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2009年1月11日 (日)

今更ながらのVista、OS進化はコレでよいのか?

 年末の株主配当で子供のパソコンを調達した。
 そのパソコンは、前記事でも紹介した通りのモノで所謂ローエンドなスタンダードノートパソコンである。49,800円でCeleronM520搭載、RAM1GB、HDD160GB、WindowsVista Home Basic、Office搭載なNECのPC98-NX(VJ16MXF1027)だ。

 このパソコンは無線LANで接続されたリビングマシンでもあり、娘よりも深夜のネットサーフィンに自分が使って、嫁がメーラーを使うというもの。

 このマシン、取り立てて注目すべき点は皆無だが、敢えて言えばOSに最新?のWindows Vistaを搭載している点である。
 自身、ネット接続は1998年からであり、OSはWindows98からのスタートである。自分のPCの更新は結構頻度は低く、嫁パソの更新の方が多かったりしており、使うOSも自分よりも嫁パソの方が新しい場合が多かったりしていた。嫁パソも昔はWindows98だったけど、途中からWindowsMEとなり、自分のPCより早くWindows2000に移行してきた。

 自分は?っていうとは、仕事でも自宅でも相当に長くWindows98(SE)を愛用しており、NT系のOSへの移行は相当に遅れ気味であったのだが、長時間の起動でリソース開放が出来なくなる9X系のOSの弱点とサポートの打ち切りによってWindows2000に移行したのが3年前の話である。
 勿論、仕事で業務システム用のPC環境の構築では、大昔ならNT、途中からはWindows2000、及びWindows2000Serverを使ったり、WindowsXpを使ったりしてきたけど、どうにもWindowsXp自体もかったるい動き故に敬遠しがちに過ごして今に至るのである。
 因みに、最初にWindowsXpを使ったのはPentiumIIIの733MHz時代でRAM512MBのi815環境だったけど、そのマシンパワーでは明らかに不足気味という印象を強く持っており、その時の自宅の環境は?っていうと、自分機はPentiumIIIの1GHz×2+RAM1GBという環境で、これならWindows2000の方がマシか?という判断は前述のPentiumIII733MHzでの使用感からの判断である。

 そんな訳で、取り敢えずはWindowsXpのパッケージは未使用状態で確保しているのはしているけど、結局インストールすることなく相変わらず自分マシンはWindows2000という状態なのだ。

 さて、そんな自分が年末からチョコチョコと触った激安ノートPCとWindowsVistaの使用感だが、これはAeroが搭載されていない分、殆どWindows2000とは差異の無い構成。使い勝手の差は?っていうと無理矢理簡単な語句に置き換えているせいか、直感が働きにくい印象だが、基本的な管理体系はWindows2000と殆ど一緒。っていうか、更新して使う必要もあまりないような印象である。動作的にはマシンスペックが等価で無いために比較は出来ないが、取り敢えず、不満の出ない状況には変わりない。そんなVistaだが、逆にWindows2000で十分という判断になりかねないのが正直な感想である。

 まぁ、Vistaを特徴的に使うのであれば、やはりHomeBasicではないAeroが使えるHomePremium以上のバージョンだろう。

 ならばAeroとは?っていうと、結局はマルチタスクOSでの切り換えでの視覚的な選択の容易さを追求したものであり、タスクを切り換える前提であるタスクが同時起動された状態で、タスク内容を常に情報として表示させるというもの。これは結局は、選択状態のサムネイルの要素全てにタスク毎の情報を縮刷して表示させるものであり、それだけで相当なメモリーを消費するというのが伺えるのだが、この機能をオフにしてしまうと、ハードのリソースのハードルは一気に下がる一方で、Vistaを選ぶ必然性さえ失われてしまうようなモノである。
 自身、パソコンの最初の取り掛かりはMINIXというOSからでマルチタスクに幻想を抱いていたのは確かだが、その後のパソコンの進化においてマルチタスクっていうのが本当に使いよいものか?というと、コマンドレベルがマルチタスクで走るのは良いけれど、アプリケーションが複数走る必要は?って部分では、それ程の必要性を感じないのが正直な感想なのである。
 敢えて、それでもマルチタスクというならば、個人的な理想は、ハードが一つで、入出力インターフェースを複数備えるようなシステム、そう、X-WindowにおけるX-Terminalのような構成こそ本来の姿では?と思うのである。
 実際に、過去の職業上の経験では、UNIX系マシンで業務CADを使っていたが、その当時に端末台数を増加させるために用いたのがX-Terminalである。これは、一つのハードに入出力インターフェースを増殖させることで複数のユーザーが資源を共有できるもので相応のメリットを感じていた。マルチタスクの神髄は、マルチユーザー、マルチオペレーションでリソースの共有こそがメリットであり、シングルユーザーでマルチオペレーションでは、せいぜいバックミュージックレベルで十分という思いである。

 ユーザーが一人の場合は、複数の作業で、一つの処理時間が待てなくなる程に重負荷という状況では、マシンパワー自体が不足ということで、複数の作業といっても、一方の作業は休止状態である事の方が多く、それならばマルチタスクではなくタスク切り替えのMS-DOSならVer.5レベルで良いのである。
 一人の人間が、その頭で複数のアプリを同時並行で操作する状況なんぞ皆無に近い訳であり、タスクの並列化に併せOSが進化するよりも、一つのアプリ内での複数コマンドの同時処理能力を高めるような命令の実行分岐性チューニングこそが重要ではないか?と思うのである。これは本来、ハードのリソースをどう使うか?というアプリケーションの設計のセンスで得られるものであるが、そういうコマンドの分岐能力をOSが陰に担うような進化こそ重要だと思うのである。
 そして、そのような高性能はOSのタスク処理の並行性をアップさせる部分よりもタスク内の処理を分散させて高速化させる進化の方がユーザーにはメリットが大きいように思うのである。
 仮に自分がマイクロソフトのOSの開発担当であれば、OSには同じアプリケーションを実行させた時に、新OSが遙かに高速かつ安定的に処理できるような方向にモデルチェンジするだろう。アプリの発行するコマンドを如何に分配して高速処理できるようにするか?というのが本当は有効なのでは無いだろうか?

 具体的かつわかりやすく言うと、ハイエンドPC+最新OSで、複数のビジネスアプリの並行動作をアピールするよりも、リアリティー溢れる表現力でゲームを快適に動作させる能力をアピールする方が、ユーザーのニーズに合致しているのでは?と思うのである。言ってみれば、あるタスクを分散処理して処理系統に特化した機器+モジュールが高速で実行し、結果としてタスクの処理時間を縮める事、分散処理こそが神髄だと思うのである。これは、分散処理システム、スーパーコンピュータなんかがそうだけど、GPUなんかは象徴的な機器だし、チョイ前ならデータ転送の専門でSCSI機器なんかもそんな仲間である。仕事柄、時折製作するデータ収集システムなんぞでは、データ収集、書き込み、計算、表示・・・・を同時に行わせると、どうしてもラグが生まれるが、そのラグを消し去るために専用のハードに色々と行わせているけど、そういう場面では、ワンタスク内のコマンドの並列実行性が特に重要なのである。

 そういう原点に立ち返ると、マルチタスクOSのアプリケーションの並列実行を前提とした利便性を高める進化を見せているVistaの上級グレード自体に存在価値を見出す事が出来ず、それを除いた結果を冷静にみると、Vistaというのは遠く遡ってMS-DOS5のタスクシェルの時代から実は進化していないのかもしれない。
 勿論、1990年頃からの進化によって、ウインドー表示というGUIが洗練されてきているが、その洗練度合も基本はWindows95で一応の完成を見ており、その後の洗練というとデザイン上の小細工に留まっているというのが正直な感想である。勿論、OSが16ビットから32ビットモジュールの追加を経て、フル32ビット化を果たし、64ビット化に向かう流れの中で、処理できる情報量の増加、速度の増加、セキュリティーの向上っていうのは進歩として存在しているけど、この実の部分のみの進化で考えても、Windows2000でOSとしては一応の完成を見ているような印象である。

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