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2008年11月 9日 (日)

昔のサイクリングブーム

 一寸、懐かしんでみる。
 あれは、小学校の5年生くらいだったろうか?当時、自転車の漫画(サイクル野郎)は知らなかったけど、クラスメートとサイクリングに出かけるのが流行っていた。
 当時は?っていうと、セミドロップハンドルのジュニアスポーツ車(死語)がデフォルト。ダイヤモンドフレーム、つや消し黒塗りでトップチューブ上に車のATのようなシフトレバー、そしてフロントキャリアに二灯式のヘッドライト。これで5段変速だったと思うけど、これで、広島から宮島、大竹、呉、土師ダムってところへ出掛けていたのを思い出す。

 中学に入ると、自転車はロードマンに変わり、ドロップハンドルがデフォルト。サイクリングには、フロントバッグ、水筒、インフレーター、自転車用懐中電灯って装備でお出掛け。
 行き先は、広島から日本海浜田に海水浴、三段峡、深入山、錦帯橋、尾道といったところ。

 高校に入ると、自転車はダイヤモンドDF-7110のレイノルズ531仕様のスポルティーフで、立岩ダム経由で深入山、匹見峡、益田、松江、帝釈峡、津和野、笠岡といったところ。

 大学は、、、、、輪行等を駆使して日本アルプス、信州、四国、、、、、で、これもスポルティーフ。十方山ではランドナーとか、、

 ということで、当時のサイクリングブームでは基本はジュニアスポーツ以降はスポルティーフ、ランドナーといった車種。そして、合間に走るといったら、スポルティーフ、ランドナーでじっくりコトコトって感じでイメージ的にはSL機関車の如く走る。

 で、チューブラーのロードとかピストは?っていうと、それは極稀に乗る。競技前の練習で乗る。トラックで乗る。という範囲で、基本は街乗りでは使わないのが常識だったと思う。
 そういうのがサイクリングブームだったように思う。そして、ロード、ピストっていうのは、乗るのに心構えが居る感じ。乗るには躊躇が入る感じ。乗るには一人前でないと!って印象を持っていた感じ。で、実際にロード乗り、ピスト乗りっていうと、純粋に学生競技者、本職さんって所が多かったように思う。少なくとも、ドロップハンドルに憧れて、、、って素人さんは乗っていなかった筈。
 それ故、ロードバイクはロードレーサーであり、乗り手も格式、雰囲気が在る存在という認識だったのを覚えている。実際、当時遭遇するロードレーサーはどれも素晴らしく上手く、素晴らしく速かったように思う。大学の自転車部で2年先輩で当時法学部3年のロード乗りの方と何度か走った事があるけど、ハッキリ言って、まるっきり付いていけなかった。全く、相手に為らなかったのを覚えている。当時のロードっていうと、前は55-44Tとか、後ろは13-21Tとかだが、それでもガンガン踏んで、メッチャ速い印象がある。

 しかし、、、、、

 今は?っていうと、ブームなんだろうけど、みんなロードバイク。スポルティーフ、ランドナーは居ない。ロードバイクでツーリング?っていうのも、ピンと来ない。殆どが、コマネズミのようにシャカリキに不格好に漕いでいる。ロードの格式は感じない。当時のロードはロードレーサーであるが、今のロードっていうのはコスプレーサーって感じ。体型的にも、肉体的にも全然違う感じ。勿論、実質的な能力も当時のレーサーは格段に違うと思う。

 昨今、ブームでケイデンス崇拝だけど、今日もトレックで偉く高ケイデンスだけど、滅茶苦茶低速っていうのも滑稽だし、他にもダンシングするものの即失速っていうのも、昔のレーサーでは有り得ない。不惑過ぎのオッサンから見て、この様であり、ロードがロードレーサーでなくなったのは、昔のロード乗りに持っていたイメージが自分の中で崩れていくのが少々寂しい感じ。
 なんていうか、圧倒的な存在感を持つモノが、乗り手を選んでいた時代。そのモノの持つ存在感に後光を感じていたのは自分だけだろうか?そんな、有り難い後光が失われ、滑稽で、格好だけで、見るからに無様な様子が氾濫しているのは、一寸寂しいのである。
 最近は、ピストバイクさえもブームで誰でも乗るって感じ。これは、何か間違っているように思う。

 単車ならば、素人を受け付けないマッハ3とか、ガンマ500とか、そういうオーラが現代のロードバイクから無くなってしまったようだ、、、、

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