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2008年11月15日 (土)

歳を取ると、、、、

 ダイエットを思い立ったのが2005年の今頃である。だから丸3年が経過したのだ。ダイエットで目標に達するのに要した月数が二ヶ月。その後、幸いな事にリバウンド無く来ている訳だ。

 で、当時を振り返り、何故ダイエットをしようか?って振り返ると、健康診断の項目に要治療を示す※マークが全部で9項目に到ったからであり、このままではもしかして、生命の危険が危ういか?というのと、その頃に出掛けたツーリングで革ツナギがキツイっていうのがあったのだ。でも、実際の所、行動に突き動かした理由っていうのは、間違いなく、9項目に及ぶ※マークだった筈。

 ダイエット開始段階では、※マークの示す原因が内臓脂肪という事を自分なりの調査で調べ納得した上で、ダイエット行動となったのだが、そのような内臓脂肪過剰状態が解消した今は、その内臓脂肪云々による生活習慣病、脳梗塞、心筋梗塞、糖尿病、動脈瘤、痛風なんて症状は、怖くないと思うことが多い。

 勿論、終末的な疾病段階に進んだとすれば、それは非常に悲惨な結末に到ると想像できるのだが、この辺の疾病に恐さを感じない理由っていうのは、発症前段階に徐々に身体に変化が顕れるという進行の仕方だからだ。そして、その進行は内臓脂肪蓄積量と蓄積時間に比例しているために、進行自体を止めたり、異常状態を改善することがどうにか可能と思えるからである。そう、自分の考え方自体で、このような疾病は遠ざける事は簡単に出来るという点において恐怖を覚える程の疾病ではないと思うようになったのだ。

 しかし、3年前から今を振り返って見ると、様々な理由で命を落とす人が居る。

 全く個人的な付き合いの中で印象的なのは、10代の頃からの付き合いでワンオフ、カスタム、レストアメインのバイクショップを営んでいた友人だが、彼が気胸という疾病で命を落とした。気胸っていうのは肺に同時多発的に穴が開いて呼吸出来なくなるもの。それから、その友人を通した知り合いで昔カワサキ系バイクショップでコンプリートバイク(クレヨン仕様)の販売とか、オリジナルブランド(Brave Young)のマフラー販売迄も行われ、最後がスーパー7を主に扱うカーショップを営んでいた個性派のオジサン(10歳年上)は、骨髄性白血病で命を落とした。
 この辺りの人は、自分から見ると実に個性的で色んな事を一生懸命取り組むイイ奴で、生活習慣病とは無縁の身体の持ち主だったのだが、突然、逝ってしまった。

 有名人ならば、最近ならば筑紫哲也さん、一昔前なら逸見政孝さんあたりもそうだ。他にも、最近は医療関連の特別番組が放送されるが、多いのが子供が生まれながらに蝕まれている小児ガンとの闘いなんかも視聴するけれど、そういう情報に振れる程、癌の恐さを身近に感じてしまうのだ。

 なんだか、いい人程、癌のような疾病で命を落とされているような気がするのである。

 そして、癌という疾病と闘っている闘病生活の様子が紹介されたりするのを見ると、その凄まじさ、恐さが本当に伝わってくるのである。
 癌っていうのは、突然に宣告されるようなモノで、その瞬間に生活の全てが変わってしまうような病。更には、一般的に癌は自分の努力でどうにかなるような疾病でも無いような病でもある。この点が、生活習慣病を起因とする疾病と大きく異なる点であり、その部分、つまり、自分で対処可能か否かの部分で、とても大きな恐怖を感じる対象だと思うのだ。

 ダイエット開始前には、自分の考えでは、疾病、死について考えた事は皆無である。肥満を認識した時には生活習慣病=メタボ♪って程度の軽いノリで考えていたのもあるし、自分で対処可能という点で恐さも感じないものだったのだが、自分が意識する世界の範囲で命を落とす人の多くが、その原因に癌という疾病が目に付く程に、恐さを感じるようになってきたのである。

 一説によると、癌の発生原因には生活習慣病等が関連していると言われていても、或いは、肺癌には喫煙習慣が関連していると言われていても、そうでない人もやはり癌と闘う場合がある現実をみると、それは非常に怖いものと思うのである。

 これまでも癌について何度か調べた事があるけれど、癌というのは本来は正常な細胞が変異して生まれたものであり、誰にでも発症する可能性があるっていうのが怖いもの。
 ウイルス等を防御すれば感染しないって質の病でなく、健康な自身にリスクが潜んでいるというのが怖いところ。
 更に、癌の定義である『不死』、『異常増殖』、『浸潤』という特徴は、一度癌細胞が生まれたら、それは、そのままでは絶対に消滅せず、それ自体が増殖し、周囲の正常細胞さえ癌化するという事で、生命が存在する理由からみると、明らかに反した動きをする事自体が怖いのである。
 本来、一つの個体から生まれた細胞の癖に、元の個体の機能を停止させるまでに活動するというのは、個体生命の存在意義を自らが否定するようなものであり、生命本来の本能的な活動である生存本能自体を否定するような動きをするのが怖いものである。

 しかし、癌が存在するというのは、そこには存在理由があるはずだが、癌が世の中にある理由というか、それが全く見えないのである。特に可能性のある子供や、知識人、いい人が掛かる病っていうのは、種族繁栄の本能的な機能にさえ反しているのが恐さを感じる点でもある。 

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