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2008年11月13日 (木)

自転車ブームを引っ張る世代と考え方、、、で、自分は?

 昔の自転車っていうのは、漫画『サイクル野郎』が象徴的なように、少年の心を鷲掴みにしたのは、何と言っても自転車が自分の脚で自由に何処でも行けるという道具としての魅力に溢れている事、つまりは冒険のための道具、自由の象徴、旅の相棒というノリでは無かっただろうか?
 勿論、速く走る事に気合いを入れていた人も居ただろうけど、それよりも、色んな場所を走る道具として接していた人の方が多数派だったように思う。
 そんな訳で、自転車っていうのは、それ自体が目的だったり、冒険の手段って部分が極めて大きかったように思う。自転車が好きな世代っていうのは、小学生~高校生、大学生が中心で、純粋に遊びってノリだったように思う。その遊びが転じて自転車の速さに傾注していく人も当然居たけど、それは自転車好きのピラミッドの頂点としての競技という形への移行というスタイルでは無かっただろうか?

 今はどうか?っていうと、それ自体の楽しさに嵌っている人も居るけど、多くの大人の場合は、省エネ、節約、ダイエット等健康が目的で、その手段としている人が多いようだ。自転車としての楽しみに拘る人も当然いらっしゃるが、自転車=カッコイイ、速さの具現のための道具というノリで接している方が極めて多いように思う。

 同じようにブームでも、昔は子供の純粋な遊び心、今は大人の目的の手段、別の観点で、それをスポーツとして取り組んでいる人も、当時は純粋に競技として、今は競技機材収集趣味としてって感じに受けるのである。

 印象的には、当時の方が趣味を牽引する年齢層自体は若いが、その分、純真で素直だったように思う。現代は趣味を牽引する年齢層自体が高齢で、求め方も損得勘定という打算の上に成り立っているように思う。

 そんな事を考えながら、自分の自転車を眺めていて思うのは、、、、、、自転車ならば、やっぱり自由気ままに好きな場所に好きなペースで走っていくのが楽しいかな?って思い。そう考えながら思い出すのは、大昔に出掛けサイクリングに対する事。
 自転車自体の改造は?っていうと、コースに併せて、例えば軽いギアが欲しいとか、距離に併せて必要な装備を、どのように積載するとか、、、、で、ギア歯数を選んだり、キャリアを選んだり、灯火類を選んだり、、、、積載する荷物は?っていうと、見知らぬ土地で遭遇しうるトラブルの程度を予測し、何処までなら対応すべき?って事を考えた上で装備の取捨選択を行うような過ごし方。
 で、実際にサイクリング前日になると、準備のチェックをしながら、国土地理院発行の地図1/25,000を見てコース確認、スケジュールチェックを行って、当日、出撃というパターン。
 そんなサイクリングでは、出先で生じた問題は自分で対応するという前提故に、軽装備でも、それなりの荷物の量だったように思う。
 そう言う事が一番の楽しみだったように思うのだ。勿論、選択はスポルティーフかランドナーということになる。

 それを考えると、当時、ロードレーサーでツーリングっていうのは、荷物さえ積みたくないので有り得ない選択肢であったのを思い出す。それで、自分の自転車を眺めて思うのは、やっぱりイイな!って思うのは、西DAHONであったり、ルイガノMVFだったりするのだ。

 ロードバイクが流行っている。確かに気持ちよく走れるけど、やはり、見知らぬ土地をサポート無しで長距離走るには似合わない。ロードもピストもやっぱり使える場所は近郊の限られた空間に留まるなぁ、、、、って感じ。頭の中では自転車は自由の象徴であり、やっぱり必要な装備を自分で完結して冒険に出向くための相棒って印象なのだ。何となくフラッと出掛けて、自由に休みながら走るっていうのが実は一番楽しいのかなぁ?って思うのである。

 ロードやピストに乗る程に、そういう本来の気持ちが強く湧き上がるのが自分でも判るのである。ロードやピストに乗る程に、それらは、それに見合った世界で、見合った技量で機能を発揮しなければ意味がないとも思うのである。逆説的に言えば、仮にロードやピストで、それらしく、相応しく走れないなら乗る価値は全く無いとも思うのである。
 20数年前、ロードを持っていても乗る頻度が少なかった理由っていうのは、当時の先輩と走ったりして、自分がロードバイクに相応しくない(ロードレーサーを漕ぐ力が無い)と実感していたのが大きな理由の一つだ。あの先輩くらいに走れなければ価値が無いと思っていたのだが、未だに本格的なフルサイズのロードバイク、或いはリアルピストバイクを敬遠する自分の意識には、そういう部分があるように感じる。
 それ故に、ロード風、ピスト風のバイクを選ぶにしても、自分レベルならオ・モイヨWWのような小径折り畳みバイクでさえ十二分過ぎると思うし、固定シングルでも本格的なNJS仕様パーツで固めたピストバイクは無用で、安価な完成車で事足りると思うのである。

 十代の頃の原体験っていうのが、大学入学後に入部した自転車部での先輩の走りと自分の落差の大きさだが、そういうのは未だに残っている。世間でロードバイクの間口が広がっているようだけど、自分の意識は当時と不変。19歳、二十歳頃の自分が全く敵わなかった先輩の走りっていうのが、ロードに乗るための最低資格と自分で思っているのが、未だに引きずっているようだ。その時、自分には競技レベルのセンスは無いと悟ったのが、割り切りである。それで自分が選んだ方向が、当時の趣味である24時間で何キロ走れるか?って方向だが、その道具の象徴が高速ランドナー、スポルティーフだった訳だ。

 今、西DAHONとかルイガノMVF改が自分にマッチしているなぁって思うのは、こういう理由なのかもしれない。
 その一方でロードレーサーに憧れる自分が居るのも又真実だが、自分レベルならオ・モイヨWW号やラングスターTT号でも十分だという意識が抜けない。実際、今の自分の限界で漕いで、オ・モイヨWWやラングスターTT号で不満か?っていうと、全然OKで、自分の力では、このような自転車の限界にさえ到達出来ていないのが判る。

 理想を言えば、このオ・モイヨWW号では絶対的に不足だ!って思える程の走り方が披露できるような自分に到達する事。そうなった時に初めて、自宅待機に近い状態の小林ロードとかBSトライバイクがデビュー出来るように思う。最新スペックのロードレーサーとなると、更に先のようだ。取り敢えずは、小径折り畳みの限界を感じる事が目標だが、多分、限界を感じるレベルには達しないだろうなぁ、、、、。

 原体験っていうのは怖いモノだ。

 っていうか、この辺の考え方、単車選びにも通じてる。自分レベルの技量ならミドルツインで公道なら全ステージOKで、170PSオーバーは不要って考え方。近郊の峠なら原付二種でも事足りるという考え方。余程の場面でも20年以上前のガンマ500でさえ、不満な場面なんぞ有り得ない。そういう考え方。

 DURA-ACE+カーボンフレームを語るレベルに無いのは、185PS級のリッターSSを語るレベルに無いのと同じ事。自分のレベルなら、一漕ぎ7m~4mの自分のポジションが出た自転車でOKだし、単車なら2速、3速以上でパワーバンドが常用速度域の単車でOKだ。それ以上の能力は宝の持ち腐れっていうか、使えないという悟りを開いている。
 悟ったと認識している以上、多分、一生、リッターSSにも、カーボンロードにも乗る事は無いだろうなぁ、、、、。

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