単車の可能性>自転車の可能性
スポーツサイクルを趣味にすると、目的はサイクルスポーツとなる。サイクルスポーツというからには、スポーツであり、それに傾注するっていうのは、そこで好奇心、上達願望があるからである。その上達願望で上達という方向の尺度は何か?っていうと、それは瞬間的な最高速度であったり、或いは、持続可能な巡航速度であったり、登坂斜度であったりである。この辺りを高めるというのが、尺度における進歩を測る目安となるのである。勿論、数値的にどうこう以外でも、感覚的に、何かを掴んだ?何かが変化した?っていう感覚を得ることを含めても、基本は、そういう尺度の上での話である。
ふと思うのは、その尺度の物差しの目盛りがどうなっているか?って言うこと。これは、以前の記事でも書いたけど、スポーツを行うのが人間という共通点がある限り、その限界というか、尺度に影響する能力っていうのは、種族的な限界というのがあり、限界に到らずとも、到達しうる状態っていうのは限界に対して漸近的に近づくようなものである。そう、努力とか積み重ねに応じて限界に対する近づき方は対数目盛的な部分が大きいのである。
この対数目盛が緻密(位の高い数字)かどうか?っていうのは、スポーツの種別によるのでは無いだろうか?数値が緻密なモノ程、多くの取り組みで出てくるアウトプット、上達の実感が非常に小さなモノになるという事だが、物理的、フィジカルな要因の影響度の高いスポーツ程、限界に近づく程、得られる実感が繊細なモノになる。
同じ自転車でも、肉体的な限界で追い込むトラック競技では身体能力の影響度が高い分、その高めた能力から得られる結果の差が僅かであり、ロード競技、オフロード系競技、トライアル系競技と移る程、肉体的な要因とは異なる部分の影響度が高くなり、結果的に、努力によって得る開眼による効果の差が大きくなるということ。
もっと言えば、肉体的な要因が大きい程、限界に近づく程、努力に対する実感が僅かだが、神経感覚的要因が大きい程、限界は遠いけれど、努力で得る開眼による効果が大きく現れるということ。
例えば、自分の趣味である、タイヤの細いロード系スポーツサイクルと、ワインディングロードを自在に駆け抜ける事を目的としたモーターサイクルを比較すると、肉体的、物理的な身体能力の影響度が高い自転車、感覚的で反射的な対応度の高い単車という区別になる。
この二種類の二輪車に乗って感じることっていうのは、自転車の場合は、最近は、幾ら追い込んでもあんまし変化無いなぁ?結構乗っていても、あんまり進歩無いし、誰とも似たような状況だなぁ、、、、って停滞的な意識と持つ場合がある反面、単車の場合は、乗る毎に、この感覚は何時もと違う感覚とか、或いは、乗る毎に乗れている!って実感を得る事が多く、もっと言えば、こういう領域には簡単には来れないだろう!って自負さえ持てる感覚を得られるって事。
具体的に言えば、例えば自転車で55km/hを越える最高速が出るとか、35km/h巡航を1時間以上実現したり、或いは、200rpmを越えるペダリングであったり、45km/hを3分以上って能力は、多分、チョット鍛えれば誰でも出来る事だろうと思う反面、単車でコーナーリングアプローチでエンブレによるリアブレークを使ってカットインを早めたり、或いは、下りの切り返しでフルバンクからフルバンクへの操作を完璧に決めたり、或いは、アクセルコントロールでの立ち上がりのスリップアングルを支配下におくって行為は、多分、誰にでも出来るような操作では無いという自負を抱く事。
過去の取り組みによって得たモノ、感覚の宝物感の違いとでも言おうか?そうやって得た感覚が感覚の世界で生み出すが故に、非常に大きく感じるのが感覚で操作する単車の特徴とでも言えるのである。
この違いは上達願望や好奇心を持ち続ける上で重要なリターンであり、何か行うことで、その違いを実感するというのは、次のステップに踏み出す意欲に繋がるか?という部分で大きく違うような感じなのだ。
このような感覚の違いから思い描く理想像の部分で、自転車の場合は先が見えているという停滞感に繋がり、単車の場合は、更に感覚を研ぎ澄ませれば、更に自在に操れるのでは無いか?という希望に繋がるのである。
正直な感想だけど、今の自分は今の付き合い方で自転車力が顕著に高まるとは思えないのであるが、単車力は更に上の世界に行けるという印象である。そういう意味で、自分にとっての上達願望を満たす可能性、好奇心を持ち続ける事ができる可能性は、単車の方が自転車に勝っているのである。
まぁ、そういう上達願望や好奇心を極限迄突き詰めた本職さんにだけ見える世界って言う部分が、自転車の世界では全く見えないのが、こういう感想に到る理由かもしれない。どっちの世界が上って問題でなく、上の世界が見えにくく、今の取り組みで変化を実感しにくいというのが、このような記事を書く理由だ。
元々、大昔は自転車趣味だったけど、今回の自転車復帰では当初は便利道具、その後が、運動器具、そして趣味の一つって認識だったけど、ここに来て再び趣味というよりも、健康器具的な印象を強く持ち始めたところ。勿論、健康器具的に扱いといっても、機材自体には趣味的な側面もある訳だが、チョット、そのポテンシャルを高めたいって意識の部分の上達願望が無くなってきた感じだ。
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