イレギュアル日曜日で育児
先週の日曜日は午前中の町内清掃、その後の買い出し等々で、通常の日曜日とは随分とは違う過ごし方をした。まぁ、前日土曜日の寒波襲来で、日曜早朝の冷え込みと、早朝からの町内掃除(道路、公園等々)でラングスターTTでのCR走行はキャンセルし、掃除後の買い出しによる、昼食時間帯の大幅なずれ込み等々で、午後のオ・モイヨWWでの走行も時間が作れず断念したのだが、代わりに、ゲットしたクリスマスプレゼントの早渡しをしたので、その使い方を子供に伝授?するのに専念したのである。
娘には一輪車、息子にはバランシングバイクである。一輪車の改造は不要だが、一輪車に乗るためには乗降、バランスが大事ということで、その乗降とバランスが練習できる簡単な道具を日曜大工で作成してトレーニング。息子のバランシングバイクもサドルハイトが40cmで足が届かないので、ベースフレームはそのままにサドル部分を取り外し、シートハイトを34cmになるようなスペシャルサドルをパイン材を削り出して日曜大工で製作。勿論、面取り、バリ取り、カンナ掛けも施して作成。
因みにバランシングバイクのサドルハイトの34cmは、基本構造上可能な限界に近い低さであり、前の記事にも書いた対象年齢1.5歳以上の『KIX』のサドル高さ35cmを参考に目指した高さである。
勿論、何種類かあるバランシングバイクの中で、サドル高さを低く改造する事を織り込んで選んだ訳であり、一応予想通りの品物を、当初の計画通りに改造しただけの話。その改造を念頭に、日曜午前の買い出しでは、途中にホームセンターによって電動カンナを購入したのだ。その電動カンナ、木材を使って、予定通りに1時間足らずで低床サドルの作成を帰宅後の昼食前に行って、その後、交代でバランシングバイクでのバランストレーニングと一輪車のバランストレーニングをさせたところ。
子供っていうのは、好奇心一杯であり、チョットの支えで割と簡単にコツを掴む様子であり、そのやり方に慣れるとエラク上機嫌となり、練習自体が楽しいようだ。
ということで、この日曜日は、自分の事は殆どせずに、育児がメインだったけど、子供が何に興味を持っているか?どうしたら喜ぶか?出来ない事が出来た時の喜びを味わわせるにはどうするか?そんな事を考えながら過ごすのも悪く無いなぁと思うところ。
しかし、子供っていうのは、見るモノ、触るモノに強く関心を示すようだ。関心を示しては見よう見まねでトライする。特に、自分の知らない事には強い関心を示す。
そして、関心を示したモノにトライしながらも、そのトライで上手く出来た時には、更に、その方向に突進していく様子。親的には、そのトライを見守りながらも、僅かな補助で『出来た!』って満足感を味わえるような補助をしてやるっていうスタンスである。
全部を手取り足取り教え込むでなく、子供の興味の視線の先にあるもの、したい事を想像して、その簡単で手助けを軽く施す程度の事。こうやって子供と接するのは楽しい事である。
まぁ、こんな子育て法が正論か否かは知らないが、数多くの育児本、育児サイトで定型的な子育て論が書かれていたり、他人の経験談が掲載されていたいりするが、そういう事例を単純に記憶して子供に強制するのはナンセンス。
これって、瞬間における必要な要素を、そのタイミングで施す事が大事ということで、どんなに沢山の知識でも、時期が違えば、子供には負担になるだけの話。
親に求められるのは、子供がその瞬間に何を望むか?を感じるセンサーで、そのセンサーが高感度、即ち、最小限度の補助が何か?を考える事、組み立てる事の出来るセンスである。このセンス自体が、親の経験の豊富さ、知識の豊富さ、先読みの深さに起因するものと俺は思っている。
センスの無い親=経験、知識が乏しく先見性の無い親程、子供に自分の出来なかった過度な期待を背負わせる。そうすると、親が出来なかった事を子供に求める結果となる。それが負担になる。子供にとって、見るモノが楽しいモノから、背負うモノに代わった時点で、自発的好奇心の芽が失われる。そう思うのである。
言い過ぎかも知れないが、親の裁量が、子育てに反映され、それで親のコピーが子供に写される。これが遺伝という事かもしれない。
過去の十数年における塾講師、塾経営経験では、色んな親子を見てきたが、やはり親の考え方、生い立ちが子供の性格に大きな影響を及ぼしているのが見えてきた。そういうのを参考にしながら、手探りで自分で良いと思う育児を楽しんでいきたいものである。
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