いか?ということだ。

 自分は、筋トレを初めて16年が経過した。16年間のトレーニングは筋トレ+有酸素運動の水泳が基本だが、この筋トレの部分は少しずつ変わってきた。
 最初は、筋トレ=力試し的な遊び要素が多かったけど、今はRM(Repetition Maximum)を意識した筋トレを行っている。このRM値っていうのは、繰り返し可能な最大負荷の事であり、1RMっていうのは一回だけ出来る最大負荷の事。例えば、フルストロークのベンチプレスで1RMは幾らか?っていうと110kgである。2RMは続けて二回出来る負荷で、105kgってところ。で、10RMってのが10回続けて出来る最大負荷の事で、例えば80kgとかのような値である。

 このRM値が小さいと筋力自体の強化になり、RM値が多いと筋持久力の強化になる訳だ。筋トレでは、局部の筋肉を使うために使用箇所を分散させて行うと一定の負荷を連続して行えるが、これがサーキットトレーニングである。このサーキットトレーニングの単位メニューで強化したい筋肉をどうしたいか?を考えるのである。自分の場合は、下半身は筋持久力強化、上半身は筋力強化を期待しているので、下半身のサーキットトレーニング時の単位メニューはRM値が大きくし、上半身の場合はRM値を小さくしている。

 因みに、筋肉増量を目的とした場合は、一般にRM値は10回程度の負荷を設定するのが効果的とされている。

 だから、筋力強化を狙うなら、運動メニューにおいて10RMとなるような負荷を決めてサーキットトレーニングするのが、実はダイエットに最大の効果を発揮してくれるのである。

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誘導系ブログは雑紙の裏表紙と同じか?

 ブログには色んなブログがある。
 個人の思い付きや日記的な物が多いけど、中にはブログの文章を長々と追っていくと、金銭を要求するような商品に行き着くようなブログも結構多い。

 系統的には、これを実行すると無理なく簡単に痩せる事が出来る!とか、最近話題の生活習慣病、糖尿病を簡単に治す事が出来る!癌が無くなった!とかが目に付く。キーワードは健康と美容で、これ系のノウハウ本をネットでダウンロード出来ます!って奴だ。
 そのダウンロードページに行くまでは、言われている問題の症例を紹介し、その症例に対する一般的な処方を紹介し、その処方による挫折者の例を紹介した上で、全く新しい考え方で問題を根絶する方法が発見出来た事を誇らしげに紹介する。
 そして、このノウハウ本によって成功を得た体験者の話を長々と紹介するパターンである。

 これって、ネット上のブログという体裁を取っているけど、雑紙の裏表紙なんかでよく見掛ける幸せを呼ぶキーホルダーとか、開運宝石、或いは、開運!男のアクセサリーみたいな感じで、その成功者のお便りが余白を埋めるって構成とまるっきり同じである。

 そういうのを信じる奴は殆ど皆無だろうけど、そういうブログからのトラックバック等もあり、結構迷惑である。

 ブログってのは確かに安易かつ安価な宣伝媒体になるけど、商売の宣伝方法と考えると集客力が無いと駄目である。上述のようなブログってのは殆どトップページだけで怪しい雰囲気なんで、それはネットに存在しても、トラックバックを返しても、誰も見ないのである。ブログを登録しているサーバーの負担、ネット回線のトラフィックを増やすゴミにしか為っていないのである。自分からトラックバック宣伝しなければ人目に触れないようなゴミブログは、その運営する手間の方が、引っ掛かるカモによる利益を上回るのでは無いだろうか?

 ブログっていうのは、人目に触れるかどうか?が重要だろうけど、集客力を得ようとすると、やはり更新頻度だろう。それを商売と捉えると人件費になる訳で、その人件費を掛けなければ集客力は高まらない。この人件費と宣伝効果、宣伝によって商売するならば、収益性を天秤にかけると、あまりにもブログ数が多いために、却って埋没して投資効果が得られないように思う。ブログで商売に結び付けるようなのは、いっそ禁止にしてしまえば良いのに、、、、、。

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2008年10月24日 (金)

2ストロークらしさ?

 昨日、取引先の方と単車の話しをした。
 そこでの話しは、2ストロークみたいって意味だ。この方は、2ストロークらしさをある回転域からの吹け上がりの速さの落差の事を言われていたが、自分としては、その吹け上がり速度の落差を2ストロークらしさとは思わないのである。

 理由は、、、、、そもそも本気で走る時には、パワーバンド内で走っているのでパワーバンド以下は使わない。それ故に、その落差は意識の外である。それよりも、パワーバンドにおけるアクセルコントロールに対するトルクの取り出しのし易さ、そしてトルクによる車体制御の応答の速さに限るのでは?と思うのである。確かに、パワーバンド前後での吹け上がりの差はあるけれど、パワーバンド内でのアクセル操作に対する追随性の速さに限るのである。アクセルを開けた時に回転が付いてくる間合いの少なさなのである。
 あとは、マスの軽さによる車体の振り回しに車体の質量感を感じない事だろうか?

 だから、その方を含む多くの人が言っている、2ストらしい最新のリッタークラスのスーパースポーツって感じは受けないのである。確かに、吹け上がりは速いかもしれないけど、回転の上がり方、パワーバンドにおける微妙なアクセル開閉に伴う回転変動の追随性はやはり違うと思うのである。少なくとも、乗車経験のある07モデル迄に関してはそう思う。

 そんな2ストロークと近いと感じる4ストロークは何か?というと、パワーバンド前後の落差でなければ、何と言ってもアクセル開閉に伴う回転追随の素早さで選ぶ訳であり、そういうのは、ミドルクラス以上で回らなくならない程度迄のツインエンジンに限るのである。更に言えば、操作に対する挙動が素直なのが2ストロークの美点であり、アクセルオフにおける挙動に関しても人為的な介入が入らないのがベストであり、変なスリッパーとか人工的な燃料噴射っていうのは、チョット違うように感じるのである。そういう括りで絞っていくと、やはり2スト好きの自分のイメージする2ストっぽい4ストとは、微妙なアクセル開閉にシンクロした回転変動が得られ、自然にシンプルに挙動を伝えるために変な電子デバイスが入っていないモデルということ。650~最大でも1000cc程度のツインスポーツか、250~400cc程度のシングルスポーツということになる。

 ただし、このような感じで4ストを選ぶ人は、2ストを知らない人が殆どの現代では更に少数派なんだろう。

 それにしても、2ストの特徴をパワーバンドからの急激な立ち上がりっていうのは、剰りにも貧相な感覚と思うのは自分だけだろうか?
 トルクの大きさと抵抗の少なさが2ストの2ストたる所以だと思うのだ。つまり、力の強さそのものであり、回転で出力を稼ぐのとは違うのである。力の強さとは、回転の変化の傾向を変える強さのこと。運動状態を変化させる事を得意とするという意味だ。出力とは回転数に依存するものであり、回転を維持して上昇させて初めて得られるもの。力の強さとは異質の物である。

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労働事情

 最近は、景気後退ということもあった、派遣労働者の方々を取り巻く問題がメディアに取り上げられている。派遣労働者に限らず、雇用の問題はニュースに為っている。

 雇用される側の意見での不満は各所で聞くが、ニュースになっているのが、ワーキングプアとか、名ばかり管理職とか、手当を出さないような労働時間の改ざんとか、労働組合結成への会社からの圧力とか、、、、、そんな話しもよく聞く。

 一方で、自分の勤務先でも若い世代の希望や、或いは、関係先企業における若い?人の希望なんかも聞いたりする。

 でも、ハッキリ言って、そのような話しは一方からしか聞いていないので、その問題の本質が何処にあるか?は判断しかねるのである。
 色んな不平、不満が双方にあるだろうが、その状況を招いているのは、双方の考え方が乖離しすぎた時に生まれているようなものとも言える。

 このような組織に対する不平、不満は、最近では若い世代からよく聞くけど、その気質を水曜夜のNFって関口弘さんがMCを務める番組でも紹介していた。若い世代の気質が60年で変化したか?どうなったか?という物だ。その番組を見て、ふと考えたのだが、、、、

 時代に起きた事で気質が変化したとは言い辛いが、少なくとも、気質とは環境によってもたらされる物。若い世代っていうのは環境の変化に対する免疫が備わっていない(世代を越えた人間関係での調整経験が少ない)事等もあり、環境には非常に敏感に反応するものだと思う。
 よく聞く言葉では、若い世代は、突出したがらないとか、安定を好むとかと下げ荒む声を聞くけど、それは、その方が都合が良いような印象を与える社会環境を敏感に反映しているだけの話しであり、そういう環境を生み出した社会全体の結果に過ぎないのである。
難しいものである。 

 今の時代の突発的な犯罪等も、結局は現代の社会の価値観を生み出した環境の産物であり、これを問題視する人が増えれば、それに応じて環境は変化する。変化すれば、当然、気質も変化するだろう。そんなもんだろう。

 社会(というよりも年長者)の評価する若年者像があるように、若年者が画く理想の社会というのも存在する。そこに乖離があったとしても、その問題の原因が一方にある訳ではない。雇用においても非正規雇用、派遣社員の嘆きも、或いは、正規社員の中でも扱いに対する不平、不満、色々あるけど、不満と思えば不満だろうけど、案外、そういうものだと思えば、そういうものだったりする。どんな境遇でも、その現在は、当事者の過去における社会での過ごし方による結果である場合が殆どではないだろうか?

 現時点における格差?があったとしても、その格差に見える比較対照の過去を遡ると、その格差に到った時間の使い方、機会の使い方が結構あるように思う。そんな気がして為らないのである。

 勿論、全てがこの通りでなく、中には、一方的に運が悪い?人も居るかも知れないし、何してもラッキーって人が居るかも知れない。こういう感じ方の本質的なところは、人によって絶対に違うものである。違うのが当然であり、同じように扱われる方が異常なのである。
 優越感も不満も何故生じるか?っていうと、それは他人を見るからであり、他人を見なければ何の比較による意識は沸いてこないように思う。自身の満足度の評価軸に他人を持ってきたり、或いは、点数とか金額といった間接的な評価軸で考えたりすると、それは結局、自分の中で満足が完結できないために、色んな感情が生まれるのではないだろうか?
 少なくとも自分は、額面や所得、地位や経歴で一喜一憂しない。行動が他人に対して優れていようが、劣っていようが関係ない。自分でしたい事をイメージして、それが得られたらOK。駄目でも納得。ワーキングプア等では仕事を行った意識と待遇のギャップで感じる貧乏感の事だろうけど、仕事なんてものは、自分で見つけて自分でやって、それを自分で評価して、自分の考えで給与に見合わないと思えば、自分で考えて次を行うし、給与が見合わないと思えば、以後暫くは手を抜くだけだ。そうやって折り合いをつけておけば、何の感情も湧いてこない。

 何にしろ、色んな事が起こる世の中では、色んな事態に対して自分で消化できる考え方を身に付けるのが一番のように思う。

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景気悪化?

 『まずは、景気だ!』、、、、これが、麻生内閣の合い言葉だそうだ。で、出てきた景気刺激策が、定額減税、、、、、、なんか馬鹿にしているような政策だ。

 景気は波があるもの。良い状態があれば、悪い状態もある。何れの状態もイレギュラーな状態である。良い状態を標準と考えると、悪い方向の変化が相当に悪く感じるもの。

 過去の景気が良い?という状態から見ると、今の状態は悪いのだろうか、、、、でも、良い状態自体が一極集中或いは、あぶく銭的な儲けの結果ならば、それは最初から無かったモノとも言える。元から良い状態を考えなければ、そんなに悪い状態でも無いようにも思ったりする。

 今の経済事情は、各国政府の政策の或る意味、経済原則をねじ曲げる様な政策であったり、数値上の情勢を改善させるためだけの施策だったりするように見える。その長きに渡るツケ(今ならアメリカの金融政策とそれに便乗した各国の政策。日本を考えると過度な円安誘導を期待して?の低金利政策とか、、、)を払うだけであり、その弊害を読めなかった政府が短期的な対策で経済対策なんぞ出来ない筈。

 まずは、景気だ!ってのは、景気を舐めているとしか思えない。この言葉は、一定の支持層に利益を生むような対策をする!って意味だけにしかみえない。まずは、辞めるのが先決だろう。そういう気がするのである。

 23日の経済情勢の変化は不明だが(この記事は23日の午前1時頃書いている)、現在、ダウ平均は急落傾向、円高も98円/$を伺う情勢。恐らくは、日経平均も瞬間的には8000円を割り込むかもしれないし、円も97円/$に達するかも知れない。
 勿論、この変化は一時的な物だろうけど、このような不安が不安を呼ぶ展開では、情勢が安定化するとも思えない。

 円高進行は賛成できるが、株価は下がるべきでない。でも、円安によって商品競争力を確保していた輸出企業の株式評価は今でも高すぎるかもしれないが、相対的に見ると競争力は未だ高いレベルにある。株価が8000円を切った時は案外、株の買い時かもしれない。

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街乗りタイヤ

 昼ポタでは、勤務先から数キロ離れた所迄を河川沿いに沿って走っている。信号の数は少ないけど、距離は結構あるのだ。JRで一駅分以上の距離、バスなら停留所は数え切れない?程あるのだ。
 そんな昼ポタコースの一番遠い折り返し地点付近において、スピママGTR号の後輪がパンクしてしまった。走り始める時には後輪の硬さを指で確認はするのだが、水曜日も何時も通りにチェックして出発。チェックでは少々エアが抜けているか?でも、大丈夫だろうって範囲での出発である。このスピママGTR号の足周りだが、リムはALEXのDA16という20インチの406HE仕様の細身のリム。これにナイロン繊維のリムテープ+パナレーサーのウレタンリムフラップという構成で、タイヤはシュワルベのステルビオ、スーパーライト仕様で空気圧は120psiだ。幅は1-1/8サイズということで28-406というもの。

 20インチで28mm幅っていうと、相当に細く、タイヤ自体が蓄えられるエアの量は結構少ない。そのために、エア圧の低下は結構顕著であり1週間で95psi、2週間も立てば70psi程度迄低下する。このスピママGTR号はエリオのトランク収納であり家に居る時は殆ど見ない自転車であり、エア管理は結構いい加減なのは、自分の責任だけど、そんな状態だ。因みに70psiというと使用限度以下だが、この圧になると殆どエア圧の低下は気にならなくなるもの。

 そんな所なんだが、過去にも昼ポタ時においてパンクした事が一度あるのだ。その時は、昼ポタから帰還して折り畳んで車に仕舞う時にエアが抜けるって症状だったために、実質的ダメージは無かったのだが、水曜日は一番遠い所でパンク。乗って帰るのは厳しい、押して帰っては間に合わないという状況。乗って帰ってリムにダメージを与えるのは今一だったんで殆ど担ぎながら、押しながらマラソン状態で走って帰ったのだが、やはり、限られた時間での昼ポタでは、このようなリスクを抱えるのはどうか?ということで、タイヤ銘柄の変更を考えた。

 この昼ポタは元々、初号機であるboardwalkで始めたモノ。そのboardwalkにはKENDAのKWESTで20×1.5という幅のタイヤだった。その後のSPEED改に変更してからは、当初はやはりKENDAの同じくKWESTで走っていた。KWESTではエア圧は70psi程度で使っておりエア圧低下は殆ど気にならない程度、その後、シュワルベのマラソンスリックに交換したけど、これが20×1.35でエア圧が95psi、エアの低下は月1回の管理で十分対応可能だし、70psiになってからはエア圧は低下しにくいので、やはりエア管理は簡単であった。
 その後、西DAHONの451化に伴い、DA16のホイールセット一式が剰ったんで、これをスピママに変更し、タイヤもステルビオとなった。

 これまでの経験上、エア圧は70psi迄は比較的早く低下する。そして70psiが許容圧であるようなKWESTでは問題ないし、マラソンスリックでも許容限度下限値はクリアしているので問題は無いのだが、ステルビオでは下限の空気圧は90psiであり下限値を下回ると路面の段差等によるリム打ちパンクのリスクも著しく増大する。普通は気にならないような段差でも怖いものである。90psi以上を管理するために、最低でも週に一回のエア管理が欠かせないものである。
 まぁ、エア管理を行えば問題無いのだが、トランクに積みっぱなしの自転車にはメンテの手が届きにくいのも有る訳だ。

 という事で、ステルビオの走行距離が5000kmを越えて、カーカスが前後輪とも露出して使用限度に近づいてきた事、それとサラピンのチューブの手持ちが無かったので、保管していたマラソンスリックを装着してみた。チューブはBSのスーパーチューブというもので、少々重くてもエアの抜けにくいチューブ、これに英式バルブはパナソニック等で好評のスーパーバルブである。
 暫く使ってみて、再度ステルビオに戻すか否かを決めるつもりだが、果たして久々の太めのタイヤはどうだろうか?

 KENDAのKWESTはビードも弱く高圧に耐えられない構造で完全街乗りタイヤだったけど、マラソンレーサーはケブラービードながらサイドウォール等厚めで街乗りでは無く、ランドナー的なツーリングタイヤの様、ステルビオはケブラービードを最小限のラバーでプリントし、接地部のみラバーを貼ったようなレーシングタイヤの如くだ。

 最低でも1週間程度は、マラソンスリックを装着してみようと思う。

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2008年10月23日 (木)

ブルーレイ、パナがリード!

 次世代DVDとしてHD-DVDを退けたブルーレイ(BD)だが、このレコーダーの覇権争いでは、当初こそは元のソニーが優勢だったのが、今ではパナソニック陣営がリードしているようだ。
 さて、この次世代DVDと言われているBDを導入するかどうか?というところでは、思ったほど普及していないのが現状である。

 ところで、我が家におけるDVD等の使い方はどうか?っていうのは、一寸した番組を録画して別のプレーヤーで再生するためだとか、或いは、ビデオで撮影した映像をプレーヤーで再生するためとかに限られている。つまり、機器間での映像メディアの引き渡しに用いているのである。少なくとも、映像を持ち歩かない限りは可搬メディアである必要は無いのである。録画と再生を一つの機器で完結させる場合には、単なるHDDで十分用を為すのだ。

 映像コンテンツを可搬出来ない場合は、記憶装置を内蔵した機器が再生時において必須であり、その再生を装置外で行うには絶対的に接続しなければならない。映像のみを再生する場合には、HMDI等の映像出力端子であったり、ダビング等ではi-Link、IEEE1394等の端子だったりする。

 ところで、このようなケーブル接続でデータの受け渡しをする場合、この手の機器の扱いに慣れていれば問題無いけど、そういうのが苦手な主婦、高齢者にとっては、ケーブルを見るだけで躊躇したりするのでは無いだろうか?少なくとも、我が家では、そういう傾向があるのだ。そんな時に、DVDメディアが可搬メディアとして非常に判りやすいのである。

 DVDビデオで撮影した映像を物理的にDVDをプレーヤーにセットするだけで再生できる。これ程、直感的に判る扱い方は無いのでは?と思うのである。
勿論、DVDの場合は、ファイナライズという煩わしい操作が生まれてくるが、この煩わしい操作が不要なDVD-RAMでは、正しく誰でも出来るのである。

 このような利点をブルーレイは引き続き保っているのは非常に魅力的であるのは事実である。

 しかし、ブルーレイを買うかどうか?を考えると非常に微妙な状況だったりするのだ。現在、8cmBDの容量が7.5GBである。同じく8cmDVDが2.9GBである。DVDの場合は、SD画像で片面30分、両面で60分の記録が可能。8cmBDの場合は、フルHD画像で60分。仮に、圧縮率を上げると録画時間は延びるかも知れないけど、そうなるとSD画像のままDVDで我慢してもよいか?という考えも出てくる。
 やはり、ブルーレイならばHD画像で、相当数の時間を記録したい訳であり、そうなると、7.5GBの記憶容量に留まるブルーレイよりもSDHCで32GB等の方が具合が良い。問題は、価格と別の規格の成立だが、何れにせよ、メモリーデバイスの方が扱いやすそうだし、可搬メディアとしては最有力となりそう。

 さて、そんなに遠くない将来、テレビ、レコーダー、ビデオを更新する時期が来るだろうが、次は何を選択するだろうか?

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物欲

 以前、ラングスターのフレーム交換をしたい旨を記事にした。
 その時の候補が、タキザワサイクルのHARPブランドのCM-1000って奴。縦パイプがCT=460mmと少し短いけど、シート角(75.5°)、トップCC長(530mm)はイイ感じである。特に、ディメンジョンが素敵である。シート角が立ち気味で心持ち前乗り可能。短距離バイクなんで、自分好みのシート角より0.5°強立っている。通常より10mm程前乗りに為る訳で、その分上体が沈めれる。難点は、、、、、色の選択肢が少ない事。赤、青、白の三色選択なんだそうだ。で、今は様子見中。一応、2009年モデルでも色の選択肢が変わらなければ白でオーダーする予定。因みにこれだ。

http://www.takizawa-web.com/shop-frame/harp_img/CM1000.html

部品はラングスターから総移植しても良いか?とも思っている。

 で、他の選択肢は、、、、、やはり国産ブランドだが、ラングスターと同じアルミフレームのモデル。それは、BSのアンカーPA3ってモデルだ。これもディメンジョン的にはトラックレーサーというよりもロード系(74.5°、530mm)だが、取り敢えず納得の範囲の構成。色も自由自在。

http://www.anchor-bikes.com/bikes/dimension.html

 現在、この二車を迷い中。HARPのCM-1000の2009年モデルの動向を見て決めるつもり。最悪、フレーム買いして剥離して塗り直しでもしようかな?なんて考えたりしてる。

 なお、ピストバイクならキャノンデールのCAPOとか、オペラのMERCURIOなどもあるけど、完成車販売だし、フレーム単体ではSE BIKE等も在るけど、フレーム単体販売+国産となると、先の二つに限られる。
 特に、トラックレーサーらしいCM1000は相当に興味深いものだ。

 ラングスターを選ぶ時は、シングルのロードとして選んだもの。今は、ロードバイクとして二台あるわけで、今度は漕ぎ方的にトラックレーサーとしてシングルスピードが欲しい訳だ。となると、ロードとは異なるトラックモデルらしいディメンジョンが欲しいのである。

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ブームは上り調子?下火?

 今は自転車ブームだそうだ。この時期、例年ならば売れ残りの当年モデル(今年なら2008年モデル)がお買い得商品として販売されるけど、今年は無いそうだ。メーカー各社とも、ロードレーサー(ピストを含む)、小径車、折り畳みを中心にラインナップが急激に充実している。

 しかし、マーケットの拡大に併せて過当競争が生まれると、利益の配分は小さくなるのも現実で、売れる程に、売る側が増えて、儲けが減るという事にもなる。また、充実しすぎると、趣味性の物故に、他人と違うという理由が、誰でも同じという部分に変化すると、これまで過ごした人の足が遠のくのも現実だ。

 過去の様々なブームがそんな風に栄枯盛衰を繰り返してきた。

 最近は、原油価格の下落により、これからはガソリン代の高止まりって状況も緩和されるだろうし、季節的にも寒くなる。来年の春はどうか?が気になるところ。

 そんな事を思うのは、自身、最高の趣味はモーターサイクルだが、そのモーターサイクル趣味の人の多くがやはり自転車に嵌っていたのが、去年、一昨年の話し。実際、単車乗りのサイトにも自転車が取り上げられていたりしていたし、知り合いにもそういう人が多かったように思う。
 しかし、ふと単車乗り系サイトの自転車コーナーを見て回ると、今年に入って自転車に乗られた形跡が無いというか、自転車熱が冷めたとういうか、そんな感じの人が結構居る。
 そもそも、自転車競技なんぞ、各種競技の中では人口比率は最小レベルの話しであり、それがブームとなって消費を牽引するのは、そんな競技者級よりも、他趣味からの流入、或いは、実用+軽い一過性趣味で流入したお気軽級の人が多かったためである。

 そんな実体だと思うのだが、他の趣味から入ってきた人が少しずつ遠のいているのか?と思う。逆に、自転車ブームという事で、メディアへの露出度が高まり、より気楽に、より遠いジャンルからの流入でという感じで拘り度が低いながらも多くの人が入る事で今の状態が作られているのか?と思ったりする。

 ブームとは、一部の愛好家の世界から、そのマニアックな世界が注目を浴びて、その世界への精通欲で愛好家の数が増える。そして、その世界に近い世界の人が注目しムーブメントが起こり始める。結果、メディアへの露出が高まり、軽い関心による多数の人の注目で爆発的に広がる。最終的には、その関心度の希薄さ故に飽きられて衰退する。とそんな隆盛を示すと思うけど、ここ最近の自転車の売れ具合を見ると、特に手の届きやすい価格帯、ロードバイクならば数万円~20万円程度のモノを多く見るけど、その選択を見ると、一過性の流入現象期に突入したのか?と思えるのである。

 折り畳み、小径車ならば高くても5万円程度、ロードバイクなら15万円程度を中心に売れているというか、見掛ける頻度が高く為ってきた感じ。
 去年、一昨年は、どちらかというと、小径でも10万円以上、ロードバイクなら30万円以上が多かったけど、最近は見掛ける台数が増えて、一見、二極化の傾向に見えるが、実体は入門、ローエンドクラスの普及であり、これは一過性の自転車増を暗示しているように思えるのだ。

 このような普遍現象と、先の単車趣味人の高級ロード離れ(彼らは、ピナレロとかスペシャのS-Worksとか、コルナゴとかに乗ってたけど、、、)は、市場の意識としてはブームはピークを過ぎた事を示しているようにも思う。まるで、単車レプリカブームにおける1988年頃の感じである。注目度は1988年が高かったけど、実際のピークは1982年、狂乱期は1987年迄。1988年は供給側はイケイケだが、市場側は冷め気味。1989年は大変革、その後マーケットは1/5に衰退。というか、1980年以前のブーム前の標準状態に戻っただけ。

 自転車も2003年以前の状態に戻るのかなぁ?と思ったりする。

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今更、不景気で定額減税?時代遅れだろ!

 今回の景気後退によって減退した消費意欲を刺激するために、財政投融資特別会計の3兆円から2兆円を表題の定額減税を行うそうだ。定額減税という事で、一律に減税するらしい。子供二人の四人家族では年間で65,000円の減税規模となるそうだ。

 因みに、65,000円の減税規模を所得税から行おうとすれば、所得が年間650万円以上が前提となり、620万円以下の場合は、65,000円の減税が受けれないこととなる。
 今回は、所得税、住民税等からということなんで、所得税減税で65,000円に届かない人には住民税からも減税ということになる。この場合は、国税以外で減税となるのは、恐らく手続き上、別の法律を通す必要も出てくる。
 更に、それでも65,000円の減税にならない人には、なんと、差額を給付するという。

 ということで、意地でも65,000円をばらまきたいようである。そもそも財政投融資特別会計っていうと、法律で準備金の必要水準を超えた部分は財政健全化のため国の借金返済に充てることが定められており、減税財源への流用に伴って法改正も検討しても、結局は、その分を調達する必要があり、借金返済に充てることになっていたお金を使うことは、赤字国債を追加発行することと同義であり、単なるまやかしの論理である。有り得ないというか、バカにしているとしか思えないのである。

 因みに、日本のGDPは500兆円であり、2兆円の減税が消費に廻るとGDPの押し上げ効果は最大で0.4%に相当し、2兆円の内の1兆円の場合は、0.2%に相当するということ。

 定額減税で65,000円戻ってくる!って小躍りする奴が、どれほどいるか?が問題である。周りには確かに定額減税が行われると嬉しい!って奴も居るけど、俺的には、どうでも良いと思うし、実際、減税による税負担が減ったから無駄遣いする!なんて事は思わないのである。
 景気対策では減税の他に公共事業等の手立てもあるが、この場合は、多分、見かけ上0.4%のGDP押し上げが期待できるけど、公共事業という利権が一部に限定される上に、日本的な談合体質の中で公共事業を行っても、その事業結果と投資コストの生産効率からみると、下手すると2兆円の内の半分以上が特定事業者あるいは官庁の利権に既得するだけに終わるように思う。

 消費意欲減退というのは、消費意欲を持つマーケットが無いと言う事。市場に魅力を持たせるというのがキーワードだが、魅力が一過性に留まらないような仕組みを作るのが大事だと思う。これは、古いモノを値段勝負で作る市場雰囲気を打破する事が重要で、今のままでは、値段勝負=人件費削減=慢性的な高失業率=経営者への富の集中という基本は崩れない。

 経営者への富の集中というのは、利権の集中であり、利権を或る程度流動化するような法律と流動化した利権を流動化している人的資源が利用できるような仕組みなんかが有効ではないか?と思ったりする。

 個人的には、既存の概念に囚われない新技術開発を業務の柱として行っているが、そうやって発見した知見は、一般には特許化されて、更に一般には企業に既得するもの。その特許が企業に経営インパクトを与える程であれば、商売として世に出るけど、企業規模によっては休眠させるだけの場合も少なくない。しかし、一部では特許流動化という施策があるけど、これとて、一度は特許を取得するという手間が在る訳で、なかなか隠れた技術が普及するとは言い難いものだ。そもそも、流動化っていうのは、大企業が持つ休眠特許を使う訳であり、自由な発想を呼び起こすという質のモノではない。

 思うに、特許のように権利を尊重するのも或る意味重要だが、そのようなプロセスを経ずに、自由に発想して自由にモノを作れるような仕組みというか体制を作り出すのも手だと言える。小さな組織~個人の思い付いた発想を具現化するのを事業レベルで斡旋するような機関があればと思ったりする。
 勿論、その思い付きが既に特許化されて休眠状態にあるものかもしれないが、その特許に基づく収益が一定レベル迄は、他人の権利の行使を容認するような仕組みがあれば、技術の発展と技術の原点の保持者の権利も確保できるのでは?と思うのである。
 ベンチャーや個人の発想や思い付きを評価し、具現化できる企業を斡旋し、限定された範囲の収益をベンチャーや個人に還元し、一定の比率を具現化した企業にも還元する。その事業原点である技術が他で特許化されている場合は、一定の収益以上は特許保持者に還元するという仕組みが出来れば、技術の循環による分化、新たな、雇用の創出にもつながるし、市場の創出にも繋がる可能性が在る訳だ。この中小以下の事業者の発想を評価し、具現の担い手を斡旋する等の業務自体は第三者的な公平性が必要であり、公的機関が担うというのも理に適うものと思う。

 これは、一寸した思い付きだが、消費意欲を向上させるには、単純に減税したり、公共事業を興したりではなく、市場の活性化、市場で溢れる人的資源の有効利用、休眠中の発想の展開による人と技術の流動化を促進させるような施策が最も有効だと思うのである。

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2008年10月22日 (水)

心疾患の1/3がジャンクフード原因かも

 Yahooのニュースで目を惹いたのが、世界の心疾患の35%は、揚げ物や塩分の多いスナック菓子、肉といった食品が原因となっている可能性があるという研究結果を伝えるニュースだ。
 この報告は1999年2月から2003年3月にかけて52カ国で、初めての心臓発作を起こしたばかりの患者5700人を含む1万6000人を対象に、血液検査と食生活に関するアンケート調査を実施し、肉や卵を基本とした「西欧の」食事やジャンクフードを多く摂取したグループは心臓発作を起こしやすく、果物や野菜を多く摂った人々は心臓発作のリスクがより低いというものだ。

 さて、ジャンクフードっていうとJunkなフードって事だが、Junkの意味は、くず、ガラクタといった意味。俗語的になると麻薬って意味もある。しかし、何故にジャンクフードって名前がまかり通るか?っていうと、その成分がエネルギーは多いものの、ビタミン、食物繊維、ミネラルといった栄養分が含まれないという特徴を持つ。エネルギーが偏るってことは、当分とか脂肪分の集積食品とも言う訳で、見方によるとサプリメントと似たような物とも言えそうだ。

 このような成分が特化するというのは、或る意味、純度が高い食品であり、その理由っていうのは、工業的な製法で作られる食品の特質とも言えそうだ。つまり、清涼飲料水、インスタント食品、スナック菓子がそれに該当し、更に言えば、大量生産、大量消費が前提の食品もジャンクフードに近いとも言う。ところで、ファーストフードというと本来は、素早くできる食品なんだろうけど、素早く(fast)出来て、品質のばらつきも少ないってのは、成分的にも偏っているとも言える。そういう訳で近年は、ファーストフードの王様であるピザとかハンバーガーもジャンクフードに入れられていたりする。

 ジャンクフードの問題点が栄養のバランスが欠如している事を言うならば、昨今流行の単品ダイエットも、サプリ過剰依存型ダイエットもみんな同じである。

 やはり、健康の秘訣は、朝昼晩、種類を問わずしっかり噛んで、しっかり食うって食生活だろう。

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オーダー時代を懐かしむ

 自分がショップや部活を通して密接度が高かった1970年代後半から1980年代初頭の自転車において、とびきりの一品っていうと、何と言っても乗り手の体型、乗り方にぴったり合わせたスケルトンオーダーである。
 スケルトンオーダーが出来る人こそが一人前で、そのオーダーフレームが乗り手にとっての最高の一品という意識があったし、バイト先の店主もそんな事を言っていたように思う。そして、そのオーダーが可能なビルダーの最高峰が東叡社だったりしたように思う。

 そのスケルトンオーダー=フルオーダーであり、そのセカンダリーグレードがセミオーダーというモノ。セミオーダーには何種類かあり、ビルダーがサイズ違いのラインナップをフレーム単体販売したものに、簡単な工作、塗色の違いをユーザーの好みに対応させたり、ショップに吊されたフレームを見繕って組み上げたりのパターンがある。この選んだフレームにコンポ類を好みに組み上げていくもの。

 その次が完成車の高級品であり、BSならダイヤモンド、その後のアトランティスのようなマスプロ製品がそれに該当していたように思う。

 ということで、この世界のトップレンジというのは、何と言ってもスケルトンオーダー製品ということだ。

 で、当時を振り返ると、スケルトンオーダーといっても、その数値自体を明確に指定できる人(客)は、案外少なかったように思う。スケルトンを決定付けるディメンジョンの数値をゼロから指示できる人は相当に少なかった筈だ。

 勿論、そのディメンジョンの絶対的な数値には意味が存在するものだけど、多くの人は、各人が乗ってきた経験でディメンジョンの数値に対する印象を、その人なりに身に付けて、その人なりに相対的に、どの程度の数値にしようか?と考えていたのでは無いだろうか?勿論、相対的に決めるにしろ、そのディメンジョンの数値を変化させると実際の乗り味に現れる変化の傾向は経験的にも理屈の上で見ても矛盾の無いものだったと思う。

 変に小理屈を知らないでも、経験を積む事によって、スケルトンの違いと乗り味の違いを感覚的に身に付ける事は可能で、殆どの人が、そういう積み重ねで経験を身に付けていたのだろう。

 そんな当時の自分の思いは、経験によって数値が意味する事が何か?を純粋に考えるのが難しいと思い、各部の構造が車体の動きにどのように影響するか?を考えて、その数値が変化すると車体の動きは理屈の上でどうなる?を納得した上で、その数値の違うモノを比較して、数値の変化と挙動の変化を理解するような取り組みをしていたように思う。
 そんな意固地な見方が結果にどう影響を及ぼすか?っていうと、実は、あんまり影響しないかもしれないし、其処まで数値に拘っても、得る感覚には目を三角にする程の違いは生まれてこないかも知れないが、そこに違いがあるかどうか?は、拘った数値によって得たモノを自分で確かめない限りは永遠に判らないのも事実だ。
 言えるのは、其処までの違いは無いと割り切れる人にとっては、細かな数値を不要と思う人でもあり、その違いは判らないだろうし、其処までの数値を伝聞とは別に自分の意識として拘る人にとっては、どんなに小さな差であっても大きな違いを感じるのだろうと思う。

 自転車というモノに対する趣味の持ち方は人によって違うけど、その違いに拘るという考え方自体が趣味の持ち方の一つとも言える訳だ。

 そんな1980年前後の考え方は、単車趣味がメインだった1980年代中盤~21世紀になっても自分の中では変わっていない。そして今はどうか?っていうと、細かな違いが挙動に与える影響はどうか?を相変わらず考えている。但し、考える際に使う知識は、30年前の自分と今の自分の経験、知識の差が当然存在する。当時、漠然とした感覚が、今見ると、結構具体的に動きを考えて、そこで比較すべき要素を数値で較べる事が出来る。
 すると、当時より詳細に数値に拘ろうと思えば拘れるようになっているようだ。但し、そこに拘るかどうかは別問題。

 言えるのは、フルオーダーが最高峰だった時代の指定ディメンジョンっていうのは、やっぱり意味があるということ。その意味が何か?を考えるだけで楽しいし、その違いが何を生むか?を想像するだけで楽しいもの。ふと、そういう頃の懐かしさを思い出したりする。

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2008年10月21日 (火)

走る時間帯を変えると、、、

 日曜日は、地元町内の秋祭り参加(1歳児の手を引いて、時折、神輿を担ぎながら、万が一のために、ベビーバギーを背中に背負って、、、数キロの練り歩き)のために、秋祭りの集合時間である午前8時40分迄に間に合うように帰宅時刻を8時30分と定め、朝7時30分に家を出てホームコースである往復30km(内、タイム計測区間は24km)と標高100m程の急坂ヒルクライムを2本をこなすように出掛けた。
 午後は、神社の子供相撲、夕方~夜は神社の園芸大会&餅まきに参加ということで、自転車に実走で乗ったのは、朝のみの休日だった。

 普通の週末走行の時間帯は、もう30分程遅いのだが、30分違うと見掛ける自転車もサイクリストも全然違う。更には、当日は中央森林公園で中国サイクルGPが開催されているので、ホビーレーサー系ロードは観戦&参戦で居ないだろうと思っていたところ。

 この季節、朝は北上すると向かい風が相当に強い事以外、コンディション的には上々。さすがにノースリーブのTシャツでは寒いのでウィンドブレーカーを羽織って出掛けたのだが、そうすると今度は少し暑い感じのコンディションである。

 そんな状態で、往路区間で祇園新橋のアンダーパスを潜って歩道区間で見掛けたのがKONAのロードバイクに乗った上下ジャージ姿のお兄さん。一生懸命漕いでいる感じだけど、身体の揺れの割に速度不足。一生懸命の身体の揺れが車体の揺れで遠目に見ても蛇行運転状態なのが笑える。それを広くなったところでパスして更に2km程北上。安芸大橋の信号で待つ事1分、先程追い越したKONAのロードがやってきた。その後、信号が青になり再発進。後がどうなったかは知らないけど、今度は戸坂~口田界隈の路面舗装は今一ながら幅で10m以上ある歩道区間で快調(38km/h程度)に走行していると、今度はTREKのバイクに遭遇。歩道から堤防上車道区間で一気にパスして安佐大橋の信号を丁度良いタイミングで抜けて再加速。車も流れていると風の影響が減るせいか、速度的には43km/h程度。その後、一寸した丘を越えて高瀬大橋に到着。更にタイミング良く信号を渡り、橋を渡り、太田川西岸を太田川橋南詰め迄走行。そこでも、キャノンデールのカッコイイ系ロードを発見。

 太田川橋に到着するとコーヒーを一本飲んで定点撮影して祭に間に合うように即帰還。帰還時に後方に青のピナレロが居たけど、南下して高瀬堰の信号待ちをしている時に振り返ると遙かに後方で、信号で途切れた。しかし、その信号では、対岸から渡ってきたやる気満々のビンディング+細タイヤにレーパンのクロスバイクと頑張る系のMTBと遭遇。
 このお兄さん、信号が青に変わるとこっちを見てニヤリ、、、で、漕ぐ漕ぐ、、、復路は追い風ということもあり最低速度を40km/hと決めていたので、それ以上の速度ならば一定の間隔で走っていたのだが、500mも走ると失速気味、37km/hをも下回り始めたので一気にパスして45km/h程度で南下。暫く走行すると安佐大橋の信号が青だ!ってことで、ダンシングで55km/hオーバー迄加速して信号クリアを試みるも手間20m程で赤、、、、で、停止。信号待って青になった頃、さっきのクロスとMTBがやってきたけど右折して何処かに消えた。安佐大橋から安芸大橋迄は土手上を丁度3kmのノンストップ区間、で、45~50Km/hで巡航し、安芸大橋手前の舗装が綺麗な区間で再ダッシュ!で58km/h程度迄引っ張って安芸大橋の信号で停止。そこからは幅員が相当広い自歩道区間だが、そこで45km/h程度で祇園新橋アンダーパスを通過、そのままの維持で祇園大橋に向かう。途中、アンカー、ピナレロ、ルイガノのロードをパス。祇園大橋を渡り、大芝水門から再度自歩道。この区間は歩行者大勢なんでクールダウンで35~40km/hを基本に人が居れば最徐行で終了。最後、北大橋を渡り、新工兵橋で信号待ちしてたら、異様に細い脚に黒いタイツをはいたアンカーを発見、暫くしたら自歩道から剃毛した脚を露出させてレーパン+ディバッグ+ヘルメット+サングラスの銀色クロモリピストでブレーキは片方のみの人を発見。

 その後、近くの山に造成された団地で勾配が急なところに向けて走り、超10%勾配を標高で100mを二本、累積標高で200m分程ヒルクライム。ヒルクライムを終えて山を下りた時刻が8時20分。そこから帰宅して着いたのが8時30分、直ぐに準備して町内集会所に着いたのが8時40分ということ。

 ということだけど、中国サイクルGP当日にも関わらずレーシーな装備で決めたロードバイクが沢山いる。ホビーレーサー全てが観戦、参戦する訳でも無い様子。
 色んな人が色んなバイクに乗っている感じだ。時間帯を換えると風景が変わる。そんな当然の事が改めて判る休日の朝であった。

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運動強度とMETs数

 今更ながら運動強度について考える。
 結構、ダイエット系サイト、スポーツ系サイトには運動強度に従って運動する事が望ましいって講釈が延々と書いてある。

 で、この運動強度の『強度』って部分だけど、この強度って言うのは、判りやすく言えば『相対強さ』である。相対っていうには、当然基準がある訳であり、この基準値というのは個体の極限値ということである。
 それ故に、個体の極限値を明らかにしなければ、その相対値である強度も不明瞭なものとなるのだが、現実に、その運動強度云々のサイトを見て回ると、その基準値自体の算出が極めて大雑把で個人差を反映していない場合が多かったりする。

 運動強度には何通りか在るけれど、代表的なのは二種類の運動強度が知られている。それは、、、

1.心拍数から見た運動強度
 これは、個体の心臓の心拍数の対応可能な範囲の内、どれほどの変動を与えているか?の比率であり、(運動時心拍数-安静時心拍数)/(最大心拍数-安静時心拍数)×100[%]という方法で求めたモノ。
 この内、安静時心拍数は起床時において横になったままの状態での心拍数。そして最大心拍数っていうのは、年齢によって算出する公式で求めた数値(220-年齢)を最大心拍数としている場合が多い。
 しかし、年齢で心拍数が求まるっていう荒っぽい方法では、個体差は皆無であり年齢が同じであれば皆、最大心拍数は同じという事である。

 例えば、自分の場合は公式に従うと、最大心拍数は176bpm程になる筈だが、実際に心拍をモニタリングしながら運動すると、数分レベルの維持可能心拍数は196bpmとなるし、数秒レベルでの到達可能心拍数は210bpm迄上昇する。勿論、この数値では意識もあるし、比較的冷静でもある訳で、真実の最大心拍数がいくらか?は未だ不明である。
 因みに、起床時における安静時心拍数は冬季で38bpmくらい、夏季で43bpmくらいで、気温によって或る程度(10%程度)のバラツキがある。
 この数値で安静時は兎も角、最大心拍数がホントのところ幾らか?はよく判らないのである。

2.最大酸素摂取量から見た運動強度
 こちらは、酸素摂取量から見たもので、運動形態が基準行動の何倍の酸素摂取を必要としたか?を見るモノ。 因みに、METSの単位は、安静時における酸素摂取量3.5(mL/kg/分)を1METとし、これの2倍を2METs、3倍を3METs.としている。行動形態が安静状態の何倍の酸素摂取が必要かを表した相対強さである。
 これも、運動を行う人によらず、運動毎に決められた数値が用いられており、個人の習熟度差による運動効率の差等は考慮されていない。

 この運動強度の理屈の元である最大酸素摂取量っていうのは、実は個人によって差異が非常に大きな数値であり、Vo2maxと言われているもの。この個人の最大酸素摂取量が幾らか?を計測した上で、そのMETS数を100%として、個人毎の運動時における酸素摂取量のMETS数が何%か?を求めると、個人毎の運動負荷の相対負荷になる。(運動強度=酸素摂取量÷最大酸素摂取運動強度)

 以上のような二種類の運動強度云々が在るけど、前者の運動強度については心拍数値変化の最大変化に占める割合から運動形態が有酸素運動か無酸素運動かを見極めるのに用いられている。有酸素運動するなら運動強度で60%が適切とかの話しである。でも、個人によって異なる最大心拍数が正確に分からなければ、その運動強度が効果的な状態となっていないかも知れないのである。
 一方で、後者の方は、基準の酸素摂取量を酸素摂取量3.5(mL/kg/分)を1METとして、運動形態でどれ程の酸素摂取が成されたか?をMETの倍数で示し、そのMETs数から消費カロリーを求めようとするものである。下手すると、運動の習熟度が高ければ実際のMETs数は小さくなるかも知れないのである。

 このような、一見理屈にあったモノが見られるが、その基準を実際に把握しておかないと、行った運動による効果が、自分の思いと懸け離れたりするのである。

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2008年10月20日 (月)

消費カロリー

 日曜朝のホームコース走行では耳たぶで計測する心拍モニターを使っている。機種はCATEYEのPL-6000ってタイプで、本来は自転車用では無いモノで、エアロバイクで使うための機種だ。

ところで、運動による消費カロリーっていうのは運動の種別によっても異なるし、種別でも運動強度によっても異なるもの。それで、消費カロリーは次の計算式で与えられる。

消費カロリー(kcal)=1.05×体重[kg]×METS(運動強度)×時間[hour]

で、METS(metabolic equivalents)はトレーニングなどの身体運動時の代謝量が、安静時の何倍に相当するのかを示す尺度で、「運動強度」のことです。因みに、安静時(いすにッ座って過ごしている時の)代謝量、すなわち1METSは酸素摂取量にして3.5ml/㎏/分に相当するそうだ。

この考え方自体が心拍数に基づく計算のようであり、心拍数が運動によって実際に示した値が幾らか?が判らないと実際のMETSが判らないというもの。

しかし、世間では定型的に動作、運動種別別にMETS数が表現されており、その表現値に従ってカロリーをいくら消費したとかの話がまかり通っているようだ。

運動強度を一般論的サンプルで与えたMETS数によるカロリー計算よりも、実際の心拍モニターによって随時心拍数をモニターしてカロリー消費量を見る方が多分正確だろうと思う。

ということで、ホームコース走行+ヒルクライム2本の基準走行で大方1時間程の自転車運動となるけど、それで消費するカロリーが大体600kcal程度である。結構ハードに乗っていると思うのだけど、それでも600kcalしか消費しないのである。

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2008年10月19日 (日)

日本人体型とブランド

 日本人体型っていうと白人とも違うし、同じ黄色人種でも中国、韓国の方とも随分違う。独特の体型って言われているし、その体型は胴長、短足とも言われている。

 そんな独特な体型を持つ人間に果たして海外ブランドの一般の自転車がマッチするか?が昔からの疑問。学生時代、欧州ブランドと国産ブランドのスケルトンを比較したことがあるけど、実際問題、結構違っていたように思う。

 はたして、現代日本人の体型は変化したか?というと、多分変わっていないし、少なくとも、現代におけるメタボ世代は80年代の20代であり、我々世代の体型は昔ながらの日本人体型であるわけで、そうなるとやはり日本人向けな自転車の方が良さそうである。

 自転車におけるスケルトンは、外的要因からの特性を決める要素と、内力を生むに適合した特性を決める要素がある。前者については、体型の違いは殆ど関係ないが、後者については体型の違いが大きく効いてくる。後者とは即ち、駆動力発生に具合のよいスケルトンだと思うのである。

 体型から定まる最重要な要素は何か?というと、それはフレーム以前にフレームと人体の接合部であるクランク長である。このクランク長を正確に決める事が実は結構なポイントである。
 下肢の屈曲運動でクランクを回転させるのだが、下肢の骨格とクランク長は幾何学的に密接な関係を持っている。これを、理解することが心地よい自転車の第一歩だと思う。

 ところが、現実的にクランク長の選択肢っていうのは5mm刻みで165、170、175mm程度から選ぶのが普通で、最適が判っていても案外良いところが狙えないのが現実だったりする。
 それでも、自分の下肢骨格から求めたクランク長という意識があれば、実は、そこからフレームの形状の重要な部分が決まっていくのである。この決まっていく数値っていうのは、結構繊細な値であり、所謂セッティング次第でどんなスケルトンであっても、それなりのポジションを作る事が出来るのだが、セッティング=パーツ取り付け時における動かし代を利用していく時に、パーツ固定におけるベスト位置からの偏差が多い程、本来のフレームの持つ細やかな特性が失われていくっていうのは、知られていなかったりする。

 ふと、懐かしく感じたのだが、そのような微妙な違いが国産ブランドと海外ブランドには存在する。その小さな違いは調整可能な各部に存在し、その小さな違いの積み重ねが、時には許せない違いとなって現れたりするのである。

 これは、単車なんかでの微妙なセッティングの差によるラップタイムの差に非常に近いモノだと思う。
 この小さな差に気付かない、或いは、それを無視しても関係ないかも知れないが、その差は確実に存在するものである。そういうものだと思うのだ。

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2008年10月18日 (土)

一番大切なのは、、、

 自転車選びで一番大切なのは何か?って考えると、、、、、価格でも、重量でも、構成コンポのグレードでも、フレームマテリアルでも無いと思う。このようなパッと見で判る部分っていうのは、実はあんまり意味がないようにも思うのである。

 しかし、新興ブランド(歴史的に30年程度のブランド)のバイクっていうのは、そういう見た目の華やかさ、賑やかなスペックで人目を惹きつけているようにも見える。
 新興ブランドの殆どがアメリカブランド、そして台湾製ってところだけど、その辺りっていうのは、原則として、大量生産、大量販売が利益追求型工業系ブランド指針の根底にあるように見えるし、新興ブランドが競技の世界に入っていく上での武器は、伝統的な工房的ブランドの真似が出来ない分、違ったアプローチで世界を席巻しているように見える。
 工房系ブランドと新興ブランドの違いは、生産規模の違いも多いが、何よりも企業体としての体裁をフルに活用したサポート体制の充実度ではないか?と思うのである。これは、競技世界の話に限らず、趣味製品の販売網、サービス網にも繋がるものであり、その違いが新興ブランドの普及に大きな力を発揮しているんだろうと思う。
 特に、最近氾濫しているアメリカンブランドの隆盛は昔人間の自分から見ると、違和感アリアリである。ヨーロッパの伝統競技であるサイクルロードレースの機材に、極めて歴史が浅く、表面的な雰囲気でイメージ作りされたモノがカッコイイという価値観がまかり通る実態は強烈な違和感を感じる。
 車で言うと、飾り立てた大量生産型アメ車と伝統を大事にしたヨーロッパ車のような違いにも喩えてることが出来る。

 そんな新興ブランドの普及とCM戦略によるブランドイメージの確立から結構な人気を博しているようだけど、豊富なラインナップと大量販売戦略では、バイクでアピールするのは、やはり汎用的なコンポグレード、マテリアル、スペックに留まらざるを得ないのも真実である。
 しかし、伝統的なブランド、或いは、工房的なブランドは、基本は少量販売であり、バイクに与える特徴作りは新興ブランドのそれとは大きく異なるのである。

 本来的に、バイクの性能が判りやすいコンポグレードとフレームマテリアルのみで決まるのであれば、新素材の利用の速度を考えれば大量生産を前提とした新興ブランド以外に生き残れないが、現実は、伝統的なブランドや、工房的なビルダーは確実に存在しており、その生産性からみると割高であるにも拘わらず確固たる地位を築いている現実を冷静に判断すると、バイクの性能はコンポグレードとフレームマテリアルで決まるモノとは言い切れない事を示している。どんなに目新しい新素材であっても量産効果が期待できるのは間違い無いけれど、逆に、どんなに普通な素材であっても固有な数値設計では量産効果は全く期待できないもの。利益を追求しようとすれば、量産効果を狙った商品構成となるのは極当然の事でもある。その量産性=普遍性が、注文毎への高い対応度を叶える上で大量生産志向の弱点ともなる訳だ。
 特に、工房的なビルダーの場合は、生産者規模から極コンベンショナルな部材での製作に限られるが、それでも生き残るという現実は、フレームマテリアルやコンポグレードを超越する何かが存在する証明に他ならないのである。

 で、それが、実はバイクで一番大切なものだと、私は考えている。

 工房的なビルダーが出来て、工業的な新興ビルダーが出来ない世界というのは、乗り手に誂えたスケルトン(ディメンジョン)に他ならないのである。このディメンジョンの自由度こそが、工房的ビルダーの存在意義と言えるのである。

 しかし、工房的ビルダーでバイクを製作するにしても、そのディメンジョンや工作に注文が入れれないのであれば、逆に言えば、工房的ビルダーで最高の一品を手に入れる事は出来ず、汎用的な根拠の無いスケルトンを指示する程度ならば、それこそ、汎用的なディメンジョンを持つ新興ブランドの製品がお似合いなのである。

 一番大切なのは、自分の体型、乗り方、癖、好みに応じたスケルトンを指示出来る知識ということになるが、このスケルトン指定を完璧に納得できる形で行える人っていうのは、案外少ないように思う。
 殆どの人が、自分の身長からみたフレーム適応サイズをチャートから読んだり、或いは、汎用的な公式のような数値からスケルトン値を算出したりしているが、その程度では、ハッキリ言って工房的ビルダーでオーダーする価値は無いように思う。なぜならば、チャートや公式での数値は、身体の一部の寸法から求めただけであり、その数値さえ同じであれば、バイクは全て共通という事になる訳で、そこには乗り手の個性や違いが存在しないことになるからだ。

 で、重要なのは、公式でスケルトン数値を算出するので無く、公式を使わずに自分の身体を見つめ、自分のライディングスタイルを考え、自分の考えで最も理に適った乗り方を考えて、その考えを満たす固有の数値を計り、それをベースにスケルトンの数値を算出する事なのである。こうやって見出した数値こそが、サイクリストオリエンテッドな数値であり、それが思い通りに実現出来るのが工房的ビルダーによるバイクの真骨頂である。

 バイクが最高のモノになるには、そのサイクリストオリエンテッドな数値が、ライディングの理屈に完全に適合し間違いの無い論理から出される必要があるけど、実は、その部分が最も重要で手に入りづらいものでもあるのだ。これこそが金で買えない知識であり、自分が経験を積む事で、見付けていく真実であるのだ。

 因みに、自分は自分で考え出した、スケルトン数値の決め方を持っているが、その数値に近いフレームっていうのは、殆どがビルダー系のフレームの場合が多い。次いで、国産メーカーのモノ。一番理想から離れているのが新興ブランドのフレームだ。勿論、新興ブランドのフレームで各部の調整範囲によって取り敢えず納得出来る形は作れるけど、その場合は、妥協点が結構残ったりする。妥協が少ないのが国内品の事が多い。

 取り敢えず、自分の場合は昔から、フレームを見ると大体そのバイクが自分好みかどうか?が直ぐ判るのである。グッと来るバイクは、各部の寸法を計測すると、グッと来るスケルトンを持っている。ただ、このサイクリストオリエンテッドなスケルトン数値の計算は、四則計算と三角関数だけで求まる数値である。結構、小さな寸法、例えば、ステム長、クランク長もmm単位で計算出来たりするのである。こういう事を考えながら乗ると、そういう考えがまとまるのも自転車の楽しさなんである。

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2008年10月17日 (金)

時代の転換期

 今回の金融変動(敢えて危機とは言わない)は、或る意味では危機、不景気感を感じさせるものだけど、今の状態っていうのは将来訪れるであろう大変革の序章に過ぎない感じを受ける。

 バブル景気以降、経済における支配要因は、金融ビジネスとなっているようだけど、本来の経済活動は、金融の対象となるべく物が存在しなければならないもの。
 物の絶対的価値というか本質は時代が変わったとしても、本来は不変のものだけど、今は物の本質以外で価値が変動するのが当然という認識である。物の価値というのは絶対的な価値に加え、相対的な価値で価値の合計が決まるような物だろうけど、近年は相対的な価値のみで評価が決まるような不可思議な世界である。価値を引っくるめての評価が対価、金額であり、その影響度は絶対価値はとても小さくなっており、そんな考え方が、世の中における拝金志向、マネーゲーム、金額でしか判断できない力、理系離れ、金融業界人気を生んでいるとも言える。

 しかし、物の価値を決める相対性が超不安定になったときに不変な部分というのは、実は、物の絶対的な本質的な物であり、その物の本質を武器に相対性を付与して価値を高めるという考え方に回帰するのでは無いだろうか?

 元来、日本には売るモノが無い国であり、そんな国で生活を成立させるには、誰もが小学校時代に習った加工貿易に依存するしか無いのである。無いモノを海外から調達するというのが絶対であり、そのためには、海外で無いモノを供給するという相対的な立ち位置を確保するのが絶対なのでは無いだろうか?

 現在、株価は低迷し、円高傾向で推移しているが、そこで感じる不景気感に対して公的資金の強制注入を行う程に、旧来の体制を維持する事に労を費やすだけになり、将来へのツケを増大させ結局は景気を低迷させるというスパイラルに陥るように見えるのだ。
 今迄のツケは全員で払うのが前提であり、不景気による恐慌を覚悟の上で、旧来の経済政策には封印する事が大事かもしれない。

 自分の考える理想は、為替が仮に50円/$になっても売れて、尚かつ新興国家では調達不可能な製品を生み出す産業を育成することで、強い円を以て、必要なモノを海外から調達する力を身に付ける事のように思うところ。
 勿論、簡単には出来ないだろうが、少なくとも、そういう方向に進まなければ、資源の無い日本に存在価値は認められないのでは無いだろうか?旧来の円安で輸出産業が支えるという構造では、産業自体が価格競争力のみに頼っている事の裏返しであり、それでは、新興諸国の製品に対しジリ貧で負けるのは目に見えている。旧来システムで戦うには相対的に人件費を抑えざるを得なくなるために、労働者の暮らしは少なくとも新興諸国の人々以上に貧しい物とならざるを得ないのでは無いだろうか?

 何もない日本では重要なのは教育であり、それで生まれた技術力しかない筈だ。そういう思想が支配的だった時代に向けた転換点が今の時代かもしれない。

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成長期を過ぎたら細胞数は不変。だから、、、、

 人間の身体の細胞数は成体となると一定の数値に留まる。でも、見た目が大きくなったり、小さくなったりし、体重も増えたり減ったりする。
 この変化は何によってもたらされるか?っていうと、これは細胞一個の大きさの変化によってもたらされるモノである。成長後の細胞数は減少する事はあっても、増加する事は無いのである。これは、脳、神経、筋肉、脂肪・・・・全てにおいて言える事である。

 しかし、人間の細胞は成体が出来上がる迄に細胞分裂を繰り返し、数を増大させるのも真実である。成体が出来上がるまでっていうのは、成長期であり、成長期においては、細胞の数も増加するのも真実である。

 この原則に従うと、例えば、太りやすい体質とか、筋力を高めやすい体質っていうのは、実は体質ではなく、成長段階において増大した細胞数の差が支配的な要因と考える事が出来る。
 だから、ダイエットしやすい人っていうのは、本来的に脂肪細胞数が少ない人であり、スポーツする上で筋力強化出来やすい人っていうのは、当該部位の筋肉組織を作る細胞数が多い人という事になるんだろう。

 脂肪細胞の多少っていうのは、殆ど幼児期迄で決まってしまうと言われ、親の子への食育の仕方次第ということになろう。
 筋肉組織を作る細胞の多少は、成長期における運動経験の有無によって決まると言って過言では無いだろう。

 だから、幼児期によく食い、あんまり動かない屋内系遊びで幼少期を過ごした大人が、生活習慣病に苛まれる年代になってダイエット目的に運動をしたり、その運動でパフォーマンスを求めたりすると、それは幼少期に運動経験を積み重ねた人とは歴然とする差に愕然とするだろう。

 自分のダイエット経過と筋トレ経過から体型の変化を振り返ってみると、幼児期においては肥満体型期が全くなくガリガリ小僧だったのがダイエットを簡単に行えた事に大きく効いているだろうし、筋トレでは、比較的軽負荷の下半身トレーニングだけでも下半身の筋肉は現役時代並の太さと筋力を取り戻せた反面、あんまり覚えがない強化した覚えの無い上半身は、大きな負荷を長い年月の間繰り返した割には、大した太さにも筋力にもなっていないのが判る。成長期においては実家が標高120m程度の団地住まいで殆ど毎日自転車で上り下りして、7歳~20歳迄を専門種目を平泳ぎとした競泳を行ってきたが、その結果が今に影響しているんだろうと思う。

 そして、どんなジャンルの活動であれ、その活動を成長期に行えば、その活動に必要な情報伝達を司る神経ネットワークが生まれるのも、そういう成長期以前における経験が左右するものだろうと思う。例えば、野球を部活で行ってきたような人は、大人になっても投げ方一つでも未経験者とは違うけど、身体の使い方、即ち、組織細胞を統制する神経ネットワークが完成しているからだと言える訳であり、体内組織を制御する神経ネットワーク自体も成長期迄に作り上げたか否かが、オッサン化して以降におけるカムバック段階での上達速度に影響しそうでもある。
 成長期において物事の考え方を展開する思考や、或いは、熟練度が絶対的に必要なスポーツの経験を積むっていうのは、後の人生における充実感に大きな差異を与えるんだなぁ、、、としみじみ思うのである。あんまり生意気を言うつもりは無いが、昨今の健康ブーム、ダイエットブームで注目を浴びている水泳、自転車があるけれど、なかなか長続きしない人が多いのも事実だが、その長続きしない理由が、掛ける努力に報う成果が得られない部分があろうが、そういう経験を過去にしていなければ、なかなか難しいのかなぁ?と思うところである。

 あとは、細胞数の変化を考えると、成長期に向かい増加し、成長後は保持されていても、老衰過程においては減少するものだろう。個人によって細胞数は異なっているだろうけど、それは成長期における過ごし方の差が結構効いている筈で、その個人で持ち得る細胞を失わないようにするには、やはり、細胞を使うような習慣を持つことだろう。少なくとも、細胞減の始まる時期迄には細胞を動かす何か?を見つけることが大事である。そして、その何か?っていうのは、恐らく、作り上げた細胞を作り上げた方法(分野、学問、スポーツ、趣味)を再度行うっていうのは、個人にとって最も合理的かつ具合が良いのであろうとも言える。

 幼児期、成長期で身体を作り上げる過程で取り組んだ術を、やはり、身体の衰退を防止する過程においても続けるっていうのは、何だか、自然の摂理的でもあるし、無理や無駄がない合理性をも伴っているように見えるのは自分だけだろうか?

 そう思うと、将来において楽しく過ごせる可能性を持っている今現在がヤバイ人っていうのは、未だ若い二十歳未満でインドア系趣味、帰宅部、オタクって言われている人達だろう。痩せてる人も肥えてる人もいるかもしれないが、20年後の自分が何かをしようとした時に報われる効果を得るための準備として、二十歳未満ならば部活的な運動を行ったりする事を奨めたくなるのであった。

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ミラーダイエット!?

 10/15の復活の日って番組で、大仁田さんが提唱するダイエットが表題のミラーダイエットなんだそうだ。
 その方法は、

1.敢えてしんどい運動は行わない。
2.昼食には自分の好きなメニューをガッツリ食べる。
3.減らしたい贅肉部位を鏡に映して眺め、ウットリする!?

 って方法らしい。詳しく見なかったけど、過去に前例の無いダイエット法に見えるのは確か。
 基本は自己暗示ダイエットらしく、自己暗示かけると、脳からある種?のホルモンが分泌されて効果が促されるという。

 一番の問題は、このダイエット法を心から信じられるか?が大事みたいである。少なくとも疑心暗鬼では自己暗示に掛からないのは間違いない。

 簡単なようで、この疑心暗鬼を取り除くって部分が最大の難敵のようだ。

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15周年!中央森林公園

 木曜日の朝刊に、中央森林公園開園15周年の一面広告が掲載されていた。開園は1993年10月で、1994年にはアジア大会の自転車競技も開催されている。

 この公園は広島空港を一周するサイクリングコースが整備されており、1周回が12.3kmということ。このコースを健脚コースといい、競技者クラスでは1周回を19分程度でラップするという。

このコースの紹介記事は、

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2007/11/post_44cc.html

にも掲載したし、この公園のサイトは、

http://www.chuo-shinrin-koen.or.jp/

である。このコースの基本スペックは

・周回距離:12.3km
・高低差:  110m
・累積標高:244m
・上り勾配:最大12%
・下り勾配:最大10%

となっているが、昨今の自転車ブームによって訪れる人が近年は増加傾向にあるらしい。

 この公園は入った事がない人は一度行ってみると楽しいかも知れない。自然の中で絶対に自動車が入ってこないコースをサイクリングするっていうのは結構楽しいものである。まぁ、純粋にサイクリングっていうと距離的には物足りないのも事実であり、家族を連れての年に一度程度のレジャーとして!ってノリがベストかもしれない。

 勿論、公園の近隣地域に居住している人にとっては暇を見て走れるという状況だろうから、そういう人にとっては丁度良いトレーニングコースというかホームコースとしても重宝なモノかもしれない。しかし、近隣とは言え、高速道路を利用して一日がかりで出掛けて利用するという立場では、一度走った事があれば、そこを目的に利用するか?っていうと腰が重くなりがちである。っていうか、そのような場所を利用するには、相応の目的が無いと足が向かないのがホンネだったりする。

 これは、自転車に限らず、単車でも、水泳でも言えることだけど、トレーニングという目的で場所を選ぶ時には、その場所の自分にとっての利便性が最重要だったりするからだ。
 やはり、1日の時間を潰して初めて利用可能って状況では、一寸した隙間に利用することも難しいし、利用できる頻度が絶対的に少ないって要素が効いてくるのである。
 だから、自分にとっては、自宅から10分程でコースインできる太田川沿いの周回コースであり、片道で12km程度のコースがベストかなぁ?と思うのである。

 利用頻度が限られる専用のコースと、何時でも気が向いたら即走れる場所とを比較すると後者の方が自分にとっては遙かに有用だったりするのである。っていうのも、水泳にしろ、単車にしろ、何にしろだが、なるべくイコールコンディションで同じ事を果てしなく繰り返している時に何かに気付く事が多いという体験からの判断だが、同じ場所で、同じように、高い頻度で繰り返すからこそ、浮かび上がってくる僅かな違いに気付くって要素が多いし、その偶然に現れる僅かな違いの積み重ねが確信に変わるからであり、僅かな違いに気付くには、それ以外の部分では条件が変わらない方が効果的でもあるからだ。
 単車で峠を走るにしてもそうだ。同じ場所を繰り返し走る事で見えてくるものがある。見えてきたモノが確信に変わり理解出来たところで、初めて、あらゆる状況で実践できるものだが、その切っ掛けを掴むには、馴染んだ場所っていうのが一番具合が良いのである。
 これは人によって目的が違うから一概には言えないが、タイムがどうの、速度がどうのは実は関心の対象外であり、関心の対象は、瞬間瞬間に感じる疑問を紐解く事であり、何をどうしたら、どう変化するという因果関係を普通では気付かない領域迄見抜けるようになる事が関心の対象となっているからである。重要なのは、色んな疑問を理解する理解力を養う事なのだ。

 水泳でも泳法の違いによる身体の進み具合を五感で感じるには、いつもの場所の方が判りやすい。毎回違う場所で泳いでいたら、その瞬間に感じる違いが何によるものか?が見えにくい。単車におけるコーナーリングアプローチでも然りだ、いつもの場所を何時も通りに走れるか?感覚の違いは、基準があるからこそ見えるものである。その違いを試すのも基準があるから違いを実践出来るというのもある訳だ。

 だから、自転車でも然りなのだ、滅多に行けない専用コースでの周回ラップで一喜一憂するのは、ハッキリ言って何も見えていないのと同じであり、そんな事よりも、瞬間瞬間で、何をどう変えたら、次にどんな影響が出るか?どんな効果を得るか?を感じるためには、もっと小さな部分をじっくりと見つめないと判らない。そうやって掴んだ何かで変化を感じた時に、その効果を利用するために別のステージを利用する方が多かったりする。そんな感じで、利用頻度が確保できないステージを利用する事が多い。

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80年代初頭自転車少年的ブランドインプレッション

 1980年といえば、昭和55年である。自分が自転車少年だった中学高校生の頃の話。なお、オートバイに開眼したのが中学二年の頃であり、1980年代初頭といっても自転車が主だった時代は、1977~1982年の頃の話。単車で競技活動開始したのが1981年からだから、完全に自転車がメインというのは実は1970年代末期とも言う。そうは言っても、トラックとかロードとかを部活を通して行っていたり、スポーツサイクルショップで引き続きバイトを行っていたのが1984年迄あり、この間は、ショップ勤めや部活の関連で自転車業界の話しは結構聞いていた。

 1984年の暮れに大腿骨の粉砕骨折によって二度と脚が曲がらないと宣告されてからは自転車は完全にフェードアウト。責めて正座したい!階段歩きたい!脚が曲がりロードスポーツモーターサイクル程度には乗りたい!とリハビリをしたのが1985年春の事だ。介護士のリハビリメニューを無視して自家製特性メニューの強引なリハビリの努力の甲斐あって膝関節が骨折前の状況に戻ったのが1985年7月、勿論、脚にはステンレスプレートとボルトが入った状態であり、既にピストバイクで240rpm程もブン回す走りは出来ないと思っていたし、試しもしなかった。1985年8月には、手持ちの自転車(ズノーフレーム+オールカンパレコード、531パイプで組んだユーレー+TAのスポルティーフ、ワンダーフォーゲルのパスハンター、ARAYAのBMX、三連勝のピスト等)は、自動二輪車購入の軍資金のために全て売却した。

 1985年8月からは、それまでメインだったトライアルを辞めてオンロードバイクでのスポーツ走行とかタイヤメーカーが主催のアマチュアレース、MCFAJ等のレース活動にも参加。しかし、大腿骨に組み込まれた特性!ステンレスプレートの事を思うと200km/h近辺で競技する事の恐さを実感し、1986年頃からはロードレースよりもジムカーナ、トライカーナに以降して、そっち方面で活動。勿論、脚に異物が入っている事自体がモータースポーツにはミスマッチなんで1986年の3月には摘出手術を受けた。1987年からは進学、就職活動、研究等のために実競技はパスして、1990年頃にはモータースポーツとは完全に離れた。その後、就職後は再び馴染みのショップでメカニックサポートを行ったりして過ごし、1996年頃まで活動ってパターン。1985年からの10年間は自転車の事なんぞ頭に全く無い状態で、単車一色の時代。

 そんな訳で、自転車は1984年を最後に遠ざかっていたけど、単車競技生活、それとは別に小学校から行っていた部活としての水泳等は継続していたし、1993年頃から乗ってセッティングを出すメカニック的な活動もあって身体を維持するという意味で筋トレ系は引き続き行っていたため、体力的な衰えはそれ程でも無く過ごせたのはラッキー。その後、自転車に復帰したのがつい最近の2006年の事である。

 そんな1980年的価値観で停まった元自転車少年から見た現在も持っているブランドイメージは、、、、、

1.自転車エンスージアスト
 知識と経験を相当長く持ち、スポーツサイクルの歴史とか伝統も重んじる大人の選択に見合うバイク、、、、、、新興ブランドでは有り得ない。一種の銀塩カメラマニアとも通ずるもので、この人達の嗜好は、トップバリューでデローザ、コルナゴ、チネリっと処だろうか?やはり、ロードバイクの王道はイタリアンロードレーサーである。チョット落ちて、ピナレロ、更に落ちてビアンキってところか?アンチイタリアンな人からはフレンチバイク、或いはUK製バイクも有りって形で、ジタン、プジョー、ラーレー等も有りかも、、、共通はヨーロピアンブランドって事。

2.自転車で競技志向
 カメラマニアというよりも実際に乗って云々の世界で名より実を取る選択。金が在れば、東叡、それ以外なら、小林、ナカガワ、ZUNOW、三連勝、マキノ、アマンダ、バラモン、ケルビム、イリベ、ナガサワ、、、ロード生粋のビルダーというよりもピストバイクビルダーが提供するものだろう。そういうのはチョット高価過ぎるということで、我々(当時気分で)高校、大学生での部活人としては、BS、ナショナル、片倉って所が信頼の厚いブランドってところ。言えるのは国産ブランドって所。

3.ブーム便乗スペックマニア
 自転車って歴史的競技において歴史が無いけどスペックが賑やかなモデル。最近多い新興ブランドがその典型だが、新興ブランドはロード発祥のイタリアでなく殆どがアメリカブランド、つまりはMTBを発祥とし、その後のトライアスロンバイクメーカーが作ったロードバイクが該当する。最近シェアを拡大しているTREK、FELT、GIANT、キャノンデール、スペシャライズド、LOOK等の高級車で、今ならカーボンフレームに派手な塗色なバイク。アメリカンブランドだが、台湾産が多いって感じ。

 走ってる自転車を見て思うのは、多分、昔からの自転車好きの選択肢に3.の選択は有り得ないか?って思うところ。そして、この人結構凄そ!って思うのは100%が2.の選択の場合。1.の場合は、年輩の人は古めのヨーロピアン、若年系の場合は結構オサレ系か?って印象。1.と3.を比較すると、1.がオサレ、3.がオタクって印象だ。
 実際に乗り手と遭遇する場合、挑発行動に出るバイクは99%が3.の選択をしているのが興味深いところ。そんな訳もあって、自分的には3.の選択は未来永劫有り得ない。

 これらのブランドを比較すると、スケルトンが結構違う。2.のタイプは独特なスケルトンだが、これは日本人体型に合わせた結果かな?と思う。1.と3.を比較すると、3.のバイクは全体的に間延びした印象であり、生粋のロードバイクというよりも直進性重視って感じにも見えるし、全体的にスローピングで低い割に長い感じ。やはり、ロードバイクかもしれないがロードレーサー的ではないように見える。

 乗り手に思う印象は、モノと人には釣り合いというかバランスが確実に存在するけど、その釣り合いが取れなければイケテナイって思うのは、自転車を競技機材として思うからかもしれない。機材が使い手を大きく上回る組み合わせっていうのは、未熟者が高級道具ってアンバランスな印象だが、そういう違和感を感じる人は、本来、そういう選び方をしないとも思うけど、そういう違和感に鈍感な人っていうか、自転車を競技機材とは異なる鉄道模型的な印象で収集物的に選ぶ人も確実に居る。機材としての適性を超越して製品としての高級さを求めて選択する人の多くは、3.の選択をしているようにも思う。
 まぁ、ブランド的には3.は新興メーカーであり、新興メーカーのアピールとしては伝統的要素が無い分、煌びやかなスペックを飾り立てる傾向(例えば、価格帯の割にグレードの高いコンポであったり、或いは、おまじない言葉のようなカーボン等新素材だったり)が強く、それに惹かれる人を取り込んで商売として成立させるという感じである。
 しかし、最近のブームでのCM戦略(実際、飾り言葉で修飾しやすい装備を持っているのも新興メーカー製だし、、、)のせいか、TREKなんて新興メーカーが高級バイク扱いとなっているのは、チョット変な感じもする。カーボン新素材に高級コンポ、ここ数年のレースで活躍しているから一流ブランド?歴史が無いのは、例えばF1ならマクラーレンとかフェラーリでなく、ベネトンみたいなモン?って感じである。伝統競技であるサイクルロードレース用機材としては、やはり伝統が無ければホントのブランドには為らん気がする。

 思うに、自転車っていうのは、そのスケルトンが最重要でありコンポグレードとか材質よりも遙かに重要だが、そのスケルトンや工作に希望が出せるのは上でいうと2.の選択しか有り得ない訳であり、そういうリクエストが出せる人にとっては、2.の選択が全てに勝るとも言える。仮にセミオーダーであっても日本製バイクのスケルトンは日本人向けなのは間違い無い訳で、海外ブランドは如何に高額であっても所詮は外人向けの既成品でしかないとも思うのである。

 とまぁ、そんな印象を持っている。しかし、こういう印象っていうのは、あくまでも1980年的な発想なんだろうと思う。

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2008年10月16日 (木)

市場は本来コントロール出来ないか?

 日本時間で10/15の夜から開いたアメリカ市場。ダウ平均は前日とは打って変わって再度急落で9000ドルを割り込んだ。この株価の適正値は算定しようも無いが、今後は8000ドルを割りそうな雰囲気だけは感じられた。
 その後、未明に掛けて円高も進行し、再度99円/ドル迄進んでいる。

 ホントは10/17の午前零時に更新掲載する予定の記事だったけど、10/16の朝の東証株価もいきなり9000円割れ、、、、ってニュースなんで繰り上げ掲載する事にした。

 昨晩の日経BPのニュースでもマンション等不動産の売れ行きがバブル崩壊時のレベル迄落ち込んでいるとか、ベンチャー支援の新興市場における株式上場も停滞気味で、その株式市場における資金調達は現実的に不可能との判断が市場から為されている等のニュースが飛び交っていたけど、ここ数年のブッシュ政権追随の日本の構造改革ってモノが格差拡大を生んで、一握りの富裕層と大多数の貧困層というピラミッド構造を更に極端にした結果が今を生んでいるって話し。
 ここ数年の金融拡大は、富裕層が貧困層をネタにした金儲け行動の結果であり、それが疲弊した結果だろうとも言われているようだ。

 何にしろ、金利とか金融とかが主体となった経済活動っていうのは、本来的に中身を伴っていないと思う。金融っていうのは、実際の生産活動に対する潤滑油のようなモノであり、それ自体では意味のないものだと言えるが、その潤滑油が全てを支配するようなボリュームに拡大したのが現代とも言える訳で、その実体活動が要求する金融機能の何倍にも拡大した影響力が今の不安定さを呼んでいるとも言える。

 各国が協調して金融システムの安定化を図るなんて言ってるけど、所詮、ドル資金の供給、破綻防止のための公的資金注入、預金保護ってレベルであり、その行為自体が自由の経済活動によって生じるツケを公的管理によって払うという矛盾を生んでおり、そのツケの代償を最終的にどう処理するか?を見ると、何も期待出来ない気もする。っていうか、代償は次の世代が払うだけであり、今、そういう策を講じる程に将来が暗くなるということで、市場の未来に対するモチベーションが加速度的に失われていくようにも見える。
 株価相場っていうのは、元来、未来への期待度も含まれており、金融システム安定化の措置自体が未来を失うって矛盾を市場は見抜いているようにも見える。

 社会の疲弊による崩壊は、社会全体で等しく受け持つべきであり、そのためにはリスクは、利益を享受した量に相応して払えば良いのが大原則である。そう、一度膨張した組織は、膨張という利益を享受した分、崩壊すれば良いのであり、公的資金注入などせずに、崩壊破綻させて市場に学習させる方が遙かに健全とも言えるのである。
 みんなで一度地獄を見れば良いのでは無いだろうか?天国から地獄への落差は、天国に昇りきった人程多いのは自然の成り行きで、それも良かろうとと思うのである。

 アメリカ経済は完全に壊す。或いは、日本の保護政策で維持された業績で潤っている企業も、実力相応迄衰退すれば良いとも思うのである。

 日本の企業、日本の生活の本来の姿は、多分、昭和30年代後半~40年代のオイルショック迄程度かな?とも思うのは、自分だけだろうか?全ての産業がそれなりに存在し、各産業に従事した人が、それなりに苦労しながらも生活する。こういうのが自然とも思うのである。
 金融操作によって財を成す事が可能となっプレバブルの昭和58、59年以降の倫理観、価値観自体が違和感アリアリなのである。所詮、資源を持たない国では、技術力によって加工した製品で外貨を得るしか無い訳であり、その技術力は絶対的に世界で優位に立たなければ成立しないというのが宿命であり、そう言う意味では、教育こそが日本経済再生の推進力でもある訳だ。教育が教育として機能して、物作りこそ正義という価値観が支配していたのは、昭和40年代迄の話し。その考えに戻さずして健全性は取り戻せないだろう。

 今の金額のみで物事を推し量る習慣を捨てる時期が来ているようにも思う。

 極論すれば、能力の無い人間?は全て貧乏で良いのでは無いだろうか?各人の今の境遇は、間違いなく、個人の責任が最も大きい筈でもある。能力以上の暮らしをしている人全てがどん底に落ちるのは自然であり、それも良いかなぁ?と思うところ。
 勿論、自分の暮らしも破綻して路上生活者に陥るかもしれないが、それはそれで仕方ないか?と、悟っている部分が在ったりするのである。

 今の株価暴落を嘆く人も居るけど、今の株価を作り上げた虚構の数年間のツケが廻ってきただけで、そのツケを払うのは、この数年間で生んだ利益以上となるのは当然の理とも言うのである。

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実体経済って、何が実体?

 先週、株価反転するだろうって記事を書いて、火曜日の午前零時にアップしたけど、今週に入って、世界各国に限らず、日本でも株価急落から反転し、史上最高の上げ幅を記録した市場もある。
 しかし、これで金融危機が回避されたか?っていうと、必ずしもそうではないように思う。少なくとも市場を循環する資金を強制的に増大させる。更には、破綻しそうな金融機関に公的資金を注入する。ってのは、結局は必要以上の資金供給を意味する訳であり、この次がどうなるか?がとても興味深いものである。

 今回の世界各国での株価急落を以て実体経済から乖離しすぎた現状を危惧する声を聞くけど、何を正とするかで判断が変わるものだろう。今現在、サブプライムローン問題に端を発した危機という表現があるけど、その危機が表面化する前のイケイケの空気における株価が実体を反映しているのか?或いは、そういうローン商品が売れている状況における市場の動向が実体に即しているか?っていうと、狂乱状態こそが実体を伴わない状況であり、その状況こそがバブルと表現されるものでは無いか?と思うのである。

 案外、危機的な数値こそが実体を示したモノであり、夢の狂乱状態こそがバブルっていう認識を過去のバブル崩壊を経験したにも拘わらず忘れているようにさえ見えるのである。
 危機的な状況に陥る事に、公的資金注入という大鉈を振るい、景気下支えという大義の下に税金を使うって構造は、どうにも納得出来ない気もするところ。

 今回のドル供給を協調して行うという合意は、一時的には株価が支えられるだろうけど、長期的には間違いなく円高に進行していくだろうと思う。その状況で日本が耐えられるか?これが興味深いところだ。

 ところで、経済の実態を株価は表しているか?というと、株価っていうのは上場企業の株式価格相場であるけど、世の中の企業の大多数が上場していない会社だったりするし、消費を引っ張る消費者の多くも、やはり株価に対して、間接的な影響を及ぼしている。

 株価っていうのは、上場企業の業績に加え、企業収益を左右する上場企業以外の消費意欲に左右される訳であり、株価による経済評価は、適切とは限らないが、上場企業と、それ以外の要素の混合的な評価といっても良い。
 つまり、上場企業の業績が比較的好調でありながら、株価が下落するっていうのは、原則的に上場企業外、つまり中小企業、消費者の景気実態が相当に悪化している事に他ならない訳であり、今の株価が実体経済を表していないという大臣の発言は、株価=上場企業の業績という弱者に向ける視線が欠落した故の発言にも聞こえるのである。

 そして、弱者側の破綻に対しては間接的な救済に限られるのに、何故だか、上場企業、金融機関の破綻に対しては直接的な税金投入等が為されるのは、やはり一種のモラルハザードを感じざるを得ないのである。

 少なくとも、水曜日の株価推移からみても、アメリカの25兆円にも上る資金投入が明らかになっても反発力は限定的であり、経済実態は、経済学者や政府、官僚が思う以上に悪化しているようにも見えるのである。しかし、アメリカ経済の凋落は、アメリカの産業の衰退、今回の公的資金注入、過去最高の財政赤字からも明らかなように、その影響は、サブプライムショック以上の波となって日本に押し寄せてくるだろう。

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風呂用玩具で大怪我!?回収

 今朝のニュースで目を引いたのが『メルちゃんのバスタブセット』で遊んだ幼児が風呂で転倒した際に、玩具の支柱が下腹部に突き刺さり大怪我を負う事故が二件発生し、問題を重く見た結果、事故の公表と玩具の回収を行うというニュース。

Mel_bath_2

 なるほど!幼児用玩具には相当の安全性が求められるので適切な対応だ!ってこと。

 確かに、危ないと言えば危ない気もする。特に幼児向けのオモチャ故に、、、、、って気もするのは確か。

 状況は理解できなくもないけど、それを言ったら遊ぶモノも無くなってしまう気がしないでもない。幼児用玩具には対象年齢が記載されているが、対象年齢が高い子供のオモチャには、アクアビーズ、ビーズアクセサリー等があるけど、兄弟のいる家庭では、そういうオモチャに低年齢の弟、妹がふれあう場合も少なくないし、例えば、ダイキャストのミニカーなんかでも転けた時にあれば、下手すれば怪我するし、、、、

 一寸違うかも知れないが、蒟蒻畑事件と同じような感じがしないでもない。

 今回は、回収後に危険箇所を安全に改良した対策品に無償交換するということで、リリースされているようだ。

http://www.mellchan.com/info081014.html

 しかし、これからはこんな状況が色んな場面で見られるかも知れない。

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飲酒リスクに脳縮小?

 喫煙リスクで肺気腫、肺ガンの発生率アップって話は有名な話だが、飲酒習慣にもリスクがあって、飲酒リスクで新たに判った事が脳容積の減少率が飲酒習慣によって左右されるという報告だ。
 加齢による脳容積の減少は、生涯にわたり酒を飲まなかった人が最も少なく、過去に飲酒して今は飲まない人、適度な飲酒をする人、過度な飲酒に溺れる人の順に脳容積の減少率がアップするそうだ。

 脳といえば、持っている脳細胞の10%以下しか使わないと言う一方で、アルツハイマー症では脳の萎縮が少しでも確認されれば症状を発症するとかの話も聞く。
 となると、脳容積の減少も僅かなら気にする必要もないとは言い切れない恐さもある。

 アルコール(R-OH)は分解されると、アセトアルデヒドに分解される。このアルデヒドは強い毒性を持っており、これが増えると酔った症状となる訳で、このアルデヒドの脱水素酵素を持つ人が酔いに強い人とも言われている訳だが、アルコールを摂取すると血中アルデヒド濃度が高くなるのは事実であり、この毒物の影響として脳の萎縮にも影響するのだろうか?
 因みにアルデヒドの過剰蓄積は、細胞の癌化にも作用する事が知られている。アルデヒドは肺から呼気として咽頭を通り、咽頭粘膜細胞を癌化させる。他にもアルデヒドは食道粘膜を痛め、食道ガンが発症させる事も知られている。

 まぁ、あんまり書くと気分が悪くなるからNGだけど、酒も煙草もホントは辞めるのが一番なのかもしれない。

 ところで、脳が萎縮するとか、容積が減少するとか言っても、実際、酒飲みで煙草吸いでも強烈に頭の回転が速い人、驚きの発想を生み出す人は沢山いるのも事実だし、煙草も酒もやらないでも、言葉の脈絡の読めない人、驚くほどに鈍い人が居るのも事実。脳の萎縮とか言うと、頭が悪くなるとかの印象を持ちかねないけど、実際は、頭の善し悪し、知能の高い低いに影響が出るのでなく、日常行動で無意識な動作で脳が司る部分が機能低下するんだろう。一瞬の記憶のパージとか、ど忘れとか、、、そんな部分でジワジワと影響が出てくるんだろう。

 何にしろ、体細胞は脳に限らず積極的に活動させるというのが退化防止に最高の妙薬となる訳であり、脳細胞を活性化させるような行動を心掛ければ、仮に脳が萎縮したとしてもその影響は少なくなるようにも思う。実際、脳が萎縮して観察した診断ではアルツハイマーと言われてもおかしくない人が行動検査ではアルツハイマー症の症候は一切現れていない症例も実際に在る訳で、ガンガンに頭を使うっていうのが一番大事なんであろう。

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固定シングルって言っても、、、、

 メインサイトの記事を久々更新すると、特にラングスターの記事のアクセス数が急激にアップしている。他の記事とは較べ物にならない程の方に読まれている様子。
 このブログ、メインサイトの双方共、検索キーワードには、固定シングルのギア比、乗り方、速さ、、、、って語句で検索に訪れる方が多い。ピストバイク関連、次いで、小径車関連で特に走行性能に好奇心を持ってネットサーフィンされている方が多いようだ。

 世の中のトレンドでは、ピスト、小径、折り畳み、ロードバイクってところが注目度の高いジャンルのようであり、やはり自転車という走る乗り物故に、速さっていうのが多くの人にとって高い関心を集めているようだ。

 でも、このようなジャンル分けはタイヤサイズの大小、フレームが折れるか否か程度の分け方であって、単車や自動車みたいにジャンル分けすると全く性能が異なるか?っていうと、案外そうでもないのが現実である。
 多くの人が拘っている速さってファクターに最も影響度が高い要素っていうのは、乗り物に関して言えば、動力源に尽きるのである。
 単車や自動車の場合、見た目普通でも強力なエンジンを搭載すれば羊の皮を被った狼的な扱いとなる。そんなもんである。

 しかし、自転車の場合は、ジャンルの違いは、単車や自動車の場合でいうとシャーシの違い程度に過ぎないのが現実。シャーシの違いっていうのは動力を持つ乗り物の場合は、操縦性に大きな影響を及ぼすけど、自転車に操縦性っていうのは、単車や自動車程に明確な差異は出ないモノ。これは原則的に操縦性=旋回時の安定性であり、その旋回動作時に駆動力が掛ける事が出来るか否かで、決まってくるモノで仕方ないモノである。

 そんな自転車のシャーシっていうのは、操縦性よりも動力の取り出しやすさに力点を置いたモノで、取り出し元が人体という制約から、突拍子も無い形に突き抜ける事もまた、有り得ないのであうr。

 よって、自転車のシャーシの違い=漕ぎやすさの違い程度のモノであり、結局はポジション云々というレベルではないか?と思ってしまうのである。ならば、ポジション自体が単車のアメリカンとレプリカ程の違いが生まれるものでも無い訳であり、どんな自転車でも乗り手が欲しい出力に見合ったポジションを与える事自体はそれ程難しくないのである。

 そう考えれば、乗り手が走りたい走り方に応じたフォームがつくれるようなポジションを作れば、車型ジャンルによる性能差は殆ど無くなってしまうのでは無いだろうか?

 ピストだろうが、ロードだろうが、小径だろうが、、、、結局、乗り手が走りたい走り方に見合ったポジションとギア比を与えれば、何も変わらないって結論になる。そんなもんである。

 よくある検索ワードには、小径車の最高速?ピストのギア比?ロードの最高速?最適なケイデンス?って言葉を見かけるが、これを纏めると、ジャンルの!って区分け自体がナンセンスであり、『あなた』の乗った自転車の最高速、ギア比、ケイデンス、乗り方って事になるのである。その結果は、『あなた』の身体能力と知識によって決まる。で、結果の高め方は、身体と知識を向上させる以外ないのである。今の限界を上回るには、今の限界を決めている個人の律速因子を取り除く以外に無い訳であり、その問題は固有のモノであり、誰に聞いても判らないものなのである。そんなモノである。

 まぁ、言えるのは、シビアな乗り物程、それを引き出す上で必要な経験と身体能力がシビアに問われるってことだろう。これこそが、乗り手と乗り物の釣り合いという事だろう。モノに対する畏敬の念を持つ奴ほど、モノの意味が本当の意味で判っていると言える。案外、そういう人の方が目的に対して近道が選べる事が出来そう。モノに対して畏敬の念が涌かず、一番イイ道具がベスト!って短絡性が強い日とっていうのは、自分の問題を自分で解決する事が出来無そうに見えるところである。

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2008年10月15日 (水)

夜泣き

 連休最終日の月曜深夜、下の子の夜泣きにやられた、、、、。
 夜泣きっていうと、何やら外出して思いっきり遊ばせた時になるようだ。通常は夜泣きは無いのだけど、屋外で大遊びしたら、大抵は夜泣きする。

 夜泣きの原因には様々な説があるけど、我が家の場合は、日常生活行動とパターンが異なった時の様子。楽しかろうが、楽しくなかろうが、生活のリズムが完全に作れていない赤ん坊には、肉体的には何時もと違う生活っていうのは大きなストレスになるのであろうか?

 で、月曜夜の対処は、激しい夜泣きだったんで、一度起こしてみた。すると、超上機嫌でエラク楽しそうに遊んだ後に、そのまま寝付いたのだが、この夜泣きっていうのは結構疲れるもの。父親的には、子供は泣くのが仕事、それ故に、疲れ切る迄放って泣かしておこうか?と思うのだが、嫁的には本能的?にあやしてしまうみたい。

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幼稚園

 上の娘は今が年長組であり、来年からは小学校である。自宅前に幼稚園バスが送迎に来てくれるので大変便利なのだ。そんな娘の幼稚園だけど、通園の手間、人数等々を考えて今の幼稚園を選んだのだが、一寸自宅から離れている(バス送迎が前提な程)し、幼稚園の所在地の区こそ同じものの、小学校の学区とは全然違うので、近所に同じ幼稚園の子供も居ないのが難点といえば難点。幼稚園は小学校とは異なり、園によって保育時間が異なっており、送迎バスの時刻配分によっては帰宅してから外で遊ぶ時間さえままならないのが想定外の難点だった。

 とは言っても、実は小学校学区には公立幼稚園が少ない。公立幼稚園というと送迎バスが無いので、相当に近くないと通園させるのは難しい。小学校学区に送迎バス付きの幼稚園は?っていうと、自分が通っていた幼稚園が昔は在ったけど、平成10年で閉園されて、全く皆無状態となっている。
 という訳で、学区的には全く違う幼稚園に通わせていたのだが、微妙に人間関係を作るのが上手くなさそうな感じであり、幼稚園時間帯以外でも園児同士で遊ばせる事が出来る環境が必要なのかなぁ?と考えたりもしている。

 それで、最近自分が勝手に行っているのがラングスターTT号での近場の急勾配団地を探すヒルクライム遊びだけど、その団地の路地に紛れて見つけたのが、団地内にある怪しい?幼稚園のような施設。

 この施設は果たして幼稚園なのだろうか?というのが一つ見つかった。

 第一印象は、、、、、何か、どっかの宗教団体か?って感じ。

 名称が、、、、幼児生活団!?その上部組織が、、、広島友の会!?

 やはり、怪しいのか?

 で、ホームページ等も調べてみると、この組織は、私立幼稚園連盟には所属していない様子。勿論、公立幼稚園でも無い、、、、、

 で、更に調べると、、、、

 なんと雑紙『婦人之友』って雑紙の創設者である羽仁もと子さんが始めた幼児教育の場なんだそうだ。
 姉妹組織に、同じく羽仁もと子さんが創設した自由学園幼児生活団って幼稚園も東京にはあるらしい。

 で、更に調べると、悪い事は書いてはいないようだが、最大の欠点は、、、、登園が週に二日っていうのは、チョット微妙である。バンバン揉まれて育つっていうのが願いなだけに、チョイ微妙のようだ。

 やっぱり次の子も上の子と同じ幼稚園通いになりそう、、、、、そんな気がする。

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台風は何処?

 今年も既に10月半ば過ぎ、、、、で、中国地方に影響を及ぼしそうな台風は襲来しないかなぁ?って感じが強くなってきた。
 去年も台風の影響は殆ど無かった。

 台風の影響は?っていうと、一昨年、一昨々年といったところで、2004年の台風ラッシュの頃と比べると様相が全く異なっている。2005年の台風は平年並み、2006年以降は印象に残る台風自体も無い感じである。
 逆に、2007年以降では、ゲリラ豪雨と呼ばれる都市型の集中豪雨が印象的な気象状況だったと言える。

 台風が多発した2004年には台風巨大化、多発傾向は地球温暖化の影響と騒いでいたのが懐かしく感じられるところだが、いくら地球が温暖化しても、日本に襲来する台風が勢力を保ち続ける時期は?っていうと、8月から遅くとも10月迄。11月以降に襲来する台風は近海の水温自体も台風を大型化させる程高温ではないので、それ程心配していない。

 台風がやって来ないっていうのは、災害の心配をしないでも良いって意味では安心だけど、大袈裟でない程度の台風っていうのは、或る程度の襲来が必要な気もする。
 一般に台風一過というと爽やかな晴天が訪れるけど、台風本来の襲来時期である夏の終わりから秋にかけての襲来は、台風の通過によって季節が切り替わるようにも思っていたけど、最近の台風は台風の襲来があっても被害こそあれど、季節が切り替わるようには感じにくいように思うところ。

 過激で無い台風っていうのは、自然に対しても空気の入れ換えに大きな役割を果たしているようにも思う今日この頃である。

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2008年10月14日 (火)

株価急反発

 週末のG7、G20の会合による公的資金注入、或いは、預金者保護、市場へのドル供給強化という流れを受けて休日の日本以外の株価は急反発しており、週末比で5~10%の上昇を見せている。
 但し、ここ数週間で下落した分を取り戻す迄には到っていない模様だが、これはアメリカの政策の具体性が如何ほどか?を見定めるという模様眺めの様相だ。

 と、そんな解説が各局のニュースで流れている。

 そして、今回の各国の方針っていうのは、概ね好意的に受け止められている模様。
 しかし、公的資金注入とか大量の資金供給、ドル供給っていうのは、本当に健全か?っていうと、素人考えでは危機の先送りをしているだけのようにも見える。少なくとも、信用低下に伴う循環資金が減った状態っていっても、実際には資金が滞留しているだけで、そこに循環させるべき資金が供給されるってことは、資金単位あたりの価値が低下する訳で、インフレ方向の圧力、或いは、為替で言えばドル安進行ということにもなるのでは?と考えたりする。

 結局、ツケの先送りで、特に日本から見ると対岸の火事的な傍観者的な立場とも見える中、世界の流れで米国の相対的地位の低下+無用に加速させるドル安の流れで、タイムラグをもったインパクトがやってくるようにも思ったりする。

 さて、どうなるだろうか?

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普通の人?

 学生自転車で多い光景、、、、携帯メールを操作しながらの運転。全く、前見ていない。他には、数台の集団走行の場合は、完全に横向きで数台による三列以上の並列運転!最悪である。
 自歩道を歩く老人?も凄いのが居る。歩きながら突然、ラジオ体操か何かで両手をバット真横に拡げる人。これも恐い。傘指しババァのお喋り並列運転も凄いぞ!

 自動車でも凄いのが居る。特にババァっていうか中年女に多いのが携帯電話運転、当然、片手運転なんで狭い道では道路の真ん中を突進!今日も遭遇したけど、これ系は毎日と言って良い程見る。中年女は話好きというか、家の電話でも昔なら超長電話であり、携帯電話という最強のツールを与えると運転中だろうが何だろうがお構い無しだ。

 車の運転と言えば、窓から吸い殻、窓から空き缶、交差点で停止中に車外に吸い殻の山、、、、最悪だ。
 他には、若者世代に文句を言う高齢運転者も凄い。自宅前道路に自分の自動車を連続10時間以上平気で駐車したり、狭い道で駐車しながらドアを全開で開けっ放しで車から離れる高齢者も多い。特に、連続で長時間駐車っていうのは、駐車違反以上に車庫法違反で赤切符ってルールを知らないんだろう、、、、

 連休期間中ということで、子供を連れて散歩もしたけど、路地、歩道等々で??????って思ったのが、犬の糞、多すぎである。広島デルタの京橋川沿いの歩道なんぞ、10m感覚で犬の糞が転がっている。世話をする気がないのなら犬を飼う資格なんぞ無いモノだ。実際、犬の糞の世話用?のビニール袋とティッシュ等々を持っていても、糞の回収をせずに、たんなるポーズ用の散歩グッズとして携帯している人も多い。

 それにしても、こういうのが多すぎっていうのは、これが多数派で、こういう感覚が普通の人で、こういう事態に文句を言いたくなるようなのは少数派なんだろうか?

 そういえば、女子高生言葉でKYってのが、空気読めない事なんだそうだが、自分の言葉がその場の雰囲気に合うかどうか?が判らない奴も多いし、行動が世間の常識に合うか否か?の判断が出来ない奴も、強烈に多いのが最近の話し。

 何がどうなって居るんだろうか?とても不思議。世の中、不思議ちゃんが多すぎである。

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2008年10月13日 (月)

大人の道楽かなぁ、、、七五三みたい、、、

 日曜の正午~午後一時の間にオ・モイヨWW号でホームコース周回を行っていた時に車道部分で目を引いたのが、かなり新しいハーレーにピッカピカのレザーベストにウエスタン風?ブーツで揃えた真っ新装備のハーレーオジサン軍団のツーリング。

 コレ見て思ったのが、最近の自転車でもよく見る、高級自転車+レースゥィーティーな出で立ちのオッサン連中の戯れる姿、、、

 同じである。

 舶来ブランドのロードバイクもハーレー等外国産バイクも、なんていうか、凄いピッカピカで、乗り手の装備もピッカピカ、、、、でも、ロードも単車も何か浮き加減に見えるっていうか、何て言うか、危なっかしいっていうか、ぎこちないっていうか、、、、、ミスマッチっていうか、そんな感じ。

 年代的には、、、、30代後半以降~50代世代で、まぁ、今消費を引っ張っているバブル期に青春を謳歌したであろう世代なんだろう。それ故に、小銭は持っているんだろうけど、微妙に、何か変!っていうか、口悪くいうと、七五三のような雰囲気。

 猫も杓子も高級ロード、誰も彼もがハーレーダヴィッドソン、、、、、まぁ、見た目の注目も浴びるし、雑誌の特集のメインを張ったモデルなんだろうけど、剰りにもコテコテ過ぎて、見ていて恥ずかしい感じを受けるのは言い過ぎだろうか?

 雑誌等の消費動向分析では、若かりし頃、憧れながらも制度的、経済的事由等々で夢が叶わなかった人が、規制緩和或いは経済力を身に付けて当時の願いが具現化するような消費動向が結構多いって話だが、ホント、そんなのが多すぎ。確かに、舶来ブランドの高級ロードバイク、単車でもハーレーに限らずイタリアンブランドのモデルは良いところはホントに多いと思うけど、そういう良さっていうのは、回り道して初めて判る良さってのもある訳だが、こういう時流の中で、それ系を仮に買ってしまうと、傍目に見て、雑誌の消費分析でも紹介されているような絵に描いたようなサンプル消費者と区別が付かなくなるように為るのは、まっぴらゴメンであり、そういう層の増殖によって、昔からずっと趣味としてきた世界において自分自身のモノ選びの選択肢が狭まってしまうのが嫌なのだ。

 やはり、この世界のモノは価格に応じて世界がステップアップするっていうのは事実だし、そういうレベルのモノが高額となるのは、突き詰める世界がシビア故にコストが掛かっているし、製造元が名の知れたブランドって場合は、そのブランドの存在意義は、ブランドがブランドとして拘れる世界を持つ事を崇拝する極少数の本来のユーザーが在ってのモノなのである。
 資本主義というか商売だから、金さえ出せば、そういうモノは手に入るのだが、そういうモノは、金さえ有れば使えるというモノでも無い訳だ。恐らくは、そんなモノの作り手の意識としては、そのモノが本来の使われ方というか、そういう世界を発揮するための道具としての使われ方を願っているだろう。

 そんな事を考えると、憧れの具現とか、見栄とかで買う事は否定はしないが、買われたモノに気持ちがあると想像したならば、モノが可哀想、モノの作り手が気の毒って思うのである。やはり、なんでも釣り合いが大事である。乗り手とモノの釣り合いは、財力だけではないのである。特に競技機材の道具の場合は、財力+経験こそがモノと釣り合えるか?の重要なファクターであり、モノに見合った乗り手でなければ!って意識を持っているのだ。

 まぁ、自分勝手な考えだが、そういう気持ちとは懸け離れた現状が表題の如くに、高価な機材が七五三の貸衣装のように見えるのだ。こういう貸衣装状態がほのぼのと見えるのは七五三の如く、幼年世代でありオッサンに貸衣装はなんとも奇妙なのである。金のあるオッサンが高級な機材を纏いたいので在れば、モノに失礼とならないように己のレベルを機材や作り手に失礼の無いように仕上げる必要があるって考えはお節介かもしれないが、そう思う訳だ。

 ガソリン高で省エネブーム、健康ブームで単車、自転車が注目を集めるのは良いけれど、なんか、チョット嫌な感じも受ける今日この頃である。

 個人の趣味なんで口出しは無用なんだろうけど、多分、こういう系統の人とは、会話をしたとしても接点が全く無いんだろうなぁと思うところ。最大の相違点は、モノに対して、作り手に対して申し訳ない!って気持ちが有るか無いかの所だ。

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自転車≠スポーツか?

 スポーツセンターなり、サイクリングコースなりで運動に出掛けて思うのは、自転車っていうのは、スポーツ以前に鉄道模型とかラジコンのような文系的なインドア趣味に近いのかなぁ?と思う事が多い。これは単車にも言える事だけど、どんなに高性能なスーパースポーツであってもモノに跨っているだけでは、モノ収集、モノ満足的な趣味にしか見えないのと同様な感じである。

 勿論、自転車に乗るっていうのは健康には良いことだろうけど、健康に良い運動ではあっても、決して体育とは異なるような印象だ。ここで言う体育っていうのは、体育会系的運動って意味であり、どちらかというと、他のスポーツは原則苦手って印象の話。

 色んな運動というか競技があるけど、そのジャンルに傾注する人が集まる空間において、ジャンルに取り組む人のフィジカルパフォーマンスというか、そのパフォーマンスを予感させる肉体や取り組んでいる最中に発揮しているパフォーマンスを見ると、他の競技系スポーツに較べると、自転車なんぞは、コスプレ陳列にしか見えない気がする。少なくとも日常で練習?がデフォルトの空間ではそう思う。

 スポーツセンターでのプールなどでは、泳ぐ人は、本当に黙々と延々と相当な速度で泳ぎ続ける。そして、その肉体は相当にシェイプされているのが判る。同じく、トレーニングルームで機材を用いた筋トレを繰り返す人も同じで、その肉体は相当に鍛え上げられているのが判る。同様に、高校、大学の運動部部活の一環で自歩道をランニングする人も身体の形態が明らかにスポーツ選手となっている。

 しかし、、、

 自転車の場合は、そういったジャンルのスポーツに取り組む人とは絶対的に異なっている。細いか太いか?の議論で太いのは論外として、細い人でも単純に細いだけで、筋肉も何も無いのが殆ど。そんな感じである。
 少なくともホビーレーサー気取りの連中っていうのは、陸上競技、水泳競技を長く取り組んできた人と比較して、そのフィジカルパフォーマンスは全く較べ物に為らない低レベルのように思うのは気のせいだろうか?
 特に、スポーツサイクルブームの今は、健康グッズ+見栄、自己満足的趣味としても注目を浴びており、その見た目スポーティなサイクリストの平均的なフィジカルパフォーマンスレベルは他のスポーツに較べると圧倒的に低い状態かもしれない。

 まぁ、それでどうこうは無いけれど、そんな好意的で無い印象を持つのは、あまりにも挑発的であったり、信号無視等のマナーの荒んだサイクリストが目に付くからである。先の体育会系というか競技系で運動を行ってきた人っていうのは、そういう挑発やルール違反はあんまり無いように思うからだ。そういう掟破りが多いのは、自己中的発想が許される生い立ち故だろうし、自転車のみをスポーツ?って思い違ってる連中は、その辺の考えが根ざしてないように見える訳だ。挑発やルール違反を自分に寛容しているのは、体育会系的戒律に身を置いた事も無い人が多いだろうし、下手すると、他の競技経験なんぞ無きに等しい場合も多そう。それが見た目的なフィジカルの未成熟性とシンクロする訳である。
 責めて、自転車でスポーツを気取るなら、挑発は迷惑行為で禁止なのは勿論だが、最低限度、交通ルールくらいは守った走行をすべきだろうし、仮にも大人で車の免許なりを持っているなら、確認動作等は最低限度実践して貰いたいものだ。それが出来ないなら立派な愛車を部屋に飾って外に出歩くなと言いたい。

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ピストでヒルクライムをメニューに追加!

 土曜に続き、日曜も表題の如く、ピストで平均斜度10%を越えるヒルクライムで遊んでみた。

 これ、とても面白い。

 自転車に乗って上がれる最高標高が85m(山頂は139mの山)をコースによって500mから700mを掛けて上るもの。平均斜度は軽く10%を越えて場所によっては13%程度の勾配があるのだ。

 この勾配、変速付きの自転車に乗ると、つい軽いギアで楽して上る感じとなるのだが、固定シングルで展開量5.4mの自転車ならば、それで登坂しなければ為らないのだが、この最大斜度の部分ではダンシング状態となる。腕の力、胸の力も投入して上半身を固定した状態で駆け上がる感じなのだが、これが何とも愉快というか、楽しいというか、、、、、

 ということで、これまでは変速付きでしかヒルクライムは行わなかったけど、ラングスターTT号でCR走行をして帰宅する際には、必ずヒルクライムを1セット~3セット程度を行ってから帰ることに決めた。

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フォームとフォルム

 以前、自転車や単車では乗り手が本気でなくとも普通に運転しているだけで、何となく凄いとか、上手いとかが判るような気がするって記事を書いた事がある。その見た目の瞬間で感じるのは何か?っていうと、オーラというか雰囲気というか、そんなイメージだけど、見た瞬間に判るって言うのは、実は一瞬の動作の際にも無駄な力の入っていない洗練されたフォームを以てオーラを感じているのである。

 さて、そんな僅かなフォームの違いが雰囲気の違いを呼ぶのであるが、これは、例えば、単車とか自動車でも事故車を見分けるのに一番よく判るのは、チョット離れた位置から全体を見た時に車の立ち姿からも判ったりするのに通ずるものでもある。

 そう、人間の感覚っていうのは、実は、極僅かな違いから色んな情報を感じたりする者なのである。

 と言う訳で、自転車の場合、乗り手のフォームからオーラを感じたりするものだが、自転車自体に対しても、事故車云々とは別に、そういう走りそうな雰囲気、本格さを感じる要素があるのである。それは、乗り手のフォームに通ずるもので、実は車体の基本骨格のフォルムから感じるように思うのである。

 土曜日の昼前に、ニシダサイクルさんに立ち寄って納車直前のロードバイクがあったのだが、これを見て、瞬間思った事は、、、、、微妙に格好悪いのである。普通にスローピングフレーム、ドロップハンドル、、、と普通にロードコンポーネントから作られたバイクだけど、パッと見の瞬間、なんかソフトライド的、本気を感じ辛いというか、、、、そんな印象。 それで、家に帰って自分のフルサイズを見ると、正直にカッコイイと思うのだ。まぁ、自分のバイクは自分が選ぶ際にカッコイイと判断出来るフレームをベースに組んだり、車体選びをしたりするから当然と言えば当然だけど、パッと見た瞬間に自分的にイイ!ダメ!を判断してしまうのである。
 これは、単車でもだけど、峠バイクの方程式というか骨格のセオリーを満たすか否かで別れるけど、自転車でも当然ながらロードバイクらしさが感じられるフォルムっていうのが自分の偏見かもしれないが存在する。

 で、自分の偏見でいうロードレーサー(ロードバイク)っていうのは、やはり競技車両であり無駄が排除されているか?クイックか?というところ。そんな象徴が各部のクリアランスであったり、パイプの詰め具合であったり、ホイールベースであったりする。クリアランス関係は結構タイトなバイクが多いけど、ロードであってもホイールベース、キャスター、トレールっていうのは結構幅広いのがロードバイクであるが、この中でもホイールベースがフルサイズで1000mmに及ぶのは、何だか今一感が強いと思う。短い車種では950mmクラスがあるけど、そういうバイクは大抵シート角も立っている。例外的にシート角が立ち気味ながらホイールベースも比較的長いモデルもあるけど、それはキャスター角でトレール量を増やした結果であり、違いはコラム周り程度である。
 しかし、緩く見えるバイクはホイールベースも長く、シート角の寝気味、モノによってはキャスター角も寝気味ってのが多いが、そうなると、僅かな違いであっても全体を見ると結構雰囲気が違ってくる。
 どんなに高額でも、どんなに高級コンポを使っても、フォルムから走りがイメージ出来ないモデルは微妙に格好良く見えないのは気のせいだろうか?

 しかし、ホイールベースを例に挙げると、僅か数十mmの違いが判る人間の目っていうのは強烈である。因みに、フルサイズバイクのホイールベースを並べてみると、、、

・小林531ロード:950mm
・BSトライバイク:975mm
・ラングスター:975mm

で、今日見た緩く感じたロードは1000mm強だったけど、明らかに違って見えたのである。

 とういうことで、乗り手のフォーム、乗り物のフォルム、これが重要であるのだ。

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2008年10月12日 (日)

金融危機?

 世界中で株価が暴落している。問題の発端はアメリカのサブプライムローン問題と言われているが、これは、アメリカの住宅バブルを背景としたもの。住宅バルブっていうと、政策的に住宅を持たざる者に持たせる事を政策と掲げた政府の責任もあるけど、、、、何故に、本来、持てなかった者が持てる状況になったか?を考えると、、、、、本来、金を借りる信用が足りない者が金を借りれるようになった背景と繋がる。つまりは、信用が無いところに信用が突如発生したのは何故か?ということだ。

 信用っていうのは、金を貸す上での評価であり、信用が生まれるって事は、単純に金を貸したい状況になる訳で、購買力の無い所に購買力を付けるには、金が余っているからか?って疑念を持ってしまう。結局、サブプライムにしても、金利以上に不動産信用が未来永劫に上回るという論理の上の話だし、そうまでして金を貸したいのは市場に金が余りまくっているから使い道を求めた結果の産物と言えなくもない。

 そんな事を考えると、今の世界同時株安の責任をサブプライム問題と論ずる意見が多いが、結局は、ここ十数年に渡る低金利時代、日本ならゼロ金利+量的緩和という潤沢な資金供給が一番の問題のようにも見える。特に、日本の金利を世界の金利に対して相対的に低くする政策による円安誘導では輸出関連企業にとっては都合が良いかも知れないが、本来あっては為らない金利差による為替運用による弊害を引き起こしたと言えなくは無いだろうか?
 資金に国境は無いために、日本で資金調達して海外で運用する。海外の中央銀行は自国の経済情勢に併せた金融の引き締めを行っているが、海外から大量の資金が流入する事が有り得ない信用の膨張を引き起こしたと言えなくもない。

 この溢れる資金の一方向の流れの極にサブプライムローンがあったのだろうが、その信用崩壊で資金が逆流したといって、その流れの上流に大量の公的資金を注入しても、それは流れを加速させるだけで、インフレと景気減速の同時発生の引き金には為らないのだろうか?
 国内に目を向けるとニュース程の深刻さは無いが、一部で、貸し渋りが問題として取り上げられているが、大量の資金が溢れすぎた現状からみると、極自然な事かもしれない。

 更に言えば、実態経済以上に資金が溢れているというのが個人的な感想で、本来なら金利はより高くないとNGだと思う。金利が低いというのは、結局、時間に価値が無い事となり、それはナンセンスだからだ。相応の金利水準と実体経済活動に相応した資金の流通こそが健全な経済だと言える。

 サブプライムっていうとアメリカの話だが、振り返ると1998年頃は日本の住宅金融公庫の低金利時代で最低金利で2%って時代もあった。その頃は通常融資が2.X%、特別融資が3.X%、十年目以降が4%がスタンダード。それに加えて、最初の金利を安く抑えるために金利の切り替えを5年目、10年目としたゆとり返済プランもあった。
 更に、2004年以降では更なる低金利政策で、住宅金融公庫以外の民間銀行の商品で期間固定式変動金利の住宅ローンも結構あった。低金利がデフォルトでは1年固定って商品が主流だったりした。
 このような10年間に渡る金利、ローンで住宅着工件数を加速させるための、住宅ローン減税なんて施策もあったのが思い出されるが、今回の世界同時株安の景気にどのような影響を与えるか知らないが、不景気による所得上昇率の鈍化、或いは、金利上昇に伴う契約金利の上昇で住宅ローン返済額が加速度的に上昇するリスクは直ぐ其処に来ている。

 当時を思い出すと、結構な低所得でも高額な住宅ローンを組むのが格好いいとされていたが、それが破綻の時期を迎えれば、日本も住宅を手放さざるを得ない人が大量発生するかもしれない。

 因みに、我が家も1999年に住宅購入しているし、10年目には受託金融公庫分の返済額は増加する。増加金額は5,900円/月程だが、多くを元金均等の全期間金利固定で借りているので返済額は少しずつ減っているのでOKだが、段階金利上昇、変動金利等で返済額が数万円単位で上昇する人もいるらしいが、それは結構大変そうである。

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二極化?

 三連休の初日、いつもより遅めの時間帯にホームコースをラングスターTT号で走行した。今日は風が強く、往路で20分もかかり、復路では追い風に乗って、最低でも45km/h以上の速度で走れた結果か、16分40秒程で帰還した。

 その際に見掛けた自転車は、ピナレロ、コルナゴ、デローザ、メルクス、、、、、それから、黒リムと黒スポーク、所々が黒色の部品が特徴的?な10万円前後のロード風バイク(FELT、GIANT等)である。
 そういえば、超レースィー(笑)な装備を纏う人はブランドが有名の高級バイシクルが多く、一方で割と普段着+ヘルメットで走るのが10万円前後のロードレーサー風バイシクルである。
 すれ違う際には殆ど確認出来ないけど、後ろから追い抜く際には、自転車の内容が結構見えるんで、価格的には間違い無いと思うんだけど、高級車の多くはカーボンフレームが多く、コンポも最低でもアルテグラクラス、殆どがDURA、或いはカンパのコーラス以上って構成。多分、最低でも30万円クラスだと思う。しかし、ロード風自転車の場合は大抵がアルミフレーム車でSORA~2200クラス。中間クラスのTIAGRA~105ってラインを装備した自転車は案外少なかったりするのだ。
 雑誌やネットで話題のクロモリっていうのは案外少数派であり、居ても年季の入った旧車で昔々から乗られている方が殆ど。

 バリバリマニアに嵌った人は機材に凝って身なりにも気を遣う感じ。これは嵌りきった趣味人だろう。そして、一方は健康に気を付け始めたブームに乗って自転車にも乗り始めた人達だろう。それと、経験の長いブームとは関係無い人って感じ。

 で、これらの中で、オーラのある人≒フォームが格好良く見える人っていうのは、大抵の場合が年季モノの自転車に乗った人。装備は、レーパンではない昔ルックな感じの人が多い。

 今日はそんな風に感じた一日だった。

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2008年10月11日 (土)

新型アクセラ、これで良いのか?

 今朝(金曜)の中国新聞で目に飛び込んできたのが、松田がLAショーで新型アクセラを発表するとのこと。ニュースリリースは↓

http://www.mazda.co.jp/corporate/publicity/release/2008/200810/081009.html

である。
 今回は、北米向けの4ドアセダンの発表だが、このアクセラは輸出名で『MAZDA3』というもので、過去の『323』の後継車。つまりはファミリアの後継車である。

 そんなマツダのローエンドを支える車種が2Lと2.5Lということ。2.5Lが必要なボディに対して、国内の税制に併せた1.5Lとかも載せるのだろうけど、本質的に2.5Lを載せる格を持つ車体がローエンドモデルとなる訳だ。

 2.5Lが在るって事は、当然、全幅も1750mmオーバーサイズなんだろうか?最近はコンパクトでありながら凡庸とならない秀逸な車が少ない気がする。

 思い付くところでは、初代のヴィッツは相当にカッコイイモデルだった(今のヴィッツはトヨタラインナップの底辺で単なる安車にしか見えない)。別にiQのような特殊で無くとも存在感の出せるモデルは車格を問わず実現できるのは初代ヴィッツの存在が証明しているように思うのだが、そういう部分が最近のマツダ車には欠けているようにも見える。

 プラットフォームの流用の度合が過ぎると、目先のデザインのみの違いで、実際の使い勝手では差の出にくい紛らわしいラインナップになりかねない気もする。
 取り敢えず、時期アクセラは大きすぎそうな感じだ。現行アクセラも敬遠したくなるサイズだが、アテンザの変化から想像するに、アクセラのボリュームアップはチョット怖い。

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ノーベル賞、四人受賞!

 今週の出来事といえば株価暴落、円高進行よりも何よりも、表題の如く、ノーベル賞を四名もの方が受賞されたということだろうか?更に凄いは、名古屋大学縁の方が3名もいらっしゃるという事!凄すぎである。

 今回の受賞の内容は、既に各方面のサイトに紹介されているので割愛させて頂くとして、このニュース報道の中で気になった事は、先生方の研究拠点が海外にあるということ。これは、今回のノーベル賞受賞に拘わらず、多くの著名な研究成果を挙げられている方々の多くにも当て嵌まる事。
 それを以て、頭脳流出を危惧する報道がとても多いってこと。

 確かに、頭脳の流出を危惧する事も判るけど、このような成果に結びつく研究を行っている若い研究者の方々は日本にどのくらい居るのだろうか?というのが、疑問というか心配というか、そんな気持ち。

 今の還暦を迎えられる前後の世代の方々、それ以上の方々、或いは、今の50代以降の方々っていうのは、これまでの日本を様々な方面から牽引されてきた研究者、技術者だろうけど、今の40代以下の世代っていうのは、これからの日本を牽引するに見合う研究開発等を行う力が有るのだろうか?と思うところ。

 自分達の世代より後の世代っていうと、所謂、共通一次試験とか、マークシート、センター試験、或いは、詰め込み教育、受験戦争、ゆとり教育、モラル低下、、、、等々と、少なくとも知恵を付ける期間において好意的というか賛同を得られる形容が少ないように思う。自分達より上の世代の方々とは、出来が違うような気もする。
 勿論、優秀な若年研究者の方々も居るだろうけど、率は少なく、研究内容自体が、とても細分化して狭義な世界に留まっているような気がするところだ。

 ノーベル賞受賞というと、殆どが、理学の世界。原理、現象の大元を突き止めるという世界のようだが、こういう芸当に対して、憧れは在っても、見るだけで終わりそう。その世界の専門書を読んでも殆どがチンプンカンプン。あんな世界を理解して論理を編み出したり、物事から原理を発見するっていうのは、何と言っても、好奇心と執念だろうけど、そのレベルの高さは驚嘆ものだ。

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金曜は水泳の日!

 金曜日は水泳の日である。
 二ヶ月で20kg以上を減量した時は、週5日(SC休館日の火曜、日曜以外)が水泳の日だったけど、今は忙しさ等々もあり週1日のペースだ。

 そんな水泳日だが、通う回数が減ると、考える事も増えるもの。

 木曜日のNHKの『きよしとこの夜』って番組に、ソウル五輪のメダリストである鈴木大地さんがゲスト出演されていたが、そこでの話しは水泳のススメであった。

 勿論、既知の事ばかりだけど、改めて聞くと、結構意識の外に行っている内容が多く、ハッとしたところ。

 水泳の一番の効果、、、、、、それは、体温より低めの水温に身体を入れる事からくる効果だ。水泳では、水温による皮膚への寒冷刺激と体温が水に奪われるのを防ぐために、体温を保つように機能する。心臓は活動が盛んになり血圧を高め、血液循環を速めて体全体を温める。結果として新陳代謝が旺盛となり、健康増進につながる。更に、水温や水圧による皮膚への刺激が血液循環を促進し、ホルモンの分泌活動を高め、滑らかな肌をつくる。これがアンチエイジング効果で、大地さん曰く、、、、『僕、実年齢より若いでしょ!?』ってことだそうだ。

 第二の効果が独特な呼吸法。水泳では、基本的には顔が水面下にある時に息を吐き出し、顔が水面上に出た時に息を吸い込む運動を繰り返す。この一定のリズムで反復する水泳独自の呼吸法が肺の活動を活発にして肺機能をより強くし、血液を全身に送り出す心臓の働きをも活性化させるそうだ。これは、同じ有酸素運動でも自転車では得られない効果である。スポーツ心臓が欲しければ、水泳こそが最強のエクササイズとなる訳だ。

 最後に水泳を楽しくする秘訣は、何と言っても、水泳で爽快感を感じること。つまり、水中での滑空状態が実感できること。これは、やっぱり泳いだら進むということ。すすむためには、、、、上半身で特に、手の平だけでなく、腕全体で水の抵抗を感じながら後方に水を追いやるような動作を習得するのが肝だとか、、、、

 ということで、金曜のテーマは腕による水送りが実感として得られるか?を確認しながらの水泳と決めたのだ。

 因みに、自分的にダイエットの目的は、新陳代謝のアップを掲げているけど、その幹となるスポーツに水泳を選んでいるっていうのは、強ち間違いでは無い感じである。今の自転車っていうのは、そうやって得た心肺を使って簡単に楽しむ趣味の一つに過ぎない感じ。筋トレ等は、自転車のためというよりも水泳のために近い訳だし、、、、

 ところで、何故に新陳代謝を高める事を目的にしているか?っていうと、人生の最後の時間は自分の好きな事三昧で暮らしたいのだが、人生の最後の時に、身体機能が終了していては何も出来ない。人生最後の時であっても身体機能を高い状態で保つ事が、その時にしたい事の制限が少なくなる事でもある。
 現代では定年延長で65歳定年制も広まってきたけど、基本は60歳定年がデフォルトでそれ以降は嘱託契約。更に、一昔前は定年年齢は55歳程度のモノである。
 人生70~80年なら55歳時点で残りは15年~25年程度のもの。普通、衰えを意識させず不具合の無い身体を持っているのは、、、、長くても60歳迄だ。今の時代、40歳過ぎれば終了したような身体の持ち主は沢山いるし、50歳すぎれば相当に衰えている感じが強い。ならば、昔の定年年齢の55歳では既に多くの人間は体力的、健康的に終わっているとも言える。55歳迄は何らかの仕事をするにしろ、リタイヤする場合も想定している55歳において、少なくとも、今レベルの体力は維持しておきたいのが願いであり、心の定年である55歳時点で、日本全国バイクで温泉巡りとか、老年による24時間サイクリングなんかが出来るようなパワーを維持したいのが、今運動して新陳代謝を高める理由の一つなのだ。

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『うつ』になりやすいのは、こんなタイプ

 11月の会社の安全教育テーマは、毎月発行されている『月刊安全衛生ノート』の特集記事に従って表題のテーマに繋がるもので『鬱病・精神障害を防ごう』ってもの。

 心の病には心因性、外因性に分けられ、心因性の精神障害が神経症(不安神経症、脅迫神経症、恐怖症、心気症)で、原因は心理的なものということ。これには、統合失調症、そううつ病、うつ病等があるそうだ。

 で、うつ病は脳の情報伝達ネットワークの機能障害によるもので、神経細胞間の5万分の1程の隙間で情報伝達を司る物質である『セロトニン』の分泌不足によって生じる疾病らしく、結果として、情緒不安定等になるそうだ。
 この脳の神経伝達物質としては、ドーパーミン、ノルアドレナリン、セロトニンがあり、ドーパーミンは快感物質でストレスに対して忍耐力を与えるもの。これが不足するとパーキンソン病となるらしい。ノルアドレナリンは覚醒物質で集中力と性欲を高めるもの。セロトニンは脳を興奮させる物質らしい。

 これらの中でうつ病はセロトニン不足説が有力とされているそうだ。

 しかし、このセロトニンが不足するからうつ病というのは因果関係でなく、セロトニンが不足する因子が原因である。セロトニンが不足する因子は何か?が原因だが、『うつ』になりやすいタイプが次のように紹介されている。

◎気を遣う人
・少々の熱でも休まない
・几帳面でコツコツ仕事をする
・手抜きは嫌いで完璧主義
・気配りをし宴会などで場を盛り上げる
・上司、同僚、部下の評価が気になる
・嫌なことも断れない
◎ねばり強い人
◎無趣味な人

 なんだそうだ。そして、この対極が笑える例が紹介されていた。それは、『釣りバカ日誌』の主人公のハマちゃんだそうだ。
仕事そっちのけで釣りの趣味を謳歌するマイペースぶりを見て、うつ病と最も縁遠いタイプと紹介されている。それを言われると、四六時中、二輪車(自転車と単車)を考えている俺はハマちゃんみたいなもので、このブログは言ってみれば『二輪バカ日誌』とでもなるのだろうか?

 こんなうつ病だが、うつ病のタイプは、どんな生活が原因で陥るかによって分類されているようだ。例としてはスーパーウーマン症候群、結婚後悔症、、、、リストラうつ病、引っ越しうつ病、昇進うつ病、、様々である。で、うつ病を防ぐには、心のしなやかさ?を持とうとも紹介されている。趣味を持つとか、疲れたら休むとか、、、、で具体的なヒントが、夢中になれる事を探す!スポーツ、趣味に集中する!開き直る!、、、、

 と、この安全衛生ノートを読んでいると、自分としては?????????って疑念が沸き上がったりする。うつ病っていうのは、心の病だけど、コレ見ると、極論すれば外的負荷のいなし方が出来ないというか、各人の行動する際に意志が無いがための話とも言う。

 うつ病っていうと、結局、自分の責任で自分で決めた事を行うという当たり前の事が出来れば普通に有り得ないのでは?とも思うのである。誰であっても自分で好きな事があり、そのために、生活の配分を自分で行い、適度?な犠牲を払いつつも、自分の好きな事を大事にする。自分の決断は、自分の目的故の判断であり、目的行動を取っていれば、人の言いなりにもならないし、断れないなんて事も無い。好きな事も諦めない筈である。それが出来ないっていうのは、成長や生育時における経験不足とも言えるのでは無いだろうか?

 更に言えば、どんな人であれ、その時点における状況は、その人の過去の経緯に基づくモノであり、その時点の境遇は最終的に自分の過去の判断の結果、即ち、自分の責任である訳で、結局、不幸感を得るのは、その時点の境遇を他人や周囲の責任に転嫁して悲劇の主人公を演じたり、或いは、何某かの行動を行う際に、その判断が他人の判断、模倣に従ったりするためである。結局は、責任放棄であり、失敗したときには後悔が先に来る(自分で判断出来ない癖に、自分でやれば良かった!と都合の良い解釈をする)のである。

 結局、自己判断が出来ない奴は後悔し、自身で判断する場合は納得するという違いの蓄積が本人にとっての不幸感に繋がるし、行動の目的が自分のためという意識が無いと、自分を悲劇の主人公と勘違いしたり、趣味を犠牲にする事を美徳と思い身を粉にして働く事で格好いい!?と思う精神構造が、心の病を呼んでいるのではないだろうか?

 俺的には、うつ病っていうのは、心の病かもしれないが、それは、人間の成長過程において自己判断に基づく行動で責任を取るとか、目的行動こそが重要という普通の事が会得出来なかった結果の一例と思えてならないのである。

 簡単に一言で言ってしまえば、自分の事は、自分で決めて、自分の責任で、自分で行うって事が普通に出来れば何の問題も生まれないような気がするのである。自分で決めれない、自分で出来ない、自分で考えれない結果がうつ病を招く要因とも言える。

 これって、数十年に渡り続けてきた現代教育の弊害とも思えるのは言い過ぎだろうか?公式詰め込み、例題説明、数字だけ入れ替えた類題で習熟度判定、、、入試になると過去問の傾向と対策で過去の問題パターンを暗記して挑む、、、、結果、結果点数至上主義が原因とも思える。理解しているか?が問題でなく、先生の言う言葉や公式を暗記しているか?が重要とも思える教育形態が今の事態を呼んでいるように見える。模倣とか従属は得意だけど、独立に弱い。こういう奴らは、打たれ強くないし、直ぐ凹む。そんな気がするのである。
 昨今の指導要綱の改変で授業内容が削減されてからは、本来の原理探求という主旨を見失い、余った時間で遊ばせる(というか教師が遊ぶ?)のを自立心育成と勘違いした結果、ドツボに陥っているようにも見える。

 本来の教育とは、生きる力を身に付けさせる事であり、生きる力とは意志による判断を自己責任で行える力も含まれる。その判断の精度を上げるために上級学府が存在する。その中で、様々な要因に折り合いを付ける事が出来るようになる事が成長を意味する事とも思えたりするのは言い過ぎだろうか?

 うつ病っていうのは現代病の一種とも言われている。好意的な解釈では社会の複雑さ故に苛まれる疾病というサイトもあるけど、現代病というからには現代社会の固有の疾病とも言える訳だ。現代社会の固有の疾病というと、成人過程における教育の変質から自己判断出来ない大人が増えたがために現れる疾病か?と考える事もある。

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2008年10月10日 (金)

株価低迷、円高進行≒過去からの脱却は企業もメタボ対策を!

 今日も午前中から株価低迷、円高進行である。
 取引終了は幾らか?が読めないが、経済界はピリピリしているようだ。

 でも、株価低迷、円高進行っていうのは悪くないように思うのは俺だけだろうか?

 円高進行っていうと、殆どの資材、原材料、食品を輸入に頼っている日本にとってはモノが安く買えるのであり、純粋に調達コストが下がる訳だ。為替が98円/$だが、これが110円/$と比べれば10%の円高であり、調達コストは10%下がる筈。

 で、株価低迷っていうのは輸出関連企業の輸出品目の価格が10%上がることで外国製品に対して価格競争力を10%失う事。これって、10%の価格競争力を失うってことは、製品性能の優位性が他国製品に対して10%に満たないモノが売れなくなる事に過ぎず、他国製品に対して消費行動を決める部分で魅力が10%以上上回れば価格競争力は保たれるという事をも意味する。

 つまり、現状の製品は他国製品に対して性能、ブランドを含めて10%の性能的優位性は有さないモノばかりって裏返しであり、それが輸出製品の姿故に株価が下がっているに過ぎないとも言える筈である。

 円高であっても株価が上がるって状況が一番の理想であり、それには、価格差を跳ね返すだけの製品の優位性があれば問題解決となるはずだ。それが出来ず、旧来型製品による利権というか既得権益にしがみついて巨大化した企業が四苦八苦しているのではないだろうか?
 古来、ヨーロッパが繊維工業を担っていたが、それが日本を経て、現在は、東南アジア諸国で行われている。自動車産業も然りだ。今や産業革命発祥の英国でさえ自動車産業は他国資本の軍門に下がっているし、自動車先進国のアメリカでさえ自動車産業が国を支える産業とは成り得ていない。国の産業は世界の発展とともに、担うべき国家が変遷していくものであり、技術的先進国は、産業発展に従って常に相対的に他国の数歩先を行く産業で世界を引っ張るっていうのが本来の姿である。
 本来、世界が発展するのは、ばらまき援助を行ったりするのではない。産業を開発して、その利益を一通り享受したならば、次の国々に技術を移管することで、後の続く国々に富みを再配分させるという考え方が必要なのだ。何時までも、権益に固執し、産業移管を行わず後進国を利用するだけ利用するという考えが貧富の拡大を呼んでいる事に誰も気付いていないというか、見て見ぬ振りをするのは、利益追求主義の偽善とも呼べる部分だろう。

 そう考えれば、日本は既に自動車とかメモリーデバイス、半導体製品、液晶モニター或いは、一般機械製品を量をこなして利益を得るというスタイルでは立ちゆかない時期にきている筈である。

 大きな痛みを伴うかもしれないが、株価が下がると騒いでいる業種=過去製品業種であり、量をこなして輸出で利益を上げる企業が株価への影響力が大きいだけであり、そういう企業は言ってみれば恐竜のようなもの。更なる危機の進行で、淘汰が進み新たな形に変化する事こそが次の100年を成功に導く秘訣かもしれない。

 長生きの秘訣は人間の場合は肥満防止で重大疾病の回避だが、国も企業も同じだ。既得権益の確保で小回りの利かなくなったデブ化した企業は企業習慣病に冒されている。血圧上昇でヤバイのが人間のように、為替上昇株価低迷で資金繰りに苦しむのは、まるで、脳梗塞、心筋梗塞のようだ。古い製品で頑張るっていうのは、ドロドロ血で頑張る姿にオーバーラップするところ。
 人間がダイエットに励むように、企業もブラッシュアップに励むべきだ。薬剤サプリや食事制限に励むダイエット人が失敗するように、公的資金注入、リストラや資産売却のみで凌ぐ企業も最終的には消滅する。
 ダイエットの秘訣は、人間の場合は新陳代謝アップが全てだが、企業の場合は独創的な技術開発と人事の下克上等の活性化容認システムの構築に限るのである。

 それにしても、株価急落の度合は強烈である。予想は先週も記事にしたけど日経平均株価は7500円、為替は90円/$っていう予想だけど、そこへの到達は予想(2012~2013年)以上に速いかも知れない。

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Pacific Reach プロジェクトの分化

 表題の件。
 パシフィックサイクルのリーチプロジェクトで生み出されたのがPacific Reach for the Roadってのを元とするもので、OEM車に、ビアンキのフェニーチェ、タルタルーガのタイムS、ルイガノMVF/MVRっていうのが有る。

 そして、ルイガノのMVF/MVRが中折れ式折り畳みにモデルチェンジしたのを最近記事にして、考察を書き連ねたのだが、、、、そこでの自分的結論は、収納性を高める事で、収納と収納の間での使用形態における適応力を高めるようなモデルチェンジって思った。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/09/mv-fmv-r2009-36.html

がその記事だ。
 しかし、本家のPacific Cycleのサイトを見ると、新しい折り畳みシステムはIFプロジェクトの製品であり、前後輪を揃える中折れ方法で、畳んだ時の性能向上を高めるプロジェクトの用であり、従来のReachプロジェクトから派生した別の製品ラインっていうのが判る。

http://www.pacific-cycles.com/product.asp

が本家のサイトだけど、IFプロジェクトの製品ラインの中にIF Reachってモデルがあり、そのOEM製品がルイガノの2009モデルでMVF/MVRが該当している模様。

そして、従来の延長ではReachプロジェクトが相変わらず健在であり、ラインにはReach SL/Road/City/Trialが存在する模様。このフレームデザインも従来とは異なるけど、折り畳み収納性を諦めた構成からか、三次元的なハンドルが健在の様子である。

 従来のReach系モデルはクイックリリースでつり下げられたサスペンションマウントを解除することで、スイングアームピポットを軸にフレーム長を半分にして、前後輪を外す事で分解時の大きさをコンパクトにするとい発想で、収納方式を分解に限る事で三次元的なハンドル等を利用するというモノだったけど、新型では、収納目的と走行目的に分化させたようである。
 IFシリーズでは中折れによる最速折り畳み方法と折り畳み後の可搬性追求で実用性能を更に高めるような改良がなされ、本家Reachシリーズではエラストマーのショックユニットは完全にキャップボルトで固定(クイックリリースを辞めて)されておりピポットでの縦折れフレームは辞めてスポーツ走行対応のみに特化している模様。

 従来の中庸的な要素を実用性、走行性に分化させたのが特徴のようである。それにしても、ドンドン進化しているようで、折り畳み自転車の構造の進化は目を見張るものがある。凄いの一言だ。

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マイギアならばピストでヒルクライムも可能!

 表題の如く、ピストでヒルクライムっていうのは結構面白い。
 今、ラングスターTTでは、CRコースを走行した後に広島駅北口にある二葉山(山頂139m)って山にある峠越えの道(標高80m程を590mの距離で上がる。平均斜度は13.5%)を一気に走るのを週のメニューに組み込んでいる。最大斜度は定かでないが15%弱の箇所がある程の急坂だが、距離的に僅かなんで問題無いが、この急坂を展開量5.4m程で一気に上がるのが結構面白い。

 でも、こういう坂を5.4mで登れたりすると、我が家の通常の自転車に付いている2.5~1.8mって展開量のローギヤードな設定は不要のようにも思う。
 ダンシング気味に或る程度の速度を保ち、一気に駆け上がるのも楽しいものだ。

 シングルスピードで勾配に挑む時、ギアを選びようが無いので、山に差し掛かると気合いのみである。この気合いだけで結構上れるのが面白い。

 ところで、山を登る時っていうのは、不思議なモノで、或る程度の勢いを付けた方が楽に上がれるのである。勿論、勢いを付けるだけのトルクというか、駆動力というか、気合いは必要だけど、最初に気合いを入れれば、その勢いで結構上れるものである。

 ところで、ピストというとシングルスピード。シングルスピードで選ぶギアは何を選ぶか?が結構大事である。
 普通、ピストバイクっていうと、回転系トレーニングとか、、、カッコイイサイト、本格的なサイトでは用途に応じてギア云々って話しがあるけど、素人連中に用途に応じたギアの組み換えなんてナンセンスである。仮に、組み換えなければならないならばピストのような固定ギアを街で乗る事自体が無意味である。

 ピストの良さっていうのは、一つのギア比で全てを賄う事。逆に言えば、全てを賄える一つのギアで楽しむ事である。この一つのギアを変速バイクで探して、そのギアでピストを作るっていうのが大事なのだ。

 発進、登坂、向かい風、下り坂、平地、最高速、フル加速、、、、全ての状況を公約数的に満たすギアっていうのは、個人で違うけど絶対に存在するもの。それを見つけてしまえば、シングルスピードバイクは最高に面白い。

 最高速度で55km/h以上、維持可能速度で45km/h以上、巡航速度で35km/h以上、更には、10%越えの登坂から、台風のような向かい風、勿論、街中でのゴーストップ、、、、自分の遭遇する状況の全ての領域で、遊べるギアっていうのはとても大事だし、このギア比こそが疲労最低のギア比でもある。
 こういうギア比が幾らか?を知っていれば、普通のバイクを製作する際も、何を重要視するか?が朧気ながら見えてくる。そうすれば、作ったバイクは何れも快適なモノとなる。

 ピストを目的にするでなく、マイギアを目的にして、結果としてシングルスピードを楽しむ!これがお奨めである。

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蒟蒻畑が生産中断!?

 表題の通り、ダイエットお菓子として一世を風靡した蒟蒻畑がという蒟蒻ゼリーの生産が中断されるそうだ。
 なんでも、幼児が喉に詰まらせて死亡するという事故が発生したのが原因。同類の事故が続けて起こり消費者団体等からの強い要望もあっての結果だそうだ。

 生産中止は小分けにしたパッケージの商品で、パッケージ形態を見直し目処が立つまで中断ということだが、目処は立っていないという。

 このニュース、なるほど!或いは、良かった!って意見が多いのかもしれないが、どうにも釈然としない。
 なぜなら、もちもちの団子とか、或いは、しらたき、蒟蒻、蒟蒻ラーメン・・・・と様々な食材があるけど、それら問題視されていないからだ。

 唯一の違いは、蒟蒻畑って菓子がゼリー状であり、見た目、子供の嗜好にマッチしている点。団子とか餅とか、、、、そういうのは子供の嗜好外という点。それだけである。

 更には、全ては知らないが、直近の幼児死亡事故では、死亡幼児の祖母が与えたとか報道されている。反論が多いかも知れないが、幼児に与える食材は周りの大人の配慮が絶対に必要だが、その配慮が欠けていた面が否めないということだ。

 自分にも一歳の息子が居るけど、与える食材は成長に併せ大きさを管理して硬さ、暑さを管理して与えている。更に大きな6歳の娘に対しても同様だ。例を挙げると、未だにピーナッツは食わせないというか、禁止食材としているし、蒟蒻ゼリーも同様だ。一般に8歳以下の子供には与えない方が良いとされる食材は結構存在するが、周りの大人がそれを取捨選択するのが義務だと思うところ。

 今回の事故は不幸だが、親の不注意があったのは否めないというのは言い過ぎだろうか?動物の世界では、親が毒味、或いは、餌を選ぶのが当然。人間でも同じでは無いだろうか?
 そういえば、アメリカ等ではファーストフードで出されるコーヒーが熱くて火傷したとかで、訴訟の対象となったりするそうだが、こういうのって、どうなんだろう?って思う方が多いし、そういうのは違和感アリアリである。

 親が危険を認知して子を守る。それを見て子は育つ。子は成長と共に失敗や怪我を重ねて注意力を養う。これが成長過程で必要な事。

 話がずれるけど、労働災害の多くは個人の危険予知能力で回避出来るモノが多いが、そういう回避教育が家庭内で為されなかった結果とも思えたりする。
 今のような時代の流れでは、人間は存在するルールに守られなければ生きていけないような、か弱い、ひ弱い、軟弱な生き物になりそうである。

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2008年10月 9日 (木)

株価下がって、何か問題?

 株価が下がって問題!って話し、ニュースで聞くけど本当に問題?ってところ。
 株価下がって時価総額が目減り!って時価って概念が怪しすぎ!?

 株安の連鎖に悲観論が飛び交っている。しかし、株価が下がって苦労するのは、基本的に組織でも個人でもだけど、実力以上の企みを持つ人が殆どではないか?組織で見ると、株式市場で資金調達が必要という段階で、その調達が適わないということだろうけど、調達しなければ事業が先行かないのなら、その事業自体が調達に見合わないとも言えるし、老後の資金を株式や投資信託に充てるのも、欲が先行した結果。リスクがあるからリターンもある。老後が不安というのは、最低資金の概念を持たない人の野望?無謀?による結果とも言う。だから、株式投資を行っていない人にとっては、「株安、株安と騒いでいるけど、生活にどう影響するの? 」となる訳だ。

 株価低迷で投資が行われなければ資金が市場から消えて無くなる。結果、倒産の憂き目に会う企業も出るだろう。でも、存在意義の無い企業を生き残す必要もないというと言い過ぎか?金を必要とするよりも、金が集まる事業を発案する事が全てであり、前後関係がひっくり返っているから悲観論が先行しがちとも言う。

 多くの人は株価反発を期待するが、株価の反転をツケの先送りのような赤字国債発行や公共事業発注で賄うのもナンセンス。大きな代償を将来に転嫁しているだけだ。完全なリストラクションこそが最大の景気刺激策だと思うのは言い過ぎか?
 本当は教育の充実、モラルの維持という部分が一番大事で、そこで生きる力≒独創性のある発想が出来る人材の育成≒競争力の確保できる技術という方程式を地道に積み上げるようなのが一番のように思う。逆に、それが出来ない人、組織は消えて無くなるのが淘汰の論理のようにも思う。

 社会的弱者という表現があるが、弱者は最初から弱者である例が極稀であり、殆どが、人生の何処かの部分で輝いていた筈。そこでの過ごし方、怠け、堕落が後のツケとして廻ってきたとも言う。苦労の度合は現在の社会で人それぞれだろうが、その現状は、その人の生い立ち、生き様が自分で生み出したモノでもある。そういうものだろう。逆に、現状でも他人事のようにあぐらをかいている人も居るだろうが、それも何時か代償を払う時期が来るだろう。

 そもそも株式という企業活動資金を市場から集めるというルールだけど、その株式っていうのは投入資金による事業が成功した時に、投入資金配分に応じて利益を回収するというシステムであり、資金を募っても市場が判断しなければ資金が集まらないのが本来の姿。資金の収集力を上げるような事業こそが、この経済システムにおける必要な力となりうるという原則論を唱えるっていうのは間違いだろうか?今の施策っていうのは、例えば、公的資金の注入とか、公共事業っていうのは、絶対に事業が成功しますよ、これを保証しますよ!って宣言であり、仮に、そういう形で株価数値を引き上げても、市場において株価を牽引する事業自体が作為に満ちているとも言う。
 今回の株価下落は、そういうツケを払っているに過ぎないようにも思う。そのツケが応える人や組織っていうのは、過去において、ツケを利益として享受しているのでは無いだろうか?

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株価暴落の翌日(今日)は?

 過去においても何度か株価の暴落を経験しているけど、殆ど例外なく、暴落の翌日は暴落時の下げ率の半分程度の率で戻すのが通例。
 って事で、昨日10%近い暴落を記録したのだが、本日は5%程度戻るか?戻らないか?これが関心どころ。

 この株式相場が反動で戻るって言うのは、株価大暴落に対する買い戻しもあるだろうけど、市場への介入の効果の算定をマーケットが行うからだと思っているが、今回も、暴落に対して各国政府、金融機関は様々な市場介入策を打ち出している。

 そんな策が○か×かを市場が判断するところだろうけど、仮に、戻しが暴落幅の10%程度に留まるとすれば、市場の期待を政策が裏切っている事か、今の市場の混乱を収拾する術を誰もが思い付かない状況って事だろうか?

 それにしても、金利を下げるという有効な手立てが取れないのは、金利を戻すタイミングで戻せなかったため。有効な手立ての金利引き下げが出来ず、欧米との金利差が圧縮してくると、仮に株価が戻ったとしても日本の為替は当分円高傾向に推移しそう。そうなれば、現在の技術水準による日本の製造業は輸出競争力を相当に失いそうでもある。
 結果、輸出産業を陰で辛うじて支えてきた中小も更に厳しくなりそう。

 欧米の株価暴落に伴う協調介入でも改善の兆しが見られないとなると、欧米の中央銀行による金利引き下げが更にあるのだろうか?それが進む程に日本は厳しくなりそうでもある。
 あんまり景気よく?資金を市場に供給しすぎると、、、、、結構、その先がやばそう。

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経済情勢の変化は最近の政府の経済政策に依るモノでは?

 先週の金曜日(10/3)のメインサイトの日記、今週月曜日に作成したブログ記事の通り?に、金融不安で世界の株価低迷が同時進行して、その影響を日本も受けている様子である。

 政治家の中には、選挙の前に景気対策が必要とか、或いは、景気回復が遅れるとか、、、との声が大きいし、マスコミでも中小零細企業の経営が逼迫して倒産件数が増加している云々の報道を盛んにしたりしている。

 まぁ、株価低迷って言っても、実体経済以上に過剰価値が人為的に作為的に付けられていた株価自体が異常であり、その作為っていうのがファンドの行為等に責任があるなんて話しがあったりもするけど、投資の世界では現実国境が存在しないで、資金調達にも金に差異など無いのが現実の筈が、ここ最近の経済政策?によって、人為的な株式市場の操作や各国の中央銀行の政策の非協調性によって、それに目を付けたファンドの力が、実体経済と株式市場評価の差を生んでいただけであり、それが解消されつつあるに過ぎないのが実際のところでは無いだろうか?

 一国の背伸びによる利潤獲得競争や、金利差を利用した資金運用による利益獲得、製品価値を製品性能以外で決めるブランド?という抽象部分の評価影響力の拡大といった、実体(実際の需要に見合った供給システム、或いは、価値に見合った評価)評価外評価が無くなりつつある訳であり、この流れ自体を悪と捉える事自体がナンセンスとも思える。

 今回、笑えるのは株価低迷で米欧の協調利下げが行われた反面、日本は協調出来ない事。これは、米欧は金利の下げ代を確保していたけど、日本は景気拡大期においても恐れのためか、低金利のまま本来の金利水準に戻せなかったためである。
 さらに、これまでの景気拡大期において米欧と日本で資金調達環境の差異を作っていたのが、実は実体経済をねじ曲げていたとも言える。日本の経済政策自体が実体経済と株式評価の乖離を生む助長要因になっていたとも言えるのでは無いだろうか?

 今後、米欧の景気減速に伴い、米欧の協調利下げが進むと、資金調達の差異を付ける事で円安誘導していた政府の政策は破綻を迎えるかもしれない。資金調達に日米欧で差が無くなれば、本来の為替レートに戻る訳で、為替レート的には90円/$って状況も不思議ではない。そうすると、本来日本で作るべき製品以外の製品(人件費に見合った付加価値製品、発展途上国で作れる製品を主製品とした製品では無意味)を作る製造業は淘汰される訳で、本格的な不況が訪れても不思議ではないようにも思う。まぁ、その不況は絶対的には必要なもので、そういう淘汰が無ければ相対的低価値で利益を上げるという矛盾が続く訳であり、いよいよ、過去のねじ曲げられた経済評価時代が終焉を迎える時が来たのか!?と期待したりしている。

 金利差がなくなれば、円高が進行し、国内の株価低迷が本格的に始まるかも、、、、90円/$、株価7500円程度にこれから向かうのかも知れない。
 その状態から、本当の改革による日本独自の付加価値を生み出す産業が生まれ社会を引っ張るというのが理想だろう。一度、みんなで地獄を見て、誰でも作れるモノでは勝負にならない事を実感するのが良いかもしれない。

 取り敢えず、少なくとも今の景気状況を政府の小手先で改善させる事は不可能だろう。サッサと選挙すればよいのに。選挙が最大の景気対策のようにも思う。

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オレンジが減った、、、、

 といってもボディーカラーでなく、車の前後のライトの話し。元々、ウインカーレンズというとオレンジ色のリフラクションカットされたレンズが定番だったけど、チョイ前からオレンジ電球+白色レンズ、最近は、クリアレンズ+ベゼル内マルチリフレクタータイプと変わり、下手するとオールクリアーレンズ方式みたいなのが多い。

 逆に、オレンジ色のウインカーレンズを見ると新鮮に感じる程である。オレンジ色のウインカーレンズが健在だったのはいつ頃の事だろう?最近は全く見る事が無い。平成8年式のイプサムが会社に停まっているけど、それくらいである。

 何か、ホワイトレンズってのは今一だし、更にクリアレンズっていうのは輪を掛けて今一である。ターンシグナルはやっぱりオレンジ色の方が良いような気がする。
 後は、光が拡散しないLED電球による赤色テールランプもなんか安っぽい。光っている時は疎らな点の配列が点灯するだけで、テールランプは輝度よりも面積発光する方が自然な感じ。でも、テールランプを宝石?に見立てキラキラさせるのが日本人の高級感なんだろうか?

 LED電球で良いな!って思うのは、点滅時の切り替わりがスパッとしている事か?通常電球では輝度の立ち上がりがやや遅い感じがするくらい。

 そう思って、我が家のエリオを見ると、前も横も後も、、、、オレンジ色は電球、LED球のみで表面レンズは白色である。これはオレンジ色のままの方が良いと思うところ。
 手間掛ける程でも無いから色をどうこうしないけど、、、、。

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これって、レコーディング?

 最近すっかりメジャーになったレコーディングダイエットだけど、これは口にするモノ全てを記録するというもの。記録に併せてカロリー表記も行う事。
 その行為によって、摂取カロリーを自覚し、食う=表記するという煩わしさによって、無意識的に食を抑制するという事だけど、自分のブログも或る意味レコーディングダイエットに近い方法か?とも思うのである。

 レコーディングダイエットでは摂取カロリーを数値化することで摂取を無意識に制限するものだけど、自分の場合は、メインは運動記録を書く事(決めた運動、歩いた歩数、漕いだ距離)で、日々の運動を行っている事を自覚し、運動しなければ取り戻せなければ!って無意識のプレッシャーを得ているようにも思う。

 何をレコーディングするか?の違いであり、自分の場合は、活動記録となっているけど、それでも似たような効果が得られているのかもしれない。

 日々の日記を見返してみると、記録しているのは、

1.朝、昼、夜の食事メニュー
2.日々の運動量(水泳、筋トレ、自転車等々)
3.日々の歩行量
4.日々の体重

 以上の4項目。一般のレコーディングダイエットの如くカロリー表示を探す必要もないし、ネット上でブログに付けるので手ぶらで何処からでも行える。

 最近は、これに加えて、自転車記録を別に付けているし、血圧記録も付けている。

 一寸、レコーディングマニアみたいでもある。まぁ、このブログの目的が記録によってダイエットを継続するっていうのが一番なんでOKである。

 因みに、メインサイトは趣味モノの改変記録、調達履歴記録であり、案外、日記好きなのかなぁ?と思ったりしている。

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腰痛、尻痛、膝痛、首痛、背痛、手首痛、、、、、

 当ブログの記事カテゴリーの自転車の部には、表題の『痛い』で検索して辿り着かれる方が結構多い。

 で、休暇予定前日の火曜日の昼ポタでは自転車における痛みを意識しながらスピママGTRで昼ポタを行ってみた。
 何度も言うけど、自分は自転車に乗って痛みを感じる事は皆無である。敢えて言うならば、視力が悪いので眼鏡以外を掛けての運転で眉間にしわを寄せると気分が悪くなるくらいで、これは自転車云々とは関係無い話だ。

 自転車に乗って痛いと言われているのは、腰、尻、膝が三大箇所のようだ。そして、その痛みっていうのは半ば当然の現象のように捉えられがちであり、その緩和というのは装具(サドル、ジェル、レーパン、、、、)によって行うっていうのが割と普通の考え方。

 本当だろうか?

 一方で、人力という限られた出力を駆動力に変換するには僅かな無駄さえ惜しいのである。表題の痛み緩和グッズっていうのは、基本は応力緩和材、緩衝材、衝撃吸収材であり、限られた駆動力の一部を不要な材料変形に割り当てているだけのものと思うのは自分だけだろうか?
 そもそも緩和材等が必要なのは緩和すべき荷重が局所に作用するからであり、本来の人間の動作は可動部分(クランクなり、、、)に伝われば、固定部分には力が掛からない訳である。本来、動かざる箇所に荷重が作用するから緩衝材が必要なのでは無いだろうか?それ故に、荷重緩衝しないと局所痛が発生するのでは?と思うのである。

 そんな事を考えながら、前記事のNHK番組の感想をブレンドしながら、或いは、過去の自分の記事を思い出しながら、昼ポタを行ってみた。

 そもそも痛いって言うのは、痛みを伴うような力を加えた結果であり、力を加える行為に問題があるのだ。力を加えるっていうのはペダリング行為そのものである。で、まかり通った諸説には、自転車に乗ると脚は細くなるというのは聞くけど、自分は乗る程に太くなると思う。で、ペダリングを行ってみた。それも90~140rpmくらいで、どの部位に力が掛かっているか?に注意しながら、、、、、
 すると、クランクが零時の上死点近辺では太股の表側が中心、そしてクランクが水平の3時の方向に向けて脹ら脛+太股裏側の筋肉が張って、その力がクランク水平で最大となる感じ。その後、脹ら脛の力配分が減って、脚を戻す時は太股の裏側のみ。ってそんな感じである。そして、特徴的なのは、駆動力最大のクランク水平時っていうのは、脹ら脛と太股裏側は相当な緊張状態となっている様子である。腰より上の筋肉っていうのは、どちらかというとクランクが上死点~水平時の方が大きくなっている様子。

 ここから思うのは、膝の痛みっていうのは駆動力に対して膝が支えれない状態からくる膝関節のズレが原因ではないか?って事。膝に大きな力が掛かっている膝が曲がった状態であるクランク水平時には脹ら脛と太股裏側の筋肉は相当な緊張状態であり膝は完全にロックされている状態に思う。この状態で脚力に似合わないギアを踏むと太股を介して脹ら脛で駆動力を送る時に膝関節のロックが働かずズレが生まれるのでは?と思ったりする。筋肉による固定力以上の力が膝関節に作用する結果が膝痛を生んでいるようにも思うのである。大きな駆動力、高い回転数で伝えるには、回転に対して膝が狂わずに連動するというか高精度なジョイント化する必要があるが、そのためには、脹ら脛と太股の筋肉が必須のように思う。頑丈な筋肉による高剛性な膝が高トルク、高回転での高出力を生んでも膝痛を生まない秘訣のように思う。

 この膝への不要な負荷っていうのは膝に掛かる力が膝関節のみで支えられなければならないが、サドル位置(上下、前後)が適切でないと駆動力を伝える支点である骨盤の揺れを伴い脚の回転が上下ストローク以外の捻れ軌跡を生みかねない。捻れの変位は全てが膝に集中するので膝が完全に上下動のみに収まるようなペダリング時の脚の軌跡を実現するようなサドル位置と踏み方を身に付けなければならない。

 そうすれば、膝の痛みっていうのは解消されると思うのである。

 骨盤の位置が固定されるっていうのは、サドル上で骨盤の揺らぎが解消される訳であり、骨盤の揺らぎ=周期的な極大荷重の発生現象が抑えられる。そのために尻の痛みも無くなるだろう。適切なペダリングストロークが得られれば、サドル形状に対して合理的な太股の回転を得る事が出来、そうすれば、内股とサドルの接触によるズボン破れ、内股痛からも解消できるのである。

 腰の痛みっていうのは、NHKのテレビの話でないが、背骨の無理な向きでの荷重負荷が原因である。背骨の無理な向きっていうのは脊椎が前傾するなりして椎間板とか背骨に無理が言っているからだ。少なくとも、腹筋以下の力を最大限かけて背骨が痛くなっては話にならないのであり、腹筋を掛けても背骨に負担感の無い背骨の向き、骨盤の向きが実践されていれば背骨の痛みは無い筈である。
 適切な背骨の向き、それに無理なく結合した骨盤の向き、その向きは骨盤からみて駆動力最大となる大腿部角度であり、それこそが個人に見合った上体の納め方である。

 最初に下半身のポジションを決めて、その下半身を最も楽に支える上体の位置で決まるポジションこそがオリエンテッドなベストポジションと言えよう。

 今回の意識の上での昼ポタでは、少なくとも膝痛を呼ばないのに必要なのは脹ら脛と太股の筋肉だ!って事。この筋肉さえあれば、トルク、回転数で出力を楽に取り出せるってこと。逆に言えば、筋肉が無いのであれば、そのレベルで支える事が出来る程度のペダリングトルクを上限に抑える自制心が必要ということ。
 それを考えると、既存のロードバイクのアウターギア領域は結構危ない感じがする。

 時折、自歩道で見かけるのだが、重たいギアで身を捩らせながら走る人(お前は悪魔のS30Zか?)。実を捩らせる=オーバートルク=膝軌跡のツイストストロークって事。膝の軟骨をすりこぎで潰すようなモノか?
 健康狙いで自転車に乗る。変な意識で漕ぐ漕ぐ!で、膝痛持ちの出来上がり!ってなる訳だ。自転車に乗って身体を捻る習慣がある人は、恐らく100%が、身体の何処かが痛い!って不調を訴えているだろう。

 以前、オーラが云々って書いたけど、水泳、自転車、単車って所は比較的長くやってきたけど、その辺で思うのは、オーラ=雰囲気=フォームなのだ。フォームが理に適っていると、無駄な動き、無駄な力が無い状態である。このフォームこそが重要であり、フォームとは目的行動に最も効率的な姿勢の事。目的行動に自分の能力を最大限作用させるのに最も都合が良い姿勢が、個人最適のフォームの事であり、それが無駄の排除に繋がり、オーラに繋がるのである。それ故に、フォームとは自身の特徴を反映したオリエンテッドなモノだが、それが手に入る事は即ち、痛みからの解放に繋がるのである。痛みからの解放を望むならば、自身を見つめ考える事から始めるのが必須ということだ。
 この考える行為っていうのが、実は、最近の人には苦手な事かなぁ?と思う事が多い。言われた事をこなすのは簡単だが、自身の問題を冷静に見つめ抽出し、それを手順を追って解決するっていうのは、なんて言うか、詰め込み型、暗記型教育しか受けていない人には相当な苦痛を伴うかも知れない。

 やっぱり、熟練者、経験者、ベテランっていうのは、一目見た時から雰囲気が違うけど、その状況はシャカリキに動かずとも、その状況における雰囲気で判るように思う。

 フォームとは押しつけられるものでなく、自身で編み出していくもの。自身で編み出すと言っても、そこには優劣のベクトルが存在するというのは論理的な正誤が存在する。つまり、勝手な思い込みでOKというものでなく、論理的に正しい方向性が存在する。自身で編み出すには、必要な知識と経験の上に正しい判断が必要という事。御都合解釈でOKではない。押しつけられたモノは仮に80点でも絶対に100点には為り得ない。少なくとも、指導する側には論理が伴っていなければ、それは指導される側にとって百害あって一理無しなのだ。

 色んなサイトや雑誌、マニアの声に接するけど、話し手自体の言葉で物事を表記している例は案外少ないし、大体が孫文献的な文章が多い。

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2008年10月 8日 (水)

『先行待機ポンプ』で調べる人が多いので、、、、

 これまた誕生日記念?で、、、今日は真面目な記事アップ!?

 表題の言葉で、表題のポンプを採用している自治体とか、そういう名目の製品を製作している企業のドメインからのアクセスが最近増えている。検索のキーワードは、『先行待機、摺動、ゲリラ豪雨、無潤滑摺動、軸受、設計法、材料選定』と言った用語。これって、作り手というか軸受けの見繕い担当者が読んでいるってことだろうか?

 最近のアクセス解析では接続元のドメインが判りやすい企業名なんでIPの逆引きなんぞしなくても、直ぐ簡単に判る。この製品関連の売り手、採用元のアクセスも多いけど、面白いのは、pref・・・ってドメインで、これは各自治体の技術センターだったりする。他は自動車、電機、大学、独立行政法人からのアクセスも結構あったりする。

 こんな健康サイトに来ても多分役に立つ情報は無いと思うけど、、、、

 でも、結構頻繁に来られる方をいらっしゃるのが興味深いところ。

 で、この先行待機という言葉の元とは、名の如くポンプに水が入る前段階で運転されていると言う事。つまりは、ポンプが空運転されているのだ。ポンプが水に浸かって運転したのではゲリラ豪雨で流入する水の排水が間に合わないということである。
 それで、豪雨が発生すると直ちに運転するポンプの事であるけど、空運転っていうのは機械的には相当ハードなのだ。本来、水に浸かって機能するポンプは、浸かっている水を潤滑冷却媒体として使用するのだが、水が無い状態で運転する場合は、摩擦が生じる部分に特別な潤滑システムを用いるのが常識なんだが、そのシステム保持に手間と経費がかかる事から不意な運転でもシステムの起動準備状態を作ると言う事は、相当な待機エネルギーが必要ということで、潤滑システムの省略が業界における開発競争のテーマだったのだ。

 この潤滑システム省略競争では、この道の最大企業が常に先行していたのだが、そのシステムでさえ完璧とは言い難いのが現状である。実際、等価なサンプルを作成して表か試験を行うと、特定の条件では先行待機が可能だが、通常状態等では結構大きな問題を抱える等の欠点も抱えている。この最大の欠点は、万が一の状態においては全システムが完全に停止するというリスクを抱えているのが致命的な事だ。
 それ故に、この大手企業でさえ、開発アイテムの採用には、開発責任者ならば絶対に躊躇の心が働くのが想像できるのである。

 そんな企業に対し、今のシステムは万が一の自体でも全システムの停止には絶対に到らないというメリットを持っている。私の開発したシステムは、類似機械ながら産業分野が違うエリアで開発を進めたものだが、分野を越えて話題の分野への適応を拡げている最中なのだ。

 このシステムの特徴は、無潤滑という発熱状態の中で発熱を加速し終末的な状況に陥る軸受隙間を完全にコントロールして保持させる事を目的としている。勿論、固体摺動における摩擦係数を低下させる工夫、局所発熱を分散させる工夫、局部破壊の伝播を防ぐ工夫も施しているが、熱的、機構的な工夫と実は材料物性と構成材料の寸法制御を行って終末状況に陥る事を防いでいるのだ。

 この考え方は、多くの機械で見られる構造の相似性に特に留意して設計する事が勘所なのだが、この熱的、物性的、寸法的の公約数的な相似性を如何に確保するか?が難しい所である。
 現在、開発アイテムは、何社かの企業を利用して部品製作会社に卸して最終的にメーカーが購買し採用した後にエンドユーザーに伝わる形となっている。

 最近思うのは、その製品機械メーカーのエンジニアの質問を伝言ゲームの如くで伝わる事があるけど、どうやら解答が正確に伝わらない感じ。で、ダイレクトに回答する事もしばしばあるけど、先の相似性を維持する際の勘所自体はプログラム化しているが、この考え自体がキーであり、特許云々の前に、下請け、卸先には、やはり公開出来無いなぁと思うところ。
 まぁ、何にしろ、このサイトに、その道の人が来る訳であり、文章を読んでいるようなので、書いてある内容が嘘ではなく、はったりでも無くって事を伝えるために、このようなジェネラルな記事を書いてみたりする。実際、この関連の特許はネット検索すると氏名と併せて調べる事もできる。特許でヒットする件数は未だ二桁には到達しないが、将来的には最低でも誰も思い付かない事で20件くらいは特許化したいとも思う。

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腰痛

 表題のテーマで日曜日にNHKで特集番組が放送されていた。
 腰痛っていうと日本人の88%が一生の内、一度は体感する感覚なんだそうだ。そして、一般的?に、腰痛っていうのは直立歩行している人類に宿命的な痛みとも思われているそうだ。

 この説に真剣に考えたのが番組の内容だったけど、最初は、この腰痛が宿命的な痛みか否か?を探っていた。宿命的な痛みか否か?を探るために、チンパンジーと人類に分化して骨盤の形態の違いがどうか?を探り、その違いの理由を生活形態との関連から考察する内容だった。
 チンパンジーでは腕によるぶら下がり移動時における下半身の重さによる負荷に耐えるために背骨が骨盤に埋没するような構造で強度を確保しているのに対して、人類は直立歩行に併せて背骨を逸らす方向に湾曲させる構造を得るために背骨が単体で上体を支える構造となっている等々の解説で、上体の重量を背骨のみで支える構造が腰痛の宿命性に関連しているのか?という話しだったけど、その説の実証のために、生活様式の異なる民族の取材を重ね腰痛の有無を調べた結果、直立歩行時間が極めて長い部族においては腰痛とは無縁という例を見つけ、腰痛の原因を探るという構成だ。

 結果的に、腰痛とは背骨に負担の掛かる動作を連続的に行う事が原因で、その負担動作の象徴が農耕による収穫物の加工作業によってもたらされる事を突き止めていた。

 因みに、腰痛の主原因は番組前半で、脊椎の継ぎ目に存在する椎間板と呼ばれるコラーゲン組織が劣化して椎間板の弾性喪失、硬化によって背骨が椎間板を弾き出すことで神経を圧迫するのが多いとかの話しをしていて、椎間板の健全性保持には適度な運動による椎間板の再生を高めた新陳代謝の確保が重要という話しだったけど、農耕動作のような繰り返し前屈運動では負担が蓄積し椎間板が摩耗変形するとも説明していた。農耕作業以外ではテニスのサーブのような動作で背骨に疲労骨折を生じれば痛み的には同じ症例を引き起こすとも説明していた。

 結局、椎間板が保てるか?否かが腰痛に襲われるかどうか?の瀬戸際のようだが、この椎間板を健康に保つには程良い刺激で新陳代謝という反面、過度な運動で背骨の疲労骨折が腰痛を引き起こすとも、、、、

 運動は大切だが、過度な運動はNG。但し、運動といっても歩行、走行のような運動なら1日30kmを走り続けてもOKという反面、テニスのサーブではNG、前屈動作がNGということは、背骨に対する刺激としては上下動はOKで、捻り動作はNGなのか?と思ったりもしたところ。

 この番組では、椎間板に掛かる圧力を計測もしていたようだが、体重72kgの人の通常起立時に椎間板は66kgの力を受けているということで、体重以外に背筋、腹筋等による力を内力として加えて受けているようだ。更に、前傾時には背筋等のちからによって局部的には230kg級の力が掛かっているそうで、背骨を支え無しで傾けることによる負荷は想像を絶する事も判ってきたそうだ。
 加えて、そのような負荷は、その姿勢を取った際の神経の緊張度(ストレス)によっても大きく変化することも実験で明らかにされていた。

 腰っていうと、身体の要って書く通り重要なモノである。その部分を如何に健全に保つか?が生涯の楽しみを得られるか否かに掛かってくる。そのためには、背骨に疲労骨折を来さず、椎間板を劣化させず新陳代謝させて弾性を保たせるのが重要みたいだが、そのためには、背骨を支え無しで傾けたり、考えながらの前傾姿勢を避けたりするのが重要という事。健全性を保つには、背骨の然るべき向き、即ち、垂直方向で均等な上下圧力を加える事が大事ということのようだ。

 こんな記事を書いたのは、実は土曜の夜から微妙に腰痛か?って思える痛みを感じていたため。でも月曜日には取れていたし、冷静に痛みを追うと、背骨ではなく背筋の一部の筋肉痛というか筋違いかのどちらかの様子。で、腰痛を意識したためだが、平均寿命の半分を過ぎた人生後半戦に突入した今は、生涯迫り来る不具合をなるべく遠ざけるような意識を常に持っておかないといけないか?と思っているのである。

 自転車でも水泳でも、或いは、各種筋トレでもだが、背骨が痛くなるような運動だけはNGだ。自転車で腰が痛いって話しは良く聞くけど、自転車に乗って椎間板や背骨を虐めているから痛くなるのだろう。運動は身体を壊すために行うのではないだけに、その辺の意識は常に持っておくべきだ。

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景気はどうなる?

 誕生日?記念にチョイ真面目な記事を書く。この記事は月曜日の昼休みに書いた記事だが、掲載は水曜日午前零時の予定。

 週明けて、株価は10,500円切って、円も102円/$迄上昇。株価は何処まで下がるか?は不明だが、過去10年、20年を見て、同じ周期で波が来ると?下手すれば7,500円くらいまで下がるのか?とも思ったりするし、景気の後退局面は最低でも2011年位までは続くのか?と思ったりする。
 実際のところ、経済学者でも政治学者でも評論家でも無いけど、数字の傾向からみると、そう思ったりする。株価が上昇する理由が見当たらない。

 ところで、衆議院の解散が噂され、その政策論争には景気対策が何時も叫ばれるけど、景気対策っていうのは本当に政治主導で必要か?というと、最近は景気対策の結果で景気浮揚を計っても実感無き好景気なんて表現が示すように、指標数値のみの景気回復が論じられ、生活感に反映されていないのが現実であり、そうならば、下手な経済政策は景気動向が複雑化するだけど無意味かなぁ?と思ったりする。今の景気対策は利権を守るべき所に効果的な保護政策を打つという手が主かなぁ?って思う。議員さんの票に有効な業界を守る事が景気対策であり、景気対策という名の国税による選挙対策のようにも見えるのは気のせいか?

 本当は適度な好況と不況が繰り返す事が必要で、その変動で企業が国際競争力という地力を付けるのでは?とも思うのである。

 現在の日本を支える製造業の技術力を見ると、資源の無い日本で今ほどの人口を支える程の相対性を持っていないと思うのは気のせいだろうか?

 作っているモノ自体の品質差はマーケットの要求レベルからみると僅差以下であり、既に、メイドインジャパンの神通力は無いような感じであり、今や、僅差の品質以上に、ブランド戦略でソフト的に優位に立つ事が重要な感じ。
 それもこれも、マーケットの要求に対する市場製品の充実度が上がったためだろう。

 こういう世の中では過去の加工貿易なんぞは死語となりつつあるようだ。

 唯一無二の知識集積を計ったCPUの開発のような産業にシフトしなければ生き残りは不可能であり、株価、為替とも価値の無い日本に向かっていくような気もする。

 知識の集積には、集積すべき母体の規模が重要であり、そう考えると、欧州圏がEUとして纏まっていくのは時代を読んだ先見性にも見える。今の日本では実現不可能だろうけど、アジア圏で纏まって知恵を集積する体制が必要な時代かもしれないが、過去の清算が終わったとアジア圏の国々に認められなければ世界の中で日本の地位は政治的にも経済的にも埋没していくかもしれない。

 果たして、月曜日に10,500円を割った株価だが、記事アップの水曜日午前零時迄のディレイの36時間の間に株価、為替の変化は如何なっているだろうか?

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2008年10月 7日 (火)

軽いギアは楽珍だ。

 この日曜日の深夜にTriathlonBikeの記事をアップしながら思ったのだが、我が家の自転車のギア比は超ワイドの多段ギア車以外は、基本は相当にローギヤードなモノが多い。
 BSロードバイクもジュニアカセットで16Tトップが特徴的、小林ロードは14Tトップながらアウターリングは46Tと小さめ、小径のルイガノMVFでもトップは13Tだ。オ・モイヨWWはトップ11Tながらアウターリングは48Tと小さめ、、、、
 重たいギアっていうと、スピママGTRと西DAHONというDAHONベースの改造車だけど、これら改造車も内装の重たいギアを使わねば基本は軽めである。超多段故に重たいギアも!付いてくるだけの話し。

 このように軽いギアが基本で自転車は組まれている。っていうのも、漕いで重たいのは怠いし、しんどいし、、、、負荷少な目で走る方が楽だからなのだが、過去を振り返ってみれば大昔からローギヤードに強い憧れを持っている。
 でも、自分の世代を考えれば、昔の自転車ブームを過ごした世代であり、多分、同世代は軽いギアに強い憧れがあったのでは?って思う。

 昔はランドナーブーム。しかし、軽いギアは一般的な貧乏学生向けにはフロントインナーが34T、36Tが選択の最小値だったように思う。金持ち裕福な人には、スギノのプロダイ、TAのシクロツーリストって選択があったけど、中学生には無理な話である。5ピン留めではインナー28Tとかも選べ、それが峠越えの強い武器というのが憧れの理由だ。

 思い起こせば、大昔にヤングウエーシリーズでゴールドギアというスーパーローのボスフリーがセットされていたのが印象深いけど、あのゴールドギアは34Tというギアだ。あのジュニアスポーツ独特の世界だったけど、当時の普通のロードバイクは?っていうと、最大で28Tというのが限界であり、自分が当時乗っていたロードマンではリアハブは何故かカセット仕様でありヤングウエーの34Tローのボスフリーが付けれなかったのを覚えている。

 当時、ロードマンでの最も軽いギアは前が36T、後が26Tくらいだったけど、どうしても34Tが欲しく、中学生の頃にハブを買ってニシダサイクルさんの先代社長に組み方を教わりながらボスフリー化して34Tローのボスフリーを組み込んだのを覚えている。中学二年の頃、この34Tロー仕様で、当時の広島の吉和、立岩ダム方面にサイクリングに出掛けたのを覚えている。
 高校時代もロードも乗っていたけど、メインの街乗りはフロントトリプルの軟弱スポルティーフ。前はプロダイに3ピンアダプターを付けてインナー28T、カセットローは26Tだったけど、こういう構成は当時的ロードではナンセンスだった。
 このように、当時から兎に角軽いギアが欲しいという気持ちが強かったけど、未だにその傾向が続いているのである。この年齢になってロードバイクに乗ろうか?って思うのは、5アームクランクでもインナー30Tが選べるし、そういうビギナー向けのロードが普通になっているからだったりする。勿論、それでもカセットトップの11Tとか12Tは不要だけど、、、

 しかし、ここ最近自転車に復活して周りの皆さんの傾向を観察すると、兎に角、ギア比はハイギヤードである。確かに、ロードバイクでもトリプルが選択できてインナー30Tという選択も可能だが、高速側では使う状況が考えれない程のハイギヤードなギア比が普通でありビックリしているのだが、使えないギアは不要って思った時に、大きなトップ歯数が使いにくい現状に一寸したカルチャーショックを受けている。
 飾りのギアよりも使えるギアをなるべく沢山選んだ方が自転車生活は幸せになると思うのだが、みんなどの様に考えているのだろう?

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折り畳み自転車の機動性

 日曜日は子供の幼稚園の運動会。会場は園庭である。それ故に、幼稚園に自動車で行くのはNGだ。しかし、天候は今にも雨が降り出しそうな状況、、、、、多くの人がタクシー、歩行での登園だが、我が家は1歳児がいるんで車で出動、、、、、でも、車は駐車出来ない。

 で、家族を降ろした後に車で近くのコインパーキングに駐車。パーキングから幼稚園迄は1km程離れているけど、ここで活躍するのがDAHONのスピママ号だ。この自転車の荷台に脚立を縛り、ディバッグにビデオ、カメラを入れて背負い幼稚園迄ダッシュ!

 こんな使い方が出来るのは最高に便利だ。自動車に折り畳み自転車を一台積んでおくと結構行動範囲が広がる。機動力は抜群である。

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深夜のサイト更新は睡魔を呼ぶ、、、

 日曜日は午前中が降雨前に繰り上げ時間帯で幼稚園の運動会、、、、午後は、降雨の中、自宅でゴロゴロ、、、、、で、夜運動した後に、深夜に久々のホームページの更新である。
 自分にとってココログと@ホームページの使い分けは?っていうと、、、、

 ココログは日々の思い付きを日付の変わる午前零時に更新予約で更新している。内容は思い付き中心なんで、基本は文字ばっかりで文章も冗長気味で、意味のない?日記のようなもの。まぁ、目的は、日常生活で遭遇する案件に対しての感想を広義の解釈で纏める事で頭の体操を行うというもので、このブログの主旨にそった頭の体操の道具で、ボケ、脳の老化防止のための存在である。更新の手間もキャラクター中心で文字入力が出来れば何処からでも可能っていうのが特徴である。

 一方で@ホームページは、もう一寸タイトで、趣味の中心である二輪車をメインに自分の考えや扱いの変化を記録として残すためのもの。よって、記事の重要度に時系列は無関係で時間経過に従って重要と思っている記事が流れるのは良い具合では無いものでもある。よって、目的の記事迄簡単に速く到達できないといけないものであり、自分にとっての重要案件迄簡単に跳んで何処からでもPCとネット環境で直ぐに探せる備忘録のような存在である。それ故に、或る程度の画像情報も必要なのだが、その分、更新と記事作成がブログ程簡単に出来ないのである。勿論、画像関連の操作ソフト環境、デジカメからの簡単取り込み、ページの関連等も考慮したホームページ作成環境が必須であり、基本は自宅のPCからのみ行うものである。

 そんな訳で、重要な案件が無いとサイトの更新は為されず、更新頻度には雲泥の差がある。この差の原因っていうのは、更新環境の差、内容の差でもあるのだが、、、、
 取り敢えず、そういう訳でブログ開設以来特に@ホームページの更新速度は低下していたりする。

 そんな状況の中、日曜日の深夜(月曜の丑三つ時)に久々に更新したのだが、結構時間を食うし、終わると午前3時過ぎ、、、、既に相当に眠たいのだが、今週の水曜日は、自分のバースデー休暇取得の予定。勿論、そんな制度は無いのだが、自分で決めて自分で休むもの。ということで、水曜日も@ホームページを更新するかもしれない。

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2008年10月 6日 (月)

宮崎県民でないけれど、、、

 東国原知事、宮崎県を売り出すセールスマンという事らしいけど、最近は衆議院議員選挙への出馬が取りざたされている様子。一応、静観の構えらしいけど、本人的には色気が無くはない様子。

 どうでも良いけど、最近は一寸バラエティ番組出過ぎだろう。本業もこなされているようだけど、テレビ番組で見ない日が無い程に露出しているのは如何なモンだろうか?
 選挙の集票能力っていうと、知名度+政策だろうけど、果たして政策論のみでは、どれほどの評価を得ているのだろうか?確かに知名度は抜群だろうけど、、、、

 最近は知事としてというよりも、知事という芸風を持った芸人に見えるのは言い過ぎか?パフォーマンスとは違う政策ビジョンを掲げ、時系列でクリアする目標の到達度評価等で過去の政治家とのアピールをして頂きたい。抽象論、印象論ではなく、具体的成果、進捗状況の具体評価をしなければ、みんな飽きるのでは無いだろうか?

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軽自動車の流行は変わったの?

 8月の軽自動車の銘柄別登録台数でトップはモデル末期のワゴンRっていうのも驚きだけど、それとは別に業界で驚かれているのが、ダイハツの車でタントがムーブより沢山売れた状況なんだそうだ。
 この状況を以て、軽自動車でも超ハイト系の車に流行の主軸が移っている!?って論評を見かけたりする。超ハイト系っていうと、タントが先駆けで、追随としてパレットという車が該当するジャンルだ。

 軽自動車自体に関心が無いので、そうなんだ!って思っていたのだけど、金曜日のスポーツセンターに行く際に何台かのムーブを見かけたのだが、、、、、これは、流行が移ったのではなく、ムーブがトレンドを外しただけっぽい印象。タントが売れたのもあるだろうけど、それ以上にムーブの客がタントとワゴンRに流れてワゴンRが売り上げを落とさず、ムーブが延びなかったって感じを受けたけど、どうなんだろうか?

 現行のムーブ、所謂モノフォルム系のデザインなんだろうか?大きな車ではエスティマ等の系統なんだけど、軽自動車でデザインすると厳しい印象。特に、面に張りを持たせるデザインが作りにくいクラス故に平面的でモノフォルム系デザインというと安っぽさ?を感じるような雰囲気だ。ハイト系とは異なるけど、セルボにしろ、ソニカにしろ人気があるとは言い難いデザインだが、それに通ずる雰囲気を持つのは、市場の動向から外れているような気がする。現行のタントは超ハイト系かもしれないが、車の雰囲気からみると先代ムーブの正当後継車としてのデザインを引き継いでいるように見える訳で、軽自動車の売り上げランキングから見ると、単純にムーブの一人負けでは?って感じも受ける。

 ところで、軽自動車っていうと、ダイハツは最近、気負いすぎ?って印象が強い。派生車種を乱発気味だし、コマーシャルでも『軽ナンバーワンのダイハツ、、、、』って文言。
 何か、二輪のHY戦争で背伸びし過ぎてトップメーカーを起こらせたヤマハのような雰囲気。乱発して増やしたラインナップで台数稼いでも、ラインナップ増殖に伴う車種あたりの収益性から見ると今一の感が否めない。ナンバーワンメーカーならナンバーワンを数年維持してから宣言する方がスマートである。
 チョイ前に登録台数でホンダが日産を抜いて第二位となった時期があったけど、ホンダがCMで二位となったことを強調するようなシーンは無かったけど、何か対照的である。

 まぁ、自分がホンダとかスズキが好きなメーカーで、トヨタ系(ヤマハ、ダイハツを含む)が好みでないメーカーっていう先入観があるからかも知れないが、、、、、

 ところで、タントとか追随のパレットとか見ても、今一つ良さが判らないというか、、、あそこまで超ハイトっていうなら、素直にエブリーとかアトレーで良いと思ってしまうけど、まぁ、商用登録が存在しないっていうのが重要なのだろうか?確かに、ハコバン系と比較すると、相対的にガラス面積が広いのが特徴で、プラットフォームの違いから来るフォルムの違いの差は明らかではある。超ハイト系はFFプラットフォームで低床で天井が高いが故のガラス面積の広さが印象的で、ハコバン系は床下エンジンのFRプラットフォームで高床故ににショルダー以下が広く、ガラス面積はそれ程でも無いけど、、、、
 個人的には開口部の広いコレ系では、頑丈さ+MTが選べるという理由でハコバン系の方が好み故に、タントもパレットもどうでも良いけど、、、、

 と、そんな印象を持ったのである。

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2008年10月 5日 (日)

ナニコレ珍百景の改造ママチャリ

 金曜深夜の表題の番組を見ていて登場したもの。この改造ママチャリは番組の以前の放送で紹介されたモノらしいけど、自分が見たのは今日が初めて。
 このママチャリ、スレッドコンバータを付けてアヘッドステム+ドロップハンドルに異様に長いシートポストで超前傾のサドルという構成で、前後にカゴが付いた自転車。

 http://www.tv-asahi.co.jp/nanikore/

 のバックナンバーで2008/7/30放送分の中に見える。珍百景No.218に登録されている模様。

 この自転車、以前の放送でネットの自転車関連サイトで話題になったそうだ。

 まぁ、テレビで取り上げるのも爆笑を誘うという意味かもしれないけど、失礼な話だ。
 オリジナリティ抜群で楽しく生きている感じが素敵に思う程度だが、ビックリしたのが同じ仕様の自転車が二台存在し、夏用、冬用とあるそうだ。この拘りは凄いと思う次第。変な意味無しで、拘りというか、ポリシーが在るというのは素晴らしいと思う。

 ママチャリの改造っていうのは、冷静に考えるとDAHONのような折り畳み自転車を改造するのと根っこの部分では変わんない。同じだ。このオジサンの改造ママチャリを見ていると、我が家の西DAHONを何となく思い出すけど、似たようなモノとも言える。

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安芸区SC、復帰初日。

 先週まで東区のビッグウェーブで泳いでいた。6月始めから9月終わり迄は50mプールが使用可能なためである。そんなビッグウェーブも冬期のスケートリンク準備のために今月からは使用不可能となる。と言う訳で、6月7日以来の安芸区スポーツセンターである。

 早速、受付に出向くと、受付の係の方は覚えてくれていたようで、『お久しぶり!どうされていたのですか?』って聞かれたのだけど、覚えて下さって頂いたというだけで有り難い気持ちになる。

 で、久々に泳ぐ25mプールはやはり狭いなぁって感じ。しかし、中区は駐車場が有料だし、東雲プールは駐車台数が少ないし、東区はプール自体が狭いし人も多い。西区、安佐北区は遠すぎるんで、勤務先である安芸郡からの利便性等も考えると、やはり安芸区がベストである。
 それでも今日(金曜日)は他に泳いでいる人が皆無であり快適に泳げた。

 しかし、50mの2.2m水深のプールに慣れていると25m、1.2m水深のプールは剰りにも狭く浅い感じがするところだが、その内慣れるだろう。そんな25mプールでの水泳だけど15分で750mペース、一時間でジャスト3000m泳いで取り敢えず終了。

 ただ、NGは泳いだ後に帰る時だが、中年オヤジらしく受付に併設された売店で菓子パン、菓子を大量に買い込んでしまった。受付の方と話していると、いつもより?沢山買ってしまった。アホである。

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2008年10月 4日 (土)

カーボンフレームは最高さ!?

 カーボンフレームはカーボン繊維を編んでシート化したモノをフレーム形状で成形したものである。この繊維シートを形状に合わせて重ね方等を工夫することで必要なところに必要な強度をあたえ、不要な部分は限りなく薄くして強度設計が三次元的に行えるっていうのも他の材料によるフレーム以上に強度的な設計自由度を大きく上回っている。単純なCFRPパイプであっても材料特性は自由自在に調整する事が可能であり、これは従来材料では肉厚や形状での調整に限られていた部分の調整手段を大きく拡げるという意味でも優れた特性を有しているようだ。
 カーボン材をフレームに用いると、このような強度設計のみならず、一体成型することで明確な接合部を無くし、接合部における応力の集中等も避けることが出来たりして、最高の素材とも言えるのである。

 そんな理由もあってか、競技者の殆どが今やカーボン材を使うのが当然となっており、それを範とする各社のフラッグシップモデルや高級モデルの多くは、競うようにカーボン材フレームをラインナップしている。

 勿論、カーボン材自体は単純に言えばカーボンで補強したプラスチックであり、有機材料的には熱硬化性エポキシ樹脂故に、樹脂の紫外線に対する弱さであったり、経年変化といった弱点もあるけれど、そんな性質は、日常においては気にする程では無いと思うのである。

 そう、性能?的にはカーボン材料っていうのは最高の選択だと思うのだ。

 で、自分は次買うフレームは何にするか?っていうと、実は、一番最初に除外するのがカーボンフレームだったりするのだ。カーボン材で許せるのはフロントフォーク迄かなぁ?って思うのが自分の選択である。カーボンよりもアルミか鉄が良いかなぁ?と思うのである。

 先に示したように、カーボンフレームは強度設計の自由度が極めて高く、剛性が必要な部位、そうでない部位、しならせたい部位と要求仕様に併せて自由に素材をコントロールできる特徴がある。それ故に、無駄のない高性能なフレームが得られると思うのである。
 しかし、自分が自転車に乗る状況を考えれば、自転車の用途に似つかわしい衝撃を加えないとも限らないのである。町で遭遇する段差、或いは、立ちゴケ、脇見で電柱と激突、立てかけていた自転車が倒れる、、、、そんな状況を考えると、そう言う時は、得てして、転けた場所にブロックが転がっていたりするものである。

 そんな時にカーボンフレームはどうか?って考えると、レースユース志向で作られたフレームは走行時に受ける負荷を想定して設計されているものであり、落下や転倒での負荷は考えていないのでは?って思ったりするのである。更には、一体成形することで得るメリットに隠れて生まれる無駄の排除故に生じる、局部強度の低下っていうのは打刻的衝撃に極めて弱いという問題も抱えるのである。

 そう考えると、街乗り主体の素人使用では、性能の高さを実感する前に、想定外疲労への弱さが問題となるように思うのである。そう考えると、少々の想定外の衝撃にも安心?なアルミとか鉄が良いかなぁ?と思うのである。
 高級なクロモリっていうと超薄肉故に凹みが怖いので、そういう点では肉厚気味のアルミの方が安心か?とも思うし、或いは、雌ねじが切ってある部分を考えればアルミにネジを切る構造自体が不安故にクロモリが良いか?とも思ったりするのである。

 世間では、クロモリのしなりが心地よいって言われているけど、自分はクロモリフルサイズの乗った感じよりも、小径車やアルミフレームのラングスターTTのようなカチッとした感じの方が好みである。
 話しがそれるけど、クロモリやカーボンのしなりが快適という意見をよく見る一方で、サスペンションストロークのパワーロスが不快という意見もよく見る。でも、考えてみれば、どっちも車体の一部が変形しているのであり、全体が意味不明の変形をするよりも、変形すべき箇所が僅かに変形するというサスペンション構造の方が解りやすいとも思うのである。(この理屈、単車のレプリカブームでも言われていた事。'88のNSR250R、RC30の時代は超高剛性フレームと優れたサスペンションで乗り手を選ぶけどカチッとした操縦性で戦闘力はピカイチって言われていた。しかし、'91NSR以降のホンダ車が剛性を落として乗りやすくしたって謳い文句だった。でも、当時乗って思ったのは、好みは'88前後のガッチリ系だったし、最近ではSV650系の話しもそう。前期のパイプトラスフレームのガッチリ感は良いけど現行のトラス風ダイキャストフレームの抜け感は今一。)で、乗り心地を追求するならば、しなるフレームとかサスペンションが良いのは理解できるけど、カチッとしたいなら頑丈なフレームの方が好みなのである。

 一般に、クロモリフレームがしなるっていうのは、薄く作っているからしなるのであり、クロモリフレームでも頑丈に作ろうと思えば出来るのである。多少は重くなるかもしれないが、そういうモノである。アルミフレームの良さは肉厚さ故のガッチリ感であるが、ネジが弱そうというの気掛かりな訳で、それならば肉厚のスチールパイプが頑丈かつネジも安心って思うのである。

 ということで、自分が買う候補は、チョット重めのクロモリフレームなのだ。できれば断面形状が太めで一見アルミっぽい鉄フレームが良いなぁ、、、って思うのである。カーボンフレームなら1.5kg以下、アルミフレームなら2kg前後、軽めのクロモリフレームなら2kg台前半だろうけど、仮に買うならクロモリで3kg以上のクロモリフレームが良いかなぁ?と思うのである。

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脳細胞の活用率について思う、、、、

 脳に損傷を受けると、記憶の一部を失ったり、或いは、痴呆症状が現れたり、機能障害を来す事がある。最近では脳に萎縮が見られるとアルツハイマー症の発症が裏付けられたとするみたいである。
 確かに、この部分だけを見ると、脳はとても大切で少しでも損傷を受けたりすると甚大な影響が発生するようにも見える。実際、最近のテレビでは脳内の出血状態を映し危険な状況を知らせたり、或いは萎縮した様を見せて記憶等々に及ぼす影響を危惧したりという説明を見る事が多い。

 しかし、随分と昔から聞く話だけど、人間は持っている脳細胞の内、2~3%、最大でも10%程度しか活用していないという話も聞いたりする。更に一般論としては脳細胞は死滅しても増殖はしないという話も聞くが、実際に活用している脳細胞の量が極僅か故に、脳細胞が死滅しても影響が無い等の説明を見たり聞いたりする事もある。

 この辺の話の疑問としては、使わない90%以上の脳の存在の意味はあるのか?とか、或いは、使っている脳細胞が僅かなのに、僅かな脳の損傷が甚大な影響を受けるのは何故か?といった疑問だけど、冷静に考えてみると、脳細胞が使われているかどうか?の判定を人間の理解した知恵の範囲で調べた結果が数%の使用に留まっていると判定しているに過ぎないのかなぁ?って思うのである。

 人間の文明発達の歴史に較べると人間の進化の歴史は遙かに長く、その進化の結果得た構造や機関に無駄なモノが存在するという事自体がナンセンスであり、実は、人間が判定しうる知識とは別の次元で100%使用されているのだろうか?と思うのである。

 これは、昨今の健康ブーム、ダイエットブームで様々な方法が紹介されたり、その中で器具やサプリ、薬品・・・が紹介されているけど、どの方法も不自然だが、不自然のバックボーンには人間の持つ機能の一部を紐解いただけで全てを理解したかのような文言が目に付くけど、そういう考えと脳に関する情報は案外繋がっているのかなぁ?と思うのである。

 進化した生物の器官や機能は進化の過程で淘汰、特化された結果であり、そこには存在意義というものが確実に存在しているだろうと思う。それ故に、実は脳細胞は既知の判断では推し量れない領域で実は活発に使われているのでは無いだろうか?

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ブームは続くか?

 何度も記事にしているけど、過去において単車でレプリカブームが発生して衰退していったが、今は自転車ブームのようだ。レプリカブームでのブームの発端というと、、、、、『汚れた英雄』って映画に象徴されるような格好良さであったり、レースシーンでパラソル&ハイレグで武装?したレースクイーンの華やかさであったりしたけど、自転車ブームでは、健康、環境、節約といったキーワードがブーム発生の一因となっているようだ。

 で、このようなブームが長続きして定着するかどうか?っていうと、やはり、その世界に入ってからの人の付き合い方次第なんだろうと思う。
 どんなにブーム発端の理由が沢山あっても、そのモノ自体の魅力にシンクロしなければ飽きてしまうものだろう。ブームに限らず、新しい世界に踏み入れる切っ掛けっていうのは、案外単純なモノである。その例が、先に示した華やかさであったり、環境、健康ってものも有れば、周りに乗っている人が増えた様を見てとか、テレビやネットでの情報からとか、或いは、友人の薦めとか、、、様々だろう。切っ掛けは些細な事から始まるものである。特に、その切っ掛けって面から見ると、ブームがブームを呼ぶ。人が集まるから話題となり、それを見る人が増える。増えれば軽い気持ちで始める人が増えるという事で、人が人を呼び、集まった数がブームとなり、更に人を集めるというものなんだろう。 これが、ブームというものだろうと思う。

 そして、そのブームが衰退するっていうのは、始めては見たものの、案外面白くないとか、つまらないとか、しんどいといった部分に疲弊する人が増えて行くことだろうと言える。ブームでも何でも良いけど軽い切っ掛けで世界に踏み入れた人が続けることが出来るかどうか?が、ブームが文化として定着するかの分かれ目になるんだろう。

 人が世界に入った後にも続ける事が出来るかどうか?っていうのは、その世界自体に魅力を感じるか?に掛かっており、切っ掛けは他人やメディアという外からの情報だが、魅力を感じたとすれば、恐らくは、周りの状況に関係なしに取り組むことが出来るんだろう。
 そう、自転車や単車の世界に入った人が、その世界に留まるかどうか?っていうと、自分一人でも楽しむようなライフスタイルが作れるか?に掛かっていると思うのである。その道具を通じて他人と交流するのが楽しいだけ!って場合は、交流が目的で、自転車や単車は手段に過ぎないために、代用出来るモノが見つかれば離れていくだろう。入った世界のモノが手段となるか?或いは、それ自体が目的になるか?が、その分かれ目だと思うのである。

 更には、その趣味を目的として思えるか?どうかは、その対象に求める理想次第だろうと思うのである。昔の単車ブームっていうとレプリカブームであり、速さこそ正義の価値観であり、ブームに乗っかった人の目的は、速さ、格好良さだったのだが、それが目的となると、それを手に入れるのは難しいのだが、その難易度に付いてこれる人が少なかったのがブーム衰退の要因だと言える。
 自転車ブームと言われて久しいが、最近の流行はロードバイクである。実用志向のクロスバイク、小径、折り畳みっていうジャンルは定着こそしてもムーブメントを引き起こすような解りやすい魅力が無いのだろうか?ロードバイクの流行している理由は解りやすい魅力が有るからであり、その日本人にとって解りやすい魅力っていうのは、先のレプリカバイクと同様に速さ、格好良さなんだろう。
 しかし、ロードバイクに速さや格好良さを求める事は、レプリカバイクで速さや格好良さを手に入れる以上に難しいものだと思うのである。

 これは、道具や機材を使ったスポーツ全般に言えることだが、道具や機材がシンプルで身体機能に依存する割合が大きなスポーツほど、格好良さを手に入れるには本質的な身体能力と、その世界における経験と知識が大きなウエイトを占めるために、特に自転車の場合は、どんなにカッコイイバイクに乗っても本人の望む結果には到達しづらいのでは?と思うのである。

 ブームで入った人が、その切っ掛けである速さや格好良さに拘りすぎたり、その偶像を過剰に伝える程に世界に留まる人は少なくなるように思う。寧ろ、身の丈に合った楽しみ方を見つける方が、その世界で楽しみ続ける事が出来るはずだ。身の丈に合った楽しみとは、人やショップの意見に翻弄されず、自分で決めて自分で行動することで初めて見えるもの。
 以前、他人との比較に一生懸命だった自転車少年も、最近は自分の世界の楽しみ方を見つけたようで、多分、あれなら長続きするかなぁ?と思うところだ。

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2008年10月 3日 (金)

電動アシスト自転車、パワーアップ認可!

 本日の最大?のニュースと言えば表題のニュース。
 電動自転車のパワーが最大二倍となるそうだ!従来の電動自転車は最大で入力と等しいアシスト力を発揮するシステムで15km/h迄が最大で入力と等しいアシストを与え24km/hでアシスト量がゼロとなる規制だったけど、新しい基準は入力の200%のアシスト力を発揮する事を容認している。但し最大アシストが得られる速度は従来の15km/hから10km/hに抑えられており24km/hでアシストが切れるのは同じ。

 これが意味するのは低速走行でトルク補助率が高いということは、大荷重走行を支えるということ。建前上、坂道や高齢者を助けるという感じだが、何となく、将来の三人乗り認可自転車の一つの雛形のようにも見えたりする。

 ところで、速度で10km/h以下での駆動力はどう変わるか?というと、従来が走行における必要トルクがFだとすると半分補助だから0.5Fであり、新企画では全トルクの内2/3を補助するわけで0.33Fの入力となる。同じ漕ぐ力は0.5Fから0.33Fということで33%の軽減となる。
 だから、ニュースであるようにパワーが二倍という先入観からすると案外物足りない感覚を得るかも知れない。さらに、速度15km/hではどうか?っていうと旧システムが必要トルクをFとすると入力は0.5Fという値だが、新システムでは10km/h以上の領域では補助率をカットする方向に制御されるので25km/hで補助率が0となるまでを一定の割合で補助率が減るとすれば、補助率は200%でなく133%となり入力は0.43Fとなり軽減率は14%程で体感上の差は更に小さくなるかも知れない。

 それにしても補助動力として補助率という概念よりもセニアカーの如く速度5km/h以下では入力不要の自走機能を与えても良いのでは?とも思える。人間の歩行速度迄はモーターだけで駆動するとしても何の問題も無いし、発進時におけるペダリング開始の瞬間こそがふらつきの最大の状況であり、そこで自動発進も良いのでは無いだろうか?そうすれば、歩く程度の速度なら上り坂はモーターのみって場合も有りであり高齢者、主婦が大満足だと思うところだ。

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糖尿病に効くミネラルウォーター?

 木曜朝のめざましテレビで取り上げられたニュースが表題のネタ。

 なんでも、ホームセンターで糖尿病にも効くミネラルウォーターって販売されていたのが、薬事法か何かで摘発されたそうだ。

 ふ~ん、、、、と思いながら、何故に、糖尿病とミネラルウォーターが繋がるような京浜表示が為されたのか?と疑問に思いつつネットで検索掛けてみた。

 すると、、、、出てきた、、、、『糖尿病 ミネラルウォーター』で出てくるのが、バナジウムを含有したミネラルウォーターが該当する模様。
 で、その商品販売サイトの説明がチョット笑える。

『糖尿病患者には血糖値を下げるインスリンが投与されている。一般的に、バナジウムにも血糖値を下げる効果があると囁かれている。』?調べると、囁かれているだけで、未だに明確な関連が証明されている訳ではないが、そうかも知れないという発表があったということらしい。

 現実には特保の認可を得ない限りは食品に効果の表示はできないのだが、現在、ミネラルウォーターに特保の認可を受けた商品はなく、「糖尿病抑制効果がある水」などと表示する商品は無い筈。そういう前提で、表示すれば薬事法違反となる。

 しかし、このような商品が乱発されている現状を見ると、売る側の逞しさよりも、買い手あってのもの。みんな楽して健康を手に入れよう!って方が多数派なんだなぁ、、、と改めて思うところだ。

 ところで、ミネラルウォーターと言えば、カルシウムを含有したものも多いらしいけど、テレビ番組では、骨粗鬆症の治療薬は牛乳とかカルシウム含有ミネラルウォーターで飲むと効果が得られないなんて話しもあったなぁ、、、、。

 因みに、ミネラル分と疾病関連で調べると、、、

 1960年に米国で高硬度の飲料水が循環器疾患の予防に関係するという説が出されが、WHOでは結論付け不十分だそうだ。ミネラルが推奨されがちな意見に対しての医学的見地からの意見をピックアップすると、、、

1.高血圧ひいては脳卒中、冠動脈性心疾患の予防対策
→大豆類・野菜類・魚類の摂取量増加を推奨して行くのが良い。
2.栄養補助食品、栄養機能食品(サプリ)によるCa・K・Mgの摂取増加
→過剰摂取による有害作用のこともあるので、必ずしも推奨できる方法ではない。
3.K・Ca・Mg必要量を上回る摂取
→過剰量を推奨するだけのデータも不十分な現状である。

 ということ。ミネラルウォーターに人が期待するのはミネラル分だが、ミネラルウォーターやサプリに含まれるミネラル分は効果が認めがたいとされているのが現状のようだ。サプリ等での異常摂取では弊害さえ危惧されている。

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2008年10月 2日 (木)

実を言うと、、、、判らない事多いんです。

 自分としては結構昔から自転車なり単車なりに長く乗ってきて、それなりに知識と経験は有るんだろうと思っているのだけど、実を言うと、結構判らない所が多いのである。

 自転車のようにシンプルな乗り物でもよく判らない点が多い。例を挙げてみると、、、、

1.ペダリングテクニック関連
 世間で言われている引き脚がどうこう、ペダリングが上手くなると脚が細くなるとか、、、、本当の所、自信は全くない。ビンディングの使い方、脚を回転させるような筋肉の使い方なんて意識した事無いのが正直な告白。告白すると、一度は世間で言われているように意識を集中して脚回転を追ってみたけど途中から混乱するし、回転を上げると全く見えなくなる。
 何がどうか?なんて事は言葉で表せないのだ。
 で、本やネットで紹介されている事が理解出来ないんで我流でやる。我流とは、自分なりの回転限界が心肺的に苦しくなるまで上げれるような漕ぎ方を身に付ける事。軽負荷でブン回せば、心肺以前に尻跳ねとか現れるし、微妙な違和感を下肢に感じるので、それを感じないように、阻害挙動が現れないような力の入れ方を自分なりに工夫しているだけ。
 結果、人との相対性は無視して、自分の能力として無負荷なら230rpm、負荷入りなら210rpm、実走でも190rpm程度は瞬間でも回せるし、120rpmの連続も楽勝となっているので、我流で良いと思っている。

2.フレームマテリアル関連
 カーボン材全盛の世の中。みんなカーボンの味が云々って言ってるけど、実は恥ずかしながらカーボンの素晴らしさ、クロモリの凄さ、アルミのダメさっていうのは、、、、良く判らないのである。確かに、乗り較べたら多少違うような気がするけど、その違いが良いものか?或いは悪いモノか?は判断出来ない。違うのは事実だが、どっちがどう?っては言えない。更に判らないのがカーボンとかクロモリ材のしなりを持って良い具合って表現がある一方で、サス付きの自転車のサスストロークをロスという表現で否定するところ。ハッキリ言って、乗り手から見て、サスがストロークしても、ホイールが変形しても、フレームがしなっても、タイヤが凹んでも、、、、、何が良く作用して、何が悪く作用するなんて言い切れるかどうか?はとても怪しいと思う。
 しなり、振動特性?、剛性、強度を語るのはフレームに限らず、パーツに関しても見られる表現。笑ったのがホローテックの踏み応え?って言葉だけど、個人的には違いが見えない。
 敢えて言うならば、所詮プラスチックのCFRP材なんぞ信用できないし、接合部分のいい加減さはチョイ怖い。細めのネジを切るには心許ないアルミ系もチョイ怖。鉄が安心って気はする。

 パッと思い付いたところで、こんなところだけど、剛性、変速性能、ギア比等々、色んな所で常識化されて語られている内容の多くの部分で、自分的に未消化というか、理解できていない部分が相当にあるのだ。

 でも、スポーツサイクルに関心を持つほどにネット徘徊して色んな情報を見ると、みんな凄く詳しいのに驚きである。

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全国安全週間、で、健康を考える。

 本日(10/1)から一週間、全国安全週間である。勤務先では今月を安全月間と定めている。
 で、朝礼では安全週間に掛けて、健康についての訓話があった。

 その中では、話し手の健康への取り組みの一例が紹介されて、その後、職場の集会で各人の健康への取り組みを発表し合って健康への取り組みで参考になるものがあれば参考にするなど、健康への意識高揚を目的とする取り組みが為される。

 さて、そんな健康ネタだが、なかなか他人の健康への取り組みを自分に取り入れるっていうのは難しいし、実際、健康を得るための手立ても的はずれな意見が出る事も有りそう。下手すると、最近多い、メタボ薬を服用してます!って発表も健康への取り組みって言えなくもない。話しは脱線するけど、薬服用って人ほど、効果が現れているとは言い難い風貌の場合が多いのは、薬の効果が無い?って思ったりする。

 そんな健康だけど、健康といえば、心身とも健康っていうように、身体の健康、精神の健康があるんだろう。
 身体の健康っていうと、所謂、健全で疾病を患っていない状態で、健康診断による診断数値等でも判断できるもの。判断の指標があるもの、物理的な健康状態を示すために、それは健康か否かも判断しやすいし、健康を手に入れる方法も出来る出来ないは別として見つかるのは間違いない。

 しかし、心の健康、精神の健康っていうと、これは相当に難しいのでは無いだろうか?心や精神の健康というと、頭の中で考えた事、思想、つまりは、欲求に対して、どのような気持ちを持っているか?持ち続ける事が出来るか?が鍵である。だから、欲求の方向性が異なれば、心の健康を得るための心の保ち方は千差万別であり、画一的な方法論を提示する事が出来ないように思うのである。
 欲求というと、求め欲しているものだろうけど、何を欲求するか?は、各人の現状における満たされ具合によっても異なるだろう。様々な欲求があるなかで、例えば、名誉欲、承認欲が強ければ、良く思われたいという欲求があるだろうし、それが適わないと欲求不満≒心は不健康ともなるだろうし、遊びたいって欲求が一番なら、経済的、肉体的等々様々な要因で抑制されて遊べなければ欲求不満となるだろう。

 という訳で心の健康っていうと、個人の価値観に大きく依存するために定義しづらい側面があるけど、「健全な心は健全な体に宿る」って言葉は広く知られている。この言葉を生んだユウェナーリスは真理の一面をとらえていることは事実であるとも思われる。ならば、心を健康にするためには、身体を健康にするように努めれば良いということにもなる。更に言えば日常生活を節制し、暴飲暴食を避け、適度な運動を続けることが重要という事。
 そういう日常によって得られた元気な身体が心の健康を支えるために大きな土台となると思うのである。

 心の健康とは、人生の瞬間において望む欲求に対して、その欲求に立ち向かおうとする意欲が芽生えるか否かに掛かっているのでは?と自分は思うのである。欲求に対して最初から諦める状態≒ストレスを溜める事とも思う訳であり、取り敢えず、トライするという意欲が有るか無いか?が心の健康状態を推し量る分岐点のように思うのである。
 諦めるかどうか?は、その時点における現状と欲求を見比べた時に本人が判断するものだが、判断材料の中に負の要因が多い程、諦める確率が高くなるものでは無いだろうか?諦めないというのは、実践前の負の要因が少ない事であり、何かをやろうとする場合に必要と思われる自身の能力(精神、肉体)レベルの高さ次第とも言えるのである。

 そう、心の健康は、トライする心を失わないような判断時における自己能力の高さに比例するもの。その能力因子には、間違いなく健康でパワフルな肉体っていうのは存在する。運動系趣味で楽しもうとしても、元気で健康で無ければ諦めるけど、見合う肉体があれば、その面における躊躇は無い。更に、やり甲斐とか、出世欲、名誉欲というモノでも、望む本人に、それなりの資質(発想、独創性、知識、経験、学力)が備わっていれば、直面する時点において尻込みは無いし、その時点において取り組みの意志を表明できるのも事実だが、その時点における行動判断は、本人の資質次第というのも事実である。

 つまり、心の健康を維持するには、欲求を抑制せずトライする心を生みやすくするような資質を維持することである。その資質の大きな柱の一つが肉体的健康、パワフルさであり、もう一つが、知性、学力、知識、経験といったインテリジェンスである。

 極論すれば、コンプレックスを感じないというのが重要であり、それには心身の資質が大きく影響するのである。

 本当は職場の集会で話せばよい事だろうけど、この先の人生において遭遇する色んな事態に前向きに取り組めるような体力と知性を保つ取り組みこそが健康維持の取り組みであり、身体を鍛え、知識を磨くのが健康の秘訣だと思うのである。

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ペダリングと筋肉

 この記事、本当は昨日アップする記事の前にアップする予定だったけど、若干の見直しでアップが一日ずれた、、、、。で、

 最近思う事。自転車に乗ると脚は細くなると盛んに叫ばれているようだが、、、、、、自分の場合、それは完全に当て嵌まらない。寧ろ逆。今現在、脹ら脛が44.5cm、太股62cmって状態。特に脹ら脛と太股の裏側の筋肉が増えている感じ。ジーンズを買いに行っても、腰の前に脚が入らない状態。

 で、脂肪は殆ど付いていない。脚を伸ばしたら、筋肉の線は全部出る。膝のサラの両サイドはエクボが出来てコインが嵌る。足首の後ろ側、くるぶしの後側も骨がモロに出る。骨自体が簡単に洗濯ばさみで挟めたりする。でも、脚の太さは何て言うか、世間の自転車に乗ると細くなるって状態には当て嵌まっていない様子。

 チョット詳しい人に言わせれば、有り得ないとか、乗り方が変とか、、、そうなるんだろうけど、最近は脹ら脛、ヒラメ筋がえげつない状態。後から見るとモロ逆向きハートマークの筋肉が盛り上がっている。

 自転車に乗るほど脚が細くなるって話はネット上で沢山見つける事が出来るのだが、自分としては乗れば乗るほど細くなるっていうのは、やはり不思議な感じだし、普通に考えて細くは為り得ないと考えるのは、何処がどの様に間違いなのだろうか?

 確かに、負荷を掛けずにクルクル回すだけなら筋力は殆ど使わないだろうから、筋肉が発達するって状況は有り得ないだろうけど、相応の負荷(登坂とかハイアベレージの維持走行)を掛け続ける状況っていうのは、少なくとも、その負荷と平衡しうるトルクが掛け続ける事が出来るという前提が必要では無いだろうか?それでも、軽負荷で高ケイデンスという論法を展開する人も居るけど、更に言えば、無負荷でいくら回しても進まないのと同じように、軽負荷では幾ら回しても速度を生む事は絶対に出来ない。
 トルク(駆動力)×回転数が出力な訳で、時間あたりの効率を示すという見方では、速度とは出力に比例すると考えても差し支えない。つまり、速度を生むには相応のトルクが無ければ有り得ないと思うのである。一つ断っておくけど、回転数も50~70rpmレベルの話でなく、連続で平均して100rpm程度は維持出来るという話である。力半分で同じ速度というならば200rmという事になろうが、その回転数が多い少ないの議論の50rpm近辺の話ではないのだ。

 結局、スポーツという視点で自転車なりを見つめれば、絶対的に筋肉量は必要だし、その筋肉を動かし続ける事の出来る心肺機能も必要なのである。

 そんなところだが、果たして、ペダリングに使う筋肉は何か?っていうと、ネット上には様々な諸説が飛び交っている。しかし、どの筋肉がどういう割合で機能しているか?っていうのは、これは意識していても意識できないっていうのが自分の感想。
 本当に意識して、体幹の筋肉を使うとか、上半身の筋肉を使うとか、或いは、踏む時に使っている大腿四頭筋以外も使えるとか、二頭筋がどうのとか、、、、、が判るのだろうか?というのが素直な疑問。中には、トレーニングして覚え込ませる?事で筋肉の脳化が可能という話迄あるようだ。

 心肺機能っていうのは、まぁ、意識して行うというより無意識で連動するモノ故に、深く考えるモノでも無いだろうが、筋肉の使い方、ペダリングで導入する筋肉っていうのは意識してどうこうなるのか?っていうのが、とても疑問である。
 ケイデンスって言葉はクランクの回転数だけど、60rpmで1回転/秒だ。120rpmなら毎秒2回転、180rpmなら毎秒3回転(≒1回転が0.33秒!)である。意識していて筋肉が脳化?して、それが可能か?っていうと、これも不思議に思うのである。
 色んな説の中には、高負荷低回転のトレーニングで脚に覚えさせる?なんて話も有るようだが、基本的に高負荷低回転と軽負荷高回転では違う漕ぎ方をしているように思うので、そういう説は自分としては俄には受け入れられない。

 何にしろ、高回転域では変な意識や癖がどうこう言える領域では無い筈である。更に言えば、回しやすさというのは無理の無い動きと効率的な動力伝達によってのみ得られるものであり、その回しやすさっていうのは、何よりも乗り手の骨格、関節や筋肉バランスによって与えられる物理的な位置関係によって与えられるのでは無いか?って思うのである。
 わかりやすく言うと、乗り手に相応したオリエンテッドなポジションという事。このポジションっていうのは上体、下半身全ての位置関係であり、人が言う理想的なポジションに慣れるのではなく、自分で最も疲れずに回せるポジションは何処か?を見つける事が重要だと思うのである。

 身体的特徴っていうのは千差万別であり誰一人として同じでないわけであり、それ故に、理想的なポジションっていうのは人それぞれである。だから他人が言う画一的な理想的なポジションとか漕ぎ方っていうのは、80点かもしれないが絶対に100点では無い訳であり、回したいという気持ちで乗っていれば、自分にとって一番具合のよいポイントっていうのは考えていれば必ず答えに行き着くものだろう。
 その都合の良いポジションで回す取り組みを進める程に、そこで回すに必要な筋肉は自ずと鍛えられて行くものと考えている。人による違いといえば、他人から聞いた情報のみで行動するか、自分で考えて行動するかの違いであり、後者であれば、その人なりの最適解に果てしなく近づいていけるんだろう。

 実際、自分のペダリングにおいて使っている筋肉がどこか?っていうのは、漕いでる自分自身で明確に断定する事は出来ないが、取り敢えず、軽負荷~無負荷ならば220rpmは廻るし、実走行でも展開5.42mで180rpm+α迄は廻る訳である。当然、更なる上手も居るだろうけど、自身でこのような状態に到った過程を思い浮かべると、特に重要視したのは、ペダリングにおける回転上昇の阻害挙動や肉体的痛みが現れる毎にポジションの見直しを進めた結果である。不思議とポジションを見直す事で回転の上限は飛躍的に上昇するのだが、回転が上がらない原因を冷静に見る事が一番大事なようにも思うのである。

 脚を使ってクランクを回す訳だが、それを高回転で回そうと試みる場合に現れる不具合を一つずつ消していくのが回転数アップに繋がり、それが結局は、回転数アップ=トルク変動が小さく、駆動トルク絶対値が大きくなる=多くの筋肉を導入するという結果に結びつくのでは無いだろうか?その結果的に脚が太くなったというのは、自分なりのやり方で高負荷、高回転を意識した取り組みの結果、トルクを生み出す上で必要な筋肉の部位が脹ら脛であったり、太股の裏側だったというのが真実かもしれない。

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2008年10月 1日 (水)

歩道、自歩道の不思議ちゃん

 歩道、自歩道を通行している時の不思議。車道でも、時折感じるけど、歩道や自歩道程ではない。

 それは、歩道、自歩道を往来する歩行者、自転車の挙動である。歩行者、自転車の多くは、突然止まる!ってのがある。この突然止まるってのは、進路の方向成分が変化しないだけに対処可能だけど、一番困るのが、突然、鋭角的な進路変更をするという動きである。これは全く読めない事もある。車道での車や単車の進路変更の場合は、進行方向の速度成分が大きいので、進路変更も鋭角的にはならないし、運転者の頭や視線、姿勢を見れば予測が付くので対処可能だが、歩道や自歩道の歩行者、自転車の動きは全くといって良い程、読めない事がある。

 動きが読めない最大の理由ってのは、歩行者、自転車が前を見ずに、下見たり、風景見たり、携帯操作したり、隣と話しっぱなしで移動しているからだ。だから、そういう連中の進路変更というのは、彼ら自身も無意識でふらついていたり、風に煽られたり、或いは不意に動いたりしているので、これは全く読めないのである。

 だから、自歩道を自転車で通る場合は、自歩道内が混雑した状況では基本は徐行となるのだが、道を塞がれるような対向歩行者、自転車と遭遇する場面でも直前の目の前でも相手は気付かない事さえもあるし、真後ろに付いて声掛けしても気付かれない場合さえもある。
 それ故に、一番安全なのは、道幅が十分あるところで、回避すべき歩行者、自転車の直前迄接近し、最大限の側方間隔が取れる方向にスパッとよけるような方法なのかなぁ?と思ったりもする訳だ。

 それにしても、何故にみんな後を見ないでフラフラと進路変更できるのだろうか?と思うところ。怖くてやってられないと思うのは自分だけだろうか?
 少なくとも、自分は速度を落としたり、或いは、進路変更、右左折時には後方を振り返り目視で確認した上で動作に入っているのだが、ここ何年か走行しているホームコースではほぼ100%の人が後方を確認していないようだ。

 他にも、実用自転車に限らず、ショップ朝練?で二列走行するようなカッコイイ着ぐるみを着たロードバイクもそう。こいつら、後に意識無いし、二列で平気で走る。もしかして、自分が自歩道最速とでも思っているのか?と思う程。後からぬこうとしても、二列のまま気付かなかったり、或いは、突然進路変更したり、、、、困りものである。これ系っていうと、多分、自動車の免許は持っていると思うのだけど、、、、、

 そして、後方を確認しない理由を推測するに、、、、

1.免許を持たない歩行者、自転車は見る習慣が無い。
2.高級ロードを乗る人は後から抜かれるという前提が無い。

 ってところだろうか?これは怖いモノである。

 それ故に、娘に自転車のマナーを教える時は、左端の一列走行、前方不注意は不可、ふらつき禁止というもの。後から速い自転車が来たら左端に避けて止まれ。ってこと。
 で、そんな話をニシダサイクルさんでして、幸運にもミッキーさんのバックミラーをプレゼントして貰ったのだが、バックミラーを付ける事で後方にも注意を払う癖をつけさせたいと思うのであった。

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脚の筋肉?脚の感覚!

 水泳の泳法でも自由形は上半身で推力の多くを得るモノだが、平泳ぎは下半身で推力の多くを得る。平泳ぎの泳法で特に重要なのがキックだ。キックには二通りあるけど、最近メジャーなのは、ウィップキック。昔はウェッジキック。前者は狭い間隔で脚を戻し足の裏で水を後方に追いやる感じ。後者は挟み脚に近い感じ。
 共通点は、脚を畳んで伸ばす時に水を蹴るというところ。

 先の記事で『脚が太くなった、特に、脹ら脛、太股裏の部位、、、、』って書いたけど、そう言えば、この部分は小学校の頃から太めであった。この部位っていうのは、自転車と関係有るか?というと、関係無くはないけど不明というのが正直なところ。更に言えば、自転車に取り組む以前から太かったのだが、自転車に取り組む以前に比較的本格的に競技スポーツとして取り組んでいたのは何か?と振り返ると、、、、、、水泳の平泳ぎだったのである。勿論、全泳法を泳ぐ事も可能だけど、小学校3年の段階で、他の泳法よりも平泳ぎが相対的に優れたタイムで、平泳ぎを専門の種目として習い、その後の十代を過ごしてきたのだが、その結果が、今の脚の筋肉の付き方に影響しているのかなぁ?と考えているところ。
 実際、就職して三年目以降現在迄ずっと平泳ぎを中心に泳いでいるのも確かであり、その結果の脚の太さのようにも見えたりする。というよりも、多分、間違い無いような感じである。自分で見ても尋常でない脚の太さの理由は競泳としての平泳ぎを続けた結果なんだろう。

 ところで、平泳ぎのキックにおける筋肉と自転車のペダリングで導入する筋肉っていうのは、なんらかの共通性があるのだろうか?言える事は、どっちの脚の運動も屈伸運動に近い運動というのは間違い無いものであり膝関節を開いたり閉じたりする運動という面では共通とも言える。
 でも、泳いでいる時も、ペダリングしている時も特に筋肉を意識している訳でもない。殆ど筋肉を働かせようとも考えていないのが実情であり、多くのサイトで見られる筋肉を動かす感覚っていうのが今一つ理解できなかったりする。

 敢えて言うならば、平泳ぎのキックの際は、脚の裏が水を捉えているという感覚というか、蹴り応えが最大となるようなキックを心掛けているという感じ。力を入れているのは間違い無いけど、どこの力を入れるというよりも、足裏で感じる蹴り応えが最大となるようなタイミングを狙って蹴りを入れるような感覚であり、大事にしているのは、蹴りを入れて推進力を得る感覚。蹴るタイミングっていうのは、蹴り始めるタイミング、蹴りの力が最大となるタイミング、そして、蹴った後に生まれた推進力がなるべく失われないように踵を畳み、一番良く進むと思えるタイミングとスタイルを保ったところから蹴り始めるという感覚を大事にしているところ。だから、水の上でどうしているか?を考えても今一つ思い出せないのが正直な感想だ。ただ、言えるのは、自分の身体的特徴に応じて、その機能を最大限活かせるような感覚を常に実践できる自分のフォームが重要ということ。

 自転車の場合も回転上昇が楽に行えるように、或いは、高い回転が維持できるようにということで、ペダリングにおいては、踏むべき瞬間に目一杯踏んでいるか?を足裏からの反力を感じる事に注意している感じ。引き脚でどうの、上死点近辺でのすり足がどうの?って考えは全くないというか、無意識状態。敢えて言うならば踏み始めにおいては脚裏にはペダルの存在感は全く無い状態に近い。特に高回転領域では引き脚なんぞ考えてないし、戻り中においては、そこにペダルも脚も存在していないかのような感覚に近い。上死点近辺でペダルと脚が現れ始め、その姿が踏み込みが最大となるところでハッキリ解る感じとでも言おうか?そういう踏むべきところで踏めるようなタイミングとリズムを最も重視しているという感想だ。そういう感覚の上で、負荷に応じて回転数を上げて行った時の状況っていうのは、尻が跳ねるとかではなく、心拍数的に上昇不可能な状況。だから、実走ならばギア比と速度で回転上限が決まるし、ローラーでも負荷ユニットの負荷段数やギア位置で回転上限が決まる感じ。回転上限は心拍的な限界によってのみ決まっている感じである。ギクシャクして回転が上がらないのとは傾向的に違うもの。ただ注意しているのは、回転限界が心拍的な要因外でもたらされないようにポジションは重要視しているところ。ポジション的に具合が悪いと心拍限界以前に回転が上がらなくなる。

 考えてみれば、運動において筋肉を意識する事はない。どちらかというと、そうすべき瞬間に感じられる感覚を磨くという感じである。筋肉というよりも、筋肉を導入するコツを重視しているっていうのが素直なところだ。そして、そういう感覚が常に得られるようなフォームであったりポジションを重要視しているところ。

 多くの雑紙やサイトに見られるような、
1.適切?なポジションと作り、、、、
2.適切?なペダリングテクニックを身に付け、、、、
3.応じた筋肉を鍛えれば気持ちよく走れるだろう、、、、

 とは異なり、
1.自分なりに運動して動けているという感覚を掴み、、、、
2.動けない要因を排除するポジションを作ると、、、、
3.自然と目的に応じた筋肉が使われるだろう、、、

って感じかなぁ?型に嵌った通り一遍を実践すれば皆幸せになる!って論理は自分としては合点がいかない。個性に応じて目的を得る方法を自分で編み出し、その阻害要因を潰せば、個性に応じた理想が手に入るだろう!って考え方だ。要は、型に嵌った解答を覚えるのではなく、自分で良しと感じる感性を磨くという事。これが大事なのでは?と思ったのである。

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