疾病について更に深く考えてみた。
さて、前の記事では、糖尿病や脳梗塞といった生活習慣に起因する重大疾病、或いは、それに影響を受けているだろう癌等の腫瘍、関連が認められるような認知症、広義ではライフスタイルによってリスクが増減するであろう感染症といった疾病については、大きくは、対策や準備が可能という認識を持っており、その対応に疎いというのは、或る意味、種族淘汰フィルターによる必然かも?って書いたけど、その反面、疾病と闘ったり、治療による後遺症と闘う個人を見ると、考えの中には感情による意見も出てきたりする。
先日のニュースでは子供の脳腫瘍に関する現状を紹介した特集が組まれていたが、脳腫瘍って疾病は、放っておくと死に直結するという絶望的な認識が一般的であり、それ故に、患者(子供)の保護者は、医師の診断に任せて治療を行うという。
治療では、物理的な手術による腫瘍の摘出、放射線照射による腫瘍除去が為されるようだが、どちらの術を選んでも、後の人生に多大な影響を及ぼす後遺症を伴う事が多いという。
その一例が報道で紹介されていたけど、ある例では、摘出し辛い部位の腫瘍を摘出する際に周辺組織に傷がついたため?か、食欲で満腹感を得る事が出来なくなった上に、太りやすい体質になってしまったとか、最初の診断で放射線治療が必要という事で治療を受けながら、その後の診断で実は良性で治療の必要性が小さいというのが判ったけど、既に繰り返し行ってきた放射線照射の影響で、記憶力が著しく低下したとか、、、、他にも腫瘍摘出後の術後診断で、何時まで経っても脳内の陰が消えず、放射線治療を繰り返したが、再度の手術で脳内に綿を置き忘れていたのを腫瘍と誤認したために、重大な後遺症を負う事となった放射線治療を受けてしまったとか、、、、、そういう症例を見ると、なんとも言えない気分となる。
親の立場として、子供にそういう重度の疾病が襲いかかれば、藁をも掴む思いで医療を受ける反面、その医療行為によって様々なリスクを覚悟し、そのリスク原因に必然性、或いは、過失性という、いろんな側面がありながら、最終的には、患者自身に重い十字架を背負わせ、患者が子供の場合は、親にも相当な負担を与えるのは事実であり、その当事者となれば、当然、何故、自分だけが?我が子だけが?って思いを持つのも事実だろう。
腫瘍や癌といった異常細胞や、先天的な疾患、或いは、解明されていない難病っていうのも、当事者にとっては100%該当っていう事実であり、それを患うのが人間である限りは、本人に意識や感情がある。その当人の思いの程は想像出来ないが、そういう悲しい思いをさせない事が重要である。疾病とは、その発症した本人に、発症の起因となる要素があるとは限らないもの。その起因要素が、外的な医療行為であったり、親等の以前の世代の何らかの生活習慣による異常の蓄積が遺伝したり、前世代の異常が母子感染のような形で伝えられたりする場合もある。そういう事を含めて考えると、疾病で悲しい思いをしている人を減らすためには、その周りの人間の意識も、いろんな行為、習慣が次世代の誰かに災いをもたらすリスクが有り得るという事を認識しなければならないと言える。
増えすぎた個体数が自然の掟に応じて一定に保たれるっていう原則も生物の原則だろうけど、知能を有する人間の世界においては、知能を活用して得た医療的知見、医療技術っていうのも、種族を守るための本能的な活動の結果であるのも事実であり、健全な状態を失った人達を守るための医療行為というのも、或る意味、種族を守る本能というか本質の現れでもある筈である。
そう考えれば、コロニーで生活を保っている人間界では、疾病と闘う個体を社会全体で守ると言う事こそ本能的でもあり、経済条件、社会条件といった別の価値観で受けれる医療に差が生まれることはナンセンスであり、そういう原則に則った医療政策等が本当は必要なんだろうと思う。
人間も生物であり、生物の原則でいうと、機能を活用しない生活が機能喪失による疾病状態を招く。その疾病の発症が、該当世代に限らず、様々な形で現れるモノである。
しかし、他の生物と違い、次世代を生む数っていうのは極めて少なく、生まれたモノを守る本能的な術として、知恵を授かっているのも事実である。その知恵が種族保存のために医療という形で蓄積されている。そうやって蓄積された知恵は人間の生きる術であり、その術は、医療行為を必要としている人には等しく分配されなければならない筈。これが基本であり、この事は、人間は、個体の見つけた新しい知恵を後世代に続ける事で種族を守るのが本質であり、結局は、知恵を次世代に続けるに必要な営みを長年に渡り行うのが定めということ。それを実践するには、まずは健全に生存すること。そして新たな知恵を生む事が必要で、健全性の維持には、持てる人体機能をフル活用する事のみが有効と言う事を認識し、そうやって一世代で長期に活動することで得る知見を文明として昇華するのが定めである。その一端が医療技術という形で残っており、それを生きる意欲も持つ個体に還元することで、種族の個体数減少に歯止めを掛け続けなければならないのである。そんな風にも考える事が出来る。
これを裏返して冷徹?に言えば、機能を活用せず堕落した方向のみに流れる個体は掃滅すべきであり、己の行動が、他の個体(感染させてしまうような他人とか、母子感染、遺伝による異常の伝達)を汚染している事を気付かない個体も抹殺しても構わないとも言えるもの。更には、種族の生存率を上げる上で必須となる文明のレベルを高める事を放棄した(酷く言えば、好奇心を持って発見に喜びを見出せないとか、新しいモノを生むに見合った努力(学問)に取り組み放棄した)モノも種族淘汰の対象となっても仕方ないとも言えるのである。更には、歴史的な活動の積み重ねで得た医療技術を施すには、その医療行為を受ける事に制限を付けるような社会とか政府に存在意義は無い訳であり、また、その行為の実践においては、受ける側が不運や不幸に見舞われないような最高の安全体制と取り組むルールが絶対に必要なんだろうと思う。
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