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2008年11月17日 (月)

センターラインを割らないっていうのは公道のレギュレーションだ。

 金曜日の安芸区スポーツセンター帰りからの峠道で車運転中、土曜日の夕刻での行き着け?の峠道を単車運転中での話。

 普通に流して走行中、前方に何台か車が連なって走っていたのだが、直前を走行している普通の乗用車を見ての話。道路は広くはないけど、一応はセンターラインがあって、センターラインを割らなければダンプ等大型車両は普通に離合できる幅の道。但し、峠道という事もあって、はみ出したら接触、脱輪ってパターンの多い道でもある。

 で、直前を走行する車、見通し云々関係なしにセンターラインを割り割りで運転している。先が見える、見えない限らず、自分的には絶対にセンターラインを割らないのが習性化しているのだが、センターライン割りを目の前のあれほど激しくやられると、凄い違和感を感じる。いくら飛ばし気味に走ってもセンターラインを割る事は無い。センターライン真上を車のノーズを掠めたり、或いは、単車の右コーナーで対向が見える状況では、膝先がセンターライン上に接地する事は在っても、そのラインを超えて走る事は絶対に無いのだが、そんなセンターラインを平気に割って、車体全体が対向車線に飛び出すような運転は如何なモノか?と思う。

 金、土で見た車、如何に対向車が居ないとは言え、完全に対向車線を逆走する形で走るのは、あんまり感心出来ないもの。

 其処までしたいなら、サッサと抜けばよい話。

 後、持論だけど、対向車線迄もを使って速く?走れる事をアピールしている走り系の車も時折見かけるけど、対向車線を使いコーナーの曲率を落として直線的に走るなら誰でも走れるだけ。それをするかしないか?は、単なる度胸というか、リスクを抱えた肝試しに過ぎず、上手くは見えない。どちらかというとバカにしか見えない。ラインを割らず、車速変動を最小にしてアベレージを保ち、限られたラインの中で車体の姿勢を作り出すような走り方がスマートって思うところ。

 飛ばすだけなら、単なる根性試しというか、度胸試し。道路で根性、度胸を試すのはバカらしいし、怪我もしたくないので有り得ない。
 単車でも、四輪でもだが、機械の操作を楽しむのに必須なのは、実は絶対速度ではなく、公道ならば、例えば、車線を股がないという制約があるから楽しめるのである。実際、制約の無い広場で走っても全然楽しくない筈。

 公道で楽しむのは、車線という制約を一つのレギュレーションと捉え、その範疇で、如何に楽しみを見つけるか?って事。自分的には、加速減速の過程における変速操作中における回転同調を完璧にこなす事であったり、ターンイン、カットインにおける蛇角を最小で走れるようなポイントを探す事であったり、加減速、旋回における車体の揺れを最小に保つ操作を求める事だったりする。こういう操作は、結構デリケートであり、例えば市販車のようなワイドなギア比の変速において回転の上下こそアクセルで操作しながらもミートポイント、ミートタイミング、速度とのシンクロをクラッチワークで制御して、結果的にタイヤのグリップを破綻させない、車体としては変速による挙動を外に表さない事を求める操作に楽しみを見出している。
 例えば、ミドルツインクラスのバイクでの減速操作は、車体側にスリッパー等介在物が無く、完全手動で全てを制御すれば、激しいシフトダウン操作を行っても、リアタイヤのグリップを確保しながら車体を揺らさず減速できたりする。そういうのが最高に愉快である。
 こういうところで、やはり車も同じように遊べる訳。車でその辺を自由自在に遊ぶっていうと、Hパターンの3ペダルのMT車に限るのである。

 記事を書きながら、文章の方向性が変わってきたけど、公道という制約で遊んで楽しむには、操作の自由度が乗り手次第の乗り物なら最高だ。MTの四輪、レスポンスに優れ、変な機械仕掛けの無いバイク。例えばミドルツイン、ライトウエイトシングル、2ストレプリカ、、、、そんなのが公道で、公道の制約をレギュレーションと捉え、公道なりに楽しめるのだ。

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