« 夜の繁華街 | トップページ | 大人の模倣と子供の真似 »

2008年12月11日 (木)

ゴジラ映画の記憶と幼少期の刷り込み?

 ゴジラ映画を見ての記憶の鮮明度の確認。
 ゴジラっていうと割と馴染みのある映画だが、その製作年度から言うとリアルタイムで見た作品は極僅か。また、映画館で見たっていうのも実は案外少ないモンだと、今更ながら気付くところ。

 ゴジラの初代作品は1954年ということで、自分の生まれる10年以上前の話。これ、白黒の作品だったんだ、、、、、で、次の『ゴジラの逆襲』って作品も1955年の白黒作品。
 因みに今見た感想だが、ゴジラ作品というと1954年の初代ゴジラこそ、ゴジラらしさが一番ハッキリしているような感じ。二作目以降は対決モノの様相を呈している。二作目がガイガン、三作目がキングコング、四作目がモスラと登場している。まぁ、対決モノとして許せる?のは四作目迄か?というのが今の感想だが、この四作目の制作年度でも自分は生まれていない訳だ。
 ゴジラ作品で、過去に見た記憶があるのは、三作目以降。キングコングとの対決は、これは大昔にテレビ上映されたのを見た記憶があるし、四作目のモスラとの対決は、小学校の3~4年の頃にリバイバル上映されたのを見たような記憶。この頃は、キングギドラの登場する五作目もリバイバル上映されたのを見たような記憶である。

 リアルタイムで見た最初の作品は、幼稚園の年長か小学校一年の頃の、ヘドラとの対決モノ。その次がメカゴジラとの対決もので小学校4年の頃の話。それ以外のゴジラ作品は、ゴジラフェスティバルと名うった東宝系映画館での夏休みのリバイバル上映を見にで掛けた程度。小学校時代に見た最後の怪獣はメカゴジラであり、ゴジラ映画自体見に行ったのはそれが最後である。

 そんな自分の記憶の中で、映画を見て、ストーリーは別として映像的に印象に残っているのが幼稚園年長から小学校一年の頃の、ゴジラ対ヘドラって映画のようだ。因みに、このゴジラ映画は記憶を遡ると、、、、広島駅に近い所だったような微かな記憶がある。

 実際、今放送されているゴジラ映画を見ても、やはり一作目、二作目~四作目のモスラ対決迄が割と面白いけど、五作目以降の怪獣同士の強力とか、愛玩動物的な仕草を取り入れたり、人間となれ合ったりのシーンは無意味かつ、ゴジラ映画が完全に子供向け?って印象だ。過去の記憶でも、小学生的にも五作目以降はやはり幼稚に感じていたのかも知れない。

 ゴジラ映画がそういう子供向け映画に完全にシフトしていながらも、当時的にも、今の目線で見ても、興味深く見れたのが、5作目以降のゴジラ対ヘドラって作品。この制作年度は1971年で、ゴジラが何故だか正義の味方になっている時の作品だが、それでも、この映画は見る気が起こさせられる作品である。

 ゴジラ映画のスタンスっていうのは、ゴジラが悪役というのが本来のコンセプトだったんだろうけど、それが、ゴジラというヒーローによる悪役怪獣の退治というウルトラマン的な構成になった時点で当時的にも今的にも今一な感じとなった。ゴジラ映画が子供の映画になったのは、それが原因だろう。
 その反省?から、そのヒーローモノ的なスタンスが薄められ始めた復活ゴジラシリーズ以後のゴジラの在り方に一つの方向性を与えたのが、四作目迄のゴジラ作品とヘドラ対ゴジラという作品のように思う。

 因みに、ゴジラシリーズが1984年に復活して以降のストーリーの中では、初代ゴジラ以降の対決モノゴジラシリーズ、特に5作目以降の作品自体は存在自体が無視されているというか、抹殺されているのが興味深い。現代の復活ゴジラでは、ゴジラは悪役というのが原則で、正義の味方となった5作目以降の作品は無き物とされている。(今回の日本映画専門チャンネルのゴジラガイダンスで佐野史郎さん解説でも言われている。)

 因みに、自分的にゴジラ映画のインパクトというか興味の度合でお奨め作品をピックアップすると、、、、

1.初代ゴジラ
 何と言っても、破壊の象徴。核の権化としての存在感。
2.ゴジラ対ヘドラ
 当時の社会問題である公害被害を偶像化したヘドラの存在感
3.ゴジラ対モスラ
 ゴジラが同じく悪役で、モスラという自然の偶像を対峙させている
4.1984ゴジラ
 子供映画に成り下がったゴジラを原点に回帰させている点。
5.ゴジラ対ビオランテ
 当時注目のバイオテクノジーで遺伝子操作によるリスク警鐘
6.平成ゴジラ対モスラ
 3.と同じ理由。

 で、ゴジラ映画に登場するキャラクターのインパクトは、

1.悪役としてのゴジラ
 原点はゴジラは核の権化であるべき。悪の化身、破壊の神が本来
2.ヘドラ
 社会問題の初の具現化
3.モスラ
 核の象徴のゴジラに対する自然の象徴としての存在
4.ビオランテ
 未知の技術の利用への警鐘の具現化
5.メカゴジラ
 小学生の頃見た時のインパクトが大、特に武器の多さの戦闘シーン
6.キングギドラ
 小学生の頃見た時のインパクトが大、特に登場シーン

 って感じ。逆に、有り得ないキャラクターは、

1.正義の味方で怪獣島のゴジラ
 ゴジラが怪獣と会話する?家族を持つ?有り得ない。
2.象徴としての意味が希薄な怪獣全般
 ラドン、エビラ、アンギラス、ガイガン、メガロ、ミニラ、カマキラス、クモンガ

 キャラクター的に、他のキャラは印象的に希薄な感じ。居ても居なくても、、、、って感じ。キングシーザー、スペースゴジラ、デストロイヤ、、、、、

 こうして見ると、ゴジラシリーズ後半に登場する怪獣の多くは、生まれの発端がゴジラと類似しており、ストーリーとしては新しい象徴的な怪獣とゴジラの競演というパターンが定形化している。つまりは、ゴジラよりも対決怪獣の存在が大きな意味を持っているような感じる。ゴジラが闘う相手が、その時代なりの社会風刺を具現化した存在として生まれた怪獣という点で、ヘドラっていうのは、メッセージ性を伝える最初の怪獣であり、後のビオランテ等に通ずるものである。

 この対決モノでの対決対象が、時代の象徴という構成となったところで、ゴジラが自然な生態系の権化として見ると、所謂、環境映画に見える訳だ。自然環境と現代の歪みの戦いという風に見ると、単純な怪獣映画以上に関心を持って見ることが出来る。そんな気がするのである。

 ゴジラ映画に対する印象はそうだが、それでも、ヘドラって存在が自分の中ではインパクトが大きい。これは、ヘドラ云々というよりも、もしかしたら、自分の記憶が鮮明になるというか、そういう時代に偶然見た映画がゴジラ対ヘドラという映画だったためかもしれないし、その印象というか、そのタイミングが、このような感想を持つに到る起点となったのかも、、、、って思ったりするのだ。

 そんな所を思い出すと、育児に於いては6~7歳頃っていうのは、結構大事な時期なようにも思うのである。
 6~7歳の印象深い体験は後にも残るようだ。そういう事を考えて育児にも取り組まないと活けないかなぁ?何時までも、ウヒャウヒャ遊ぶばっかりでは駄目かもしれない。

|

« 夜の繁華街 | トップページ | 大人の模倣と子供の真似 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ゴジラ映画の記憶と幼少期の刷り込み?:

« 夜の繁華街 | トップページ | 大人の模倣と子供の真似 »