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2008年12月17日 (水)

ロード乗りの習性

 ふと思った。
 いつものコースを何時も通りに走って感じる事。今更ながら気付いた事。それは、ロードバイクユーザーの共通の特徴、或る意味、習性かもしれない。

 ロードバイクユーザーと会合する場合というと、すれ違う場合か、追い越す場合があるのだが、その習性を感じるのは追い越す場合。

 追い越す場合、自分の巡航(35~40km/h維持走行)からみて遅い場合に躊躇無く抜くのだが、その際に二通りの反応がある。一つは、そのまま先行させてくれる場合で、もう一つが頑張って後ろに付けられる場合。それでも、後ろに付き続かれるって事は極稀で、殆どの場合は、一度は振り切れる。しかし、そこは公道であり、信号のタイミングによっては信号毎に付き続かれて、振り切っての繰り返しとなる。

 そうすると、こっちも面倒くさいので、急ぐなら先にどうぞと言うのだけど、100%の確率で、先行は拒否される。追い風だろうが、向かい風だろうが、風を受けて走るから意味があると思うんだが、何故に風を避けて走るんだろうか?というのが不思議な感じ。

 更に、興味深い現象?は、何度か信号で同じように停まると、会話が生まれる。すると、大抵は皆さん不調を訴えられるのが不思議ちゃんである。

 台詞としては、『最近スランプで脚が回らないんだ、、、、』とか『膝を痛めて回せないんだ、、、、』とか『夜勤明けできついんだ、、、、』とか、最近ならシーズン的に『二日酔いなんだ、、、、』とか、、、

 みんな凄いモンだと感心する。そんなに不調でも自転車に乗って、35~40km/h走行にしがみついてくるんだから、、、、みんな、カッコイイよ!みんな、速いんだなぁ!って、、、、

 ならば遠慮せずに、ブッちぎってくれれば良いのに、、、、

 なんで、そういう台詞が出るのか?っていうと、多分、話し手の意識には、ホントはまだまだ走れるとか、或いは、こんな筈じゃない?とかの潜在性が潜んでいるように思ったりする。でも、後の記事にも記載するけど、普通の人が普通に頑張って、普通に経験を積んだら、多分、結果は普通に似たような結果になるのが道理。で、その結果の収束点っていうのが大雑把ながら決まっており、その範囲にみんな入っている。そして、その範囲から飛び出すのは現実的には不可能。やればやる程、最初の思いからは変わらない。いつかは、そういう現実に直面するのであるが、熱い気持ちがある程に、やればやる程、先に可能性を信じ、自負を持つ程に他人との違いがあると錯覚するんだろう。

 冷静に思えば、似たような趣味を持つ人が、似たような場所で、似たように走っていると、多分、ポテンシャル的には似たような人ばかり。そんなモンだろう。
 そこに顕著な差なんぞ存在しないっていう事実に対して盲目なのが、最近のロード乗りの習性だ。

 乗る程に上達する!機材に拘る程先鋭化する!練習は裏切らない!そういうムーブメントがトレンドのようだけど、1980年代における単車のレプリカブームと似たような感じに見えるのは気のせいだろうか?

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