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2008年12月13日 (土)

タイミングの必然性

 表題の事。タイミング。これってとても重要である。どんなに優れた能力でも、機会を逸すれば、得られる効果は随分と違ってくる。どんな分野にでも当て嵌まる事。そう思うのである。

 最近、ネタにしている自転車のペダリングでもそうだ。また、峠のワインディングを単車で走る場合も一緒だ。タイミングを逸すれば綺麗なペダリングも華麗なライディングも適わない。そんなもんだ。

 これは、新しい技術開発における発想でもそうだ。どんなに優れたアイデアでも、それが要求されるフィールドで本当に要求されているタイミングこそが、普及においては効果的だが、タイミングを逸すると埋没しかねない。

 はたまた、育児でもそうだ。子供の好奇心を最大限度に引き出すにはどうか?っていうと、興味を持った瞬間に、それが出来たら凄く楽しいぞ!を示し、好奇心を加速させるような例を提示してやらなければだめだ。どんなに素晴らしい例でも、子供の気持ちが向いてない時にやっても上の空なのだ。これもタイミングである。

 このタイミングっていうのが実に難しくも重要なのである。しかし、良いタイミングは偶然に訪れるモノか?というと、決してそうでないのだ。
 タイミングが良いというのを、運が良いという事で、偶然の効果として論ずるは容易いが、そこには必ず必然があるのである。
 タイミングが良いというのは、その事象の流れを読んで、その流れに応じた知識や知見を十二分に兼ね備えているっていうのが絶対条件である。つまり、個人の持つ知識データーベース内のアイテムと、外界の刺激を関連付けの思考的試行錯誤が行われているからである。この情報処理数が多い程、外界の刺激を経験に当て嵌める事が可能であり、それ故に、経験的な知識によって外界の刺激の未来を推測する事ができるのである。

 つまり、知識の蓄積と論法の活用が行われているから、傍目に偶然と見えるアイデアの創造に結びつくのである。

 最近の趣味?の一つに育児があるけど、育児でも子供の行動を観察し、その瞬間毎に子供が何に関心を持っているか?どうすれば興味を惹くか?を考えて、補助的なアイテムを与えたり、遊び方を提案したりするのだが、そのような手法は、瞬間の判断で利用してこそ、タイミングが良い訳であり、タイミングを無視した絨毯爆撃のような情報攻撃は、子供に対して大きなストレスとなるだろう。そういうものなのだ。

 育児、研究、趣味、遊び、、、、、全てがタイミングが重要だが、そのタイミングを計るには、知っている物事の多さ、ジャンルを問わない事象の類似性の探求、関連性の創造といった知識的なネットワークの複雑さ、そのような回路を使う事で効果を得るための道筋の決定といった要素が不可欠である。
 そのような脳内のネットワークの構築は、脳のトレーニングが絶対的に必要であり、その実践は、物事の判断を自身で下すという訓練が不可欠である。そんな気がする今日この頃である。

 育児をする上で、自分が親から受けた影響等々を今になって考える事が多いが、そういう部分を引き継いでいるところが確実にあるなぁ、、、、そういう風に見えるのである。
そして、これが遺伝っていうモノなのだろう。

 子供にはタイミングを掴む嗅覚を身に付けさせる。これだけで良いような気もする。

 これは、最近のゆとり教育への反動で、父兄が子供に過剰教育を強要したり、冴えない親が子供にこそは!って意識で教育熱心になったりする様を見るけど、そういうのは、子供への情報の絨毯爆撃であり、情報の受け手側にはストレス以外の何物でもなく、下手すれば、その親心で与えられる勉強や習い事自体を毛嫌いしかねない方向に行くリスクを抱えているのだ。
 ネットや雑紙、情報誌で溢れる情報を良かれという判断で、受け売り的な浅はかな知識で子供の生活を乱すのは、自分的には望ましくない結果を招くように思うのだ。

 まぁ、溢れる情報に翻弄される大人を見ると、その大人が翻弄されるのは、自分の生き方に自信が持てないという裏返しでもあり、前の記事でも書いたけど、自信も自負も無いからこそ一貫性も無く、翻弄され続ける。そして、本人と周囲には何もメリットが残らない。残るのは災いのみとなる。そんな風に思うのである。しかし、そういう人が極めて多いのが現実である。
 タイミングっていうのは、自信があるから出来る即断力であり、時を見計らう力というのは、結局は大局的に物事が見えるから判ること。つまりは、知識や経験を局所でなく、広く、関連分野に拡げて身に付けるという気持ちが無ければ、タイミングを読む力も養われないのかも知れない。持論としては、知識や経験に教科や科目のような垣根は存在しないって事。全ての事象は、類似性を保っており、何かの現象は別の問題のヒントになりうるもの。だから、色んな事象を見る時には、色んな知識に当て嵌めて見る。そんなトレーニングが必要なのでは無いだろうか?そういう嗅覚を身に付けさせる事が育児には必要なように思う。

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