新興ブランド
最近というか、やっぱり馴染めないのが表題の新興ブランドのロードバイク。
確かに、クラッシックレースでも活躍し、プロの競技者も使って居るんだろうけど、最近の流行のバイクは馴染めない。
どうしても、BS、パナソニックといった国産ブランド、或いは、ピストフレームではデフォルトなビルダーの方が良いなぁと思ってしまう。
新興ブランドの特徴っていうと、如何にも的な新素材アピール、それによる軽量設計のアピール。新素材といっても殆どがCFRPというカーボン繊維強化プラスチックのカーボンって言葉の先行イメージが殆ど。それに派手は配色、シマノ或いはカンパの高級コンポで、ハイ!出来上がりって印象。
印象的に、完全に乗り手に誂えた工芸品というよりも大量生産による工業製品であり、スペックは素晴らしくてもアングロサクソン体型の標準の金型で大量生産するというもので、痒いところに手が届くという細やかさは一切存在しない印象。それ故に、販売におけるアピールポイントは煌びやかなスペックを踊らさざるを得ないようにしか見えない。
どれもが画一的な印象で、出来上がったモノに差異っていうのが極めて見えにくい。ブランドの特徴っていう部分が極めて希薄な感じ。
自転車におけるオーダーでは、ミリ単位の指定が可能であり、その意味は兎も角、そういう要求があるからこそ、そういうブランドが生き残っている訳であり、その部分にこそ、快適な自転車という本質が潜んでいると思うのは考えすぎだろうか?その本質は正しくテーラーメイドであり、画一的なカタログ表現が出来ない世界だが、100gの軽さよりも5mmと違わないフィット感こそが重要だと思うのである。大抵は、可動範囲で調整可能だが、人種の違いによる基本スケルトンの違いを乗り手に合わせる際の排除すべき妥協は、少なくとも、標準日本人併せたモノの方が少ない筈だ。
軽いのは、確かに上り坂では有効かもしれないが、その数値的なメリットを覆す程の受け入れざるを得ない妥協がスケルトンに潜んでいるように見える。胴長、短足、短い手ってパッケージの乗り手からみると、シート寝すぎ、ステム遠すぎ、ハンドル低すぎって印象が否めない。あそこまで低いなら、もっと前に乗って、もっと近くないと、、、、っていうのが個人的な見解。
体型的に、胴が長く、腕が短いのは、サドルを基準に考えると、サドルから胴の長さの分、肩が上方に位置し、其処から短い腕でハンドルを持つと、ハンドルは高め。
逆に、胴が短く、腕が長いのは、サドルから見て肩は高くない訳で、長い腕があるとハンドルはサドルから低めとなる筈。そういうパッケージの新興ブランドの標準設定は欧米人向きとも見えるのは考え過ぎか?
アレ系に胴長腕短の日本人が乗った様がカッコイイんだろうか?確かに、新興ブランドというか、最近のスローピングデザイン+アヘッド構成のバイクは、カタログ写真が全部あんな風貌。とてつもなく違和感を感じるのだが、街走ってるバイクはそういうのが殆ど。
少なくとも、国内ブランド、国内ビルダーが主流だった1980年前後のロードバイクは、基本的にステムハイトとサドルトップは面一~落差5cmが基本だったけど、現代は落差10cmは当たり前、下手すると20cm近いのも見られる。
やっぱりこれは四肢が長いアングロサクソン向けのポジションでないの?って思う程。ペダリング時における骨盤~背骨の角度は基本は人種差は無いけど、腕の長さの分、ハンドルが低いの都合がよいのがアングロサクソン系向けバイクの特徴かと思うのだ。
現代のロードバイクのトレンドを遡ると、現在のアヘッド構造はMTBから流れてきた構造。MTBというとアメリカンスタイルだ。アングロサクソン系の人間、或いは、前乗りが具合良いトライアスロンバイクでは体型的、或いは乗り方的にハンドルバーは低い位置が都合が良いのは理解出来る。だから彼らのために、アメリカンブランドからアヘッド構造でヘッドパイプ直上部にステムが配置されたサドルから落差のあるポジションが生まれたと言うのは、彼らにとっては必然とも言えるし、そのフォームが受け入れられるならば、構造的にもシンプルで高剛性が維持できるという点でも一石二丁の効果がある。新興ブランド=アメリカンブランドだが、元はといえば、欧米人のためのモノ。それが何故だか国内を席巻したのが今の状況では無いだろうか?
個人的な見解では、トップ長が長く、シート角が寝気味、ステムもソコソコ長いとなると、リーチが相当長くなる。それで落差が大きいと背骨は相当傾きそう。シート角的にも脚は相当辛そう。腰が痛くなるような印象が強いのだ。基本は身体を沈め、身体の中心部は真っ直ぐ立てるのがセオリー、身体の中心部より上が徐々にアーチを描くのが理想で、その状態で手を下ろした所がハンドル位置。だから、バーから手を離しても腹筋だけで余裕で上体が支えられるのが必須だが、そういうポジション以外では少なくとも自分は乗れない。
普通に言う前乗りっていうのもクランクを中心に身体全体が前方に回転移動しているモノであり、重心が前に乗る分、常に漕ぎ続けるというのが前提。それ故に固定ギアバイクでのポジションが前乗り気味、シートアングル立ち気味が前提で、見た目的なハンドルとサドルの落差が取れるというものだ。
つまりは、通常握りが下ハン位置のピストバイクではサドル座面とグリップの落差も大きいけど、落差以外の要素は新興ブランドのそれと全く異なっている。それ故に、等価に語れないし、ピストバイクでさえ、あの乗り方が成立するのは、乗り手あって(回転力を持ち、回転の脈動が少ないから姿勢がぶれない、前傾した姿勢でも上半身で身体の芯が支えれる)のモノの筈。
新興ブランドに対してそういう見方は偏見かもしれないが、同じハデハデ自転車でも、デローザとか、メルクスとか、コルナゴ、ビアンキといった欧州車系とかアンカーブランドとかPOS車に乗っている人の方が普通に見える。
大昔の段階でショップ勤めをしていた自分の目で感じるのは、ベテラン=オーダーの時代っていうのは、自転車について非常に詳しく年季の入った店主が必須であり、その店主とスケルトンを決めるっていうのが本来のハイエンドという印象で、店構えも泥臭い自転車店って印象だが、新興ブランドの取り扱い店っていうのは、綺麗なショーケースにパーツとバイクを飾りブティックのような店構えで、何だかなぁ?って思うのである。
確かに、洒落て小綺麗かもしれないが、なんか表面的過ぎて違うような気がするのである。表面的って言葉の意味は、新興ブランド高級車+カッコイイ装備の勘違い系の交通法規の放棄走行とか、公道における集団並列走行を当然とするとか、他の自転車への挑発行動が目に付くからだ。公道を走る意味を理解し法規やマナーを遵守するのは、最低限、表面的と思われない行動への第一歩の筈だが、群れて我がモノ顔の運転をする事自体、表面的な格好良さだけを追い求めているような証明とも言える。
まぁ、新興ブランドに乗ってる人からみれば大きなお世話かも知れないが、そのブランドに対する悪印象を持つに到った理由はそういうところにも存在する。
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コメント
お久しぶりです。
やっぱりアップライトな姿勢が楽です。
投稿: 壱源 | 2008年11月 3日 (月) 12時22分
おはようございます
当方もズバリ手足が短いです。
投稿: morimori | 2008年11月 3日 (月) 08時50分