労働事情
最近は、景気後退ということもあった、派遣労働者の方々を取り巻く問題がメディアに取り上げられている。派遣労働者に限らず、雇用の問題はニュースに為っている。
雇用される側の意見での不満は各所で聞くが、ニュースになっているのが、ワーキングプアとか、名ばかり管理職とか、手当を出さないような労働時間の改ざんとか、労働組合結成への会社からの圧力とか、、、、、そんな話しもよく聞く。
一方で、自分の勤務先でも若い世代の希望や、或いは、関係先企業における若い?人の希望なんかも聞いたりする。
でも、ハッキリ言って、そのような話しは一方からしか聞いていないので、その問題の本質が何処にあるか?は判断しかねるのである。
色んな不平、不満が双方にあるだろうが、その状況を招いているのは、双方の考え方が乖離しすぎた時に生まれているようなものとも言える。
このような組織に対する不平、不満は、最近では若い世代からよく聞くけど、その気質を水曜夜のNFって関口弘さんがMCを務める番組でも紹介していた。若い世代の気質が60年で変化したか?どうなったか?という物だ。その番組を見て、ふと考えたのだが、、、、
時代に起きた事で気質が変化したとは言い辛いが、少なくとも、気質とは環境によってもたらされる物。若い世代っていうのは環境の変化に対する免疫が備わっていない(世代を越えた人間関係での調整経験が少ない)事等もあり、環境には非常に敏感に反応するものだと思う。
よく聞く言葉では、若い世代は、突出したがらないとか、安定を好むとかと下げ荒む声を聞くけど、それは、その方が都合が良いような印象を与える社会環境を敏感に反映しているだけの話しであり、そういう環境を生み出した社会全体の結果に過ぎないのである。
難しいものである。
今の時代の突発的な犯罪等も、結局は現代の社会の価値観を生み出した環境の産物であり、これを問題視する人が増えれば、それに応じて環境は変化する。変化すれば、当然、気質も変化するだろう。そんなもんだろう。
社会(というよりも年長者)の評価する若年者像があるように、若年者が画く理想の社会というのも存在する。そこに乖離があったとしても、その問題の原因が一方にある訳ではない。雇用においても非正規雇用、派遣社員の嘆きも、或いは、正規社員の中でも扱いに対する不平、不満、色々あるけど、不満と思えば不満だろうけど、案外、そういうものだと思えば、そういうものだったりする。どんな境遇でも、その現在は、当事者の過去における社会での過ごし方による結果である場合が殆どではないだろうか?
現時点における格差?があったとしても、その格差に見える比較対照の過去を遡ると、その格差に到った時間の使い方、機会の使い方が結構あるように思う。そんな気がして為らないのである。
勿論、全てがこの通りでなく、中には、一方的に運が悪い?人も居るかも知れないし、何してもラッキーって人が居るかも知れない。こういう感じ方の本質的なところは、人によって絶対に違うものである。違うのが当然であり、同じように扱われる方が異常なのである。
優越感も不満も何故生じるか?っていうと、それは他人を見るからであり、他人を見なければ何の比較による意識は沸いてこないように思う。自身の満足度の評価軸に他人を持ってきたり、或いは、点数とか金額といった間接的な評価軸で考えたりすると、それは結局、自分の中で満足が完結できないために、色んな感情が生まれるのではないだろうか?
少なくとも自分は、額面や所得、地位や経歴で一喜一憂しない。行動が他人に対して優れていようが、劣っていようが関係ない。自分でしたい事をイメージして、それが得られたらOK。駄目でも納得。ワーキングプア等では仕事を行った意識と待遇のギャップで感じる貧乏感の事だろうけど、仕事なんてものは、自分で見つけて自分でやって、それを自分で評価して、自分の考えで給与に見合わないと思えば、自分で考えて次を行うし、給与が見合わないと思えば、以後暫くは手を抜くだけだ。そうやって折り合いをつけておけば、何の感情も湧いてこない。
何にしろ、色んな事が起こる世の中では、色んな事態に対して自分で消化できる考え方を身に付けるのが一番のように思う。
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