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2008年11月30日 (日)

麻生ちゃん!面白すぎ。

 麻生さんのKY『漢字読めない』ぶりも最高だし、インスタントラーメンが400円発言も笑っちゃうけど、

『麻生太郎首相が20日の経済財政諮問会議で、社会保障費の抑制を巡り「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言していたことが26日公開された議事要旨』

を紹介したニュース↓

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081127-00000004-mai-pol

も、チョット吹き出しそうになった。

このオッサン、面白すぎである。チョイ前に流出した宝石を探すプロモーションビデオみたいなのも、、、、、なんか、ギャグアニメの主人公を外しながら演じている実写アニメみたい。

まぁ、言いたい事は判らないではない。仮に、こういう発言が意図したモノで、世間の反応を確かめて次の手を考えている!ってなら、なるほど!って同意出来る部分もあるけど、発言の訂正、陳謝をする場面が多いと、『バカか?』って思う方が多い。

でも、漢字読めないのはホント凄すぎ。パソコンに慣れすぎると漢字が書けなくなるっていうのは、よく聞く話だが、漢字読めないのは有り得ない。更には、秋葉系と言いながら、多分、パソコンは疎い、鈍い、判らないってノリだろうとは容易に想像付くのである。

まぁ、定額給付金辺りから、今の政権は何考えているか?失笑を誘うような事ばかりしているようにも見える。どうなんだろう?

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蒟蒻畑、復活!

 なんか良く判らない内に生産中止を表明していた蒟蒻ゼリーだけど、この度、めでたく生産再開なんだそうだ。
 なんでも、事故防止策が採れたということでの再開らしい。

対策としては、
(1)正面に「小さなお子様や高齢者の方は絶対に食べないでください」と記載
(2)裏面に「凍らせると硬さが増すので、凍らせないで」と追記
(3)個別の包装にも「警告マーク」を記載
(4)原料のこんにゃく粉を減らしてゼリーを少し柔らかくする
なんだそうだ。

 まぁ、元々生産中止っていうのが理解出来なかったし、正月恒例?の、高齢者幼児の餅で喉詰まった事件で何も起こらない現状とのコントラストに違和感アリアリだっただけに、注目していた案件である。

 この案件、なんか良く判らない決着になった模様。

 元はと言えば、蒟蒻ゼリーって本来はダイエット食品で、若い女性向けの商品の筈だが、それを小さい子供に食わせる行為が一番の間違いのような気がするところ。商品知識の認識の違いがあったのかもしれないが、自分の感覚では、あくまでもダイエット食品であり子供に食わせるべきでないって印象だっただけに、製造元には気の毒な感じを受けていたのだ。取り敢えず、市場に再復帰ってことで良かったのでは無いだろうか。

 それにしても、訴訟社会になったせいか、下らないと言っては語弊があるかもしれないが、ホントしょうもない事で色んな話題が持ち上がるモノ。

 そもそも、消費者事態が状況を判断して危険回避する能力が無くなったのでは?って思うのがホンネ。企業内の労災もしかり、自動車事故の右直事故も絵に描いたストーリーの如く。右直事故を起こす奴の頭の方が腐っている。そう考えると、ちょいと問題が起こっただけで法規制を論議する事自体がナンセンスのようにも思うところ。常識が常識として通じない。危険や使い方を類推する事が出来ない奴があまりにも多いが、そういう家庭で、そういう環境が無くならない限り、意味不明な事故は無くならないだろうと思う。

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スポーツウェアのサイズ選び

 今、衣料品を購入する際に、そのサイズ選びをどうするか?の問題。
 街着を買う場合、ズボンは、腰回り、股周り、脹ら脛周りで確認。後は丈の調整くらい。ジャケットは?っていうと、基本はLサイズで済ませる。そんな感じであんまり意識していないのだが、自転車に乗る場合は、どんな服装で、どんなサイズを選ぶか?が結構悩ましい。

 まず大前提として、自転車に乗るにしても一般公道、街中を走る場合には、絶対にレーパン、レーシャツは着ないっていうのがポリシーっていうか主義であり、着るのは普通の服に近いもの。普通のジャージの延長みたいなのしか着用しない。

 これは、昔の自転車部時代からそうだったから。更に、自転車部以前のショップサークルにおけるサイクリング時代でもそうだったから。あのピチピチレオタードみたいなのは絶対にノーサンキューなのである。ホントいうと、安全のために装備した方が望ましい筈のヘルメットさえ抵抗を持っているのである。基本は半キャップで十分って気分なのだ。ヘルメットっていうと、頭が寒い季節に風が強い場合に、帽子を押さえる意味合いでヘルメットを装着するって程度しか考えていなかったりするのだ。

 基本は、どんな格好か?っていうと、、、、

 春、夏、初秋は、短パン+ノースリーブのTシャツオンリー、荷物はフィットタイプのウエストバッグに収納。これで終了である。

 晩秋、初春は、ジャージパンツ+Tシャツ+ウインドブレーカー、荷物は同じくフィットタイプのウエストバッグである。ここで履くジャージのパンツは、足首が絞ってあるタイプで今は殆ど見かけない形状。裾にはファスナーがある。これは脹ら脛こそ僅かにタイトだけど、太股はそれなりに余裕が有るタイプ。昔の部活での街道練習はこの手で済ませていたので、今もコレでよいのである。因みに、この手のジャージは足下がタイトに絞ってあるのでチェーンに巻き込まれる心配も無いので重宝してる。

 で、問題の冬。短パンは当然ながら、ジャージも結構寒いのである。ジーンズって手もあるけど、やっぱり寒い。しかし、専用のレーパンは嫌、、、、、あんまりヒラヒラしているのもチェーンに巻き込まれそう、、、、そんな感じなのだ。今年になって、更に心が挫けており、去年までのジーンズとかジャージでは寒さに耐えれそうにないのである。
 それで、どうするか?って考えた末に、軽く、動きやすく、風を通さないって観点で、薄手のウインドブレーカー状の記事のパンツを調達しようと考えたのである。

 それで、買い物に出掛けたのだが、なかなか良い案配なのが見当たらない。少なくとも、裾が絞れるタイプが理想であり、なおかつ、生地は薄手の一枚物が理想って状態。そういうのは最近は非常に少ないのである。サウナスーツは暑すぎそう。問題外。他のウォームアップジャケットみたいなのは、生地が厚すぎる感じ。一般のジャージは寒そう、、、と無茶を言うから選べないのだろうけど、それでも何とか自分の希望の80%程度を満たす品を見繕ったのである。ホントはパンツしか必要無いのだが、上下ってことで一応揃えて購入することとした。しかし、今度はサイズをどうしよう?って更に悩む。Lサイズにするか?Mサイズにするか?である。
 因みにMサイズっていうと、身長は167~173cm、胴囲が76~83cm、胸囲が87cm~96cmって表記。ズボンの方は、Mサイズでも胴囲が余裕有りすぎる位だが、太股周りが窮屈になりそうなのと、長すぎるとチェーンに巻き込まれる?って心配でMサイズにし、上も下に着込むことは無いからMでイイやって思ったのだが、実際帰って併せてみると、Mサイズは厳しいかなぁ?って状況。考えてみれば、単車用のレザーウェア等は殆ど上半身はLサイズ以上にしている訳で、上だけ可能ならLサイズに変えれるか?を聞いてみれば良かったかなぁ?と思っているところ。

 そう言えば、今の体型を最初に作り上げたのが平成8年頃の話。その時にスーツを作る時にもパンツはウエストを相当に詰めて、ジャケットは大きいサイズの腕を詰めてって直しが必要だったのだが、あんまり無茶して身体を作ると、着るモノのサイズ選びが悩ましくなるのである。まぁ、或る意味贅沢?な悩みというか、そんなモンである。

 取り敢えず、この冬からは下は風を通さない軟弱生地が纏えるので有り難いのは確かである。

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2008年11月29日 (土)

今だから癌を考える。

 癌やポリープの徴候が無い状態故に、これらの疾病について冷静に考える事が出来、知識として冷静に吸収できる。だから、今、一番恐れている癌について冷静に考えてみようと思う。

 過去にもガンについて、当ブログで取り上げたことが多々ある。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2007/12/post_b8b6.html

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2007/02/post_45d4.html

 さて、癌っていうと、一番ポピュラーな印象は胃ガンである。ところが、胃ガンは減少傾向にあり、大腸ガン、肺ガンが増加傾向にあるのである。男女で見ると、女性に限れば、胃ガンよりも大腸ガンの方が多かったりするのである。胃ガン、大腸ガンの共通点は何か?っていうと、それは、何れも消化器系統に発症するガンである。ガンっていうのは、本来的には正常な細胞が何らかの要因による必然によって変異したモノ。つまり、本来は身体の一部の細胞なのである。この起源は正常な細胞と同じものなのだが、特徴としては、細胞としての不死、浸潤による周辺細胞の癌化、制限の無い細胞分裂という特徴を持っている。その結果、同じ起源の細胞がつくる個体生命を脅かすというもの。その親元の生命を脅かすという意味で、別個の生物として捉えるという観点から、ガン細胞を悪性新生物と呼ぶ場合も有ったりする。

 ところで、自分自身が注目しているのが消化器系ガンだが、その注目している理由っていうのが、消化器系ガンは生活習慣に密接に関係ありそうなため。前述のように、日本人のガンは近年、胃ガンが減少傾向、大腸ガンが増加傾向。更に興味深いのが、欧米人は胃ガンは稀で殆どが大腸ガンという事実。人種による違いのみであれば、体質的な要因が支配的?とも言えるけど、日本人のガン種別が変化している事を見ると、生活習慣、特に、食習慣による関連が深いのでは?と捉える方が自然である。
 さらに、様々なガンの中でも消化器系ガンを恐れるもう一つの理由がある。これは、持論かもしれないが、細胞のガン化っていうのは、遺伝的要因+環境要因と考えて言える。環境要因っていうのは、細胞が分裂時に影響を受ける物質がどれ程存在するか?って事にも繋がる。そういう要因物質が細胞に触れると考えた時に、細胞からみて大量の異物と接触する可能性を想像すると、例えば、肺ガンの場合は、呼気中のニコチンとかタールが影響するとしても、その絶対量は気体中の分散濃度に従った量であり、絶対量としては微量。一方で、消化器系で細胞が会合する異物っていうと液体、固体に近い状態。胃の場合は、低濃度スラリーで液体に近い状態。大腸、直腸の場合は、高濃度スラリーで固体に近い状態。液中の異物の飽和濃度は気中のそれに比較すると圧倒的に大量であり、固体中となると、相当に濃縮された状態で長時間細胞と近接した状態となる。実際、便秘症の方が大腸ガン発症率は高いし、データでも女性の方が大腸ガンの影響を受けやすくなっているのも何らかの関連があると言えよう。
 そんな理由で、変な食生活で、変な物質が粘膜と接する状態(濃度、時間)を考えると肺ガンも怖いけど、胃ガン、大腸ガンも相当に怖いって思う訳である。肺癌の場合は、喫煙習慣次第だろうけど、消化器系ガンは因果関係が見えにくいという恐さがあるのだ。

 まぁ、胃ガンが減っても大腸ガンが増えれば恐ろしいし、大腸ガンが無くても胃ガンが多ければやはり恐ろしいもの。個人的には怖い順は、大腸ガン>胃ガン>肺ガン等その他のガンって感じ。

 取り敢えず、細胞の変異による癌化っていうのは、細胞の新生時における不安定な時期に受ける細胞から見た外的刺激による新生の失敗みたいなもの。その何らかの刺激による必然から癌細胞が誕生し、その必然的要因ってのが、遺伝子、生活習慣なんだろう。その生活習慣の影響が大っていうのが、日本人のライフスタイルの変遷と連動した発生ガンの順位の変化にも現れていると理解するのが合理的。

 日本、中国、韓国では、これまで胃ガンが多く、オーストラリアを筆頭に欧米では大腸ガンが多い。胃ガンが多い地域と大腸ガンが多い地域で生活習慣を比較すると、胃ガン地域(?)では、塩分過剰、動物性タンパク不足、ビタミン不足、、、、大腸ガン地域では、野菜不足って所。
 そして、これらの癌の共通点は、臓器内壁の粘膜組織が発生の起点であり、その後、組織深部に進行して進行癌化する訳であり、正に、摂取食料による環境が癌化に大きな影響を及ぼしているっていうのが理解できる。他にも、共通点としては、胃ガンの前癌状態が胃ポリープ、大腸ガンの前癌状態が大腸ポリープである。癌とポリープ(良性腫瘍)の区別は、一見しただけでは違いが判らず、組織を検査して判定を下すもの。前癌状態っていうのは、放置すると癌化するという事を意味している。

 これらの粘膜から発生する消化器系ガンは、前癌状態のポリープの状態を経て癌化するとされているが、その正常細胞から良性とは言っても異常状態のポリープが生まれるのは、必然性が存在する。(因みに、ここで言う良性っていうのは、勘違いされやすいが、決して『良性=安心』ではない。良性という言葉からうけるイメージと、実際とでは、少しニュアンスが異なり、がんを犯罪者にたとえるなら、良性腺腫は犯罪予備群で、何もしないかもしれませんが、放置しておくと、がんになって悪い事をすることもあるという存在。 大腸がんの多くが、腺腫から発生し、この腺腫性大腸ポリープが大きくなればなるほど、がんが混じる頻度が高くなる。腺腫は遺伝子のレベルでの変化が既に起こり、元の正常粘膜に戻ることができないので、悪性化をする前に取るべきとされている。)
 その必然性が、遺伝的要因、食生活等の生活習慣要因によってもたらされている。つまり、正常細胞から異常な細胞に変化させないためには、その必然性を排除するしか無い訳だ。遺伝的要因に対策は不可能だが、生活習慣要因については対策は十分可能である。この二つを徹底的に改善する事が細胞のガン化リスクの抑制に繋がるのだが、これが難しいようである。

 それは、ガンの再発が半ば当然のように見られるのが理由。初期大腸ガン、大腸ポリープの多くが一度切除しても数年後には必ず再発するという。これは北里大学の教授グループが報告した記事だが、10年間の追跡調査を行った結果、非常に多くの割合で、ガンやポリープが再発していたという。
 この現実は、問題となるガンやポリープが完全に除去されたとしても、ガン化の必然性である、遺伝的要因は仕方ないにしても、生活習慣的要因を改める事が非常に困難であるって事を表しているのである。

 話が脱線するけど、ガンっていうのは、その『不死性』、『浸潤性』、『異常増殖性』から非常に代謝が活発な状態でもあり、そのためにはエネルギー源であるブドウ糖を大量に要求する。そんな性質を利用してガンを検出する検査がPET-CT検査だ。そんなガン細胞にとってはエネルギーであるブドウ糖が沢山得られる程具合が良い訳であり、糖尿病のように血糖値が高い状態では、案外、ガンの進行が速いのかもしれない。

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季節と身体

 毎日記録していて気付いたことの一つ。
 それが血圧測定での拡張期血圧、収縮時血圧、心拍数の値が季節の巡りに併せて変動していること。冬場の気温が低い時期は、最高、最低の血圧が両方とも高めに推移し、心拍数が相当に低くなる。その一方で、夏場の気温が高い時期は、最高、最低の血圧が両方とも低めに推移し、心拍数が高くなる。

 これは、丸一年以上血圧の定時測定を続けて判ったこと。気温に非常に敏感に血圧と心拍数が変動しているのにビックリしているところであり、夏場の低血圧気味の時は、食後で午後の気温が更に高くなるという要件が揃った時に、夜中に幾ら睡眠を取っていたとしても、睡魔というか、強烈に意識を失いかねない程の状況に陥るって事がある。
 この状況では、最高血圧が105[mmHg]以下、最低血圧も55[mmHg]以下って状況、心拍数は58[bpm]程度迄上昇だが、それでも、そんな意識朦朧とする状況に陥る事がある。

 一方で、今の時期以降の気温の低い頃っていうのは、最高血圧が120[mmHg]、最低血圧70[mmHg]近辺という数値で、心拍数も概ね45[bpm]以下って状況だが、そういう状態では、如何に睡眠不足であっても意識が飛びそうになるなんて事は全く無いのである。

 これが、季節による身体の変化で感じる顕著な症状だが、最近気が付いた症状がある。

 それは、毎日曜日の早朝でのラングスターTT号によるホームコース走行である。
 その走行モードは殆どTT(タイムトライアル)状態であり、最初の1[km]こそはウォーミングアップだけど、その後は殆ど、全速前進状態。

 そんな状況でタイム測定を行うと、、、、、10月上旬以前と以降では所要時間に大きな差が生まれている。
 例えば、往路の11.5[km]の区間、向かい風の状況の場合、夏場は18分以内が多いけど、冬場は19分以上を要する場合がある。概ね一分以上は差がある。これが追い風となる復路の区間の場合でも同じ。やはり一分程度の差があるのだ。
 漕いでる本人は、本人なりに目一杯であり、それでコンスタント?に一分の超過ってなると、何か有るんだろう。特に、11月以降の気温の低い時には、総じて所要時間が掛かり気味なのだ。

 因みに、能力とは別にトレーニング効果って言う意味で、関連情報を探してみると、家畜の飼育についての文献で面白いものがある。家畜は気温28~31度で飼育されたときに最も筋肉が発達し、摂取エネルギー量を筋肉の発育量で除した値が最も小さくなるそうだ。

 そう言う意味で、人間でも気温が或る程度高い状態の方がトレーニング効果は大きいのだろう。トレーニング効果=代謝が大きいって事。つまりは、エネルギーの変換効率が高いとも言えそう。その場合、気温っていうのは、筋肉の運動にも影響があって然りである。一般に、身体をしっかり暖めて!って報告があるくらいに、ウォーミングアップは重要だが、外気が低く、体温が冷えていると、本来の出力が筋肉から発生しないというのは理解出来る。気温や筋温が低いと、それだけで筋肉は収縮気味であり、屈伸により出力を得るには、筋肉自体がほぐれていないと駄目だろう。

 そういう訳で、人体っていうのは、気温の影響を結構シビアに受けるようである。今更ながら意識したところである。

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ヘリコバクターピロリ菌の薬剤耐性

 表題のピロリ菌、今は胃潰瘍とか胃癌の原因ではないか?と疑われている菌である。
 そして、この菌は40代以上の日本人の半数以上のお腹の中で繁殖しているとも言われている。

 因みに、自分も二年前にはピロリ菌の存在を確認している。(今はどうか知らない。)

 ピロリ菌の存在を確認したのは、胃部レントゲン検査で潰瘍の疑い?ってことで内視鏡検査を行った時に判明したもの。その際は、潰瘍、癌は見られず一安心だが、予想外のピロリ菌を発見したのである。

 このピロリ菌は、除菌という方法で駆除できるって話は、その時に聞いたのである。

 この除菌は、7日間連続で経口服用するというもの。その間、一度でも飛ばしたりすると効果は無いそうだ。この成功率は書物にもよるけど80%とも90%とも言われているが、これが失敗すると、この除菌薬では駆除出来なくなる可能性が高まるという。

 その際の服用における注意点としては、少なくとも服用中は喫煙は停止した方が良いとも聞いたのである。

 自分自身、その後、除菌成功可否の検査は受けていないので不明だが、一度失敗したら薬が効かなくなるっていうのも怖い話ではある。

 さて、定期健康診断の結果、異常は見つからず安心したので、除菌確認に出掛けてみようと思うところ。除菌薬を飲んだのが随分と昔になってしまった。除菌薬を飲んだのが虫垂炎の手術をした後の話。虫垂炎の手術が2007年3月、除菌したのが2007年の5月くらいの筈。さて、すでに1年半が経過している。除菌が成功したか否か?これの検査に年末に出掛けてみようと思うところ。どうだろうか?楽しみ半分、心配半分って感じである。

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2008年11月28日 (金)

召集令状(再検査通知)は入っているか?

 本日、水曜日、先月末受診した定期健康診断の結果が帰ってきた。
 実を言うと、ドキドキドキドキであったのだ。

 健康診断でドキドキを意識することなんぞ全く無かったのだが、ここ最近は恐怖に駆られるのだ。ダイエットを始める前が2005年の健康診断だが、その際は、要注意、要検査で、血液検査項目の9項目に※印異常が記されていた事もあるけど、それでさえも大丈夫!?って自信を持っていたのと比べると、今の意識は雲泥の差である。

 ホントは35歳以降の成人病定期健康診断で※印が表記されているのを見て焦った事があるけど、その際の個別保健指導を受けた際には、指導医の先生から、この程度の異常(※印3~4個)は35歳過ぎたら普通だよ!って話を聞いてしっかり安心したのが、健康診断結果に鈍感になった理由である。(実際は35歳以降、※印は着実に増加していた)

 そんな自分が何故に健康に目覚めたか?っていうと、2005年の健康診断での血圧測定で拡張期血圧が90[mmHg]を記録したから。それでヤバイ!と思ったのと、同時期に開催した11月ツーリングでの身体の動かない具合、ツナギのきつさに驚いたのが発端である。

 それでも、ダイエットの成果により翌年には殆ど全ての検査項目を健全域に復帰させたことにより、健康診断=楽しいモノ。結果を楽しむモノ!って意識だったのである。

 その際の改善を示したブログ記事がコレ↓

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2006/12/post_c778.html

 それが、恐怖の対象に様変わりしたのは、自分の変化と周りの変化、つまりは環境の変化によって、健康診断の結果が怖いモノに変わったのである。怖いっていうのは、やはり当事者意識を持ってからであるが、当事者意識っていうのは、再検査通知が同封された時に始めて実感したのである。そう、2006/11の事である。その時は、2006/7に掛かり付けの医者で健診を受けた時に大丈夫!って自信があって、自信満々で2006年の定期健康診断を受けたのだが、その時に入っていたのが、バリウム飲んでのX線検査で胃部所見有り!を宣告された時のことだ。
 当時の意識は、胃部所見=胃ガン?って意識が有ったから。何故か?っていうと、同じ職場で机を並べて仕事をされていた方が、前年に胃部所見で胃ガンが発見されて、摘出手術を二度も受けられた経緯を目の当たりにしたのと、2007年の春に自分が虫垂炎で入院した時の病棟の他の患者さんが殆どガン患者だった事。その時の闘病の様子を間近に見たためである。更には、身の回りでガンによって命を落とされた方が複数居る事等々である。
 そして、ガンでも消化器系ガンは、生活習慣病と密接にリンクしている事を健康オタク的探求心によりガンの誘因リスクが生活習慣病のそれと同質のモノという現実を理解し、生活習慣病のリスクを抱える経験をした自分にとって、消化器系ガン(胃、大腸、直腸)は最大の驚異でもあるのだ。

 それで、胃部所見有り!って消化器系疾患のリスク告知の入る再検査通知に恐れを成しているのである。実際、そういう目で周りを見渡すと、自分より若い人が消化器系統に所見を持ち、腫瘍やポリポージスを発見し治療されている例も在る訳で、やっぱり、単純に他人事とは思えずに、ビビリモードになってしまうのである。
 俺的には、そうなると多分、超悲観的になる。その客観性で悲観的に為らざるを得ないのは、そういう疾患状態に陥ると、保険加入が出来ない等の扱いを保険会社から通告されたりするのである。これは冷静に判断すると、そういう宣告の受けた経験があれば、相当の長い年数の経過がなければ、健全状態に戻らないという判定であり、その判定は、金を払うという損得が重要な判断基準による保険会社によるモノが一番冷徹で正確とも言えるのである。大きな借金も出来なければ、生命保険加入、保証人契約等々の様々な自由な選択肢が奪われるのは、その病の経歴を冷徹に判断すればどうか?を否が応でも認めざるを得ないのである。少なくとも、自分の生活環境、家族構成、年齢から、そういう自由度が奪われるのは、半分、死を宣告されたようなものなのである。

 最近は、特に、ガン、糖尿病等の疾患を扱う番組が沢山放送されているので、特にそう思うのである。自分の場合、まずメタボリックシンドロームの該当か否か?或いは、糖尿病、肝機能障害、腎不全等の障害は絶対に有り得ないという自信(仮に軽度の異常が見つかったとしても回復させる自信がある!)はあるけど、ガン、ポリープ等腫瘍組織(ガンとポリープは基本は同じ。癌には浸潤、転移、異常増殖、不死があるが、ガン化前のポリープには転移、浸潤が無いだけで基本は同じモノ)にはハッキリ言って全く自信は無い。何らかの必然によって細胞の異常化が起こるのは理解できても、その因果関係を特定し、集中的に対策する方法が判らないからだ。そんな異常細胞の発生リスクに対しては、明日は我が身と思っているので、そういう召集令状には極度の恐れを感じているのだ。

 健康オタク状態の納得している知識は、消化器系ガン、ポリープ等の異常細胞(腫瘍)は、細胞分裂の際に何らかの不具合によって、遺伝子の異常と合わさって生じた変異である。変異は偶然で起きるのではないって事。変異は必然によって生じるのである。運悪く疾病がやってくるのではなく、起こるべくして発症したのである。世の中の出来事全てには因果関係がある。ここが重要である。細胞の異常は、起こるべくして起こるのである。つまり、異常細胞が生まれるってことは、遺伝子、食生活、生活習慣、運動習慣等による細胞分裂環境が癌化に適した状態の裏返しであり、それが見つかってからでは、自分的には既に手遅れと判断しているから、恐さを感じるのである。
 更に、特定の因果を見極める術が現段階では発見されていないっていうのも恐さを助長するもの。何か原因は在っても見えないという恐さである。いわば、消化器系ガンやポリープの発症を経験し、生活習慣的にもメタボ気味な生活を体験してきたということは、何らかの必然要素を含んでいるということで、それを改めない限りは、絶対に病は襲来してくるけど、その原因が特定されていないという未知の部分が恐さに繋がっていると自分は思うのである。だから、最初の発症を封じ込める事を意識したような生活が重要であり、仮に一度、そういう事態に陥れば、なるべく生態環境が改善されるような意識を持って生活を重ねなければならないのである。
 異常発症は必然による結果な訳であり、発見されてから対処的な手を打っても遅いのである。癌化になりそうな環境因子を如何に潰しておくか?って根絶的な対策が重要であり、その意識により、今現在、喫煙、飲酒、特保食品、冷凍食品、インスタント食品、ジャンクフードの嗜好習慣を数年来徐々に中断するモノが増えているのである。(喫煙停止は490日経過、飲酒激減は18年経過、インスタント食品断は10年以上経過、ジャンクフードも食べるのは年に5回以下、冷凍食品断も10年、、、、)

 今回、呑気にこんな記事をグダグダと書いているのは、召集令状が入っていなかった!血液検査数値も極めて良好であった!っていう安心があって故の事。仮に、自分の検査結果に異常があれば、こんな記事を冷静に書ける筈が無いのである。それ故に、ホンネの部分ではホッとしており、取り敢えず、次の検査迄の一年も運動しっかり、規則正しい、バランスのとれた自然食生活、喫煙習慣の中断の継続、飲酒機会の限りない抑制というスタイルを保ち過ごしていきたいと思うところなのだ。

 息子が1歳、娘が6歳。住宅ローンも残っている。これからずっと自分自身元気でパワフルで無ければならない。疾病、怪我に見舞われず楽しく過ごせるように肝を引き締めると今思っているところ。

 ところで、現在の状況では、次のようになっている。

測定順は、
2005/11→2006/07→2006/11→2007/11→2008/10
である。
1.血液一般
1).赤血球:標準値が400~550万/mm3
    581 →    → 518 → 508 → 491
2).白血球:標準値が3000~9000/mm3
   8910 →    → 6110 → 5980 → 5600
3).ヘモグロビン:標準値が13~17g/dl
    17.2 →    → 15.7 → 15.6 → 14.7
4).ヘマトクリット:標準値が40~54%
    51.3 →    → 47.3 → 45.8 → 44.5

2.肝機能
1).GOT:標準値が8~40IU/l
    34 → 19 → 22 → 23 → 21
2).GPT:標準値が5~35IU/l
    63 → 17 → 16 → 15 → 14
3).ALP:標準値が105~340IU/l
    284 → 216 → 206 → 185 → 181
4).γ-GTP:標準値が0~70IU/l
    86 → 16 → 20 → 22 → 21

3.脂質
1).総コレステロール:標準値が130~220mg/dl
    207 → 178 → 171 → 201 → 189
2).中性脂肪:標準値が30~170mg/dl
    468 → 112 →  97 →  172 →  131
3).HDLコレステロール:標準値が35~85mg/dl
     34 →     →  53 →  61 →  61
4).LDLコレステロール:標準値が70~139mg/dl
         →     →      →        →  102

4.腎機能
1).尿酸:標準値が2.0~7.0mg/dl
    9.1 → 7.5 → 6.7 → 6.8 → 6.8
2).クレアチン:標準値が0.5~1.3mg/dl
    1.07 → 0.94 → 0.95 → 0.98 → 1.00

5.糖尿病
1).空腹時血糖値:標準値が70~110mg/dl
    88 → 86 → 77 → 87 → 82

6.メタボリックシンドローム判定
 測定胴囲は69cm、当然、『非該当』である。これは心配していない。

で、今回の健診ではLDLコレステロールの測定が追加された程度の違い。
因みにLDLコレステロールの推定も可能で、

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2006/12/hdl_576e.html

参照!
LDLコレステロール量=総コレステロール量-HDLコレステロール量-0.2×中性脂肪
で推算可能だ。
試しに計算すると、189-61-0.2×131=101.8!
実測値の102にピッタリだ。凄いなぁ。

 今の関心は、上記のような測定項目には健全域という形で幅が与えられている。この幅は何を意味するか?幅の中央が良いのか?或いは、此処の数値の相関が重要なのか?って所。その辺を調べて判れば記事にして、ベストが判れば、それを目指す生活のマイナーチェンジを施そう!って思っているのだ。

 なお、前回所見で書かれたⅠ度心房ブロックは無かった。勿論、胃部、胸部所見も無し。順調である。

 身体機能を効率的に活用する。これを生きるテーマの主軸に掲げ、全ての行動を行う。これが大事。

 例えば、アルツハイマー、若年性認知症なんぞも、結局は、思考展開の訓練で相当に発症を押さえ込める例も知っている。脳が萎縮しても痴呆症状を呈さない例が実際に多く、それは、その老人が強烈な趣味への好奇心を失っていないという報告もある。趣味においても、模倣する、流行に乗るのではなく、自身の発想で、自身の好奇心を、自身の論理展開で納得する。妥協を廃す。って姿勢こそが、最重要と思う。これも身体機能の活用である。
 飯を食う場合でも、定時定刻に三食食う。食う過程においては、身体の消化を司る行為を無駄なく活用する。つまりは、しっかり噛んで、食う順番を、人間の文化(マナー)に応じた形で摂取するっていうのが、一番合理的。そうすることが、機能を活用するということ。

 そんな風に、身体機能をフル活用する事を最重要課題として生きるのが大事なのである。異常を呈してからは、健全状態に復帰させるのは困難を極める。

 大体、自然界の変化は殆どが不可逆変化の筈。それ故に、崩れたバランスを復帰させるのは相当に困難だし、崩れるという乱雑さの増大した状態を律するっていうのは、相当なエネルギーが必要なのは、自然界の法則に則ったモノである。それを思うほどに、対処は無意味で、対策こそ重要って思うのである。ザックリ言って、異常状態に陥るっていうのは、健全な状態からの移行を意味する。移行に際しては、移行推進力と移行抵抗の積で表される。疾病状態に速く陥るってことは、移行推進力が思いの外大きいか、移行への抵抗が少ないか?って事。そんな変化した乱雑状態からの復帰は?っていうと、逆のエネルギー(努力)が必要。健康な人と疾病状態に陥った人の疾病発症年数が短い(つまりは、若くして糖尿病とか異常細胞の発現を呈した)場合、移行推進力が人の数倍大きいか、移行抵抗力が数分の一程に小さいってこと。これを元に復帰させるっていうのは、エネルギー的には二乗倍が必要。生活の破綻が健全者の5倍とすれば、本人基準で25倍の節制が必要って事。これはザックリしすぎた話だが、それを言うと、疾病状態に陥った後の回復を本人の努力で行うって場合は、物凄く高いハードルとなって立ち塞がるのである。そうなる前に、身体機能が破綻に陥る前に、体内数値を健全域に戻す努力が必要なのだ。機能異常とか出血前ならば、戻す際に厭うハードルの高さはそれ程でも無いのである。

 チョット長文になりすぎたけど、一年に一度の定期健康診断の感想だし、今年から始まったメタボ健診に対する感想も含めての話なんで、ヨシとしよう。

 取り敢えず、生活習慣病、糖尿病、脳梗塞、心筋梗塞、消化器系ガンや腫瘍って部分は、必然的に発症するモノと理解している今、根絶すべき生活習慣を身に付ける事が重要なのだ。

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動画撮影しようかな?

 先日のツーリングは実に愉快だった。愉快なんだが、どうも途中で停まってって事が出来ないのは、せっかちな性格に起因しているのだろうか?走っている時は、停まる気がしないのである。特に、ワインディング区間を走っていると、停まるのが勿体ないのである。
 しかし、停まらなければ記録に残せない。まぁ、記録に残すために走っている訳ではないので、良いと言えば良いかもしれないが、それでも、出掛けた証拠(?)は残しておきたいし、そういう記録は後に見た時に、当時の記憶を引き出す鍵にもなるので、記録は記憶の鍵という意味でも残しておきたい気もする。

 さて、そんな記録用には、今現在は200~300万画素クラスの単焦点コンパクト機を携帯して撮影しているのがせいぜいなんだが、ふと、思い出すと、そういえば、走行記録を取るためにオモチャ系動画カメラをゲットしていたなぁ!って思い出したのである。

 この動画が撮れるカメラで車載して壊れても惜しくないモノという括りで調達したのは、SDカードに記録するオモチャカメラである。これが二台あるのだが、一台がリコーのCaplio RR211ってモデル。これはCMOSの211万画素の単焦点+固定焦点のデジカメだが、焦点が49mmというデジカメらしくない構成。更に、動画記録は音声は取れないけどメモリー制限一杯迄撮れるというのが変わった点でもあるのだ。
 それともう一台が、いにしえのデジタルビデオであるIO-Data機器のAVMC211。これもCMOSの211万画素+固定焦点、焦点距離も49mmという仕様。これ、RR211と殆ど撮影周り、レンズ周りは同じ構成。大きさも似たり寄ったり。中身は同じか?って思う程だが、こっちは一応動画が記録できる。

 この冬休みは、このカメラを単車のカウル内に固定するマウンターでも作ろうかなぁ?って思っている。走行しながら撮影の開始、終了、機器のスイッチのON/OFFが出来る程度の位置に固定したいと思っている。

 どっちのカメラも、超軽量でSDカード一杯迄撮れて、可動部分は基本的に無しという構成。正しく単車用モニターにピッタリ。レンズのF値も両者ともF=2.8で比較的明るめ。そして、焦点も望遠よりの49mm、動画撮影にピッタリである。
 この冬のテーマは動画撮影しよう!ってパターンで遊ぶつもり。

 今更ながらの機種だけど、気にしないのである。

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中野浩一選手の特集

 NHKのスポーツ大陸、スポーツ史の一瞬って番組で中野浩一選手の世界選手権10連覇を通して競輪ってスポーツを認知させた功績の特集を組んでいた。

 この時代、自分が競技をしていた時とリアルタイムであり、昨日の事のように思い出したのだが、この番組の中で、フレームビルダーの中沢氏と中野選手用のフレームの説明やら、競輪学校における中野選手と他の選手のペダリングの違いの説明がチョコッと紹介されていたりした。

 その一齣での中野選手のペダリング時におけるペダルトルクの回転位相別トルク分布を示した図を見て、思わず頷いた。

 っていうのも、大昔の自転車部時代に自転車競技の専門家を講師に招きペダリングの説明を受けた時を思い出し、その際に自分なりに理解した事を再確認したからだ。

 因みに、この再確認事項を最近記事にしたのが、これ↓

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/08/post_2296.html

 の記事。この記事では、駆動時こそ全てで、引き脚等に変な意識は不要。仮に戻りでペダルを意識するようなのは、反対のペダル踏みに対してエンブレみたいな阻害が働くだけ!って事を言っており、引き脚はペダルの引くためと違い、ペダルの戻りに同期させるのが目的。そして、踏み出し時においてペダルを外さないタイミングでトルクを伝える事こそ重要って話だが、この番組でも同じ事を言っていたし、20年前に講師の方から聞いたことが、そのままだったのが、チョイ嬉しかったりした。

 やはり、ペダリングでは変な固定具に頼らずとも脚の引きをペダルの戻りと同期するタイミングを体で覚えること。そして、戻った後の踏み込みでペダル上死点から即座にトルクを生める位置を保ちパワーを伝えるタイミングを身に付ける事こそ重要ってこと。

 そのためには、ストラップとかビンディングとか、そんなモノつけてたら、いつも繋がっているという勘違いをしかねないのである。

 やはり、フラットペダル等で踏み外さずに200rpmオーバーで回せる癖を身に付ける方が先決って思う訳だ。

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2008年11月27日 (木)

自転車ブームの今、敢えてバイクは如何?

 自転車ブームっていうのは、書店の雑紙コーナーでも、日常でも実感できる。
 11/23バイクの日のツーリングでも市内に近いエリアでは派手なレーパン、レーシャツに身を包んだローバイク乗りを見た。

 しかし、チョット奥地に入ると、自転車は急激に見なくなる。みんな近郊を走っているだろうか?そして、山間部にはいると未だ、単車の方が多いくらい。

 まぁ、絶対的な台数はチャリ>>>単車である。でも、思った事、、、、、、それは、ロードバイクに乗った人は殆どが年齢層が高い。まぁ、オッサンばかりである。30代以上の世代が多い感じである。それに対して、単車に乗ってる奴ら(ハーレー除く)は、20代以下も結構居る感じである。

 これ見て思った事。自転車は何時の時点で始めても、それなりの領域になるけど、単車は俊敏な内にやらんと楽しみの欠片も感じれなくなる。歳食って乗った単車なんぞ、車以下であり、俊敏な内に乗って単車を楽しめる回路を作っておくっていうのは、将来の趣味の選択肢を拡げるにはイイものだと思うってこと。

 今時点で若い連中の単車の身のこなしを見て、上手い!ってのは、稀だけど、若い内に乗っているという事実は大切な事。乗って乗って乗りまくれば、単車を扱う上で必要な回路が体の中に生まれる筈である。そういう回路を作るべく、今乗るのはお奨めだ。

 年取って、単車に乗っかっているとか、引っ付いているとか、そういうのでなく、単車を支配下においているような感じで乗れるかどうか?っていうのは、10代後半から20代前半の俊敏な内に体験するかどうかに依るモノだ。人生において、その瞬間は過ぎたら絶対戻ってこないモノ。今の瞬間に、それを得るべく単車に乗るって言うのは超お奨めだ。

 今月は久しぶりに単車雑紙を買った。買った雑紙は、『Mr.Bike』

 理由は、、、、、タイトルが『桃色遊技』だからだ。そう、原付二種は面白いぞ!って特集だからだ。

 自分自身、大きなバイク、速いバイク、ミドルツイン、レプリカバイク、、、、好きだけど、それ以上にチッコイバイクを振り回すのが好きである。

 マグナム80、AR125S、、、、原付二種の2ストロークなんぞは、いろんな遊びが出来るバイク。今なら安価で楽しめる。これで回路を身体に作る練習は如何だろうか?その先を、少しずつステップアップする。そして、レプリカなり、リッターバイクなりを楽しむ。その先には、多分、素敵なワンダーランドが待っている筈。

 今だからバイク。小型軽量バイクが選べる最後の時代が今かも知れない。今、20代前後の人はホント、ラッキーかも知れない。最後のチャンスである。

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高血糖で運動しても良いのか?

 血糖値は、通常、食後30分から90分の範囲で上昇するものなんだそうだ。
 そして、血糖値っていうのは、脂肪が分解して血液中に糖として供給されたり、或いは、食後における栄養分の吸収によって血中に取り込まれた糖分が蓄えられる細胞に供給される過程において血中数値が上昇するものの筈。

 脂肪細胞に蓄えられるために向かう場合にも血中を通過し、筋肉によって消費される場合にも血中を通過するもの。

 つまり、食後においても、激しい運動直後にも血糖値は上昇するものと考えるのが自然である。

 こんな記事を書くのは、あるメールマガジンで配信者の方が、健康診断直前に激しい運動をしていて血糖値測定をすると異常な程に高い数値で医者に驚かれた!って記事を配信されていた事を思い出したためだが、よくよく考えると、血糖値っていうのは血中のブドウ糖濃度の話であり、その単位が[mg/dL]ってだけの話。

 この血糖値は、糖尿病如何に関わらず、食後には空腹時の50%未満の上昇を示すモノらしい。そして、運動直後においても、同様の割合で上昇する場合が有るらしい。

 因みに、人の血液量っていうのは、体重の約1/13程なんだそうだ。そして、血液の比重は、男性が1.052~1.060、女性が1.049~1.056程度で約1.05程度なんだそうだ。

 これを併せて考えると、体重が65[kg]なら1/13の5[kg]が血液重量、で血液の容積は5000÷1.050=4761[mL]程となる。
 因みに、[dL]って単位、懐かしい単位だけど、デシリットルだ。デシリットルっていうと、10[dL]が1[L]である。つまり100[cc]が1[dL]であるので、血液量は47.6[dL]って事になる。

 血糖値の正常値が空腹時で109[mg/dL]以下ってことは、109×47.6=5188[mg]が正常値。食後血糖値の139[mg/dL]以下だから139×47.6=6616[mg]である。つまり、1428[mg]程の糖分が増加したって事。僅か1.5[g]程の話である。

 運動でも同じである。結局は血中に1.5[g]程のエネルギーで運動出来たりする訳だ。或る意味、驚異的である。

 因みに、糖尿病っていうと、空腹時で126[mg/dL]以上、食後で200[mg/dL]以上が異常範囲。その際の量は、5997[mg]~9520[mg]である。健常者の1.5倍の濃度となるわけだ。この濃度の差が血栓、瘤の原因となる血管損傷を引き起こすか否かの分かれ目になる訳だ。
 考えようによっては、健常者の血糖値濃度の最高状態が糖尿病患者の最低状態となる。これは、下手に運動すると血中血糖値の数値が生体限界を超えて重大疾病を誘因しかねないのでは?と思えたりもする。体重が65[kg]の人の限界血糖量が6616[mg]な筈なのに、糖尿病では運動前の空腹状態で5997[mg]も血糖量がある。運動すると、即限界オーバーという風に見えるというとリスクを煽りすぎだろうか?

 この辺が糖尿病の怖さでもある。

 因みに、運動による疲労回復には昔から氷砂糖が有効とも言う。糖分っていうのは筋肉のエネルギー源になったり、それが不足すると疲労を感じたりするもの。つまりは、必要に応じて血糖値を高める事が大事な訳だ。そんな血糖値を高める余力こそが、平生における血糖値の制御である。血糖値が高値安定すると、血糖をコントロールして運動したり疲労回復したりって行動が起こせないということ。怖いモノである。

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腰痛!?

 たわいの無い記事。
 連休最終日は朝から雨。当然、自転車も単車もパスである。で、家族を連れてショッピングモールに買い物。目的は無しである。

 で、服装は?っていうと、自分はジーンズ+レザーのライダーズブルゾン+ゴートスキンのウエストバッグ、、、、、これにベビーバギーに息子を乗せてって状態。

 すると、妙に腰が痛いというか重いのである。腰痛か?って思う程に腰が重いのだ。

 原因は、前日の峠ツーリングの疲労か?って思ったりしたのだが、、、、、

 実は、その原因は、ウエストバッグによるモノ。モノを入れすぎっていうのも在るのだが、、、、、少なくとも、このバッグ、単車に乗る時も使うバッグで、単車に乗っている時は別段何も感じないのだが、、、、
 で、入れているモノは?単車の鍵の束、単車のチェーンロックの鍵の束、、、これでも相当な重量、に加えて、免許証+銀行カード系のカード入れ、札入れ系財布、小銭入れ、携帯電話である。これ、結構な重量なのだ。

 でも、腰痛を招く程の痛みでは??????

 で、判った事。これは、実はダイエットによって減った腰回りが原因なのだ。
 因みにウエストは67cm前後。ズボンは、ウエスト71cmを買う(尻が入らなくなるので)けど、腰周りにはペットボトルを刺す事が出来る程余裕。

 そんな状態で表題の荷物が入ったウエストバッグを腰に巻く。すると、バッグのベルト調整幅を限界迄絞っても、バッグは身体から離れる。バッグのベルトと身体の間には、ペットボトルが2本以上挟める程、、、、、、
 で、帰宅してウエストバッグのベルトの縫製を解いて目一杯締めれるようにしてみた。

 すると、、、、

 腰痛は嘘のよう、、、、、確かに、ベルトが緩すぎて荷物が下がると、、、、腰には局部的な重みが作用して痛みを感じる訳だ、、、、

 で、手持ちのウエストバッグ6本を腰に巻いてみると、、、、、殆どが調整限度を超える状況、、、、ベルトの縫製を解いて調整できるようにしないといけない。

 まぁ、腰痛って程のモノではないのだが、、、、ちょっとした出来事であった。ウエストバッグの正しい使い方。それは荷物を身体に密着させる事。今更ながら再確認した次第である。

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2008年11月26日 (水)

ライディングがスポーツだと思う理由

 自転車が単車よりスポーツだ!っていう人からの質問に対しての答え。
 まぁ、殆どの人が自転車は健康に良い。自転車は運動であり、スポーツであるっていうのは否定しないし、その通りだと思う。そして、単車が健康に良いとは思わないのも同意できる。しかし、単車も使い方によっては運動であり、やはりスポーツであると思う。そして、スポーツとしての疲労の濃さは、自分の印象としては、自転車よりも遙かに長く疲労を引きずる感覚である。
 そういう意味で、単車のライディングは非常にハードなスポーツだと思うのである。

 敢えて色分けするならば、自転車っていうのは、時折のスプリント、ヒルクライムでは軽度な無酸素状態に為るけれど、その無酸素状態っていうのは一瞬であり、殆どが有酸素運動状態だと思う。
 それに対して、自分の思う単車のスポーツモードっていうのは、断続的な緊張を強いられる無酸素運動状態。それも無酸素状態は力を均衡させるような入れ方、アイソメトリックス運動に近い状態を断続的に行う状態だと思う。

 さて、そんなライディングって何ぞや?って話だが。単車のライディングをスポーツと定義すると、どんなライディングか?っていうと、果てしなく単車の運動性能を発揮し続ける状態。上り、下り、減速、加速、これが次々の果てしなく訪れる状態を意のままに操る時の身体の使い方が、前述のような断続的で決して一通りでない動作を果てしなく行う状態である。
 単車の運動性能の鍵は二輪車故に、二輪車の特性を常に維持する事。二輪車の特性とは、前輪の自由度を何時如何なる場合においても確保すること。それは、加速、減速、旋回から切り返し、全ての状態において言えること。
 しかし、単車の加速では、アッという間に3桁の速度差を生む程に加速したり、減速したりする。そんな時、仮に加速する際にも決してハンドルで身体を支えては駄目。勿論、急制動状態でもハンドルで身体を支えるなんてのも基本はナンセンス。そんな状態においてもハンドルの自由度を確保する事が運動性能を確保する上での必須事項。急制動では、下半身で自分の身体は支える。あくまでもフロントの自由は確保する。加速時に於いてもそう。ハンドルにしがみついてフロントリフトを抑えるなんぞアホのやる事。下半身で上体を伏せているだけで、フロントはやはりフリーである。そこに旋回動作が入っても同じ。旋回動作は、二輪車の重心位置と乗り手の重心位置の合成によって車体を寝かせる訳だが、車体を寝かせる事で、キャスター角による蛇角が生まれ旋回力が生まれる。その自然な動きを働かせるには、やはりハンドルに力が入ると駄目なのだ。

 これはあくまでも思い付いた一つの状況だが、どんな状況においてもステップ+踝で足下を固定し、脚、腿と車体の支えるポイントで腰の位置を固定する。この固定は、全てが下半身の力のみで行う。その固定した下半身の上で腹筋、背筋で上体を固定する。固定された上体からは力を抜いた形でハンドルと腕で繋ぎ、アクセル、クラッチのオペレーションを行うのである。下半身で完全に身体を固定し、その下半身で腹筋を介して上体を固定する。そして、その下半身の固定位置=重心の位置であり、加減速、旋回における車体の安定を状況に応じて位置調整するようなモノ。それに応じて上体を追随させる動きを連続的に行うのである。これは、相当に疲れるのだ。
 自分か下りのS字コーナーが好きとか言うのは、そういう状況においてもハンドル周りの自由度を確保して車体の切り返しを素早く行う。下りでありながら重心を後ろの持っていくトラクションの掛け方が面白いからなのだ。こういう状況では、多くのライダーが腕突っ張りでオットットってな具合。そういう状況程愉快なのだ。

 当然、このような動作は、車体全体の重量の内、積極的にコントロール出来る自身の体重の割合が大きい程(判りやすく言えば、車体が軽い程)、大きな動き(素早い動き)が出来るのだが、ツボを掴み、重量をコントロールする術が身に付き、コントロールできる癖を持つエンジンを得る程(例えばレスポンスの良いトルクフルなエンジン)に大きな車体が自在に扱えるようにもなるのである。そうは言っても、下り坂、減速時においては、重量による影響が大きく、重量車を下りでコントロールするっていうのが一番難易度が高いけど、それが出来た時の嬉しさは最高なのだ。

 特に、単車においては速度の次元が上がる程に同時処理する要素が増えてくる。その反応は大脳による知覚行動では追い付かない。殆ど反射行動に近い状態。そういうのは経験による条件反射的な神経回路が必要。それが無いと絶対に実践不可能。そういう回路があっても、それを持続するっていうのは、神経の興奮状態が長く続くとういこと。そういう面においても緊張が高い状態が続くという意味で非常にハードなのだ。

 そんな理由で、11/23の山岳ツーリングをミドルツインで走り回った後に二日経過しても未だに筋肉痛が脹ら脛を中心に腹筋にも少々残っている。しかし、この心地よさは他の趣味では味わえない。神経の緊張状態の高みが持続するためか、一種の幻覚に近い状態が得られるのも単車のスポーツライディングならではの世界。乗れている時は、全てがスローモーションのようになる。そして、自分のライディングスタイルが上空から客観的な映像のような状態で見えるような錯覚を味わえる。殆ど、陶酔の世界である。だから、不思議と、色んな事が予測できるのである。見知らぬ山間部の峠を走っていて、ブラインドコーナーの先に車と離合する事が予測出来、事前に安全に離合も出来る。そんな状態になるのである。
 信じる、信じないは人の自由。しかし、これは現実である。全てがスローモーション、そして見える筈の無い状況が見える。見える筈のない自分の姿がイメージとして見える。そういう世界が単車のライディングの世界にはあるのである。
 こういう状況は、何時もとは限らない。ホント、乗れた時だけだが、確かに存在する。乗り込む程に、そういう世界に出会う率が高まるのである。

 このブログを読む人には、俺とツーリングに何度か同行した人もいる。実際、峠区間のハイパーモードで走行し、一度も事故も転倒も離合でビックリもしていないのを見ている筈。それで居て、後続車は何度も転倒、転落、或いは、離合でビックリを経験しているのを思い出しているだろうと思う。

 このような動きを全てのライダーがしているか?は疑問だが、少なくとも、自分はライディングスポーツのために単車に乗る訳で、一寸した瞬間にも、この原則で乗る。それ故に、単車は自分にとっては自転車以上にハードなスポーツなのである。

 自転車がブームで多くの人の注目を浴びている一方、単車が冴えない状況なのだが、単車のライディングの向こうには、こういう麻薬的な錯覚が味わえる世界があるっていうのを是非知って貰いたいもの。
 オッサン連中はどうでもよいから、俊敏な神経回路を持つ若い世代には是非、ステップアップしてスポーツバイクの世界の階段を上って貰いたいと思う。絶対、楽しいから、、、、三十路過ぎたら絶対味わえない世界。二十歳前後から始めないと絶対無理。それは、周りを見て統計的に言える事。16歳から乗ってる俺が言うんだから間違い無いのである。チャリに乗るのは三十路からでも、不惑からでも十分間に合う。でも、単車でスポーツライディングは絶対若い内からステップアップが必要、、、、みんなでスポーツバイクを盛り上げたいと切に願うのであった。

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年末、年始向け番組録画中、、、、

 只今、年末年始の就寝時間帯+ローラー台遊び中で視聴する番組を録画収集中である。

 で、番組はCATVのCS放送番組からピックアップ。STBで録画するのだけど、録画は内蔵HDDには落とさずに、Ir録画のタイマー予約で通常のノーマル解像度でDVDデッキのHDDに録画。録画後は、LPモードでDVDに録画。LPモードでDVD一枚に4時間記録できるので、2番組~3番組が一枚に記録出来る。

 で、録画しているのが次の通り。

1.アニメ映画で高坂希太郎監督の映画
 ・茄子 アンダルシアの夏
 ・茄子 スーツケースの渡り鳥
 この二作品は、自転車ロードレースのアニメ映画で前者がブエルタ・ア・エスパーニャと絡ませた作品で、後者がツアーオブジャパンを絡ませた作品。これをDVDに落として見る予定。

2.特撮映画で東宝のゴジラ作品
 ・昭和ゴジラ15作品
 ・平成~ミレニアムゴジラの14作品
 この作品で昭和ゴジラは自分の誕生前からの作品。記憶にあるのはゴジラVSヘドラ以降メカゴジラくらい迄だが、今でも何故か好き。今回、CSではデジタルリマスターでハイビジョン制作したらしいけど、それを録画して年末、年始にじっくり鑑賞する予定。

 で、過去の番組で録画して見てないのが、、、これは民放の深夜放送だけど、

3.墓場の鬼太郎
 ・最近アニメで復刻された初期漫画
 この作品は、ゲゲゲの鬼太郎とは違い、シュールで恐怖をセットにした鬼太郎本来の作品故に見る価値があるもの。これはフジテレビ系列で放送されたモノを取り溜めた。これも鑑賞予定。

4.自転車競技中継&ドキュメンタリー、教養関連
 ・世界選手権トラック競技
 ・ワールドカップトラック競技
 ・ふるさとダービー広島
 ・2008年ツール・ド・フランス総集編
 ・2008年ブエルタ・ア・エスパーニャ総集編
 ・2008年ジロ・デ・イタリア総集編
 ・2008年ツアーオブジャパン/ジャパンカップ総集編
 ・NHKの自転車の国の王子様/スポーツ大陸『浩一ダッシュ』
 ・ActOnTVの『自転車生活』
 自転車競技ならやっぱりトラック競技が面白い。ロード競技は長すぎる。ダイジェスト見ても良く判らない。

 そんなところ。まぁ、既にこれだけの量を見る時間なんぞ無いだろうとは思うけど、これからローラー台の一時間、二日で映画一本ってペースで見ていけば良さそうではある。

 因みに、最近はコピーワンス、コピーテンでデジタル配信、モノによってはハイビジョンってのが多いけど、ハイビジョン録画する機材が揃っていないので、基本はノーマル解像度。まぁ、仮にハイビジョン録画出来てもメディアも割高で、録画時間等も考えると躊躇中だし、取り溜めたモノをi-Linkで別HDDに落とすと、そこからはコピーワンスになるのもNG。配信データを簡単かつ汎用的にハンドリングできる映像編集支援能力の優れたPCが必要か?と思うところ。

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単車を操る上で必要な固有なモノ

 先の記事に引き続き、単車と自転車の違いを考えてみた。
 一般的には自転車の方が体力が必要と思われがちだが、自分の意見は、その逆。

 その理由は、先の記事にも書いたけど、情報処理の速度レベルの違いが圧倒的という事。情報処理の速度の違いの理由は、走行速度域の違いと、その走行状況における対応能力に求められる速度の違いが大きい。対応判断も速く、対処も速くっていうのが単車と自転車の最も大きな違い。対処が速い!ってことは、それだけ身体の筋肉を動かす加速度も大きい訳であり、これが全身の疲労感に繋がる訳で、素早い対応が必要ということで、神経的な間が、判断の『魔』を呼びかねないって事にも繋がる。

 自転車における行為の原則は、全てが意識行動である。大脳で考えて、時間を掛けて追い込むという時間の流れが緩やかな世界である。仮にダウンヒルでのコーナーリングでも同じ。速度のレベルの低さと対処すべき行動の選択肢を見ると考える時間は余裕だらけである。
 しかし、単車のそれは違う。三桁を伺う速度域での下りのタイトなS字区間、或いは、同じ様な速度域での回り込んだターンにおける不測な事態への対応や、不測な事態を想定した対応、不測に遭遇した際の処理って部分では、ハッキリ言って考えて行動していては自爆で終了である。
 しかし、走行中において遭遇する状況では、その瞬間はスローモーションの様にフラッシュバックする。スローモーションの様に感じるのは、処理した後に考えた時に、そうだったというだけであり、実際のリアルタイムな状況では、決してスローモーションではない。殆ど、フラッシュ状態で、後から考えてスローモーションのように感じる流れで行う複数の操作を、その時点においては瞬間的に同時に適切に行っているのである。
 そう、そこでは大脳は関与していないのである。そういう状況における対応の引き出しに従って、条件反射的に対応しているだけなのだ。

 この条件反射的な対応は、誰でも出来る筈がないのである。反射行動とは、反復行動から判断から動作における行為のパターンを神経回路が記憶しているから出来るだけであり、そのような状況をトレーニングした経験が無ければ絶対に身に付かないモノである。そのような状況とは、より長い時間の流れで、単一の状況に応じた対応を身に付ける訓練を繰り返す事。これこそが、ステップアップの意味であり、小排気量、低速度で、挙動に対する対応を身に付ける事を意味するのである。
 反射的な回路が備わっていなければ、それを作る必要があるのだが、その回路を反射神経という本来の対応が速い時期に訓練を施す事で、身体に新たな反射バイパス回路を作っていくという行為が必要なのだ。

 その蓄積が、より高速度で、より複雑化、より多くの情報処理への対応力を高め、条件反射的に対応できる技量に繋がるのである。こういう経験を持つか否か?は、ステップアップする時間と、トレーニングによる判断行動の反射システム化の訓練時間に依るもので、これが無ければ、そういう世界の極みは想像出来ないだろう。

 自分自身、単車の楽しみは、こういう世界にあると思う。これを経験し、自分なりにそれを体感する事が出来れば、それはずっと守り続けたいと思うのである。こればっかりは、大脳行動のみで遊べるロードバイクとは別次元の話とも思えるのである。

 モータースポーツの極みの一部には、こういう世界観があるのでは無いだろうか?

 まぁ、ロードバイクの場合も、心肺機能、脚力、技量が十分に必要で、それが簡単に手に入らないのも判るけど、モータースポーツの場合は、神経系の回路構築という要素が加わる部分が大きな違いかなぁ?と思うのである。この辺は、ロードバイクよりもMTB等の扱いが単車に近いかもしれないとも思うのである。

 この連休では、単車の楽しさ、奥深さを再発見したのが一番大きな出来事と言える。

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単車で峠走行と自転車でCR巡航

 表題の二つの遊びはどっちも好みである。まぁ、趣味の第一位は単車で峠走行。そのために必要な身体を、筋トレ、水泳+最近なら自転車で作るってのがパターン。

 で、日曜日に単車で峠中心の山岳ツーリングに出掛けたのだが、火曜日時点で未だに全身の疲労感が残り、特に、脹ら脛の張りが取れない状況。自転車ではCRを自分的に如何にハイレベルの巡航を行っても、そんな事が無いので、凄く対照的な感じ。
 まぁ、運動の形態が違うっていえば違う訳で比較にはならないけど、、、、、自転車では筋力不要、心肺機能重視って感じ。心肺機能は多分、疲労が蓄積しないのだろうか?
 それに比べると単車の峠走行っていうのは、殆ど筋持久力的な運動。瞬間で筋力を使い、これを断続し続ける感じ。瞬間の筋力を働かせるって状況は短時間の無酸素運動の連続か?って感じ。翌日以降に疲労が残るのは間違いなく単車。自転車では、そういう感覚は皆無。

 そして、自分レベルの話だが、乗りながら思った事。

 自転車でせいぜい40km/hレベルの定常走行、、、、、殆ど必要なのは、心肺機能と漕ぎ方程度のモノ。勿論、そこからの加速では少々の脚力も必要かもしれないが、鍛えれば、それなりに手に入るもの。考えてみれば敷居は低いし誰でも、そういう世界は垣間見れる。勿論、60km/h以上の世界となると話は別だが、普通?のレベルでの50km/h以下って世界では、誰でも直ぐに見れる世界でもある。

 単車での話。3桁の速度域以下だとしても、そのアベレージを高く保ち、タイトかつ回り込んだ峠で、そこそこのサイズを振り回すっていうのは、身体の基本機能を高めるだけでは絶対に味わえない世界。その世界は、体験、体感、熱中した事がなければ想像も出来ない世界だと思うけど、確実に存在する。そこでの世界は、敷居は低くないし、簡単には味わえない世界。勿論、単車に乗せられた状態でビビリ状態なら誰でも見れるだろうけど、それとは別の世界の話。

 この違い。何か?って考えると、人間って生き物にとって受け入れる事の出来る速度感のようなモノか?速度が速い程、情報処理の速度が必要。自転車の速度なんぞ、たかが知れているし、速度の出る瞬間は基本は真っ直ぐ。ダウンヒルなんぞ、所詮は落下に過ぎないもの。トラクションが掛からない下りなんぞ屁でもない。単車では、その速度、質量感は、体力云々だけで処理出来るモノではない。非常に速い流れの中で情報処理して動きを律する。その流れにおいては、非常に繊細な操作と大胆な身体の動きが重要。それが、速度にシンクロしなければ世界は見えない。そんな世界。考えていては処理できない。慣れが必要。慣れるには、最初は反射に依存する部分が大ともいう。これは若い頃に、速さに対応できる感覚が在る内に、情報処理のバイパス回路を身体に作らなければ一生手に入らない世界とも思える。これは、単車に乗って、乗り切れた感覚を得た経験が無ければ絶対に判らない。オッサンデビューのハーレーとか、ビッグスクーター小僧にも無縁の世界だろう。ステップアップして情報処理のバイパス回路を熟成させた人間の特権とも思える。

 その処理に応じた、操作と運動が想像以上に身体に負担を強いる。そして、それが無ければ味わえない世界。それが単車で曲がるって行為には含まれているんだと思う。

 今回の峠ツーリングでは強くそれを感じた。

 バイクで峠を『攻・め・る・!』事、これは、やはり最高に面白い。

 反感買うかも知れないけど、楽しみの奥深さは、ロードバイク<<<<<レプリカバイクである。まぁ、誰でも味わえるロードバイクも悪くはないけど、やっぱレプリカバイクだなぁ!って感じだ。

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2008年11月25日 (火)

カープは市営か?

 火曜日の昼ポタはチョイとノンビリペース。最近は、自転車はノンビリ景色見ながらが楽しいか?と思いながら運転することが多いのだが、それで気付いたこと。

 それは、、、、広島新球場近くのマンホールでビックリ。場所は、ベスト電器ビル、通称ビックカメラ広島店の近くのマンホールだが、そのマンホールが通常は、広島市の市のマークの三本川デザインとか紅葉デザイン、或いは、格子状のデザインなんだが、そのマンホールはカープ坊やのレリーフデザインである。

 マンホールの蓋っていうのは公共インフラの一部の筈。電信柱とは違う意味合いの筈。でも、営利団体である広島東洋カープのカープ坊やがデザインされているとは、、、、チョイとビックリである。カープは市営?市立?県立?公営?って印象である。

 因みに、このカープ坊やはカープが初優勝した時にお目見えしたデザインだ。確かに、カープと広島市は密接な関係があるのは理解できる。
 今や集客力は相当に高いフラワーフェスティバルでも、元々は、カープが初優勝した年に、平和大通りで催された優勝祝勝パレードが発端だ。

 しかし、税金で賄うインフラ設備に営利企業のシンボルを入れるのは何とも微妙である。
 もしかしたら、球場の命名権ならぬ、マンホールの蓋にもデザイン権のようなモノがあるのだろうか?

 ふと、そんな事を感じた火曜日の昼ポタである。

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魔と懐

 昨日、SVとCXで峠を走って遊んだ。
 基本は安全に心地よく走るのだけど、長距離を走ると、時折、稀に、魔が差す事がある。この魔は突然やってくる。何気なく空の色に見とれたり、ふと他の事を考えたり、そんな瞬間である。勿論、超本気モードで走っている訳でないから大きな問題には繋がらないが、そんな時は、自在に動く筈の単車が急に動きが悪くなる。そんな瞬間を自分は、『魔』と読んでいる。

 この『魔』は、いろんな場面に潜んでいるのだ。魔に見初められると、何時もは普通に出来る事が出来にくく為るモノである。そんな時は、やっぱり或る割合でやってくるのである。この『魔』が大きなモノ程、影響を大きく受けるのである。

 ツーリングにおいて『魔』による障害が最も邪魔なモノ。この『魔』をいなすのが、乗り手+バイクの『懐』なのである。

 この『懐』の深さが最も大きなバイクが、自分の感覚では縦置きクランクのツインエンジン車である。

 CXsuperEUROは、そういうバイクである。乗り手の勘違い等により『魔』が訪れても、その咄嗟により判断力が鈍っても、その魔の先に潜む障害を回避する選択肢を非常に沢山与えてくれるのである。
 予想外に深いコーナーだ!って路面の変化により、更にカットインさせるにしても、ステップ荷重+パワーオンで更に深く回る事も出来る。SVでは、パワーを抜いてリーンを作り、そしてパワーを入れるという待ちが入るけど、この待ちが無い分、魔を余裕で回避できたりする。トルクバンドも深く、回転がドロップしても復元させる力もある。そういうのが大事なのだ。

 昨日の記事で、CXsuperEUROの速さがガンマ、レプリカ、SS以上って書いたのは、こういう知らない場所をハイアベレージで走る場合に遭遇するであろう魔に対する懐の深さを表した言葉である。

 って記事を書いても、誰にも通じないだろうなぁ、、、。

 単車の持つ懐の深さ。これを選べる自由。選択肢の広さこそ、ハイスピードツアラーに求められる裁量だというのが持論である。スペック上の馬力、トルク、重量なんぞクソにも為らないと思うのである。

 とがったバイク。張りつめた世界で遊ぶなら、そういう無駄を全て反応に変えるような軽量2ストも良い。しかし、その対極の懐の深いバイクもまた面白いのである。

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一番大事な事=普通な事

 この連休は、単車の締めのツーリングにも出掛けた。何時もの週末の通りにラングスターTTでCR走行も行った。で、テレビ番組で印象的だったのが、若年性認知症による介護の大変さも知ったり、先週末では骨髄性白血病で若くして亡くなった女の子の将来の夢が何?って内容の番組も見たりした。

 で、思ったのは、毎日が普通に過ごせる事の大事さって事。

 認知症の旦那を介護する奥さんの言葉で印象的だったのは、結婚を決めた理由が『頼りになるから』で、当時も今も普通に言いたい言葉、子供の要求に対して出る言葉、『お父さんに決めて貰って』って言葉。これが普通の人には普通だけど、普通でなくなる事の意味を考えたりした。
 骨髄性白血病で亡くなった子の日記の将来の夢が紹介されていたけど、『普通に高校行って、大学行って、就職して、普通に結婚して、普通の家族を持って、普通に死にたい』って話も考えさせられるもの。

 で、ソロツーリングで思ったのは、芸北から旭に掛けての誰も居ない山岳ツーリング、結構なペースで走りながら、ここで何かあったら連絡の付けようも無いなぁ、、、、って事が頭をよぎったのは確か。そこでは、趣味に入り込む陶酔感とそれから引き戻す抑止力がせめぎ合っているのが自分でも判るのだが、やはり、大事なのは無事に怪我せず帰宅して、何事もなく日常を流す事が大事って感じ。

 更に思ったのは、日曜日の午前のCR走行。朝8時10分に新工兵橋をスタートして太田川橋についたのが8時30分前。そこで缶コーヒー飲んで8時40分にスタート、、、、、太田川橋を過ぎて、高瀬大橋を過ぎて、安佐大橋を過ぎて心拍数190bpmをキープしながら40km/hオーバーを維持して走行。すると、安芸大橋の交差点が異常渋滞。渋滞の先は、安芸大橋の東詰交差点で事故が起きている様子が対岸からも伺える。その事故が原因で渋滞している。
 気にせずに安芸大橋を過ぎて9時前には北大橋の東詰めのALSOKホール玄関前に到着。そして帰宅、、、、、
 この渋滞原因の事故は、翌日の中国新聞にも掲載されていたが、飲酒のバカ者が車で三台を巻き込む事故を起こした。で、巻き込んだ車の夫婦の内、奥さんを死亡させたとか、、、で、そのバカ者は通報した後に逃げてひき逃げ容疑で逮捕されたという。記事はHTVニュースのコレ↓。

http://www.htv.jp/nnn/news866530.html

 何気ない休日の午前、そんな日常に降り注いだ事故で命を失い普通の時間の流れがぶった切られた訳だ。

 最近の記事では、生活習慣病、糖尿病、癌等の恐さと、対策に運動を行おう!ってノリの記事を書いたけど、どんな生涯でも普通の時間の流れを阻害する障害は、本当に恐いモノだと実感する。癌、糖尿病、交通事故、認知症、、、、どんな障害も順位が付けれないモノ。それに悩まされない普通な状態の有り難さが改めて判る。

 そんな事を考える連休であった。

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自転車、水泳の良いところは、、、

 自転車、水泳ってスポーツの良いところ、、、、、

 それは、純粋に一人で出来る事。っていうか、複数でやるより一人でやる方が楽しい。自分のペースで、自分の思い付くままの時間を好きなように過ごす。これ、最高である。距離もペースも、自分一人での思うままに行う。気兼ねなくやる。これがイイ。一人でやるってことは、自分のライフスタイルにおける時間の隙間に思い立った時に無駄な時間を作ることなく、即行動、即終了って出来るからだ。

 プールでは水没?しているので、泳ぎだしたら、もう無口。時折視線を送るのは、コース脇の時計。25mプールなら一往復を1分以内を守れているか?を15分で15往復以上泳げるかを数えながら、時間のチェックをしながら泳ぐのみである。60分で60往復以上がノルマだが、自分で決めたノルマに対しては、自分のペースで消化する事が目的。

 自転車でも高速?移動しているので、漕ぎ出したら、やっぱり無口。視線を送るのはやはり時計のみ。時計と通過ポイントから走行環境で予測できる時間で走れているか?をチェックするのみだ。前を走る自転車も、引き連れる自転車も眼中に無い。ターゲットはあくまでも自分のイメージのみ。そのイメージを追い切れるか否か?これしか関心がない。殆どTT状態である。そして、コンディションによっても異なるが、TTタイムを何時もの時間で消化できる状態を確認して安心するのが目的。

 そう、自転車も水泳も、それ自体で上手くなるとかの目的はナシ。目的は、そのような定規を使って、自分の身体スペックが老いによって衰えていないか?を確認しているだけ。泳いでいる時、漕いでいる時、ライバルは先週の自分である。それしか見えないし、見てない。更に言えば、そういう状況をチェックしている時は、気が散る要素は無いのがベストである。そういうものなのだ。

 自分が、ホームコースを疾走したり、ヒルクライムしたり、或いは、泳いだりって状況は、あくまでも一人が基本なのだ。
 数あるスポーツの中で、純粋に一人で楽しめるというか、一人で行うべき運動が、自転車と水泳である。まぁ、健康の目的というのもあるけど、それ自体が趣味みたいなもの。趣味としてハートにグサッとくるのは、やはり一人で出来るところがイイのである。 単車が好きなのも一人で走る事が出来る事。単車で一番楽しいのはソロツーリングである。

 自転車、水泳、(単車)は、一人で好きなように出来る!これが、一番好きなポイントである。

 まぁ、そういう価値観故に、走ったり、泳いだりしている時に、意図的にペースターゲットにされたり、挑戦されたりするのは気が散るから嫌なのだ。挑まれるのも嫌だけど、勿論、挑むのも嫌である。人のペースがどう?とか、人のどれだけ走った、どれだけ泳いだなんて、ハッキリ言って無関心である。自分の能力を確認する状況で他人にペースを乱されるのが一番不愉快なのである。逆に、誰も居ないところで、自分の思うままに運動するっていうのがベストなのだ。

 自転車、単車、水泳、、、、これは趣味の世界である。趣味の世界では関心の対象は、技量であったり、能力であったり、モノだったりする。そういうモノへの考え方、接し方は自分だけの世界観。こういう世界観で世界を楽しむ訳であり、そこには原則として他人は介在しないのである。そういう世界で自身の価値観を持ったモノ同士が、そういう世界で出会えば、その世界では非常に長い付き合いが出来る。裏返して言えば、趣味の世界での付き合いには、幾ら知っている人とは言え、個人が固有の世界観を持っていなければ付き合えないものでもある。同じような事をしても、世界が違う。持つモノが違う。その世界では従属関係も上下関係もないのである。在るのは、個人の価値観であり、その価値観を考えるのは自分のみ。そういう自分を持っている人とは趣味が同じと言い切れるし、付き合いが生まれるけど、そうでなければ長続きしないのである。

 以前も少し書いたけど、自分の単車の世話をしてくれてた友人は故人となってしまったが、奴とは、非常に長い間、イイ関係が築けたと思う。思えば、単車に対する考え方は、奴は奴なり、俺は俺なりに持っていて、付き合いが対等だったから長続きしたんだろうと思う。
 そういう人間関係が続けれる奴っていうのは、本当に少ない。今や皆無かも知れない。

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光+同軸ハイブリッドのインターネット

 表題のインターネットサービスが始まるという。一言で言うと、、、、

 『ケーブルテレビは、光ファイバー+同軸ケーブルの「光ハイブリッドネットワーク」。
その能力を最大限に引き出す新技術「DOCSIS3.0」により、これまで1チャンネル最大30Mbpsだった通信速度を40Mbpsに増速。さらにチャンネルボンディング(束ね)により、40Mbps×4チャンネルで最大通信速度160Mbpsを実現しました。』

 なんだそうだ。で、取り敢えず、そういうのが始まるという情報を入手して申込を行っていたのだが、その回線切り替え(モデム交換)工事を去る11/20に行った。
 11/20は子供の就学前健診もあり、休暇を取っていたのだが、朝がモデム交換、昼から健診と慌ただしい日だった。

 さて、コース変更を行うことで、どう変わったか?取り敢えず従来コースは、3コースあって、

1.プレミア30
 下り30Mbps/上り1Mbps:4,935円/月、CATVセットで+TV契約代金-945円
2.レギュラー4
 下り4Mbps/上り128kbps:4,515円/月、CATVセットで+TV契約代金-945円
3.ライト256
 下り256kbps/上り128kbps:3,150円/月、CATVセットで+TV契約代金-210円

だったのだが、新しいコースが
4.スーパー160M
 下り160Mbps/上り5Mbps:5,565円/月、CATVセットで+TV契約代金-1,155円

ってパターン。これで、従来は1.を契約していたが、今回は4.にコース変更したのである。

因みにCATVは、A.プラスが4,500円/月、B.ベーシックが3,990円/月、C.ミニが2,100円/月って内訳。A.B.は殆ど番組数的に一緒だけど、C.は地上デジタルとBSデジタルのみでCATV接続する意味が希薄。選択肢的にはA.かB.。価格差が500円程ならA.でも良いか?って感じで、A.をチョイスして、これにWOWOW、NHK-BS、J-Sports Plusを有料契約している状態。

考えてみると、結構な契約にはなっているけど、まぁ、気にしない。

さて、使い心地は?っていうと、、、、、正直、普通の使い方では殆ど差は皆無である。違いを感じることは無い。
過去、CATVの契約パターンを振り返ってみると、最初にアナログ契約、デジタルコースが始まって即変更、更に、HDD内蔵のダブルチューナーコースが始まると、、、、更に即変更。インターネットも下りの回線速度で最初が確か1Mbps、それが4Mbps、30Mbpsと増速する毎に変更してきたけど、、、、実際の違いは?っていうとあんまり実感出来ない感じ。
唯一の体感できる違いは?っていうと、下りよりも上り側でホームページ更新の際のファイルのアップロードは確かに速くなった感じ。

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2008年11月24日 (月)

Vツイン、縦VS横対決、、、、

 さて、11/23のツーリングではMochaさんへの予告通り、ミドルツインの乗り味比較を一つのテーマとして出掛けました。

 ミドルツイン、一方は縦置き80°VツインのCXsuperEUROです。一方は横置き90°VツインのSV650Sです。CXはかなりの改造車で重量は乾燥で227kg、装備では250kgを越える巨体です。SVはカタログ値ですが170kgに満たない軽量なバイクです。重量的にはCXが相当に不利ですが、最終のファイナルギアケースの交換により実質的な駆動トルクは殆ど同じです。

 さて、そんなバイクですが、見た目の印象はSVがスポーツバイク、CXがオッサンツアラーです。でも、乗った感じは全くの別です。SVはやはり普通のバイクです。そのバイクの向こう側に並列4気筒エンジンが感じられます。これは、エンジン特性でなく、旋回特性の話です。CXは、、、、或る意味、2ストレプリカを越える部分を持っています。つまり、操縦性は全くの正反対です。

 まずは、コーナーのカットインの比較。大きなコーナーを緩やかにアプローチするにはSVの方が安定しています。CXは路面が綺麗ならば問題無いですが、車体の重さ、足回り柔らかさ、全体的な弱さが若干の不安定さを読んでいるかも知れません。

 次、旋回中のリーンアングルの変更。これは、文句なしにCXが楽で素早く、自由に動きます。SVはアクセルを開けると車体が僅かに起き上がろうとします。CXは関係ありません。身体でリーンを決めるとそれに従います。寝かせれば更に深く回ります。立てれば浅く回ります。それだけです。旋回中のパワーオンでも同様です。パワーを掛けるとSVは前が浮き気味で、フォークが伸びてくるのが判ります。ところが、CXは車体全体が沈むような感じです。パワーを掛ける程に重心が下がり、更にトラクションが増大するのが判ります。

 で、一番大きな違いが切り返し。こうなると、圧倒的にCXです。CXはステップバランスだけで巨体が自由自在に切り返し出来ます。例えば右旋回から左旋回への急激な切り返しでは、全くといって良い程質量を意識しません。その速さは、2ストレプリカの標本としてチョイ乗りして比較したガンマ500さえ越えています。この俊敏な身のこなしは圧倒的です。これに較べると、SVは相当に緩慢さを感じます。勿論、SVでもマルチに較べると圧倒的に素早いですが、、、、

 こんな記事を書くと、否定的な印象を持たれるライダーも少なくないでしょうが、皆さんも一度Vツインに乗ってみるとよく判ると思います。更に、Vツインでもマルチでも良いので縦置きクランクの独特な世界を味わってみる事を強くお奨めします。山岳ハイアベレージツーリングでは無敵とも言える安定性や俊敏性を持っています。(勿論、行き慣れた、全てを記憶した所では、軽くて速い2ストレプリカ、現代SSの本気走りが速いでしょうが、知らない場所で走る際の懐の深さは、その比ではありません。なんといっても、不意な事態に余力十分で対応できる、リーンアングル変更の自由度の高さ、切り返しの速さは、最高の武器になるでしょう。)

 山岳ツーリングで結構なペースを保つに十分なエンジン能力がミドルクラスのツインというキャパから与えられているのも見逃せないポイントです。サード~トップで広いパワーバンドを駆使して走る。その心地よさは、このエンジンスペックあってのもの。このスペックの頃合いの良さこそが650ccクラスの美点なのです。

 ミドルVツイン、最高です。

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体脂肪率11%台で峠、オモロ~イ!

 今年も例年通り、この時期のバイクの日?にツーリングに出掛けました。
 単車でソロの山岳ツーリングでは、移動距離÷所要時間で単純に算出したネット平均速度で50~60km/hを軽く越える事も珍しく有りません。マスツーリングでは、走行速度こそ相応に為りますがネット平均速度では精々40km/hに届くかどうか、、、、って所です。
 例えば、広島から福山迄は105kmありますが、普通に下道を走ると3時間くらいは掛かりますので、平均速度は30km/h台後半です。

 さて、そんなソロツーリングで走る道は全部、ワインディングロードです。前に車はいません。居ても即パスです。そんな孤独?なツーリングです。この時期の、山岳ツーリングですから路面は日陰では浸みています。落ち葉も溜まったりしています。路面温度は高くありません。閑散とした道路故に、砂がのっている路面も多いもの。ブラインドコーナーは多く、殆ど、年に数度の道ですので、コーナーの曲率、路面ギャップなんぞ覚えていません。当然、山岳故に、道路の幅員も広くなったり細くなったり、勾配も登坂もあれば、ダウンヒルも盛り沢山です。
 そんな道をツーリングペースで走行します。

 そういう道をイイ感じで走ると、全身の感覚を研ぎ澄まし、路面や空気感を読んで、走る訳です。走りながらの情報処理は相当に速い筈です。目で見る感覚以上の感覚とでも言いましょうか、空気感を感じながら走ります。単車の操作では、ハンドル操作だけとは違い、全身を使い、単車を股下で遊ばせながら路面との接点であるタイヤのトラクション感から、最も安定して走れるような操作を、これまた全身で行っていく訳です。勾配、曲率、、、、いろんな状況で650ccクラスの単車、装備重量でCXなら250kgを軽く越える車重をコントロールしていく訳です。そんな重量を扱う上では、単車を路面と身体の間で泳がす感覚ですが、当然、抑えるべきはバッチリ抑えている訳です。バッチリ抑えながらも自由に動かす。そこで重要なのは、単車はフリー、乗り手の身体はしっかり整えるということで、踝、脹ら脛、腹筋、背筋のパワーが必要となります。

 そのために、この記事を書いている今、午後11時ですが、脹ら脛はダルダルです。腹筋もチョイ痛です。こういう筋肉痛は自転車如きでは味わえません。遠く昔を振り返って、自転車で1日400km走っても、トラックで1000mを1分15秒ペースで練習を繰り返しても、こういう疲労感はやって来ません。

 話が逸れますが、序でに言うと、単車に乗ると、その日だけで0.5kg以上は軽く減量してしまいます。

 さて、そんな状況で単車を操る訳ですが、今は筋力も人並み以上、持久力も然り、体脂肪率では11%前後という状況ですが、こういう状況で峠を走ると、なんていうか、普通では味わえない感覚で走る事が出来ます。勿論、そういう身体能力だけではダメで、経験も技量もそれなりに必要ですが、自分で無気になって走っていた20代の感覚が冷静に分析できながら、それ以上のペースで40代を過ぎても実現できるのです。
 走っている時には、当然ながら単車の250kgを越すような車重も意識にありません。殆ど無意識で扱っているのですが、考えてみれば、そういう重量のモノが加速減速を繰り返し、旋回においては支え、切り返しでは、その車重を振り回し、急制動では、そういうGを制御しながら走る訳ですので、相当に体力が居るのは判ると思いますが、そういうのが自然と出来る訳です。こういう感覚が峠において身体のキレが良いと表現するのだろうと思います。あくまでも、乗り手が支配する感覚で単車を遊ばせる。それには、単車と自分自身の慣性を支える筋力と持久力が必要なのですが、今日のような峠ツーリングを行えば、単車によるワインディング走行は正しくスポーツと呼べるように思います。

 今日、夕刻にCXでタイトな峠を速度指示が無い道ですので60km/hアベを最低でも保ちながら駆け上がっていくと、同じく、そんな道に似つかわないハーレーのスポーツスターが居ました。見た目的にはCXよりは一回りコンパクト。重量は同じくらい。車高は低め。勿論、峠向きでは無いのは承知ですが、それにしても乗り手が単車の扱いが判っていないというか、アメリカンでもそういう走り方は無いだろう?って感じで、見るからに単車が道路の上で浮き足立っている感じでしたが、こういう道を走るのは危険では?って感じを受けました。どんなバイクでも、バイクなりに走るのが大切。速く走るのでなく、道とバイクのバランスっていうのが在る訳ですが、それを把握できていないのが滑稽に思いました。
 更に、帰宅時において、畑賀では前をネイキッドの改造車のアンチャンが居ました。後ろで品定めをするべくもなく、ペースが違うのでサッと処理しましたが、バックミラーを見ると頑張って付いてこようという気持ちが見えますが、ミラーを見ただけで、気持ちばかりが先行して、焦りに伴う操作による荷重等の制御が全く出来ていない感じ。ハッキリ言って危険です。それも又、滑稽に思う訳です。

 時間帯が前後しますが、昼のSVでの走行では、豊平から芸北に抜けるワインディングでは、CBR600RRが居ましたが、車体の上下道の部分で、トラクションを掛けるべき所で車体が路面を蹴っていない感じでフワフワした感じ。それで、追い付く程に前方でセンターラインを割るような走りで危険でしたので、これまたサッサと処理しましたが、やはり滑稽です。

 自転車も同じですが、単車も機材をどう扱うか?扱うには身体的にどうあるべきか?機材の特徴を如何に環境に適合させるか?を計りながら操作するのが肝要なのですが、、、その辺が今一な感じです。

 自転車ブームで自転車乗りはオッサンが多く、スポーツしたい!上達したい!って感じが強いですが、今時の単車乗りはガキばかりで、自転車以上にユーザーレベルは幼い感じです。

 しかし、自転車よりも単車の方が遙かに身体を酷使するスポーツです。単車に乗ると全身の疲労感は相当なモノです。この疲労感が格別の気持ちよさでもあります。でも、殆どの人が自転車が健康的、単車は遊び、自転車の方が鍛えられた体が必要って思っているのでしょうねぇ、、、、自転車なんぞ、素人が持久力つければ誰でも何時からでもそれなりのレベルになりますが、単車はそうはいきません。年取ってからは、絶対に辿り着けない領域があります。それは処理速度の速さが要求される部分であり、慣れが必要です。慣れには、最初に経験が必要です。経験を積むには反射神経が優れた時期に過ごさなければ無理でしょう。その上で、慣れという回路が出来れば、後は、大きな質量をコントロールする体力を維持して行くというのが最低条件です。
 こういう意見に賛同してくれるようなライダーは現代では皆無かもしれません。勿論、今時のオッサンサイクリスト、ハーレーノリには判らないと思います。

 でも、80年代のバイクのレースブームでレースシーンを経験し、今に至るまで現役でのられているライダーには多分通じると思います。

 やっぱり、俺はライダーであり、サイクリストでは無いようです。あくまでも、気持ちよく単車をコントロールする身体を作る道具としてスポーツサイクルを利用しているような感じですね。

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ダイエット法も疑似科学みたいなもの?

 金曜日のYahooのニュースで目に入ったのは、疑似科学が人気って記事。ネタもとは、↓で、

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081121-00000055-san-soci

で、この記事の類似記事が

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080126/acd0801261421006-n1.htm

である。科学的根拠の薄い、スピリチュアルな事、占星術、占い、超能力、オカルト、、、、で、この記事で頷いたのが、『例えば、携帯電話やDVDの仕組みは、説明されても理解するのが難しい。科学が進歩したがゆえに、人は自分の理解の範疇(はんちゅう)を超えたものをそのまま受け入れてしまいがちで、それが超能力などを簡単に信じる傾向となって表れていると説明する。』って部分。

要は、欲得、思い込みって部分、、、、、この記事を書きながら思った事、、、、それって、『洗脳とブーム』って題目で記事にした内容に通ずるものがある。
更に、連想する、、、、、、

今流行のダイエット紹介にも通ずるものがある。

殆どのダイエット目的を売りとした健康器具、食品、奥義ネタ、、、、みなそうだ。

この辺りの共通キーワードは、簡単、安易、欲得、洗脳ってところ。

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オイラは捻くれ者さ!

 これは選ぶ車種の事から見た感想。

 単車では、昔のレプリカ時代はサーキットを走るバイクこそ、それ系だったけど、当時コース用に選んだのはVF400F-2インテグラ、後は当時の富士のMCFAJ仕様でRZ350RR。前車は、中山メインの時代故に絶対的なトルクの太さ、トルクバンドの広いフラットトルク仕様で深いバンク角で選ぶとVF以外考えれなかったし、高速系では軽量ハイパワー+安価ならRZ350系に尽きるって判断だ。これも、流行の400マルチでCBRとかGSX-R、FZを選ぶ目から見るとひねくれ者だが、街乗りの峠系バイクもレプリカバイク全盛の時代でも、CB400D、GSX400FS、XZ400D、Z250FT、Z400FXという捻くれ系。ツアラーをぶっ壊した挙げ句には、RZシリーズの350ばかりから、ガンマ400、500、NS400R、RZV500Rという選択。
 何故だか、2スト250、4スト400マルチは好みでない感じだった。

 自転車の今は?っていうと、、、、、、中央森林公園みたいなところでも、バリバリのカーボンロード、新興ブランドロード、イタリアンロードもノーサンキュー。敢えてというか、小径折り畳み。それも、KHSとかモールトンとかフライデーでなく、Panasonicのレ・マイヨWって、ド鉄のクソ重い自転車がお気に入り。
 太田川沿いのロードバイク繁殖帯でもそう。平地なんでギアは不要で、固定シングル。でも、今の流行のクロモリホリゾンタル、ノーブレーキはダメ。あちらから見ると、アルミスローピングのメーカー完成車シングルなんて不格好の極みだろうけど、敢えて、自分はアルミっぽさ全開ポリッシュのラングスターが渋い。
 はたまた、アルミフレーム=安物、アルミ完成車=二流って価値観が支配的な高級新興ブランド系カーボンバイクユーザーからみたら嘲笑の対象っぽいアルミヘアーライン仕上げポリッシュのラングスターは逆に目立ってイイ感じ。
 固定シングルでは見掛けにくいDHバー装備っていうのが、誰もやっていないので良い具合。

 なんか、当たり前のところで、当たり前のバイクに、当たり前の格好で乗るっていうのは、どうも金太郎飴みたいで好きでない。人と違うっていうのが好み。ただし、人と違うっていっても笑いを取るような違いでなく、呆気にとられるような違いを見せる事が好み。

 そう、単車なら原付でリッターを食うとか、ツアラーで最新バイクとかまうとか、20年前のバイクで魅せるとか、、、、自転車もそう。気色悪さを、国産折り畳み小径車や安アルミロード完成車で演じたりって感じ。

 でも、そういう選択は、敢えて選んでいる訳ではない。自分の考えに従って、それがベストか?って思う故の選択だったりする。自分の用途で自分が判断を下した性能重視での結論なのだ。
 例えば単車、、、、今ならリッター、600ccクラスのSS系バイクが大流行だけど、全く関心が無い。なぜなら、、、、、走る速度域と遊べる速度域が現実から乖離しているから。ローで130km/hオーバーを記録するような仕様、山岳ワインディングをハイペースで走る時にエンジンの回転数は如何ほどか?を考えると、、、、例えば、ガンマ500でローで90km/h、セコで120km/h、サードで140km/hに到達する。これをパワーバンドで遊ぶなら、セコとサードの行き来で遊ぶ。そういう場面ではイイ具合だが、これ以上に高出力なモデルはローを使わざるを得ない。ローとセコの行き来は離れすぎで面白くない。寧ろ、より小出力なモデルで上のギアで遊ぶ方が楽しい。4ストでも然りだ。セコ、サード辺りでパワーバンドで遊べるクラスこそが操る実感と実質的な応答速度が得られる。それがミドルツイン、ライトシングルを選ぶ理由。
 本題の自転車も然り。箱庭的なロードコースで走行する。下るのは一瞬、出ても65km/h程度、殆どが45km/h前後のアップダウン、、、、ならば、その領域でイイ具合のギア比が組める自転車こそ重要、、、、、小径しか有り得ない。フルサイズならジュニアカセットが必須。河川沿いの平坦路を走る、、、、坂が無いならギア比は固定がシンプルかつロス最小、後は頑丈で軽いのが一番、、、、、ならば、アルミの固定シングルか?って選択だ。

 長い下りで競ることなくビヨーン、ビヨーンと漕いで60km/h狙いっていうと、サイクリング。サイクリング用なら大きなロールアウトも必要だろうけど、それと同時に、シャコシャコ上がる峠を考えると、超ショートなギア比も必要。そういうのは、ワイドレンジを備えた旅行車が最適。ハイギヤードオンリーなロードバイクなんぞ無用。荷物も積めないし、サイクリング向きではないと判断している。

 そうやって選んだら、一般の流行りと偶然乖離していただけの話。そう思いながら周りを見回すと、、、、ビックリ。結局、そういうのがインパクトに繋がってる。これを逆手に取った考え方が今の気分でもある。世間的な当たり前にやって、当たり前の結果では、あまりにも楽しくないし、高性能っぽい機材で、まぁまぁの結果が出ても、所詮、イイ機材だね!が、関の山。それはチョット嫌な感じ。有り得ない感じを醸し出す。そういうのが渋いと思うのである。

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2008年11月23日 (日)

快適速度

 今週は非常に寒くなった1週間である。一気に冬が来た感じである。
 そんな風に季節が変わっても、相変わらず昼ポタはやっている。

 ところで、この昼ポタ、11月の第一週迄は結構な速度で走っている。殆ど35~40km/hでの走行だ。何故?っていうと、広島駅の先迄河川沿いを走っている間に信号が何カ所かあるのだが、その信号を全て青通過するためには、微妙なタイミングで交差点に到達しなければならないのだ。交差点の信号の間隔が500~1000m間隔だが、この間隔を絶妙な移動速度で通過すると信号に掛かる事はない。それを実現するための速度が走行時における巡航速度で38~43km/h程度なのだ。

 ところが、最近は工事による道路の通行止め等があり、思い通りのピッチを刻むのが難しい事に加えて、季節の移り変わりで非常に強い北風に見舞われると、35km/hオーバーでぶっ飛ぶのは困難を極める。
 すると、本能的に楽に走ろうか!?って感じでゆっくり走るのだが、その時に均衡する速度が25km/h位。この速度域は向かい風があっても影響は随分と少ない。クルクル走れば勾配なんぞ気にならない、、、、実に快適な速度なのだ。

 そういえば、ルイガノMVF改で走る時も25km/h前後が多い。このくらいの速度が自転車では一番快適な感じである。

 ロード系のオ・モイヨWW、BSロード、小林ロード、ラングスターTTなんぞは、乗れば、つい踏んでしまう。ホームコースならメーター指示値で40km/hオーバーで気持ちが納得って感じ。そういう速度で走る事は楽しいけれど、気持ちにゆとりがあるか?っていうと、無い感じ。オ・モイヨWWで中央森林公園健脚コースを走る時もそう。下りながら60km/hオーバー、ワインディングを45km/hアベレージ、上りも無茶アタック、、、、興奮状態で楽しいけど、、、チョット違う。違うとは言っても、速く走るために作った自転車、タイムを出すために作った自転車っていうのは、乗れば、そういう使い方をしてしまう。それは良くない。そういう自転車は見た目的にもそういう感じ。頑張って、ゆっくり走ろうとして走っていても、やはり、周りからの挑発を誘いやすい雰囲気は出ているだろうし、そうすると、場合によっては、『クソバカが!』って反応しないとも言えない。

 自転車に乗って、気分的にユルユル気分で過ごす。ダイエットでも、速さでも、そんな目的とは違い、純粋にユルユル走る事を目的に過ごす。こういうのがイイ。何が来ても、何の感情も湧かない、、、、そんな機械が理想。我が家にはDAHON2台(スピママ、西DAHON)とルイガノMVFがそんな感じ。こういうお気楽チャリで25km/h程度で団子での食いながらダラダラ走る。こういうのが理想。

 実はバイクもそう。あんまり速さをアピールした乗り物は自分もその気になりやすいし、周りにも、そういう気を起こさせ易い。そういうのは、やっぱり疲れるのだ。自分が完璧にセーブ出来て、周りにもそういう気を起こさせないバイク。そんなバイクが楽でイイのだ。

 そういう気分で気持ちいいなぁ!って思うのが快適速度。自転車なら概ね25km/h程度みたいだ。単車なら、、、、、現実は三桁の速度域には入らない速度域だ。

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洗脳とブーム

 最近書いた記事、善玉菌、善玉コレステロール、ダイエット、癌、糖尿病、自転車のギア比、機材・・・・のネタだが、どれもネットや雑紙等メディアで話題となっているキーワード。

 そんなキーワードを再度理解するために記事にしたのだが、記事の内容を考え直すと、それらの課題に対する対応策は、メディアに書かれている方法とは違う結果となる。

 公的な媒体に表示されいる上では、先の語句の説明に大きな誤りは無いし、正しい情報が提供されているけれど、その情報の理解の仕方とか、対策に有効な手立てとか、方法論的には、提供されている情報が全てでは無いはずだが、それが全てのような表現がまかり通っている感じである。

 まかり通るっていうのは、そのような情報をみんなが鵜呑みにしているってこと。鵜呑みっていうのは、疑問を抱かず盲目的に崇拝している様子である。

 善玉菌を増やし、悪玉菌を減らすのに乳酸菌飲料を飲むとか、悪玉コレステロールを減らすためにコレステロール排出促進薬を服用するとか、、、、、ダイエットするのに摂食制限するとか、、、、、医療関連では殆ど100%が対処療法的な手法の斡旋で、対処に必要な商品販売の意図が見え見え。
 自転車でもそうだ。素人にレーシングコンポが踏めるか?フレームマテリアルが理解できるか?何故に購入という消費行動に走るか?っていうと、そういうモンが所有欲以外に、有り得ない速さ、乗りやすさが提供してくれるっていう夢を乗り手の前提条件を伝えずに、店とか雑紙が煽りたてるからであり、素人消費者が洗脳されているだけの話。

 洗脳っていうのは、伝え手が都合の悪い部分は見せずに、良い部分のみを誇張して宣伝した事に乗せられる様。何故に乗せられるか?っていうと、聞き手が、論理をゼロから組み立てて理解する気が無いから。言われた事に従うのが容易いから。もっと言えば、自分でゼロから論理や方法論を考えるのが面倒臭いというか、出来ないからとも言う。

 これが日本人の特性か?とも思える。洗脳により民衆がコントロールされ、噂が噂を呼び、人が集まる。結果、ブームとなる。しかし、洗脳故に本質に隠された難題を想定外と理解して挫ける。結果、、、、、ブームは衰退する。これは、人が自分で考える行為を放棄したための状況で説明が付く感じである。

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2008年11月22日 (土)

メガシェイクで火傷

 ダイエット痩身用振動ベルトの電気配線部がショートして火傷を負う事故が11件発生したんだそうだ。

 この手の商品は、多くが中国製で通販で買うモノ。実際に現物を見ると、如何にもチープである。深夜通販では安く感じるけど、現物の値付けを見るとボッタクリ感が強いっていうのが自分の感想。

 溶接の一つ、手回しハンドルの一つ、構造、パッドの縫製一つ見ても、あんまりいい仕事しているとは思えない。勿論、電気配線周りの処理も荒っぽい仕事が多い。

 振動ベルトの配線っていうと、やはり電源と振動モーターの間の結線部分があるわけだが、身体に直接接する部位っていうと汗の影響も大きい。汗っていうと、豪快に電気を流す。相当の絶縁処理が大事である。ショートっていうと、短絡である。電気的な短絡が起きやすい状況は揃っている。機器が振動し、汗の進入で絶縁が失われやすい。ならば、それなりの手を掛けた構造が望まれるけど、恐らく、その辺はアバウトに作って居るんだろうと想像したりする。

 美容、痩身関連の器具、純粋に電動器具としてみれば、構造の割に高価過ぎである。その効果の論評は避けるけど、こういうものは、やはり日本製でPLに配慮した企業姿勢で作られる方が安心。大手電器メーカーが手を出さない分野だけど、仮に、大手電機メーカーが国内産で高価であっても安心とともに販売したら、深夜通販よりは沢山売れるかも知れない。

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ZEROブームより氷砂糖がお奨め!?

 水曜日のめざましテレビのネタ。
 表題の如く、商品にゼロ表記の食品が人気なんだそうだ。ある売り場調査を行うと、41品目の商品が陳列されていたという。

 しかし、このゼロ表記(ゼロ、ノン)っていうのは、飲料の場合、100ml中の含有エネルギーが5kcal以下の場合の事で、厳密にゼロという訳ではないそうだ。因みに、オフ表記っていうのは20kcal以下の場合の事だそうだ。

 実はこのネタ、春にも記事にした。

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/04/post_9f25.html

 である。

 このときの意見としては、沢山食って、沢山動く。それで代謝アップが一番って締めだったけど、今の考え。

 ゼロブーム?っていうのは、カロリー取りたくない、、、、純粋に、、『ならば、飲むな!食うな!』で良いのでは無いだろうか?腹を満たしたいなら、水でも飲んでおけ!って結論だ。

 ただ、それでは記事として価値が生まれないので一言。

 このカロリーゼロでも甘い!って理由は、人工甘味料が用いられているから。この人工甘味料は今や有名なアスパルテームって物質。これが日本で食品に用いられ始めたのが昭和58年頃。自分の記憶では大学入学の頃。この頃、ダイエットコーラって白缶のコーラーが出たのを覚えている。

 当時、このアスパルテームには発ガン性の疑いがある!なんて言われていた。しかし、その発ガン性ネタは最近はめっきり聞かなくなってきた。
 それは、発売から25年を経過して、がん発症に変化が見られたか?という統計分析で変化が確認出来ていないから発ガン性との関連は今のところ認められないというもの。
 さらに、この安全性評価では、経口摂取したアスパルテームの殆どが分解も代謝も受けず排泄されているという評価から安全という判定が今のところ下されている。

 しかし、その一方で、犬等の動物を使った実験では摂取量によっては死亡に到る報告もあり、その安全性については議論の真っ最中といっても良いのである。それを纏めたサイトがこれ。

http://www.magi-shop.com/tenka-asuparu.htm

 他にも、アスパルテームと発ガン性に拘りたい意見としては、アスパルテームを熱分解させるとジケトピペラジンとメタノールに変化するパターンを紹介し、メタノールの毒性+ジケトピペラジンと亜硝酸塩が結合しニトロサミンという発ガン物質を生成するという報告もある。(勿論、量的な問題、熱分解っせる環境があるか?という問題もあるけど、、、)

 只、言える事。これは比較的新しい人口合成物質であるということ。そして、その合成物質は生物の生態サイクルからみると想定外の物質。想定外の物質であっても有機化合物であり、なんらかの影響があるのは間違い無い。それは、安全性評価でも、『殆どが』分解、代謝を受けないということで、逆説的に捉えれば摂取量の一部は影響を及ぼすということ。

 一般に厚生労働省等の決めた安全基準の数値自体も根拠を持って説明できるものと、そうでないものがある。生体システムという未だ明らかになっていないシステムと異物の関連を評価出来る程の歴史も備わっていないのが現実。それが、過去の公害病、医療事故を招いたりしている訳。

 そう考えると、あんまり新しいモノをカロリーゼロという表記に飛び付いて習慣的に摂取するのは、少量でも継続することで蓄積を招きかねないという意味で、物質が安全かどうか?は各自が判断すべきだと思う。
 自分的には、否定もしないが、肯定もしない。そういうモノが溢れているという認識。存在するモノには、そういう議論が在ったと言う事を知った上で判断すれば良いというスタンス。

 エンジニア的には、そういうカロリーゼロを実現する甘味料の開発と商品化に漕ぎ着けた努力は評価するが、その評価が絶対安全か?という判断は、開発側でなく利用側が下すものと認識している。

 判断は個人それぞれだが、自分的には、生体という歴史あるメカニズムは、その生体が進化する過程で並行して存在した環境に従いたいという意識。或る意味、自然派志向。但し、新しいモノ、薬品を完全否定するのではなく、その利用に意識的に制限を加え、依存状態に陥らないように心掛けるって感じ。

 まぁ、正直な感想としては、甘いモンが食いたければ普通に砂糖入りを食えば良いと思う。自分は自転車乗ったり、泳いだり、ツーリングしたりするときは、モロ砂糖の氷砂糖を舐めながらが多い。砂糖は美味い。氷砂糖は、不要なモノが含まれない高純度のエネルギー源。最高である。
 砂糖舐めながら、ガンガン動く!これが一番効率的なように思うのである。砂糖食っても糖尿病にはならないし、別にリバウンドしてブヨブヨにもならない。

 ZEROブーム=アスパルテームブームらしいが、敢えて言おう!氷砂糖(高純度の砂糖)がお奨めだ。

 序でに言うと、食うなら、肉、野菜、魚、御飯、、、、こんな昔ながら品がイイと思う。カロリーなんて考える必要な無い。体重計に乗って、増えれば運動を増やすで全て解決。化学合成物質、薬品、、、そういう不自然品はなるべく敬遠したいところ。判定としては、賞味期限が短いものが好き。賞味期限が長いモノ程、怪しいもの。そんなモンである。インスタント、レトルト、菓子、、、、、あんまり関心できない。(でも、菓子が好きなのは内緒だ。菓子を買う時はなるべく、黒砂糖、昆布、炒り粉、きな粉関連にするように心掛けているけど、、、カルビースナック類は美味いなぁ、、、)

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何時の間にかCore i7!?

 パソコン界に関心を失って暫く経つが、ふと見た記事でインテルのCPUが次世代に置き換わるという。その一発目が登場したのだそうだ、、、、、

 その名も、『Core i7』プロセッサー。将来的に8コアを見据え、取り敢えず4コアでデビューという。
 自分の頭では、普通の『Core』プロセッサ、それもCore 2 Quad QX6600 あたりで関心が途切れていたのだが、もう新型なんだそうだ。

 一寸前は、マルチコアが一つのダイか否か?で論争していたりしたが、それも今は昔、、、、当然ながらネイティブの4コアというらしい。
 興味深いのはPentium4時代に失敗の烙印が押されたようなハイパースレッディング(HT)が復活したこと。前世代のCore2プロセッサでは、PentiumM、PentiumIIIの系統を引き継ぐ等と言われていたが、結局、時代の進歩と共に技術も進歩し新しい形で登場しあうようだ。

 そう言えば、IntelといえばライバルのAMDが思い浮かぶけど、最近、更に評判を聞かなくなってきたなぁと思うところ。

 パソコン組立ブームの時代、CPUがPCの性能を左右していた時代では、新型プロセッサ登場はお祭り騒ぎだったんだろうけど、パソコン、インターネットが使いたいユーザーの元に行き渡れば、相当に新しい使い方の提案が無い限りは、大きな流れは生まれてこない様子。

 パソコンの革命っていうと、やはりWindows95が登場した時が最初のインパクト、その次がWindows98/Windows2000の時代におけるインターネットの普及が最大のインパクト。その次は何か?っていうと、一般の使い手にとってパソコンでやりたい事、思い付く事って部分で変化していないのが実情。
 スタンドアローン的な使い方、ネットを介した情報送受信を利用した使い方で完結している。やりたい事が変化していないということは、ソフト、ハードに要求するリソースとしては、新しい使い方が提案された時代のスペックで事足りる事を示している。

 それが、新OSへの以降速度の鈍化であったり、新CPUへの関心の低さだったりするのだろうか?
 OSでもWindows95から始まったWindows9X世代、安定性を高めたWindowsNT系の一応の完成形であるWindows2000が今の要求仕様を取り敢えずは満たしている。以降のXP、Vistaによってインターフェース的な目新しさ、マルチメディア対応度のアップを望むユーザーが多ければ、最近のOSへの以降は速やかに進むだろうけど、実際にマルチメディアをPCに求める人っていうのは多くないのか?一般的でないのだろうか?少なくともGUIを導入したWindows95、インターネット接続をデフォルト化したWindows2000のような革新は無い。
 ハードもソフトが変化しなければ要求仕様は低いままで事足りる。インターネットの次の革命がPC界に訪れなければ、如何に高性能なCPUも目新しいOSも盛り上がらないかもしれない。

 これはデジタルカメラにも通ずる印象。軽量コンパクト、超高画素のデジカメでもA3、A2出力しなければ真価を発揮しないなら誰もが必要無い。家庭におけるカメラの良いところは、後に一目で見て過去を回想できるアルバムが作れる点だ。それは、普通のL判のアルバムが一番見やすく嵩張らず具合が良いという価値観が支配的。そのL判で十分って価値観を凌駕しなければ高画素化しても魅力は乏しい。

 実際、我が家のPCはXeon2.8GHzのDUAL機、Coppermine1GHzのDUAL機が二台、いにしえのPC9801Xv/W改K6-IIIが一台の構成だが、ネット、メール、文書作成、ホームページ作成、デジカメ写真出力、少々のDVD/CD焼きなら全く不満はない。敢えて言うならネット接続速度の高速化くらいのもの。CPUは今でさえ寝ている時間が長い。DUALも無用の長物化している。
 デジカメも然りだ。殆ど130万画素~最高でも320万画素クラス。L判出力なら130万画素で十分過ぎる。ホームページネタ収集には昔の35万画素機を使っている。完全に十分である。

 でも、近い将来、もしかしたら、PCを新調するかもしれない。その際はPCとしての存在でないだろう。テレビ、DVD機との親和性を最大限に追求した仕様を自作するパターン。
 最高のCPU、最高のHDD、大量のメモリという仕様になるだろうけど、テレビの完全地デジ化に併せて、オーディオ機器の不足を補完するような構成を作りたいと思う。その時迄には、2011年ということで2年以上在る訳だ。多分、その時は、今回登場したCore i7プロセッサでも型遅れとなっているんだろう。

 勿論、新プロセッサで思いも掛けない新しい使い方が提案され、自分の好奇心のツボに嵌るとニューマシン導入に走るかも知れないが、、、、、

次期PCは映像コンテンツ等を積極的かつ簡易に編集するためのマシンにするパターン。映像っていうと民放配信番組で地デジ、BSデジタル、後はCS放送、自分で撮影したビデオ画像。ここで、録画対象は?っていうと、CS放送かビデオ画像。CS放送コンテンツをPCで編集するには、i-Link等でSTB等チューナーから転送した上での操作となるけど、チューナーから転送した時点でコピー10が失われコピーワンス状態になるのがネック。この辺の使い勝手を改善するような規格、裏技が生まれないと使い勝手が悪そう。民放コンテンツなんぞ、録画するつもりは今のところ無い。だから、PC用地デジチューナーってだけではグッと来ない。PC用CSチューナーが欲しいけど、CATV受信経由ってなると難しい。PC側のデジタルチューナーも春以降登場しているが、どうもPCでテレビを見るって習慣が思い付かない、、、、テレビはテレビ、PCはPCってしたいところ。録画するのは、極稀だが、WSBKとか、サイクルロードレース。それ故に、チューナーとPC間、デジタルビデオ等とPC間の接続形態が簡易かつ高速かつ汎用的な方法が見つかれば、良いかもしれない。

 流れ続ける映像に関心はあっても、全てを録画することはあり得ず、録画対象は極僅か。それ故に、PC側にチューナーを内蔵できたとしても、テレビ視聴のためにPCを起動するっていうのはナンセンスって発想。テレビは流しっぱなしがデフォルトなテレビで見るのが一番。その流れゆく映像コンテンツの極一部のみをトラップして保存するための機器が現行DVDデッキでなく、PCで行いたいっていうのが希望。そこの問題が上述のように存在するのが現状だ。オーディオ機器のDVDデッキとPCの違いは、保存容量の自由度の高さ、記録操作における編集等の汎用性の高さの違い。こういう点では、部分的なスケールアップも可能(場合によっては自分で部品交換して修理も可能)なPCが適していると言える。

 デッキ側は長寿命が重要で、今のようなHDD記録とかメディア記録は不要で、大容量のメモリー記録とメディア再生のみで良いように思う。そのメモリー上のコンテンツをPCに渡しやすい構成が理想だ。

 AVデッキで取り溜めた映像コンテンツを速攻で取り込んで必要な形式メディアに自由に保管する部分はPCで行い、そのメディア再生にAV側は特化するようなスタイルを考えている。その時ってのは、地デジに固定化して、現行デッキのコンテンツデータの入出力インターフェースが確定したのを見定めた時がPC新作のタイミングかもしれない。

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2008年11月21日 (金)

運動負荷量と食事のタイミングを考察する。

 この疑問は、最近アップした記事、悪玉菌、悪玉コレステロールを退治するって言われている一般論(商売上の)に対する疑問。対処療法的な一般論は無意味で、根絶療法的な持論こそ正義って話を記事にしたことから思い付いた疑問。

 一般にダイエット(≒減量)目的では、食後の運動が推奨で、寝る前の菓子食いや、運動後のバカ食いは否定的な論調が多いけど、ホントにそうか?って疑問から記事を書くことにした。勿論、寝る前の食事といっても、寝る直前の食事というスタンスでなく、夜の最後に食事があって、それから何時間かしてから寝るという程度の話。

 全く同じカロリーを摂取するという条件で、運動前の食事と運動後の食事のどっちが良いか?って疑問。
 ダイエット的には、同じエネルギーを摂取して、同じ消費をすると変化は無い筈だが、食事と運動の時間的な前後関係で、運動に際して消費されるエネルギーの出所は違うだろうなぁ、、、って印象である。

 食事後の運動っていうのは、食事によって高まった血糖からの消費で、食前の運動っていうのは、脂肪の分解から賄われ供給された血糖からの消費では無いのだろうか?っていうのが素朴な疑問である。摂取した過剰な栄養分は、脂肪細胞に脂肪という形に合成されて蓄えられるのだが、ダイエットっていうのは基本は蓄えられた脂肪を燃焼するという理屈ならば、脂肪細胞からエネルギーを取り出す事に注目する方が良いのでは?と思ったりするのである。つまり、摂取したエネルギーは一度脂肪に蓄えた後に運動して分解消費するという機能を高めることが新陳代謝アップを意味するのでは?と思えない事もないのである。

 蓄えられる前の運動と、蓄えた後の運動っていうと、脂肪の分解という働きの部分で差は無いのだろうか?

 日々の運動っていうのは、相当頑張ってやっても消費カロリーは知れているもの。そんな僅かな消費カロリーなら、仮に食った後に血糖値が上昇した状態で運動しても、上昇した血糖値を一部消費する程度なら脂肪の分解には辿り着かないのでは?っていうのが疑問の発端だ。
 因みに、食前空腹時の血糖値126mg/dl、食後血糖値で200mg/dlを越えると糖尿病。正常な人っていうのは、食前で110mg/dl未満、食後で140mg/dl未満が正常であり、その間が境界って事。血糖値自体は食事によって正常な人の境界で見ると30%程上昇する訳だ。逆に、運動すると血糖値が下がるって話も一般的であり、特に高血糖の人が運動を行って血糖値を下げるのは療法的には正解。しかし、高血糖でない、チョイ肥満気味の人、或いは、新陳代謝能力を高める事が目的の人っていうのは、食事や運動で変化する血糖値変化量×血液量に相当するのが摂取、消費のエネルギー変化量と考えれば、血糖値が下限の状態で運動する事で、不足血糖分が脂肪から出てくると考える方が自然な気がするのである。

 血糖値が低レベル状態で細胞が糖分を要求すれば必然的に蓄えを消費する筈。その後、食事をとれば、一部は血糖値上昇に繋がり、一部は脂肪合成に繋がる。

 食後の血糖値レベルが高い状態で細胞が糖分を要求すれば、血糖中の糖分で運動に必要なエネルギーが賄われるだけの筈である。

 運動によって代謝を高めるのに、運動と食事の前後関係っていうのは、運動のレベル(負荷)が少ない場合は、食前運動、運動後食事の方が都合が良く、運動のレベルが高く消費カロリーが過大な場合は、ハンガーノックにならないように、食後運動、運動前食事が都合が良いと思うのである。

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スーパーバルブ、使用感

 スピママ号のタイヤを交換したのが10/22である。それ以前が、フレンチバルブ+シュワルベのステルビオ、以降がウッズバルブ+シュワルベマラソンスリックである。
 因みに、ステルビオ時代は、空気圧は110PSI充填で1週間で100PSI、二週間で80PSI、三週間で65PSIと落ちまくっていた。そして65PSI以降は結構長持ちって状態。
 今、マラソンスリックであるが、10/22に95PSI充填、今11/18の段階でも、、、、90PSI以上である。エアが減っていない。エア圧が落ちていない。気温の低下を考慮するとエア漏れ無しって状態である。

 素晴らしい。

 この英式バルブだが、一般に言われているウッズバルブのスタンダードな虫ゴム式ではない。100円ショップ等でも入手可能なスーパーバルブって言う奴で、特に弁が内蔵タイプのアリゲーターバルブって奴だ。
 このバルブに、少々重いけどエア漏れが極めて少ないって文句が売りのブリヂストンのスーパーチューブを組み合わせているけど、此処までエアが漏れないとはビックリである。

 純粋に走りの軽さというと、エア入れ立てのステルビオだけど、メンテナンス性を含めて考えると、スーパーチューブ+スーパーバルブ+マラソンスリックって組合せも相当に良好だ。まぁ、タイヤに蓄えられる空気量が太さで大分違うから一概には言えないが、それでも、メンテナンスサイクルの長さが違うのは歴然としている。

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2008年11月20日 (木)

未だ、11月18とか19日だぞ、、、、

 昨日の18日、昼前後に小雪がちらついたらしい。で、本日19日、所要で県西部に出掛けていたのだが、、、、、結構な勢いで雪が降ってる。

 去年は大晦日の頃迄雪の気配は無かったはず、、、、去年のスタッドレスタイヤの交換は12/10頃でも早いか?と思いつつの交換。

 今年は、、、、、、スタッドレスタイヤの交換は、予定では去年と同じ頃の予定。

 でも、今日の昼ポタでは耳が千切れそうだったし、、、、雪は舞ってるし、北風は強いし、、、、、エライ寒いなぁ、、、

 今年の最近の天気は?っていうと、異様に暑い夏が印象的。猛暑日が結構な日数に上り、35℃以上で『猛暑日』って定義したのがタイムリーな感じな夏であったが、その夏は、盆を境に急激に猛暑沈静化、、、、8月の内に真夏日が途切れるような気温の下がり具合、、、、9月は暑いとは言え結構過ごしやすい状況が続き、9月の終わりに11月並に冷え込んだのが印象的。その後、再び暖かくなり、蝉の鳴き声を最後に聞いたのが10/8だ。10/24迄は温暖で自分自身の勤務先の作業服は夏服だった。急に気温が下がり最低気温が10℃台前半になったのが10/27以降のこと。ここからは冬服に替わり、自転車に乗る時もTシャツでは寒いので時折ウインドブレーカーを羽織る感じ。11月に入っても似た傾向、、、、、この間、珍しく台風が一つも来なかった事。去年も台風は来なかったけど、、、、台風は何処へ行ったのだろう?
 そして、今年の冬は如何に?って思ってた矢先、11/20になる前に降雪を確認、、、、11月中旬の段階で雪が降ったのは何年ぶりだろうか?殆ど記憶に残っていない程だ。

 振り返ると、猛暑は短くとも暑い時期は結構長く10月後半迄暑く、11月半ばには寒くなる、、、、、快適な秋は何処に行ったのだろう?季節の変化が急激なのは体調不調にもなりやすいので注意が必要だ。

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では、悪玉コレステロールはどんなだ?

 前の記事で悪玉菌の役割と考察の記事を書いたけど、ならば、もう一つ有名だ悪玉用語の雄である『悪玉コレステロール』ってどんなだ?が素朴な疑問。

 悪玉ってやつはLDLコレステロール、反対の善玉がHDLコレステロールとされている。これはコレステロールを運搬するリポタンパクと合わさった際の状態の表現。LDLっていうのが肝臓から全身に送り出す際の形、HDLってのは余ったコレステロールが肝臓に回収される時の形。LDLが無ければコレステロールが運搬出来ない事にもなる訳だ。因みに、コレステロールっていうのは、脂質の一種の遊離脂肪酸で、細胞膜、胆汁酸、各種ホルモン、ビタミンD前駆体の原料で、不可欠なもの。その必要量の調達は食事からの摂取より遙かに多量を肝臓と小腸で合成して賄っている。

 結局は無ければならないもので、悪玉と言われるのは気の毒とも思えるのだが、悪玉と言われる所以は、コレステロールを血管中に溢れさせると陥る事態を考えた上での表現だ。

 コレステロールの殆どが小腸、肝臓で合成するって事は、大量に血管中に溢れるのは作りすぎ故の症状。何故に、過剰となるか?が問題だ。
 一般に体中コレステロール量は調節されているが、摂取量が減れば、合成量が増え、摂取量が増えれば、合成量が減るという風に調節されている。また、排泄量も総量調節に寄与している。因みに、排泄も肝臓が寄与しており、コレステロール調節機能には肝臓が極めて大きな役割を果たしている訳である。

 つまり、調節機能障害は肝臓の機能健全性が有るか否かに多いに影響を受ける訳だ。肝機能障害が高コレステロール症を起こす調節機能障害と密接な関係にあるが、肝機能が障害を受ける因子が、肝臓に過剰な脂肪が溜まる脂肪肝状態ということ。

 なるほど、、、、脂肪が肝臓に蓄積するような状況が脂肪肝を招き、脂肪肝による肝機能障害が、コレステロール調節機能障害を招き出す。その結果が、血中コレステロールの調節機能の破綻を招き、コレステロール過剰状態に到る訳である。

 だから、LDLコレステロールを減らすのを薬品依存で対処するよりも、本来の調節機能を回復させる事が重要であり、それが脂肪肝からの脱却=つまりは、生活習慣の改善になる訳である。当たり前のことだろうけど、復習して考えると、なるほど!ってなる。
 そういう理解を進めることが、健康への意識高揚に繋がると思っているのだ。

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糖尿病と脚切断、失明、腎不全の関連を再学習してみた。

 日曜日のNHKスペシャルでは糖尿病がネタ。病の起源と称して、今回は糖尿病が取り上げられていた。
 糖尿病っていうと肥満と密接な関係があるが、その肥満っていうのが、人間の文化によってもたらされたモノ。その文化とは、農耕の発明・・・・・そういう話である。
 番組中では、今流行?の『小さく生んで、大きく育てる』って育児方法で生まれた胎児期の栄養状態によって、糖尿病になりやすい体質が作られることも明らかになってきたという。
 日本の若い女性たちの「やせたい」願望が、将来の糖尿病患者を増加させる恐れも指摘されている。

 高度肥満になってしまう人の脳の分析の結果、大麻等薬物中毒患者と同じ様な食物に対する反応が見られる等々、、、、、肥満を治療する手術など、最新の研究を織り交ぜながら、渡辺えりさんがガイド役で番組が進行していた。

 さて、この糖尿病って病の基本知識なんだろうけど、自分自身完全に理解していなかったインスリンとの関連の話。

 血液中の糖分は筋肉で使われるために存在しているのだが、筋肉には糖分を吸収できる状態には無いのだそうだ。筋肉が糖分を吸収するにはインスリンが細胞の受容体と結合し、始めて筋肉等細胞が糖分を吸収してエネルギーを生み出すことができる。

 この状態が健全な状態だが、過剰な糖分が血液中に溢れ出すとどうなるか?っていうと、その過剰な糖分を吸収する受け皿が脂肪細胞であり、脂肪細胞が糖分を脂肪という形で蓄えるそうだ。この状態が肥満という状態。

 この状態が長く続くと、今度はインスリンに受容体が反応しなくなりインスリンの感受性が失われてしまう。すると、血液中の糖分が過剰となる。過剰となった糖分は血管壁を破るという性質をもち、血管の各部で出血が生じる。出血した血液は血管の内外壁で凝固し、結果的に内壁側の血管断面積が減少する。当然、血管壁自体も厚くなる。弾力を失うという結果を招く。
 これが続くと、内壁側に蓄積したモノ(血栓、毛細血管瘤)が血管中の血流の流れを阻害するのである。血管断面が縮小し、血管弾力が失われると、症状的には高血圧症状となる。更に、血圧数値も収縮期、拡張期で差が少なくなる訳だ。この血栓が血管内壁から剥がれて心臓の動きを止めるのが心筋梗塞、脳の血管でつまり脳細胞が死滅するのが脳梗塞。

 その前段階で、血栓が血液の流れを止めて最初に影響を受ける部位が、毛細血管が集中した部位。それは、心臓から遠く離れた脚の血流不良であったり、毛細血管が集中した網膜部位の血流不良、或いは、腎臓における血流不良という症状を引き起こす。
 その結果、どうなるか?血流不良で細胞が壊死する訳で、腐っていく訳だ。

 脚の血流不良が、糖尿病による脚切断で、網膜部位なら失明、腎臓ならば腎不全、「尿毒症って状況に陥る訳だ。

 でも、糖尿病の前段である生活習慣病。これに起因する病は『サイレントキラー』で、徐々に迫り来る疾病。徐々に迫り来る疾病っていうのは、時間的に余裕があるので、患者の意志の持ち方次第で回復出来る時間的猶予が有るって意味で、やっぱり癌程の驚異は感じない。

PS
 笑い話ではないのだが、糖尿病を患い、胃癌も発見された患者さんが居たそうだ。
 その患者さん、胃癌摘出のために胃の全摘を受けたとの事。これで胃癌は完治したそうだが、何と、食物の消化機能が著しく低下し、摂取栄養分が激減した効果もあり、糖尿病も完治したという。両方の病に見舞われるのは気の毒だが、一方の治療で両方の疾病が完治するっていうのは、客観的に見ると説明を聞くとなるほど!ってなるが、それ以上に、ラッキーでおめでとう!って感じを受けるのである。

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2008年11月19日 (水)

自分でトラップ(笑)

 メインサイトにはスパム書き込み対策を色々と導入している。
 国内IP以外は排除、語句フィルター、コードフィルター、改行数フィルター、一応の暗号化でパスワード要求、、、、、で、非正規アクセスIP、語句フィルター等でトラップしたIPは、排除IPリストのDBに自動登録していたのだが、この度、自分で入力した文章の語句が期せずして語句フィルターに引っ掛かって、排除IPリストに登録された。勿論、即解除したのだが、その語句自体をフィルトレーションするのは注意が必要だ。

 一応、そういうトラップ書き込みは、コメント、題目、IP、投稿者等の情報は画面には反映させないが、全て記録して、何でトラップ判断したか?の自動集計もしているから、チェックすれば判るようになっている。仮に、悪意の無い書き込みでも投稿頂いた内容は保管しているので、ブログ等で連絡下されば、トラップされた投稿を掲載するという手順だ。そうやって、排除IP登録アルゴリズムにおけるトラップ条件の精度を高めるというやり方である。

 それにしても、自分でトラップされるとは予想だにしなかったけど、考えてみれば、有り得る話だ。このようなミスが、初めてのお客さんに対してだと失礼にあたるので注意が必要だなぁ!と思うばかりである。

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ガン化抑制のタンパク質発見だそうだ!

 月曜日のニュースで一番のネタは表題のネタだ。
 これは、東北大学の医学部の研究チームが発見したもので、何でも、特定のタンパク質がガン抑制遺伝子と結びつき、細胞のガン化を抑制する可能性があるという。

 内容を転写するのも面倒臭いので引用元を記すと

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081117-00000017-khk-l04

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081117-00000015-mai-soci

 に書いてある。

 表題の記事は流れる場合があるので、纏めて言うと、がん抑制遺伝子がつくるたんぱく質が、別のたんぱく質と結合すると、細胞の老化を抑える。このがん抑制遺伝子は、老化の促進と、がん増殖の抑制という表裏一体の機能を持つ。そして、がん抑制遺伝子の機能を調節するたんぱく質が存在する事が明らかになったって言うのが、発見らしい。

つまり、たんぱく質量を調整することで、がん化速度を制御する可能性が芽生えるということなんだそうだ。

 それにしても、本来的に、がん抑制遺伝子ってモノが存在するっていうのは、ビックリだ。がん遺伝子も存在するっていうのは、生命的に本来、細胞の癌化っていうのは織り込み済みって事なんだろう。そして、そのリスクに対応する本来的な機能を生体自体が兼ね備えているって事なんだろう。

 今、別の記事も作成中で、そこには善玉菌と悪玉菌、善玉コレステロールと悪玉コレステロールっていうのがネタとなっているのだが、がんに付いても、癌化促進と癌化抑制の遺伝子が存在するってこと。遺伝子の機能は、生物故にたんぱく質で制御されているんだろうから、そのたんぱく質が機能調節の信号として使われているっていうのは、考えて見れば、納得できる話。

 それにしても、人間の身体っていうのは、元々、身体にとって良い効果が得られないと言われるモノさえも本来的に存在するっていうのが興味深いもの。やはり、そこには存在意義があるんだろうと思うのは考えすぎだろうか?

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腸内環境、悪玉菌を退治せよ!?は正しいか?

k 前の記事でおならの臭いが、食べる食材の種類によりけりって話迄は理解したけど、その食材の分解を司る菌は別個のモノで、食材の種類によって臭い成分が変わるという所で涌いた疑問が、食材別の分解細菌の種類があるって事。
 この分別が本当に善玉細菌と悪玉細菌の分類に一致しているのか?って疑問だ。

 この善玉、悪玉って世俗的な表現は細菌に限らず、健康関連のキーワードではコレステロールにも使われている慣用名称である。(善玉コレステロール、悪玉コレステロール)。

 本来、生体内に存在する物質っていうのは、確実に存在意義があると私は思っている。悪玉って表現は、身体に悪い影響が認められているって事から人間が勝手に命名したもの。本当に生存にとっての阻害因子ならば存在しない筈だが、コレステロールにしても、腸内細菌にしても、一定の割合で存在して、それと因果が明らかになっているかが判明していなくとも、そこに存在するということは、何某かの存在意義があるのでは無いか?と考えてしまうのだ。

 仮に、そうならば、悪玉細菌が無いってことは、硫黄分を含む、ネギ、ニラ、肉は食わない方が良い?って極端な話にも繋がりかねない。というところで、疑問が涌いたので、善玉菌、悪玉菌について考えてみる事にした。

 さて、善玉菌、悪玉菌の何れも腸内に生存している細菌だが、善玉、悪玉の名称の所以は身体に良いか?悪いか?の影響の与え方によるモノだそうだ、、、、因みに、腸内細菌の総数は概ね一定であり、ライフスタイル、年齢の変化に伴って善玉菌と悪玉菌の比率が変化する傾向にあるという。
 しかし、両方が存在する事が前提であり、悪玉菌が不要か?というと、前述のように硫黄分を含む物質の分解が出来なくなるので、存在しなければならないような印象である。
 まぁ、双方の菌が適正なバランスで共存するっていうのが一番の理想なんだろう。

 これは、血液検査等で色んな検査項目があるけど、その数値には幅が在って、数値が適正範囲内に入っていることが重要って感じと同じ様なモノだろう。先の悪玉コレステロール(LDL)にも通じる考え方のように思うところ。
 同時並行で作成している記事に、がんネタがあるけど、ここでもがん遺伝子とがん抑制遺伝子がある。
 何処までも不思議な感じがある一方で、当然とも思える。全ての現象は平衡の上に成り立つっっていうのは自然の認識。或いは、物質移動などでは、推進力と抵抗力の兼ね合いで移動量が決まるっていうのも自然の認識。
 なんでも、+と-の兼ね合い次第なのだ。しかし、生命にとっての-因子が存在する理由は探しても見つけづらいが、絶対に必要性っていうのはある筈と思っている。

 悪玉菌とされている細菌が存在しなければどうか?って事になるけど、悪玉菌自体が過剰量になると疾病を引き起こす場合もあるけど、悪玉菌とされる代表の『ウェルシュ菌』は、栄養素を腐敗物質(インドール、フェノール、アンモニア、硫化水素、アミンなど)に作りかえてる。これらの物質は、大便やおならの悪臭の元凶で、ウェルシュ菌によって蛋白質が分解されてできた産物でもあるのだが、これが無いと、前の記事で紹介したように、ネギ、ニラ、或いは、肉類がキチッと分解出来ない訳だ。

 この状況を頭を切り換えて理解すると、悪玉菌が居なければ、分解ターゲットとなる食材から栄養素を吸収出来ない事を意味する。栄養素を吸収するために悪玉菌が存在する。そして、悪玉菌が働くと、副産物として腐敗物質が生成されるという訳だ。
 そして、善玉菌っていうのは、悪玉菌が生成した腐敗物質を処理し、悪玉菌が過剰に増殖する事を抑えるために存在している訳だ。

 つまり、悪玉菌が多い!って言うことで、善玉菌が大量に存在する健康飲料を摂取しても無意味って事。つまりは、悪玉菌が多いのは、悪玉菌の機能に依存するような生活習慣の結果である訳で、まるで悪玉菌が多いので善玉菌飲料を大量に飲むのは、病気になったら薬を大量に摂取するのと同じ事。対処療法に過ぎないのだ。悪玉菌を減らすには、悪玉菌にとって培養環境を変える事。つまりは、餌を減らす=肉を減らす生活で自然と悪玉菌は減るはずである。悪玉菌と善玉菌の総数が変化しないという説明を度々目にするが、それは消化器官内の内壁に定着するのが菌であり、限られた内壁面積における定着総数が不変っていうのは理解出来る。そのために、悪玉菌から見て、培養に適した餌がある限りは、そこに定着し続けるために、如何に外部から善玉菌を取り入れても定着出来ないということになる訳だ。

 善玉菌推奨サイトには、悪玉菌の出す腐敗物質は様々な疾病の誘因になるので、善玉菌を含む乳酸菌飲料がお奨めって話があるけど、自分の理解では、全くのナンセンスだ。
 繰り返しの結論として、悪玉菌は、肉、ネギ、硫黄物質を含む食材の分解には必須な細菌であり、その副産物の処理目的に善玉菌が存在する訳で、悪玉菌にとっての培養環境を食生活から整える事が重要ということ。肉食いまくっても、ヤクルト大量に飲むから大丈夫っていうのは、とても浅はかな考えということだ。

 恐らく、悪玉扱いのLDLコレステロール、或いは、ガン遺伝子等も何らかの存在理由があるのであろう。これは、これから調査して考えが纏まると記事にする予定だ。

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2008年11月18日 (火)

'08中央森林公園遊びにて、、、

 去る11/16の日曜日、表題の如く一年ぶりの中央森林公園健脚コースに遊びに出掛けました。そこでの走り云々はメインサイトのツーリングレポート等を参照頂くとして、別の視点からの感想。

 この日は、参加メンバー的にも緩めのメンバーでのお出かけです。MTBが5台、ロードバイクが3台、折り畳みが一台という構成。
 今時?の自転車ブームがロードバイク志向ということを表してか?MTBユーザーの方がブームとは関係なしに乗られているって感じで、実際に乗っている様は、相当に決まっている感じです。
 ロードバイクユーザーの方は3名。全員、FELTのロードバイクです。内二名は面識のある人。他一名は初対面の人。年齢的には、みんな私より若い(羨)人達です。

 因みに、知り合いの二名はロードバイク歴が丁度1年、初対面の方はナント3ヶ月です。

 で、本気で走っている時は他の方を見ていないので何とも判りませんが、併走している時に見て思ったのは、三名のロードバイクユーザーの中で一番しっかり乗れていたのは、自分の次に高齢?なロードバイク歴3ヶ月の方でした。
 客観的に見て筋肉量は、知り合いのZ80に乗ってる人、持久力は同じく知り合いのZ90に乗っている人だと思いますが、結果として一番乗れて、一番速く、これからも一番上達していきそうなのは、初対面のF5に乗っている方でした。身体能力を勝手に判断したのは、Z80の方とは筋トレを一緒に行っていた時期もありますし、実際、筋肉は相当に蓄えられているのを知っていますし、Z90の方は昨年迄は自分の水泳通いの際に70%程度同行されていた事からの根拠です。
 しかし、F5の方は、Z系の人よりも日々の運動自体はしっかり行っており、自転車の一生懸命乗られているようで、それが差となっているようでした。

 それにしても、身体の出来具合から走りの完全な逆転現象が起きるのか?って少々疑問でしたが、走り終わって汗のせいで薄着になった姿を見て納得しました。
 それは、Z系のユーザーの方は、明らかに日々の運動量が不足しているようで、お腹周りに脂肪がデップリで、それから思ったのは、彼らは自分と比べて5~6歳は若いのですが、それでも、運動習慣が疎かになると、お腹周りがあの様になるのは、仮に、より高齢の自分が弛んだ生活をすると、直ぐに、あの様になるってことを示すサンプルのようなモノを目の当たりにしたような感じです。或る意味、背筋が冷たくなりました。

 因みに、中央森林公園健脚コースを走るには、絶対的にZ系バイクの方が楽の筈です。F5の方が車重は少々軽いかも知れませんが、セットがハード過ぎるようです。それでも、あれほどの逆転現象が見えるっていうのは、なんとも言えませんね。
 因みに、F5の方は20分台後半、Z80の方が30分台前半、Z90の方が30分台後半ということ。因みに、今回は同時走行せずにタイムアタックされなかったMTB乗りの方、前回MTBで参加された方は概ね25分~30分未満です。

 自分を含め、20分台程度では、自転車による違いよりも、寧ろ、乗り手の経験と体力次第という感じを強く受けました。後は、タイム計測なんぞ行う場合、自転車っていうのは、完全にスポーツのための機材であり、機材には選び方、使い方が重要って感じです。選び方、使い方次第で、如何に最大限の効率が出せるか?そして、如何に疲労を溜めずに持続できるか?結構な差となります。
 そういう意味では、F5に乗られている方は、今後の上達代は相当に大きいように感じました。

 まぁ、それでも自転車は趣味のモノ!って考えれば、どんな乗り方でも、どんな機材選択もアリですが、それは割り切って付き合う事が、こういうモノを続ける秘訣でもあります。
 っていうのは、単車でも高性能スポーツバイクを盆栽的に付き合う分にはイイですけど、勘違いして付き合うと、自分や他人の生命を脅かしたり、取り返しの付かない結果に到る例も少なくありません。自転車でも同じです。特に下り坂ではなまじスピードが出ます。上り坂でも奇怪な姿勢で無茶すると膝、腰、首痛を抱えて身体機能に障害を抱え一生付き合う事態に陥る例も色々と見てきています。

 そういうのを知っている程に、趣味の形は人それぞれとイイながらも、見合わない乗り手、勘違いした使い方は、本人にとって予想だにしない結果を招くかもしれませんね。

 因みに、ロードレーサーっていうのは本来競技自転車。そのような目的に見合う人が、そのように使うと、その尺度においては快適かつ最高の性能がもたらされるモノです。
 つまりは、そういう使い方で、何処かが痛くなる、攣るっていうのは、根本的に何かが間違っている証明でもある訳です。それが機材選択、使用方法、身体能力の必要条件の何処にあるかは人によりますが、間違いなく、そこに破綻がある筈です。機材と盆栽の違いを理解しなければ、有名なカッコイイ機材も只のゴミです。

 自分の年齢になると、Z系ユーザーの体型の短期間での変化等を目の当たりすると、やはり、身体能力の必要条件を満たすという部分で、健康に意識し、要素(筋力、筋持久力、心肺機能)は失いたくないので、それなりのアンチエイジングな生活を続けたいと思いますね。

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運動翌日の血圧

 日曜日は、割と運動した日である。
 中央森林公園の健脚コースを4周回したのだが、ゆっくり走って、、、って状況もあるけど、それなりに踏んだ周もあるし、ゆっくり走る周回でも、ずっとダラダラで走った訳でもない。
 帰宅直後に疲労は感じなかったけど、帰宅後は夕食の調理、いつもの筋トレ、ローラー台とこなし就寝について翌朝は?っていうと、いつもよりは全身に全体的な怠さを感じる。

 それで、月曜日に『健太郎』で血圧測定を行ってみた、、、、

 結果、、、

 最高血圧が108[mmHg]、最低血圧が58[mmHg]、心拍数が52[bpm]という状態。

 これは、この季節の通常値と較べると、上下で15~20[mmHg]程低く、心拍数も5~7[bpm]程高い状態。
 このような血圧の変化傾向はこれまでも感づいていた傾向だが、やはり、運動後の怠い時っていうのは、血圧低め、心拍数高めって傾向で、その理由を推測しながら書いてみると、、、、怠いっていうのは、身体の細胞中の老廃物等が代謝によって消失する過程であったりする訳だ。つまり、細胞は活発に活動しており、多くの酸素等が必要な筈。
 となると、大量の血液循環を欲しており、結果、血管が拡張し血流量を確保するように自律神経が働いているのだろう。結果、血管が拡張する血圧数値が下がるけど、それでも血流量を確保するために心臓が多めに動いているって状態は筈である。

 まぁ、興味深い現象である。

 血圧、心拍数っていうのは、体調、気温によってシビアにコントロールされて変化しているようで、確かに、これを毎日の定時計測で把握するっていうのは、体調管理に実に効果的である。

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事故後の脚の復活を回想する。

 週末、『シャカリキ』って漫画のコンビニ本を読んでみた。
 内容はパラパラ見て、フッと思ったのが、主人公が落車で怪我を負って、ギブスを取った後の脚の細くなった描写のシーン、、、、、

 そういえば、自分も似たような経験をした事があるなぁ、、、と思い出したのである。

 運動経歴は?っていうと、スイミングクラブに小学校入学と同時から通い、それは中学卒業迄続け、学校生活でも水泳部に所属していた。自転車は?っていうと、サイクリング小僧時代っていうのが小学校高学年から大学迄。で、ショップの自転車サークル、ロードサークルで活動したのが中学から高校の頃。因みに、通っていた高校には自転車部は無かった。で、大学では自転車部に入部、自転車では基本はサイクリングが好きで1日に300km、400kmを走るのを至上の喜びとしていたけど、それ以外ではバンクを走る事と、長きに渡り競技種目として取り組んできた水泳と併せ、トライアスロンも好きだった。但し、ハイティーンに為る程にバイクに関心が高まり、バイク関連への軸足も大きくなっていったのも事実。

 そういう生活で二十歳過ぎ迄を過ごしてきたけど、関心が日に日に高まる単車で事故をして、大腿骨の複雑骨折で手術、入院を余儀なくされた事がある。あれは、二十歳のクリスマス過ぎの頃の話。複雑骨折で入院し、正月過ぎの1/15頃に手術、そして金属埋め込み、リハビリ生活を行ったのだが、ベッドの上で12月から1月迄全く動けない状態だった。
 この手術では、骨折時において異様に発達した大腿部の筋肉の影響で、折れた脚で筋肉が収縮し、大腿部が10cmほどは短くなっていたけど、これをワイヤー+ウエイトで引っ張って筋肉を伸ばす必要があったので、事故後直ぐに手術が出来なかったのだ。
 で、2週間のテンションの後に手術を行ったのだが、手術によって金属を埋めて久しぶりに見た自分の脚に驚いた事をマンガを見て思い出した。

 あの時のインパクトは強烈で、無事な右足の半分程の太さに痩せていたのを思い出す。その際の医師の言葉は残酷で、手術前はしっかり治るって言われていたけど、術後には、もう正座は出来ないかも、階段も昇降できないかも、サッカー、自転車なんて絶対無理、、、、って言葉。それは二十歳の自分には相当なインパクトだった。

 当時、自転車よりも単車に関心が強く、自転車に乗れない事よりも、単車のバックステップで脚を畳めなくなるのが相当に衝撃だったのだが、、、、

 その宣告によって、幼い自分の一念発起はリハビリ指導を無視して半ば半強制的に固まった間接を上半身の筋肉の力づくでひん曲げた記憶がある。そして、かなり強引な筋トレ、レッグプレス、スクワットを過激に行い、2月には強制的に退院に漕ぎ着けたのである。その後、失った筋肉を取り戻すべく、当時、事故前は高時給の塾講師をメインに行っていたのを、肉体系バイトの鉄工所での作業補助等に切り替えて身体を酷使したのだが。

 当時の意識を振り返ると、脚の筋肉を見た時点で自転車は終了で、全ての自転車を処分したのだ。そして、当時の全ての努力は単車のためでもあったのだ。

 しかし、今考えると、当時、事故によって危うく歩行困難になりそうだったのが、今普通に生活出来ているっていうのは、事故後の機能休止期間を最短に留め、筋力強化に励んだためだったのか?とも思うところなのだ。
 当時、主治医の言葉で印象的なのは、『折れた骨の再生は骨に掛かる筋肉負荷の強さ次第』って話。そして、実際、金属プレートを入れて1週間後にはレントゲンで見て骨の再形成が確認出来る程で、病院では『プラナリアみたい!』って驚かれたのを思い出す。そして、その際に『○○くんは、筋肉が沢山あるのでリハビリして筋肉を復活させると骨の再生は速い筈!』って言葉だったけど、骨が再生するのも速ければ、筋肉が復活するのも速かった。実際、脚の太さが無事な右足並に戻るには、3ヶ月も掛からなかった。そして、その様子に主治医もビックリで、本来は丸一年以上後に骨を固定するために入れた金属プレートを取り出す手術を行うのだが、現実は8ヶ月後には取り出して、笑えるのは、その大腿骨からプレートを取り出す手術を日帰りで行った事だ。

 今回読んだシャカリキのリハビリ過程の主人公の行為は、経験者でなければ絵空事のようにも見えるかもしれないが、実際に脚の機能を失って、機能を事故前に回復させるには、如何に、速く動かすか?が鍵であり、そういう面では結構納得できる描写だなぁ!って思ったのだ。

PS
 ところで、ここで勘違いしては活けないのは、当時、細くなった脚であっても筋肉の細胞数自体は不変。それ故に、筋肥大もソコソコで元の太さに手っ取り早く戻っただけで、完成された段階で細い脚を少々鍛えた位で筋肥大で太く出来る訳では無いのは当然だ。

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2008年11月17日 (月)

自転車で速くなるには?

 表題のキーワードで検索する人、結構多い見たい。
 速いって定義自体が抽象的で、答えは見つからないのでは?っていうのが素直な感想。

 ただ言える事、、、、自転車に乗ってるだけでは多分、速くなれないし、強くなれない。部品を交換しても効果の程は知れているって事。まぁ、これも自分の経験的感想。まぁ、速くない自分が言っても説得力も無いけど、、、、

 因みに、自転車で速くっていうと、出力が高いってこと。その出力に打ち勝つための相手っていうのが、空気抵抗、転がり抵抗、動力損失の和。因みに、機材で対処可能な部分が転がり抵抗であったり、動力損失だったりするけど、転がり抵抗、動力損失は全抵抗に占める割合が大きくない。特に、速さの定義を速度とすると、その割合は20%未満。更に、速度が上がる程に少なくなる。その20%未満の抵抗がどれだけ改善できるか?っていうと、整備された部品を使っている限り、ブランドによる差は殆ど皆無に近いモノ。敢えて言えば、20%中の1割未満、全抵抗からみると僅か2%未満の話。
 ということで、ブランドに拘る事は趣味性、嗜好性を覗けば殆ど無意味といっても良いと考えている。勿論、自転車を本格的なスポーツと捉えず、趣味的要素に重きを置く事を否定するのではない。

 ということで、殆どが空気抵抗が相手となる。空気抵抗っていうと、速度の二乗に比例するモノ。出力というのは、次元的には力×速度であり、出力は力と速度の積と考える事が出来るので、結局、速度が1/2となると言う事は、抵抗力が(1/2)^2×速度が1/2で1/8の出力になるということ。速度が1/2で出力で1/8、速度が1.1倍なら所要出力は(1.1)^3=1.331で1.3倍以上の出力が必要ということ。つまり、速度で1割増しを望めば出力は3割増し。
 これは、少々部品を交換しても速度に繁栄されない事を意味する。

 結局、速く走るっていうならば、純粋に出力が上げれるか、高出力を長時間維持するって事に繋がる。

 さて、自転車で速くなるには?っていうと、出力アップ=筋力アップ、その筋力を長時間使うことの出来る心肺能力アップしかないのだ。

 因みに、自転車のペダリング行為は筋肉の伸縮方向と完全に一致している訳でなく、有している筋力の或る成分のみに過ぎない。元の筋力を強化するのが重要ともいう。
 また、主に脚の運動による高負荷連続運動を賄う心肺機能ということだが、心臓からみると、酸素の供給先は殆どが脚。脚の酸素消費に併せて心肺が働いているに過ぎないともいう。

 心肺機能を鍛えるには、所詮自転車如きの局部運動で負担を一部に掛けて行うよりも、局部の負荷は小さくとも身体全体で必要な酸素が大量となるような真の全身運動を行い続ける事が最も効果的であり、鍛えるには、そういう選択しか無いのである。そうすることで、局部疲労を起こさずに全身運動で心肺が鍛える事ができる。つまりは、水泳のような運動が不可欠とも言う。水泳の場合、真の全身運動であり、大量の酸素を消費しつつも局部的な負荷は自転車の脚に比較すると遙かに小さいもの。それ故に、長時間の運動が出来る訳だ。
 勿論、水泳だけでは心肺は鍛えられても必要な脚部のパワーは大したことがないのも現実。となると、、、、脚の前後伸縮運動を積極的に行って筋肉細胞が増殖可能な成長期においてしっかり増殖させた上で筋肥大させておくしかないのである。

 先の話で、水泳ならスペシャリストなら1000[kcal/hour]以上、自転車なら900[kcal/hour]以上が消費可能とはいっても、それは、負荷が掛ける事が出来る人限定(競技水泳の経験者とか、体育会系部活のノリで自転車に接してきた人限定で)の話。1000[kcal/hour]以上の水泳っていうと、一時間を連続で最低で3km以上は泳ぎ続かないと無理。自転車の900[kcal/hour]も45km/h級の速度で60分程度を維持し続けないと無理。(この数値、固定シングルのピストバイクで漕がずに45km/h平均を40分で600kcalを計測確認済み)普通の人には不可能。先の抵抗の話ではないが、速度が1/2なら出力=エネルギーは1/8、となると900÷8=112[kcal/hour]が関の山。水泳でも休憩しながらの実質数百メートルでは、せいぜい100[kcal/hour]程度のモノ。自転車でダイエットも無理ならば、乗るだけで速くもならないし、鍛えられる事も有り得ない。それでも効果を!って言い張るならば、泳ぎでも最低2時間以上、自転車でも2時間以上停まらず漕がないとNGだ。NGの根拠は、それ程(2時間)の運動をしてもせいぜい200[kcal/day]で、これは単なる歩行で8000[歩/day]と同じ。それぐらいやっても歩くのと変わらない、、、っていうのは、或る意味、プールに行く手間とか、自転車に乗る手間を考える、続ける事自体が難しく効果が無いといっても過言ではないのだ。

 鍛えるに見合う負荷っていうと、1時間で1000[kcal/hour]に相当するカロリー消費が可能となる能力を備えるって事?って考えると、自転車以外で鍛える方が早道とも思えるのだ。

 こんな話を敢えてするのは、表題のような検索キーワードが多く、それで辿り着く人が多い事もあるけど、学生時代の自転車部時代の活動を思い出してみると、殆ど自転車に乗っている時間なんぞ皆無に近く、90%以上がラインニング+筋トレだった事を思い出しての話。
 当時は、こんな(何故に自転車部で筋トレ、持久走ばかり、、、)事する前に自転車乗ろうよ!って思い、乗ったら負けない!なんて思っていたけど、その後納得した理由が、この記事のような事を先輩からトクトクと聞かされたのがある。

 持論では、自転車なんぞ、乗ってるだけでは痩せられないし、鍛えられない。鍛えるには別の運動が必須では?って思うところ。となると、、、、やっぱり体育会系運動部で運動を続けてこられた方は、多分、相当に活けている存在か?と思う。
 体育会系か否か?は、体型見たら判るのもある。見た目、アスリート!って乗り手はやっぱりカッコイイ。疑似アスリートっていうのは、どこか線が細く、どこか弱い感じ。

 他人と会話した時に、会話だけで或る程度判断する事が多いけど、運動は?って聞いて、最初に自転車!って答える人は、多分、疑似アスリート。そんな気がするのは気のせいか?

 ということで、速くなるには、、、、、筋トレ+持久トレを行うしかないと思うである。身近に自転車で速くなりたい!って人、確かに多いけど、地道に脚力鍛えて、心肺高めるしかないのだ。脚力と筋持久力っていうと、10RMに相当するレッグプレスを組み込んだサーキットトレを一時間単位で行うっていうのが、筋肥大させながら筋持久力も高める事が出来るのでは?と思う。そういう運動と全身に高負荷が連続して掛ける事が出来る水泳でも習って鍛えるのが必須では無いだろうか?

 勿論、自分は速くなりたくない?ので、敢えて、自転車のための運動は行わない。運動する目的は、格好良く泳ぎ続けたい。格好良く単車に乗りたい。そんな身体を保つこと。鍛えるのでは無く、現状維持が目的なのだ。不惑過ぎのオッサンが自転車で速く走る意味はあんまり感じていないのが本音だ。

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センターラインを割らないっていうのは公道のレギュレーションだ。

 金曜日の安芸区スポーツセンター帰りからの峠道で車運転中、土曜日の夕刻での行き着け?の峠道を単車運転中での話。

 普通に流して走行中、前方に何台か車が連なって走っていたのだが、直前を走行している普通の乗用車を見ての話。道路は広くはないけど、一応はセンターラインがあって、センターラインを割らなければダンプ等大型車両は普通に離合できる幅の道。但し、峠道という事もあって、はみ出したら接触、脱輪ってパターンの多い道でもある。

 で、直前を走行する車、見通し云々関係なしにセンターラインを割り割りで運転している。先が見える、見えない限らず、自分的には絶対にセンターラインを割らないのが習性化しているのだが、センターライン割りを目の前のあれほど激しくやられると、凄い違和感を感じる。いくら飛ばし気味に走ってもセンターラインを割る事は無い。センターライン真上を車のノーズを掠めたり、或いは、単車の右コーナーで対向が見える状況では、膝先がセンターライン上に接地する事は在っても、そのラインを超えて走る事は絶対に無いのだが、そんなセンターラインを平気に割って、車体全体が対向車線に飛び出すような運転は如何なモノか?と思う。

 金、土で見た車、如何に対向車が居ないとは言え、完全に対向車線を逆走する形で走るのは、あんまり感心出来ないもの。

 其処までしたいなら、サッサと抜けばよい話。

 後、持論だけど、対向車線迄もを使って速く?走れる事をアピールしている走り系の車も時折見かけるけど、対向車線を使いコーナーの曲率を落として直線的に走るなら誰でも走れるだけ。それをするかしないか?は、単なる度胸というか、リスクを抱えた肝試しに過ぎず、上手くは見えない。どちらかというとバカにしか見えない。ラインを割らず、車速変動を最小にしてアベレージを保ち、限られたラインの中で車体の姿勢を作り出すような走り方がスマートって思うところ。

 飛ばすだけなら、単なる根性試しというか、度胸試し。道路で根性、度胸を試すのはバカらしいし、怪我もしたくないので有り得ない。
 単車でも、四輪でもだが、機械の操作を楽しむのに必須なのは、実は絶対速度ではなく、公道ならば、例えば、車線を股がないという制約があるから楽しめるのである。実際、制約の無い広場で走っても全然楽しくない筈。

 公道で楽しむのは、車線という制約を一つのレギュレーションと捉え、その範疇で、如何に楽しみを見つけるか?って事。自分的には、加速減速の過程における変速操作中における回転同調を完璧にこなす事であったり、ターンイン、カットインにおける蛇角を最小で走れるようなポイントを探す事であったり、加減速、旋回における車体の揺れを最小に保つ操作を求める事だったりする。こういう操作は、結構デリケートであり、例えば市販車のようなワイドなギア比の変速において回転の上下こそアクセルで操作しながらもミートポイント、ミートタイミング、速度とのシンクロをクラッチワークで制御して、結果的にタイヤのグリップを破綻させない、車体としては変速による挙動を外に表さない事を求める操作に楽しみを見出している。
 例えば、ミドルツインクラスのバイクでの減速操作は、車体側にスリッパー等介在物が無く、完全手動で全てを制御すれば、激しいシフトダウン操作を行っても、リアタイヤのグリップを確保しながら車体を揺らさず減速できたりする。そういうのが最高に愉快である。
 こういうところで、やはり車も同じように遊べる訳。車でその辺を自由自在に遊ぶっていうと、Hパターンの3ペダルのMT車に限るのである。

 記事を書きながら、文章の方向性が変わってきたけど、公道という制約で遊んで楽しむには、操作の自由度が乗り手次第の乗り物なら最高だ。MTの四輪、レスポンスに優れ、変な機械仕掛けの無いバイク。例えばミドルツイン、ライトウエイトシングル、2ストレプリカ、、、、そんなのが公道で、公道の制約をレギュレーションと捉え、公道なりに楽しめるのだ。

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おなら

 一般的でありながら、その実体というか平均的な状態がどれ程か?が判りづらいモノに、表題の『おなら』ってのがある。定義的には肛門から排出される気体成分のこと。気体成分としては、直接気体として外部から取り込まれたモノの他に、食料を摂取した後の消化過程において食物が体内微生物によって分解される過程で発生した成分もある。

 前者の物質は、酸素、窒素であり原則無臭の気体。食物の分解から生成されるガスとしては、一般的な二酸化炭素、水素の他に、メタン等も含まれている。
 但し、これらの物質は無臭であり、おならの臭いニオイっていうのは、別の臭い成分によってもたらされている。

 その臭い成分は?っていうと、硫化物系の物質と芳香族系有機化合物に大別されるようだ。前者の臭いが卵が腐った系の臭いで、後者の臭いが大便、糞系の臭い。
 硫化物系の臭いのモト物質は?っていうと、硫化水素(H2S)、二酸化硫黄(SO2)、二硫化炭素(CS2)等がある。後者のモノはインドール、スカトールという物質。因みに、インドールというIUPAC命名法による名称に従うと、スカトールのIUPAC名は3-メチルインドールで、インドールにメチル基が配位したのがスカトール。インドールとはベンゼン環とピロール環の縮合体となっている。

 この臭いの強さは何か?っていうと、臭いが強くないのは、イモ類のような繊維質の豊富な食材を食った時。硫黄系のガス臭の臭いの元となる食材は、硫黄分の多い食材、ネギ、ニラ、肉を食った時となる。因みに、おならは腸内細菌による食物の分解時に発生するもので、食った食材に応じて分解を司る細菌は違う種類が活躍するらしい。
 なお、腸内細菌には二種類に分別され、善玉菌、悪玉菌に分けられる。この悪玉菌が悪臭の元となる腐敗物質を作るらしく、副産物として発ガン性物質も作る症例が紹介されている。

 すでに、この時点で混乱している。食べ物によっては自然とインドール、スカトール、硫化物系物質が作られる。この時点で臭いのであるが、一方で、臭さの原因が悪玉菌であるという話と併せて理解しようものなら、どうすれば良いか?と思うのが今の状態。

 それは兎も角、そういうのがおなららしいが、このおなら、所構わず出たがりである。色々調べてみると、情報源によって様々だが、一日辺り最高で2L出るという説明もある。回数も1日20回位出る人も普通という。確かに、考えてみれば一日20回近くおならが出ることもある。そして、自分で臭って、純粋に臭いと思う。で、食生活を振り返れば、毎朝、大量のネギと混ぜ合わせた納豆を欠かさず食っている。これで臭くない方がおかしいのも判るのだが、このネギを分解するのが悪玉菌なのか?或いは、別の菌なのか?は今の時点では不明。

 ところで、癌が気になって、それからポリープ、それから生活習慣、大腸の負担と来て、今がおならに関心中。で、今の段階では、腸内環境の善玉菌、悪玉菌って何?どういう役割?って所に関心があるところ。
 次の記事は、善玉菌、悪玉菌について書いてみよう!っていうか、このブログ、関心ネタを冗長に文章にする過程で自分が理解するためのノートみたいな状態。勉強に使う大学ノートの電子版みたいな感じ。便利、便利!

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2008年11月16日 (日)

健康の秘訣は?

 人々を恐怖の陥れる疾病。生活習慣病、糖尿病、心筋梗塞、脳梗塞、動脈瘤、、、、更には様々な癌、腫瘍、、、、、で、これらの予防的対策は?っていうと、前の記事に示したように、

1.野菜生活推奨
2.炭水化物は御飯推奨
3.肉は控えめ
4.3食決まったリズムで
5.飲酒抑制、禁煙+運動習慣

っとライフスタイル。此処には、薬物、サプリの類は一切書かれていない。これは、ダイエットの秘訣にも繋がるかのような答え。まぁ、先述の疾病、生活習慣病云々の前段症状が肥満なんで、肥満も疾病か?と考えれば、この5つの予防も完璧に当て嵌まる訳だ。

 健康の秘訣は、結局、野菜食って、飯食って、タンパク質も食うのだが、適量を生体リズムにシンクロさせて摂取するということ。で、身体を構成する細胞の代謝を活発にするように活動する。代謝とは、細胞や器官の能力を発揮させる事であったり、細胞自体がエネルギー消費機関の一つであり、細胞自体にエネルギーを消費させるという事で物質交換を活発にするということ。

 結局は、備えている機能をフル活用すべしということに繋がるようだ。生まれ持っている人体機能を使いこなすという部分が最も重要ではないか?とも思えるのである。

 生活習慣病系の疾病は、生体器官の活動不良による機能低下による不具合が症状となる訳で、癌等の細胞異常の疾病は、細胞の新生時における分裂エラーによる異常細胞が根元だが、分裂エラーは、遺伝的な異常性+分裂環境が分裂に適した環境と乖離することによって生じるモノ。
 結局、これらの異常は、第一段階として体内環境が理想環境から離れるような摂取、消費行動によってもたらされ、体内環境が異常な状態とに加え、更に遺伝的な異常条件等が加わって異常細胞の発生に繋がるとも考える事ができる。

 本質的な対策は何か?っていうと、あくまでもナチュラルに過ごす。兎に角、備わった機能をフルに活用するような習慣をつけること。体内器官が本来の機能を発揮していれば、機能する器官が存在する体内は、器官にとって都合の良い生態環境の筈。その生態環境こそが細胞の代謝、新生に最高のフィールドとなる。そういう適した場所での新生や再生では細胞新生で失敗するリスクはグッと減少するのだろう。

 長生き?の秘訣は、人体の機能をフル活用する事。それが一番重要のようだ。

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気になる疾病、ポリープ

 生活習慣病系の疾病(脳梗塞、心筋梗塞、高血圧、糖尿病)は症状から予見できるので怖くないって記事を書いた。

 と同時に、正常細胞が突然変異分裂して生まれる癌は凄く怖いって話しも書いた。

 で、癌予防に効果的な方法は?っていうと、生活習慣病の予防にも繋がるって話しも書いたところ。

 で、癌っていうのは何か?っていうと、何度も書いているけど、元は正常細胞。この正常細胞が異常性を3つ抱えると癌細胞と定義される。その3つが、『不死化』、『浸潤』、『異常増殖』というもの。逆に、この3つが揃っていないのを、、、、、良性腫瘍、ポリープっていうのだ。

 そこで、今回の御題はポリープ。ポリープとは良性腫瘍の一種で、基本は元が正常細胞ながら、何らかの異常により生まれたモノ。但し、癌細胞と違い浸潤、異常増殖しないというものだけど、その違いは案外紙一重かもしれない。

 ポリープっていうと一番よく聞くのが大腸ポリープ。大腸ポリープネタを記事にするのは、以前の同僚、今の同僚の親族が大腸ポリープの除去手術を受けたって話が最近あったのと、自分自身、一昨年のこの時期、便に血が混ざっていたために精密検査を受けたりしたのと、そういう理由が重なったから。
 因みに、自分の場合は、内視鏡、バリウムと3ヶ月感覚で計4回の検査を行った結果、何の異常も見つからず、定義としては、痔の徴候が見られたけど、今は問題ないという診断を受けたのでヨシとしたところだけど、これが大腸ポリープという診断になると、下手に知識を詰め込んでいるだけにヒヤヒヤモノなのだ。

 ところで、この大腸ポリープについて調べてみると、、、、大腸にできるポリープのおよそ80%は、腺腫といわれるがんになりやすいポリープである。このポリープは、茸状に根元がくびれた有茎性ポリープと、全体が盛り上がった広基性ポリープとがあるそうだ。そして、前者の有茎性ポリープは一般に良性のものが多く、広基性ポリープは、腺腫性のものが多く、がんになりやすいという。
 大腸ポリープは、直腸に最も多く、次に直腸に近いS状結腸に多く発生しやすい。年齢的には生活習慣病が発症するという40歳以降にみられ、高齢になるほど増える。このポリープが小さいはほとんど無症状だが、大きくなるにつれて、腸の内容物がポリープの表面を刺激し、傷ついて出血し便に血が混じったり腹痛を感じることもあるという。しかし、わずかな出血の場合には肉眼では気がつかないことも多い。また、一度に100個を超えるたくさんのポリープが発生することがあるが、この状態をポリポージスといい、放置すれば100%がん化するそうだ。

 この案外怖い(といっても癌化前なら対処可能な面で癌程の恐さは無いが、、、) 大腸ポリープは、食生活で動物性脂肪や糖分の摂りすぎ、食物繊維の摂取不足で、大腸への負担が大きくなったことと密接な関わりがあるとされている。ただ、はっきりした原因はまだ解明されていないので、定期的に健診を受け早期に発見することが重要とのこと。

 このポリープ防止の生活は、これまた生活習慣病と同じで、、、、
1.野菜生活推奨
2.炭水化物は御飯推奨
3.肉は控えめ
4.3食決まったリズムで
5.飲酒抑制、禁煙+運動習慣
 ってこと。

 調べる程に、全ての疾病は生活のリズムを整え、バランス(食材、量の双方で)の取れた食生活、禁煙、禁酒、運動推奨って事に集約されている。

 案外、全ての疾病は、全て同じ原因に集約されていくのかもしれない。健全なライフスタイルでの体内バランス環境が異常を抑制する何かを保っているのかもしれない。

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2008年11月15日 (土)

寝違え

 身体に感じる違和感で似たようなモノっていえば、筋肉痛、筋違え、寝違え等がある。

 筋肉痛って言えば、基本は、筋肉に過負荷を掛けた後に感じる怠さであったり、疲労の回復過程に感じる痛みのようなモノ。筋違えっていうと、想定外の向きに作用する力によって筋肉が損傷を受けて感じる痛みのようなモノ。寝違えっていうと、諸説あるけれど、一番多いのが寝る姿勢が不適切な場合に掛かるストレスによる炎症のようなモノ。

 最近は、筋肉痛、筋違えに襲われる事は殆ど無くなったけど、極稀に、寝違えに見舞われる場合がある。
 これって、大抵は目覚めの段階で、判るのだが、寝違えっていうのと、寝相はなんらかの関連があるのだろうか?っていうのが最近考えること。

 それは、自分が寝違えた!って自覚して、首の回りに痛みを感じる場合っていうのは、100%目覚めた段階で、姿勢が就寝時の格好から大きく変化しているからだ。
 しかし、寝違えっていうのは、本来無理の掛かったスタイルで長時間過ごす事が原因であり、寝相の悪さ=寝返り頻度の多さと考えると、同じ姿勢で寝る時間自体が短いのはあ、寝違えからは縁遠いのではないか?という直感的な感覚と矛盾する。

 考えられるとすれば、悪い寝相によって無理の掛かる姿勢で動けなくなったのが原因なのだろうか?と思うくらいである。
 実際、金曜日の朝は、首に違和感を感じて寝違え症状を呈したのだが、金曜日の朝に目覚めた時の姿勢は、何時もと頭と足の位置が反対で、布団、毛布がたくれた状態で結滞な姿勢で目覚めていたのだが、こういう無茶な姿勢が比較的長い時間保たれたのが寝違えの原因だろうと思うのである。
 ということで、今の段階では、こういう身体に負担の掛かる姿勢に嵌り込んで動けなくなるのが寝違えの最大の原因かなぁ?と考えている所。

 それにしても、自分自身、いい歳して相変わらず寝相が悪いもんだと思う。目覚めた時にまともな姿勢っていうのは、年に何度もない。大抵は東西南北でいうと向きが確実に変わっているし、無意識の内に寝間着の枚数も変わっているし、もうチョット、大人らしい寝相で寝たいなぁと思うのである。

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歳を取ると、、、、

 ダイエットを思い立ったのが2005年の今頃である。だから丸3年が経過したのだ。ダイエットで目標に達するのに要した月数が二ヶ月。その後、幸いな事にリバウンド無く来ている訳だ。

 で、当時を振り返り、何故ダイエットをしようか?って振り返ると、健康診断の項目に要治療を示す※マークが全部で9項目に到ったからであり、このままではもしかして、生命の危険が危ういか?というのと、その頃に出掛けたツーリングで革ツナギがキツイっていうのがあったのだ。でも、実際の所、行動に突き動かした理由っていうのは、間違いなく、9項目に及ぶ※マークだった筈。

 ダイエット開始段階では、※マークの示す原因が内臓脂肪という事を自分なりの調査で調べ納得した上で、ダイエット行動となったのだが、そのような内臓脂肪過剰状態が解消した今は、その内臓脂肪云々による生活習慣病、脳梗塞、心筋梗塞、糖尿病、動脈瘤、痛風なんて症状は、怖くないと思うことが多い。

 勿論、終末的な疾病段階に進んだとすれば、それは非常に悲惨な結末に到ると想像できるのだが、この辺の疾病に恐さを感じない理由っていうのは、発症前段階に徐々に身体に変化が顕れるという進行の仕方だからだ。そして、その進行は内臓脂肪蓄積量と蓄積時間に比例しているために、進行自体を止めたり、異常状態を改善することがどうにか可能と思えるからである。そう、自分の考え方自体で、このような疾病は遠ざける事は簡単に出来るという点において恐怖を覚える程の疾病ではないと思うようになったのだ。

 しかし、3年前から今を振り返って見ると、様々な理由で命を落とす人が居る。

 全く個人的な付き合いの中で印象的なのは、10代の頃からの付き合いでワンオフ、カスタム、レストアメインのバイクショップを営んでいた友人だが、彼が気胸という疾病で命を落とした。気胸っていうのは肺に同時多発的に穴が開いて呼吸出来なくなるもの。それから、その友人を通した知り合いで昔カワサキ系バイクショップでコンプリートバイク(クレヨン仕様)の販売とか、オリジナルブランド(Brave Young)のマフラー販売迄も行われ、最後がスーパー7を主に扱うカーショップを営んでいた個性派のオジサン(10歳年上)は、骨髄性白血病で命を落とした。
 この辺りの人は、自分から見ると実に個性的で色んな事を一生懸命取り組むイイ奴で、生活習慣病とは無縁の身体の持ち主だったのだが、突然、逝ってしまった。

 有名人ならば、最近ならば筑紫哲也さん、一昔前なら逸見政孝さんあたりもそうだ。他にも、最近は医療関連の特別番組が放送されるが、多いのが子供が生まれながらに蝕まれている小児ガンとの闘いなんかも視聴するけれど、そういう情報に振れる程、癌の恐さを身近に感じてしまうのだ。

 なんだか、いい人程、癌のような疾病で命を落とされているような気がするのである。

 そして、癌という疾病と闘っている闘病生活の様子が紹介されたりするのを見ると、その凄まじさ、恐さが本当に伝わってくるのである。
 癌っていうのは、突然に宣告されるようなモノで、その瞬間に生活の全てが変わってしまうような病。更には、一般的に癌は自分の努力でどうにかなるような疾病でも無いような病でもある。この点が、生活習慣病を起因とする疾病と大きく異なる点であり、その部分、つまり、自分で対処可能か否かの部分で、とても大きな恐怖を感じる対象だと思うのだ。

 ダイエット開始前には、自分の考えでは、疾病、死について考えた事は皆無である。肥満を認識した時には生活習慣病=メタボ♪って程度の軽いノリで考えていたのもあるし、自分で対処可能という点で恐さも感じないものだったのだが、自分が意識する世界の範囲で命を落とす人の多くが、その原因に癌という疾病が目に付く程に、恐さを感じるようになってきたのである。

 一説によると、癌の発生原因には生活習慣病等が関連していると言われていても、或いは、肺癌には喫煙習慣が関連していると言われていても、そうでない人もやはり癌と闘う場合がある現実をみると、それは非常に怖いものと思うのである。

 これまでも癌について何度か調べた事があるけれど、癌というのは本来は正常な細胞が変異して生まれたものであり、誰にでも発症する可能性があるっていうのが怖いもの。
 ウイルス等を防御すれば感染しないって質の病でなく、健康な自身にリスクが潜んでいるというのが怖いところ。
 更に、癌の定義である『不死』、『異常増殖』、『浸潤』という特徴は、一度癌細胞が生まれたら、それは、そのままでは絶対に消滅せず、それ自体が増殖し、周囲の正常細胞さえ癌化するという事で、生命が存在する理由からみると、明らかに反した動きをする事自体が怖いのである。
 本来、一つの個体から生まれた細胞の癖に、元の個体の機能を停止させるまでに活動するというのは、個体生命の存在意義を自らが否定するようなものであり、生命本来の本能的な活動である生存本能自体を否定するような動きをするのが怖いものである。

 しかし、癌が存在するというのは、そこには存在理由があるはずだが、癌が世の中にある理由というか、それが全く見えないのである。特に可能性のある子供や、知識人、いい人が掛かる病っていうのは、種族繁栄の本能的な機能にさえ反しているのが恐さを感じる点でもある。 

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2008年11月14日 (金)

100年に一度の恐慌?楽しみって言ったら罰当たりか?

 この度のサブプライム問題が発端と言われている金融恐慌、世間というかメディアは結構騒いでいるが、コレを楽しみ!♪って言ったらNGだろうか?

 何となく、最近の政治の状況、産業の状況等々、自分の感じる範囲では昔から何も変わっていないというか、寧ろ、停滞しているような状況に感じるのは気のせいだろうか?
 ニュースの話題や特集も十数年以上内容的に変わっていない感じがする。

 何か、小手先で何かが変わるような期待感っていうのは全く感じる事が無いような感想である。
 今回の景気対策というか、景気刺激策でびっくらこいたのは何と言っても定額給付金と高所得者(1800万円以上の所得者)の自主辞退ってやり方。やり方もそうだが、これに到る決め方も何だか呆れ返るのが正直な感想。
 明らかに効果が無いのが想像できるけど、何で、こんなバカげた方法をやるのかが、未だ以て不明。

 選挙対策には違いないだろうけど、選挙は実績、政策の評価を問うべき場であるが、そこで、これは評価の土俵に乗れるモノか?というと極めて微妙である。
 以前の地域振興券もバカバカしいけど、今度の定額給付も負けず劣らずバカ臭い。

 産業界も円高が大変だから、金利引き下げ大歓迎って、、、、、いつからやってんのだか、、、、同じ事しか言っていない。
 そもそも、どう考えても円高が悪い。円安が良いって部分が本質的に良いのか?が極めて怪しい。国の通貨が高いっていうのは、産業の技術レベルがリードしている事なのは間違い無い。強い通貨=強い国家なのだ。価格以上の価値が社会にあれば成立するものの筈。過去のアメリカでは、強いアメリカの象徴が強い$とい極めて健全な価値観が成り立っていた。

 最高レベルの不景気の中で既存産業だけで国を支えるっていうのが本来の間違い。やはり、強い円を成立させるような企業を支援する風潮が必要だと思う。

 何もないところで財を為すには、やはり知恵しかないと思うのは変だろうか?

 定額給付金等究極のオバカ政策である。技術立国の仕組みを作る時期に来ている筈であり、政策的にも、教育的にも、全て、そういう無から価値を生み出す事が最高と思えるような社会を作る事が一番求められているように思うのである。

 2兆円も使うんなら、一定範囲の資本を有する株式会社では人員に応じて研究開発的な部署を作ることを強制し、それに補助金を支給するとか、そのような技術系職種に従事する人を対象とした税制負担の軽減処置をするとか、そういう専攻を選ぶ学生の授業料を補助金で一部賄うとか、そういう方向に人が集まるような施策が今必要なのでは無いだろうか?

 今は、モノを作る事、新しい技を見出す事よりも、利益の額面をアップさせる事が重視されており、実態の部分が疎かにされているように感じるのだ。その象徴が株価変動で時価総額で得した、損したという話。時価なんぞ、時価であり、モノの真実の価値とは懸け離れたモノ。時価総額を論ずるような社会はリセットすべきと思うのである。

 そのためには、今が本当に100年に一度の恐慌ならば、オールリセットで全部潰してしまうのが良いか?って思うところなのだ。

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ネット中毒

 水曜日の夜は、9時から関口宏さんのNFって番組、その次の久米宏さんのテレビってやつは!って番組を見ながら運動してる事が多い。
 で、昨日のNFって番組のテーマがインターネット関連の闇の部分の紹介。ネットの闇の部分っていうのは、匿名性故に様々な犯罪の温床になっているという話しは随分昔からの話だが、それとネット環境に嵌り込む『ネット中毒』って言葉の引きこもり現象を紹介していた。

 ネットっていうのは、所詮、PC画面、携帯画面を介した情報の通信であり、それで自殺とか、それでイジメとか、或いは、それに嵌り込むって事が本当に現実にあるのか?っていうのが驚きである。
 確かに、情報の発信ツールとしては効果的だが、匿名性故に、その情報の価値を判断する術が乏しく、重要な情報も下らない情報も同じ扱いとなっているので、効果的な反面、効果的で無い部分もある。情報の発信者から見ても、情報が読まれているかも知れないが、読まれていないかも知れないのである。そんなモンであるのだが、それに過度な期待を寄せる事自体がナンセンス。
 確かに、誰が見ているか判らないので、発進する情報には十分すぎる留意が必要だし、隠すべきは隠すという考えも必要だし、何時でも簡単に発信出来るっていうのは、誰が見ているか判らない上に、何時でも簡単に発信出来るのは、つい書きすぎるなんて状況も有り得る話し。相手の顔を見えない分、表現がエスカレートし気味って部分があるのだが、情報を受け取る側も、そういうもんだと思えば、小さな事を気にする必要も無いとも思う。

 ネット中毒って状況が、どういう状況か?は番組で詳しくは取り上げられていなかったけど、要は、ネット環境が現実環境より楽しく感じる事で引きこもる現象の事。ネット環境が現実より楽しいという感覚自体が想像出来ないって言うのが素直な感想である。

 ネットなんて、自分で何かするための情報や、トレンドの傾向を把握するための情報収集ツールに過ぎない。言ってみれば、昔の雑紙みたいなモノ。
 ネット自体を双方向コミュニケーションツールとして捉えるから変な意識が働くようなものだが、顔を見えないコミュニケーションには、前述のような要素が含まれていると、それはコミュニケーションとは言い難いモノの様にも思う。

 コミュニケーションっていうのは、感覚の伝達であり、言葉という記号の送受信っていうのは、コミュニケーションといってもチョット違うようなモノに見える。
 言葉のやりとりの古来の方法に手紙とかハガキっていうのが存在するけど、ハガキの送り手に面識があればハガキは読むけど、ダイレクトメール系の知らない奴からの手紙なんぞは、受け取り後、即ゴミ箱行きが普通。その程度の情報と思うけど、実際、みんなはどういう感覚でネットに接しているのだろうか?

 ネットっていうのは、即時性のある情報発信媒体というのが特徴のようだが、ブログにしてもサイトにしても記事更新は記事作成から一定以上の時間が経過してからの更新となっている。更新時刻は日付が変わる頃に更新予約してある。そうすることで、文章とした事の表現がキツイか?を書いた後に判断して、更新予約を取り消す場合もある。そうすることで、ストッパーを掛けている。
 そして、ネット上で例えば中傷的な表現にあたるとどうするか?っていうと、要は見なければOKだと思うのである。自分に合わないサイトも見なければOKなだけだと思うのだが、実際、みんなどういう対応をしているのだろうか?

 何にしろ、ネット自体が目的となると中毒と言われる症状に毒されたりするんだろう。ネットなんぞ、所詮、画面を介した文字の羅列。雑紙みたいなモノ。何か別の目的のために利用するという程度。基本は雑紙で、内容的には雑紙、同人誌レベルのモノだと判断すれば、ネット情報は、盲目的に信用するものでもない。ネット情報、検索件数から、トレンドというか傾向を掴む程度のモノと理解しておけば、ネット情報に翻弄される事も、精神的に追いつめられる事もない。
 ネットが全てという妄想に囚われると、犯罪や自害に奔ったりしかねない。ネットの情報の精度とレベルを自分で判断出来れば、番組で捉えられるような問題なんぞ有り得ない筈だ。

 ネットを規制するのも勿体ない。ネットっていうのは、手軽な情報源、精度を求めるでなく、傾向を掴む程度の情報源。雑多な情報に溢れているので、気楽に都合の良い情報だけ解釈していれば良いと思うところ。

PS
 ネットは匿名性故に様々な弊害のリスクを含んでいるが、サイト運営していてウザイのがスパム書き込みだ。このスパム書き込みについても番組で紹介されていたけど、この対策が一般にフィルトレーション。書き込みにフィルターを掛けるのだが、最近は、当て字、縦読み、隠語表現等々で普通のフィルターを抜ける場合があるそうだ。
 自分のサイトのBBSは暗号化領域に設置し、CGI駆動部分には様々なフィルターを用い、その中には語句チェックも行っているが、その部分は隠語対応にしないと駄目なのか?とふと思ったところ。取り敢えず、改行コードの数が一定以上増えたら弾くということで縦読み対策は出来るけど、それ以外ってなると曲者だ。今のところ、メインサイトBBSのスパムには完全な防御が働いているけど、CGI等を忘れる前に強化したサブルーチンを組み込んでおこうと思うところだ。

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2008年11月13日 (木)

一番大切なのは?

 自転車、単車、、、、趣味や行動に全てに当て嵌まる事。それは何か?っていうと、何よりも、行動の起点となる理由、好奇心だが、そこに好奇心が湧く理由っていうと、それは観点の違いはあっても楽しいから。それが全てだろう。
 行動が続くのは楽しさあっての話し。上達が楽しかったり、収集、改造が楽しかったり、、、、これが大切な事とも言うのだが、楽しければ何だって良いか?っていう部分が結構欠けている人が多い。

 楽しい!って感情に支配されている時っていうのは、案外、周りが見えなくなったり、或いは、集団行動で麻薬的に楽しさに溺れている時っていうのは、社会で楽しみを満喫する際に配慮が不足しがちになるものである。

 楽しかったら、何しても良いか?っていうと、殆どの人がNoって言うはずだが、この何しても良いか?の部分が気付くのが年の功だったりするのだ。

 子供達が楽しく遊んでいる風景には、結構、危険な行為が入っていたり、近所迷惑な行為が入っている。楽しく行動するっていうのは、いわば、童心に返っている訳で、その行動には、危険行為、迷惑行為が意識せず忍び寄っているもの。それに対する配慮が自分基準であっても、世間基準から懸け離れると、それはやっぱり禁止行為となる。自分基準と世間基準がシンクロする事を常識が身に付く事であり、それがシンクロしない状況を常識外れ、世間知らずってなる訳だ。

 そうなると、楽しけりゃ何しても良いか?っていうと、それは間違いである。

 自転車ブーム、単車ブーム、、、、それは楽しいから起こるもの。

 でも、単車ブームで規制が入ったのは、迷惑だから規制されて衰退したもの。

 同じように、自転車ブームの中でも、自転車を迷惑だと感じている人もいるのも事実。

 楽しさを独自世界で外界との接触無しで楽しむには、正しくAs You Like!なのだが、公共空間で楽しみを実感するというのは、自分と外界との距離感に気を配るのが必須なのだ。

 レーパン、レーシャツでカッコイイ自転車に乗る。これは乗り手の勝手である。性能云々の前に、装備、装具、機材に凝るのも自由である。
 しかし、それを試す?ために、他人に挑発するのは、楽しいのかも知れないが、迷惑行為である。また、他人に挑発しない迄も、同類で連んで集団練習、朝練と名付けて、道路を占拠爆走し、他の利用者との不干渉を阻害するのは、やっぱり迷惑行為なのだ。楽しいから!って理由で許される行為では無いのである。勿論、本人その気の交通法規無視なんぞも以ての外である。

 楽しさがあるのは事実。しかし、楽しさにかまけてルール違反するのはNGなのだ。

・自転車の無灯火行為、携帯操作、傘差し運転、脇見運転は言語道断。

ってのは、正統派を気取るスポーツサイクルユーザーには当然かもしれない。スポーツサイクルユーザーがコスプレに奔ったり、改造、機材収集に奔ったりするのも自由。勝手にすれば良いのだが、それを公道で試そうとした時に陥りがちな下記の行為も言語道断。

・ロードの信号無視は、車の信号無視と一緒。
・ロードの集団並列走行は、珍走団の集団暴走行為と一緒。
・ロードでの挑発行為は、やられたらやり返すというガキの喧嘩と一緒。

そういうモンである。

 勿論、道路で練習するのは、道路に利用法が定義されていない以上、それは自由だが、あくまでも、危険の生じない範囲で、他人に干渉せずって掟が存在する。
 集団走行するにも、ジョガー、他の自転車が走っている場所、車道区間では、本人が如何に能力が高く、ヘルメット等被っていたとしても、並んで奔るのは絶対NGだし、道路を占拠するかの如く停車するのも最悪だ。抜かれたから抜き返すなんて幼稚な行為も最悪なのだ。
 本人達には、試したい!楽しみたい!って欲望があるのかもしれないが、その場所が公道である以上、それは絶対にNGなのだ。
 特に自転車での集団走行は、他の交通車両に比較すると絶対的な速度は低いもの。そんなトロクサイ乗り物が、ふらつきながら並進するっていうのは、後方から遙かに高速度で移動してくる単車、自動車からみたら危険きわまりないモノなのだ。それ故に、自転車の売り手で、本来は、業界の指導者足るべきショップ主導の集団走行で、並進を容認しているようなショップがあるとすれば、それは認識を改めるべきだと思う。練習と名うって、並進を容認したり、下手すると車で併走しながら他の交通の流の阻害要因を作るなんて最悪なのだ。勿論、プロの競輪選手の練習風景で、車のハッチゲートを開けて、ナンバーを段ボールで隠して奔っているのも見掛けるが、有り得ない風景なのだ。
 更に、道路はレース空間ではないのだから、抜く、抜かれるっていうのは基本的に瞬間的な干渉に過ぎないはず。遅いと思えば抜けばよい筈。でも、抜く側は、よく考えて、本当に遅いと思って抜くか?が大事なところ。中には、目標を見つけて抜きたい!って思っていたり、抜かれた結果、逆上して抜き返したる!って思うのは、根本的に間違い。そういう激情はハッキリ言って迷惑なのだ。

 要は、楽しければ何しても良いのではなく、楽しければ、自分で楽しみ、他人には不干渉ってルールを守らなければならないのである。
 まぁ、この抜かれたら抜き返すとか、連んで爆走するっていうのは、自転車に限らない。単車でもあるし、四輪でもある。何乗っていても、自分が自分のペースで走っていて、仮に抜かれても、そのペースが自分のペースで無ければ放っておけば良い。逆に、後方から明らかに自分より速いのが近づいてくれば、普通に先行させれば良い。それで全てOKな筈。後から速いのが来たら突然加速して逃げるとか、前方に速そうなのが居たら無気になって追っかける。或いは、突然抜かれたら、反射的に抜き返すっていう、、、こういうのが間違い。
 人が見ているかどうかに限らず、信号等は守るのがルール。道路は原則として並進は不可なのだ。並んで走るのは場所も取る。後方からの高速車両に対して迷惑だし、前方からすれ違う車両に対しても威圧感を与える。幾ら偉そうに集団の先頭車両が手で合図しても、これはルール違反なのだ。

 そう、一番大切なのは、楽しい事以前に、調和を保つ心を持つ事なのだ。公共空間っていうのは、目的の違う、様々な人が、様々な利用をしているもの。それ故に、一方の常識が全てに当て嵌まるという暗黙性は皆無と考えて良い。だから、細かい所にも法規が定められている。その法規を遵守するというのが公道を利用する側の最低限必要なマナーなのだ。

 自分的に、一番迷惑に感じるのが、複数車両の並列並進走行、並列駐輪する奴と何故だか反応する奴。これが一番不愉快。並列集団と自歩道で離合する時なんて、こいつら前見てるか?って思うし、実際、突っ込んで来られた事もある。反応する奴もウザイ。後方から徐々に追い付くのはペースの違い故の話。なのに、気付かれた途端に目の前、前後をまとわり付かれるのは、走っていて凄く疲れる。一人で淡々と走りたいので、他人には前後数メートル以内には近寄って欲しくないのだ。特に、あんまり広くないところで抜き返されたりして直前で失速、加速を繰り返されるのは凄く不愉快。

 そういうのは相手的に楽しいのかもしれないが、こっち的には不愉快以外の何物でもない。でも、色んな考え方が溢れているのが、世間っていうのも判らないではないが、、、、なかなかねぇ、、、、そういうのと遭遇して頭にカチンと来る自分自身が大人気ないのも冷静になれば判るんだけど、、、、まぁ、難しいというか、色んな人が居るモンだ。生い立ちも違えば、価値観、目的、、、、全てが違う人が空間を共有しているのだから、、、ただ、それ故に、そういう公共空間では他人に不干渉って原則は守るべきとは思うのである。

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変な自転車、変わった自転車

 変な自転車っていうのと、変わった自転車っていうのは大きく違うと思う。
 我が家の自転車を眺めていると、普通の自転車、変な自転車、変わった自転車が居る。

 変な自転車っていうのは、自分なりで定義すると、元のコンセプト、構造に対して、手の加え方が突拍子もない(方向性、改造の度合)状態となった自転車の事って思う。
 それに該当するのがDAHONベースの『西DAHON』だ。

 この自転車の改造は?思いも付かないとか、考えても普通はやらないとか、通常の常識では有り得ないとも見える。

 こういう自転車は一言で言って、変な自転車である。

 一方、変わった自転車っていうのは、自分なりの定義では、元のコンセプト、構造の時点で一般的というか多数派の自転車とは異質な自転車の事。
 それに該当するのが、ルイガノMVFだが、市販車を眺めるとA-Bikeとか、二輪駆動自転車とか、BD-1、モールトン、タイレルあたりも変わった自転車だと言える。

 この手の自転車を改造しても、その方向性が、元の方向性から軸がぶれていなければ変な改造とは為らない印象。

 こういうのが変わった自転車では無いだろうか?

 普通の自転車っていうのは、一般的な定義に則った自転車を、定義に乗っ取ったカスタムを施すようなパターンだろう。一般的なロードバイクにロード用コンポーネントを組み合わせると、幾ら高額であっても、やっぱり普通の自転車である。
 我が家なら、700C系はそうだろうし、スピママGTRって命名しているDAHONも元の使い方から変わっていないし、そういう使い方向けの改造故に、別に普通の改造に見えるのである。

 さりげないのは、普通の自転車を、そのままに方向性を変えずにカスタムする行為。センス良く自己主張するのは、チョット変わった自転車を、自転車自体のキャラクターを変えないようにカスタムする行為。最後に、笑えるというか、嘲笑をさそうのは、自転車のキャラクターを超越するような改造やカスタムをする行為のように思う。

 西DAHONなんぞ笑える最高峰にも見える。世の中、MTBにドロップハンドルっていうのも居るけど、やっぱり笑える。ナニコレ珍百景のママチャリも同類だろうか?

 笑えるのは笑えるのだが、個人的に何となく好きなのは、この笑える系自転車だったりするのも事実だ。

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自転車ブームを引っ張る世代と考え方、、、で、自分は?

 昔の自転車っていうのは、漫画『サイクル野郎』が象徴的なように、少年の心を鷲掴みにしたのは、何と言っても自転車が自分の脚で自由に何処でも行けるという道具としての魅力に溢れている事、つまりは冒険のための道具、自由の象徴、旅の相棒というノリでは無かっただろうか?
 勿論、速く走る事に気合いを入れていた人も居ただろうけど、それよりも、色んな場所を走る道具として接していた人の方が多数派だったように思う。
 そんな訳で、自転車っていうのは、それ自体が目的だったり、冒険の手段って部分が極めて大きかったように思う。自転車が好きな世代っていうのは、小学生~高校生、大学生が中心で、純粋に遊びってノリだったように思う。その遊びが転じて自転車の速さに傾注していく人も当然居たけど、それは自転車好きのピラミッドの頂点としての競技という形への移行というスタイルでは無かっただろうか?

 今はどうか?っていうと、それ自体の楽しさに嵌っている人も居るけど、多くの大人の場合は、省エネ、節約、ダイエット等健康が目的で、その手段としている人が多いようだ。自転車としての楽しみに拘る人も当然いらっしゃるが、自転車=カッコイイ、速さの具現のための道具というノリで接している方が極めて多いように思う。

 同じようにブームでも、昔は子供の純粋な遊び心、今は大人の目的の手段、別の観点で、それをスポーツとして取り組んでいる人も、当時は純粋に競技として、今は競技機材収集趣味としてって感じに受けるのである。

 印象的には、当時の方が趣味を牽引する年齢層自体は若いが、その分、純真で素直だったように思う。現代は趣味を牽引する年齢層自体が高齢で、求め方も損得勘定という打算の上に成り立っているように思う。

 そんな事を考えながら、自分の自転車を眺めていて思うのは、、、、、、自転車ならば、やっぱり自由気ままに好きな場所に好きなペースで走っていくのが楽しいかな?って思い。そう考えながら思い出すのは、大昔に出掛けサイクリングに対する事。
 自転車自体の改造は?っていうと、コースに併せて、例えば軽いギアが欲しいとか、距離に併せて必要な装備を、どのように積載するとか、、、、で、ギア歯数を選んだり、キャリアを選んだり、灯火類を選んだり、、、、積載する荷物は?っていうと、見知らぬ土地で遭遇しうるトラブルの程度を予測し、何処までなら対応すべき?って事を考えた上で装備の取捨選択を行うような過ごし方。
 で、実際にサイクリング前日になると、準備のチェックをしながら、国土地理院発行の地図1/25,000を見てコース確認、スケジュールチェックを行って、当日、出撃というパターン。
 そんなサイクリングでは、出先で生じた問題は自分で対応するという前提故に、軽装備でも、それなりの荷物の量だったように思う。
 そう言う事が一番の楽しみだったように思うのだ。勿論、選択はスポルティーフかランドナーということになる。

 それを考えると、当時、ロードレーサーでツーリングっていうのは、荷物さえ積みたくないので有り得ない選択肢であったのを思い出す。それで、自分の自転車を眺めて思うのは、やっぱりイイな!って思うのは、西DAHONであったり、ルイガノMVFだったりするのだ。

 ロードバイクが流行っている。確かに気持ちよく走れるけど、やはり、見知らぬ土地をサポート無しで長距離走るには似合わない。ロードもピストもやっぱり使える場所は近郊の限られた空間に留まるなぁ、、、、って感じ。頭の中では自転車は自由の象徴であり、やっぱり必要な装備を自分で完結して冒険に出向くための相棒って印象なのだ。何となくフラッと出掛けて、自由に休みながら走るっていうのが実は一番楽しいのかなぁ?って思うのである。

 ロードやピストに乗る程に、そういう本来の気持ちが強く湧き上がるのが自分でも判るのである。ロードやピストに乗る程に、それらは、それに見合った世界で、見合った技量で機能を発揮しなければ意味がないとも思うのである。逆説的に言えば、仮にロードやピストで、それらしく、相応しく走れないなら乗る価値は全く無いとも思うのである。
 20数年前、ロードを持っていても乗る頻度が少なかった理由っていうのは、当時の先輩と走ったりして、自分がロードバイクに相応しくない(ロードレーサーを漕ぐ力が無い)と実感していたのが大きな理由の一つだ。あの先輩くらいに走れなければ価値が無いと思っていたのだが、未だに本格的なフルサイズのロードバイク、或いはリアルピストバイクを敬遠する自分の意識には、そういう部分があるように感じる。
 それ故に、ロード風、ピスト風のバイクを選ぶにしても、自分レベルならオ・モイヨWWのような小径折り畳みバイクでさえ十二分過ぎると思うし、固定シングルでも本格的なNJS仕様パーツで固めたピストバイクは無用で、安価な完成車で事足りると思うのである。

 十代の頃の原体験っていうのが、大学入学後に入部した自転車部での先輩の走りと自分の落差の大きさだが、そういうのは未だに残っている。世間でロードバイクの間口が広がっているようだけど、自分の意識は当時と不変。19歳、二十歳頃の自分が全く敵わなかった先輩の走りっていうのが、ロードに乗るための最低資格と自分で思っているのが、未だに引きずっているようだ。その時、自分には競技レベルのセンスは無いと悟ったのが、割り切りである。それで自分が選んだ方向が、当時の趣味である24時間で何キロ走れるか?って方向だが、その道具の象徴が高速ランドナー、スポルティーフだった訳だ。

 今、西DAHONとかルイガノMVF改が自分にマッチしているなぁって思うのは、こういう理由なのかもしれない。
 その一方でロードレーサーに憧れる自分が居るのも又真実だが、自分レベルならオ・モイヨWW号やラングスターTT号でも十分だという意識が抜けない。実際、今の自分の限界で漕いで、オ・モイヨWWやラングスターTT号で不満か?っていうと、全然OKで、自分の力では、このような自転車の限界にさえ到達出来ていないのが判る。

 理想を言えば、このオ・モイヨWW号では絶対的に不足だ!って思える程の走り方が披露できるような自分に到達する事。そうなった時に初めて、自宅待機に近い状態の小林ロードとかBSトライバイクがデビュー出来るように思う。最新スペックのロードレーサーとなると、更に先のようだ。取り敢えずは、小径折り畳みの限界を感じる事が目標だが、多分、限界を感じるレベルには達しないだろうなぁ、、、、。

 原体験っていうのは怖いモノだ。

 っていうか、この辺の考え方、単車選びにも通じてる。自分レベルの技量ならミドルツインで公道なら全ステージOKで、170PSオーバーは不要って考え方。近郊の峠なら原付二種でも事足りるという考え方。余程の場面でも20年以上前のガンマ500でさえ、不満な場面なんぞ有り得ない。そういう考え方。

 DURA-ACE+カーボンフレームを語るレベルに無いのは、185PS級のリッターSSを語るレベルに無いのと同じ事。自分のレベルなら、一漕ぎ7m~4mの自分のポジションが出た自転車でOKだし、単車なら2速、3速以上でパワーバンドが常用速度域の単車でOKだ。それ以上の能力は宝の持ち腐れっていうか、使えないという悟りを開いている。
 悟ったと認識している以上、多分、一生、リッターSSにも、カーボンロードにも乗る事は無いだろうなぁ、、、、。

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2008年11月12日 (水)

単位で遊ぼ、、、、

 ダイエット、速さ、性能、、、、、この評価の指標は何か?ってういと、これ全て単位である。
 ダイエットの場合、良く使われる単位がカロリー[cal]、キロカロリー[kcal]である。
 で、性能評価の場合は、、、、ワット[W]である。性能評価の元の力の単位と言えば、ニュートン[N]とか、キロ[kgf]とか、、、そんな感じである。

 で、ありとあらゆる単位が乱雑に乱立しているのだが、時間あたりの仕事って意味の仕事率って部分では、[kcal/hour]も[W]もみんな同じ意味で、単位時間にどれだけの仕事をこなしたか?って意味である。

 そう、何キロを何週間で痩せるか?って話しは、脂肪の燃焼速度の話しで、結局は仕事率の大小を語る物。自転車や水泳で痩せれるか?っていうのも同じ。そういう出力を時間維持できるか?が全て。

 更には、自転車で何キロ出た?何キロを何時間持続した?って話しも出力の元である軸トルクを何キロ掛け続けたか?って話しに帰結するのだ。

 全て、数値に集約されるのである。そこには、感覚とか雰囲気とか、そんな物は存在しない。人力による出力の実現可否の話しなんで、その能力は個人の筋断面の大きさ、心肺能力のみによって決まるといって過言ではないのだ。

ところで、1[PS]っていうのは、幾らか?っていうと、75[kgf・m/sec]って定義である。
で、1[W]=1[N・m/sec]って事である。
つまり、1[PS]=75[kgf・m/sec]=75*9.80665[N・m/sec]=735.5[W]
であり、1[W]=1/735.5[PS]=0.0013596[PS]≒0.00136[PS]、100[W]で0.136[PS]って処。
最近の車のカタログ的に言えば、100[W]=0.1[kW]=0.136[PS]なのだ。

因みに、1[W]=1[N・m/sec]=1[J/sec]、熱の仕事当量は4.2[J/cal]だから、

1[W]=1[J/sec]≒1/4.2[cal/sec]≒0.239[cal/sec]
      =0.239*60*60/1000=0.86[kcal/hour]

となる。

ということで、ロードバイクでネット平均で40~45[km/h]で走行すると、所要動力は概ね350[W]~400[W]の出力が必要。機会があれば計算を何れ紹介しよう。

400[W]とすると、、、、、400[W]×0.86=344[kcal/hour]のカロリー消費となる訳だ。

400[W]っていうのは、、400[W]×0.00136=0.544[PS]である。

馬力と軸トルクの関係は、

1[PS]=トルク[kgm]×回転数[rpm]×2×π/(75*60)
        =トルク[kgm]×回転数[rpm]×0.001396である。

つまり、0.544[PS]っていうのは、軸トルクとして如何ほどか?っていうと、ケイデンスを90[rpm]とすると、

=0.544[PS]÷90[rpm]÷0.001396=4.33[kgm]ってこと。支点から1[m]離れて4.33[kgf]の力って事は、クランク長で変換すると

=4.33[kgf]×1000/170=25.5[kgf]ということなんだろうか?平均が25.5[kgf]、往復運動の実効値が25.5[kgf]って事は、最大値で√2倍だから36[kgf]、片足で半回転ずつだから両足ならば二倍で72[kgf]の力って事になる。これってレッグプレスで72[kgf]っていうと結構な負荷だと思ったりする。

これ程の負荷を掛けて、一時間漕いでアベレージ40[km/h]が実現出来るのだが、その結果、消費するカロリーは?っていうと、たった344[kcal]に過ぎない。7000[kcal]が脂肪1[kg]というのに従うと、1/20、つまりは僅か50[g]に過ぎないのだ。笑っちゃう程である。

こんな自転車運動とは比べ物にならない競泳レベルでも1時間に1200[kcal]程、これでも170[g]の脂肪に過ぎない。ホント笑える話しである。
人間の体重は±1[kg]程度は軽く変動している。そんな中、相当ハードな運動でも効果は知れている。

自転車屋では、高級な自転車は速度を提供してくれる。自転車運動はダイエットに効果的って話しをしているけど、自転車運動で明らかなる顕著な効果を得ようと思えば、相応の負荷と相応の継続期間が必要なのは、前の記事でも紹介したとおりの話。
この現実を理解せずに話しをしたり、或いは、客が誤った幻想で理解していたならば、効果は思いの外過少となり残念な気持ちを持つに違いないのだ。

そんな事を想像しながら、自転車に乗ってカロリーメーターを見たり、入浴前の体重計を見たりすると、そう簡単に痩せるっていうのは決して楽ではないって事。数字は素直なモノだと思う。

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ロードレーサーの本質は不変。

 表題の自転車は、昔は乗り手も一定レベルでなければ乗っては為らない物って印象がある。昔のロード乗りは、殆ど競技として取り組んでいる人(準ずる人)って印象が強かった。少なくとも、自分はそう思っていたし、自分が最初にロードを造る時も、似つかわしいか?を考えていた記憶がある。
 当時のロードっていうと、潔さの象徴であり、チューブラーは当然、荷物の装備は基本は無し。そもそもサイクリング車とは異なるモノであり、それは当然の話。ギア比も然り。想定されたコースで最高の速度が得られるセット。前ギアは55-44T、53-42T、52-42Tがデフォルト、後ギアも13-21T、13-23T程度が標準。そういうモンだったのだ。

 だから、当時の自分はロードバイクに畏敬の念を感じていたし、ロードバイクに乗っている周りの人は、みんな上手く、速く、格好良かったんで、尊敬できるというか、憧れる人だったのだ。そう、ロードには羨望の眼差しを送っていたのである。前の記事↓

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/11/post-d594-1.html

にも書いたけど、大学自転車部時代の二年上の先輩とのが街道練習では、ハッキリ言って全く付いていけなかったし、何時も待って貰っていた程。そういう人が乗る自転車がロードレーサーであり、ロードレーサーに乗る人は、走でなければならないって思いが非常に強いのである。
 そして、ロードバイク向けのレーシングコンポは、やはりロードバイクのための存在。ロードバイク以外に使うのは失礼にあたるとさえ思っていた。

 それが1980年前後の自分が持っていたロードバイクの印象というか、考え。

 チョット前に、ロードバイクとは潔さだ!ってノリの記事を書いた事↓があるけど、

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/08/post_c9db.html

 今思うのは、最近のロードレーサーに何故だか潔さが無くなってきた?って思うと同時に、ふさわしい乗り手像も大分変わってきた印象だ。実際、最近のロードモデルをロードレーサーと表現するのは違和感アリアリで恥ずかしい感じで、ロードバイクと表現する方が納得出来る感じ。なんか、乗り手を選ぶべき存在が、超フレンドリーになってきたと同時に、ユーザーもモノに選ばれる存在で無くなってきた印象だ。

 でも、それは自転車の世界に限らず、単車でも、四輪でもだが、当時はメディア(殆ど雑紙オンリーだが)の姿勢もそうだった。単車でも、免許とって直ぐリッターバイクって論調は皆無で、原付からのステップアップの重要性を説くのが多かった。自転車でもそう。入門スポーツ車、ランドナー、スポルティーフが基本。でロードに憧れるなら、目的を持って、乗れる身体から作れ的な論調だった。でも、今は違う。舗装路で風になるには、、、、なんといっても細いタイヤで軽い車重のロードバイクがお奨め!って論調。カッコイイバイクを奨める事、紹介する事が雑紙やショップのトレンドとなっている。そう、ロードバイクに格式は存在しなくなっている。当然、ロードレーシングコンポにも格式なんぞ存在しない。明らかに似つかわしくない折り畳み自転車にDURA-ACEも普通?に為っているのは、なんだか違和感アリアリなのだ。
 時代が変わってしまったというか、即物的になったというか、そんな感じである。

 ただ、メディアが如何にそう言っても、時代が変わったように見えても、素人が気軽にそういうバイクを買ったとしても、モノの本質は変わらないのだ。モノの価値は不変であり、モノがモノらしく機能するための必要条件は、昔も今も何も変わっていない。見た目だけが優しくなったように、敷居が低くなったように見えても、モノの本質、奥底の部分では、なにも変わらないのである。やはり、フルサイズのロードバイク、ホイール径も変わらなければ、ポジションも昔のままだ。ギア比こそ多少は軽いギアが付いてはいるけど、本質は昔のままなのだ。だから、バイクがバイクらしく走るには、昔も今も見合った技量と身体が必要条件なのだ。
 話が脱線するけど、似たような話で、最近は、アルミとか鉄のフレームを下げ荒んだ風潮がある。確かに、普遍的かもしれないが、アルミ自体、鉄自体の本質は昔と何も変わっていないのである。時代が変わって価値は失われていないのだ。本質は何も変わっていない。そんな印象。見栄えが変わっても実は本質は変わっていないのだ。

 で、最近耳にした笑える話。ショップに自転車ビギナーが、ビギナー向けロードバイク(昔流に言えばロードレーサーでビギナー向けっていうのは有り得ないのだが、、、)を買ってギア比が逢わないそうで、ギアセットを乗る度に果てしなく軽いギアセットに交換するんだとさ、、、、

 軽いワイドなギア、、、、、これって、ロードバイクの乗り方とは違うんでない?って思う程。最初から小径、MTB、クロスバイクあたりを買うのが正解なんではないの?って思うところ。まぁ、軽いギアに変えたいって思うのは正しいけれど、実際、そういう人は相当に多そう。

 それにしても、ダイエットの話では、自転車や水泳がダイエットに効果的だから!って話も或る意味詐欺。効果的に運動出来るという前提が抜けている。出来なければ、歩行による効果と同じ程度のモノって事と同じように、自転車屋が高級なブランドバイクを素人に講釈を並べて勧めても、そのバイクの潜在性能を引き出す前提が無ければ無用の長物以外の何ものでもない。良いバイクに乗れば速く走れるような話をするショップがあるとすれば、それは詐欺以外の何ものでもないのだ。

 時代が、即物的に変わっても、道理の本質は不変。そんなもんなのだ。即物的、安易に結果が得られるような印象を強く与える事がブームを呼ぶ。ブームとは冷めるからブームである。何故冷めるか?っていうと、期待通りの結果が得られないから。何故、期待するか?っていうと、ブームの牽引が、即物的な煽動によるからである。過去の単車のレプリカブームが一過性だったのも、走りの楽しさがバイクの性能で得られるような風潮を作った業界に責任がある。同じように、ロードバイクブームもロードバイクの速さが高額自転車で得られるという風潮を与えているとすれば、恐らく一過性のモノとなりそう。
 今と当時の違いは何か?を振り返ると、今は、取り敢えず道具を揃えれば願いが叶うってノリ。昔は、願いを叶えるに必要なものを見つけるってノリ。全く、考え方が逆。逆は必ずしも真ならずってモノなのだ。

 軽い自転車に乗っても、高級なコンポで武装しても、格好いい服着ても、一漕ぎで凄く進むギアを付けても、動力源は筋断面、伝達効率は経験年数に比例する。別の記事でペダルに掛かる力迄は推定したけど、それは脚の力とは別物。脚の力から伝達した結果の力の事。伝達効率っていうのは、ペダリングテクニックであったり、ポジションセッティングだったりする固有のモノ。そういう一番大切なモノを装備しないと何にもならない。だから、それが無い人の無様な様は、毎週日曜日、最低でも一台は見つけれる。それで、自分なり?に考えて踏める設定にしていくと、いつの間にか、ロードバイクを買っても、出来るモノは別物になったりするのである。

 そういうことは、本当のプロショップなら判っている筈。しかし、今の完成車では、どんなに工夫しようとも、組み付け可能な設定には素人が使えない無駄な部分が相当に含まれる妥協が強いられる。20段変速のロードバイクを買っても使えるのは1/3程度しか使えなかったり、或いは、部品交換を突き詰めても1/2程度しか使えない上に、本来の使い方が見えなくなったりする。そんなモンである。未だ、入門者で10万円程度の車両なら、それを仕様だと説明できなくもないが、20万円を超えるような車両で、それでは、自分が客なら詐欺を働かれたって思いかねない程だ。

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数字でダイエット、運動を考えてみる。

 ホントは、既に書いた記事なんだけど、一寸、他の記事とも重なるので、まとめ直すことにした。

関連記事は、
『太い脚』が、
http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/11/post-a87e.html
『○×ダイエット』が、
http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/11/post-9235.html
って記事だ。

 そもそも、ダイエットって話にイメージ論が先行している事に疑問を持ち、最近流行の自転車や有酸素運動であるジョギング、水泳が如何にもダイエットに効果的って話や、流行の自転車をオシャレな自転車屋さんに買いにゆけば、格好いい自転車は簡単に速く走れる?って話というかイメージを植え付けるような情報に違和感を感じるのが発端だ。

 大体、ダイエットって意味を考えると、これは余分に蓄えた過剰エネルギー物質である脂肪を消費する事と同義としている。筋肉が減ったり、水分が出る状態で体重計の数値の微妙な増減で一喜一憂するものでは無い。

 この時点で、普通の人の体重変動を考えた時に、水分量の出入り等で変動する幅を以てダイエットの状況を判断することはナンセンスな筈である。一般に人は毎日2L程度の水分を摂取しているし、食事の総量自体も毎日同じでない。完全に、同じ生活習慣で、同じ時刻に同じ活動し、同じ様に汗を掻くって人ならいざ知らず、殆どの人が毎日変化している筈であり、その変化に埋もれる程度の体重変動幅でダイエットを語る事自体がナンセンスである。概ね±1kgで最大2kg程度の重量変動が考えられるが、それは純粋に水分量の変化に等価なものである。

 ダイエットを語るならば、日々の数値の判断では不可能なもの。その評価は日々の数値のアナログ的な変化の傾向を見て判断できるもの。それが本来の姿であり、超効果的かつ顕著なダイエットというと、日々のレベルで変化が明らかなような手法以外有り得ないのである。仮に、目に見えるような激しいダイエットの状況を想定すると、短期的に数字が思いっ切り動く方法は?ってこと。それっていうのは、月に10[kg]とか20[kg]のダイエットの話だ。

 で、月に10[kg]っていうと、週に2.5[kg]のダイエットを意味する。因みに、絞る対象の脂肪は1kgが7000[kcal]の燃料?である。2.5[kg]というと、7000[kcal/kg]×2.5[kg]=17500[kcal]である。これを1週間ということは、1日は17500[kcal/week]÷7=2500[kcal/day]ということ。一日に2500[kcal]を消費或いは摂取制限するということだ。この数値は下手すると、制限することで減らせる量では無い事を示し、絶対的に消費によってカロリー削減しか頼る手立ては無いのだ。

 2500[kcal/day]を効率的に消費するというと、競泳レベル1200[kcal/hour]で二時間みっちり、遠泳レベルでも600[kcal/hour]なら4時間という量。基本はこれを続けて運動出来る能力を持ち合わせている人に限った話。逆に、泳ぎが無理で水中歩行レベルでは2500[kcal]を消費するのは一日中プールに浸かっていても不可能ということ。実際、プールには夏前になると巨大なトドが沢山浮かんでいる。大型プランクトンでまるで赤潮大発生みたいなもんである。浮かんでいるだけでは、なかなか痩せない。泳げない奴をプールに行かせても、休憩時間が長くなるばかりで、、、、、、そんな話を、水泳経験の無い奴に言っても、無駄に金を使わせて効果は出ないって事になるのだ。

 効果的なダイエットというと、時間あたりの消費カロリーの多い運動、即ち、全身運動が効果的というのは一般的に全く正しい。更に、その典型の運動が水泳とか自転車である!っていうのも完全に正しいのだ。
 例えば、水泳ならば、高速自由形で1200[kcal/hour]、それと同等に近い速度で泳ぐ高速平泳ぎでも900[kcal/hour]、ノンビリ遠泳がた平泳ぎでも600[kcal/hour]というエネルギー消費が可能だ。自転車でも、その気になれば一時間で500[kcal]程度のエネルギーなら消費出来る。
 しかし、これは普通の人が突然始めて同じエネルギーが消費出来る事では無いのである。普通の人が休み無しで50mを1分切りのピッチで60分も泳げる筈がないのである。25m~50mを頑張って泳いで、その所要時間以上の時間を休憩するという泳ぎ方では、1時間で1000[kcal]なんてカロリー消費は不可能である。50m程度を頑張って泳いで休むっていうのは、断続的無酸素運動に過ぎないのだ。

 自転車で500[kcal/hour]っていうのは何を意味するか?っていうと、出力で580[W]を1時間である。580[W]っていうと尋常でない出力であり、これを1時間保つってなると超人的なレベルである。競技服で無風、勾配無しをロードレーサーで走行すれば、それは45~50[km/h]の巡航速度維持って事。馬力的には0.788[PS]であり、クランクトルク時には6.3[kgm]って数値。ペダルを踏む力的には、片側で52[kgf]、両足で104[kgf]って数値となる。
 これが可能な奴っていうのは、極一握りっていうか、殆ど居ないのが現実。
 普通の人はせいぜい20[km/h]以下で1時間走れれば御の字である。速度で1/2程度のレベルなのだ。抵抗(力)は速度の二乗に比例するんで、力的には(1/2)^2で上述の4割程度、出力的には出力=力×速度だから(1/2)^3で1/8程度のモノ、つまり空気抵抗で所要する出力(エネルギー)は12%迄落ちるのだ。結果、トータルのエネルギー的には500[kcal]の2割程度で100[kcal]を消費するのが関の山なのである。自転車も或る意味全身運動には違いないけど、水泳に較べると使う筋肉の負担率は局部に集中する。それ故にトータルでの消費カロリーを上げるには、局部への負担が大きくなる。それ故に、時間あたりの消費カロリーは水泳には及ばないのだ。水泳で時間あたりで600[kcal]を消費するのは泳ぎに慣れていれば(現実、泳ぎに慣れた奴も極僅かだが、、、)楽勝だが、自転車で500[kcal]は相当にハードなのだ。自転車に乗って激しくダイエット?を期待するならば、それに見合った負荷と平衡させる筋力と心肺機能があるっていうのが大前提であるのが理解できると思う。負荷と平衡させる脚がなければ、、、、時間で稼ぐ。なら、、、、軽負荷で毎日4時間自転車に乗るってライフスタイルがあれば可能かもしれないって事なのだ。

 実際、プールでも堤防道路でも、1時間泳ぎ続ける人、4時間以上走り続ける人は皆無に近い。実質的には断続的に数百メートル以下を泳ぐに留まっている。1時間で900[kcal]を消費するには1時間で3km以上は泳ぐ泳力が必要だが、その1/5程度が関の山、、、、つまり200[kcal]に届かないのが現実。堤防道路で見かけるロードバイクも同じで、20[km/h]レベルでタラタラ走っても1時間で100~150[kcal]が関の山だ。水泳でダイエット?自転車でダイエット?、、、確かに効果はあるだろうけど、軽い負荷、或いは温泉気分で浮かんでいるだけで、高々1~2時間、泳いだり、ペダル漕いだりした程度で消費されるカロリーなんぞ、屁みたいなモンである。泳力、脚力、心肺機能が無いというか、普通の競技として未経験な輩が、そういう効果を求めるなら、毎日6時間プールで泳ぐとか、半日以上は自転車に乗りまくっているとか、そんな状況でも無ければ絶対にめざましい効果は得られないのである。
 因みに、この100~200[kcal]っていうのは脂肪量としては何グラム?っていうと、7000[kcal]が1[kg]の脂肪なんで、多くても30[g]以下の脂肪に過ぎないのだ。そして100~200[kcal]なんてエネルギーなんぞ、ジュース、スナック菓子、アイスクリームでパーになる程度なのだ。

 逆に言えば、確かに効果的な運動であるけれど、効果を上げる程に行うには、未経験の運動不足な人には夢物語っていうのが判ると思う。短時間で効果を得るっていうのを夢物語とせずに現実と出来るっていうのは、勿論、そういう泳力、脚力、心肺機能が無ければ、瞬間的にもそういう領域には入れない。それが出来るのが本物の競技者であったり、そのOBだったり、競技として取り組んできた人間の特権なのだ。偽競技者、機材マニア、ホビーレーサー、コスプレーサーなんぞには、バックボーンが存在しない。その瞬間であっても、その世界が作れる人のパワーの根元は見ただけで判るもの。水泳でも自転車でも、その部分は露出しており、見た瞬間に『スゲッ!』って思うのだ。逆に、その部分で『情けねっ!』って判断する事も当然あるのだ。
 幻想を与えるような記事、書き込み、ブログが多いけど、そんなのは、長時間ハイアベレージで泳げる人、或いは、持続的に高速巡航が出来る人の話。一般的では無いのである。

 これは何を意味するか?っていうと、気合いを入れてプールに通っても、高級な自転車に乗って走っても、その手間と金に見合ったダイエット効果を得られるか?っていうと、現実は極めて厳しいってこととなる。ダイエットを目的とした場合、その目的が自転車とか水泳という手段では効果がじれったいということを示すのだ。手間暇掛けても効果が見えにくい事を意味しており、ホントに自転車や水泳が好きで目的としてやらなければ続けれないってことを意味するのだ。

 長時間高負荷で泳ぎ続けるには?或いは、長時間高負荷でこぎ続けるには?っていうと、これは一朝一夕に為らないもの。成長期に専門的な指導の元で過ごすっていうのがとても重要だと言える。それが無理なら、我流で!ってことになるけど、オッサンが我流で何かやっても、効果が得られる可能性はメッチャ低いと言わざるを得ないのでは無いだろうか?水泳ならばスイミングクラブでインストラクターの正しい指導を受ける場が存在するが、少なくとも自転車では、そういう世界は皆無に近い。ショップの言い分、雑紙の言い分なんぞ屁の突っ張りにも為らない。高級品を売る事が正義で、カーボン、ハイグレードコンポが速さに結びつくような説明があるとすれば、そこでの意見は全く信用出来ないと言っても過言ではない。必要なのは、その世界で過ごした人の理詰めな論理と指導であり、その必要性こそが重要という点が、どちらも競技と言われる所以であり、競技=種目、種目=科目、科目=学問というものだと理解しているのだ。最近は、機材スペック、技法講釈が先行する人多いけど、実際、スゲッ!って思う人は、プールにしろ、自転車の集まる場所にしろ、見かける事は極稀。まぁ、現実問題、水泳は兎も角、自転車なんぞは、競技種目としては人気の無い部類。そんなもんだろう。

 そりゃ、理屈の上ではハードな水泳が時間あたりの消費カロリーは最高だし、自転車も水泳の1/2~1/3程度の消費が可能だが、そういう数値は、それが出来て初めて得られる効果であり、出来なければ机上の空論なのだ。そういう負荷が掛けれなければ、効果のある数値を選るには、長時間の運動が必須となる。そんな長時間の運動なんぞ、メタボに悩む多忙な不惑世代が出来る筈もないのだ。そんな無茶は続かないか、身体を壊しかねないと思うのである。理想を言えば、それが具現化出来るように気合いを入れて鍛錬、訓練すれば良いのだろうけど、気合いを入れる事が実は一番難しいのだ。ダイエットは先にも述べたように続けて変化の傾向から判断する事なのだ。だから、期待し過ぎて効果が見えないモノ程続かないのが道理なのだ。
 逆に言えば、期待の程はソコソコに続けれる方法っていうのが実は最も効果的なのである。
 大して痩せないけど、取り敢えず続ける事の敷居が低い行為を習慣化する事がベストという意味で昨日の記事に紹介したのが歩行行為なのだ。歩行って行為自体がカロリー消費に及ぼす効果が極僅かだが、チョットした日常に歩こうという意識を持つ事がダイエットを意識し続ける事に繋がり、それが第一歩なのである。

 効果が高いと言われていても、プール通いとか、自転車準備という敷居の高いスポーツで実は未経験者には高い効果が得られないスポーツよりも、思い立った瞬間に出来る最も単純な歩行って行為は、何よりも、効果を誰も期待していないし、敷居が低いし、誰でも同じ様に出来るモノ。
 因みに、自分の使っている万歩計によると最近の歩行数は8000歩程度。消費カロリーは200[kcal]程度で燃焼脂肪量で12~20[g]程度の表示になっているけど、そんな効果云々よりも続けれるってことが大事なのだ。そして、その効果である200[kcal]で20gの脂肪燃焼っていうのは、先に述べた素人さんが自転車に20km/hで1時間漕ぐのと同じであり、或いは、素人さんがプールで25m泳いでは休憩し、、、を繰り返し1時間弱頑張ったのと同じ効果なのである。考えようによっては、素人さんにとっては、歩くという行為は、頑張って泳ぐ、漕ぐと同じ効果を持っているっていうのは案外知られていないのだ。

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2008年11月11日 (火)

年齢と歩く距離

 先週の中国新聞の健康欄の記事によると、一日歩く歩数っていうのは、年齢と共に減少し、減少する程に心筋梗塞等の疾患に見舞われやすいとのコラムが掲載されていた。
 その記事によると、特に男性の場合、入社間もない社員は、一日に8000歩以上は歩行する場合が多いけど、年数が経過し、職位が上がる程に歩数が減るという事らしい。
 加齢と共に心疾患が増えるのは、老化以前に、ライフスタイルの変化による身体への影響要素が大きい事も相当に効いているとの話しである。
 特に、管理職以上、役員さんになると、日々の歩行数は5000歩を大きく下回る場合も少なくないらしい。

 ところで、歩く行為っていうのは、以前から足は第二の心臓って言われるくらい重要であり、足の小刻みな運動はあ血流循環に大きな効果を持っているとも言われている。心臓が身体の比較的高いところにあって、直立歩行時において足は一番下に来る。足の毛細血管の伸縮が圧力を失った血液を心臓に戻すのに効果的といわれているが、その説と、歩く歩数と心疾患の関連性については、なんらかの因果関係があるのかもしれない。

 ところで、万歩計をつけて久しいが、今現在で、1日の歩数は8000歩±1000歩って事が多い。稀に10000歩を越えることもあれば、稀に7000歩を下回る事もあるけど、概ね8000歩平均のようだ。

 しかし、これは勤務地点が結構離れた場所にあり、これを毎日歩いて移動するからこそ稼げる距離でもあるのだが、多分、同世代で現場でも事務所でも固定箇所勤務の人っていうのは、一日の歩行数は相当に少ない感じがする。
 そう言えば、一日の歩行数で目指すべきは男性で9200歩/day、女性で8300歩/dayという話しもあるくらいだ。普通に歩く事を習慣化させるのはとても大切な事である。

 別の記事で、ダイエットに運動っていうのに、自転車とか水泳とかお奨めという話に疑問符を投げ掛けたのだが、それは、これらのスポーツに専門的に取り組んだ事の無い人が行っても、その消費エネルギーは高々知れている。だいたい、メタボに苦しむ人が、時間あたりの消費エネルギーが少ないのを補うべく長時間に渡り、自転車、水泳なんぞ行える時間も無いだろう。まとまった一時間を確保して泳ぐ、漕ぐでは足りない上に、一時間を確保する事さえ難しいからだ。
 そんな普通の人に一番のお勧めはダイエットを意識して歩くということだろう。歩く行為は、日常の瞬間に交通器具、手段を用いないという選択で可能な行為であり、細切れでもOKならば歩く機会は勤務時間中でさえ確保する事が可能なのだ。
 歩く事を意識することで、細切れの時間を合わせてトータルで運動する意識を心に持つことが大事。それが続ける事が出来て、ダイエットという意識を習慣化させる事ができるのだ。
 ダイエットに一番重要なのは、それを行う意識を習慣化すること。意識が根付くには行動が必要。行動に敷居が低いのは、プールが必要な水泳とか、場所と道具が必要な自転車よりも、思い立った瞬間に可能な歩行行為であり、歩く事をダイエットの手段と考えて生活を始めるっていうのが一番お奨めである。
 行為による消費カロリーで語るのでなく、意識にダイエット行為を習慣化して組み込めるか?これが大事なのだ。

 健康、、、、これは、とても大事な事だ。健康である事が全てに優先する。健康で無ければ何も出来ないのである。最近、特にそう思う事が多い。そのために、忙しい人、運動経験の乏しい人にお勧めなのが、100円ショップで売ってる万歩計を付けて歩く事である。

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インフルエンザ予防接種

 先週末、我が家の子供達はインフルエンザの予防接種を受けた。インフルエンザの予防接種は子供は二回、大人は一回受けるのが標準だそうだ。
 で、この効果は、摂取後平均で10日後(遅い人で二週間後)から効果が現れ始め、効果の持続期間は最も効果を発揮するのが3~4ヶ月、一応の効果を保つのが最長で5ヶ月程度と言われている。11月で接種すると最長で3月程度迄は効果が保てるということのようだ。

 さて、インフルエンザというと、最近なにかと話題になるのが新型インフルエンザ。新型インフルエンザが確認されると対応策は何か?っていうと、ただ一つ。人の集まる所に出掛けない事、更に、手洗い、うがいを励行する事だ。後は、如何に平生の鍛錬により身体の抵抗力を養うか?に限られる訳だ。

 この辺を十分に肝に銘じて年末年始に向けて健康管理に務めなければならない。

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2008年11月10日 (月)

円安バブル

 日曜日の中国新聞で、早稲田大学教授の榊原教授のコラムに表題のタイトルが付いていた。
 それは、長きに渡る、異様な低金利政策による円安誘導のツケをこれから払っていく時代になる、、、、

 同じ考えを持つ、著名な人が居るってだけで嬉しい!?感じ。自分的には、異様な金利差で円を調達し、海外で運用するって構図が、今回の金融破綻の一因となっているとさえ思っている。

 そんな円安が恐らく終焉を迎える。これで、円安に胡座をかく日本製造業がダメージを受け、世界の不景気から時間差をおいて日本製造業を襲ってくるのでは?って思うのだ。

 そんな円安、世界景気の恩恵を勤務先企業も受けてきた。勤務先も海外の特需に業績を伸ばしてきたのだが、それを次のように伝えている。

 勤務先では10月が締めである。で、先期の総括と来期の目標を管理職会議とか朝礼によって経営者が従業員に伝えている。勤務先では、ここ十数年、右肩上がりの成長を続けており、ここ数年を振り返ると、過去最高の売り上げを更新しながら推移している。来年は、更に多く、史上最高の生産台数と売り上げを更新する勢いだ。
 こんな状況は、経営者にとっては最高の喜びであろうし、従業員に対する感謝の意を表したい気持ちも良く判るけど、一歩下がってみれば、浮かれすぎか?とも思う程である。

 過去の20年間を振り返る資料では、20年前、10年前、昨年を比較すると、売り上げ高は倍々ゲームで来ている。従業員規模からみても、その金額が10年で倍増するのは、或る意味驚異的でもある。その間、生産資本(従業員、工場、設備)は20年間でも2.5倍程度に留まっており、純粋に生産効率は著しく向上している。

 ところで、製造品目の向け先別に区分すると、設備関連向け/運輸関連向け、国内け/輸出のような形で分けられるのだが、運輸関連向けは殆どが輸出品というのが特徴だが、この比率は、20年前は3/7、10年前は2/8、昨年は1/9と推移しているのだ。この比率を売り上げ総額に掛けて、金額推移を見ると、設備関連向けの絶対金額は20年前の金額を100とすれば、100×0.3=30、10年前は100×2×0.2=40、昨年は100×2×2×0.1=40となり殆ど変化していないのである。
 更に、この向け先別の金額の変動幅を振り返ると、設備関連は隣接年度で変化が±10%以内の金額変動を見せていない安定的な売り上げである。これは、殆どが国内向けであり、国内市場における規模はほぼ一定って言う事だ。

 一方で、運輸(輸出)関連は?というと、20年前が100×0.7=70、10年前が100×2×0.8=160、昨年が100×2×2×0.9=360と5倍以上に急増している。
 因みに、運輸関連は過去20年の隣接年度での変化が最大で±50%の変化がある不安定な要素を持っている。運輸関連は殆どが輸出機器であるのだが、最近の異様な需要の増大は、中国市場の拡大もあるけど、世界景気による牽引力も相当に大きい。更には、収益力は昨今の円安政策の恩恵に与る部分が極めて大きいのである。

 この最近の収益力は、先の円安バブルによる恩恵が極めて大なのだが、それを認識してかどうかは知らないが、ここ最近は、生産資本の増強を繰り返している。隣接土地の買収、工場建設、派遣労働者の増強等々、、、、こうやって増やした生産資本は、本来は企業の本質的な実力向上というよりも、海外特需によるものだが、需要は急減しても生産資本の急減は出来ないもの。
 輸出関連品目は政策バブルによる恩恵で今があるとすれば、将来は、過去の分析に従うと変化としては下げる確率の方が大きい。仮に、最大の下げ幅で-50%となると、360×0.5=180ということで、設備向けを40とすると40+180=220(20年前を100とすれば)に陥る可能性をはらんでいる。

 過去の売り上げ、利益を見ると、一人あたりの売上高で一定金額が無ければ収益が上がらない境界があるけど、今の人員、生産資本で、その境界金額を乗ずると、最低でも250(20年前の売り上げを100とすると)は必要。しかし、220になるリスクが在る訳だ。最低でも220-250=-30程が不足する。この不足の30分を生み出す(市場開拓、或いは、市場占有率アップ)戦略が必要なのではないだろうか?

 特に、昨今の急激な需要増による特需は、新興諸国の経済発展、世界的な好景気によるものだが、それが減速期に入ると果たしてどうなるだろうか?

 先代の経営者は、どんな状況であっても5年後、10年後の最悪のシナリオを予測して、先手を打ってマーケットに製品投入したり、社内における体制、製品の変革を常に行っており、その必要性を説いて社員の志気を高める采配を揮っていた。
 しかし、現在は、ここ数年の好調を振り返るだけで、数年後のシナリオを予測した指揮を執っていないように見えるのが、とても、とても、不安な感じである。

 良かった過去を振り返るのは一瞬で良い。実績にしろ、何にしろ、済んだ事は済んだ事。大事なのは今後の筈だ。せめて、先代の如く、未来を見据えた指揮を執るべきだと思う。果たして、先代から引き継いだ今の経営者は、どのような才覚を発揮するだろうか?

 このブログ、社内からも結構見ているらしいので、休日に更新されるように、あんまり見られないようにアップしてみたりする。

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ピストでヒルクライム

 ピストでヒルクライム。殆ど週に一回のイベントとなったけど、大分慣れてきた。っていうか、かなり良いペースで上がれる。5.4m程のギアだけど、60rpmペースでイイ感じにダンシングすると10%越えの勾配もリズミカルに上がる。
 ただし、ダンシングして上がると、明らかに上腕の筋肉、大胸筋が動いているのが判る。上半身の筋肉が相当に使われている感じ。最初の頃は、クリップストラップペダルで足を引き戻す時にペダルを引っ張る感じが在ったけど、今は無いな。ズンズンと上体の筋肉でペダルを漕いでいる。漕ぐ最中に引き側の脚がペダルを戻す感じは無い。殆ど踏み側のペダルでしっかり漕ぐと、引き側は勝手に戻る感じ。この感覚が大事って思う。

 それにしても、ピストでヒルクライムが可能なら多段ギアなんて無用な感じもする。
 実際、オ・モイヨWWの18段変速よりもラングスターTTの固定ギアの方が平地でも楽珍な感じもする。多段ギアのメリットってなんだ?って最近思う。速く走るためっていうよりも、ゆっくり走るための装置の様なモンだろうか?ルイガノ、DAHON二台(スピママ、西DAHON)では活用しているけど、活用するのは、何時も手抜いて楽して走る時くらい。速度レンジを引き上げる程に変速しない感じ。不思議なモノである。

 話変わるけど、西DAHON、リアブレーキもショートリーチのTIAGRAのBR-4500に交換して前後ともショートリーチ化できた。ショートリーチに際して、標準のフェンダー穴利用では上手く付かないけど、イイ感じに工夫できてかなり満足度高い。チョイ前に付けたリアキャリアもイイ感じ。で、今日はリアキャリアに赤の大きな四角のリフレクターをニシダサイクルさんで頂いて付けた。イイ感じである。
 DAHONは手抜き横着の楽して走るサイクリング系実用車って印象だろうか?この緩み具合が良い感じ。こういうユルユルサイクルは多段ギアが必須。ピスト系バイクとは対極な感じだ。

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太い脚

 自転車に速さを追求?する人、結構多い。
 自転車に乗ると脚は細くなる!って言う人も、結構多い。

 さて、そういう質問も度々受けるので持論を展開してみる。

 自転車の速さ=速度と考えると、速さ=時間あたりの移動距離ということで、所要出力というのが決まる。自転車の走行時における出力は抵抗と平衡する必要があるが、その抵抗要素は、空気抵抗、転がり抵抗、駆動損失からなる。この合計が抵抗の総合計であり、これと等しい出力が必要と言う事だ。

 この内、空気抵抗っていうのは速度の二乗に比例して増大し、転がり抵抗は速度と一次的な関係で増大する。損失は複合的な要因が絡むので一意的には言えないが、空気抵抗、転がり抵抗に比べると少ない。
 例えば、無風、勾配無しで30km/hで走行すると空気抵抗は体型、ポジションにもよるけど約70W弱、転がり抵抗が20W、損失が5W位で合計100W弱。これが40km/hとなると、各々160W、30W、8W程度で合計200W弱、50km/hでは320W、40W、15Wで380W弱、60km/hでは540W、45W、25Wで610W弱となる。これから明らかなように、空気抵抗が大きく作用し、速度が高い程、二乗に効くので所要出力が大幅に増大するのである。

 ところで、出力とは時間あたりの仕事であり、車のエンジンでも判るように駆動トルク×回転数となる。自転車でも一緒でクランクを踏む力×回転数である。
 回転数とは、もろケイデンスであるが、このケイデンスの差に個人差は案外すくないモノ。ケイデンスの差が無い中で高出力を選るには、純粋に駆動トルクが大きくないと話しにならないのである。
 更に、脚の上下運動を回転運動に変えるクランク構造から、馬力から逆算したトルク値、ペダリング力は平均値(実効値)であり、出力波形がサインカーブとなっている事を考えると、単純に言っても最低で平均値の1.4倍のペダリング力を発生しなければ為らない筈。

 例えば、上の50[km/h]の速度は380[W]、これは0.52[PS]に相当する。これを回転数90[rpm]で得るとすると、トルクは4.1[kg・m]、クランク長が170[mm]なら踏む力の実効値が25[kgf]、最大では片足で35[kg]となる訳だ。ケイデンスを上げれば力は減らせるし、逆なら力が必要。60[km/h]なら610[W]、踏む力は55[kgf]にも増大する。それ程の力を生むには、何はともあれ筋肉が必要。回転数を倍に出来れば力は半分で済むといえばそうだが、簡単ではない。回転数を上げるには回すための筋肉も当然必要ということだ。駆動トルクとは、正しく踏む力、脚の筋力に依存する部分が大である。踏む力とは、筋断面に比例する訳であり、絶対的に高速度が出せる人っていうのは、踏む力が強い、即ち、筋断面が大きい=脚が太いと思うのである。
 競輪選手の脚が超高回転+超極太っていうのは、大きな力で高回転を回すことで高速走行が実現しているのである。

 いろんな所で、自転車で50[km/h]出た!60[km/h]出た!って話しは聞くけれど、少なくとも最大時において片足で50[kgf]オーバー、両足ならば100[kgf]オーバーのパワーが無いと出ないのでは?と思うのは間違いだろうか?

 因みに、人間の筋肉は断面積で1[cm^2]辺り10[kgf]の力を発生することが出来る。この断面辺りの力自体が骨格構造等による変換を経てペダリングパワーに繋がるのも事実であり、やはり、速度には出力、出力にはトルク、トルクには筋断面という関係は成り立っていると言える。

 ふと、そんな事を考えたりもするのであった。ところで、速度から所要出力の推算は可能、所要出力から想定回転数で除すれば軸トルク(軸に1mのテコで何キロ掛けるか)が求まる。軸トルクからペダルを踏む力はテコの原理で出る訳だが、その力が脚の屈伸運動の際に、脚の筋肉の収縮方向に対して関節等によるテコの原理でどれほどの筋断面が必要か?っていう事も、突き詰めれば判る訳だ。

 さて、追記だが、日曜日にはオ・モイヨWW号で太田川沿いを走行した。結構沢山のロードが居たけど、中にはウザイのも居る。遅いからスルーするのだけど、その途端に反応してくる奴も、、、喧嘩するのは面倒くさいからなんだけど、反応して抜き返す途端に急に失速するのは辞めて欲しい。失速、或いは速度落とすなら合図かなんかしないと、、、、車や単車と違いストップランプ無しで急に15km/h以上も失速すると危ない。こっちは、人がいればスローダウン、人が居なければ35~40km/hで淡々と走ってる。頑張って、前でウロウロされると、否が応でも自転車、乗り手が目に入る。イイ自転車、イイコンポ、カッコイイ装備、、、、でも、足らない物が一つ、、、、一番大事なものが一番足りてない。何と言っても、出力、持続力不足。
 見た目的に、オイラの上腕二頭筋より細いような脹ら脛で、、、、そら、無理だろう?回転挙げるにも、肩揺れすぎ、顎出過ぎ、、、、息吸えてないし、、、、続く訳無い、速度保てる訳がない。機材や格好に凝る前に、己の身体を作らないと、、、、

 それにしても、新興ブランドに多いのがこの手だ。

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バブル末期のデジャブか?

 自動車業界の景気が急速に悪化している様子である。
 あの世界の大トヨタも利益を大幅に下方修正している。

 それとは別に、最近の自動車雑紙の新車スクープでは、景気の良い話しが飛び交っている。今の段階で景気の良い?話しっていうと、レクサスチャンネルの展開、その中の高額車両、LS600hとか、IS-Fとかの存在、或いは、復活した日産のR35のGTRってところ。この辺のライバル車として、レクサスならLF-Aとか、アキュラならNSX、トヨタのスープラ、マツダのRX-7って高額ハイパワー軍団が近々デビューみたいな事書いてある。
 しかし、仮に景気後退が本格的となり現行の既デビューの高額車の売れ行きがあまりにも激しく激減したら見直し、延期、消滅って憂き目に逢いかねない感じ。
 この辺は、何となく昔にも同じ様な事があったような、なかったような、、、、

 そう、バブルの絶頂で登場した高額車みたいな印象。印象的には、ズバリ、ユーノスコスモの3ローターって印象だ。当時、バブルが続いていたならば?マツダならアマティってV12のサルーンの登場も噂されており、実際にエンジンも完成、プロトモデルも完成って状態だったが結局白紙撤回となったのを思い出す。

 今後の景気動向は如何に?というところだが、幾ら環境に良いとはいっても、5Lなら相応の馬力故に、燃費もそれなり、、、、そう言う事になる。環境!って言葉も、案外、消費者個人、特に高額車志向の人にはポーズ的な関心に留まっているようにも見える。

 敢えて期待するとすれば、昨今の不景気っていっても格差が大きく、高額所得者には影響ないのか?と思ったり、案外、原油相場が低く推移すると、それ程までも低燃費志向は進まないか?と思ったり、、、、ならば、ハイパワー車も強ちで出ないとは言いきれないかも、、、、

 何にしろ、この夏以降の急激な世界的な景気後退の波は自動車産業を直撃しており、景気良く噂されていた高性能車全てがデビューするって事は恐らく無いだろう。、

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2008年11月 9日 (日)

昔のサイクリングブーム

 一寸、懐かしんでみる。
 あれは、小学校の5年生くらいだったろうか?当時、自転車の漫画(サイクル野郎)は知らなかったけど、クラスメートとサイクリングに出かけるのが流行っていた。
 当時は?っていうと、セミドロップハンドルのジュニアスポーツ車(死語)がデフォルト。ダイヤモンドフレーム、つや消し黒塗りでトップチューブ上に車のATのようなシフトレバー、そしてフロントキャリアに二灯式のヘッドライト。これで5段変速だったと思うけど、これで、広島から宮島、大竹、呉、土師ダムってところへ出掛けていたのを思い出す。

 中学に入ると、自転車はロードマンに変わり、ドロップハンドルがデフォルト。サイクリングには、フロントバッグ、水筒、インフレーター、自転車用懐中電灯って装備でお出掛け。
 行き先は、広島から日本海浜田に海水浴、三段峡、深入山、錦帯橋、尾道といったところ。

 高校に入ると、自転車はダイヤモンドDF-7110のレイノルズ531仕様のスポルティーフで、立岩ダム経由で深入山、匹見峡、益田、松江、帝釈峡、津和野、笠岡といったところ。

 大学は、、、、、輪行等を駆使して日本アルプス、信州、四国、、、、、で、これもスポルティーフ。十方山ではランドナーとか、、

 ということで、当時のサイクリングブームでは基本はジュニアスポーツ以降はスポルティーフ、ランドナーといった車種。そして、合間に走るといったら、スポルティーフ、ランドナーでじっくりコトコトって感じでイメージ的にはSL機関車の如く走る。

 で、チューブラーのロードとかピストは?っていうと、それは極稀に乗る。競技前の練習で乗る。トラックで乗る。という範囲で、基本は街乗りでは使わないのが常識だったと思う。
 そういうのがサイクリングブームだったように思う。そして、ロード、ピストっていうのは、乗るのに心構えが居る感じ。乗るには躊躇が入る感じ。乗るには一人前でないと!って印象を持っていた感じ。で、実際にロード乗り、ピスト乗りっていうと、純粋に学生競技者、本職さんって所が多かったように思う。少なくとも、ドロップハンドルに憧れて、、、って素人さんは乗っていなかった筈。
 それ故、ロードバイクはロードレーサーであり、乗り手も格式、雰囲気が在る存在という認識だったのを覚えている。実際、当時遭遇するロードレーサーはどれも素晴らしく上手く、素晴らしく速かったように思う。大学の自転車部で2年先輩で当時法学部3年のロード乗りの方と何度か走った事があるけど、ハッキリ言って、まるっきり付いていけなかった。全く、相手に為らなかったのを覚えている。当時のロードっていうと、前は55-44Tとか、後ろは13-21Tとかだが、それでもガンガン踏んで、メッチャ速い印象がある。

 しかし、、、、、

 今は?っていうと、ブームなんだろうけど、みんなロードバイク。スポルティーフ、ランドナーは居ない。ロードバイクでツーリング?っていうのも、ピンと来ない。殆どが、コマネズミのようにシャカリキに不格好に漕いでいる。ロードの格式は感じない。当時のロードはロードレーサーであるが、今のロードっていうのはコスプレーサーって感じ。体型的にも、肉体的にも全然違う感じ。勿論、実質的な能力も当時のレーサーは格段に違うと思う。

 昨今、ブームでケイデンス崇拝だけど、今日もトレックで偉く高ケイデンスだけど、滅茶苦茶低速っていうのも滑稽だし、他にもダンシングするものの即失速っていうのも、昔のレーサーでは有り得ない。不惑過ぎのオッサンから見て、この様であり、ロードがロードレーサーでなくなったのは、昔のロード乗りに持っていたイメージが自分の中で崩れていくのが少々寂しい感じ。
 なんていうか、圧倒的な存在感を持つモノが、乗り手を選んでいた時代。そのモノの持つ存在感に後光を感じていたのは自分だけだろうか?そんな、有り難い後光が失われ、滑稽で、格好だけで、見るからに無様な様子が氾濫しているのは、一寸寂しいのである。
 最近は、ピストバイクさえもブームで誰でも乗るって感じ。これは、何か間違っているように思う。

 単車ならば、素人を受け付けないマッハ3とか、ガンマ500とか、そういうオーラが現代のロードバイクから無くなってしまったようだ、、、、

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美味しいお肉

 フォアグラ、国産霜降り牛について、、、、

 フォアグラって食材は通に言わせると美味なんだそうだが、俺的には美味いとも何とも思わない。
 で、フォアグラっていうのは本来、鴨の肝臓で、美味しいフォアグラっていうのは、脂肪の豊富な肝臓、つまりは脂肪肝なんだそうだ。そして、美味しいフォアグラの鴨は完全飼育で屋外放置なんかすると一発で死んでしまう程、抵抗力を失っているという。

 なんでも、臓器に脂肪が蓄積すると大幅に免疫力が低下するんだそうだ。

 そういう、不健康な鴨の臓器を美味とするセレブな感覚が俺には判らない。

 似た話で、国産霜降り牛の話し。一寸前にテレビで、唐揚げ+たこ焼きと国産霜降り牛ステーキ、どっちが高カロリー?ってクイズがあった。前者の唐揚げセットが650kcal程、霜降り牛が720kcalということで、予想に反して霜降り牛は高カロリーという。
 しかし、輸入のアメリカンビーフとかオージービーフでは低カロリーなんだそうだ。これも、国産牛は運動させず体内に脂肪を大量に蓄積させているもので、運動不足な牛の牛肉が人間的には美味いという。不健康な牛肉が高価格、高カロリー、、、、、この話しに通ずるものか?と思ったりした。

 そう言えば、酒もそう、煙草もそう、、、、人間っていうのは、生体にとってリスキーな物を美味いと判断する習性があるのだろうか?ふと、そんな事を考えたりするのである。

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メンタルヘルス講習会は大切さ!?

 先月も似たような記事を書いた。先月は『月間安全衛生ノート』って本の特集記事からの引用で、記事的には↓

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/10/post-5d21.html

の記事だが、ここでは、うつ病の原因と対策を自分なりの意見で書いたけど、本日(木曜日)には、厚生労働省の公示に従って、企業として従業員のメンタルヘルスの取り組みを行うということで、アドバイザーを招いてのメンタルヘルス研修会なるものが開催された。

この研修会は、午前の部、午後の部で管理職、安全監督者、労働組合関連の人員が総勢100名程が50名ずつに分かれて受講した。
研修会には、厚生労働省から派遣されたアドバイザー(ケロンパ似の薬剤師)の方が1時間半にわたり、メンタルヘルス研修の必要性を説かれるというもの。

ストーリー的には、自殺、鬱といった症例がここ数年、特に1998年以降に急増している。その原因であるストレス等の問題が1980年代以降特に顕著である。という統計に従って、国として厚生労働省が通達ないしは公示を出して取り組むという流れを説明しつつ、そのストレス問題等について解説なさるもの。

確かに、ストレス等によってメンタルヘルスケアが必要な人が存在するのも理解できるし、そのためには、そのケアを行う事によって国民を守るっていうのは必要なのかもしれない。
しかし、個人的には必要かもしれないが、その問題の解消は、果たして厚生労働省主導による生活の仕方等のアドバイスとか組織としての取り組みで対応するっていうのは正しいものか?というと、疑念が拭いきれないのがホンネである。
前提として、メンタルヘルスが必要なような状況を個人に負わせるのが社会構造による不可抗力からもたらされているかのような説明では尚更である。

自殺、ストレス、躁鬱、、、、いろんな症例があるようだが、この問題は、もっと根深いところにあるように思うのである。そのような負荷要因が社会構造にあると症例者の外界に原因を求めるのはナンセンスというのが持論である。原因は症例者の内面にあるのでは?と思ってしまうのである。そして、症例者の内面的精神、思考っていうのは、個人の成長によって形成されるものだが、その形成には教育が深く携わっていると思うのである。

 本来、世代単位で社会訓練を行うのが教育機関である。その教育機関では、学業を通じた知識の習得は勿論だが、その知識の習得に併せ、様々に出会う事例に対する好奇心を紐解く術を学ぶものでもあるが、個人の適性に併せ様々な世界が紹介される機関でもあるのだ。そう、教育を受ける時代は、個人の持つ可能性を信じ、様々な世界を紹介し、それぞれの世界における好奇を追求させるような深さと、追求させる手法を身に付けさせる時代でもある。そうやって過ごす事で、個人が得手、不得手を理解し、その中での己の考えを平衡させる訓練を行い、嫌な事でも消化できる耐性を身に付けるというのも社会に出る前の準備として重要なのである。

 どんな問題に直面しても、人間という生物の本能は自己を否定するというシステムは持ち合わせていない。個体としての完成は自己肯定が原則であり、自己否定で思考停止に到るっていうのは、個体として完成しているとは言い難いと思うのだ。様々な要因によって、自己否定に到るとされているが、その要因が、少なくとも外的要因(内的な疾病等は除く。)の場合には、個体の成熟度不足が原因では?と考える考え方は成り立たないのだろうか?

 時代背景的に、このような問題が明るみに出始めたのが1980年代半ばからだそうだ。そして、1998年頃からは問題が社会問題化して国として取り組まざるを得ない状況になっているという。この状況を見て、時代の流れが速くなったとか、或いは、パソコン、インターネットの普及がストレス因子になっているという話しもあるけど、そんな問題とは違うように思うのである。
 1980年代半ばからっていうと、教育においては、それまでの学歴社会、詰め込み教育と落ちこぼれによる校内暴力等が社会問題化し、教育の方向が転換を迎えた時期である。大学入試においては共通一次試験が始まり、受験戦争という言葉で偏差値偏重ながらも採点者側の効率性重視から選択問題という時代。学歴社会故に多数の人間が進学し、その人数に対処するための方針変更だと言える。
 その後、指導要綱の度重なる削減による教育機関で過ごす時間の短縮化して進んできたのだが、

 学校において、様々な好奇の対象にふれあう頻度が減り、好奇探求活動の機会を失い、手法を学べず、社会性を養うための時間さえも減り、数値的な点数偏重であったり、個人で過ごす時間ばかりという状況を生んでいるように見える。結果、自分で置かれた状況で最適な判断を下し行動を自主的に行うって力が失われつつあるのでは?と思うのである。そのために、社会のストレスとよべないストレスで自我崩壊したり、自信喪失に繋がるのでは?と思ったりする。
 実際、塾でも会社でも、無から生み出す力を持つ人は皆無に近いし、指示命令がなければ自発的に行動できる人も皆無に近い。言われた事は出来るけど、何も言わなければ活動が停止する人は極めて多いのだ。これは、問題に対する自己確立が自分で出来ない事とは強ち無関係とは言い切れないと思うのである。

 メンタルヘルスケアが必要な人には必要かもしれないが、今後、未来永劫にそれがデフォルトとは思わない。必要な状況な人に接する側を教育するのではなく、必要な人自体の変革が必要と思うのである。また、未だ社会に出る前の準備段階の人に対しては、教育における自主性、自立心、独自性を育み、最低限、属する社会における調和を訓練するような教育に変革することが大事なのではないだろうか?
 俺的には、厚生労働省が問題提起しても、対応は文部科学省が行うべきと思ったりするのである。

 話しが脱線するけど、昨今の金融危機による不景気を恐れる声がある。企業における収益力低下、生活困窮を危惧する声もある。しかし、外貨を稼ぐ事が使命の日本の競争相手は海外であり、それに勝たなければ未来は無いとも思うのである。大勢の人間が食いっぱぐれても、或いは、貧困に窮しても、いまのような飽食の時代におけるマナーの低下、自己防衛本能の喪失のような状況では絶対に勝てないと思う。BRICs諸国の上昇志向の強さ、ハングリーさ、ストイックさ、逞しさは、何でも豊かな日本人の比では無いだろう。
 昔の大藪晴彦の原作の小説、蘇る金狼の松田優作ではないが、『狼は生きろ、豚は死ね』である。そういう精神面の改革が必要なのでは無いだろうか?

 ドラスチックな変化こそが人々に切迫感を与え意識改革に繋がるようにも思うのである。支え合う事が不可能な程の荒波に晒されれば、過保護に覆われる事を当然とするような人の意識も変わるかも知れない。実力の無い企業、得手の無い労働者は消滅するくらいの変革が必要なようにも思うのは言い過ぎだろうか?

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2008年11月 8日 (土)

マナー

 ここ最近、自転車ブームということだけど、その一方で自転車ユーザーのマナーの悪さを指摘する声も多い。
 確かに、並進、逆走、信号無視、携帯操作、二人乗り、無灯火、、、、、多いのだけど、殆どデフォルト化している。で、自転車という庶民の脚という事は、自転車ユーザー=一般市民であり、自転車マナーが悪いのではなく、みんなのマナー意識が低い事を意味している。

 昼ポタでも直前を携帯操作での片手運転で、方向指示操作無しのファミリアが居たけど、箱に囲まれているから自転車のように目立たないだけ。思えば、自動車の携帯電話運転、違法駐停車、窓から吸い殻や空き缶の投げ捨て等も多いし、一般の人が歩行者になった時でも、歩行者っていうと信号無視はデフォルトだし、やっぱり携帯電話操作等々によって前を見ずに進む人、歩道一杯を占拠して進む人も多い。犬の散歩でも、糞の後始末なんぞ殆どの人がしていないのでは?と思うほど。至る所に犬の糞も転がっているし、リードを長くし過ぎで歩道等を完全に横断させるような使い方も頻繁に見る。

 結局、マナーというより道徳観自体が変質してきたんだろうと思う。このような道徳や法規無視が常態化した現実が、人を威圧的に変えるのだろうか?と思うのである。
 ルールが通用しない世の中で我を通すには、威圧感が必要であり、昨今の車のデザインの怒り顔の流行、或いは、ガラの悪い高級車が威圧的な運転をし、威圧的な運転が似合うようなデザインの高級車が増えるっていうのは、根本的に、世の中が無法状態、不道徳状態に進んでいる様子を表しているように思う。

 ガラの悪さ、威圧的な流行が、拝金志向故の経済犯罪にも結びつくし、更に言えば、個人レベルの身勝手なマナーの無さとも連動しているように見える。

 こういうのは、飽食の時代故の兆候かもしれない。社会的な不満、或いは、不自由、抑圧という制約が多い程、人の精神は逆に律せられるようにも思う今日この頃だ。

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筋トレ効果で筋肉を思う?

 筋トレの効果か?最近、上腕の筋肉が相当に硬く大きく発達してきた感じである。良い具合だ。他にも、腹筋も6つに割れているし、脹ら脛、太股も筋肉の隆起の線がハッキリと浮き出る。
 それと、筋肉のハリというか、肌の艶というか、これも自分的にはとても理想的な感じである。自分の理想は、肌の目が細かく、水を良く弾いて、凝縮感が強い感じが理想なのである。

 筋肉の鎧を被った人っていうのはボディビルダーにも多く見られるが、パッと見の印象で、筋肉の質感は二種類あるように思う。これは気のせいかも知れないが、一方は凝縮感が強く、見た目、密度の高そうな感じの人。もう一方は凝縮感よりもボリューム感が大きく、密度的には低そうだが形が凄い人。である。自分の理想は前者で、服を着ると判りづらいながらも密度感が高い感じの筋肉が理想なのだ。

 このような印象の違いは何処にあるか?っていうのを調べても、明確な、なるほど!って答えには辿り着かない。
 速筋、遅筋の違いは理解しているけど違う。深部筋と浅部筋って言葉も見るけど理解不能。中には、見せる筋肉、使える筋肉って話しもあるけど、これまた理解し難い。

 専門的には、この辺の違いもあるのだろうけど、自分の印象とは微妙に違う感じである。

 で、この文章を書きながら、ふと考えた事、、、、筋肉の隆起が明確なエッジを持って見えるかどうか?っていうと、筋肉の形が外見的に伝わる的な話し。つまり、筋肉の緊張による様子が外観に出るかどうか?の話しであり、筋肉自体が筋肉の作り方によって差異があるとは思い辛い事を考えると、筋肉の外にある物質の量の違いが外見的な密度感の差かなぁ?と思ったのである。

 そう、筋肉の形がダイレクトに出るっていうのは、筋肉の外側に着いた余分が少ないということ。逆に、筋肉の形がソフトに現れるっていうのは、筋肉の細かい変化が見えにくいということで筋肉の外側が覆われているということと考えるのが最も自然である。

 そう、その違いとは、筋肉の外側の物質、つまりは皮下脂肪の事。筋肉がついても皮下脂肪があれば筋肉のダイレクトな形は見えにくい。但し、内部の筋肉が肥大すれば全体として肥大する。しかし、筋繊維の細かな隆起は外見に出ないし、見た目的な硬さは脂肪の質感に左右されるということ。一方で、皮下脂肪が落とされていれば絶対的な太さは劣るけど、筋肉の肥大は外観からも判るし、筋繊維の細かな隆起も見えやすい訳だ。

 筋肥大をさせるには色んな手法がある。しかし、肥大させるのは絶対的に筋トレとタンパク質の摂取が効果的。この部分に脂肪燃焼という要素は少な目である。
 どうやら自分の望む体型っていうのは、有酸素運動によって皮下脂肪は必要最小限に落とし、筋肉を纏う体型って事なのだろう。

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2008年11月 7日 (金)

○×ダイエット

 我が家には一歳児の息子が居る。で、一日の食事にはデザートというか補給食というか、お菓子というか、そういうノリでバナナを食べさせている。
 しかし、9月頃から急にスーパーの店頭でバナナが姿を消して入手に困っていた事があるのだが、最近は再び普通に帰るように為ってきた。

 なんでも、朝バナナダイエットというのがテレビで放送されたのが原因らしく、以前の納豆ブームと同様にバナナブームだったようだ。

 しかし、このブームも一過性であり僅か二ヶ月足らずでブームは終焉した模様。

 このバナナダイエットの発端は、この9月19日のTBSのドリーム・プレス社って番組らしい。
 この食材系ダイエットというと、例の納豆、チョイ前のバジルシード、蒟蒻、ソーメン等々様々なダイエットが紹介されてきたけど、何一つ長続きしたモノはない。

 食材系ダイエットに限らず、チョイ前のビリーズブートキャンプ、今ならコアリズムでもそうだし、器具系なら金魚運動、ステッパー、乗馬マシーン等々様々だが、何一つ定着したのがないようだ。

 自転車のブーム推進力の一部にはダイエット効果を期待してのこともあるだろうけど、これも一過性か?と思ったりする程。

 ダイエットっていうと、代謝活力アップが基本。摂取制限系ダイエットはナンセンス。代謝アップ=消費量アップ=運動量アップだから、運動を持続しないと、これまた無意味。
 運動で脂肪を減らすというのが正攻法だが、脂肪1kgが7000kcalという。7000kcalというと700kcal×10回である。700kcalというと流し気味よりチョイ速程度の水泳を1時間である。本気モードで1000kcal+αだから、チョイ速程度でも1時間連続水泳というと結構ハード。それを10回やって1kgという。日常の生活に加え、1kg痩せるには、その分の運動が不可欠という事。ダイエットが本当に必要な人の中に、こんな運動が出来る体力があれば誰も苦労しない訳であり、そうすると1kg痩せようと思えば、相応の時間が必要ということ。

 勿論、摂取制限で毎日700kcal分摂取量削減で10日で効果も得る事が出来るかも知れないが、食欲っていうのは人間の三大欲望の一つ。これをセーブするのは間違いなくストレス、欲求不満がたまる。果てはリバウンドに向かうだけだ。食べる量は基本的にはキープして運動するのが一番。それ故に、運動で1kgを落とすには7000kcalの消費。普通に考えると2週間~1ヶ月程度は必要だろう。

 しかし、人間の体重っていうのは水分の出入りだけで相当に変動するのも確か。実際には±1kg程度は軽く変動するもの。それ故に、1kgが増える、減るっていうのは判りにくく、その傾向を掴むには最低でも2ヶ月程度の取り組みは必要だろう。これが本質だが、ブームに走る人は長くても2ヶ月持たない。これではダイエットは成功しないのである。

 仮に、2ヶ月で20kgのような過激な効果を期待するならば、1ヶ月で10kg、1週間で2.5kgのダイエットだ。2.5kgの脂肪=2.5×7000=17500kcalのカロリー消費である。毎日2500kcal以上の運動が必要。2500kcalの運動は?、、、、、そう、毎日ハードに二時間ずつ泳ぐというもの。こういう努力の上に高速ダイエットは成立するのである。
 そもそも摂取制限で毎日2500kcalをカットしようにも、それだけ食っていなければ不可能であり、確実に2500kcal分を減らすには運動以外有り得ないのである。

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今更ながらDAHONの改造

 DAHONって折り畳み自転車は随分メジャーのようだ。
 本家のDAHONに加え、OEM製品も入れると相当な台数が市場に溢れているようだ。

 そんなDAHONが他の安価な折り畳み自転車と大きく異なる所はどこか?っていうと、自転車改造マニアの格好の餌と為っている点。勿論、他の自転車だって似たような事は出来るのだろうけど、何故だかマニアはDAHONを選ぶ。

 その理由は定かではない。アメリカンブランドのためか?或いは、ラインナップの中に基本構造は同じながらも高価で高性能を謳うグレードが存在しているためだろうか?あるいは、他の自転車と違い、改造する場合には改造し辛い制約が多いためだろうか?勿論、本来的な折り畳み性能の高さや、走行性能の高さもあるだろうけど、実際、何が改造マニアの改造心を擽る最大のポイントか?っていうと、多くありすぎて判らないのである。

 そんなDAHONの改造で多くのユーザーが関心を持っているのは、

1.フロントのW化による多段化
2.ポスト構造のなんちゃってアヘッド化、ドロップ化、ブルホーン化によるポジション変更
3.ホイールサイズの451サイズ化
4.極一部にあるリアハブのインテゴ化による多段化

 ってところ。
 しかし、世界中のユーザーのマニア心によって、どのテーマも既に完成形となっている。
 フロントのW化っていうと、DAHONの正規ラインナップの中に、Mu EXとかビデスP16ってグレードが登場し直付け台座装備のフレームも登場しているし、台湾製ながらも後付メカ台座も登場しており、金さえ掛ければ簡単に出来るようになっている。このような既成パーツ、完成車の登場前は台座というと自作台座、或いは、直付け小物の溶接といった難易度の高い方法が必須だったけど、今や誰でも出来るようになっている。但し、小径車の場合、チェーンステーとシートポストの角度がフルサイズとは異なっており、チェーンラインとFメカケージの角度がフルサイズとは大きく異なり併せにくい。それ故に、使う歯数に応じてFメカのセットバックとトリム調整が必要だが、そこまで可能とする台座は自分で作った台座以外で見た事がない。

 なんちゃってアヘッド化によるステム追加とハンドル変更も極普通に行われている。これによって折り畳み小径車ながら前傾度の高いポジションのハンドルも選べれるように為っている。しかし、本来ステム~サドル間の距離が長いDAHONでステムを追加するとリーチは相当に長くなる。長すぎるリーチを修正するにはサドルを相当に前方に移動させるけど、そうなるとハンガー位置が相対的に後方になる。結果、相当に前傾度の高いポジションが共用され、さらに、コラム~グリップ迄の距離とコラムオフセットの比が大きく変わり曲がりにくい自転車になったりする。ドロップバーでSTIレバー等を使う場合は、レバー比が会わずトラベルエージェントとか、ショートVブレーキへの換装も必要。少なくとも、STIレバーとVブレーキは引き代も駄目、アウターアジャストもなくなるので結構面倒臭い。

 ホイールサイズの451化は20インチ小径車の走行性向上に効果的とされているが、DAHONで行うとブレーキ周りから相当な変更が必要だ。ホイールサイズの変更自体はフォーク下に余裕があるので簡単だけど、ブレーキをどうするか?が課題。
 04以前のスレッドステムのフレームではフォーク長も長くなく、フロントに関してはホイール変更でフォークのフェンダー穴にショートリーチのキャリパーブレーキがポン付け可能。リアは、57mmリーチのブレーキならフェンダー穴にポン付け可能だけど、02以前の正爪エンド車でホイールベースを伸ばして使う場合は、キャリパーハンガーが必要。このハンガーは自作で製作するか、ピスト車用の後輪ブレーキマウントの流用が必要だ。
 05以降のインテグラルヘッドのフレームでは、フォーク長が長く、フェンダー穴からブレーキは全くリーチが足らない。そのため、前後ともキャリパーハンガーが必要。勿論、前後ともピスト車用ブレーキマウントを使う事も可能。
 しかし、キャリパーハンガーを製作する場合、制動トルクがキャリパー固定軸に作用する力自体は、ハンガー比に応じて大きくなるので、キャリパー本体を固定するには留意が必要だ。

 最後のインテゴ化は、投資効果が薄いため行う人は少ないけど、フロントにWガードが使える等、街乗り時にズボンが巻き込まれないというメリットを維持したままに多段化が出来るので案外重宝。特にストップアンドゴーの多い街中では、内装変速機を駆使して停止状態でもギア比を軽くできるので便利。
 難点は、インテゴのハブが36穴しかないために、406サイズの36穴リムを入手するのが難しいところ。勿論、一穴飛ばしで組む事も可能だが、どうも美しくない。なお、インテゴのハブには4mmのスペーサーが入っているので、これを抜けば簡単にOLD寸法で131mmとなるのでフレームには無理なくはいる。

 そんな所だけど、最大の関心事であるフロントWが誰でも出来るようになったせいか、2005~2006年頃に比べるとマニア集積度は低くなっている感じである。

 何にしろ、DAHONの美点は、簡単にばらけず折り畳めるという機能ではないか?と自分的には思っている。その機能を失わない範囲で自転車を改造するというのを目的とすれば、結構楽しいオモチャである。

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2008年11月 6日 (木)

新広島市民球場の名前

 新しい市民球場の名前は『MAZDA Zoom-Zoom スタジアム 広島』なんだそうだ。

 なんか、安直、長すぎ、微妙って感じ。

 車のフレーズでZoom-Zoomは判るけど、球場にZoom-Zoomはどう?って感じ。それなら、買収して試験場になってる美祢サーキットを『Zoom-Zoomサーキット』という名前で一般開放した方が遙かにマシ。

 球場、カープ、マツダ、広島って伝統と考えると、或る程度の謙虚さと奥ゆかしさがあっても良さそう。勿論、『市民』って名前は入れづらいだろうけど、、、、

 自分的には、『MAZDA TOYO スタジアム 広島』なんて命名の方が良いと思う。
 そもそも、広島東洋カープの東洋は、マツダの前企業名である東洋工業から来ている名称。その名称を未だ球団が掲げている。MAZDAって名前の裏に、東洋工業、東洋コルク工業って歴史がある事を知っている人も少なくなってきたけど、その東洋って名前が頭に残っているのは、広島東洋カープあっての事。

 そう思うと、TOYOスタジアムって語呂の方が格式もあるし、呼びやすいし、よっぽどマシって思うのは自分だけだろうか?

 Zoom-Zoomは美祢サーキットをリニューアル開放オープンでサーキット名称の冠に使って欲しいところ。

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コーヒーの効能

 ブラックコーヒーというと、健康に対する効果が色々と言われてきた。
 最新のニュースでは、脂肪肝を予防する効果があるという。チョット前には、子宮体ガンリスクも抑えるとか、、、

 そんなコーヒーの効能の筆頭は何か?っていうと、眠気覚ましが一番で、カフェインによる効果っていうのは良く言われている事。
 ダイエットや健康関連で言うと、コーヒーはエネルギー消費を促進する効果があるとか、老化防止、癌発生リスク低減という効果もあるという。他にも、糖尿病抑制、動脈硬化抑制等々もあるそうだ。

 この内、今関心が高いのは癌発生リスク低減効果だが、これはコーヒー中の『クロロゲン酸』による効果らしい。この物質は、コーヒー豆中でカフェインよりも圧倒的に大量に含まれている物質である。
 話しが戻るけど、コーヒー中の老化防止物質っていうのは、抗酸化物質であり、これがクロロゲン酸等のポリフェノールの事なんだそうだ。

 但し、コーヒーは煮立てたり、入れて数時間経過したりすると明らかに味が落ちる。この味の落ちたコーヒーを通常は酸化したコーヒーと呼ぶ。この酸化したコーヒーには、先の効能は殆ど無いので注意が必要だ。

 勿論、コーヒーは身体によい!っていっても、砂糖やミルクが大量に入った缶コーヒーでは、コーヒーの効能以上に砂糖や脂肪の影響の方が遙かに大きいので注意が必要だ。

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天国から地獄って言っても人それぞれだ。

 昨日からメディアを賑わせているのが、小室ファミリー率いる小室哲哉氏。生涯収入が97億円とも言われ90年代を席巻した人だが、最新の報道では預金残高が6259円程という話しもある。
 このように天国から地獄に!って人は、ライブドアの元社長の堀江貴文氏、防衛事務次官の守屋武昌氏、、、、天国から地獄に!でも地獄の丁目に差があって、犯罪に手を染める前で踏みとどまる人、一線を越えて犯罪に手を染めてしまう人とあるようだ。
 但し、犯罪に手を染めるとは行っても、天国の状況で繁栄を謳歌している段階で際限なき欲望を満たすために犯罪を犯す場合と、地獄に陥った後で身動き取れない雁字搦めの状況で犯罪に手を出してしまう場合とがあるようだ。

 そう考えると、堀江氏、守谷氏と小室氏は微妙に立ち位置が違うようにも思える。勿論、頂点だった時代にどの様に過ごしたか?知らないし、最終的に司法の場で裁かれる結果を待たずしての批判的なコメントは行わないが、少なくとも、活動期において時代の支持を得て財を成す価値を生み出す能力があった事は事実であり、その価値も堀江氏のような時価総額的な実体の無い物とは違い、音楽という実質的な物を生み出したのは間違いの無い事実である。

 今現在の借金が10億とも15億とも言われているが、生涯年収で100億円に迫り、年収で20億円を超えた時代があったのも事実。
 詐欺行為によって他人の財産を搾取しようとしたのは決して許されるものでは無いが、無から価値を生み出す能力はある筈。メディアで贅沢三昧が抜けきらなかった事を嘲笑する記事も散見されるが、人間誰しもバブリーな状況に置かれると変質するのでは?とも思うと、贅沢三昧で自分が見抜けなくなった事を愚かと簡単に言い切るのも難しい。
 少なくとも、仮に、今手元に数億円が転がり込んでも、自分の生活も変質し、考え方、金の使い方も変わらないとは言い切れない。

 司法の場で裁かれ、一切をリセットしても、間違いなく才能はある筈であり、なんとなく応援したくなるのは間違いだろうか?
 犯罪行為はNGだが、才能を駆使して価値を生み出す力っていうのは、その部分では尊敬に価するし、価値を生み出す事を端から考えていない人よりは遙かに魅力的だと思うのである。

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正しい血圧測定

 血圧測定を行う。個人で行う場合は、勤務先に備え付けの『健太郎』って自動測定器で行っているのだが、血圧数値っていうのは結構ばらつきやすく、正確に測定することが重要である。今、心掛けているのは、、、

1.上着を脱ぐ。袖が腕を圧迫しないようにたくり上げるか、袖を抜く。地肌で測定する。
2.測定ポイントは肘ではなく上腕部。
3.測定中に会話等はしない。測定前に数分間の安静を保つ。
4.忘れがちなポイントだけどベルトで腰を圧迫させない。

ってところ。で、血圧の変動の様子を確認すると、、、

A.移動直後の測定では15%程度数値が高くなる。
B.冬季の気温の低い時期は血圧数値が5~10%高くなり、心拍数は同程度低下する。
C.上着の上から測定すると血圧数値が5~10%高く計測される。
D.起床直後の時間帯の方が血圧数値は高めに出る。

ってところ。

 計測方法、前後の運動状態、気温、時間帯、衣服、精神状態等によって随分と上下に変動するのが血圧数値。特に、怒ったりした後は、40%も上昇する事がある。測定結果を以て、高血圧とかの話しを聞くけど、その判定しきい値を挟んで上下に変動すると、場合によっては高血圧気味と診断されたりしかねない。それでは無意味である。
 正しい血圧測定は、毎日の定時測定が大事。繰り返す程に測定状態も一様になる。そうする事で健康状態を把握する。何事も繰り返し、継続することが大事である。

 日々の血圧測定を始めて大方一年になる。毎日測っていると、仮に瞬間的に高い数値を示す事があっても、その変動要因が上述のような影響をうけ、変動が何%ということも判っていれば、じたばたする事も無い。
 健康診断での瞬時値測定のみで判定すると、不安になる人もいるかもしれないが、こうやって毎日測る習慣があれば、そういう悩みも無い訳だ。

 血圧、体重、体脂肪率、、、、この辺りは毎日測定できるもの。これを、レコーディングダイエットではないけど、日々の食事、運動と併せて記録していくと、己の体調変化も把握しやすいものである。お奨めだ。

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2008年11月 5日 (水)

SX4?SXForce?、、、遊びすぎ

 エリオの代替えと期待していた、、、、SX4。
 既に登場から随分経つけどMCも無い。エリオ以上にやる気の無さが見える。

 三ナンバーで全長短い。思ったより狭い。って事で駄目なのか?

 そんなSX4だが、海外では好調らしいけど、エリオ以上か?っていうと不明だが、秋のニューモデルシーズンになって怪しいショーカーが展示されている。

 一台は、バイクGSX-R1000とのコラボレーション?で↓

http://response.jp/issue/2008/1031/article115844_1.html

 であるけど、セダンベースに単車的エッセンスの笑い系だ。まぁ、米国スズキの出展ということで本来のSX4とは関係無いだろうけど、一応はターボチャージドの2Lエンジンという。

で、もう一台は比較的真面目?かと思えるモノで↓

http://response.jp/issue/2008/1104/article115921_1.html

である。ウ~ン、、、、ってところ。今更、2Lで4WDっていうのも近々のWRCレギュレーション変更では無意味かも、、、、

 やはり、SX4ならば2LでFFでスーパー2000風ベースモデルの方が良さそう。小型ボディを最大限活かすFF軽量仕様で6MTクロス仕様って方を期待したりするのだけど、MCの延び具合から見ると、実際売れていないし、相当に厳しいんだろうなぁ、、、、

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難易度比較

 月曜日は、朝っぱらにラングスターでCR走行とヒルクライムを終えて、幼稚園の作品展とバザーに出向き、帰ってからは単車三昧であった。
 乗った単車は、SV650S、CX怪、ガンマ500、ガンマ200である。最近は体重も65kg前後で静定し、体脂肪率も10~12%で安定しているが、そんな身体で4ストバイクを峠で振り回すと、身体が軽い軽い。最高である。下りの峠で下半身だけで上体を支え、ブレーキングポイント迄に減速する過程においても上体の荷重がハンドル周りに集中する事は無いのでブレーキングも超楽珍。下りであっても、ブレーキングしてカットインしてアクセルオープンで腹の臍下に力を入れて腰でトラクションを感じながら立ち上がる。意のままって感じ。
 そうやってSV、CXで遊んだ後に500ガンマで出る。上り勾配であっても質量感も無く、飛ぶように加速する。パワーバンド内では勾配なんぞ意識しない程だが、これも下半身で上体を支える運転では単車の動きは凄く素直。
 単車の操作では、下半身の強さ、腹筋、背筋での上体保持が如何に効果的が良く判る。

 さて、最後がガンマの200、、、、、、、久々なんだが、、、、、、エンジンが掛からない。バッテリーが上がってもキックを装着しているんで掛かるはず、、、、、でも掛からない。キック100発、押し掛けチャレンジ、、、、、掛からない。脹ら脛パンパン、土踏まず、痛すぎ、、、、で、断念。

 その夜、ローラー台は辞めようかな?と思いつつも、取り敢えず乗ってみると、脹ら脛の痛み、足裏の痛み、、、、全く関係ない。

 ほ~っ!キック始動で痛めた筋肉はペダリングには関係ないんだ!って思いつつも、風呂に入って、寝て、起きる。

 足の痛みは何処かに行った模様。もしかしたら、ローラー台の時には回復していのか?

 ところで、月曜日は一応ガンマ200は充電して、火曜日早朝に早起きして出掛けてみようとエンジンを掛けると、、、、一発始動。なんだ、バッテリーか?って具合。

 バイクでは、腹筋、背筋、下半身の強さ、そして、力は瞬間的にワッと力を入れて身体を支えながらも、或る部分は力を入れないという感じ。筋力、体力的には自転車の比では無い模様。自転車では筋肉を使っているようで使っていない。殆ど、呼吸器官を働かせる感じ。印象とは大きく違う。単車で下りのコーナーを攻める。意図的に滑らせる時なんぞは、殆ど無呼吸状態だ。時折、毛穴が開く感じもある。全身の緊張度が高まる瞬間があるけど、自転車では無い。

 思うに、どちらが常人から懸け離れる度合が大きいか?っていうと、印象的には自転車かもしれないが、本気モードでは間違いなく単車。それは、内在する恐怖の度合に差があるためだろうか?自転車っていうのは、基本的に生温い感じだ。

 使う筋肉も、難易度も全く違うけど、難儀なのは間違いなく単車のようだ。鍛えれば何とかなるのは自転車。鍛えようにもどうにもならないのが単車。単車の世界は筋力云々よりも、対応の速さ、反射神経、慣れの部分が非常に大きい。感覚を磨くのが何よりも重要で、その感覚は恐さを意識する前の熱中度が高い時期にしか身に付かない。それを逃すと一生手に入れる事は出来ないかも知れない。そういう世界を知って身に付けるっていうのは、金では買えない財産みたいなもの。
 まぁ、自転車でも身体能力は成長期に成長させる程に能力が上がるのは同様だけど、その時期に高めたというか身に付けた感覚、能力は、単車の場合は、殆ど失われる事がない。そんな感じだ。

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2008年11月 4日 (火)

課長(社長)島耕作が現実に?

 チョット小話。
 社長 島耕作のストーリーの中では、主人公の勤める初芝電産と五洋電器が合併してHGホールディングスって会社が登場してたけど、初芝電産のモデルである松下電器産業(パナソニック株式会社)と三洋電機が合併するって話が現実に起きた。

 ビックリである。

 この漫画、大学時代に課長島耕作が発刊されていたけど、その後、部長、専務、ヤングと色んな時代背景に併せて主人公の生き様が漫画にされており、そのストーリーは現実に強く影響を受けている印象があったけど、まさか、現実を先行するとは、、、、、

 ここ数日で一番驚いた出来事だ。

 今後は知らないが、有り得ないとは思うけど、漫画の世界を現実が後追いし始めると、都市伝説になるのかなぁ?と思ったりする。

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ペダルを固定すると、、、、

 固定シングルとか、DHバーが付いたロードとか、そんなハードな自転車っていうと、乗った時点でその気?に為りがちである。
 でも、そういう気に起こさせない自転車もある。

 ガンガン踏んで走るのも楽しいといえば楽しいけれど、何て言うか、緩く、チョット漕いでは惰性で走るって自転車も楽しい。っていうか、そっちの方が楽しいなぁって思うところ。

 我が家でいうなら、ルイガノMVF、531ロードとか、或いは、スピママとか、、、

 この違いは何か?っていうのを考えると、車輪のサイズでも無い。DHバーは関係あるかも、、、って思うのだが、良く考えてみると、足とペダルを固定するか?って部分のようだ。
 我が家にはビンディングペダル装備の車両は無いけれど、昔ながらのトークリップ付きの自転車はある。このクリップをペダルに付けると、つい、漕いでしまうのである。逆に、ペダルにクリップが無いと気分が緩む感じなのだ。

 足下で気合いの入り方が変わるようだ。

 そういえば、単車でもブーツを履いて乗ると気合いが入る。

 足っていうのは、二輪車では気持ちへの影響度が高いのであろうか?

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2008年11月 3日 (月)

流行りの自転車

 自転車ブームって言われて久しい。そんなブームの中でも最近はロードバイクブームなんだそうだ。たしかに、ロードレーサーがとても多い。身近にも自転車とは無縁だったような人がロードレーサーを気軽に買ってる。
 ニシダサイクルさんでも最近新たにっていうか、初めてのスポーツサイクルって事でロードレーサーを買われる方が多いそうだ。

 でも、ロードレーサーっていうのは、本来、ロードレース用の機材であり、なんていうか普通の自転車とは違うように思うのである。

 さて、そんなロードレーサーだけど、そんなバイクで素人さんに大受けなのがアメリカンブランドである。結構レーシーで格好良いし、見る程に無茶な!って思うのだけど、カタログ文言には、素人でも楽に乗れるとか書いてある。

 ホントにそうか?って何時も思うのである。

 その根拠は、、、、、、やっぱりギア比に尽きるのである。

 ギア比を構成するパーツを見ると、前はアウターが52Tとか小さくても50Tが殆ど。トリプルの場合でインナーは30Tが有る場合も、、、で、後ろはトップが11Tか12T、ローが25T程度である。
 まぁ、インナーとローの組み合わせで2.5m程、アウタートップで9mオーバーも有りだ。
 確かに、ママチャリ級の4.5mってギア比も存在するには存在するけど、絶対に踏んでは為らないギアが付いているのが腑に落ちない。7m以上のギアは殆ど不要っていうか、使うと身体(膝)壊すだろうと思う程。親切というか初心者用っていうならば、重くても6.5m程に留めておくのがメーカーの良心ではないだろうか?と思うのである。

 安価なグレードでフロントトリプル、リア9段の合計27段でも不要なギアをカットすると使える段数は相当に減りそう。
 一方で、インナー30Tでもローが25Tで2.5mでは重く感じる人も居そう。自転車経験の浅い人なら2mほどのギアがある方が実利的とも言う。

 何故にそうか?っていうと、メーカーのコンポの構成がそう。レーシングコンポならいざ知らず、入門グレードでも歯数構成的にはレーシングコンポと殆ど変わらないのが不可解である。レーシングコンポっていうのは、本来バリバリの競技者が踏む構成。で、UCIの規則でジュニア競技者にはロールアウトの制限を付けているが、それようがジュニアカセットだ。でもジュニアカセットっていっても少年競技者用であり、メタボオッサン、ブームに流された人でも厳しい程の筈。
 DURA-ACEがレーシングコンポ、アルテグラがジュニアカセットということで少年競技者向けコンポもラインナップってことなら、105、TIAGRA、SORAっていうのはメタボカセットとかオヤジカセットという名目の歯数構成を準備するのがメーカーの良心ではないか?と思うのである。

 実際、自転車屋さんで初めてロードを買われた方の中には、標準の歯数構成が踏めないということで、ローに27TのあるCSに付け替えたとか、、、、未だ、賢明である。
 なんだか、最近、ブームで乗る人が、レーシングコンポ装備のグレードを財力にモノを言わせ買うのは否定しないけど、身体だけは大事にして貰いたいと思う。
 健康のために自転車に乗って、怪我するっていうのは情けない。内科療法目的で乗って外科処置が必要になった!っていうと、笑うに笑えない。

 諄い程何度も記事にしているけど、一番重いギアでも一漕ぎ6.5m程にするのが良心的というか、実際使いやすい。それには、前50Tならトップは15T以上にしたいし、トップ14Tなら前は46T程度だ。それでも、相当な速度が出る。そういうモンである。

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自転車雑誌

 最近は自転車ブームってこともあって色んな雑紙がリリースされている。
 雑紙ネタ的には、、、、

1.ニューモデル、ニューパーツ、装備類の紹介とインプレッション
2.速く快適に乗れる乗車テクニックと機材セッティング
3.社会派調のモラル啓蒙

 ってところだろうか?

 この三本柱の内、最初の二本が読者の食いつきを良くするテーマなのだろうか?延々と毎年、同じ表題の特集が組まれたりしている。

 この論法から言うと、高性能の機材と装備を纏い、テクニックとセッティングが出来れば、、、、雑紙的には速く?走れるというストーリーだろう。それに騙される?のが読者って構図のように見えるのは辛口だろうか?
 似たような内容が、毎年、毎号、各雑誌で飽きもせず記事となる。それでも売れる、、、、これは、何を意味するか?っていうと、読んでも結局、何の役にも立っていないって事?単車の雑誌でも峠マスターなんてあるけど、見ても何の役にも立たない事が殆どだ。

 乗車テクニックなんてを頭で覚えて何になる?個人の特徴を超越した万能セッティングって何だ?って印象だ。勿論、雑紙等によると紹介された事実は、最初の一歩としてという言葉があって、最後には乗り手が良いところを見つけていくものだ!と締めくくる場合が多いけど、一番大事なのは、乗り手が良い!と判断する基準が何か?という事だ。
 乗り手が判断する項目は乗り手次第であり、判断とは、即ち、目的であり、乗り手の目的、が本心の部分で本人が理解していなければ無意味。
 雑紙の紹介記事とか、盲目的に影響される人なんかにとっては、他人の例なんぞは、全くの無意味どころか、百害あって一理無しではないだろうか?

 思うに、雑紙の論調における高性能パーツ、高性能バイクの紹介では、サイクリストがそれらを使いこなすレベルのあるという前提の話しであり、それを使いこなすレベルについて提言されている事は皆無。
 テクニックやセッティングは、その目的が何かをすっ飛ばして講釈が述べられている事が殆ど。大抵が熟練者と素人の違いを対比し、その違いが結果の違いを生んでいるかのような比較記事に終始している。

 精通度、身体能力、年齢等々に併せた個人の固有限界が最初にありきであり、そのレベルで選ぶべき機材が何か?がホントは最初に言われる事だと思う。昔は、単車も自転車も雑誌には結構ステップアップの重要性が説かれており、その段階に沿って何を掴むべしってモノが多かったけど、最近は、先ずは機材を揃えよう!この機材は凄いぞ!ってノリから入っているように見える。この辺が時代の変化を感じるところ。

 良いと言われている機材やセッティングに盲目的に従っても意味を理解しなければ結果は生まれない。人がどうしているか?よりも、自分がどうしたいか?自分を活かすには何が良いか?を考える事自体が大事なように思う。

 これは、単車でもそうだし、水泳でもそうだ。純粋に科目としてのスポーツと捉えれば論理が先に来る筈で、その論理を理解して実践する事が本来のスポーツだと思うのだ。論理を超越してAs you like!(好みのままに!)って考え方の時点で、それは本来の科目としてのスポーツとは異なるものである。水泳の場合は兎も角、単車や自転車っていうのを、機材スポーツであり、道具はスポーツ機材として考えれば、上述のような思考が必要である。
 しかし、これをスポーツ機材というのとは異なり、ブランド収集趣味的な付き合いの場合は、その限りでは無いだろう。ただ、そういう収集趣味的な付き合い方でありながら、勘違いして、高級機材=速さと勘違いする人が居るのは、単車、自転車、自動車の共通点でもある。

 しかし、小難しい事を言うと人が集まらないのも真実で、取り敢えず人を集めるには?っていうと、最近の敷居の低い表面的な雑誌の方が好都合で、その影響力が更に人を集めているのだろう。でも、そうやって数だけ揃えてムーブメントを盛り上げるっていうのは、ブームを一過性にしかねない。
 それにしても、最近の雑誌の影響力は凄いと関心しきり。

 雑誌の影響力といえば、地元の自転車屋さんの飛び込みチェックみたいな記事が雑誌(Bicycle Navi)に掲載されていた。昔、本通りの端に店舗を構えて広島大学自転車部が出入りしていた店は物凄く評判良く書かれていた反面、祇園新道沿いに道路計画で200mほど北に移転して店舗を新調された店が滅茶苦茶な悪評で書かれていた。
 雑誌っていうのは、その店名を名指しで批評するのは自由だが、その影響力を自覚すべしだろうと思うし、雑誌の評判という一方通行的な記事を盲目的に信じて自身の目で見ずして悪評を信じる読者が居るという事を理解すべきだ。批判する時に名指しとするならば、少なくとも、一方通行の意見は卑怯だ。見方、立場が違えば意見も異なる。批判するならば、対象のショップの言い分も公正に掲載してこそ公平と思うのである。

 この祇園新道沿いで昔新装オープンした店は、雑誌が言う程酷い店でない。大昔の学生時代の自転車趣味時代には結構お世話になっており、店主、奥さん、二代目の息子さんとも良い人だと思う。

 ふと、そんな事を書いたのは、9月の終わりにホームコースを走って最後の信号待ちで古いロードに乗られた方に話しかけられたけど、その方が、先の店の店主が急に元気が無くなったようだけど、原因はご存じ?って言われたが、ふと、同じ時期に発売された雑誌の記事がオーバーラップしたりしたのである。客商売故に、雑誌の批判は結構なダメージに繋がると思うけど、その辺の影響も雑誌の執筆者は自覚すべきだろう。

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2008年11月 2日 (日)

新興ブランド

 最近というか、やっぱり馴染めないのが表題の新興ブランドのロードバイク。
 確かに、クラッシックレースでも活躍し、プロの競技者も使って居るんだろうけど、最近の流行のバイクは馴染めない。

 どうしても、BS、パナソニックといった国産ブランド、或いは、ピストフレームではデフォルトなビルダーの方が良いなぁと思ってしまう。

 新興ブランドの特徴っていうと、如何にも的な新素材アピール、それによる軽量設計のアピール。新素材といっても殆どがCFRPというカーボン繊維強化プラスチックのカーボンって言葉の先行イメージが殆ど。それに派手は配色、シマノ或いはカンパの高級コンポで、ハイ!出来上がりって印象。
 印象的に、完全に乗り手に誂えた工芸品というよりも大量生産による工業製品であり、スペックは素晴らしくてもアングロサクソン体型の標準の金型で大量生産するというもので、痒いところに手が届くという細やかさは一切存在しない印象。それ故に、販売におけるアピールポイントは煌びやかなスペックを踊らさざるを得ないようにしか見えない。

 どれもが画一的な印象で、出来上がったモノに差異っていうのが極めて見えにくい。ブランドの特徴っていう部分が極めて希薄な感じ。

 自転車におけるオーダーでは、ミリ単位の指定が可能であり、その意味は兎も角、そういう要求があるからこそ、そういうブランドが生き残っている訳であり、その部分にこそ、快適な自転車という本質が潜んでいると思うのは考えすぎだろうか?その本質は正しくテーラーメイドであり、画一的なカタログ表現が出来ない世界だが、100gの軽さよりも5mmと違わないフィット感こそが重要だと思うのである。大抵は、可動範囲で調整可能だが、人種の違いによる基本スケルトンの違いを乗り手に合わせる際の排除すべき妥協は、少なくとも、標準日本人併せたモノの方が少ない筈だ。

 軽いのは、確かに上り坂では有効かもしれないが、その数値的なメリットを覆す程の受け入れざるを得ない妥協がスケルトンに潜んでいるように見える。胴長、短足、短い手ってパッケージの乗り手からみると、シート寝すぎ、ステム遠すぎ、ハンドル低すぎって印象が否めない。あそこまで低いなら、もっと前に乗って、もっと近くないと、、、、っていうのが個人的な見解。
 体型的に、胴が長く、腕が短いのは、サドルを基準に考えると、サドルから胴の長さの分、肩が上方に位置し、其処から短い腕でハンドルを持つと、ハンドルは高め。
 逆に、胴が短く、腕が長いのは、サドルから見て肩は高くない訳で、長い腕があるとハンドルはサドルから低めとなる筈。そういうパッケージの新興ブランドの標準設定は欧米人向きとも見えるのは考え過ぎか?

 アレ系に胴長腕短の日本人が乗った様がカッコイイんだろうか?確かに、新興ブランドというか、最近のスローピングデザイン+アヘッド構成のバイクは、カタログ写真が全部あんな風貌。とてつもなく違和感を感じるのだが、街走ってるバイクはそういうのが殆ど。
 少なくとも、国内ブランド、国内ビルダーが主流だった1980年前後のロードバイクは、基本的にステムハイトとサドルトップは面一~落差5cmが基本だったけど、現代は落差10cmは当たり前、下手すると20cm近いのも見られる。
 やっぱりこれは四肢が長いアングロサクソン向けのポジションでないの?って思う程。ペダリング時における骨盤~背骨の角度は基本は人種差は無いけど、腕の長さの分、ハンドルが低いの都合がよいのがアングロサクソン系向けバイクの特徴かと思うのだ。

 現代のロードバイクのトレンドを遡ると、現在のアヘッド構造はMTBから流れてきた構造。MTBというとアメリカンスタイルだ。アングロサクソン系の人間、或いは、前乗りが具合良いトライアスロンバイクでは体型的、或いは乗り方的にハンドルバーは低い位置が都合が良いのは理解出来る。だから彼らのために、アメリカンブランドからアヘッド構造でヘッドパイプ直上部にステムが配置されたサドルから落差のあるポジションが生まれたと言うのは、彼らにとっては必然とも言えるし、そのフォームが受け入れられるならば、構造的にもシンプルで高剛性が維持できるという点でも一石二丁の効果がある。新興ブランド=アメリカンブランドだが、元はといえば、欧米人のためのモノ。それが何故だか国内を席巻したのが今の状況では無いだろうか?

 個人的な見解では、トップ長が長く、シート角が寝気味、ステムもソコソコ長いとなると、リーチが相当長くなる。それで落差が大きいと背骨は相当傾きそう。シート角的にも脚は相当辛そう。腰が痛くなるような印象が強いのだ。基本は身体を沈め、身体の中心部は真っ直ぐ立てるのがセオリー、身体の中心部より上が徐々にアーチを描くのが理想で、その状態で手を下ろした所がハンドル位置。だから、バーから手を離しても腹筋だけで余裕で上体が支えられるのが必須だが、そういうポジション以外では少なくとも自分は乗れない。
 普通に言う前乗りっていうのもクランクを中心に身体全体が前方に回転移動しているモノであり、重心が前に乗る分、常に漕ぎ続けるというのが前提。それ故に固定ギアバイクでのポジションが前乗り気味、シートアングル立ち気味が前提で、見た目的なハンドルとサドルの落差が取れるというものだ。
 つまりは、通常握りが下ハン位置のピストバイクではサドル座面とグリップの落差も大きいけど、落差以外の要素は新興ブランドのそれと全く異なっている。それ故に、等価に語れないし、ピストバイクでさえ、あの乗り方が成立するのは、乗り手あって(回転力を持ち、回転の脈動が少ないから姿勢がぶれない、前傾した姿勢でも上半身で身体の芯が支えれる)のモノの筈。

 新興ブランドに対してそういう見方は偏見かもしれないが、同じハデハデ自転車でも、デローザとか、メルクスとか、コルナゴ、ビアンキといった欧州車系とかアンカーブランドとかPOS車に乗っている人の方が普通に見える。

 大昔の段階でショップ勤めをしていた自分の目で感じるのは、ベテラン=オーダーの時代っていうのは、自転車について非常に詳しく年季の入った店主が必須であり、その店主とスケルトンを決めるっていうのが本来のハイエンドという印象で、店構えも泥臭い自転車店って印象だが、新興ブランドの取り扱い店っていうのは、綺麗なショーケースにパーツとバイクを飾りブティックのような店構えで、何だかなぁ?って思うのである。
 確かに、洒落て小綺麗かもしれないが、なんか表面的過ぎて違うような気がするのである。表面的って言葉の意味は、新興ブランド高級車+カッコイイ装備の勘違い系の交通法規の放棄走行とか、公道における集団並列走行を当然とするとか、他の自転車への挑発行動が目に付くからだ。公道を走る意味を理解し法規やマナーを遵守するのは、最低限、表面的と思われない行動への第一歩の筈だが、群れて我がモノ顔の運転をする事自体、表面的な格好良さだけを追い求めているような証明とも言える。

 まぁ、新興ブランドに乗ってる人からみれば大きなお世話かも知れないが、そのブランドに対する悪印象を持つに到った理由はそういうところにも存在する。

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2008年11月 1日 (土)

体脂肪率の推算迄にも関心を持つ気持ちとは?

 タニタのヘルスメーターには体脂肪率が測定できる。
 体脂肪率の測定っていうと、身体に微弱な電流を流し抵抗値を測定して求めるようだが、それ以外の方法でも簡易的に求める事が出来る。勿論、それ以外にも体密度測定等もあるけど、一番簡単なのは皮脂厚を測って求めるもの。その方法は、身長、体重、身体の何カ所かにおける脂肪厚さの測定値を求めて推算するものだが、その内、有名なのがキャリパー法って手法だ。

まずは、

体表面積[cm2]=72.46×身長^0.725×体重^0.425

で、体表面積を求め、

これは、身長、体重と脂肪厚さの測定を二箇所行い求めるもの。
最初に脂肪厚さを求めるのは次の箇所
・上腕背部でのミリ数値
 (肩峰突起と肘頭との中間点を腕の方向と平行につまむ)
・肩甲骨下部でのミリ数値
 (肩甲骨下端の真下を脊柱に向かって45°上の方向につまむ)

此処までの二点の場合を二点法、これに加え
・腹部でのミリ数値
 (へその横を縦につまむ)

これを加えたのが三点法、

ここの脂肪厚さで、(X)を求める。
(X)=(皮脂厚合計[mm]×体表面積[cm2]÷10000÷体重[kg]×100)

この数値を計測し、キャリパー法の式に代入して求めるもの

身体密度(D)=1.0923-0.000514×(X)・・・・二点法の場合
身体密度(D)=1.0935-0.000297×(X)・・・・三点法の場合

体脂肪率(%)=(4.570/D-4.142)×100

というモノ。これらの方法では、つまむ箇所が多い程精度が高いとも言うけど、実は、多い程誤差も含みやすい。それで、二点か三点が良い具合とも言われているようだ。

それにしても、皮脂厚からは皮下脂肪から脂肪率を推算するので内臓脂肪の区別はどうか?という疑問もある。これは、水中体重、電気抵抗(生体電気インピーダンス)による方法でも同様だ。

因みに脂肪は不要なものではなく、過剰にありすぎるとマズイというモノ。脂肪は、体温の維持、外部から衝撃を受けた時の緩衝材の役割を持つ。そして人間の体に最低限必要なのが必須脂肪だ。そして、その量は女性では12%、男性では3%前後と言われている。

 この数値を聞くと、そこまで絞れるか?と思うし、更に調べて標準の体脂肪率を見ると

 男性で30歳未満は適正が14~20%、30歳以上が17~23%、肥満は共に25%以上とのこと。女性は30歳未満で17~24%、30歳以上で20~27%、肥満は30%以上とのことだが、そんな標準に入っている人って居ないのでは?とも思う。標準っていうのは、平均とは違い理想的な数値を指しているのだ。

 タニタの体脂肪率計で測定すると、今現在は10%程度、キャリパー法で計算しても同じくらい。多分、その辺の数値なんだろう。この状態は既に3年程度維持している。その間の運動っていうと、相当な量だとも思う。それでも、最低脂肪率は過去でも9%程度。ホントに3%とか行くのだろうか?チョイ、疑問。

 なお、体脂肪率が30%オーバーの時期もあったのだが、その時の最高体重が88.5kgである。昔のテレビで『池中玄太80kg』って番組があったけど、80kgがデブの象徴って思っていたのを遙かに通り越し90kgに迫っていたのだが、それから見ると24kgの減量だ。
で、今、娘の体重が19kg、息子が体重が10kg程度、併せて29kg。一寸前に二人を抱き上げて重さを実感したのだが、その重さが常に掛かっていたのが僅か3年前の事。この減量した24kgが体脂肪率で20%に相当する量でもあったのか?と思うと感慨深いモノである。

 それにしても最近は、完全に健康マニア状態だ。健康で無ければ駄目である。成人病、生活習慣病に為らないには、健康でパワフルな肉体を維持するに限るのである。生活習慣病になると、糖尿病、脳梗塞、心筋梗塞、高血圧というようなジワジワくる疾病リスクにも犯される。それに呼吸器系の癌、腫瘍、消化器系の癌、腫瘍、ポリープのような致命的かつ致死性の高い疾病の発生要因となる。そうなってからは手遅れである。そういうのを促進させるような、飲酒週間、喫煙習慣、ジャンクフード等お手軽食品摂取習慣、サプリ依存も怖い。
 金よりも、名誉よりも、何よりも必要なのは健康である。健康を保つためには、やはりパワフルな肉体である。極論すれば、元気な身体さえあれば、他はどうでも良いようにも思う。健康を望むのは、不老不死?を望む気持ちなのかもしれない。

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筋肉の増殖、分裂、肥大

 木曜日のテレビで世界のビックリキッズを番組で紹介していたけど、ビックリしたのが子供のボディビルダーの紹介。
 なんと、2歳から筋トレして幼児期にベンチプレスで95kgfを挙げるという。凄すぎである。
 子供の体型は?っていうと、顔こそは幼いけど3歳で既に腹筋が割れて、4歳以降となると、完全に大人と同じ様なプロポーション。大人のボディビルダーと何ら違いが無いほど。
 何でも、ボディビルダーの父親の影響?育児?での結果ということ。このお子さんは、プロテインのイメージキャラクターを勤め、今は俳優活動をしているとの事。

 その驚きの理由は、幼児期からの筋トレで、そこまでも一般から懸け離れる身体が手に入るということだが、言ってみれば筋肉が其処まで鍛えられるということ。

 そんな筋肉だけど、筋肉には表題の如く、増殖、分裂、肥大がある筈だ。増殖っていうのは、成長と共に細胞数が増えていく事だろうし、分裂というのは生きている限り行われる細胞単位の更新(総数は変化しない)、肥大っていうのは細胞の単体が肥る事である。

 で、色んな情報を見ても結論には到らないけど、一般論的に成長の終わった成人向けの情報では、筋断面積の拡大(筋肉の強化)は、筋細胞の肥大によるものという結論が多数派を締めている。しかし、筋細胞の増殖については、これらの情報の殆どでは否定的な意見が多数を占めている。
 成長が停止して移行については、その通りだろうけど、成長期においては身体の大きさが飛躍的に変化する時期であり、その間は筋細胞に限らず、全ての細胞は増殖しているのも真実である。その増殖の限度というのは、恐らくは個人差があり、その限度値というのは遺伝子によって定められているとは思うが、全ての個体が、その限度値迄細胞増殖するとは限らないだろう。
 筋細胞の増殖の限度値の有無は兎も角、絶対的な増殖数の多少は何に影響を受けているか?というと、増殖過程における筋細胞の各種の刺激によるものと言える。その各種の刺激によって筋細胞の肥大、増殖を支配する分泌物質が調節されるという。

 詳細は、専門のサイトに委ねるとして、成長期における筋細胞への刺激が、成長過程における筋細胞の増殖に一定の影響を与えてるのは間違いの無い事のようだ。

 自分自身、専門家でも何でも無いけど、自分の納得する理屈は、

・筋細胞の増殖限度は遺伝によって決まる。
・成長期における筋細胞への刺激で増殖量が決まる。
・成長期を過ぎたら代謝による再生はあっても数は不変で、筋細胞は肥大するだけ。
 余談だが、
・加齢を重ね生活習慣の変化で肥大部分が衰え筋細胞は萎縮に向かう。

 という理屈。この後半の部分は、マイオスタチン関連筋肉肥大についての情報と、加齢性筋萎縮症についての情報を併せて考えた結果。

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