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2008年12月 6日 (土)

円高、失業、倒産、不景気、、、、

 表題のような事を希望するような事を言うと怒る人が多いだろうなぁ、、、、

 でも、今回の金融危機?で政策協調かなんか知らないけど、再び政策金利が引き下げられている。金利を引き下げて量的緩和政策に戻るのか?って印象。そもそも下げ代が殆ど無い0.5%から金利を引き下げるっていうのは、実効果が期待出来ないとも言われていたもの。それでも、下げてしまった。

 金利を下げて、例えば円高抑制に効果があるか?っていうと、殆ど皆無な状態。それは、だれもが判っていた事。今の金融危機の一端は、過去の量的緩和政策に責任の一端があるように思うけど、、、、、

 そんな危惧の中、前日銀総裁は、警鐘を鳴らしている。

 で、そういう政策を宣言したにも拘わらず、マーケットに改善の徴候は見られず、寧ろ円高にシフトしている状況。

 この夏以降、急激に経済情勢が変化して自動車産業を初めとして急激な景気悪化が訪れているってニュースを良く聞く。水曜日の関口宏さんのNFって番組でも東京都太田区の様子や、自動車会社の企業城下町における景気後退の様子を紹介していたりした。

 その中で、コメンテーターのコメントで、1991年以降のバブル崩壊では不景気の原因が国内にあったからまだしも、今回の金融危機は国外の影響を受けており、何故に国内が不景気に曝されるのか?って類のコメントが、先の太田区の町工場の状況と絡めて話されていたのが印象的だ。

 しかし、自分的には、今の金融危機の発端の海外での消費拡大、経済活動の活発化っていうのは、各国の金融の量的緩和政策、その中でも図抜けた日本のゼロ金利政策が海外の消費意欲の煽動に方分を担いだように思うので、或る意味、責任が海外にあるとは思えないのである。量的緩和、ゼロ金利による大量の資金投入と、国内生産品の海外での価格競争力の付与による輸出産業による旺盛な輸出行動で実力以上の潤いを享受した十年では無かったのだろうか?或る意味、円安バブル(海外の消費意欲を煽り、価格競争力を背景に利益を独占してきたのでは?)のような印象なのである。
 このような政策誘導で強制浮揚されていた景気に舞い上がった企業経営者のツケを今から払っていかざるを得ないように思うのだ。

 グローバル化が進んだ現代において、製品製造を担う地域は社会の成熟度に従って変遷していく(国の基幹産業が変化していく)のが原則であり、その通りに、繊維工業、造船、機械といった産業は欧州から米国を経て、日本、そして韓国、中国、更には東南アジア諸国が担うように移っていくモノであり、それが自然な姿である。産業が移ってしまうと、何もなくなるか?っていうとそうでなく、製品に新たなる価値を与えたり、新しい価値観を作り出すのが先進国の宿命であり、特に資源を持たない国家にはそれが強く求められるっていうのが定め(本来の国家戦略)なのである。
 そういう視点で、アメリカは自動車産業の次代産業として、軍事、航空、宇宙、半導体を経て金融に目を付けて市場をリードしようとしており、欧州各国も、環境技術、環境に関する価値観創世で市場をリードしようと覇権を争ってきたのであるが、日本は、既存産業に固執するかのような産業界からの圧力により、ゼロ金利による強制的な円安誘導による価格競争力を武器に10年を過ごしてきたように見える。

 その判断が成功か否かは別として、アメリカは政策として産業の柱に金融を据えるというビジョンがあったし、EU圏では環境に関する価値観創出を産業の柱に据えるという戦略の元で動いているが、日本は旧来の基幹産業を保護するためだけのゼロ金利による円安誘導での保持競争力保持という対処法に留まっていたのであり、本来なら1995年における1ドル80円の時代に、そのレートで勝負できる価値感を創出する取り組みを行うべきを、後回しに10年以上の時を過ごしてきたのが現在のように見えるのだ。

 その古い前提(円安が当然)の価値観では、価値創世の意欲を企業が失ったために、現代の問題が難題として残っているようにも見える。例えば、大企業における非正規雇用労働者の割合が多いってことは、企業に留まり価値観創出に寄与する人の率が減ったと言う事。つまりは、新しい技術や知恵が生みにくい状況を作っているようにも見えるし、中小零細企業における技術にしても、匠の技と言えば聞こえは良いが、作る課題(品物)が無ければ動けないという状態は、よく聞く言葉だが、『町工場=待ち工場』を表しているようだ。モノは作れても、価値は生み出せない事に問題が在る事を認めていない現状を映しているように見えるのである。待ち工場とならないような大企業が欲しがるニーズを先行して取り組む小回り性こそが小企業集団の持ち味であり、それを売りにする時期に来ているとも言えるのだ。

 1ドルが80円でも勝負できるような価値と価値観の創世こそが、急激に産業が発達しているBRICs等新興国と共存する唯一の条件なのでは無いだろうか?どんなに高性能であっても、国内製造業が製造する製品の性能に対する市場の要求レベルは、後進国の製品でも不満の無いレベルに達しており、これは、日本車がアメリカ車、欧州車を席巻したように、家電から産業機械迄、今度は日本製品が後進国製品に席巻される時代に移りつつ在る訳で、その流れは止めようがないのである。その必然に対する価値創出の仕組み作りを官主導で行うのが本来の姿の筈だ。

 物づくりに誇りを持つのは良い事だが、製造や設計という定型的な手順のみで満足しているようでは未来は無いように思うのである。価値を生み出す仕事こそが最重要であり、何処に何が求められているか?を見抜く嗅覚と、具現化するアイデアこそが匠であり、それを具体化する作業こそが、後工程である設計や製造を活用し、産業を安定化させる唯一の作業のように思うのである。

 仮に、日本における企業の中で、その主力製品が30年以上変化していない企業や、製品製造の競争相手が後進国の中で生まれ、着実にシェアを奪われつつある事態があるならば、そういう企業は、主力製品の次代の製品、或いは、その製品技術を利用した別の価値観の創出に務めなければジリ貧になるのは間違い無いだろう。少なくとも、現行製品で競争相手に技術的先進性を奪われた時点で、勝負は付いてしまうのである。

 そういう事実を受け入れて、次の手を打つには、企業として体力のある今の時点で、もっと過激な経済環境の悪化を経験した方が、次にどうするか?を真剣に考える機会を経営者に与えるようにも思うのである。経済環境の悪化を静観するようなスタンスを続ける事自体が、他国の追い上げを許す時間を与えるって事実が見えない訳であり、もっと危機感を感じるような経済環境の変化が寧ろ好ましいかもしれない。

 国の施策としては、考え方を改めて、そういう新しい時代に対応できるような景気対策をすべきであり、アホみたいな定額給付金とか、公共事業とか、、、そういうのはチョット違うように思うのである。

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