ふと思う。ポテンシャル差って僅か?
ロードバイクの性能っていうと、機材、乗り手の身体能力、技量で決められるんだろうけど、もしかして、競技で飯食うようなスペシャリストを除くと、どんな機材であろうと、どんな乗り手だろうと、経験に少々差があろうと、、、、、その辺のレベルっていうのは、案外、似たような性能なのかなぁ?って思う事が多い。少なくとも、距離的に50km未満という短距離では差違なんぞ無いのかも?って思うのである。
二年以上太田川沿いを走っているけど、頑張って走ってる人、挑発的な人を含めて、勿論、自分を含めて、、、、その上限?っぽい所の状態は、極めて僅差のような感じを受けるのである。
ビックリする程速い人っていうのは見た事無いけど、自分が遭遇した範囲及び、キーワードを『太田川 ロード』等で検索してヒットするサイトの内容を総合的に整理すると、、、、
・最高速度でも殆ど55km/h以下
・3km以下の短距離区間の走行速度も45km/h以下
・最長でも15km程度の中距離区間の走行速度は40km/h未満
・ケイデンスもせいぜい120rpm程度
・最高心拍数も200bpm未満
それ以上でぶっ飛んでるような話は聞かないし、見た事もない。上述のような状況に近い状況で走っているサイクリストを思い出してみると、、、、全部で6人。それが皆本気かどうか?は知らないけど、、、、見た感じ、表情的にも一杯か?って感じられるし、その後の失速度合から見ても、その程度っていう感が強い。
冷静に見渡すと、そんな感じである。6人中4人は、バリバリのバイク、決まった装備で、表情もその気な感じ。それ以外の二人っていうのは超普段着。乗ってるバイクもごく普通というか、相当古い感じのバイク。バイクの差、乗り手の差、装備の差、、、、、人が拘るほど全体としてのポテンシャルに差異は生まないのかも知れない。
所詮、一般人。人間って種類の生き物。そんな生き物に筋肉の差、心肺機能の差なんぞは、せいぜい50km未満の距離が頑張って走るレベルでは見た目明らかな違いには繋がらないんだろうと、今更ながら考えてしまう。
まぁ、肉体的な条件、経験的な蓄積が或る程度の処までは面白いように高まる。その上げ幅が広いほど、その体感や経験が自信に繋がる。しかし、或るレベルに到達すると、物理的な制約から望むほどの変化が得にくくなる。特に、速度という尺度で優劣を測ろうとすれば、低い速度領域での5km/h差と高い速度領域での5km/h差っていうのは意味が違う。速度が高い程に影響を及ぼされる因子による抵抗が増大する。力で二乗、エネルギーで三乗で聞いてくる。だから、高速域になる程に1[km/h]の変化を得るに必要な労力が大きく必要だ。そういう部分と個人が普通の努力で得られる自己の変化の小ささが相乗の効果を持って変化や進歩、進化が見え難くし、それが所謂誤差要因に含まれる程となるのが現実。
このような状況を遙かに凌駕するサイクリストが存在するならば、一度、その驚愕の走りを見てみたい気がする。具体的には見たこと無いけど70km/h領域で走り抜ける様、或いは、1km程度の距離でも60km/hに迫る速度の走行、或いは、1時間以上を40km/hオーバーで駆け抜ける持久力って部分。でも、このような日常では有り得ない能力が実現できる人っていうのは、オリンピックレベル、世界選手権レベル、クラッシックレースレベルであり、そんな人が普段に居る筈もないだろうなぁ。
ふと考えたのは、所詮、人間である。人間が頑張って得られるポテンシャルっていうのは、それに特化したような世界の住人でも無い限りは、殆ど変わらないのでは?という思い。考えてみれば、ムカデ、ゴキブリ、セミ、トンボ、、、、属が同じなら動きの度合に差異は無い。犬、猫、ツバメ、、、、動物でもそうだ。生き物の種類が決まれば、余程、それに特化したような過ごし方をしない限り、その差は僅かだろう。
そういえば、先日、来広したオリンピックで一世を風靡したスイマーであるイワンソープ選手のトレーニング生活を聞くと、毎日十数キロを泳ぎ、毎日筋トレし、トレーニングの時間は毎日15時間を続けたという話。そういうレベルの過ごし方で、あの記録に結びつく訳だ。逆に言えば、あそこまでやっても、何時かは破られる記録に留まっているとも言う。ならば、並の生活の並の人が趣味域のスポーツで差が生まれるか?っていうと、それは無いだろう!って意見というか、もっと言えば、気合いが入っているって言っても結果はたかが知れているというか、違いは生まれないっていうのが自然な考え方とも思えるのである。
逆に、対人意識が強い人っていうのは、冷静に考えると極自然なこういう考え方は頭に入らないようにも思う。頑張れば、頑張るほど、延びる!優れる!勝れる!っていう意識が大きいのかもしれないが、所詮、一般人、そんな差は生まれないんだろうなぁ、、、、。
冷めた考えと言えば、冷めている。でも、現実はそんなモンだろう。でも、多くの速い自転車ユーザーはそれを認めたくないんだろうと思ったりする。
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