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2008年10月17日 (金)

時代の転換期

 今回の金融変動(敢えて危機とは言わない)は、或る意味では危機、不景気感を感じさせるものだけど、今の状態っていうのは将来訪れるであろう大変革の序章に過ぎない感じを受ける。

 バブル景気以降、経済における支配要因は、金融ビジネスとなっているようだけど、本来の経済活動は、金融の対象となるべく物が存在しなければならないもの。
 物の絶対的価値というか本質は時代が変わったとしても、本来は不変のものだけど、今は物の本質以外で価値が変動するのが当然という認識である。物の価値というのは絶対的な価値に加え、相対的な価値で価値の合計が決まるような物だろうけど、近年は相対的な価値のみで評価が決まるような不可思議な世界である。価値を引っくるめての評価が対価、金額であり、その影響度は絶対価値はとても小さくなっており、そんな考え方が、世の中における拝金志向、マネーゲーム、金額でしか判断できない力、理系離れ、金融業界人気を生んでいるとも言える。

 しかし、物の価値を決める相対性が超不安定になったときに不変な部分というのは、実は、物の絶対的な本質的な物であり、その物の本質を武器に相対性を付与して価値を高めるという考え方に回帰するのでは無いだろうか?

 元来、日本には売るモノが無い国であり、そんな国で生活を成立させるには、誰もが小学校時代に習った加工貿易に依存するしか無いのである。無いモノを海外から調達するというのが絶対であり、そのためには、海外で無いモノを供給するという相対的な立ち位置を確保するのが絶対なのでは無いだろうか?

 現在、株価は低迷し、円高傾向で推移しているが、そこで感じる不景気感に対して公的資金の強制注入を行う程に、旧来の体制を維持する事に労を費やすだけになり、将来へのツケを増大させ結局は景気を低迷させるというスパイラルに陥るように見えるのだ。
 今迄のツケは全員で払うのが前提であり、不景気による恐慌を覚悟の上で、旧来の経済政策には封印する事が大事かもしれない。

 自分の考える理想は、為替が仮に50円/$になっても売れて、尚かつ新興国家では調達不可能な製品を生み出す産業を育成することで、強い円を以て、必要なモノを海外から調達する力を身に付ける事のように思うところ。
 勿論、簡単には出来ないだろうが、少なくとも、そういう方向に進まなければ、資源の無い日本に存在価値は認められないのでは無いだろうか?旧来の円安で輸出産業が支えるという構造では、産業自体が価格競争力のみに頼っている事の裏返しであり、それでは、新興諸国の製品に対しジリ貧で負けるのは目に見えている。旧来システムで戦うには相対的に人件費を抑えざるを得なくなるために、労働者の暮らしは少なくとも新興諸国の人々以上に貧しい物とならざるを得ないのでは無いだろうか?

 何もない日本では重要なのは教育であり、それで生まれた技術力しかない筈だ。そういう思想が支配的だった時代に向けた転換点が今の時代かもしれない。

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