0系の影で、500系も、、、新幹線は夢から日常に、、、
11/30を以て、初代新幹線である0系の定期運用が終了した。11/30では最終運行の0系を求めて多くのファンが通過駅に押し掛けたんだそうだ。この0系の新幹線は実に44年の長きに渡り第一線で活躍し続けたのだが、遂に引退である。
12月には0系のお別れ運転でひかり号として最後の運行が控えているそうだが、既に予約は完売なんだそうだ。
この0系は昭和39年の東海道新幹線開業と共にデビューしたもの。昭和39年と言えば、東京オリンピック開幕の年でもあり、日本の近代史を語る上で忘れる事の出来ない年でもある。この昭和39年から日本の急成長が始まった訳だ。
因みに、昭和の回想雑紙でも創刊号に取り上げられる年度として昭和39年っていうのは案外多いのである。
そんな昭和39年にデビューした新幹線0系の引退は話題沸騰だが、平成9年にデビューした当時世界最速だった500系新幹線ものぞみ運用からこだまに転用されるのである。
この500系こだまは営業速度が285km/hと、能力の300km/hから抑えた運用が8両編成で為される模様だ。
http://www.jr-odekake.net/train/kodama_500/index.html
で、既に車両紹介されているが、ひかり運用の300系よりも高速走行。のぞみ運用の700系と同じ速度で、500系のこだまが走るのである。できれば、こだまとしても300km/h運用して欲しいもの。どうせなら、博多と新大阪のノンストップ直通300km/h運用の激速こだまとして走って欲しいと思ったりする。
新幹線、これが夢の超特急として、0系が持てはやされ、その正統後継者は、やはり、『夢』って言葉が似合う必要がある。そういう意味で、0系の後継者は100系、300系、500系がそうなんだろう。700系とかN700系っていうのは、『夢の超特急』という定義から、より安全に高速走行が可能という規定を勝手に当て嵌めれば、500系以降に登場していながらも、性能の一部を快適性、経済性に分配している意味で、夢の超特急では無いような気がする。
この印象は、車で言えば、例えば、昔のトヨタ2000GT、最近ならNSXが夢のスポーツカーだが、現代の車の中にはより高性能な実用セダンが存在している。しかし、高性能セダンは何処まで行ってもセダンであり、夢のスポーツカーではないという印象に近いのである。
勿論、新幹線という営業車両であり、そこには経済性が存在するのは判るけど、そこに国の技術的象徴のような威信があるからこそ『夢の』って枕詞が似合った筈。そういう意味で、0系の引退、500系のこだま転用っていうのは、新幹線が日本技術の象徴ではなくなった事を象徴する出来事なんだろう。
あの形がこだま運用ってのも寂しい気がするけど、実は更に新しい700系もこだま運用されており、既に、製作年度と運用車両名称の相関は崩れているのかも知れない。
今後、『夢の』スポーツカーの如く、夢の超特急っていうのは、今構想されているリニアモーターカーがそれに該当するのかもしれない。案外、リニアモーターカーが実現した時には、それが『のぞみ』号になって、現代の新幹線は、全て『ひかり』運用以下に扱われるのかなぁ?と思ったりする。
日本の技術をアピールするのに夢って言葉が似合ったのが新幹線の0系で、その後継者、最後の正統後継者である500系だったんだろう。そんな象徴的な存在が現代の日本には存在しないのが寂しいし、それが、国に衰退を予兆しているようにも思う。やはり勢いのある国には象徴が在る方が良いと思うけど、何が象徴となるか?っていうと、それは、世界で唯一無二の存在でなければならない。そして、多くの人に夢と憧れを与えるようなもので無ければならない。アメリカ等では最強の戦闘機であったり、或いは、スペースシャトルであったりするわけだ。そういうのが日本にも必要だ。鉄道に限定せず、0系新幹線の代わりとなる夢の象徴が必要では無いだろうか?
まぁ、そういう感覚自体が古くさいのかもしれない。或る意味、戦艦大和の大艦巨砲主義で46cm主砲を世界に誇っていたのと同じかもしれない。
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