脚の筋肉?脚の感覚!
水泳の泳法でも自由形は上半身で推力の多くを得るモノだが、平泳ぎは下半身で推力の多くを得る。平泳ぎの泳法で特に重要なのがキックだ。キックには二通りあるけど、最近メジャーなのは、ウィップキック。昔はウェッジキック。前者は狭い間隔で脚を戻し足の裏で水を後方に追いやる感じ。後者は挟み脚に近い感じ。
共通点は、脚を畳んで伸ばす時に水を蹴るというところ。
先の記事で『脚が太くなった、特に、脹ら脛、太股裏の部位、、、、』って書いたけど、そう言えば、この部分は小学校の頃から太めであった。この部位っていうのは、自転車と関係有るか?というと、関係無くはないけど不明というのが正直なところ。更に言えば、自転車に取り組む以前から太かったのだが、自転車に取り組む以前に比較的本格的に競技スポーツとして取り組んでいたのは何か?と振り返ると、、、、、、水泳の平泳ぎだったのである。勿論、全泳法を泳ぐ事も可能だけど、小学校3年の段階で、他の泳法よりも平泳ぎが相対的に優れたタイムで、平泳ぎを専門の種目として習い、その後の十代を過ごしてきたのだが、その結果が、今の脚の筋肉の付き方に影響しているのかなぁ?と考えているところ。
実際、就職して三年目以降現在迄ずっと平泳ぎを中心に泳いでいるのも確かであり、その結果の脚の太さのようにも見えたりする。というよりも、多分、間違い無いような感じである。自分で見ても尋常でない脚の太さの理由は競泳としての平泳ぎを続けた結果なんだろう。
ところで、平泳ぎのキックにおける筋肉と自転車のペダリングで導入する筋肉っていうのは、なんらかの共通性があるのだろうか?言える事は、どっちの脚の運動も屈伸運動に近い運動というのは間違い無いものであり膝関節を開いたり閉じたりする運動という面では共通とも言える。
でも、泳いでいる時も、ペダリングしている時も特に筋肉を意識している訳でもない。殆ど筋肉を働かせようとも考えていないのが実情であり、多くのサイトで見られる筋肉を動かす感覚っていうのが今一つ理解できなかったりする。
敢えて言うならば、平泳ぎのキックの際は、脚の裏が水を捉えているという感覚というか、蹴り応えが最大となるようなキックを心掛けているという感じ。力を入れているのは間違い無いけど、どこの力を入れるというよりも、足裏で感じる蹴り応えが最大となるようなタイミングを狙って蹴りを入れるような感覚であり、大事にしているのは、蹴りを入れて推進力を得る感覚。蹴るタイミングっていうのは、蹴り始めるタイミング、蹴りの力が最大となるタイミング、そして、蹴った後に生まれた推進力がなるべく失われないように踵を畳み、一番良く進むと思えるタイミングとスタイルを保ったところから蹴り始めるという感覚を大事にしているところ。だから、水の上でどうしているか?を考えても今一つ思い出せないのが正直な感想だ。ただ、言えるのは、自分の身体的特徴に応じて、その機能を最大限活かせるような感覚を常に実践できる自分のフォームが重要ということ。
自転車の場合も回転上昇が楽に行えるように、或いは、高い回転が維持できるようにということで、ペダリングにおいては、踏むべき瞬間に目一杯踏んでいるか?を足裏からの反力を感じる事に注意している感じ。引き脚でどうの、上死点近辺でのすり足がどうの?って考えは全くないというか、無意識状態。敢えて言うならば踏み始めにおいては脚裏にはペダルの存在感は全く無い状態に近い。特に高回転領域では引き脚なんぞ考えてないし、戻り中においては、そこにペダルも脚も存在していないかのような感覚に近い。上死点近辺でペダルと脚が現れ始め、その姿が踏み込みが最大となるところでハッキリ解る感じとでも言おうか?そういう踏むべきところで踏めるようなタイミングとリズムを最も重視しているという感想だ。そういう感覚の上で、負荷に応じて回転数を上げて行った時の状況っていうのは、尻が跳ねるとかではなく、心拍数的に上昇不可能な状況。だから、実走ならばギア比と速度で回転上限が決まるし、ローラーでも負荷ユニットの負荷段数やギア位置で回転上限が決まる感じ。回転上限は心拍的な限界によってのみ決まっている感じである。ギクシャクして回転が上がらないのとは傾向的に違うもの。ただ注意しているのは、回転限界が心拍的な要因外でもたらされないようにポジションは重要視しているところ。ポジション的に具合が悪いと心拍限界以前に回転が上がらなくなる。
考えてみれば、運動において筋肉を意識する事はない。どちらかというと、そうすべき瞬間に感じられる感覚を磨くという感じである。筋肉というよりも、筋肉を導入するコツを重視しているっていうのが素直なところだ。そして、そういう感覚が常に得られるようなフォームであったりポジションを重要視しているところ。
多くの雑紙やサイトに見られるような、
1.適切?なポジションと作り、、、、
2.適切?なペダリングテクニックを身に付け、、、、
3.応じた筋肉を鍛えれば気持ちよく走れるだろう、、、、
とは異なり、
1.自分なりに運動して動けているという感覚を掴み、、、、
2.動けない要因を排除するポジションを作ると、、、、
3.自然と目的に応じた筋肉が使われるだろう、、、
って感じかなぁ?型に嵌った通り一遍を実践すれば皆幸せになる!って論理は自分としては合点がいかない。個性に応じて目的を得る方法を自分で編み出し、その阻害要因を潰せば、個性に応じた理想が手に入るだろう!って考え方だ。要は、型に嵌った解答を覚えるのではなく、自分で良しと感じる感性を磨くという事。これが大事なのでは?と思ったのである。
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