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2008年11月26日 (水)

ライディングがスポーツだと思う理由

 自転車が単車よりスポーツだ!っていう人からの質問に対しての答え。
 まぁ、殆どの人が自転車は健康に良い。自転車は運動であり、スポーツであるっていうのは否定しないし、その通りだと思う。そして、単車が健康に良いとは思わないのも同意できる。しかし、単車も使い方によっては運動であり、やはりスポーツであると思う。そして、スポーツとしての疲労の濃さは、自分の印象としては、自転車よりも遙かに長く疲労を引きずる感覚である。
 そういう意味で、単車のライディングは非常にハードなスポーツだと思うのである。

 敢えて色分けするならば、自転車っていうのは、時折のスプリント、ヒルクライムでは軽度な無酸素状態に為るけれど、その無酸素状態っていうのは一瞬であり、殆どが有酸素運動状態だと思う。
 それに対して、自分の思う単車のスポーツモードっていうのは、断続的な緊張を強いられる無酸素運動状態。それも無酸素状態は力を均衡させるような入れ方、アイソメトリックス運動に近い状態を断続的に行う状態だと思う。

 さて、そんなライディングって何ぞや?って話だが。単車のライディングをスポーツと定義すると、どんなライディングか?っていうと、果てしなく単車の運動性能を発揮し続ける状態。上り、下り、減速、加速、これが次々の果てしなく訪れる状態を意のままに操る時の身体の使い方が、前述のような断続的で決して一通りでない動作を果てしなく行う状態である。
 単車の運動性能の鍵は二輪車故に、二輪車の特性を常に維持する事。二輪車の特性とは、前輪の自由度を何時如何なる場合においても確保すること。それは、加速、減速、旋回から切り返し、全ての状態において言えること。
 しかし、単車の加速では、アッという間に3桁の速度差を生む程に加速したり、減速したりする。そんな時、仮に加速する際にも決してハンドルで身体を支えては駄目。勿論、急制動状態でもハンドルで身体を支えるなんてのも基本はナンセンス。そんな状態においてもハンドルの自由度を確保する事が運動性能を確保する上での必須事項。急制動では、下半身で自分の身体は支える。あくまでもフロントの自由は確保する。加速時に於いてもそう。ハンドルにしがみついてフロントリフトを抑えるなんぞアホのやる事。下半身で上体を伏せているだけで、フロントはやはりフリーである。そこに旋回動作が入っても同じ。旋回動作は、二輪車の重心位置と乗り手の重心位置の合成によって車体を寝かせる訳だが、車体を寝かせる事で、キャスター角による蛇角が生まれ旋回力が生まれる。その自然な動きを働かせるには、やはりハンドルに力が入ると駄目なのだ。

 これはあくまでも思い付いた一つの状況だが、どんな状況においてもステップ+踝で足下を固定し、脚、腿と車体の支えるポイントで腰の位置を固定する。この固定は、全てが下半身の力のみで行う。その固定した下半身の上で腹筋、背筋で上体を固定する。固定された上体からは力を抜いた形でハンドルと腕で繋ぎ、アクセル、クラッチのオペレーションを行うのである。下半身で完全に身体を固定し、その下半身で腹筋を介して上体を固定する。そして、その下半身の固定位置=重心の位置であり、加減速、旋回における車体の安定を状況に応じて位置調整するようなモノ。それに応じて上体を追随させる動きを連続的に行うのである。これは、相当に疲れるのだ。
 自分か下りのS字コーナーが好きとか言うのは、そういう状況においてもハンドル周りの自由度を確保して車体の切り返しを素早く行う。下りでありながら重心を後ろの持っていくトラクションの掛け方が面白いからなのだ。こういう状況では、多くのライダーが腕突っ張りでオットットってな具合。そういう状況程愉快なのだ。

 当然、このような動作は、車体全体の重量の内、積極的にコントロール出来る自身の体重の割合が大きい程(判りやすく言えば、車体が軽い程)、大きな動き(素早い動き)が出来るのだが、ツボを掴み、重量をコントロールする術が身に付き、コントロールできる癖を持つエンジンを得る程(例えばレスポンスの良いトルクフルなエンジン)に大きな車体が自在に扱えるようにもなるのである。そうは言っても、下り坂、減速時においては、重量による影響が大きく、重量車を下りでコントロールするっていうのが一番難易度が高いけど、それが出来た時の嬉しさは最高なのだ。

 特に、単車においては速度の次元が上がる程に同時処理する要素が増えてくる。その反応は大脳による知覚行動では追い付かない。殆ど反射行動に近い状態。そういうのは経験による条件反射的な神経回路が必要。それが無いと絶対に実践不可能。そういう回路があっても、それを持続するっていうのは、神経の興奮状態が長く続くとういこと。そういう面においても緊張が高い状態が続くという意味で非常にハードなのだ。

 そんな理由で、11/23の山岳ツーリングをミドルツインで走り回った後に二日経過しても未だに筋肉痛が脹ら脛を中心に腹筋にも少々残っている。しかし、この心地よさは他の趣味では味わえない。神経の緊張状態の高みが持続するためか、一種の幻覚に近い状態が得られるのも単車のスポーツライディングならではの世界。乗れている時は、全てがスローモーションのようになる。そして、自分のライディングスタイルが上空から客観的な映像のような状態で見えるような錯覚を味わえる。殆ど、陶酔の世界である。だから、不思議と、色んな事が予測できるのである。見知らぬ山間部の峠を走っていて、ブラインドコーナーの先に車と離合する事が予測出来、事前に安全に離合も出来る。そんな状態になるのである。
 信じる、信じないは人の自由。しかし、これは現実である。全てがスローモーション、そして見える筈の無い状況が見える。見える筈のない自分の姿がイメージとして見える。そういう世界が単車のライディングの世界にはあるのである。
 こういう状況は、何時もとは限らない。ホント、乗れた時だけだが、確かに存在する。乗り込む程に、そういう世界に出会う率が高まるのである。

 このブログを読む人には、俺とツーリングに何度か同行した人もいる。実際、峠区間のハイパーモードで走行し、一度も事故も転倒も離合でビックリもしていないのを見ている筈。それで居て、後続車は何度も転倒、転落、或いは、離合でビックリを経験しているのを思い出しているだろうと思う。

 このような動きを全てのライダーがしているか?は疑問だが、少なくとも、自分はライディングスポーツのために単車に乗る訳で、一寸した瞬間にも、この原則で乗る。それ故に、単車は自分にとっては自転車以上にハードなスポーツなのである。

 自転車がブームで多くの人の注目を浴びている一方、単車が冴えない状況なのだが、単車のライディングの向こうには、こういう麻薬的な錯覚が味わえる世界があるっていうのを是非知って貰いたいもの。
 オッサン連中はどうでもよいから、俊敏な神経回路を持つ若い世代には是非、ステップアップしてスポーツバイクの世界の階段を上って貰いたいと思う。絶対、楽しいから、、、、三十路過ぎたら絶対味わえない世界。二十歳前後から始めないと絶対無理。それは、周りを見て統計的に言える事。16歳から乗ってる俺が言うんだから間違い無いのである。チャリに乗るのは三十路からでも、不惑からでも十分間に合う。でも、単車でスポーツライディングは絶対若い内からステップアップが必要、、、、みんなでスポーツバイクを盛り上げたいと切に願うのであった。

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