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2009年2月28日 (土)

自分のモノは拘れる

 チョイ前から車では一般的な買い方で、残価設定ローンとか、リースとか、、、、そういう買い方を見たりする。

 この買い方っていうのは、一定期間後にモノの価値を設定し、その価値減分をローンで支払う、リースで支払うって方法だ。この場合、所有権がどうなるか?は、こういう買い方を経験したことがないから知らないけれど、一定期間後に定めた価値を維持するというのが前提であり、仮に、どんな所有形態であっても、一定期間後には定めた価値に戻せるという大前提があるように思う。

 つまり、モノに対して不可逆な手を加えることは当然ながら出来ないということだ。

 更に言えば、所有者の好きなようにすることが出来ないってこと。

 これは、一体、、、、、本当の意味で、自分のモノに仕切れないということでもあるように思う。そういうのは、或る意味、借り物であったり、レンタル品であったり、或いは所有権こそあれど、運良く第三者から貰ったりというモノと同じように思ったりするのである。

 リース品、残価設定ローンでの取得品、借り物、貰い物っていうのは、一体どうよ?っていうと、それは、自分の思いからすれば、実用品で無い限りにおいては、自分で決めて手に入れたモノとは一線を画す別個の存在のように思うのである。

 何が違うか?っていうと、手に入れる段階において自分の意志があるかどうか?という点である。

 趣味のモノって場合では、この入手段階における動悸の時点で、自分の意志の有無っていうのは実は非常に大きなモノだと思うのである。動悸の時点での自分の意志の有無とは、簡単に言えば、拘りである。拘りがあるかどうか?それが自分で決めたモノか?与えられたモノか?というのが、実は非常に大きな違いになるのでは?と思うのである。

 拘れるモノっていうのは、存在に自分の動悸がある。それ故に、大事にするし、なかなか飽きないし、、、、そういうモノなのである。

 この拘りっていうのは、有形なモノに限らず、実は、無形なモノにも当て嵌まるモノである。特に、趣味において無形なモノっていうのは、思想、方法論、考え方という部分だけど、そういう本質的でありながら無形なモノでも、その無形なモノの考え方がぶれるか、ぶれないか?っていうのは、自分が自信を持って決めたモノかどうか?が、無形なモノの安定性に繋がるように思うのである。
 例えば、バイクでの曲がり方、自転車での漕ぎ方なんて方法論もそうである。誰彼が言うから、それに従うって程度では、その内容への信仰は、聞き手への信頼感だけであり、その信頼感が崩れれば、その内容も崩れがちとなる。
 しかし、そういう方法論を自分の根拠で生みだしたモノとなれば、その自身の意識の信頼感が揺るがなければ、考えも確固となるものである。それが確固となるか否か?は、結局は、自分自身の積み上げてきた経験であり、その経験を得たという自負こそが、自分の考えの安定性となるのである。

 結局、有形、無形に限らず、自分で信じれるものっていうのは、自分の考えで自分で一から決めたモノしか有り得ないのである。そういう拘りこそが、趣味というジャンルにおいて一番大事なモノのように思うのである。

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いい加減

 人の事ばかりは言えないけど、結構、みんないい加減だと思う。

 いい加減っていうのは、仕事の質について思うところである。

 仕事っていうのは、行動の対価を賃金で得る訳であり、賃金を得るには見合った仕事っていうのがデフォルトだが、そういうバランスが取れていない例を多々感じるように思うのである。

 持論では、仕事を覚えて勉強するって言葉を聞く事があるけど、それならば賃金を得る資格は無くって、本当は覚えるのであれば授業料を払え!って気分なのだ。

 さて、そういう風に仕事を捉えているのだが、街で溢れる?作業を見ていると、その仕事ぶりが賃金の対価を得るに見合うか?っていうと、結構怪しいのである。

思い付く例を挙げると、、、、、

・ネジを斜めのまま電動ドライバーで強引にねじ込んで、行き詰まる作業員
・サイズの異なるドライバーでネジの掛かりを壊して行き詰まる作業員
・車のエアロパーツの存在を無視したジャッキアップで外装を壊す整備員
・エアコン配管で長さが足らないのを不確実なジョイントで賄い確認しない作業員

 他にも結構見てきたけど、なんか素人目に見ても有り得ない作業をしている奴、結構多いのである。あれで金取るか?って思う程だったりする。

 金取る前に、雇われる資格が在るかどうか?が問題。雇用問題で職を失う云々って話を聞くけれど、少なくとも、作業に対して責任を持って仕事をする人でなければ、労働の対価で金を取る資格は無いと思うところ。

 話は、変わるけど、そういうことは習うことでも無ければ、教わる事でも無い。

 上の愚痴は、家電、家具のサービス員で体験したフラストレーションを愚痴にした事なんだが、最近は、自分の生活圏でもそういう事を感じることが多い。
 良く聞くのが労災関連。労災の内容も、有り得ないような労災が起こったりするけど、そういう労災は常識欠如で生まれている様子。常識欠如といえば工場等での作業員でも見かける事があるけど、工具の使い方、使う向きが変だったり、ネジの閉め方、バルブの開閉手順、ネジの種別、テープの巻き方、釘の打ち方、、、、、そういう所に有り得ない作業を難しそうにする例を頻繁に見るけど、そういうのは教わることでも習うことでもなく、寧ろ、常識に近い事。そんな常識が通用しないのが今の常識なんだろうか?

 そう思うと、雇用問題で権利を主張する人が多いのは確かだが、権利を主張できるだけの資格以前に常識を兼ね備えているのか?と、問い詰めたくなったりする。

 生きる上で必要というか、文明を構成に伝える事の出来る人間としての天命は以前も述べたように、未知の知見を見出す事。即ち、発見である。発見、発明、特許という部分を生み出す力を頂点に、その未知に繋がる既知の作業を担う資格が続き、底辺が作業の根本を支える常識が必要と自分は思うのだが、この常識が欠落していれば、いくら公的な資格や免状が有っても何の意味も無ければ、作業に信頼をおくことが出来ないと思ったりする。

 因みに、常識っていうのは、こうすれば、どうなるという常識的な因果関係を行動前に理解することであり、常識的な現象と結果の推定が出来れば誰でも簡単に出来ること。これは、ありとあらゆる現象に当て嵌まることだが、その因果関係を多くの分野で当て嵌められるようになるように知識的サンプルを知る事が実は教育だったりするのである。
 基本的な常識論が通じないっていうのは、その初等教育の段階で知識サンプルの修得が出来ていなかったように思う。

 辛口になるけど、そういう部分っていうのは自分の記憶に従うと小学校教育ではないか?と思ったりする訳で、義務教育レベルで身に付けるべき常識を持たない人も実は居るのかな?と思ったりする。
 常識を持たないっていうのは、その上に資格を積み上げたり、或いは、知見を生み出す高みに辿り着く事は不可能にも近く、社会に存在意義を還元することが適わないのでは?と思ったりする。

 中には不幸な例もあるかもしれないが、発明能力は愚か、資格も有さず、果ては常識的な概念も欠落している場合は、雇用面で不遇に遭遇するのは、或る意味仕方ないとも言える。仮に、常識的なモノを持ち合わせながら単に不幸で生活が立ち行かなくなるという状況はあってはならないが、常識さえも持たない者は、本来、社会から還元を受けるべきで無いのも道理であり、そういう常識を身に付ける初等義務教育であっても、検定を通過しなければ上級教育を受けて社会に還元できるポジションを与えるべきではないようにも思ったりする。

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2009年2月27日 (金)

羊のフリした狼ドライバー、多いぞ。

 自転車に限らず、単車でも、車でもだが、運転していて抜きたくなる事が有る。
 抜きたくなる理由っていうのは、速度的に差異が有りすぎる場合も然りだが、その限りでない。速度差以上にリズム感で違和感を感じると抜いてしまうのである。

 勿論、抜く場合っていうのは、追い越し規制が掛かっている場所では抜かない。抜くのは、抜くことが許される場合に、瞬間的に状況を判断して、一瞬の内に相手に判断や反応させる間もなく抜くのだが、、、、、、

 自転車で躊躇無くスパーンと抜くのは、正直、目の前の自転車が遅いから。目障りだからである。単車でも同じ様なモノである。車の場合はどうよ?っていうと、制限速度から10km/h以上遅く、尚かつ、リズムの悪い運転の場合。具体的には目の前でセンターライン割り割りで運転したり、コーナーの入り口でオーバーラン、出口でブレーキのような運転だったり、対向車とすれ違う度にブレーキランプが灯るような運転だ。
 加速する時は加速し、止まる時は止まる。そして、対向車線にはみ出さない。不要なブレーキランプは点灯させないが基本だと思うけど、そういう常識的な運転は寧ろ少数派。

 最近は、そういうリズムの異なる運転かどうか?は、車の動きを見たら即判断できるし、そのような運転をしているドライバーがどういう人か?或いは、携帯電話、カーナビの操作に没頭しているか?なんて状況も即判断できる。

 そんな訳だが、車の運転状況を見ると、決して自分が上手いとは思わないが、剰りにも運転以外に関心を分散させてハッキリしない運転というか、集中力が欠如したような運転が多いように感じる。フラフラしたような運転、飲んでは居ないのだろうけど、酔っぱらったような挙動を示すような運転、前を見ていないような運転、先を読んでないような運転、そういう怖い運転が多いように思うのである。

 運転っていうと、走っている時に限らず、ホームセンター、ショッピングモール、スーパーの駐車場でも感じる事だが、枠線を無視したような駐車も非常に多いのが気になるところ。

 実際、そういう状況というか、そういう他車が近くにいるとどうか?っていうと、どうも気持ち悪いので、そういう車から離れるっていうのが大原則なのだ。
 気持ち悪い車が居れば、離れる。その車が遅すぎの場合は?っていうと、更に遅く走るのは、後続車にストレスを増幅させ兼ねないから、抜いても良いところでスパッと抜く。車で、白線の枠に対して適当に停めてある車からは離して停める。隣が白線踏んでるからといって、自分が更に間隔を空けて反対側の白線からはみ出るような停め方はしない。

 嫌な気分になるのは、停めている時は普通でありながら、用を済ませて出ようとすると、隣に新たに駐車した車が剰りにも迫っている場合とか、リズム悪いトロイ運転を抜いた途端に豹変して追っかけられる場合である。停車時の話は、その場を立ち去ればOKだけど、抜いた途端に追いすがってくるドライバーはホント、怖い。そういうドライバーは何人か見るけど、案外、見た目普通の人。普通のオバサン、OLがそういうノリである。結構怖いのである。

 こんな記事を書いたのは、先々週のSCからの帰り道、そんなKEIに遭遇したから。前を走りながら、対向車と離合する毎にブレーキを踏んで、センターラインを割りながら、制限速度30km/hの道を20km/h以下で走っている。
 これは、運転し辛いということで、サクッと抜くと、、、、、抜いた途端に後に迫る迫る、、、、まるで、スピルバーグの『激突』である。

 最終的には、面倒臭いからサクッと引き離して事なきを得たけど、そういう人って結構多かったりする。ただ、サクッと引き離すのはスタッドレスタイヤ故にタイヤが勿体ないなぁ、、、って思ったりもするのである。

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ポジションとペダリング論

 前の記事では、今流行のバイクのブランド、その上でのポジション、常識化されている装備について徒然私感を書いてみたけど、それとは異なるのが自分のスタイル。

 自分のスタイルは、ポジションで言えば、トップ長は短め、サドルは寧ろ低め、ハンドルは高めである。そして、ビンディングは不要論者だったりする。

 それで、人に言わせれば非常に高回転なんだそうだ。

 何故に、そういう選択肢か?っていうと、力を生み出せる関節角度が決まるということは、そのポイントは只の一点であり、サドルが低いと言う事は、クランクが水平より下側でクランクをイメージ的には後方に蹴るようなスタイルをしているってこと。低い位置で最大の力を出すので、腰の位置も低い方がベターであり、結果的にサドルも高くないのである。
 クランクが水平より下で駆動する事を重視するというのは、反対側のクランクは水平より上に位置しており、その状態でペダルを引き上げる行為自体が無意味であり、結果、ビンディングを不要としているのである。反対の脚の大事なのは、次の瞬間での踏み始めの際に踏み位置がずれないような水平方向での位置併せであり、前後のズレ留めこそが重要だという考え方である。上下方向での接続は反対側の駆動力をロスさせるという考えが、そういうスタイルを選ばせているのである。

 ペダリングにおいては、臍下の筋肉というよりも、肩下の筋肉で後方に蹴るという行為を行っている。駆動の支点は腰でなく肩にあるのが自分のスタイルである。肩が固定されるので、尻はサドルに接しているだけであり、結果的に尻は跳ねないのである。肩位置を固定するっていうのは、車体と肩の位置関係を完全に連結する訳であり、ハンドルを握るのではなく、ハンドルと肩の位置を固定すべく腕の筋肉を導入するというパターンである。
 ハンドルが低すぎて腕は伸ばしきる状態では、力は入れれない。身体を重力に抗じて支えているだけとなる。ハンドルを高めにするのは腕を少し曲げた状態で筋肉を収縮させた状態で身体の固定を作るためである。このスタイルが、座ったまま立ち漕ぎするような印象という言葉になるのである。上体の固定に、腕の筋肉と大胸筋をフルに活用することだ。上体を固定し、その下の筋肉で後方に蹴るような印象なのである。動力の支点は、腰でなく肩にある。つまり、尻が跳ねないという論理である。

 昔の国産フレームの多くはトップ長が短く、リアセンターが短いのが多いけど、それは、こういう漕ぎ方でパワーが逃げないというのが根底にあるように思う。ピストのフレームなんて最たるものだし、本格的なロードフレームもそういう傾向が極めて強い。勿論、舶来ブランドも本来の体格を持った人が乗れば同じ論理が成り立つが、体格の異なる日本人が乗れば、前の記事のような乗り方には制約を受けるのでは無いだろうか?

 既存の舶来ブランドを、この記事の如く前乗り的に踏むことも不可能でない。それには、ハンガー位置とサドルセンターの位置関係を調整すれば済む事だが、そういう方法では、サドルこそ前気味、低めにセットできるけど、シート角によって定まるリアセンターはコンパクトに出来なかったりする。実際、自分のラングスターTT号もサドル位置は前気味に固定しているけど、やっぱり見た目的に格好悪い。

 どっちが正しいか?って事は決めれないが、少なくとも、実質的に多くの筋肉を導入しているのは自分の考え方であり、筋肉が多い程、速度の乗りが上回るのも事実。そして、同じ速度(出力)で走るのなら、多くの部位の筋肉を使う程、局所の筋肉の負担が小さいのも事実だと思うのである。

 多くの部位の筋肉を使い、使う部位の筋肉が多い程、実走における負担率は軽減できて負荷を長持ちさせる事が出来るのは当然と言えば当然なのだ。

 話し掛けられて思うのは、自分より若く、立派な機材や装備を持ちながら、或る意味、そういう質問を受けたり、煽てられるのは、多分だが、単純に乗り方の違いだけかなぁ?っても思ったりする。ボロ機材でオッサンが出来て、高級機材の若い人が出来ないのは、多分、使い方の考え方の差が原因ではないか?と思うのである。

 少なくとも、自転車を体力を速度に変換する機材と考えれば、速度(出力)を得る為には、如何に大量の筋肉を導入できるか?そして、導入した筋肉の稼働率(備わった筋肉に対する)を下げる事が出来るか?がキーであり、大量の筋肉で武装し、全身の筋肉を導入することを前提にした機材の使い方を得るというのが多分、皆が求めている事なんだろうと想像したりするのであった。

 因みに、前乗り、後乗りで使う筋肉、使い方が違うのは当然だが、自分はサイクリングや長時間巡航の場合は、その乗り方を切り換えて主役として働く筋肉を入れ換えながら走っている。ただ、連続で2時間程度の高負荷維持では、前乗りが基本で踏んでいるのである。

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2009年2月26日 (木)

街角ペダリング

 最近思う事。男性の乗る自転車である。
 基本はママチャリ、MTB、小径、、、、時折、流行りのロードバイク、、、、、これ、結構な割合で、つま先が開き、膝小僧が開き、首が左右にくねるような乗り方が多いのである。

 上半身のくねりを見ると蛇のような感じである。

 名付けて、

 『ガニ股スネークペダリング』

 とでも言おうか?

 そんなペダリングが異様に多いように思うのである。判らないではないが、何故に?って思う事が多いのである。
 そういえば、大昔の小学校、中学校時代だが、自分はドロップハンドル志向だったけど、中学校移行では、ミニサイクルでハンドルを前傾気味にがに股で乗るのが流行っていたけど、それ系が未だに続いているようである。

 当時、自転車を卒業すると単車という流れ。で、単車の前が自転車というのだが、自転車的にミニサイクルでアップハンドル前傾固定で学ランきて乗るっていうのは、そのベクトルの先に、当時の絞りハンドル系暴走バイクが連想されていたように思う。
 当時、単車といえば○走系であり、GS400、ホーク系、KH、サンパチをそうやって乗るが活けていたという価値観の根底がミニサイクルに繋がっていたと思う。

 当時の印象は、ツッパリ系、頭悪い系がそんな印象だが、今のチャリブームで乗ってるオッサンもそういう世代であり、それ系がガニ股スネークペダリングしてロードバイクに乗るっていうのも少なく無さそうである。

 身に付いた癖は、簡単には抜けないのかも知れない。

 因みに、自分は自転車ならロードレーサー、ピストバイクが当時から好きだったし、単車もどうか?っていうと、アップハンドルは当時的に有り得ない考えだった。
 時代的にはRZ250、RG250Eデビュー前であり、そんな自分の価値観で、どんな単車だったか?っていうと、例えば、2ストローク好きであり、RD250なら野口のチャンバー、KH250ならBEETのチャンバーで、どちらもバックステップをデフォルトとして、セパハンという選択肢が無かった当時の選択は?っていうと、スワローハンドルか低めのコンチネンタルハンドルという選択肢だった。タイヤは当然TT100である。

 思い起こせば、単車で黄門伝説のようなニヤシを入れて走ることなんぞ有り得なく、誰も見向きもしなかった山岳峠道に通っていたのだが、当時、それは極少数派だったのを思い出す。

 今見かけるがに股スネークペダリングオヤジっていうのは、当時のツッパリ系か、それに憧れ系であり、当時のメジャー系である。即ち流行にのってた系である。
 流行に乗ってるだけ系っていうのは、案外、自身の意見や知識が軽薄であり、もしかしたら、今のスポーツサイクルブームでも流行だから取り組んでみる!的な人も居そう。

 ふと、そんな事を考えたりしてしまうのであった。

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ポジションとペダリング考

 土曜日に自転車でホームコースを走っていたら珍しく?人から話し掛けられた。
 切っ掛けは、途中にマイペースで走っていた時に、躊躇無くスパーンしたからであり、その後の信号待ちで追走します宣言?を受けたのが切っ掛けだが、、、、、取り敢えず、大人気ない自分は、追走しても良い?ってリクエストに対しては、基本はAs you likeとしか答えれないので、誰が居ようが居まいが、ペースは変わらない。っていうか、逆に踏んでしまいがちになるのが正直な所。

 そういう状況は過去にも何度かある。そういう状況の後には、目的地で休憩中に100%話し掛けられたりする。

 そんな風なのだが、先週は、そういう機会で始まった会話で、表題のポジション、ペダリングが話題に上ったのだが、、、、そこでの答え。

 そういう話題に上る理由は?っていうと、多分だけど、自分のペダリング回転数と維持速度に対する好奇心からの質問だと思っている。自分のペダリング回転数は流しの常用で115~120[rpm]で、速度的には概ね35~40[km/h]って状態を人に見せている事になる。固定シングル故に、これで50[km/h]オーバーの領域では、回転数的には当然150[rpm]オーバー、場合によっては180[rpm]程度になる事もある訳だが、会話でよく聞くフレーズが、、、、

『最近不調で脚が回らないんです、、、、』、『クランクが折れそうですねぇ!』、『何故に回るの?』、『腰が跳ねないの?』って話題が多い。

 そして、会話が続くと、殆どの人が、ショップとか雑紙の情報で、今のポジションを得ているとか、、、、、更に聞くと、そういう伝聞情報では、サドルは後気味、上気味、、、、、そして、そういう拘りを持つ人は100%ビンディング装備で、引き脚が重要だと言っていたりする。

 そんな話に対しての自分の回答というか、自分の自転車を見た上での返答としては、自分は、寧ろサドルは低め、前気味、ハンドルも高め、引き脚に意識は無いという回答になる。

 まぁ、どっちが正しいというのではなく、多分、どっちも正しいのだろうと思ったりする。そして、どっちを選ぶか?は自由だと思うのである。自分の乗り方とショップや雑紙の推奨方法が異なるのは事実だが、それで、ショップとか雑紙が間違っていると否定するのでなく、そういうやり方にも多分根拠があるんだろうなぁ?と思って返答をするように心掛けている。

 で、ビンディング装備がデフォルトで高くて後気味のサドル(或いは、長めのステムとか、長めのトップ長)が推奨される意味を考えてみた。

 そもそも、ペダルを回すのは、断続的には特定のクランク位相角で最も大きな力で踏むという行為なのだ。で、高めのサドルで最大限のパワーを発揮するっていうのは、一番大きな力が生まれる脚の関節角度が決まっているという制約を考えれば、どの位置で最大限の力を出すかということで、ポジションが決まってくるんだろう。
 理論的には、クランク水平位置で真下に向けて漕ぐのが一番の理想だけど、クランク水平より少し上で漕ぐ場合は、脚は斜め前方に蹴り出す事となるし、クランク水平より下側で漕ぐ場合は脚を斜め後方に蹴る事ともなる訳だ。
 この微妙な蹴り出しポイントの違いが漕ぎ方、サドル高の違いを生んでいるように思うのである。パワーの出る脚関節の角度が決まるのであれば、クランク水平より高い位置で最大のパワーとなれば、当然、サドルは高めになるし、逆なら低めになる。高めの場合は、前に蹴り出す訳で、そうなると必然的にサドルは後気味となるし、後に蹴る場合は、サドルは前気味になる。

 そういう基本的な部分でポジションが変わり、ペダリングも変わるのである。最近多い外車ではトップ長が長めであり、サドルも高めの場合が多いが、そういう乗り方では必然的にサドル高め、後気味となり、ペダリング自体がクランク水平より上での動力伝達を重視するスタイルになる訳だ。駆動側のクランクが水平より上の場合、反対のクランクは下死点過ぎて直ぐの状態である。

 ここで思うのは、高めのサドルではクランク下死点付近ではペダルと足裏の連接が薄めとなる。そこで大事なのが強制的な接続であり、その接続を維持して足を戻す行為が反対の駆動を助けているのだろうか?と思ったりするのである。

 そう考えると、トップ長の長い(ステムが長いとか、サドルが後とか)海外ブランドでは、必然的にサドルを上げ気味で乗ってビンディングを装備するっていうのが必然化するのかな?って考えたりも出来る。

 でも、高めのサドルで力が掛けれない足がビンディングで強制的に結ばれているのは、下死点付近で足が無意識に伸ばされているのであり、それが足の裏側、膝の裏側の不調に繋がっているのは当然とも言える症状かもしれない。

 さらに、脚を斜め前方に蹴り出すペダリングでは、基本は臍より下の筋肉しか使わないし、上体では腕は胸より上を支えるだけしか機能していないように思ったりする。腕が上体を押さえれないというか、ペダリングにおける脚の支点は重力によってのみ抑えられている訳であり、回転が上がれば尻が跳ね気味になるのも当然と言えば当然のように思えたりする。

 今のトレンドも理解できるし、その機能や弊害も何となく、このように想像されるのだが、実際、どうなんだろうか?

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2009年2月25日 (水)

ダイエットプログラムの値付け

 今、ダンベルダイエットに関心が向いている。
 最新のプログラムといえば『チョン・ダヨンのフィギュアロビクス』ってDVDだ。通販では13,500円という価格で販売されている。ネットの落札平均金額は?っていうと、5,000~7,000円って所、、、、これが高いかどうか?っていうと、過去のコアリズム、ビリーズブートキャンプ、、、、と較べると、そんなモノか?とも思える。

 一方で、世間の関心を完全に失ったような昔のプログラム、例えば、鈴木正成先生の『ダンベルダイエット』、『玄米ダンベルニギニギ体操』とかは、定価でも4,000円未満、ネットでの流通価格は?っていうと500円以下って感じ。実際、自分が入手した値段も50円とか180円とか、、、

 この二種類のプログラムを見ると、実質的な内容に殆ど差異が無いといっても差し支えないのだが、インストラクターの違い、音楽の違い、娯楽的要素を多く含むか、教材的要素を多く含むか?の違い程度なのだが、その価格差は現状では10~20倍の価格差となっている。

 で、どっちが良いか?っていうと、一通り鑑賞した印象では、自分的には鈴木正成先生のプログラムの方が普通に人は続けれそう!って印象である。中身に差異は無いと言いつつ、お奨めが存在する理由は、チョンダヨンさんのプログラムはダンベルを使って30分以上の運動メニューとなっているのが、実に難しい印象なのだ。DVDを鑑賞するだけで30分って時間は長さを感じる程。
 それに対して、鈴木先生のプログラムが良いのは、10分で収まっている点だ。10分という運動時間は絶対的に短いかも知れないが、それでも続くかどうか?を考えると、30分を維持するっていうのは結構ハードだ。
 もう一点、良いなって思うのは、チョンダヨンさんのプログラムでは広角から複数人数の動作を撮影しているのだが、鈴木先生のプログラムでは一画面にインストラクターの方が一人で動作しているのが映っている点だ。そして、撮影アングルが正面、側面と時折切り替わっており、動作の詳細が非常に判りやすい点である。

 二通りのプログラムを見て思ったのは、チョンダヨンさんのプログラムは印象系、娯楽系ダイエットプログラムであり、鈴木先生のプログラムは教養系ダイエットプログラムという点である。ダンベルの選定の仕方、握り方といった初歩的な部分から解説が行き届いているという点で、個人的には、鈴木先生のプログラムが初心者向けであり、初心者にとっても継続しやすという印象だ。

 ところで、この2パターンのダンベル体操の価格だが、随分違うモンだ。印象的には、教材的な鈴木先生の方が本格的で値段的にも高いように思うのだが、実際は、逆になっている。定価の段階で、その差はバカに出来ない程の差である。

 値付けというのは、結局はコンテンツ内容によって決まるのでなく、市場へのインパクトというかトレンドによって大きく決まるんだなぁ!と今更ながら驚いているところ。逆に、トレンドに乗って、成功体験を商売に結びつけているチョンダヨンさんってのは、改めて凄い商才があるんだなぁとも思うところ。

 実績で言えば、自分も2ヶ月で20kg以上を減量し、2年以上リバウンド無しで過ごしている訳で、或る意味、カリスマダイエッターとも思うんだが、行った内容をDVDにしても金が取れる価値には繋がらない訳だ。
 つまり、ダイエットプログラムなんてものは、内容に価値は無く、内容を伝授する人が価格的な価値を生み出しているって事だ。

 チョンダヨンさんのフィギュアロビクスも悪くないけど、実際問題は相当にハード。あれ程の運動であれば、誰でも100%ダイエット出来るのが現実。等価な運動なら別にフィギュアロビクスである必要もないというのが実際だ。
 ローコストに実を取って効果を得たい人には、今の時代、一寸前に流行って今や捨て値でネットで売られているダンベル体操教本ビデオの方が遙かに効果的だと思うのであった。

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高機能、高性能は最高か?

 先週の『探偵ナイトスクープ』で、最新デジカメの機能の紹介と遊びがネタで取り上げられていた。
 最新のデジカメというと、綺麗に撮れるのは当然で、様々な機能が搭載されているのも当然となっている。今や当然となっているシーン別プログラム搭載なんぞは珍しくも何もない。チョイ前なら機能の有無が購入判断の有無となっていたような『手ぶれ補正』機能もデフォルト化、勿論、光学ズーム、オートフォーカスは当然だが、更に当然?となっているのが、笑顔で自動シャッターの『スマイルシャッター』、人の顔を認識してピント併せをする『人認識』等々と機能満載のようだ。最近では、『個人特定』認識迄もするそうで、ビックリである。
 勿論、このような多機能化で機械自体が脆く壊れやすいというのもあっただろうけど、今は、それに加えて、耐衝撃、防水等の機能も装備され、頑丈な高性能が登場している。

 聞けば聞く程、凄いなぁ!って印象。画素数も今やメガピクセルの10倍だ。それに記憶メモリーも昔的な数MB云々~512MBという時代ではなく、GB(ギガバイト)のオーダーである。

 この行く先はどうなるんだろうか?機能の提案がある機種で為されると、半年以内に競合機種も同等の機能を備える。殆ど、メーカー違いで似たような機種だらけである。
 勿論、本論の綺麗な写真を撮るという観点から見れば、どの機種でも間違い無い世界だろうけど、こういうスーパーな機種は、何故だか関心が湧かない。

 しかし、デジカメに限らず、PC、テレビ、単車、車、SUV、ミニバン、、、、、なんでも、兎に角、登場する程に新機能満載である。カタログを飾る文言の多さが商品力となっているような感じ。全てのジャンルの製品が全てそういうベクトルである。多分だが、これは国民性なんだろう。日本人って言うのは、こういう高機能満載に弱い民族なんだろう。機能が豊富かどうか?が、優れているかどうか?の判断指標となっており、機能を持つ程に売れ筋になるというパターンのようだ。
 それ故に、行きすぎた、首を傾げるような迷機が生まれたりするんだろう。

 ふと思うのは、デジカメに限らず、全ての商品群を見て思うのは、このような多機能高機能の傾向が崇拝されるのは日本の特徴であり、日本製品でも輸出品に関して言えば、必ずしも、多機能製品が持て囃されている訳ではないようだ。

 実際、デジカメでも現代の日本では高機能高性能品かオモチャカメラという二極化が進んでいるが、海外では、その限りではない。オモチャカメラでない簡易的な機種が存在したりしている。

 自分が良いなぁ!って思うのは、自分の思う機能を最低限度確保するっていうのが何となく魅力だ。勿論、高性能機種も用途に応じて必要という判断も持っているが、それは、家族で使うという場合に限りであり、それ以外では殆ど必要度は無い。自分で使う場合の選択は、家族のために使うという選択とは異なっており、自分での選択は、、、、、

1.一番の拘りはチープかつジャンクなのが好み。
2.電源的には単三乾電池四本未満
3.単焦点が必須。出来れば固定焦点が望ましい。
4.リムーバブルメディアが理想だが、ドライバが有れば内蔵メモリ+USBでもOK。
5.印刷しないのならは10~30万画素、出力する時は最高でも300万画素迄。
6.室内でもストロボ無しで撮れると嬉しい。

って、そんな所。こういう風に敢えて制限を掛ける理由、何だか判る?っていうと、案外、理解されなかったりする。

 自分の考えとしては、選ぶ側が自分のような考え方で選ぶというのは当然アリだと思うのだが、それ以上に、存在している全てのモノは、存在意義を持っているとも思うのである。その存在意義に同調出来るかどうかが購入の判断となりうる訳であり、モノの選択肢が多いっていうのは、実は、モノを作る作り手の製作意図、即ち、マーケティングによって市場が存在するという判断から生まれているのが事実であり、そういう多用な選択肢が選べる世界っていうのは、ユーザーも多種多様なんだろう。
 逆に、日本のように選択肢が限られた製品に集中するようなのは、日本人自体が一つの傾向に集中しやすいという事を著しているだけなんだろう。

 どっちが正しいとは言えないが、そんな風にも思ったりする。

 自分的に低機能に拘るのは、求める用途に対する最適解は一つであり、最適か否かの判断は、大は小を兼ねるのではなく、求める機能に対して過不足の無い機能を与えられるか?が判断を決するのである。過剰な性能が不要であり、不要なモノが存在しないのが無駄の無さに繋がり、それが最適という判断に繋がるのである。

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物件探し!?

 子供部屋の準備で前々から思っていた事を行動しようか!って思い立った。
 ということで、これから不動産探しを少し真面目にしようかな?と思っている。

 目標は、、、、、今から6年後。

 希望は、

1.土地60坪以上
2.部屋数8LDK以上、屋根裏部屋は別途必須
3.ガレージは車二台+単車10台をパズル的でなく停めれる。
4.中学校が近くにある。
5.ショッピングモール迄のアクセスが簡単。
6.単車、自転車で安全に利用できる道が繋がっている。

 資金は、手持ち資金+既存家屋の売却+もしかしたら親の家というところ。既存の住まいはイイトコ1000万円程度だろう。あんまり期待は出来ない。
 現実的に思う予算としては、5000万円くらいかなぁ?というのが正直な感想だが、6000万円以上調達出来れば相当に現実的になる。

 金策で勝負に出るとすれば、後7年勤務なんて呑気な事は言わない方が脈があるのが本当の所。今持つ特許での商売を、もう少し真面目に売り込む事をするのも一案だ。実際、同族で会社を興して、その会社の特許ということで商売をしているのであり、そちらの会社を勤務の主体と移すのも手ではある。但し、現状では、半分水商売みたいな収益性であり、それを確固とする方法を考えてからでも遅くはないのである。
 同族会社の収益性を強化するには、今有している特許の商売の仕方、それで製造している製品の供給先(代理店)を増やすか、エンドユーザー(大手企業、官公庁)への営業を強化するという事が必要。

 但し、手堅いエンドユーザーを相手にしているのは、最初が肝心で、新技術とは言っても完成度の低い場当たり的なモノを言うのは却ってマイナスであり、その辺の兼ね合いが重要だったりする。

 その辺を十分計算に入れながら、6~7年後において十分な財力をリスクレスで得る方法を編み出すというのが今すべき事のようにも思う。

 まぁ、もっと短絡的かつ安易に稼ぐ方法は?っていうと、実績から見ると7年以上に渡る学習塾の起業と経営で実際に収益を挙げていたので、それを再興するっていうのも手ではある。
 何か、良い選択肢をじっくり吟味して今後の生き方の方針を定めなければならない。

 先の話ではないが、人間としては、既存の世界に存在しないモノを生みだして、実際に公共設備で使われているのであり、そういう意味では、自分としては、人としての天命、即ち、後世に役立つモノを発明した自負があるので、そういう意味では役割は終えており、後の人生は、自分のために生きるても許されるように思ったりする。

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2009年2月24日 (火)

疲労回復に必要なのは?

 ダンベル体操を始めて2週間が経過、ダンベル体操を取り入れて、他の運動メニューも若干ハードに変化。

 それでも、徐々に慣れてきていたのだが、、、、、、先週は、運動による疲労と筋肉痛が翌日以降にもしっかり残っている。

 理由は、、、、、娘の子供部屋の割り当てに伴う、部屋割り変更、部屋掃除、家具移動、、、、、で毎夜の夜更かしを続けたからか?
 深夜の作業は、日々の運動メニューを終えてからがスタート時間だ。概ね午前零時ころから午前三時頃迄の作業だ。

 すると、、、、当然、寝不足気味となるのだが、これが続くと、微妙に二の腕、背中、肩胛骨辺りの筋肉が痛みを残している模様。更には、翌朝目覚めた時に身体全体が怠い感じ。

 疲労と痛みが抜けきっていない感じである。

 ダンベル体操導入週こそ、少々のキツサを感じたけど、それも治まっていたのだが、先週の深夜の片付け作業を行いだしてからは、怠さ、痛み、眠さが日中襲ってくる。

 これは、、、運動量自体が多いっていうのもあるかもしれないが、何よりも、睡眠不足気味の生活による身体の回復不良が原因かもしれない。

 ということで、しっかり寝よう!って事をコンセプトに生活の時間割を見直そうと思う。それは寝る時間をしっかり確保できるような工夫だ。

 運動メニューも少々検討中だったりする。基本は定量の筋トレ、筋持久トレ、心肺系トレであり、心肺系トレの部分を検討中だ。日々のローラー台が60分をデフォルトっていうのは辞めようか?と思うところ。勿論、廃止って訳でなく、金曜日の3km連続スイムとか、土曜、日曜のホームコース走行を行った時とかで、それ以外は従来通り行うというパターンでも良いか?とも思うところ。

 でも、そういう事は実は随分前から考えており、実際は、辞めようか?と言いながら、まぁ、序でにローラーやっとこか?ってノリになっちまう。まぁ、辞めるのは兎も角、60分ローラーを30分にするとかも手かな?って思ったりする。

 他にも、筋持久トレでのサーキットメニュー10セット合計70分だが、これもセット数を減らすか、セット中の要素を見直すか?が在っても良さそう。

 良いメニューを生み出したいモノである。

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Buy American と 地場産業支援 の違いは?

 G7会合等での話題は、不景気な時代における各国の保護主義的な活動に対する警鐘。それで、一番良く耳にしたのが表題のBuy Americanはどうよ?って話。不景気だから自国産業保護のために自国製品を買おう!って事に、それはNG!って言っているのが日本のエライ人のようだ。

 でも、国内ニュースを見ると、平気に地場産業の製品を買おう!って記事がニュース、新聞を賑わせている。広島ならば役所がデミオを大量に購入するとか、、、、、ニュース記事的には、↓

 マツダのおひざ元、広島では県が約2億7000万円、広島市が1億3296万円、呉市約3000万円でマツダ車を購入する。「自動車産業はすそ野が広く、地域全体を支えている」(秋葉忠利・広島市長)ためだ。県は県産品購入を呼びかける「BUYひろしまキャンペーン」も拡充する。

 って事。

 どうなんだろう。これって、矛盾していないか?って思うのは俺だけだろうか?企業に勤める社員、管理職が自社製品購入というのは判るけど、地域で公的に消費するというのは、或る意味、税金を投入した特定私企業の支援ということでもある。
 物は言いようで、自動車産業は裾野が広い、だから、地場自動車製造業の製品の購入は、地場産業の雇用にプラスに働く、、、、まぁ、判らないではないけど、裾野が広いという抽象的な部分が非常に抽象的。

 産業における企業関連従事者がどれほど居るか?という数値が示されたこと無いし、当然、ライバルメーカーも存在する。地場自動車製造業の関連企業が、固有のメーカーだけに製品を納入するという姿は過去のモノ。関連部品メーカーは多くのメーカーに部品を納品しているのが現実である。

 私企業の支援というのは、やはり公的機関の支援というよりも、私企業同士での支援という範囲に留めるべきというのが、所謂資本主義経済におけるモラルのようにも思うところ。

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2009年2月23日 (月)

糖尿病判断指標を変更?

 糖尿病っていうと、言葉的には尿に糖が混ざる?って印象だが、その言葉の語源から連想すると、身体の体液中に溢れ出る糖分が過剰って印象であり、そういう意味で、現在の判定方法は、割と直感的に納得できるモノである。

 現在の糖尿病の判定方法は?っていうと、空腹時血糖値が血液1[dL]あたり126[mg]以上または食後血糖値(ブドウ糖負荷後2時間血糖値)が同200[mg]以上で糖尿病と診断される。自分が受ける健康診断の際は、前日の夕食以降の食を断って、翌日の空腹状態で血液検査っていうのが自分の受診する健康診断のデフォルトだが、現実、飛び入り等の健康診断では、空腹であるか?或いは、健康診断前に激しい運動したか?によって、血中血糖値は大きくばらつくのが常であり、そういう場合は正確な疾病検知が出来ないという。

 そこで、過去1~2ヶ月の血糖状態に連動して変化する赤血球+ブドウ糖物質の濃度を測り、過去の血糖状態を検知した上で糖尿病の診断をしようという方向に変化しつつあるようだ。

 因みに、赤血球は寿命が長いのだが、その赤血球中のヘモグロビンがブドウ糖と結合したものがヘモグロビンA1cであり、これを利用するそうだ。

 そういえば、コンビニ健康診断での糖尿病診断も血糖値とは違うこの方法を採用するって言っていたけど、思うのは、血液検査一つでも、検査項目は様々であり、全ての指標数値が連動していると思えば、一つの指標で判断を行う事自体が無理があるようにも思う。

 自身の健康診断結果は、↓に紹介した事もあるけど、

http://replica2st.cocolog-nifty.com/diet/2008/11/post-c99c.html

 この検査項目数値は、体調の変化に併せて全ての数値が連動しており、数値全てを相対的に判断しないと、糖尿病?って診断は、特に予兆段階、前段症状には使えない印象だ。

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アクセス解析考察

 このブログ、一応は単車で攻めれる身体を得るための、ダイエット、健康ブログなんだが、チョットずつ変質気味である。まぁ、記事自体が変質気味なんで、記事の語句も変わり気味。すると、検索でやってくる人も変わってくるのである。

 単車よりも健康ネタで来る人が多いのは納得として、最近は、自転車のテクニカル的な部分でお越し下さる人も増えてきたのだが、それにも増して、、、、今は、ジェネラルな意味でテクニカルな用語を検索して来られるお客さん、それもリピーターの方が多い。

 どんなドメインから来るか?っていうと、企業の研究所、後は、官公庁、政府機関が多いのが面白い現象。

 企業の研究所関連では、『先行待機』、『摺動』、『ベアリング』、『下水処理』等々で来る人が多く、官公庁関連では、『温暖化ガス』、『生態系』、『バラスト水』、『磁気凝集』、『セラミックス』、『焼結』、『焼成』等々で来る人が多い。

 この辺のキーワードが職業としての文言の場合は、守秘義務に当たる要素も無くはないけど、実際は、私的な活動の結果による知識の紹介なんで守秘義務に該当する要素は無いので、気楽に、記事にしたりしている。まぁ、そんな事は兎も角、そういうドメインが明らかになるような場所から頻繁にリピーターとしてお越し下さるのは、関心を持続して惹いているということでもある。

 さて、こんな戯言ブログでありながら、何故に関心を持つのか?っていうのが面白いところだが、最近思うことがある。

 それは、くだらない記事だらけだが、自分の考えは、自分のレベルなりに、自分で考えて自分で納得しないと次進まないという方針をブログ、本サイト全般で貫いている。そういう面で、同調してくれる方が多いのかなぁ?と思ったりする。
 実際、BBSではなく、直メールで意見交換を行う方もいらっしゃるけど、自分レベルなりの持論の展開の仕方に同意して下さっていると思うのである。

 幼稚かも知れないが、持論というのは、あくまでも、関心の在ることを自分の背丈で理解して、理解したモノだけを知識の道具として利用するというスタンスなのだ。これは、リアル世界でも同じで、リアルな世界における付き合いで、この考え方に同調してくれる人はどういう世界に居るか?っていうと、、、、、実は、官庁、企業の研究機関の方が多いように感じるのだが、それと関係があるのかなぁ?と思ったりする。

 それは、、、、、いろんな企業、官庁で新しい技術の説明をする時に思うのだが、その際の聞き手っていうのは、企業の研究セクションであったり、官庁の担当部署だったりするのだが、そこでの質問は何時も割と定型的な質問ばかりである。説明先の企業は名だたる大企業の場合も少なくないし、初対面の際には、さぞかし全てを把握しているような雰囲気というか、そういう空気を感じる事が少なくないけど、実際に話をすると、結構、拍子抜けすることが多い。

 実際、企業における説明では、開発責任者、設計責任者が出てくる。で、話をする際には、新しいシステムを適用する時の条件を説明するのだが、その説明では、既存の機械の生い立ちと併せて説明する。すると、その生い立ちと併せての説明が必要となり、其処まで遡って、生い立ちというか、周辺機械類の設計結果が何を意味するか?から併せて説明するのだが、その辺りを詰めて話をしていくと、その辺りの数値の決定根拠を持ち合わせていない会社が非常に多かったりする。
 多くの企業が、慣例によって決めたりしている。そういう場合が極めて多い。

 実際、様々な機械類のJISのハンドブック等を見ると、経験的な決め打ちが多く、その根拠を突き詰める場合は少ない事が多いのだが、その範疇で活動している企業が実は非常に多かったりする。

 そういう事を素直に受け入れてくれる人ほど、自分の話に付いてくる人が多く、そういう人は、営業系、設計系よりも研究系の人の方が多いのである。それが、アクセス傾向にも現れているのかも知れない。

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2009年2月22日 (日)

小泉さん、アンコール劇場は如何?

 小泉元首相の発言がメディアを賑わしている。

 最初は、自民党再生のための策が裏にあるのか?と思っていたのだが、何やらチョット違うような感じ。

 当時、小泉さんのフレーズは『自民党をぶっ壊す』だった筈だが、多分、小泉さんの目には『自民党は壊れていない』という風に映っているように見える。

 既に、政界を引退する発言を為されているが、自民党を引退して、新党立ち上げでも良いから本当に自民党をぶっ壊して貰いたい。

 正直、民主党も不安である。麻生自民は最悪だが、民主党の政策は競争原理志向から見ると、保護政策的。小泉自民VS岡田民主の構図では、革新VS保守という構図で、その象徴が郵政民営化VS反対というモデルだった筈だが、小泉自民から安部、福田、麻生と政権が変わるに連れて、小沢民主との差異が見えにくくなってきた。というより、既に、小沢民主と麻生自民の違いはパッと見判らないのである。

 審議でも給付金の扱い以外は賛成なら、給付金以外では差異が無いということ。給付金だけ別で議論すればスムーズに行く筈だが、給付金に拘る自民、敢えて反対に拘る民主の違いは給付金だけならば無意味にしか見えないのがホンネ。
 そんな小さい事を無視すれば、どっちも同じか?という印象。

 麻生自民と小泉さんは反対ならば、寧ろ、小泉的革新路線VS自民・民主保護路線の方が選択しやすいし、判りやすい。そうなると、自民・民主から革新系勢力が小泉さんに再結集するかどうか?を国民に問うのが一番ではないか?

 最後に一発、反旗を翻し、己が党首の革新政党を立ち上げ、自民、民主から革新勢力を募った上で解散総選挙で世論に問って欲しい。

 俺的には、小泉革新路線が一番好み。次は保守でも頭よさそうな小沢さん、最後は素人目に見ても情けないというか、ありえない現行自民党の面々。

 二大政党制の意味は、対極であり、同極の二大政党は無意味。やはり、革新と保守で分かれて選挙をして、意味のある二大政党制に移行して貰いたい。

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子供部屋、準備してたら引っ越したくなってきた。

 この春、娘が小学校に入学する。
 小学生になったら、、、、、という約束で、子供部屋を一つ作る事となった。勿論、下の息子も大きくなったら子供部屋を作るのではあるが、、、、、まぁ、息子は今年が二歳なんで、部屋を作るには暫く先になる。

 で、我が家の部屋の割り振りを仕直す事になった。家の構成は、一階が16畳のLDKと8畳の和室、二階が8畳、6畳、6畳、4畳半、三階ロフトが7畳だ。三階7畳は実質物置状態で使えないので、割り振り直しは二階である。今、8畳が寝室+運動器具、6畳は嫁と自分が一つずつ、4畳半が物置状態なんだが、娘の小学校入学に併せて子供部屋を作る。約束ではベッドも欲しいということで、ベッドは嫁用のシングルベッドを流用し、ベッド+学習机+チェストを考えると6畳を一つ明け渡す事になる。
 で、結局、嫁の六畳部屋を娘の子供部屋にシフトする事にした。8畳間に置いてあった嫁のベッドを6畳間に移し、6畳間に在った嫁の家具、タンスを8畳寝室に移動する。8畳間からはベッドが一台撤去されるけど、衣装ダンスが二台、化粧台、ライティングビューローが8畳間にやってくるので、相当にタイトとなる。

 で、新たに作った元嫁の部屋である6畳間の子供部屋は、中チェスト、ベッド、小チェスト、勉強机、他にも色々、、、、、という状態。見る程に凄い事になっている。

 そして、嫁の持ち物も8畳間には入りきらないのが現状であり、これは結構危険な状況。8畳間に入りきらないということは、四畳半の部屋が専有される訳であり、すると、将来、息子の子供部屋は順番から言うと今の自分の6畳書斎が取られる訳であり、そうなると、現状でも4台のPC、自転車が6台詰め込まれているが、この行き場が無いということ。これを何とか改善しなければ、近い将来厳しい状況に追い込まれるのである。

 今回の家財移動では、何と嫁が持ってきたタンスの底の樹脂ベースが持ち込まれた時点で既に一枚紛失されていた様で、その御陰というか、それで豪快且つ派手にフローリングに傷が入ってしまった。まぁ、今更行っても仕方ないけど、タンスの底に紛失した樹脂ベースを打ち付ける釘が残っているのは、少々腹立たしい気にもなるところ。

 そんな小さな事が気になるのは、既に、家が手狭という状況。心の中では引っ越したい気持ちが多かったりする。もう少し、部屋数が多く、部屋自体も広く、物置、ロフトも広くないと、溢れかえるモノを収納する事が出来ないのである。
 子供部屋を準備して、益々強く思う事は、、、、引っ越したいって事。まぁ、未だ住宅ローンが半分は残っているので、そう簡単にはいかないだろうけど、、、、取り敢えず、引っ越したい気持ちが在る。引っ越すと、今回のような移動に際しての小傷、大傷も気になる所だったりするのである。

 リビング、和室の他に、家族の人数分+寝室+ロフト×2(ウォークインクローゼット+大型機材(PCとかチャリとか)置き場)が欲しい。四人家族ならば、和室+洋室4つ+寝室+小部屋二つで8部屋は欲しい。現実的でないかもしれないが、ゆったり暮らすならば、8LDKは必要。勿論、和室も最低8畳、LDKは今思うならば18畳以上は欲しい。
 でも、そういう事を全部適えると、、、、、坪数でいうと50坪級の家になる。建坪率からいうと最低でも土地も50坪以上は必要だし、単車や車の事を考えると最低でも60坪は欲しい。今の敷地が40坪、家が35坪となると、やはり手狭である。

 都心で60坪の土地+50坪以上の家となると完全に予算オーバーだが、田舎に引っ込むと可能かな?とも思う。

 今の自分の年齢から年金を払い込んだ年数が18年、最低で後7年は払う必要がある。家族構成を見ると、娘が春から小学生。息子が保育コースを想定すると、幼稚園に4年行くけど、来年から幼稚園で、5年後には小学生となる。6年後に娘は中学生。幼稚園さんの育児はオヤジも忙しいので、後5年は自在な活動をしておきたい。
 今の住所は、公立中学校からの通学は相当にハードであり、出来れば6年後には引っ越したいし、、、、、

 後7年勤務するにしても、出来れば6年後には引っ越したい。引っ越しが6年先、勤務が7年となると今の勤務先に居るとして一年程通勤に苦労するだけでOKとも言う。

 いろんな事を考えると、6年後を目処に引っ越したいところ。より広くをコンセプトに都会か否か以前に、子供の通学環境を重視して選びたいところ。通学環境に拘るならば、否かでも学校の近くという選択が成り立つので、それであれば、取り敢えず自分の勤務先の事は考えないでも良い訳だ。最悪、1年頑張って通勤して、隠居モードに入るのも選択肢になる。

 引っ越し先の理想は、第一条件が子供の通学環境、第二条件が物理的な広さの確保、第三の条件は買い物等の利便性(郊外ショッピングセンターでもOK)、最後?の条件は、実は最後だが自分では重要かもしれないのが、、、、、峠道に近いか?自転車等の移動が簡単か?という自分の活動環境が存在するかどうか?だが、こういった条件を満たす物件の調査を、暇を見て始めよう!って思っているところ。

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2009年2月21日 (土)

麻生太郎の凄い政策!やるな!

『麻生、実行中』

なかなか効果的な景気対策を為されている。

チョット見直した。迷走麻生と酩酊中川の名コンビの打った景気対策は、最近の対策の中では久々のスマッシュショットである。

財務大臣が大失態を晒し、世界で笑われるだけで、為替が4~5円も円安に振れる。

輸出産業にしてみれば、中川様々かもしれない。

海の向こうではオバマ新政権が矢継ぎ早に景気対策を打っているが、それに対して、羨ましいような発言を為されたが、あんな72兆円規模の景気対策よりも、酩酊会見は強力だ。

麻生さんは、オバマさんを羨ましいと言ったようだが、今のオバマさんの景気対策は、景気浮揚の為とは言え、究極のモラルハザードを引き起こすように思う。差し押さえ回避のための政策?というのは、結局は反省する機会を奪うだけであり、何か在れば助けて貰える!?という甘えを深層心理に植え付けるだけのように思うのは言い過ぎか?

 そういうモラルハザードを引き起こしかねない政策よりも、プライドすてて酔っぱらった挙げ句に観光して帰る方が無害だ。

 やるな!麻生!凄いぜ!中川!、、、、、新時代の自民党だ。

 こういう方法は、多分、小沢民主では有り得ないだろうなぁ、、、、、

 麻生自民VS前原民主で、M1GPでも目指すと面白いかも知れない。

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好奇心 その3

 さて、好奇心ネタを2連発してきたけど、最後にもう一発。

 最初のネタは、好奇心を持つ理由は、どんなモノにも存在価値があるだろう?って事を確かめる話。2番目の話は、理想を持てば、それに向かう手順を自分で決めて、結果を得るまで続けれるだろうって話。で、最後の話が今からの話っていうか、やっぱり自分の話だが、、、

 自分は何か行動を起こす際には、その推進力には好奇心が大きく関わっている。好奇心とは興味を持てるか、持てないか?という部分と、もう一つ別の部分がある。前者の部分、つまり興味が持てるか否か?っていうのは、誰にも当て嵌まる事だろうと思うけど、大事なのは別の部分。その別の部分とは、、、、誰かがやったモノかどうか?って要素である。

 好奇心を持ち続ける事が出来るのは、考える事の答えが見つからない事。それは、つまり誰もやった事がないって部分が大きいように思うのである。

 取っ掛かりとしては、やった事が無い事柄って部分では、そういう未体験ゾーンには関心を持つことができるが、持ち続ける事が出来るか?は、未体験ゾーンに入って出来るようになった後の話。その領域で続けれるテーマと、飽きて投げ出したくなるテーマに分かれるのである。

 例えば、、、、身近な所ではCAD(コンピュータ製図)業務なんかがある。CADに初めて接したのは18年も昔の話。EWSとかPCで作図が出来て便利!って思ったのは、最初の頃のみ。作図作業に慣れてからは、作図が楽しいとも何とも思えない。単調過ぎる作業で、気になる事といえば視力を失いそう、、、、って心配ばかりだったりする。勿論、作図作業に馴れてという部分では、作図行為のインターフェースがどうの、入力データ構造がどうの、データ管理形態の根拠が何で、それ故に、管理形態がこうなったとか、、、、そういう部分も引っくるめて自分の納得出来る理解を含めて慣れたという表現だ。

 作図に慣れてからは、管理構造(層概念、図形概念、部品概念、コマンド形態・・・・)を把握した後に、手を加える方向に関心を持ち、データ変換用プログラムであったり、ユーザーカスタマイズプログラム(標準マクロを使ったり、C言語で作ったり)の作成、ライブラリーの作成、コンパイル作業・・・・を行ったりしてきた。
 この一連の作業の中で、ユーザープログラムの作成では、C言語関連の様々のテクニカルな手法を用い、思い描くプログラムを作ったりしたのである。パソコン初心者ながら、ポインタがどうの、構造体がどうの、或いは、仮想メモリを確保するためにどうの、、、、といった手法を身に付けて取り組んだりしたのを思い出す。
 そのような作業を終えると、既にCAD自体に目新しさを感じなくなり、それは、その後のCAEソフト等々にも通ずる感覚で、それを使った業務を言われると、お前がやれ!って感じに関心を失ったりしたのを思い出す。

 これは、技術開発、特許申請、システム開発全般に言えることで、誰かの成果の焼き直しとか、或いは、人のパクリはNGで、誰もやったことがない、誰も見つけたことのない、或いは、思い付かない事でないと、やる気が湧かないのである。兎に角、新しい発見が第一であり、誰か別の人がやったことを自分で追うという事自体受け入れられない。

 不明の領域、未知の領域の面白さは、その先に答えが在るかどうかが判らないというのが楽しい感じである。そこに答えを生み出すべく、論理と手法を組み立てる、組み換えるプロセス自体が楽しいものであり、道筋に従って、手順通りに行えば答えが間違いなく出るというのは、どうも興味が持続出来ないような感じなのだ。

 好奇心というか、興味が持続出来ることは?っていうと、自分にとって未知であるというのは当然として、一番は、自分にとって未知という以上に、皆にとって未知というのが大事で、誰も見たことも経験したことも無いようなモノを生み出すというか、そういうモノかなぁ?と思うのである。

 先週、他の企業の方と出張に出掛けて話したことでもあるけど、その出張に出掛けた目的は、最近自分で開発した全く新しいシステムの説明である。新しいシステムを構成する部品、部品の持つ役割、機能、効能、効果とその成立する根拠等々を説明しに出掛けたようなものである。そのような説明が必要な理由っていうのは、その開発したモノが世の中に存在しない類のモノであり、それ故に説明が必要という訳だ。説明が必要という理由は、それが使いたいという前提があるからであり、手応えとしては、将来的に間違いなく採用されるとも言える訳だ。
 今回の説明では、最新のシステムを説明したのだが、実際にこの度採用されそうなのは、最新のシステムの一歩手前のシステムだ。そのシステムの試験ノウハウの説明に出掛けたのだが、その話の流れで最新のシステム迄話をしたのである。

 このような経験を含めて、持論を展開するならば、自分としては、世の中に未だ存在しないモノを実際に生み出して、何か一つでも、それが使われれば、それで自分の天命は全うしたかな?ということ。それで儲かろうが、名誉を得ようがは関係無しで、自分の考えたモノが、どういう形であれ実際に使われれば、それでEverything OK!って思うのである。
 逆に、自分で何も新しいモノを生み出すことが出来なければ、自分の価値観では、自分は自己意識の中で失格の烙印を押さざるを得ないかなぁ?と思ったりするのである。

 何か、全く新しいモノを生み出したいという欲求こそが、好奇心のある理由かなぁ?と思うのである。

 思うに、人がやった事を同じようにやったり、確立した手順を繰り返し行ったりというのが苦手。更には、究極的な目標というか形が既知の存在としてあったとすれば、その過程は、全て他人に任すことなく自分だけの論理で組み立てたいという欲求が強い上に、究極的な目標を実現する手法も、何にも似ていない、誰も思い付かないという事に至上の喜びを感じる性格、、、、、、やっぱり、変わり者であるのは間違いないと思うところ。

 人間、誰しも個性があり、価値観自体は個人毎に全く異なるモノ。自分の価値観だけで論ずるならば、他人の真似、機械的な繰り返し作業、新たな価値観を生み出す事の出来ない思考なんては、全く無意味で存在価値が無いように思うのである。

 でも、営利活動においては、価値観を生み出す事は二の次で、価値を生み出すことが重要なのが現実だ。価値創造とは利益誘導であり、価値観創出というのは利益ではなく需要発掘なのだ。似ているようで異なるもの。本来、社会の仕組みが担う役割を考えれば、官公庁、大学教育機関が担うのが価値観創出であり、企業が行っているのが価値創造である。

 勝手に思うのは、これから必要なのは価値観創出ではないか?ということだが、これは結構難しいのかなぁ、、、、、。

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2009年2月20日 (金)

好奇心 その2

 昨日の記事は、趣味における好奇心の向き方を紹介したけど、今度は所謂正攻法の中での好奇心について。

 誰でも、『道』について関心を持てば上達したいし、極めたいという願望がある。それ故に、努力したり、練習したり、耐えたり、、、、する訳だ。

 これは、例えば、学問とか、スポーツとか、或いは、ダイエットといったモノに取り組む気持ちに見えるものだったりする。

 学問で基礎から知識を積み上げる。スポーツでも必要な能力を地道に獲得する。ダイエットでも手順を踏んで行う。このような系統の取り組みは、積み上げるべき道が定まった分野では必須なんだが、その必須の手順を段階を踏んで徐々に行う。継続して行うというのは、その取り組みの先に得られる理想像を皆がイメージしているからに他ならない。

 そして、その理想を得るには、手順が必須という認識故に、努力が継続するんだろう。

 その取り組みというのは、実は、定型的なモノでなく、取っ掛かりこそは、万人に共通要素が多く含まれる基本的な内容であるが、その取り組みが進む程に、取り組む人に応じて内容は様々に変化するもの。そして、変化に到る選択というのは、取り組む個人が選んだ結果である。

 その個々の違いというのは、個人が自分に応じた内容を取捨選択するものであり、そこで選択するのは、やはり一種の好奇心が働いているのだろうと思うのである。

 このような正攻法的な段階の先に理想を追求する分野でも一番大事なのは、やはり好奇心かなぁ?と思うのが自分の考えだ。好奇心というのは、欲求があるから生まれるものであり、欲求というのは個人の理想があるからだ。理想があるから、具現化に最短の選択を行う訳で、それが個々のやり方に反映されているもの。

 つまりは、何事も自分で選択できないというか、自分で自分の方法を見出せないのは、自分の理想がホントは判っていないから。自分の方法が自分で決めれないっていうのは、実は、理想を持っていないということ。理想が無いのは、ゴールが無いのと同じであり、結局は、自己を確立する事が出来ないように思うのである。

 目標に対して飽きずに諦めずに続けれるかどうか?っていうのは、目的を確固として意識しているかどうか?であり、その手順を決めれるか?っていうのは、結局は、何すべきか?が判っているかどうかに掛かっている。

 そういう風に思う事が多い。

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今更ながら復活ソフマップ、、、やっぱり今更だなぁ

 広島駅前のベスト電器が模様替えというか、店舗替えして今はビックカメラ、ベスト広島店となっているのだが、その二階フロアーがソフマップ広島店になっている。

 ソフマップといえば、紙屋町にソフマップギガストアーという形で広島に店舗を構えていたけど、当時のライバル店のT-ZONE等と含めて撤退して久しいが、そのブランクの後、系列のビックカメラが広島に店舗オープンするのに併せて再度広島にソフマップがやってきたのである。

 ビックカメラが広島にやってきて久しいが、週末に初めて家族でビックカメラに立ち寄った。まぁ、目的は娘のピアノ教室の進級試験が広島駅界隈で行われたので、序でに寄っただけではあるのだが、、、、、

 このビックカメラ、一階はダイソーが半分、後携帯電話、二階がソフマップ、自転車、ゴルフ用品、、、、、、六階がオモチャ売り場という構成。で、日曜昼なのに、人、、、、、、閑散としてる。
 ビックリしたのが二階のソフマップのフロア。人、閑散というか、まばらというか、居ないというか、、、、まぁ、陳列内容も今一だし、紙屋町に在った頃のギアストアー時代と較べるとあまりにも寂しすぎる状態。中古商品の陳列コーナーには僅かばかりの人が居たようにも見えるけど、それでも、、、、経営的に成り立たないのでは?というのが率直な印象。

 やっぱり場所的に厳しいのだろうか?ビックカメラ広島店は、元々ベスト電器広島店であり、その前は?っていうと、記憶を辿ると確か中古車センター、更に、その前の記憶を辿ると、、、、、そう、其処にはドライブショップ田宮って地元広島ローカルのカー用品店が営業していたような記憶が微かにある。

 広島駅前という立地は、広島都市部からは少々外れた場所。広島駅の真ん前の福屋広島駅前店にしても客の入りは厳しい。その隣のダイエーは撤退したし、道路を挟んだ反対側は再開発前の状況。愛友市場も都市的では無い。その周辺地域は昭和の香が色濃く残り、荒神陸橋南交差点を更に東方面に移動して初めてビックカメラ広島店ということで、場所的には便利なようで、便利でないとも言える。
 やはり、商業施設は、競合店を含めて密集しないと人を集める力が無いのだろうか?

 ソフマップといえば、自作PCに代表されるマニア系PCパーツショップとしてはメジャーどころの筈だが、それがこの様子では広島では厳しすぎる。
 昔を思い起こせば、小さなショップを除けばソフマップが一番、大きく開いてT-ZONE、最後がDEODEO系という順位だったと思うけど、今は、DEODEO系のCompmartが一番で、アプライド、大きく開いてソフマップって感じだろうか?既に、パソコンは特定の一部の層がオリジナリティを発揮するフィールドではなく、メーカーの家電商品の1ラインナップに過ぎない状態になっているようである。今更、ショップを渡り歩いて自作PCで性能を競って喜ぶモノとは違うのだろう。
 立地だけでなく、PCを取り巻く人の意識の変遷がPC系ショップの衰退を決定付けているようにも感じる。

 家電販売も安売り合戦であり、旨味の無い商売となっているようだが、PCも殆ど同じ扱いの様子。薄利多売、扱うモノは何処も一緒。競争は、純粋に価格競争のみ、、、、企業同士の消耗戦の様相を呈している。

 パソコン業界が面白かったのはWindows95の時代、そしてWindows98の時代迄。それ以降は、、、、便利かつ高性能かもしれないが、進歩は無い。製品が家電の一部になってしまったようだ。
 思い起こせば、GUIという新しいインターフェースの登場に人々が驚いたのがWindows95の時代。Windows98の時代ではインターネット&メールという通信環境で世界が飛躍的に広がった時代。そういう新しい機能には、高性能が必須であり、そのソフトの提案、アプリの登場と、ハードの進化がシンクロしていた時代なんだろう。その後は、、、、基本は何も変わっていない。変化が無いと熟成の時代になる。熟成となるとメーカーが強くなる。結果、自作業界は消えて、パソコンが家電化する。そして、、、、、価格競争で消耗戦となる。性能差が無くなるとコアな層が見向きしなくなる。それが今、、、、、

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2009年2月19日 (木)

好奇心

 関心の対象と言えば、普通は高性能、高機能といった方向を向くのかもしれない。
 しかし、振り返れば、そういう普通の方向外に関心が向かう方が多いような気がする。それは、自転車、単車、デジカメ、パソコン、、、、殆ど全てのモノに対してそういう傾向があるような気がする。勿論、モノに対して拘りを持っているのは事実だし、モノ選びする際に決断する際の判断は、モノの機能に対して行っているのは事実だが、結果として自分が手に入れたモノ、手に入れたいモノを見渡せば、必ずしも、その世界における標準的高性能とは違う場合が多い。

 モノ選びをする際には、敢えて○○に拘るっていう部分があるけど、その○○の部分は世間一般の価値観とは異なる場合が少なくないように思うのである。

 例えば、単車、、、、単車が好きな理由は自在に乗り回す事。でも、、、乗り回す相手が高性能である必要は必ずしも無い。結果、欲しいのは、走る場所に応じて楽しさ一杯に乗り回す事が出来るモノだったりする。で、結局は?となると、非常に幅広いジャンルでジャンルに応じて好みの一台を調達し続けるという状況。

 自転車もそうだ。自転車の楽しみ方でベストは一つだけど、必ずしもベストだけが関心対象という訳ではない。楽しみ方は千差万別であり、楽しみ方に応じて選択は非常に幅広くなる。

 デジカメもそう。パソコンもそう。ラジコンもそう。みんな、そういう状態になっている。

 結果、入手したモノは?っていうと、ジャンル別に結構幅広いエリアをカバーするような状況となったりする。

 こういう考え方は案外普通かもしれないが、最近は、高性能とは限らない、或いは、世間的に評価が今一というモノに対して強い関心を持つ事が多い。似たような傾向としては、色んなジャンルに手を出しながら、用途違いの選択をすれば得られる結果にどう影響するか?に関心を持つ事が多いように思う。

 単車でレプリカ好きだけど、レプリカ食うにツアラーは有りか?が、Vツインを選んだ理由だったりする。勿論、昔のツアラーVツインではレプリカには太刀打ちできないという常識に対し、ツインやシングルでも、こういうエリアなら活けるだろう!って読みと確信があるから試したくなったという自分の中の根拠があるのは言うまでもない。

 自転車でもそうだ。ホント言えば、正攻法的にフルサイズロードバイクが好みだったりするのだが、一般路では不自由な固定シングルが何処まで活けるか?とか、或いは、通常なら有り得ない選択の折り畳み自転車がロードバイクらしく振る舞えるか?が関心故に、そういう方向に走る訳だ。ここでも、固定シングルでも、折り畳み自転車でも、素人レベルのロードバイクと対等以上となるという確信があるから、それを試したくなるだけの話。

 今なら、ゴミデジカメもそう。そりゃぁ、高画素、高機能のデジカメがイイの判るけど、なら低画素、低機能のトイデジが駄目か?という疑問に対して、そういうモノが存在してきた理由が在るはずだし、それで十分な世界があるだろうという事で遊んでいる。パソコン、AV機器でもそうだ。

 まぁ、世間の価値観で言うとゴミに関心を持つっていうのは浪費以外の何物でも無いのだろうが、何故だか、そこに向いた関心を無視する事が出来ないのである。

 勿論、世間一般の価値観である最高の性能がどうか?最高の人気を誇るモノがどうか?も無関心ではない。そういう最新最強が持つ機能を見て、自分の用途に当て嵌まりそうという思いが強ければ、それを実際に手に入れて、自分の思い描く理想が具現化できるか?を試すのである。
 今なら、良い例がパソコンである。現実的にハイエンドクラスのマシンを準備しているが、それは一応は目的があって機能を取捨選択している。

 でも、こういう考え方はもしかしたら少数派なのかもしれない。損得を金の出入りで考えたら間違い無く浪費過剰となるし、浪費して敢えてトレンドから外れた世間的に価値の無いモノに投資しているのは、第三者的に見るとバカに見えるのだろうと思ったりする。

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信じれるのは?

 昨日に引き続き、チャリネタ。
 最近はスポーツサイクルブームということで、多くのユーザーがスポーツサイクルに関心を持ち、多くのショップがスポーツサイクルを供給している。

 以前、スポーツサイクルショップの組立やメンテナンスに技が必要か?という事に疑問を呈した記事をアップしたことがある。その技っていう部分が単なる常識の範疇の場合、技術も糞も無いだろうっていうのが自分の思いの根底に在るからだ。商売上最低限必要なモノは普遍的なモノであり、その普遍的な作業には特異が技術は殆ど含まれていないと言ったら言い過ぎかも知れないが、作業代金というのは工賃、賃料というモノであり技術料とは違うと思うのである。

 ならば、スポーツサイクルショップを含む自転車屋さんに、技は無いか?必要ないか?というと、実は、スポーツサイクルショップには他の自転車店とは異なり絶対的に技、匠、技術というのが間違いなく必要だとも思っているのである。勿論、スポーツサイクルを扱わない自転車屋さんにも、技術が必要だとも思うのである。

 自分の考える技術っていうのは、賃料を取る作業とは別のモノであり、技術というのは単価が決めれないモノであり、それは担い手固有のモノだと思うのである。特に、スポーツサイクルショップが持つべき技術っていうのは、スポーツサイクルを斡旋する、紹介する、選ぶ等々において必要なものと思うのだが、その技術が、スポーツサイクルショップを気取っている店全てに備わっているか?というと、実は、備わっていないと思うのが正直なところである。

 常識的な作業が実践出来ないっていうのは、スポーツサイクルショップを語る以前に商売で金を得る資格が無いということで論外だが、スポーツサイクルショップとしてテクニカルフィーを得るならば、それに見合った知見、技術をユーザーが満足する形で提供してやらなければならないが、開示するモノが信じれるかどうか?正しいものかどうか?が重要になってくる。
スポーツサイクルショップにおいて、ユーザーはスポーツサイクルと付き合う上で必要な情報を得ようとする訳であり、そのニーズに合ったモノを答えて初めて見合う訳だが、見合うかどうか?(ニーズに応じた応えを与えられるかどうか?)は、ユーザーのレベルに応じて的確な指導が行える必要があり、様々なユーザーが満足出来るという事は、様々なユーザーに併せた答えを用意できるということ。その答えが正しいかどうか?っていうのは、ユーザーの直面している体験を伝え手側が過去に経験したモノでなければ、実は正しい事を伝える事は出来ないように思うのである。
 もっと言えば、乗れるユーザーを満足させるショップっていうのは、そのユーザーの思いを本当に理解できる経験を持たなければ、そこに正しい答えは与えることが出来ない筈である。

 フレームビルダー、或いは、本職さんが集まるショップっていうのは、殆どの場合、店主が、その世界に身を置いた経験のある人の場合が多かったりするけど、それは、客から見て、ショップに信用できる技術が見えるからだろうと思ったりするのである。
 流行の自転車を扱う洒落た店、流行の店っていうのがあるけれど、扱う商品や、その商品の扱われる先に在るモノを経験を通して身に付けた店主で無いと、そのモノを本当に伝える技術は無いだろうなぁっていうのが正直な印象だ。
 それでも、売り手が持っている知識を技術というのなら、それは『技』術ではなく、『偽』術の勘違いでないの?って思ったりするのである。

 まぁ、現実には、客が店に何を期待するかによって、顧客の満足度は変わるモノだろう。ただ、店側が技術を売りにして商売するならば、前述のような事を考えてしまうのである。此処彼処で技術がどうの!って話を聞いて、技術があるぜ!ってショップが剰りにも多いような気がするけど、そういう風に技術を語るならば、技術とは?って、つい思うところがあるので、こんな記事を書きたくなったのである。

 『技術』って言葉の裏に、整備する時にホイールの振れがどうの、ベアリングの当たりがどうの、或いは、パーツの組み付けトルクがどうの、グリスがどうの、変速がどうの、、、、って聞くけど、俺的には、そんなモノは技術とは言わず、作業にしか過ぎないという思いがあるからだ。技術と作業は別個のモノ。こんな作業というのは、常識的にやれば常識的に出来るものであり、それは技術以前に常識の筈である。技術っていうのは、本当は簡単に出来ないモノの筈だ。

 そんな魔法のような技が技術であり、その魔法が掛けられるかどうか?は、ユーザーが望む何かに答える事が必須であり、それが出来なければ技術って言葉を使って欲しくないというのが生意気ながらの感想だ。  

 単車なんぞは、普通に組まれたら普通に乗れる。しかし、一線を越える世界に持ち込むには、一線を越えるために必要な調律が必要で、その調律は信用できなければ機能を発揮させることが出来ないようなモノ。信じるから機能を活かせる。その機能は、普通には使いづらいモノ。それを使えるようにする技なんかが、技術みたいなものと思うのである。

 単車ならば、本当に攻めれない奴、乗り切れない奴には、任しきれないというのと一緒。自分より乗り手として下手くそな奴に、攻める上で必要な部分の整備は任せれない。
 自転車でも一緒。自分より踏めない奴、乗れない奴の理屈に従った整備や調律は、信用出来ないって事。

 逆に、任せれる人っていうのは、乗り手としても一定レベル以上を客に見せてくれる人ということになる。乗るのはNGって諦めているような人、或いは、過去にそういう経験さえしていない人っていうのは、やっぱり、そこにしっかりとした技術があるようには見えない場合が多い。
 ペダリング云々でもそうだ。その重要性を本当に理解して実践できるような人の意見ならば聞けるけど、伝聞に基づいた伝道師的な話には魂が宿っていない気がする。ギア比だって、ポジションだってそうだ。人の話から、こうだよ!って言われても、そこには真実が見えない感じなのだ。

 信じれるのは、伝えて側に経験と知識が本当にある言葉のみである。それが無い上っ面の言葉は、信じれない。まぁ、それが上っ面かどうか?っていうのは、直ぐに判る場合が多い気がする。以前、当ブログで紹介したN-RS.comを運営するショップなんかは、店主に拘りと経験が本当に在りそうな気がするけど、そういう意固地なショップは実は殆ど無いような気がするところである。

 材料を知らずして材料を語ったり、或いは、鍛えた経験が無い奴が、鍛えた身体を使って得られる世界を、さも知っているように語るのは、俺的には有り得ないのである。

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2009年2月18日 (水)

チャリンコパフォーマンス

 最近、興味深い傾向というか、そういうモノが見える。傾向っていうのは、アクセス解析の結果だが、なにやら、当ブログの勝手な持論を展開した記事へのアクセスが多いのだが、そのアクセスのリンク元であったり、検索ワードが、当サイト以上に真剣なサイトからだったりする。

 で、取り上げたネタに絡むキーワードとしては、『コンパクトクランク』、『ポジション』、『ケイデンス』、『ペダリング』、『ロールアウト』等々といったモノで、昨今の流行に併せてか、自転車のペダリング行為、方法、機材についての語句からだったりする。
 特に興味深いのは、リンク元に当サイトが取り上げられる場合は、有り難い話だが好意的な論評を受けている模様だ。

 さて、そんな中で、何故に、こういう言葉が取り上げられるか?っていうと、一言で言って、スポーツバイクに関心を持つ人が、スポーツバイクでパフォーマンスを発揮したいと願っているからに他ならないのである。如何に、速く走れるか?が大きな関心なんだろう。
 速く走るために何が必要か?何をどうしたらよいか?が大きなテーマになっているんだろう。実際、多くのサイト、多くの雑誌では、このような事を様々な切り口で詳しく解説しているようだ。でも、純粋に思うのは、ホント、そんな切り口で理屈を並べて読んで見ても、多分、その答えは見つからないだろうなぁ!っていうのが正直な感想だったりする。

 スポーツサイクルで速く走る。これは実は単純に考えるのが一番では無いだろうか?
 小難しい事を読んでも、乗っている最中に何がどうなって?って考える奴は多分いないだろうし、そういう事を考える実践が覚束なくなるもの。なら、どうするか?っていうと、至って単純なのだ。速いの意味は下記の通り。

 速い=高出力=高トルク×高回転

 ただ、これだけである。重たいギアを踏めるようになるか?或いは、クランクを沢山回せるようになるか?それに尽きるのだ。で、どっちがよいか?なんていうのは、踏み手次第なのだ。トルク重視、回転重視のどっちがよいか?は人が決めるのでなく、自分で決めるのである。人の意見を聞くから迷うのだ。どっちが本人にとって具合が良いか?は本人次第だ。ギアを重くすれば回りにくくなるし、回そうとすればギアを軽くしなければならない。これは相反する要素であり、良いのはどちら?って判断は、踏み手が試して判断すれば良いのである。

 自転車の場合は最終的に持続という要素が入る訳であり、仕事量で考えれば一発で判る筈。

 仕事量で言う速い=高出力×長時間=高トルク×高回転×持続時間

 であるので、どのギアで何回転ならどれだけ維持できるか?を各自が試せば、どれが良いかは決まるだけなのだ。

 こう考えると難しい事は何一つ無いように思うのである。
 色んな所で、速くなりたい!って話を見るけど、これも単純だ。より大きな力で踏めて、より高回転迄回せて、より長時間維持出来れば、結果的に速くなるだけの話。

 より大きな力で踏みたいならば、単純に脚力アップ。脚の筋肉を付けると筋肉断面積が拡大し、大きなパワーが取り出せる。すると、間違いなく速くなる。大きな力が得たければ脚の筋トレを重視すれば間違いない。

 より高回転で回したいならば、ひたすらに高回転トレーニングを続ければ良い。回そうという意識で回す事で、回らない理由は見えてくる。その理由は個人に固有のモノ。理由が判れば個々で対策すれば良い。それだけだ。

 より持続したければ、高い負荷を維持できるように心肺系トレーニングすれば済むだけだ。

 どれを選ぶか?何を組み合わせるか?は当人次第であり、変な理屈はさておいて、やれば自ずと見えてくるモノ。そういうモノだろう。

 鍛えるのは、脚力(筋力、筋持久力)+心肺機能である。コレさえ実践すれば、自ずと結果は伴うんだろう。そして、習得するのは漕ぎ方だ。ペダリングテクニックに付いては様々な御託が溢れかえっているけど、難しい事は考えなくても良いと思う。もう、ひたすらに軽負荷で漕ぎまくる練習すれば、回転が上がらない時の上がらない理由が各人にとって見えてくる。それで見えてきたモノに対処すれば良いだけ。変な話、変な機材に翻弄されず、先ずはやってみる。そうすれば、多分答えが見えてくるだろう。そんなモノである。答えを出す上で必要な知識や経験が何か?が判るだろうが、それこそが収穫となる筈だ。

 多分、当たり前に思う事を、当たり前に続ける事。これが答えなんだろう。

 客観的に見て、パフォーマンスを獲得したらどうなるか?っていうと、この世界の通論とは異なるけど、やはり筋肉質な頑強な脚(贅肉で肥るのとは別)で、高回転ペダリングでもぶれない身体、下肢パワーを支える頑丈な支点となりうる上半身という出で立ちになるんだろうと思うのである。

 でも、そんな事ばかり考えても楽しくなくなっては意味無いので、まぁ、気張らずに、自分の身の程に併せて楽しむのが一番なんだろうなぁと思うところ。

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次期愛車、視点を変えて見ると、、、

 自動車関連業界の急激な景気悪化で自分の欲しいタイプの車の登場は相当に怪しいのが現状だ。
 本当はMTのワゴンかHBが一番だが、今のエリオ以上のパッケージを有するMT車の登場は殆ど絶望的。

 ところで、車にワゴンを求める理由は?っていうと、自転車を載せたいという訳の判らないリクエスト故の話。

 そういう自分の中の実用目的を捨て去ると、車は何が好み?って話の原点に立ち返ると、、、、、MTを駆使して軽快に楽しく走れるというのがポイントなのだ。

 で、その拘束条件で第一の条件が4ドアであること、、、、第二の条件がワゴンであれば更に良いということ、、、、、

 で、第二の条件を取っ払うと、、、、、4ドアのMT車なら良いって話になる。4ドアでなるべくスポーティな車、そしてコンベンショナルな3ペダルのMT車は?って見渡すと、、、、

 案外少ないのに驚くところ。2ペダルのMTチックなモデルなら多いけど、機構的にはシンプルが一番なんで3ペダルが理想。3ペダル+4ドア、軽自動車以外の車は?っていうと、、、、、

 カローラ等の実用車の標準グレード、コンパクトカーの廉価グレード、、、、、ダメダメである。スポーティで無いのがダメダメだ。
 スポーティカーで見ると、、、、、昔ならアルテッツァが在ったけど今は絶版。レクサス系の気取り車に関心は無い。スバルならレガシー類、、、、良いけど、微妙、、、、シビックのタイプRは相当に好み。悪くない選択だ。でも、スポーティを通り越して、レーシー過ぎるか?、、、、、RX-8が良いではないか!ってふと気付くところ。

 RX-8っていうと最近後期型にMCしたけど、上級モデルはパワーダウン、下級モデルはパワーアップという面白いスペック変更。シビックのタイプR程過激でない。でも、見た目は完全にスポーティでイイ感じ。
 このRX-8の基準モデルにチョット惹かれる。6MTは不要。5MTで十分。ギア比の配分から見ると6MTよりも5MTの方が使いやすそう。今回のMCでは廉価グレードのエンジンが上級仕様と同じになったのが実は最大のMCポイントか?とも思える。MC前では標準グレード以外が6PI仕様、標準グレードのみ4ポートのエンジンだったのが、全車共通の6ポートエンジンになっている。つまり、5MT用のエンジンが6AT用と同じに格上げされているということ。結果的に一番低速トルクが増強されたグレードが標準グレードだとも想像されたりする。ニューRX-8の5MTモデル、悪く無さそうだ。

 RX-8っていうと、次期RX-7が登場すると間違いなく廃盤になるモデル。REで4ドアっていうと無くなると貴重性は増しそう。

 但し、積載能力を無視した上でRX-8って選択を候補に挙げると、同様にスイフトスポーツも候補になる。

 従来尺度の積載性+MTって思うと、、、、、プロボックスワゴンかレガシーワゴンカジュアルエディションってなるし、積載性を無視して気張らず楽しむMTってなると、、、、RX-8、スイフトスポーツ、シビックタイプRってなる。

 案外、視点を変えると更に別の選択肢が生まれたりして、、、、、

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2009年2月17日 (火)

ゴミが面白い

 最近はゴミみたいなデジカメに夢中?である。ゴミみたいというか、ゴミそのもののデジカメに夢中という感じである。

 ゴミみたいというジャンルでは、超低画素で綺麗に撮ることが困難なデジカメを使うという部分で、そんなデジカメで敢えて怪しい写真を撮るっていうのも楽しいのだが、ゴミそのもののデジカメっていう場合は、基本はジャンク、不動というレベルの品物を解体修理して撮影可能な状態に戻すという部分、つまりは、デジカメで写真を撮るという以前に、壊れたデジカメで写真を撮る事が出来る状態に戻すという部分で楽しい訳だ。

 それ故に、自分の技量を超えた修理というのは不可能であり、自分の技量の範囲で直せる範囲の故障品が対象となる。技量を超えた不可能領域というと、LSIやIC関連の内部的不具合、ズーム、AF等の高精度光学系の不具合という領域。自分で何とか復帰可能なレベルというと、各部の接触不良であったり、電池液漏れ腐食による基板再生、物理的な損壊の修理、基板上の抵抗交換等という範囲で基本的には単純な修理に限られるのだが、その単純な修理であっても何だか動かなくなったモノを直すっていうのは結構楽しい。

 こうなってくると、殆ど、デジカメで綺麗な写真を撮るというレベルでなく、綺麗に撮れないデジカメで、貧しい機能が十分と思えるような使い方を探るという部分であったり、オモチャのお医者さんならぬ、軽度な症状のデジカメ診療所的な部分なのだが、それでも楽しいのである。

 この綺麗に撮れないデジカメ、或いは、修理が素人の自分の範疇に収まるデジカメというと物理的に構造がシンプルなモノに限られてくる。

 ズーム無し、出来れば固定焦点なデジカメがターゲットとなるのである。ズーム無しで固定焦点なデジカメ、、、、こういう機種に心惹かれる今日この頃である。

 液晶な無い方が望ましい。ただ、シンプル好きなのだが、取り込み用ドライバーの有無の問題からリムーバルメディア対応の方が嬉しいし、使い回し、汎用性から言うとCFが一番理想だったりする。
 そんなデジカメで遊ぶっていうのが最近のマイブームなのである。

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ダンベル体操導入前後比較

 ダンベル体操を日々の運動メニューに取り入れて一週間が経過した。
 ダンベル体操は、これまでも紹介してきたように鈴木正成先生考案、扶桑社の『ダンベル・ダイエット』である。このビデオでは10分のダンベル体操だけど、その方法を取り入れてサーキットトレーニングにおけるスクワットでもダンベル(5kgを二個)を使い、腹筋台の腹筋でもダンベル(4kgを一個)を使っている。

 ダンベルといえば、'09/1/10からは20kgのダンベルを用いたダンベルベンチ、ダンベルフライを、15kgのダンベル迄遡ると'08/8/17から行っているが、、、、、

 で、このような筋トレを行っての違いは?っていうと、ここ数日間、肩が重いというか、疲労が残るというか、筋肉痛が残るというような状態。この数日間の違い?っていうと、軽いダンベルによるダンベル体操が疲労に直結している様子である。

 多分?だけど、軽いダンベルとは言っても、何時も鍛える方向とは別の方向の運動故に疲労というか筋肉痛が発症しているんだろう。

 一般に、筋肉痛が残れば、それが無くなるまでは休息にして疲労回復を待つっていうのがセオリーのようだけど、過去を振り返れば、自分的には少々の筋肉痛ならば蓄積によって痛みが増大しない限りは痛みを感じていてもOKだろうって判断。それ故に、今の状態からメニューを減らす事は考えていない。

 但し、、、、、

 筋トレ系のダンベルベンチ+ダンベルフライ~筋持久系のサーキットトレーニング~心肺系のローラー台~軽い筋トレのダンベル体操で合計2時間半は如何にも運動量として多すぎるような気もする。まぁ、都市部における通勤戦争を闘うサラリーマンの通勤時間よりは少ないとは言っても、これが無ければ有意義?な家庭のコミュニケーションが採れるとも言える訳で、今の9時半から12時迄の運動は果たして正解か?っていうと、微妙なのでもある。
 特に週末では、金曜は+1時間の水泳、土日は+1.5時間の自転車実走が入る訳であり、育児というか子守というか、そういうのも必要、、、、、ダンベル体操を始めてからは確実に毎日40分程度は時間が増えているのだ。

 疲労と効果、家庭環境を総合的に判断してメニューの見直しが必要かも知れない。

 まぁ、俺的には毎日片道一時間以上の通勤時間を掛けるような生活に較べると随分と有意義とは思うけど、、、、

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2009年2月16日 (月)

プルを工夫してみた

 週末の水泳では、ブレストストローク(平泳ぎ)のプルを工夫してみた。
 先週、上半身のパワーを有効に使うことを意識して3000mを50分未満で泳げる事でチョットコツを掴んだ事を記事にしたが、先日、オリンピックメダリストで今の平泳ぎの原型を編み出した田口選手の話が頭に残っており、その話を特に意識にとりいれて泳ぎ方を変えてみた。

 具体的には、プルにおける手の平で水を掴むような感覚である。勿論、水を掴むのではなく、水を捉えるのであるが、水を捉えるのに手首に力を特に入れて、プルの最中に水流で手の平が泳がないようにしてみたのである。

 すると、ブレスの際に上体が大きくジャンプするような感じで、プルでも更に推進力が生まれる感じである。この泳ぎ方は長時間維持するのは難しいけど、間違いなく短距離(500m程度)では、有効に速度が稼げる感じである。

 泳ぎ方も結構奥が深いモノである。

 それにしても、平泳ぎも随分と昔とは違う泳ぎ方になったモンである。今度はキックでキック後のリカバリーで抵抗を特に低減するような畳み方となるよう留意してみることにしよう。

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企業にとって必要なのは、

 週末の報道ステーションの特集は久々にマトモだったように思う。

 何が?っていうと、障害者の方を雇用する企業の話だ。
 関心したのは、そこでの経営者と障害者の方との関係ではなく、純粋に企業の姿勢に関心しただけだが、、、、労働者が障害を抱えているか否かは問題でなく、雇用されている限りにおいて、障害を抱えるかどうか?は区別が不要という考えから、それをネタにする事自体は個人的には好きでないのだが、、、、、

 今回の番組では、その企業の商品に関心した次第。

 その企業は、黒板で用いるチョークの製造メーカーだが、その製品にビックリである。
 なんと、ホタテ貝の貝殻を粉に混入することで、強度アップと、チョーク粉の飛散を防止した製品がヒット中ということ。

 ここで、単純に思ったのは、チョークの粉が飛散しない製品を生みだしたという事に驚いた次第なのだ。

 驚いた理由というか、製品の凄さは、粉が飛散しないって事。更には、ガラスにも書けるチョークも開発しているということ。

 驚きの理由、それは、製品の一般的な常識を覆しているというか、先入観を超越しているからである。これがイイ!

 製品に必要なのは何か?っていうと、扱う製品が、その製品分野の常識を超越出来るか?が生き残れるか?儲けれるか?の分かれ目と思っているけど、正に、それを絵に描いたような商品である。

 粉が飛ばないチョーク、、、、出来てしまえば便利!ってなるけど、余に存在しない時は、恐らくは誰もが、チョークの粉は飛ぶモノという意識であり、粉が飛ばないチョークなんて話をしたら一蹴していたに違いないのだ。それを一蹴せず、それをターゲットに据えて取り組みを決断した経営者の凄さである。

 自分自身、耐摩耗と自己潤滑、高硬度でありながら脆性破壊しないという材料開発、システム開発に取り組んできたが、それも、分野の常識を超越することがオリジナリティと信じていたのだが、こういう考えは多くは賛同を得られないモノ。そんな奇異の眼で見られるモノだが、このチョークも恐らくはそういう奇異の眼に曝されていたと思うが、それを製品に昇華したのは驚愕に値する。素晴らしいモノである。

 個人的な感想だが、これからの企業に必要なのは、安価な労働力でコストを下げて競争力を確保するのではなく、派遣であれバイトであれ、何であってもよいから、常識を覆す製品を生み出すことで言い値を通す製品を生み出す事ではないだろうか?ということだ。

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2009年2月15日 (日)

新幹線

 木曜日の出張では、初めて500系新幹線の8両編成である『こだま』号をホームで目撃した。今回の出張では、行きがN700系のぞみ、帰りが700系ひかりレールスターである。

 新幹線自体は乗り込んでしまえば、どの車両でも機にならないと言えば気にならないのだが、ホームで行き来する車両を見ていると、どれがカッコイイ、どれが今一というか、そんな感情を抱くのが不思議なところ。

 新幹線というのが鉄道車両であり旅客力、居住性の確保という観点で、先頭車両の形状は兎も角、客室車両の断面は殆どの車両が四角断面である。その断面に様々な先頭形状を組み合わせて成り立っているパターンであり、引退した0系、山陽線でこだま運用のみの100系では、スカート+尖ったノーズという構成。300系ではスカートとノーズ一体のウエッジシェープフォルムというのが定番の様子。そして、500系以降はノーズの最先端部が300系のスカート最下部から徐々に高い位置に移動しつつあるような感じである。

 300系は乗用車的な印象でアンダーフロアに空気を入れない構造のように見て取れるけど、500系以降からはアンダーフロアに空気を入れる入れないという観点ではなく、空気を如何に全面から側面に流すか?を考えたデザインになっている様子。
 確かに、鉄道車両程の重量があれば揚力によって車体がリフトするという事は殆ど考えなくても良いのかもしれない。そんな事よりも、車体先端で受けた空気をなるべくスムーズに側方、上方に流す事の方が大事という事なんだろうか?700系以降では、その様子が特に顕著に感じられる。大きな客室断面積を持ちながら空気を流す事でロスを最小に抑えるというのが700系以降のデザインのように見える。700系以降の新幹線は、必要な機能を確保しつつ速度を求める方向。500系は速度重視が顕著の様子。理由は、客室を圧迫しても全面投影面積を絞る円断面の車体を採用していることからも伺えるが、その潔さが、機能のわかりやすさ、格好良さに繋がっているようにも思うのは褒め過ぎか?

 素直に、単純に、何がカッコイイか?っていうと、700系を発端とする既存の全ての新幹線群よりも500系はカッコイイと個人的には思う。新幹線!って言えば、個人的には、0系、100系、500系が好きだ。300系は印象が薄いが、700系以降よりは好き。700系以降の車両(東北、北陸、九州等々も含む)は、どうも経済性重視の臭いが強すぎて『夢の』超特急という印象には結びつかない。

 因みに、新幹線の速度種別はU○○で表される。Uが300km/hオーバーという記号で、○○が性能数値を示すモノ。N700系はU43、500系はU49であり、新幹線での営業車両最速の称号は未だ500系新幹線のモノだったりする。過去のダイヤで博多~東京を最速で結んだ新幹線も500系で、この記録は現在も続く。まぁ、現在は300km/h程度で世界最速は謳えなくなっており、どっちでも良い。上海リニアでは430km/h、欧州の高速鉄道は320km/hとなっており、新幹線が世界最速に返り咲く可能性は今後極めて低いもの。新幹線が世界最速となれた最後の新幹線が500系だったとも言う訳だ。

 いつか、500系こだまで旅行してみたいような気もする。そんな思いをはせた出張であった。

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ベンチプレス台の改造しました

 先日、ネットで15kgダンベルを購入したのですが、購入したのが輸入元も把握されていなかったようで、製品がモデルチェンジしていたようで、欲しい仕様とは異なる仕様のダンベルが入っていた。
 俺的には、ド鉄のダンベルが欲しかったのだけど、樹脂、プラスチックコーティングされているタイプがやってきたのである。自分のダンベルは全部ド鉄であり、ウエイトの組み換えも自在故にド鉄が好みだったのだが、コーティングタイプは対応バーの径が異なるので使い回しが出来ない代物なのだ。

 しかし、このダンベルにはおまけ商品も多数あり、エキスパンダー、グリップボール、0.5kgの軽量ウエイト、リストバンド・・・・と豊富であり、他の製品は悪くないので、まぁ、OKと納得したのである。特に、納得のポイントは0.5kgの小型ウエイトであり、これは直径が小さく身体にダンベルを寄せて運動する場合には、非常に好都合なモノであり、それをゲットできので良しとしようと言う判断を下したところである。

 しかし、樹脂コーティングのウエイトをもてあましており、どうしようか?と思っていたのだが、ふと、これをラバーテンション式にスプリングテンションを追加して使っているベンチプレスに併用しようと考えたのである。今のテンション式ベンチプレスは左右のバーを鉄パイプとUボルトを組合せて一体化させて仕様している。そして鉄パイプをグリップとして使っているのだが、この鉄パイプに先のコーティングのウエイトを差し込んでみた。ウエイトとしては合計で10kg程を追加したのだが、、、、これがイイ具合である。

 テンション式ベンチプレス故に、負荷がラバーテンション、スプリングテンションのみだったのだが、これにウエイトを追加することでテンションとは別に、常に一定の負荷が得られる構造に改まったのである。これ、悪くないのだ。

 結構、改造ゴッコは面白い。今後?の改造予定では、何故か油圧ダンパーの新品が転がっている。これも加えてみようか?なんて思案中だったりする。

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2009年2月14日 (土)

用途別ダンベル

 ダンベルマニア?状態である。
 ダンベルを何に使うか?にも依るけど、お奨めダンベルというのは微妙に違うのである。

 ダンベル全般に思う拘りと言えば、まぁ、一言で言って重量調整が出来る事かもしれない。勿論、用途に併せて重量別のダンベルを揃えることが出来れば問題無いけど、大きな重量に慣れる程、チョット重めのダンベルを調達するにあたり、使わなくなったダンベルの場所を取るのがNGであり、やっぱり、ダンベルは重さ調節出来るのが望ましい。

 そんなダンベルだけど、ダンベルマニア?としては、重さ調節の可否以外にも結構な拘りが在ったりするのである。その拘り?というのは、ダンベルを何に使うか?に依る部分が結構大きいのだが、、、、

 一番最初にいった重量調整の件では、調整単位の事。これはダンベルを筋肥大目的トレに使うか?或いは、持久系で使うかにもよるのだが、自分的には、ダンベルベンチプレスとか、ダンベルフライのような10RM~20RMでの運動に用いる際には、重量調節単位が1.5kg程が望ましかったりする。しかし、ダンベルダイエット的な比較的速い動きの場合は、0.5kg単位で調節できる方が負荷を併せやすいと思う。

  他にも大きさ、形状だが、筋肥大トレでは身体から離れた部分でゆっくりした大きな動き故に、ダンベルの重量、大きさに大きな制限は無いけど、筋持久力トレでは、固定する関節によってはダンベルの動きが身体の近くでの動きなる。そうすると、ダンベル自体が大きすぎると結構邪魔くさいのである。ダンベルの長さ、ダンベルに装着するウエイトの直径にも拘りたくなる。特に、ダンベルを身体に密着させて動作するような場合は、ダンベルの直径自体は相当に絞りたくなるところであり、一般の2.5kgウエイトでは直径が大きすぎるし、1.5kg、1.25kgでも大きすぎる。ダンベルを用いたスクワットで許される直径はせいぜい1.5kgウエイトの奴までだが、腹筋等では0.5kgウエイトの直径のが理想だったりする。

 まぁ、言えるのは、必要なウエイトのダンベルは、そのウエイトを守った上でなるべくコンパクトっていうのが基本だ。20kgダンベルでウエイトを減らして10kgセットにしても、結局はバー部分が長すぎて邪魔くさくなるので、10kgセットなら10kgセットに相応のバーで組む方が望ましいし、身体に密着させるならば、直径の大きなウエイトでは身体に寄せれないので、直径の小さなウエイトで身体に寄せれるようなセットが望ましいという感じなのだ。

 この辺の数の増殖の度合は、バイク、自転車、デジカメ、パソコンに通ずる感じ。我ながらアホである。

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フィギュアロビクスって、

 今、一部で話題?の『フィギュアロビクス』ってDVDを嫁が買った。
 ということで、木曜深夜、早速DVDを見てみた。このDVD、4枚で1パッケージであり、入手ルートによっては700gのダンベルも附属しているバージョンもあるらしいけど、我が家で調達したのはダンベルは在るのでダンベルは附属していない安価なバージョンである。価格は高い、安いの判定は出来ない5,000円程である。

 このパッケージで最初の心配は、もしかしたら国内DVDプレーヤーで再生出来ないかも?って事だったけど、無事?問題なく再生出来たのが、まずは良かった!ってところ。

 1枚のDVDが30分以上で4枚なら2時間以上となるのだが、そんな時間を見る気力は無いので、取り敢えず、最近始めたダンベル体操との比較ということで、第3巻のダンベルを使った筋トレ編から鑑賞。

 このDVD、いきなり音楽に合わせてリズミカルに、結構ハードに笑顔で踊っている。
 客観的に見て、、、これは相当にハードな運動だろう。30分以上って時間はとても長いのである。
 視聴開始が午前零時20分頃、、、、でも35分には力つきて、フジテレビの『志村屋です』に変えてしまった。

 笑顔だろうが、楽しそうだろうが、、、、、何にしろ連続30分以上の運動はハードだなぁ!っていうのが正直な感想。これだけの動きは相当に好きでなければならないのだろう。

 これ程?の運動で1年間で20kgっていうのは効果と言うべきか?も何とも微妙な印象だが、取り敢えず、本人さんが楽しんでやれているのは成功と言える印象。
 DVDを見て思ったのは、チョンダヨンさん本人がエクササイズ自体が趣味になっているという感じ。その気持ちは判らないでは無い。エクササイズを行う事が趣味のように為っている感じ。

 そのダイエットが楽しい!って考え方になれた気持ちこそが重要であり、その気持ちが行動に繋がるのだろう。そういう気持ちになる秘訣こそが、この手のダイエットツールにおける最大のポイントなんだろうと言える。

 でも、見た印象は、見る前の印象と同じく、野暮ったく、ノリノリではないけれど、鈴木正成先生のダンベルダイエット体操で10分メニューの方がやっぱり良いような気がするのである。

PS ここでいけない癖が出つつある。予算500円以下でダンベル体操のテープがあれば、チョット集めてみようか?って思い。我ながらアホである。

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2009年2月13日 (金)

ニューマシンは買わないの?

 出張で同行した他者のエンジニアの方から、表題の質問を受けた。
 その方とは、単車が趣味という点で共通点なのだが、良く聞かれるのが、『○○さん、新しい単車は買わないの?』って質問。
 で、今答えるのは、大抵は『H-DのXR1200』って答えるのだが、俺のことを良く知る人からすれば、俺がH-Dを選ぶのが気にくわない人が多い様子。
 皆さん、殆どが、最新のSS、或いは、イタ車を期待されている様子。99%の人が最新のスーパースポーツを期待されているのである。

 そういえば、単車に限らず、自転車趣味人の方からも似たような質問を受けるのだが、多いのが、フルカーボンに何故乗らないの?とか、、、、そういうのが多い。

 皆さん、何故だか、そういう最新最強に乗って欲しいかのような質問を為されるのである。

 でも、、、、、俺的には、単車、自転車に最新、最強の機材を求める気持ちが全く無かったりするのである。最新の性能が自分レベルで必要性を本当の意味で感じないのが正直な意見であり、それ故に、俺が乗っても宝の持ち腐れ、、、、って思うのである。

 単車、自転車でパフォーマンスを発揮するのは大好きなのだが、、、、そのパフォーマンスを機材で獲得したいと思わないし、今のパフォーマンスを機材があるから実践出来てるだろ!?って言われたくないのが正直なところなのだ。
 自己満足ではないが、その機材で、そこまで!?って驚かれる方が良い気分になるのである。そして、逆に言えば、一般的に驚かれる程度のパフォーマンスであれば、機材に拘る必要も無いというのが、小さなプライドのかけらだったりするのである。これがホンネなのだ。

 納得のパフォーマンスといえば、今の自分のレベルであり、そのレベルには今の自分の機材がせいぜいマッチしているというのが自分なりの分析結果なのだ。それ以上の機材は多分、無意味で機材のパフォーマンスを寝かせる頻度が高そう!っていうのが、最新の機材を求めない理由でもある。

 今の自分が納得のパフォーマンスと言えば、単車でも、自転車でもだが、今の自分のスタイルで自分がフラストレーションを溜めない今の状況の事。

 単車で具体的な状況を言えば、フルバンク云々は当然だが、ラインの自由度を自在に操れるリアのスライドコントロールで、それを利用して、どんな状況でも破綻の無い路面の素早い解読とトレースをあくまでもスムーズに消化する事。咄嗟の状況においても何事も無かったかのように対処できる懐の深さである。
 自転車ならば、、、、そうだなぁ、速度的にいえば35km/h程度の速度延々と走り続ける事の出来る持久力、或いは、10%勾配を上るギア比で180rpmオーバーで60km/hを狙えるレンジの広さなんて言えるけど、その根拠の一つとなる持久力の強さの維持。具体的には今の最大心拍数、安静時心拍数、回復率を保つことだったりする。

 機材云々よりも、単車なら反射的な対応能力を大事にしたいし、自転車なら何よりも心肺能力を大事にした。この反射と持久は、機材では調達出来ないモノ。この反射と持久こそが単車と自転車を趣味としている大きな理由なのだ。

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ダンベルダイエットはどれがお奨め?

 自分が表題のダンベルダイエット体操ってビデオをネットで780円で調達したのだが、それに影響されてか?或いは、それが切っ掛けになって宣伝が気になってか?知らないが、嫁が同じくダンベルダイエットに関心を持ったようで、何でもチョン・ダヨンさんのモムンチャンダイエットのDVDが欲しいとか何とか、、、、、

 それで、序でに?チョン・ダヨンさんのモムンチャンダイエットのダンベルエクササイズも調達してみた。

 実は未だ開封していないのだけど、パッと見の印象は、相当にハードで、DVDの説明を見ても30分程度の運動が必要の様子。

 ダイエット目的とはいえ、このようなプログラムの鍵は多分だけど、如何に単純に短く出来るか?ということであり、そういう意味では、このモムチャンダイエットの30分っていうのは案外厳しいかな?っていうのが正直な感想。

 鈴木正成先生お奨めのダンベル体操は一日僅か10分の運動であり、こっちの方が普通にお奨めのような気がする。

 取り敢えず、今週末はモムチャンダイエットDVDでも鑑賞してみようと思うところ。

 因みに、モムチャンダイエットの創始者であるチョンダヨンさんは、CSのAct on TVで定期的に放送されているのだが、パッと見、非常にハードなのだ。

 話が逸れるけど、このチョンダヨンさんは素晴らしいプロポーションであるのは事実。カリスマダイエッターのようだ。でもでもでも、、、多分だが、ダイエットに要した時間と減量した量の速度を比較したら、多分、俺流のフィットネスの方が高速に減量したのでは?とも思ったりする、、、、。

 嫁曰く、、、、『あんたのやり方は、普通は出来ない、、、、、』んだそうだ。でも、同じ効率を得ようとすれば、似たような消費を行わなければ有り得ないのも事実の筈。楽して痩せれない。これは真実だ。

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2009年2月12日 (木)

運動の実感に必要なのは?

 ダンベル体操を導入して4日が経過したけど、肩周りの筋肉痛が顕著だ。
 高々、片側5kgチョットのダンベルを用いた、全部で僅か15分に満たない程度の運動の筈だが、肩を動かすだけで怠さを感じる。

 正式な名称は覚えていないけど、行っているのは次のようなパターンだ。

1.押し上げ運動(ダンベルプレス)
 まっすぐ立って肩上にダンベルを構え垂直に左右交互に挙げる運動。
2.巻き上げ運動(カール)
 まっすぐ立ってダンベルを真下に支え、肘を支点に左右交互で巻き上げる運動。
3.水平上げ運動(サイドレイズ)
 前屈みでダンベルを真下から水平方向に肩で左右同時に引き上げる運動。
4.体側縮め運動(サイドベンド)
 ダンベルを身体の横で真下に支え、身体を真横に曲げる運動。
5.屈み運動(スクワット)
 ダンベルを左右肩の上で構えて行うスクワット運動。
6.押し上げ運動(フレンチプレス)
 腕を真っ直ぐ上に伸ばし、肘を支点に後頭部を腕を曲げる運動。
7.押し上げ運動(プッシュアウェイ)
 椅子を使い前屈みになって肘を支点にダンベルを真下~真後ろで旋回する運動。
8.引き上げ運動(バック)
 椅子を使い前屈みになって肩を支点にダンベルを上腕部で引き上げる運動。
9.腹筋
 ダンベルを胸の上で支えて行う腹筋運動。

 というパターンである。これを10~15回ずつで組まれて映像通りに実践して15分なんだが、この中で肩を支点に行う運動が堪えるようだ。それ以外のメニューに関してはなんともないのだが、肩を支点とした運動が俺的に弱点の様子。

 思い起こせば、裏山の雑木刈りで鎌を振り回す時に肩を中心に痛みを感じていたので、丁度、何処を鍛えれば良いかが判ったのは具合良いのだが、高々、5kgチョットのダンベルをこの程度動かしただけで筋肉痛になるなんて予想外。

 この質の怠さっていうのは、思い起こせば、15年以上前に始めてスポーツセンターで筋トレのためのベンチプレスを行った時に感じた痛みと同じ質のモノ。ベンチプレスによる筋肉痛は、その後のトレーニングの継続で、多少は感じても回復はアッという間で、尚かつ、少々の負荷では感じなくなってきており、恐らく、肩周りの強化が進む程に、今感じている筋肉痛も感じなくなるのでは?と考えている。

 筋トレというと、この筋肉痛が無いとトレーニングした意識にならないというのは古い考え方だけど、如何にも運動した!って感じが感じられるのは嬉しいモノ。

 因みに、ダンベル体操ビデオによってスクワットと腹筋でもダンベルを使えるという事を知り、サーキットトレーニングでの要素であるスクワットと腹筋ではダンベルを併用して行っている。そのサーキットトレーニングで筋肉痛を感じる事は皆無だが、そのようなダンベルの併用前と後を比べて明らかに違うことは、ダンベル併用にしてからは汗が大量に噴き出すようになった感じ。この部分では筋肉痛は感じないが、筋肉痛を発症しなくても汗が出れば、やっぱり運動している!って感じになる。

 運動を行った!って充実感というか、満足感というか、そういう感情には、筋肉痛か汗が必要なのかもしれない。

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不満ではダメ

 何か関心を持っている事に対する考え方の話。関心を持っている事に取り組んでいる時、その取り組み方は如何に続けるか?って話だ。

 自転車でも、バイクでも、何でもだが、どのように考えるべきか?って話なんだが、チョット人と話す機会があったんで記事にしてみた。

 例えば、何かを望んで、道具や方法を選んで取り組んでいる時の話。その時、道具や方法論に対して、どう接すべきか?って話だが、、、、

 他人は兎も角、自分の場合は、選んだ選択には、必ずや良い点がある筈と信じて行っている。自分の選んだモノに対しての不満は最後迄しないというのがモットーなのだ。
 勿論、自分で選んだモノという前提であり、他人の選んだもの、或いは、自分が信用しないモノっていうのは論外だ。

 そこで重要なのは、何を選ぶかという選択なのだが、その選択では、絶対に信用出来るモノでなければダメなのだ。

 例えば、信用出来るモノっていうのは何か?っていうと、ありきたりだけど、絶対的なモノである。モノの生い立ちが見えるモノなのである。それ以外であれば、自分の責任で受け入れる事が出来るモノしか有り得ないのである。

 信用出来るモノは何か?っていうと、、、、自転車や単車ならば、単純にマスプロダクションメーカーの製品、歴史と伝統と実績を持つ製品しか有り得ないし、自分の責任で受け入れる事が出来るモノっていうのは、自分の決断で自分で作ったモノ、或いは、自分で改造したモノしか有り得ないのである。自分で行う改造っていうのは、自分の責任において、自分の持ち物に機能を付加したいという希望の結果であり、そこには必然性があるけど、他人のお薦めには自分にとっての必然性がないからダメなのだ。
 それ以外のモノ、ショップブランドとか、又聞きで良いって言われているもの、怪しいモノっていうのは信用出来ないし、自分の手の加えた範囲でも自分の能力を超えた領域はダメなのだ。ブームの世界で怪しいのが新興ブランドであったり、ショップブランドの類。信用出来る人にとっては良いかも知れないが、ローカルな世界では、モノの評価が揉まれていないのは純然たる事実であり、そういう場合は、作り手の人間次第なのだ。その人間に尊敬の念を抱ければOKだが、懐疑の念を抱けばNGなのだ。

 判りやすく?言えば、車等でメーカー純正はOK、自分のカスタムもOK、しかし、よく判らないショップのカスタムとか、改造された結果っていうのはNGなのだ。

 そういう信用したモノであれば、絶対的に信用できるし、信用したら、その選択に対しては、不満を漏らすのではなく、最後の最後迄、その選択の良いところを見つけ出すっていうのが自分の考え方なのである。

 人の言ったとおりにやってもダメとか、何やっても今一だから別の選択に走るって行動パターンは有り得ないのである。
 自分の責任において自分の認めたモノには、絶対に答えがあると信じるのが前提で、信じれるモノを選ぶっていうのも大事。そして、その選択に対して、絶対に『良かった!』って認められるモノを見つけるというのが基本なのである。

 こういう話をしたのだが、これは、正しいものには絶対に存在価値があるという事であり、その良いポイントを見抜くことこそが自己を高める秘訣と思っているのである。改造や買い換えという別の選択を行うのは、今の状態において見抜いたポイントのレベルを高めるために行うのであり、良い結果を得ないという結果で別の選択に行くのとは別なのである。

 良いポイントを見抜くから、更に上のポイントを目指すというのが基本であり、不満ばかりで良いポイントが見抜けないから別の横方向の選択を行い直すとは違うのである。前者は自分の意識の中ではステップアップであり、後者の選択はやり直しに過ぎないのである。
 中高生の参考書の買い方でも見られる傾向だが、似たような参考書ばかり買って、最初の数ページしか読まず新品同様で並べるのはNGであり、ある参考書を完読し上のレベルの参考書に移行するのがOKというものなのだ。

 まぁ、こういう考え方が全てとは限らないが、コレのこういうポイントは捨てがたい!って思うから、モノが増えて増えまくるのだろうと反省するところはあるのだが、そういう事を考えるのである。

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2009年2月11日 (水)

次期のテーマ

 普通に生活していて大事な事は何か?っていうと、何と言っても、目新しさである。

 物珍しい事に関心を持ったり、新しい目標を向かうっていうのが生きる上で重要なパワーとなる。

 新しい目標は何か?を定めるのが、或る意味、生きる意味とも言えるし、自身を保つ秘訣とも言う。

 で、、、、、、最近ご無沙汰のパソコンも一段落、デジカメも一段落、単車も一段落、ダイエットも一段落、趣味での特許取得、特許申請も関心が薄まってきたし、会社の仕事も一段落、、、、、色々と一段落。

 と言う事で、生きるモチベーションを生み出すターゲットに何しようか?というのが、ここ何年かのテーマである。

 それは、今出来ない事だけど、やれば何とかなりそうな事が望ましいという、、、、、、

 で、最近思うのがある。

 それは、、、、、水泳である。自分のパワーの原点。元気の源泉。病気をしない身体の源泉であり、或る程度自信を持っている持久力を得た源でもある。

 この水泳力を一段上のランクに引き上げよう!っていうのが、最近、特に思う事。

 今のレベルは?っていうと3000mを1時間というペース。頑張って50分というペースなんだが、これを大幅に引き上げたいというのが今の願望。

 これから三年計画くらいでレベルを上げたいと思うのである。

 具体的には、簡単に到達できない目標で、尚かつ、頑張れば何とかなりそうな目標で無ければならない。で、ターゲットは大きく出て、、、、、4000mを一時間というペースを目標にしようか?って、ふと思い付いた所。

 将来、就労の現役をリタイヤしたら、老後にはオープンスイミングをしたいと思うのだが、そのためには、10km以上を楽勝で一定のペースで泳げるようになっておきたいのである。

 ということで、今後暫くは、トレーニングで普通に泳いでいるメニューとは別に自由形で4000mを1時間で泳げるような技を身に付ける如く通ってみようか?と思っている。

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資格と技術は別物だ。

 最近、表題の言葉を度々聞く。
 例えば、派遣労働者の就職活動における資格云々、資格の有無が重要という話。そして、再就職支援に資格取得斡旋云々、、、、理解出来るけど、、、、微妙。

 他にも、最近流行のスポーツサイクルを取り扱うショップでの話。技術云々、、、、、。
 まぁ、判らないでない。

 しかしである。

 資格、或いは、技術って何?って疑問である。

 資格が沢山ある。資格っていうのは何か?っていうと、これは特定業務を行う上での免状みたいなもので、逆に言えば、斡旋されるようなモノであり、斡旋されて、その気になれば取得出来るモノに違いないのも事実である。更に言えば、斡旋されて取得出来るというのはフォーマットが決まっている事でもある。更に言えば、誰にでも出来る事が資格なのだ。

 資格を沢山取っていても、それが何?って言えば、其れまでとも言えるように思うのである。

 採用する側が何を求めるか?これは、今のように人件費勝負で低コストで教育不要な労働力を確保するという観点から見れば有資格者は、作業の指導コストが低減できるから有り難いというレベルの話であり、先の記事で書いたように、低コスト人件費で製造された外国製品と競争するという前提での話であり、人件費削減競争とは別に、全く新しい価値観を生みだして高付加価値製品を生み出す上では、資格なんぞは殆ど役に立たないと言っても差し支えないように思うのである。

 人が出来ないモノを生み出す力であったり、人が気付かない事に気付く洞察力であったり、それこそがリストラ対象にならない人間になる上で必要な資質では無いか?ということである。つまり、資格は資格であって、望んでも手に入らない能力こそが求められる時代が迫っているのでは?というのが感想である。そういう資質こそが先の記事でいう、派遣労働者は賃金が正規雇用よりも高いという状態を生み出す前提となりうると思うのである。

 俺が経営者ならば、資格の有無よりも、前職での実績であったり、或いは、開発系であれば特許等権利の取得件数こそを重視するのである。仮に、見ず知らずの人の採用を判断するならば、個人の名称をJ-Tokkyoのようなサイトで検索して、検索に引っ掛かるか?で判断するようなものである。幾ら資格を持っていても、無から生み出す力が無ければ、経営者的な立場になって考えれば雇う気持ちが沸き上がらない感じなのだ。

 で、次いでの話が、技術って話。技術っていうのが、最近は資格と等価のような扱いにも聞こえるのが寂しい話。技術っていうのは、『わざ』であり『すべ』なのである。つまり、技は誰にでも出来る事ではない筈なのだ。

 流行りのスポーツサイクル専門のショップで良く聞くのが、、、、、、組み付け不良の商品を売る店、取次店、輸入ショップを指して技術がない!って宣う自転車店の話。組み付け不良をバカにする上で、『技術が無い!』っていうのはチョイ違うのである。無いのは『技術』でなく、『資格』であったり『モラル』なのである。俺的に言えば、そういう事を言う店自体にも『技術』があるとは思えないのである。
 もっと言えば、スポーツサイクルの組み付けなんぞは、技術なんぞ不要とも言えるのである。当然の事を当然に行うだけでOKであり、それが出来ないのは技術以前に資格が無いといっても過言では無いのである。サービスが代金を伴うっていうのは、決して技術料ではなく手間賃、工賃の範疇である。手間賃は手間の対価であり、手間の対価に基準額が決まっているのは、手間自体が定型化しており、定型化した作業をこなせるか否か?が資格の有無であるのだ。手間を定型通りこなせるか?が資格なのだ。資格とは、決まった作業が出来れば得られるモノだが、技術っていうのは、当然+αで、αが一般化されていない先進的且つ有意なモノでなければならないのである。つまり、技術とは定型化されていないものであり、技術料には基準金額なんぞ有り得ないもの。つまり、言い値が通る仕事こそが技術なのである。料理人における職人のような存在が技術に相当すると思うのだ。

 技術っていうのは、これは『わざ』であり、本来は出来ない事が出来る事、見えないモノを見せる能力の事なのである。つまり、技術って言葉を安易に吐く店は、俺的にはあんまり信用出来ないのである。

 技術とは資格と異なるモノ。資格は当然の話。技術は特別な話なのだ。資格を身に付けるのはデフォルトであり、これからの世の中を生き抜いていくのに必要なのは、本当の意味での技術であり、それは、誰にでも出来るモノではないのである。

 誰でも出来る事なんぞは技術とは言わない。それは、人に対しても、企業に対しても思う事である。

 人や企業が生き残っていく術は何か?

 それは色んな選択があるのである。

 正しいか否かは別として、技術で勝負するもあり、価格で勝負するもあり、アフターサービスで勝負もあり、裏取引、談合で勝負するもあり、癒着、贈収賄もあり、詐欺や騙しもありなのだ。

 モラルや法律に問われるような選択は論外だが、、、、資源の無い国が栄えるためには、今迄の価格で勝負って世界感や価値観では駄目なのだ。これからは、やはり技術で勝負するっていうのが基本ではないか?と思うのである。

 人や企業が技術で勝負する。それは、他人や他社が出来ないことを実践すると言うこと。つまり前例が無いことであり、そこで初めて言い値が通る訳だ。言い値が通る仕事をする。それこそが重要であり、それが出来れば、多分、強気で行けるんだろうと思うのである。

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2009年2月10日 (火)

ダンベル体操、実戦投入開始!

 以前からネタに挙げていたダンベル体操だけど、ついに、日々のメニューに取り入れ始めた。

 15分のビデオダンベル体操を日々のメニューに取り入れたのは土曜日からだ。使うダンベルは、5kgチョットのダンベルだ。このダンベルで運動を行っているのだが、二日行っただけで、結構筋肉痛が出るのである。これって、如何に日々の運動が鍛える箇所が偏っているか?を示しているかのよう。

 なお、ダンベル体操を追加で15分行うのと、折角?だからということで、ダンベル体操のメニューでサーキットトレーニングと重複している項目、具体的にはスクワットと腹筋だけど、この二つのメニューはダンベル体操でのやり方によるアレンジを加え、スクワットでは肩上に左右各々に10kgずつの合計20kgを加えた方法に改め、腹筋では胸元に4kgの軽量ダンベルを置いての方法に変更している。

 今、ダンベルがマイブームである。20kgダンベルが二つ、10kgダンベルが二つ、5kg強(正確には5.25kg)のダンベルが二つ、3kgダンベルが一つで合計7個のダンベルが転がっている。

 ダンベルだらけである。しかし、映像を見ながら行うとアッという間である。お奨めかもしれない。

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雇用不安ネタ

 最近のニュースでよく聞くのが、表題の雇用不安関連。特に派遣労働者の契約打ち切りがニュースを賑わし、その派遣労働者の派遣の在り方、規制緩和・・・・・に遡った話題が多い様子。

 この問題、聞けば聞く程、難しい問題のように感じる。労働者の言い分、経営者の言い分、判らないではない。どっちが正しいとも言い切れない。

 派遣という呼び名が一般的となり、派遣という選択が就労の一つの在り方として認知されたのは、悪い事ではないのは間違いないけど、結果として様々な問題が顕在化しているのが今の状況なんだろう。

 意見として纏まった形で記事に出来ないので、思い付くままに印象を羅列してみると、、、、

 経営者が派遣労働者を採用するのは正規雇用よりもコストが安いからという大義がある。そして、派遣という呼び名の如く、派遣されたモノは非正規雇用だから契約というのは長期契約を保証するものでも無いのは確か。しかし、企業が正規雇用を減らし、派遣契約を増やすっていうのは、根底に何があるか?というと、企業側の論理として、人件費圧縮による製品コストの圧縮と、国際競争力の確保という大義がある。
 ここで、思う疑問点がまず一つ。それは、日本製造業が製造する品目が、人件費の安い国々で作れる品目と同じであるのは何故か?もっと言えば、人件費の安い国々で作れるモノを日本企業が製造を請け負う必要があるか?という疑問点。製造という行為では、製品を作る担当は、一番安く作れる国であるべきという考え方からすれば、日本企業が人件費勝負で人件費の安い国々と競う事自体がナンセンスでは?と言う事。
 少なくとも、製造業における派遣の在り方として、安価な労働力という考え方は、企業自身が製造する品目自体が間違いとい印象。

 他には、派遣というのは、派遣されると言う事であり、派遣される理由は、短期かつ高技能という前提が絶対必要だということ。契約の抜け道ではないが、派遣~期間~派遣という形で雇用形態を変えて長期間の雇用を行うというのは、脱法行為であり、派遣というならば、最長でも3年、それ以上は、派遣元、形態の在り方を問わず、同一人物を断続、連続を問わず一定以上の期間で雇用契約をするならば正規雇用を義務付けるというのが本来の姿の筈。労働の流動化を大義として掲げるならば、雇用側、被雇用側ともに異議は無い筈。

 あと思うのは、企業の正規採用の在り方について。

 これは、企業が企業業績に応じて新卒採用を毎年調整しているが、その調整の影響を被るのが新卒世代。運の良い世代は、労を厭わずして正規雇用され、運の悪い世代は、苦労しても新卒で入社出来なかったりする。企業側に求める社会的責任としては、企業規模に応じて入社を受け入れるべき最低の人数的なノルマが在っても良いのでは?というのが印象。当然、そのノルマには下限があると同様に上限があるのも然るべき姿では?とも思う。社会として就労者を受け入れる枠には一定の制限があっても良いと思うし、そうでなければ世代間の不公平感は解消されないように思う。

 全体として、派遣労働者、非正規雇用労働者の今の問題は企業に責任があるように思う。人件費勝負という弱者を利用するという一番安易な方法で物作りを行う事を普通と思う思想が根底にあり、非正規、正規に限らず雇用規模を景気動向によって調節するのを当然という思想が根底にあるのが間違いのように思う。

 企業が社会的責任を叫び、環境問題云々を言う前に、社会から財を得るという立場を考えれば、企業が存在する限り、人材は安定的に一定量を受け入れる義務があって然るべきであり、そのためには人件費圧縮競争に走らずとも利益を計上出来るような質の製品を供給し続ける、つまりは、生活や文化向上のための新しい価値を生み出し続ける開発力があって然るべきと思うのである。

 逆に言えば、新しい価値を生んで価格に転嫁出来ないような企業は、他国の安い人件費で供給される製品に駆逐されて滅びるのも仕方ないか?とも思えるし、価格競争を甘んじて受けるような製品しか作れない企業で働く人は、その競争力が無いならば、安い人件費を派遣労働者に限らず、正規雇用、管理職、経営者に到るまで全てが、安い人件費に相応した給料しか得られないっていうのも当然といえば当然なのである。

 勿論、雇う側の企業ばかりの責任というものでもなく、派遣形態で働く労働者自体も、企業における価値創造において、正規雇用労働者以上の能力やスキルを持たなければならないのは、言うまでもない。派遣、正規に限らず、雇われるという概念よりも、雇わせてやるという概念が通用するような立場、労働者個人が自己のスキルを競争力のある商品とするような考えが本当は必要なのかも知れない。それが可能ならば、空論的な理想論かもしれないが、非正規雇用は正規雇用の3割増しの賃金、尚かつ、派遣元が変わっても同一人物が企業に派遣として働くのは、正規社員にならない限りは厳密に罰するって価値観も通用するように思うのである。

 人件費の安い国の製品と競争するから安い労働力が必要なのであって、そういう競争が不要なレベルの製品に仕立てれば、高い価格も通用するのでは?っていうのは、幼稚な発想かもしれないが、一番、シンプルで理に適っているように思う。それには、安い人件費でなく、高くても真似の出来ない人的資源による価値創造っていう方向に企業、労働者双方が思考を向ける必要があるのでは無いだろうか?

 個人的には、そういうのは教育が一番重要では無いか?と思ったりするのである。

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2009年2月 9日 (月)

PCオーディオ構成決定しました。

 散々悩んだというか、仕様が確定しなかったオーディオシステム補完PCの仕様が完全に確定しました。仕様が確定ということは、使用法も確定です。

 因みに、同時にDVDデッキも旧世代DMR-EH70Vから最低でもAVREC対応のDVD機に更新します。機種確定は未だですが、DMR-XW三桁型番~DMR-BW機となる見込みです。将来的には、現在のTVモニターである日立のW32-GF20というD3対応プログレッシブブラウン管テレビも更新します。

 まずは、調達マシン構成を簡単に紹介しますと、散々紹介したとおりに、ASUSTEKのP6Tというマザーにcore i7 920(2.66GHz)を搭載します。OSは当初の予定を変更してWindows Vista Home Premiumの32bit版です。

 メモリはDDR3で2GB×6=12GB構成となります。32bitOSでは8GB以上が過剰領域となりますが、それはRamPhantom3というRAMDISKソフトを用い、RAMディスクを割り当てます。このエリアはテンポラリーファイルの保管領域と可能であれば、Windowsの仮想メモリー領域を割り当てる予定です。
 HDDはSATAの1TB×3と言う構成ですが、StandbyDiskってソフトで一台のドライブをDPSRに割り当てますので、実質は1TB×2の運用です。起動ドライブがシステム+データドライブ、別のドライブがアプリケーションの実行特性の無いデータ等の格納領域です。場合によっては、家庭内LANの他のPCのデータ保存エリアとなる場合もあります。
 なお、PC必須のVGAカードとしてはGeforce9600GTを選びました。バス幅、搭載メモリを考慮した上で最も安価な機種です。

 このような構成に加え、AV機器との連携では、地デジアンテナを地デジチューナーキャプチャーカードで取り込みます。地デジコンテンツは基本的にはTS記録で公に認められるツールで録画することとなります。
 特異な点としては、AV機器のHD出力(現行ならSTBのTV出力、或いは、同時更新予定のDVDデッキのTV出力)をTVに行く迄で分岐させて、その分岐をアナログキャプチャーボードに入力させます。こうすることで、HDコンテンツをアナログながら高解像度でPCにキャプチャリングさせる予定です。
 このような方法で取り込んだコンテンツはDVDかBDに焼き付ける事となります。

 なお、取り込んだり、受信した映像の出力は25.5インチの飯山ProLiteってワイドモニターに出力させます。

 なお、このPCはリビングにテレビと隣接させて置きます。当然、モニターもテレビと隣接させます。なお、DVDデッキの更新ではi-linkによりSTBとも連携させて現行STBのDR記録のみという煩わしさを解消できます。

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景気、不景気、景気対策

 2002年2月から69ヶ月もの間続いた戦後最長の景気拡大の景気を『かげろう景気』と命名したそうだ。
 景気指標を大きな影響力を及ぼす企業の殆どが外需依存型の輸出産業であり、企業の経済活動としては好業績を続けたのだろうけど、業績向上が外需依存ということで国内では、その実感が伴わなかった事で、実感無き景気回復と言われた様を反映して選んだ語句が『かげろう』なんだろう。

 この外需依存で企業業績が好調だった反面、賃金抑制、競争激化によって個人所得は低迷したために企業業績に対する内需の割合は過去の好景気期と比較すると圧倒的に小さいのが特徴だ。

 そんな中で金融危機を発端とする景気後退に見舞われる中、この不景気は果たして個人のマインドにどのような影響を及ぼすのだろうか?

 元々、好調な企業業績の恩恵を被っていない国民にとって、企業業績の悪化の影響をどれ程受けるのか?というのが最近の思い。不謹慎かもしれないが、ホントに不景気?って印象さえあったりする。
 企業業績の急激な悪化が報道されているが、殆どが、外需で成り立つ輸出産業、得に、外国の個人消費に支えられた家電、自動車業界である。勿論、それに従事する人に影響は出るだろうけど、逆に言えば、過去はそれに従事した人は恩恵を被っていたのも事実。『かげろう』景気の恩恵は、特定の企業に恩恵をもたらし、外需崩壊によって恩恵を受けてきた企業がダメージを受けているだけ、、、、そんな事を言ったら不謹慎なのだろうか?

 過去数年の異常な好業績が外需の異常さにもたらされたバブル的なモノであり、それは本来は有り得ない構造で、その有り得ない構造を基準とすれば、有り得ないモノが無くなっただけで大損という印象だが、有り得ない構造で得た利益が有り得ないモノと考えれば、単純に有り得ない状況の前に戻っただけと考えれば、大騒ぎする程でもないというのが感想だ。

 例えば、東芝の今年度の赤字が2800億円とか、、、、でも昨年迄の連続三年で平均して2500億円規模の黒字を維持してきた訳であり、超大雑把に言えば、累積収益的には一年前に戻っただけとも言える。それは、一年前の過去最高の業績と踊っていた企業全部に言えることであり、今年の赤字額なんぞは、昨年の黒字額に比べれば屁みたいなダメージでしか無いのでは?っていうのが正直な印象である。実際の企業経営に携わっている訳では無いので、良く判らないけど、、、、、今言われている『かげろう景気』の後に『百年に一度の不景気』というのが、今一つ、ピンと来ない。ホントに百年に一度の不景気か?とも思える程。何か、煽りの要素が相当に大きいようにも思うし、そんな煽りで出てくる景気対策も意味不明というか、理解を超えている。

 元々有り得ない好業績を基準に考えるからショックが大きいのであって、有り得ない状況の前を基準に考えれば、至って普通な状況のように見えるのである。

 この状況を、非常事態的にメディア、政府が取り上げている!って言ったら楽観的過ぎるかも知れないが、その深刻さを煽るような政治家が多いようにも思う。象徴的なのが、今話題の政府紙幣の発行。これを最大で25兆円ばらまくとか、、、、、

 建前上は紙幣発行の権利を行使すれば無尽蔵に発行出来るものだけど、その紙幣の価値が日銀券と等価交換が原則ならば、結局はバブルに終わる印象である。本来、お金は信用の対価であり、価値を保証するから金の価値が生まれる物。その価値の対価が保証されるかどうか?というのは、発行する時の政府の信用だ。政府の信用が政府紙幣の価値を支える筈であり、今の政治不信を見れば、政府紙幣には価値が無いとも思える。価値が無くても無尽蔵にばらまかれるとどうなるか?っていうと、結局、流通貨幣が増えた分、金の価値が下がりインフレになるだけともいう。その驚愕度が大きければ大きい程、反動が多く、日銀券の価値の低下も大きくなるのでは?とも思えるところ。

 景気が『かげろう』、、、不景気はホントに『百年に一度』?って印象。国内における景気対策の一番は、多分、政権交代だろうなぁ、、、、。

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2009年2月 8日 (日)

大容量メモリー時代

 ニューPCは今のところ、過去の資産が動くかどうか?の柵は全く無いモノと考えている。
 用途は、動画編集、DVD作成というところ。基本は地デジ番組のキャプチャーによるDVD作成である。

 そんな環境を実践するのに、過去のマシンとは世代を進歩させるというのが今の考えである。既存マシンはXeonのDUAL機で論理4コア+RIMM2GBという構成でWindowsXpを動かしているのだが、次期マシンは論理8コアで今の気分はDDR3で12GBのメモリーを実装させるつもりである。因みにHDDは1TB×3という構成だ。
 当然、普通に考えると4GB以上を搭載しているので32bitOSではNGであり、64bitOSをチョイスということになるのだが、、、、、、

 今、行おうとしている行為がTV・ビデオキャプチャーである。このTVキャプチャーは64bitのOSに対応しているものがあるけれど、ビデオキャプチャーの方は64bitのOSに対応しているものが存在しないという状況。

 64bitに対応した唯一のキャプチャーカードであるアースソフトのPV4でも64bitOSの起動時に面倒臭い操作が必要であり、こんな対策が必要とされたりしている。

http://fivetecvideo.at.webry.info/200902/article_1.html

 通常のキャプチャーカードは全て32bitのOSどまりである。32bitOSではメモリーが使える量として僅か4GB未満である。しかし、キャプチャーするためにはOSを32bitにする必要があるというか、実装するメモリーが使えない事になる。

 大量のメモリーを使う方法といえば、大昔のMS-DOS時代でいうEMSメモリーでRAMDISKなんて方法とか、同じ時代のシリコンディスクというメモリーディスクだったり、或いはUNIX系で/dev/ramdiskをマウントして使うとかである。

 64bitWindowsで機器選定で難儀するか?或いは、、、、、32bitWindowsでメモリー空間の無駄を承知で機器選定の選択肢を確保するか?微妙な問題である。
 今思うのは、32bitWindowsでメモリも12GB程搭載した上で、8GBをRAMDISK化してマウントした上で、それを環境変数領域とかスワップファイル領域として使うことか?と思ったり、アプリケーションワークファイルの指定領域とするか?という感じ。

 幸い、過剰メモリーをRAMDISK化させるツールは出回っているみたいなんで、

http://www.chweng.idv.tw/swintro/ramdisk.php

 こういうのも悪くないかもしれない。探せば、色々とあるようだが、こういうのが一番スマートな気がする。

 色々と調べた結果、OSの64bitへの以降は準備だけ整えた状態で抑えて、当面は32bit運用させる。但し、メモリ容量は12GBとして、過剰な8GBは大容量RAMディスクとして、色んなワークエリア、作業エリアとして仕様する予定。RAMディスクをセットアップするには何通りかあるようだけど、RAMディスクの容量制限と回避方法のスマートさを考えて、RamPhantom3ってソフトを利用する事にした。フリーではGavotte Ramdiskってソフトも存在するようだが、RAMディスク容量をNTFSでフォーマットして4GB以上という指定では、システムが不調を来すようで、その回避には昔でいうAUTOEXEC.batのようなバッチスクリプトで32FATで確保、NTFS変換、、、、って記述を必要な様子。どうもスマートさに欠けるという印象で、アプリケーションレベルで各種設定のI/Fが用意される既存市販ソフトで良しと判断したところ。この時点でメインサイトに書いた日記と方針が変わっているのは、仕方ないか?

 取り敢えず、必要なパーツは全て発注したんで、後は来るのを待つばかりなり。

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ゴミ有料化延期

 地元広島では、ゴミ有料化プランが早くても2014年度迄延期されるんだそうだ。
 ここ一年でのニュースでは、ゴミ有料化開始は秒読みか?と思っていたのだが、突然の延期、、、、、理由は、不景気による経済情勢の悪化が、ゴミ有料化に伴う家計への圧迫を懸念させたそうだ。

 やはり、環境問題は経済情勢、景気に左右されるのであろうか?

 ゴミ有料化の遅延問題等は小さな問題だけど、例の地球温暖化、生態系保護を観点とした問題でも同様では無いだろうか?
 特に、経済不況が世界規模、同時進行的であると、世界を挙げて取り組むという類に対しては懸念されるところだ。

 それにしても、新聞記事にある『地域経済が急速に悪化する中で、市民の理解は得にくいと判断した。』っていうのは、政治家、市民を含めて、環境問題は生活にゆとりが無いと気が回らないという常識を端的に表したモノの様にも見える。建前として『ごみ減量化の手段は、有料化に限らない』という意見は判らないではないが、社会における規律、ルールへの強制力を見ると、殆どが金銭に置き換えている訳であり、ゴミ減量化の手段を有料化以外で見出すっていうのは相当に難しそうだ。

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2009年2月 7日 (土)

iNC100、GSmart350は面白い。

 ゴミ記事だけど、表題のデジカメ、小さくないし、格好良くもないのだが、何故か好き。その好きな理由っていうのは、多分、不動状態を修理したという要素も大きいとは思うけど、、、

 因みに、これはオークションで100円でサルベージした品物。送付されてきた状態は?っていうと、液漏れで漏洩液が基板に侵食した飛散な状態。漏洩液は腐食性であり、電池の電極プレートも折れた状態で、まぁ、完全にゴミな状態である。

 で、ゴミを承知で買ったんで文句も無いけど、取り敢えず電池入れ近辺の固着した腐食液を清掃して新しい電池を入れると、、、、取り敢えず電源は入る。しかし、映る画像は、凄い状態。全く、映像が映像として存在しない状態。風呂場に眼鏡で入って視界を失った状態という感じ。ピント云々の話でなく、多分、レンズが終了、、、、てパターン。

 ということで、早速、解体。まぁ、壊れても惜しくないというのもあるけど、手軽に解体、バラバラにしてみると、、、、、レンズとCMOSセンサーの間のフィルターが完全に曇った状態。

P2010009

曇りはカビというよりも樹脂成分が付着した感じ。症状的にはネットでも同例が見つかったんでデフォルト的にそうなるのだろう。

Img_0008_2

 これを尚して組み立てると、、、、、おっ!取り敢えず、綺麗に映る感じ。

Img_0024

 しかし、ボタンの内、一つが反応しない。一つはSELって書いてあるんで、多分、モード切替のボタンだろう、、、、、

 ということで、更にスイッチ基板辺りも解体。解体すると、腐食液が基板全体を覆ってる。腐食液を慎重にカッターで削り落とすもスイッチは復帰せず、、、、、で、スイッチの配線を集積した端子でバイパスさせると、モニター上にSEL表示が出てくる、、、、、ということは、スイッチの導通不良だ!
 基板の解体では基板の上面、下面のパターンの連続部位を疑い、上面と下面のパターンの接続をリード線をバイパスさせて復活させてみた。
 で、見ると、、、、、今度は完璧にスイッチが蘇った。

 しかし、そのまま組み立てると、基板上に追加したリード線がプラスイッチのストロークを制限し、シャッターボタンの節度が無くなっている、、、、、で、次は、リード線の経路を変更し、不要なハンダを削り落として再び組み立てる。

 !!!完璧である。

 このモデル、改めて紹介すると、単三電池三本で駆動。液晶ビューファインダーのみ装備で、ビューファインダー内で画像の再生、構図の確認が出来る。視野率100%か?イイ感じである。因みに、このビューファインダーは『サイバーディスプレー』って言うそうだ。更に、CF使用可能であり、画像制限は皆無。簡易的な露出調整も可能、トイデジでありながらストロボの設定を記憶するのも優秀。デジカメ類はフラッシュ無しで撮影出来てこそまともな機種と思うのが最近の考え。フラッシュ焚いたら画像は異質になる。そういう意味でフラッシュ無しがデフォルトでスイッチオンで即撮影可能な本機は悪くない。更に、露出調整をEVFで確認出来るのは光学ファインダーよりも失写が少ない。

 勿論、シャッターを押してのリリースタイムラグは遅く、シャッタースピードもクソみたいなもんだから動きのある被写体は駄目駄目だけど、それでも、このカメラ、お気に入りである。VGAデジカメでは、DS-10、intel pocket pc cameraに次ぐ三番手のお気に入り。性能的にはWS30の方が上だけど、雰囲気が良いのだ。

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瞑想中麻生、迷走中?

 木曜日のニュースで笑ったのが、麻生さんの郵政民営化に対する意見。
 取り敢えず、当時は反対していたのは、自分だけ!?と豪語している様。理由はどうであれ、その本意がどうであれ、あれを言っちゃお終いだろう、、、、、、小泉さんの信任票による安定多数が政権基盤である以上、当時の政策を、今になって、当時から同意できなかったと言うのは如何なものか?????当時、郵政民営化に反対して自民党から追い出された野田議員の意見も、この麻生さんの意見に呼応してか、復党した今になって、当時の主張が認められて良かった!?なんて言ってるし、、、、皆、アホちゃうか?

 麻生さん、言ってる事が訳判らない状況。小泉改革云々からの揺り戻しが顕著な様相だが、そんな事してたら、野党民主党と同じになっちゃうというか、与党が野党化して良いモノか?

 野党が与党化するように意見がぶれるのは、政権担当をしていないから、或る意味仕方ないけど、与党が野党的スタンスによって野党化するのは、与党が既に与党としての機能を失っているように見えるのは気のせいだろうか、、、、

 結果はともあれ、小泉政権における与党らしさ、、、つまりは野党を悪者に仕立てる能力は、政権交代とともに失われ、与党の主張が180°入れ替わるのは、与党が野党となる状況、、、、、、、これを迷走と言わずして何というべきか?最近は、あの、ベランメェ調の言い回しが、酔っぱらいのようにも聞こえるというと言い過ぎか?語呂で言うと、瞑想、瞑想よりも、酩酊か?とも思える程。

 正に、『麻生、迷走中』である。

 自民の標語?の『麻生、実行中』よりも『麻生、迷走』の方が語呂も合うし、イイ感じである。

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自転車通勤は良いのか?

 今年の5/29に地球温暖化対策に自転車の利用を呼びかけるイベントを広島で開催するのだそうだ。

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200902040007.html

 これによると、気候変動枠組み条約の締結国会議のPRの一貫とのこと。

 自転車を利用して地球温暖化防止と健康増進を計ろう!!って声は色んな所で聞く言葉。

 でもでもでも、、、、そういう意見は理解できるとしても、それと昨今のスポーツサイクルブームとリンクさせて、ロード系スポーツサイクルで通勤しよう!っていうのは、自分的には反対だったりするのである。

 少なくとも、通勤するのであれば、ロードバイクはNGで、クロスバイク、MTB、小径車、実用車に留めるべきっていうのが自分の考えだ。

 なぜならば、ロードバイク=競技系バイクであり、競技とは連続走行を原則とした競技であり、競技優劣の判定は速さであることから、基本は超軽装備で止まらないという前提を持つバイクだからである。そんなモノで雑多な環境を走ると、モノの魔力で交通ルールを阻害しがちになるというのが反対の理由。逆説的に言うと、通勤環境というStop and Goの多い走行環境であったり、通勤という手ぶらで動けない状況であったり、雑多な交通環境における走行であったりという状況を考慮に入れると、ロード系スポーツサイクルを楽しむ上の必須条件が全て不適合のような印象なのである。
 楽しもう!って意識が強いと迷惑顧みず状態になりそうだし、モラル遵守に徹すると楽しさ半減になりそう。

 つまり、やっぱり、なんでもだが、どんなモノにも適応性っていうのがあると思う。用途に併せた選択というのがホントは一番大事なように思う。何でもかんでも好きだから!って理由のみで突っ走る事は、必ずしも、物にとっても、使い手にとっても幸せになるとは限らないのである。

 でも、自転車に限らずだが、日本人ってのは、コレ一台で、アレもコレも何でも全て出来る!って宣伝に弱く、コレするなら、コレが一番って考え方が通用しにくい人が多く、自転車でも好きだからというよりも、通勤するならコレ!って割り切りが出来る人は案外少なかったりする。まぁ、どっちが正解とは言えないけど、個人的には、用途で機能を絞って特化させた物程面白いという印象だ。

 だから、話を戻すと、エコに効果的な自転車利用の一つで、自転車通勤の啓蒙というところ迄は賛同出来るのだが、それならば、自転車通勤に本当に特化した適した自転車が見てみたいように思うところ。今は、ブーム、環境、健康が一緒くたになってるけど、それぞれを満たす機材は別物の筈。その変を鋭く突いた記事は見た事がない。その辺が、最近の自転車を祭り上げる記事に多く見られる表面的な意見だな!って感じ。
 少なくとも、自転車通勤にドロップハンドルのような自転車は俺的には絶対有り得ない感じだ。

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2009年2月 6日 (金)

ダンベル体操のビデオ

 ダンベルダイエットってビデオを入手した。
 このビデオは、何と1993年製のテープで、フジテレビ系列の扶桑社が販売していたビデオである。監修は、運動生理学で著名な先生で、筑波大学教授の鈴木正成先生だ。中には、インストラクターの女性+フジテレビのアナウンサーによるモノで、時間は30分である。見ようによっては、マニア向け?(笑)とも思えるようなビデオかもしれない。

 因みに、ダンベル体操、ダンベルダイエットというキーワードで検索を掛けると、何社か販売しているようだが、監修は鈴木正成先生となっており、この方は第一人者のようである。ここに紹介されている模様だ。

http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/071.html

 そんな訳で、最初は入手して今一か?とも思ったけど、ダンベル初心者の自分からみると、ダンベル体操で用いるダンベルの重さの決め方から、ダンベルを用いた体操のパターンから実際に取り入れてみようか?と思う内容が何点か見つかったので、今では買って良かったと思っている。

 現在、ダンベルベンチ、ダンベルフライを片側20kgのダンベルで行い、リストのスナップを片側10kgのダンベルで行っているけど、ビデオメニューによるダンベル体操で自分に適切な重量は?っていうと、5~6kg程度かな?って印象である。20kgダンベルなんかでダンベル体操を行うと、間違いなく身体が壊れる。10kgダンベルでも試験的に行った範囲では相当に厳しい感じ。ウエイトの大きなダンベルは、筋トレ等で鍛えた部位を鍛えた方向で使う分には問題無いけど、鍛えていない部位を徐々に鍛えて基礎代謝をアップするという考え方からすれば、軽めで行うのが吉とも思える訳だ。

 ところで、ダンベルっていうのは重さが調節できるのがメリットのようだが、自分としては、一度セットした重量を組み換えて行うっていうのは考えれないというか、面倒臭いのである。トレーニングの過程で今日から重量を少し増やそう!ってノリならいざ知らず、そうでない場合は、必要な重量毎に揃えたくなるモノ。結果、自分の部屋にはダンベルが沢山転がっているのが何とも言えない状況にも見える。

 という状況だが、更にダンベル体操用に5~6kgのダンベルを一つ通販で注文したところである。

 取り敢えず、今行っているサーキットトレーニング内のスクワットと腹筋台での腹筋にダンベルを用いた方法に変更して、それ以外の要素のダンベル体操を10分程度で日々の運動メニューに加えようか?と考えているところだ。

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ゴミで遊ぶ。

 パソコン、自転車、単車、、、、なんでもだが、最新の機種は楽しいけど、古い機種も楽しい。懐古的なニュアンス以外に現実の価値として古いモノを認めてしまうのであるが、デジカメもそうである。

 パソコンの場合、古いモノの良さというと懐古的なニュアンスが強く、機能的には古くなければならないという必然性が今となっては小さいようにも思う。10年前ならNECのPC98資産の運用ってのもあったけど、今は少数派だ。自転車はどうか?っていうと、嗜好性を除けば古いモノで無ければならないという必然性は、これまた少ないようだ。っていうか、工業製品に属するモノ全般に言える事だが、新しい程にマーケットのニーズに高度に答えているのは間違いなく、新しいモノ程、機能的に優れている場合が多い。

 ただ、マーケットのニーズがユーザー個々のニーズに合致しているとは限らない訳であり、そういう場合に限り、世代的い古いモノを好むという現象も現れるモノである。
 顕著な例としては、単車がそうだ。昔のニーズと今のニーズが全く違い、当時と今の商品ラインナップ構成が全く違うと、時代を超えて古いモノを好む人も出る。まぁ、今の時代は、マーケットでの利益優先主義故に、風変わりな個性的な商品っていうのはブームであっても生まれづらく、大衆のニーズと合致していれば選択肢は広いけど、求めるモノが特殊だったりすると選択肢が全く無い場合が多い。

 さて、そんな事を思いながらというか、そういう理屈を言い訳に、ゴミの様なモノを収集しているのだ。その収集したゴミっていうのは、30万画素のデジタルカメラなのだ。このショボイ機能が何故か嬉しいというか、、、、そんな感じなのだ。
 ただ、全ての30万画素のデジタルカメラが良いか?っていうと、そうでなく、画素数は別として現在のデジタルカメラと同じベクトルを持つような機種は関心が無く、30万画素という割り切りを機能で具現化しているようなのが良いのである。

 因みに、30万画素という割り切りというのは、結局は、PCモニターの一部で確認するという使い方、具体的には、ホームページ、ブログの具材の使用に限るという使い方であり、そんな日常を切り取るための道具ということ。つまり、、、

・構図や画質に大きな拘りは不要。
・撮りまくってもデータが確認環境を圧迫しない。
・日常的に使うというのは、落としても気にならない。
・無くしても我慢できる。
・電池に対する配慮は不要(乾電池で復帰可能)。
・雑に扱えるように機能はシンプル。
・超綺麗に撮れる必要は無いけど、取り損ねるのはNG。
・持ち運びに楽な大きさ、重さ。

具体的には、、、、、

・アルカリ乾電池駆動で超長持ち、200枚以上は撮影したい。
・単三乾電池四本はNGで、単三四本未満が絶対。
・ピント合わせ不要なパンフォーカス。
・可動部分無し(ズーム、オートフォーカス、レンズバリア)
・現時点での調達価格が1000円未満

 ということ。
 ところで、30万画素のデジカメというと、大昔の普及機種か、昔のトイデジかの選択となるけど、30万画素でも高級だった時代の機種には、上述した構成とは正反対の高機能、高級で、現在の高画素デジカメと同じ方向性故に魅力は感じない。現在のデジカメとは別の方向性で生まれたようなデジカメこそが候補となるのである。

 ただ、30万画素のシンプル機能なデジカメなら何でも良いか?っていうと、自分の思う機能を満たさないと、それこそゴミに為る訳だし、コレクトするという意味から考えると、好みの問題だが、或る程度の拘り、重視する機能もあったりする。それは、、、、

・写真の色合い
・ストロボ無しでも使える
・最低でも電池交換で画像が消えないフラッシュメモリ
・メディア交換出来ない場合はUSB接続が必須
・発売当時にオモチャ扱いされていない

ってところ。それで、気になる機種をピックアップすると、、、、

1.フジフィルム Clip-it DS-10(S)
 単三乾電池二本で動くCCD搭載デジタルカメラ。電池の保ちも良好。写りは後述する機種とは一線を画す。30万画素デジタルカメラでは、オーバーオールで一番お奨めの機種。
 難点はスマートメディアが8MB迄の対応となる事。当然、USBではない。
 F3.1/8切り換え、38mm、ISO150、70cm~、1997/4

2.インテル Pocket PC Camera CS-630
 単四乾電池四本で動くCCD搭載デジタルカメラ。電池が四本必要だけど単四故に辛うじて許容範囲。電池の保ちは良好。ストロボは非搭載だけど、室内暗めの蛍光灯でも十分映る。色合いは人間の眼に最も近い。30万画素デジカメでCCD搭載の最終モデルか?デザインも秀逸。動作ギミックも良い感じ。PCカメラでも違和感無く使える。オーバーオールでナンバー2。
 スペック不明、2000/9

3.Mustek GSmart350(日立リビングサプライのiNC100と同じ)
 単三電池三本という構成で、チョット大きめのボディながら携帯性は悪くない。30万画素CMOS搭載のデジタルカメラ。特徴はファインダーが光学でなく液晶ビューファインダーという点。これは便利。電池は長持ち、メモリーは内蔵フラッシュメモリー+CF対応!、更にはUSB接続もOK。ストロボ設定も電源オフで記憶しているのは良い。興味深いのは、露出が調節出来る点。結構遊べる。携帯性云々は今一だけど、何故か使い勝手は良好。
 F2.0、33mm、1/5~1/2000、50cm~、2000/7

4.Largan Chameleon 0.3 (日立マクセル WS30のOEM元)
 単三電池二本で動くCMOS搭載デジタルカメラ。CMOS搭載機の中では色調が一番良好。多分、レンズ性能がトイデジとは一線を画しているのかも。内蔵メモリーもフラッシュメモリーを8MBと十分以上。電池の保ちは電池を入れた時期を忘れる程。携帯性は前述の二機種を上回る。WS30よりもChameleonの方がデザインは好み。このクラスでマクロ撮影可能というのも大きい。
 数少ない欠点は、ストロボの設定を記憶出来ない事。
 F4.0、35mm、1~1/10000、20cm/60cm~、2000/9

5.AGFA ephoto CL18
 単三電池二本で動くCMOS搭載デジタルカメラ。内蔵フラッシュメモリーが2MBと少ないけど、それ以外はWS30に近い構成。マクロは持たないけど、ストロボ設定は記憶可能。
 性能的にはWS30に劣るけど、デザインが良い。
 F2.0、45mm、1/30~1/700、ISO200、2000/4

6.日立マクセル WS30Slim
 単四電池二本で動くCMOS搭載デジタルカメラ。4.と殆ど同じだけど、電池がコンパクトとなりボディが薄く為った分、画角が変わり望遠気味(35mmから42mmに)、レンズはチョット明るく(F4.0からF3.47に)なった。しかし、スローシャッターが速く(1secから1/2secに)なった。カメラとしての使い勝手は4.が上手かも知れないが、利点は超コンパクトという点。欠点のストロボ設定は4.同様に記憶出来ない。
 F3.47、42mm、1/2~1/10000、20cm/60cm~、2001/5

7.カシオ LV-20
 単三電池二本で動くCMOS搭載デジタルカメラ。殆どWS30と同じ構成のカメラだけど、マクロは無し。フラッシュメモリーは4MB。
 F2.8、43mm、60cm~、2001/10

 ってところ。この30万画素のデジカメ軍団、面白いわ、、、、。写真家ではない訳で、チョットした一瞬を切り取って、日記に使い、その際の記憶を呼び起こす鍵みたいな存在故に、過度な画質への拘りはホント、皆無だ。

 勿論、こういうデジカメを運動会とかL判出力を前提とした子供の成長写真の撮影には使わないし、貴重な体験を記録する場面にも使わないけど、日々の行動の一瞬を切り取るならばコレが良い。持ち歩く出なく、出没する場所に適当に転がしておくというのが何より。車中に一台、引き出しに一台、ポケットに一つ、、、、、と、適当にばらまいて、適当に撮りたい時に撮る。こういう使い方が良い。

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2009年2月 5日 (木)

ポンプ屋が関心?

 最近気になるというか、顕著な傾向がある。
 それは、表題の如く、ポンプ屋さんが会社のドメインから結構アクセスしている模様。
 K社、D社、T社、T社、I社、、、、、、のドメインからのアクセスが特に増えている様子。

 検索キーワードは、『先行待機』、『ドライ』、『軸受』といった用語。

 まぁ、ジャーナル軸受で耐摩耗性&無潤滑摺動性という相反する性質を両立させる事が難しいのだが、その関連だろうとは思うけど、、、、、

 さて、このジャーナル軸受では、軸受と軸スリーブという二つの部品から構成されるのだが、昨今というか、多くは一方だけに開発が傾注している傾向がある。

 これは、時代によって変遷してきたとも言うけど、この分野におけるジャーナル軸受開発当初というと、殆どがベアリング側の開発に終始してきた。

最初が、摺動材の円筒一体構造のセラミック、セラミックの材質選定で炭化珪素、窒化珪素、、、、、、序で、摺動材の分割構造といった構造選定って感じ。その間、軸スリーブはどうか?っていうと、殆どデフォルトの非磁性超硬合金で決まり、、、、、

 しかし、ここ5年で自分が行ってきたのが軸スリーブだが、軸スリーブの開発に終始してきた。軸側の構造を変える事で画期的な性能を得るって事は判り、それを関連会社を通して紹介している最中で、それ故に、いろんな企業の関係者が検索されて、ここに辿り着くのか?と思ったりしている。

 更にしかし、昨年からは過去の経緯を引っくるめて、システムとして考えると、ベアリング単体で考えるのも今一、軸側だけで考えるのも今一ということで、全く新しい方法のシステムを試験している。このシステムは、従来のベアリング形態の既成概念を超越するものであり、これは最近行ってきた軸側の新素材を完璧にバックアップする事が出来、軸受に要求される最大の問題である危険予知を安価かつ迅速に検出する事が出来るような形態を作っている。

 実は、この試験を年末来実施中なのだが、この全く新しいジャーナルベアリングを何処にリリースするか?は実は未だ決めていない。この新しいシステムのジャーナルベアリングは、既存のラインベアリングに比較すると、コスト的に大幅に圧縮可能で、製品精度も相当に高くなるのが特徴。しかし、全く新しいジャーナルベアリングの成立は、先に開発した回転側軸スリーブが必然であり、セットでなければ成立しないもの。

 こういう補完しあうシステムこそが部品として理想形態だろうと思うのである。

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ピストとロード、高ケイデンスで違いは?

 最近は、当サイトへの御客様のリンク元に別の自転車系サイトから飛んで来られる方が多い。リンク元を辿ると、結構、熱い?自転車趣味人の方々のサイトの場合が多く、多くが、ケイデンス論、ペダリング論について論じられたページからである。そんなページに当サイトの記事がピックアップされている事があり、そのピックアップからやって来られるようである。
 有り難い話である。自転車趣味人の方々の関心を惹いているだけで有り難いものである。
 多くのネタは、ペダリングテクニック、ロールアウト論、ビンディング要不要論、膝痛論、、、、関連である。

 そんな中、最近の注目はペダリングテクニックと高ケイデンス論である。

 ペダリングの上手い下手は綺麗に回るか否か?ということだが、その方法論は別として、綺麗に回るというとペダリングが等速円運動となっているか?ということであろうっていうのは容易に想像が付く。ペダリングが等速円運動となるほどに高ケイデンスとなるのは当然と言えば、当然なのである。

 ところで、自分のペダリングの限界は?っていうと、これは条件によって様々なのが実であり、この条件による様々な状況を紹介すると、、、、、

・三本ローラー+ロードバイク
 これは、殆ど負荷が掛からない。機械の抵抗程度であるが、、、、、この組み合わせでは240rpm程度

・負荷を入れたローラー台+ロードバイク
 これは、いつものローラーでマグネット負荷を加えたモノ。機械抵抗+駆動負荷抵抗で、この組み合わせでは220rpmが限度

・実走+固定シングル(ロールアウト5.5m)バイク
 所謂、ラングスターTT号でホームコース走行時。実走による走行抵抗が掛かった状態であるが、この組み合わせでは180rpmが限界、速度的には60km/h近辺

・実走+フルサイズの多段フリーギア付きロードバイク
 これは、小林ロードとかBSのTTバイクでの話。実走による抵抗が掛かった状態だけど、、、、この組み合わせで200rpm程度、速度的にはやはり55km/h程度

・実装+小径の多段フリーギア付きロードバイク
 これは、オ・モイヨWW号での話。条件はフルサイズと変わらないけど、回転数的には190rpm程度で、速度的には55km/h程度

 と、そんな感じ。数字を見ると、違うようでもあり、違わないようでもあり、、、、って感じだが、漕ぎ手本人の印象では、固定ギアか否かがペダリングの感触が大きく違うと思うのである。
 比較的低い回転数である140rpm以下では固定ギアもフリーも、フルサイズも小径も違いは殆ど体感できないけど、140rpmを越えて170rpmを越える辺りから、固定ギアのフリーギアの違いは著しく顕著となるような感じなのだ。

 フリーギアの場合は、割と違和感なく回せるし、回って加速過程にある中で、駆動力が常に一定の割合で増加して居なくとも、車速から脚への逆の影響は出てこないけど、固定ギアの場合は、加速過程ではいざ知らず、加速度が減る状況とか、速度維持の状況では車速によって回転し続けるペダルと脚の同期が崩れると車体が暴れるような挙動の気配を感じるのである。ペダリングの上手い下手は回転の限界域におけるペダリング脈動によって感じるようなイメージであり、その脈動が顕著となるのは、固定シングルに乗らなければ判らないという印象である。
 逆説的に言えば、多段フリーギアというロードバイクでは、普通に回転は上げれるような印象であり、もっと言えば、上手く回せているか?回せていないか?っていうのは、その違いが顕著となるようなハンディの大きい機材に乗らないと、なかなか気付かない感じに思うのである。

 まぁ、これは引き脚論でビンディング必須論が当然となっているけど、ビンディング無しで回す意味、ビンディングが無ければ回せないなら、その理由はビンディングは外さないと判らないって論理にも通じるもののように思う。

 あまりに機材に頼ったり、体感出来ない論理に洗脳されたりすると、実は本人は何も判らないという現実に気付かないで、判ったような気になったりしかねない。そんなもんである。判ったような気になっていながら、実際、走りが大したこと無い人っていうのは結構多いように思う。これは、自転車に限らない話だけど、人の伝聞、雑誌の記事で頭が渦巻いている人っていうのは、全てが他人の言葉であり、その言葉を自分の言葉と錯覚している人が多かったりするモノだ。

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2009年2月 4日 (水)

パソコンで何しようか?

 動画オーサリング用PCを計画中というか部分的に発注しているのだが、放送コンテンツの扱いをどうするか?が悩みの種。

 問題は、我が家のテレビ視聴形態がCATV契約となっており、テレビコンテンツをSTBから受けるという形態が難しさを助長しているのである。普通にUHFアンテナ、BSデジタルアンテナ、CSアンテナで入力するならば、各機器のアンテナに繋いで、それぞれに対策すれば問題無いけど、地理的にアンテナ受信が難しくケーブルに依存するというのが問題を生んでいる。そうは言っても引っ越す訳にもいかないので、そういう制約で考える。
 さてSTB(セットトップボックス)っていうと、ケーブル配信であり、その中に地デジ放送からCS、BSデジタル全てが入っているのである。見た目は一本の同軸アンテナ線でAV機器類を接続するのだが、その中にBSデジタル、CSが入っている。AV機器から見ると地デジアンテナが一本あるだけであり、通常の地デジ放送であれば周波数が同じなんで、普通に地デジ対応機器から受信できるけど、それ以外のコンテンツ(CS、BSデジタル)はCATV局で割り当てられた周波数で選局された上でのSTB経由で視聴する形態なのである。
 判りやすく?言うと、仮に地デジ対応のテレビを買ったとして、そのテレビのチューナーで対応できるのは地デジ局のみであり、それに内蔵されたBS、CSチューナーでは周波数が同じでないと番組を映せないのである。地デジ以外の局はSTBで選局して、テレビの入力を切り換えてSTBからの入力で表示させるというパターンとなるのだ。

 今現在、テレビはSTBからの入力を映すモニターでしか無いのだが、STB(Wチューナー搭載のTZ-DCH2810)で視聴と録画が行える。視聴はHD解像度、録画の場合は、STB内のHDDに録画する場合は、DR(ダイレクトレコーディング)でHD解像度で録画する方法と、Irシステムによるタイマー予約で録画出力端子から旧世代のDVDレコーダーにもSD解像度でアナログ録画することも出来る。
 難点?は、HDD以外に録画して保存する場合は、必然的にSD解像度で旧世代のDVDレコーダー(DMR-EH70V)でHDDからDVDにダビングするという形に限られるし、STB側での予約操作でSTB内のHD録画のみしか行っていなかった場合は、DVD等のメディアに映すことが出来ないという点である。

 この問題を解決する!っていうのが、今回のPC新調計画の発端であり、そのためには、STB内のHDDに保存されたコンテンツ(地デジ、BSデジタル、CS)をSTB外に移動させることを可能にするっていうのが一番である。なお、今の段階ではHD解像度に拘っているわけではないのだが、将来のテレビが液晶或いはプラズマに変えざるを得ない状況を想像すると、モニター側の表示解像度指定に合うようにHD解像度で保存できる方が望ましいのは言うまでもない。チョイ昔の場合は、HD解像度でDVDへの録画は出来なかったけど、最近ならAVCRECというBDフォーマットでDVD記録出来るので、AVCREC対応(DMR-XW三桁型番以降)ならばBDは非搭載でも取り敢えずは問題無いとも思える。

 ただし、このようなAV機器だけで行うよりも、データの編集操作等も入れて考えると、AV機器よりもPCで行う方が楽かなぁ?というのが最近の発想であり、動画編集、保存をPCで行いたいというのがPC新調の発端なのだ。

 その思い付きの一番最初は、素人考えとは言ったモノで、STBにi-Link出力があったところで、それを経由してPCに1394端子でムーブすればOKだろうという考え。これはコネクター形状が同じだけであり、実質不可能ということ。なんと、STBのi-Linkでムーブ対応できるのは、STBが決めた機種しか無いのだそうだ。それで、単純にPCを新調するというだけでは何も出来ないと言うことが判ったのである。

 で、次に調べて判ったのが、先日も日記にチョイ書きしたDLNAという規格。これは、LAN接続によりオーディオ機器、PC機器を連携させることができ、保存したコンテンツを必要な所で使うためのルールのようなものみたいだ。コンテンツサーバーで保存した番組を臨機応変に共有させる仕組み。この実現にネットワークメディアプレーヤーを導入し、STBから移せば良いか?とも思ったのだが、このDLNAネットワークメディアプレーヤーの通信I/FがLAN接続ということで、これは、STB自体がDLNAに対応していなければNGであり、CATV局に問い合わせた結果、既存STBが未対応なのは当然だが、DLNAに対応した機種への変更も現在では不可能という事。結局、このDLNAによる方法も没ということ。

 ならば、どうするか?というと、PCに地デジチューナーを持たせて、それで地デジ番組自体を編集するのは可能なんだけど、それだけでは、一番の目的であるCS番組の編集がPCで出来ないということ。勿論、上記のAV機器で行うには問題無いけど、、、、、さて、どうするか?が問題。
 我が家のケーブルテレビで無ければ、際物的なデジタルチューナーであるアースソフトのPT1、或いは、デジタルハイビジョンテレビアダプターであるFriioなんかを利用すれば、TS録画できそうだけど、こういう際物機器を利用しても地デジ配信しか対応できないケーブルテレビ環境では旨味が少ないのである。

 ならば、どうするか?というと、CS番組はデジタルに拘らずアナログHDでのキャプチャリングという事になる訳だ。アナログキャプチャリングとなると、STBからのD3/D4出力をキャプチャーするという事。最高解像度でハイビジョンをアナログキャプチャリングするというと、相当にPCに負担が掛かる訳だ。高速なCPU、大量のメモリー、莫大なディスク容量、、、、となると、当然、使えるメモリー空間も大きい方が良いし、入出力バスも速い方が望ましい。
 そんな思いで、アナログキャプチャー出来るカードは何がある?って調べると、アースソフトのPV3、PV4ってカード、他にはMonsterXってカード。前者はPCI、後者はPCIe、しかし対応OSは前者は64bitWindowsOK、後者は今のところ32bitWindowsのみって状態。
 HD解像度でモニター出力はSTBからD3出力されいる。それは一系統のみ。これをキャプチャーボードに送ると、モニターに映らなくなる。勿論、キャプチャーボードからスルーして映像は戻らない訳であり、STBからの映像と音声の出力を分配しなければならないという形で非常に面倒臭い構造。

 いろんなパターンを考えたけど、どれも今一決めかねる感じ。パソコンを上手く使うのが一番だけど、一番最後のパターンが有望である。やはり保存して残したいのはCS番組だし、地デジ、BSデジタル等でも残す場合はCMカット等の編集は行いたいので、そういう作業を行うならばPCが便利。取り敢えずは、普通に地デジチューナー&キャプチャーカードはOKとしても、問題はケーブル配信されるCS映像コンテンツを如何に残すか?という部分。HD解像度でなくSD解像度ならば、普通にSTBからの録画出力を分配するだけで済むから楽と言えば楽だけど、そのためにハイスペックなPCは逆に不要ともなる、、、、、

 PCの基本スペックは概ね決まった状態だが、後は、ビデオキャプチャーカードをどうするか?というところ。また、思い付いたら記事にアップする予定。

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教育産業に思う

 我が家の娘は、この春、小学校に入学だ。
 最近は、そのタイミングを狙ってか、教材販売、習い事斡旋、、、、、そういうのが異様に多いし、年齢毎の学習の大切さを売りにした教育産業の商売方法にひたすらに関心するばかりである。

 この間、女性の社会進出を先行して取り組む教育産業の例が紹介されていたが、その教育産業で商売する企業の教材を見て思うのは、自分的には、それは意味無いだろう?って印象だ。その商売方法も、オプションが幾ら、これもオプション、あれもオプション、、、、フルオプションは結構高価、、、、或る意味、親の弱味につけ込んで巻き上げるような商売方法に見える。その割に、内容がどうか?っていうと、その対価に見合う価値があるとは思えないのが正直な感想だ。
 嫁は兎も角、自分は、そんな教育産業の教材に価値があるとは全く思えないのがホンネである。習い事も、どっちでも良いように思うところ。教材、習い事、、、、そういう事に子供が本気で一生懸命になっているならばいざ知らず、そういう事への関心が薄く、遊びに一生懸命ならガンガン遊べば良いかな?と思うのである。

 ハッキリ言って、小さい時に、色んな事を教えようが、教えまいが、成長と共に必要な事は勝手に学ぶもんだと思うのである。別に、小難しい内容を簡単な言葉に置き換えて、小学校で教えるべき事を幼稚園で教えたり、小学校高学年で教える事を低学年で教えて教材の素晴らしさを説いたところで、全く意味無いだろうと思うのである。

 そんな事しなくても、多分、普通に能力は身に付く筈なのだ。過去において、私的教育が一般でない時期に幼少期を過ごした世代を見て思うのは、決して、現在の世代より劣っているか?というと、そんな事は無く、寧ろ勝っている例の方が多いのは、結局は、勉強なんぞは、したい時にしたい奴が勝手にやって身に付けているという事なんだろうと思うのである。

 子供に対しては、親が趣味に没頭して好き勝手に生きている様を見せるだけでOKか?というのが自分の考え方である。

 こんな当たり前?の記事を今更書くのは、、、、上の娘は結構色んな教材を与えて親子で取り組んだ反面、下の息子はほったらかしで勝手に大きくなっているのだが、どっちも代わり映えしないし、寧ろ、息子の方がアクティブで色んな事をやらかしているように見えるのである。結局、幼児期の教育なんぞはその程度のモノであり、一番大切なのは激しい?スキンシップではないが、ややデンジャラーな香りを含んだ空中遊びとか、園児で一輪車とか、一歳児にバランシングバイクとかの方が良いように思うのである。

 自宅でパソコンつついたり、自転車バラしたり、単車の整備したりしていると、子供はそういうのが大好きなようで、それを勝手に見よう見まねで何かを始める。子供の好奇心の根元は実態のある行動の模倣であり、模倣対象である親が勝手に色んな事をして見せることこそが、子供の好奇心アンテナには反応するんだろうと思うのである。

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2009年2月 3日 (火)

ニューマシン、仕様90%確定、発注!

 我が家のニューパソコン、仕様が確定しました。過去において、PCをゼロから新調する場合は、その時代のハイエンドに近い仕様を得るというのが方針でしたので、今回も、その方針に準じます。
 簡単に紹介しますと、、、、

1.CPU
 一応、最新のCore i7です。i7で最安価の920というグレード、2.66GHz版ですね。価格とパフォーマンスから見て決まりでしょう。

2.マザー
 これも、最新のASUSのP6Tというものです。P6シリーズで最新ですが、不要な機能を絞り安価な構成を可能としたものです。

3.メモリー
 これは、最後迄迷いました。当初は3GBと言う構成から健闘を始めましたが、結局は12GBのフル実装としました。最近のメモリー価格の動向と、メモリーメーカーの統廃合による生産数量の低下、Core i7プロセッサの普及見通しから考えると、DDR3は今が底値に近いか?という判断です。

4.ビデオカード
 これは、実は確定していません。VRAM容量を1GB、メモリバス幅が256bitのモノという制約で、他は安価であれば何でもOKと言う事にしました。個人的にはMatroxが好みです。他のマシン、例えばPC9821Xv/Wはミレニアムですし、Evo W6000はG550、PentiumIII×2マシンはパフィリアなんで、Matroxにしようか?と思っていたのですが、最近のMatrox製品は産業用にシフトしており、Windows Vista以降に必須なピクセルシェーダー等が遅れ気味なんで、メジャーなGeforce、Radeon系かを検討しています。好みとしては根拠無しでGeforce系の方が全身のTNT以来好みなんですが、DirectX10対応度を見るとRadeonの方が良さそうかもしれませんね。トレンドと価格の釣り合いを考えると、Geforceなら9600GT以上、Radeonなら4850以上ということになりそうです。

5.HDD構成
 1TB×3と言う構成です。この内一台はStandbyDiskによるバックアップディスクとして使いますの。システム+データでバックアップを備えた1ドライブと、ゴミデータ、作業エリア用の1ドライブです。3台で実質2TB構成という仕様となります。
 当初はRAID5を検討していましたが、当サイトのお客様であるHOEさんのアドバイスも考慮した結果、試しにStandbyDiskを導入してみる事にしました。
 なお、バックアップシステムと運用システムの二台はリムーバブルケースでフロントアクセスさせるように5インチベイに装着します。

6.光学ドライブ
 SATAのDVDマルチドライブとSATAのBDドライブを搭載します。BD対応ではDVD書き込みの上限が16倍速ですが、DVDドライブは20倍速なんで、DVD書き込み用も装着します。

7.キーボード、マウス
 無線式です。

8.電源
 750W電源です。

9.ケース
 5インチベイ×5のケースです。

10.メモリーインターフェース
 この度はFDドライブは実装しません。変わりにメモリーカードリーダーを装着します。

11.ディスプレー
 25.5インチ以上でスピーカー内蔵、尚かつ、WUXGA対応のディスプレーを選定中です。飯山のProLiteになりそうです。価格、品質等を考慮した結果の選択です。

 以上のような構成で、基本は動画編集マシンです。家庭内LANとは無線で接続させて、ディスプレーは既存のテレビと並べて置くこととなります。将来的にはDVD、BDレコーダーをDLNA対応機に変更して録画操作はAV家電で行い、編集操作はPCで行うという事を想定しています。当面は、STBが旧世代機器でi-Link装備とは言え、PCとは接続連携できませんので、あくまでもPC側チューナーで入力した映像データをキャプチャーしたモノを編集するという使い方となります。
 インストールは、基本はOSオンリーで、メールソフトを使うかもしれないというレベルで、通常の作業は基本的に従来のパソコンを使うこととなります。ビデオ編集用のパソコンということです。そのためだけとしては、スペックは過剰とも思えますが、映像コンテンツの収集は、地デジ番組、ケーブルで配信されている番組、他にも、嫁が撮影するデジタルビデオ映像、他にデジカメ映像と、、、、容量の肥大化を加速させるようなモノばかりですし、暫くは更新させませんので、或る程度の能力を予め持たせようという魂胆です。

 ところで、現在のSTBであるTZ-DCH2810ですが、i-Link装備とは言え、接続可能なのはAVC HD搭載マシンオンリーであり、ムーブには初期録画と等時間掛かるのも今一ですし、PCとの1394接続でデータの送受信がNGというのも今一です。次世代機のTZ-DCH9810も登場しましたが、これは録画出力がカットされており、SD解像度で通常デッキに送ることが出来ません。救いは、DLNA対応であり、保存映像コンテンツをPC側と共有出来る事でしょうか?まぁ、この辺の世代に併せた連携は、もう少し調べてみないと判りません。

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フォードが抜けたマツダは、

 2008年の11月、12月のマツダの国内生産の実績が発表された。それによると、国内生産は5万2524台で前年同月比42.5%減と単月で過去最大の下落率となったそうだ。一方で08年通年の国内生産は前半の好調を反映して107万8690台と15年ぶりに100万台を超えたとのこと。

 今回の急激な生産調整は、急激に進んだ金融危機による景気後退によるものだが、その直前に、フォードからのマツダ株の買い戻しが行われ、その結果、マツダの経営権はマツダに戻っており、その事自体はマツダにとって良かったのか?の評価は分かれるところである。

 マツダがフォードの傘下に完全に入り子会社のような状況となったときには、大きな悲観的なニュースとして取り上げられた一方で、それに慣れて年月が経過すると、今度は、フォードから独立する事自体も決して好意的な取り上げられ方が為されていないようにも見えるのである。
 広島在住で、自動車好きであってもマツダとは関係の無い人間の立場から見ると、経営権がマツダに戻るという状況は、自動車好きの望む趣味性の高い車への期待度からの判断だけで、良かったと思うのだけど、現実には、そういう状況を望まない人も多いのだろうと思ったりする。

 マツダがこの先、どんな車を出すのかは知らないけど、先代~現行の主力車種であるアクセラ、アテンザといった車種は、フォード、ボルボ、ジャガーという当時のグループで使い回す前提のプラットフォームであり、どうしてもデカイ印象がある。今の日本では、昔程幅広い車、三ナンバー車に対する敬遠する空気は薄いかも知れないが、車はでかくなっても路地裏の道、駐車場は昭和の頃と何にも変わっていない。となると、無闇な幅広ボディーは無意味では?というのが自分の印象。勝手な希望だが、日本市場の事を少しは考えたプラットフォームが生まれる可能性というが少しは出てきたかな?と言う期待感もある。
 勿論、フォード支配により危惧されたロータリーにしても、不景気だからという理由でロータリーを切り捨てるという選択肢は限りなく可能性としては小さくなるだろう。

 日本企業は日本人の希望を感じ取るような会社で会って貰いたいし、そういう可能性のある経営体制であることを望むので、そういう意味では、世界の景気後退とフォードからの株買い戻しというのは、絶妙なタイミングだったようにも思うのである。

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2009年2月 2日 (月)

脚は細くなるか?

 バイクレッグ、、、、これは自転車愛好家のカモシカのような細い脚を指すんだそうだ。
 最近の論調、、、、自転車に乗ると脚は細くなる、、、、、これは、どうなんだろうか?と考えること暫し、、、、、

 或る意味では真実、しかし真実でない場合も多々ある。

 今の自転車ブーム、、、何がブームの中心か?っていうと、それはスポーツサイクル、特にロードバイクである。ロードバイクというと所謂、スピードが出やすい、出しやすいバイクであり、そういう形をしている。そういう形は乗り手に、スピードが出るぞ!って常に誘惑する形でもあるし、その形に格好良さを認めるという価値観は、それを手に入れてスピードを出したいという本能的な欲求があるのも間違いない。

 ここで、再度考える。自転車でスピードを出す。スピードっていうのは、時間あたりの移動距離を稼ぐ、つまり時間あたりの仕事量を稼ぐってことで、結局は出力を稼ぎたいって事を意味するのである。

 出力=時間あたりの仕事=ペダルを踏む力×回転速度となる。

 回転数を上げても踏む力が無ければ出力(速度)には繋がらない。回転数を上げるにしても、それだけで力が必要なのも事実。同じ回転数ならばペダルを踏む力が大きい(ロールアウトが大きい)程速いのである。これは厳然たる事実である。

 つまり、スポーツサイクルのオーラに惹かれて購入するっていうのは、速度が出したいからであり、その速度の獲得には、絶対的に出力、即ち、力が必要なのは言うまでもない。
 そう、速度にどのレベルを求めるか知らないけど、速いという領域に入るには回転数的に違いが無ければ、結局は重いギアでなければ速さには結び付かないのである。
 それを思うと、スピードを求める限りは、如何に理屈をこねようとも、本能的な行為によって、脚は太い方向に変化せざるを得ないのでは無いだろうか?
 勿論、ここでいう脚の太さっていうのは筋肉の断面積の事であり、脂肪が取れることで脚全体の断面積が狭くなる状況はありうるとして、筋肉の断面積自体は確実に増加すると考えられるのである。

 仮に、脚を細くするというのが目的ならば、速度への願望をカットする事が大事では無いだろうか?今のブームを引っ張るロードバイクの注目度は、速そう、格好良さそう、っていうのが最初にあって、その効能に、省エネ、健康、環境がキーワードが続くモノである。そんなロードバイクに乗ると、多分、負けず嫌いは、速度の部分が大きくなり、出力志向となるように思うのである。
 ダイエットって言葉が健康という言葉ならば、脚が太くなっても構わないだろうけど、脚の太くなる事をダイエットと認めない考え方からすれば、自転車に乗って脚が太くならないようにしなければならない。そのためには、選ぶ自転車がスピードを連想させないようなモノでなければ!って思うのである。速さを捨てると言う事は、力を入れて漕がないということで、それならば脂肪燃焼でスリムな脚を得る事ができるだろう。力を入れて漕ぐ気を起こさせないバイクこそが、表題の問題を解消するようなバイクになるんだろう。

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血圧降下で失神、溺死

 入浴時の最適温度に関する番組がNHK、民放で立て続けに放送されたけど、その中で自分なりに気になった事があるので、記事にしてみた。

 因みに、民放ではテレ朝の『ホントは怖い家庭の医学』、NHKでは『ためしてガッテン』である。で、その怖い温度っていうのが風呂の温度が42[℃]前後という情報である。この42[℃]前後の入浴の怖さの紹介である。

 ホントは怖い家庭の医学では、41[℃]×30分の風呂が身体の深部体温を高め、血液がドロドロ血となって脳梗塞を起こしやすいリスクがあるよ!って話と、42[℃]の水温になると今度は血管内の血液中に『PAI』っていう血小板の結合性を高める物質の分泌が高まり、血液が固まりやすくなるそうで、その入浴後の体温の降下にともなう血管の収縮で血管が詰まるという警笛を鳴らしていた。

 NHKのためしてガッテンでは、42[℃]の風呂に入ると驚愕反射という現象で血圧が一時的に上昇するために、体温上昇と共に血管拡張による血圧降下の幅が驚愕反射の反動で非常に大きな落差を呼ぶという報告だ。38[℃]程度の風呂の場合は、驚愕反射が認められず、血圧は緩やかな降下で1分程度で最低110[mmHg]程度で血圧降下が停まるらしいけど、42[℃]の風呂の場合は、入浴後10分近く血圧降下が進み、結果、血圧が90[mmHg]未満となり意識を失う場合があるとのこと。

 そして、風呂での居眠りっていうのは、実は居眠りとは違い、血圧降下による失神みたいなもので、それで溺死に到るんだそうだ。

 なお、番組では、異常に高温の風呂、具体的には47[℃]程度の風呂の場合は、長湯が不可能な程の高温だが、その際には脳内麻薬物質であるβ-エンドルフィンという快楽物質が分泌され、熱い風呂を好む人もいるという。これは、ハードな運動で見られるような状態、例を挙げればランナーズハイというような状態と同じ状態なんだそうだ。

 ここで思ったのは、環境要因で血圧降下が進み90mm[Hg]を下回る状態では失神状態に陥るということ。血圧降下を加速させる因子としては、飲酒後、食後の入浴や、入浴姿勢からの急な立ち上がりによる起立性低血圧挙動の発症であり、その辺を注意すべきとのこと。

 何故に、そういう事を敢えて記事にするか?っていうと、自分の夏場の血圧状態を思い出しての話。昨年の血圧測定実績を見ると、夏場は収縮期最高血圧で100[mmHg]未満、拡張期最低血圧では60[mmHg]未満の場合が多々あり、一昨年の夏場は暑い場所でしゃがんで作業していた後に立ち上がって意識朦朧とした事があるからだ。一種の血圧降下による失神状態であり、注意が必要だ。

 血圧数値の低さが問題となるのは、基本的にずっと低血圧の人よりも、通常血圧の人が異常な環境要因等によって急激に降下した時が問題だ。

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2009年2月 1日 (日)

カツマー増殖中なんだそうだ。

 不景気な時分、メディアで最近よく聞く名前が、『勝間和代』さんである。そして、その生き様に共感し、それを目指す人が『カツマー』なんだそうだ。

 色んな名言を発信されているようで、『毎年0.2%ずつ進化しろ!』とか『離婚は転職と同じ!』とか『楽して年収10倍とか、、、』、、、で、コンセプトは効率至上主義というか何というか、、、

 まぁ、なる程なぁっていうのが正直な感想。そういう生き方はカッコイイと思うけど、それは、それを編み出した本人が格好いい訳で、それに感化されてか、その結果を信じてかしらないが、影響を受けて迎合するのがカッコイイか?っていうと、多分、迎合するカツマーには、本家と同じ結果はやって来ないだろうなぁ、、、っていうのが印象だ。

 本家の格好良さは、多分、自分の生き方を自分で見つけて、成功体験に基づく自信が活力を生むというスパイラルに乗っているような印象であり、その探求心、向上心のエネルギー源こそが原動力なんだろうと思うけど、その結果としての成功体験への抽象的な憧れだけで同じ結果は絶対に同じ結果は得られないだろう。

 純粋に思うのは、そういうのは成功が成功を読んだ結果で、苦境における考え方がどうか?と言う部分が、あまりにもメディアには露出していない事に逆に違和感を感じるところ。全てが成功体験に彩られており、挫折体験は無いのか?或いは、その逆境における気持ちの切り換えというか、そういう部分が見えにくいのが逆に空論的な印象を受けるのが正直な感想。

 他には、効率優先主義が紹介されていたけど、その効率優先の結果が時間の有効活用で、共用できる事は並行して進めるという考え方が紹介されていたけど、チョイ違和感を感じたところ。効率優先というのは聞こえは良いけど、悪く言えば、ながら主義である。並行して複数を行う行為とういのと、集中して行う行為というのは、どっちが優れるという質のモノでは無いような気もするし、短期集中、並行実施というのは、どうも本質が見抜けないような気もするところである。俺的には、少しずつ、長期に渡り、ターゲットを見据えたままに諄い程に続けるというのが理想であり、そうしなければ見えてこないモノといのは確実に存在すると思うけど、行為の先に何を得る事が目標か?という価値観の違いによって得る方針は変わるんだろう。
 結果として財を成すのが目的の場合と、結果として自分の疑問を氷解するのが目的というのは結果は異なるもの。多分、勝間さんの本質は前者であり、結果として財を成すのが目的で、財こそが成功者の証という考えなんだろうと思うところ。それが、『年収を10倍』云々という言葉に繋がっているのだろうと想像したりする。

 想像だが、最近のメディアでの露出から感じるのは、女性の社会進出という賛同を得やすい表現を出す事で人気を得ようとしているのでは?という気もするし、そういうメディア露出の根元というのは、そのギャラに相応の価値を求められているのかなぁ?とも、うがった見方さえしてしまう。
 個人的な感想だが、グローバル化の進んだ現代社会で日本が豊かで在り続けるには、外貨を得る事が必須だ。外貨を得るのは加工貿易であり、必要なのはモノを生み出す力だが、それこそが企業に求められている力の筈。そんな企業の本質的ニーズに対し、女性の社会進出こそ重要!って論理は、現状と乖離しているのでは?というのが感想だ。

 例えば、高校における理系、文系の比率は1:2程度だろう。大学での理工系、文系の比率差は更に拡大して1:3程度の筈。モノを生み出す力の根元となるエンジニアの数は人口の1/4程度の筈。更に、経験上、理工系学部、学科に属する女性の数は?っていうと、自分の学生時代を振り返ると、、、、一講座130人中で10人はいなかった筈。つまりは、物作りのパワーの根元となるスタッフとしては供給段階で女性は1/10も居ないのが現状だろう。それで、社会進出というと、外貨を得る根幹分野外となる筈であり、それ以外の分野で働く状況は、相当に高い競争率で闘うという現状を考えれば、メディアで露出して叫ばれている論法は単純に当て嵌める事は無理があるような気もする。

 恐らく、そういう現状は理解されていると思うけど、こういうメディア受けする論調を発信するのは、やっぱり年収アップに貢献できる戦略として選んでいるのかな?とも思うのである。

 話を戻して、綺麗事では生きていけないが、財を為す以前に知的探求心を満たす事の方が魅力を感じるのだが、こういう考え方は実は少数派なのである。あんまり、カネカネといったり、額面で物事を推し量るような考え方は、どうも受け付けがたいのである。

 話が逸れるけど、最近は損得の話が多いし、不景気と言われている時代のニュースでも時価総額なんて実態の無い金額で損の話を伝えたりと、何かに付け、損得で物事を考えるようになっているし、転職ネタでも年収云々、、、、とまぁ、金額で物事の評価を進める話が多すぎのようだ。
 まぁ、チョット時期ズレだが、福袋なんぞも良い例で、何万円相当の品物の詰め合わされた1万円の福袋を買って得を感じるという感覚自体が自分は理解出来ない。在れば良いもの、在ったら使うモノと、今必要なモノは絶対的に違う筈だし、更に言えば、使いもしないのに高額なモノを所有して嬉しいか?というと、自分は違うのである。額面だけで損得を考えるような方向性っていうのは、日本という国の成立条件にはそぐわない思想だと思うのは自分だけだろうか?

 ニュースソースとしては、儲かる話、損した話っていうのが美味しい話なのかもしれないが、発見した話とか、論理を生みだした話とかの方が本当は価値があるような気がするのである。生き方にしても、見た目華やかで豊かさを象徴させるようなカッコイイ話よりも、泥臭く執念深い話の方が本当はカッコイイような気もするのである。でも、こういうのが昭和臭いとか、オッサン臭いとかに見られる古い考え方なのかもしれない。

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週7分!=一日一分の運動でOK!?

 木曜日のインパクトのあるニュースと言えば、表題の週7分の運動が生活習慣病改善に効果があるという怪しいニュースだ。

 これは、20代前半の男性16人を対象にした実験で、週当たり7分間の運動がインスリンの管理に役立つことを確認したという。コンディション的には健康とは言い難い人に、エクササイズバイクで約30秒の全力疾走を含む運動をしてもらったところ、2週間後には体内の血糖値を下げるインスリンの働きが23%改善したとのこと。元ネタは↓

http://jp.reuters.com/article/oddlyEnoughNews/idJPJAPAN-36130920090128

 週に7分というのは、文面通りに解釈すると日に一分とも言えるのだろうか?
 元の英文の記事を確認していないけど、生活習慣病の改善に有酸素運動という常識、有酸素運動なら断続でも構わないから、続けて20分以上を行わないと脂肪燃焼が始まらないとも言われているし、或る程度の持続時間が必要という常識もある。
 有酸素運動とは異なる代謝アップのための筋肉増大には、ダンベル体操っていうのもあるけど、これでも毎日15分の運動でメニューが云々だ。他のあらゆる運動を見渡しても、日に一分とか週に7分ってのは見当たらない。

 まぁ、インスリンの働きが改善した結果、その機能が正常に回復したのかどうか?も含めて詳細は不明だし、サンプルに選ばれた16人という標本の少なさもどうか?とは思うけど、少なくとも、そういう運動を行うことで、何らかの身体の反応が見られたと言うことなんだろう。その変化が体質や体型に顕著な変化を生む程の大きさかどうか?は別としても、その兆候が見られるっていうのは、人の身体が思ったより機敏に変化に対応するんだなぁ!って事に驚くばかりである。

 但し、このレポートで気になるのは、エクササイズバイクで30秒の全力疾走を含む運動ってあるけど、この30秒の全力疾走の『全力』って部分。全力の定義が、個人の持てる力全てを振り絞ってという場合、30秒間持続するっていうのは、実は相当にハードな運動だったりする。
 エクササイズバイクでは無いけど、自分の場合は日々のローラー台での最高ケイデンスアタックをローラー台の60分メニューの中の中程で行うけど、全力全速の最高ケイデンスアタックで220rpmオーバーを目指すけど、その最高回転数は僅か一瞬しか到達しない。敷居を下げて200rpm以上の持続時間もせいぜい30秒程だが、このような全力運動を30秒間続けるっていうのは、実は相当にハードなのだが、こういうハードな運動を毎日1分続けるというのは、中身的には相当に厳しいのでは?という気もするところ。
 それに、糖尿病に効く運動という連想では、有酸素運動だと思うのだけど、それが僅か30秒間の全力運動、即ち、無酸素運動が効くっていうのは、或る意味意外である。

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