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2009年1月10日 (土)

ロードレーサーとリアルレプリカ、重量車

 前の記事でロードレーサーが牽引する自転車健康ブームと突然死の危惧の記事で、ロードレーサーの敷居があまりにも低くなったって記事を書いたけど、これって、よく考えるとバイクの世界にも当て嵌まるなぁ!って思ったので、改めて記事にしてみることにした。

 ロードレーサーっていうのは、本来、全てを犠牲にして速度を効率よく取り出せる構造を持っている。よって、モノの形、モノの雰囲気は、乗り手に速度が出るよ!って急かす雰囲気を持っている。その雰囲気は、作り手が作った雰囲気だけど、その雰囲気は乗り手にも伝わるものである。
 それ故に、ロードレーサーを見て、カッコイイと誰しも思うものであり、その格好良さを手に入れて具現化、体験してみたいと直感的に思うのである。
 前の記事では、その直感的行動が突然死に繋がるかも!って言っているだけである。

 ところで、ロードレーサーっていうのは、全てを犠牲にしてということで、万能ではないのだが、その犠牲によって得るものを絞り、その末に速度を高めるという乗り物だが、その本来の意味を納得して機能を発揮するには、速さを価値観にした時に底辺から頂点に到る経験と知見が乗り手には求められるものである。
 それ故に、本当は、ロードレーサーっていうのは誰でも乗れるモノではない筈であり、それを扱うには、それに到る経験が絶対に必要であり、その経験なくしては、ロードレーサーはそれらしく動かないという思いを持っているのである。

 自身、ロードバイクに乗らないのは、ロードバイクに見合う身体と使い方が日常では思い浮かばないからであり、それ故に、普通の自転車を主に乗っているというのだが、この考え方や思いっていうのは、表題の如く、レーサーレプリカバイクや重量車にも当て嵌まると思うのである。

 80年代のレプリカブームでは中型免許を取って、いきなりレプリカバイクを買う人が多かった。遡れば70年代のナナハン登場でも免許取得後にいきなりナナハンって人も多く、最近では、大型自動二輪免許の教習所取得解禁後は、バイク歴無い人がいきなりリッターバイクっていうのも多かったりする。

 で、その結果はどうか?っていうと、レプリカブームでは運転操作の未熟さからくる事故の多発と、モラル無き暴走による公道における規制強化、単車の馬力規制強化がやってきて、70年代の重量車事故の多発では免許制度の分割化を招いている。90年代以降の免許制度緩和では大きな規制は見られないが、重量車で命を無くす若者というか馬鹿者が結構多いのが実態であったりする。
 それは、なぜに?っていうと、高い技量と豊富な経験が必須な筈のレプリカバイクや大馬力重量車に素人が乗る事によって生じた事態であり、或る意味、起こるべくして起きた状況でもある訳だ。当時を思い返してみれば、販売促進かブームを煽るメディアのせいかは知らないが、免許を取って、ローンを組んで、カッコイイバイクに乗ろう!的キャンペーンが大々的に為されていたし、最近では、免許取得費用を補助するから重量車に乗ろうキャンペーンとかが見られるが、その様は、先述のロードレーサーを薦めるスポーツサイクルブームと全く同じ構図が見えるのである。

 過去に何度も主張しているけど、スポーツっていうのは学問的な側面を持つモノ。それ故に、その特化した分野で使うような特化した機能を有する機材は、その分野の知識と知見、経験を持たざるモノに使う資格は無いと思うのである。そして、そういうモノを使う環境っていうのは、実は極めて限られた空間でしか使えないとも思うのである。
 ある世界では、ロードレーサーを乗りやすい自転車と紹介し、ポジションフィッティングサービスなんぞを語る人も居るけど、自分の意識としては、自分のポジションが決めれない奴はロードレーサーに乗る資格はそもそも無いだろうというのが持論なのである。少なくとも、そういう行為は特化した乗り物を販売する手段としてショップが行うべきではないとも思うのである。
 少なくとも、ポジションフィッティングっていうのは、ユーザーの不満を聞いた上での返答と応対という形でなければ、そのポジションに到る意味は乗り手には伝わらず、基礎の無い形だけの追認では、その形を利用する術さえ伝わらないのではないか?と思うのである。乗り方、使い方、漕ぎ方、そこで一応の持論を得た人が進むべき場所に存在するものがロードレーサーという思いを持っているのである。それ故に、ロードレーサーに乗ると言う事は、格好良く、スマートに乗るという事がデフォルトセットではないか?と思うのである。無様なロードレーサー乗りとか、デップリレプリカライダーなんぞは言語道断なのである。

 ロードレーサーにしろ、リアルレプリカにしろ、大型スポーツバイクにしろ、その扱いの方向性はスポーツ・・・・・という事であり、そこには技量的専門性がある筈。その専門性は学問的、科目的な範疇に属するモノ。それを扱うってことは、それが扱える事をアピールしているようなモノ。更に言えば、ロードレーサーにしろ、レプリカバイクにしろ、そういう道具を以て、衝動的ではあっても挑発行動をとったり、これ見よがしの行為をするならば、その行為がモノの格を汚してはならないとも思うのである。わかりやすく言えば、一流のロードバイク、レプリカバイクに乗って、これ見よがしの行動を取るのであれば、それに見合った技量と能力を見せなければ、モノに失礼なのである。挑発した揚げ句に、ロードが小径に、或いは、レプリカがツアラーに返り討ちで撃墜されたりするのは、ロードやレプリカが可哀想なのだ(皮肉ですよ!)。

 自身、ホモロゲーテッドレーサーレプリカとかロードバイクを素直にカッコイイと思いながら、手に入れることに躊躇したり、持っている愛車でそういう方向性の強いモノに乗る機会が少ないのは、それに見合うか?を考えたり、それが使える環境か?を考えての事。少なくとも、自分で持っている愛車のそれ系のモノに乗る場合は、心構えと場所と時刻を弁えて、一種の心構えを持っているつもりなのだ。(まぁ、結果的に盆栽的に為りかねない状況かもしれない。500ガンマは滅多に乗らないし、最近組んだTTロードもシェイクダウンのみ、、、、)

 そういう前提を超越というか意識外で、ファッションというか趣味の一部、個人の勝手でしょ!ってノリで普及する先に潜んでいるのは、この記事で皮肉った嫌み以上に危ないのは、先の記事で予見している突然死であったり、モノの魔力に負けた無謀な使い方による公衆道徳からの逸脱(信号無視とか)であったり、或いは、無謀な使い方による故障や怪我との遭遇だったり、そういう弊害の多発に対する規制の乱立だったりするのである。

 こういうモノは本当に楽しいモノで奥深いものだけど、その楽しさっていうのは、そこに到る積み重ねを本人が持っているから、その奥深さを堪能できると思うのだが、そういう手順を逸脱して盛り上げる風潮が、日本におけるブームの急激な盛り上がりと衰退という現象に繋がり、何事も定着して文化として育たない土壌を作っているようでもある。

 ロードレーサーもレプリカバイクも楽しいモノだし、廃れて欲しく無いモノである。楽しく過ごせるには、無用な規制で縛られないのが大事だが、それは、ユーザーによる使われ方次第なのである。楽しいモノで、死んだり、怪我したり、或いは、事故を多発させたりといった不幸な事態に到らない事を切に願うばかりである。

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