『うつ』になりやすいのは、こんなタイプ
11月の会社の安全教育テーマは、毎月発行されている『月刊安全衛生ノート』の特集記事に従って表題のテーマに繋がるもので『鬱病・精神障害を防ごう』ってもの。
心の病には心因性、外因性に分けられ、心因性の精神障害が神経症(不安神経症、脅迫神経症、恐怖症、心気症)で、原因は心理的なものということ。これには、統合失調症、そううつ病、うつ病等があるそうだ。
で、うつ病は脳の情報伝達ネットワークの機能障害によるもので、神経細胞間の5万分の1程の隙間で情報伝達を司る物質である『セロトニン』の分泌不足によって生じる疾病らしく、結果として、情緒不安定等になるそうだ。
この脳の神経伝達物質としては、ドーパーミン、ノルアドレナリン、セロトニンがあり、ドーパーミンは快感物質でストレスに対して忍耐力を与えるもの。これが不足するとパーキンソン病となるらしい。ノルアドレナリンは覚醒物質で集中力と性欲を高めるもの。セロトニンは脳を興奮させる物質らしい。
これらの中でうつ病はセロトニン不足説が有力とされているそうだ。
しかし、このセロトニンが不足するからうつ病というのは因果関係でなく、セロトニンが不足する因子が原因である。セロトニンが不足する因子は何か?が原因だが、『うつ』になりやすいタイプが次のように紹介されている。
◎気を遣う人
・少々の熱でも休まない
・几帳面でコツコツ仕事をする
・手抜きは嫌いで完璧主義
・気配りをし宴会などで場を盛り上げる
・上司、同僚、部下の評価が気になる
・嫌なことも断れない
◎ねばり強い人
◎無趣味な人
なんだそうだ。そして、この対極が笑える例が紹介されていた。それは、『釣りバカ日誌』の主人公のハマちゃんだそうだ。
仕事そっちのけで釣りの趣味を謳歌するマイペースぶりを見て、うつ病と最も縁遠いタイプと紹介されている。それを言われると、四六時中、二輪車(自転車と単車)を考えている俺はハマちゃんみたいなもので、このブログは言ってみれば『二輪バカ日誌』とでもなるのだろうか?
こんなうつ病だが、うつ病のタイプは、どんな生活が原因で陥るかによって分類されているようだ。例としてはスーパーウーマン症候群、結婚後悔症、、、、リストラうつ病、引っ越しうつ病、昇進うつ病、、様々である。で、うつ病を防ぐには、心のしなやかさ?を持とうとも紹介されている。趣味を持つとか、疲れたら休むとか、、、、で具体的なヒントが、夢中になれる事を探す!スポーツ、趣味に集中する!開き直る!、、、、
と、この安全衛生ノートを読んでいると、自分としては?????????って疑念が沸き上がったりする。うつ病っていうのは、心の病だけど、コレ見ると、極論すれば外的負荷のいなし方が出来ないというか、各人の行動する際に意志が無いがための話とも言う。
うつ病っていうと、結局、自分の責任で自分で決めた事を行うという当たり前の事が出来れば普通に有り得ないのでは?とも思うのである。誰であっても自分で好きな事があり、そのために、生活の配分を自分で行い、適度?な犠牲を払いつつも、自分の好きな事を大事にする。自分の決断は、自分の目的故の判断であり、目的行動を取っていれば、人の言いなりにもならないし、断れないなんて事も無い。好きな事も諦めない筈である。それが出来ないっていうのは、成長や生育時における経験不足とも言えるのでは無いだろうか?
更に言えば、どんな人であれ、その時点における状況は、その人の過去の経緯に基づくモノであり、その時点の境遇は最終的に自分の過去の判断の結果、即ち、自分の責任である訳で、結局、不幸感を得るのは、その時点の境遇を他人や周囲の責任に転嫁して悲劇の主人公を演じたり、或いは、何某かの行動を行う際に、その判断が他人の判断、模倣に従ったりするためである。結局は、責任放棄であり、失敗したときには後悔が先に来る(自分で判断出来ない癖に、自分でやれば良かった!と都合の良い解釈をする)のである。
結局、自己判断が出来ない奴は後悔し、自身で判断する場合は納得するという違いの蓄積が本人にとっての不幸感に繋がるし、行動の目的が自分のためという意識が無いと、自分を悲劇の主人公と勘違いしたり、趣味を犠牲にする事を美徳と思い身を粉にして働く事で格好いい!?と思う精神構造が、心の病を呼んでいるのではないだろうか?
俺的には、うつ病っていうのは、心の病かもしれないが、それは、人間の成長過程において自己判断に基づく行動で責任を取るとか、目的行動こそが重要という普通の事が会得出来なかった結果の一例と思えてならないのである。
簡単に一言で言ってしまえば、自分の事は、自分で決めて、自分の責任で、自分で行うって事が普通に出来れば何の問題も生まれないような気がするのである。自分で決めれない、自分で出来ない、自分で考えれない結果がうつ病を招く要因とも言える。
これって、数十年に渡り続けてきた現代教育の弊害とも思えるのは言い過ぎだろうか?公式詰め込み、例題説明、数字だけ入れ替えた類題で習熟度判定、、、入試になると過去問の傾向と対策で過去の問題パターンを暗記して挑む、、、、結果、結果点数至上主義が原因とも思える。理解しているか?が問題でなく、先生の言う言葉や公式を暗記しているか?が重要とも思える教育形態が今の事態を呼んでいるように見える。模倣とか従属は得意だけど、独立に弱い。こういう奴らは、打たれ強くないし、直ぐ凹む。そんな気がするのである。
昨今の指導要綱の改変で授業内容が削減されてからは、本来の原理探求という主旨を見失い、余った時間で遊ばせる(というか教師が遊ぶ?)のを自立心育成と勘違いした結果、ドツボに陥っているようにも見える。
本来の教育とは、生きる力を身に付けさせる事であり、生きる力とは意志による判断を自己責任で行える力も含まれる。その判断の精度を上げるために上級学府が存在する。その中で、様々な要因に折り合いを付ける事が出来るようになる事が成長を意味する事とも思えたりするのは言い過ぎだろうか?
うつ病っていうのは現代病の一種とも言われている。好意的な解釈では社会の複雑さ故に苛まれる疾病というサイトもあるけど、現代病というからには現代社会の固有の疾病とも言える訳だ。現代社会の固有の疾病というと、成人過程における教育の変質から自己判断出来ない大人が増えたがために現れる疾病か?と考える事もある。
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