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2009年2月21日 (土)

好奇心 その3

 さて、好奇心ネタを2連発してきたけど、最後にもう一発。

 最初のネタは、好奇心を持つ理由は、どんなモノにも存在価値があるだろう?って事を確かめる話。2番目の話は、理想を持てば、それに向かう手順を自分で決めて、結果を得るまで続けれるだろうって話。で、最後の話が今からの話っていうか、やっぱり自分の話だが、、、

 自分は何か行動を起こす際には、その推進力には好奇心が大きく関わっている。好奇心とは興味を持てるか、持てないか?という部分と、もう一つ別の部分がある。前者の部分、つまり興味が持てるか否か?っていうのは、誰にも当て嵌まる事だろうと思うけど、大事なのは別の部分。その別の部分とは、、、、誰かがやったモノかどうか?って要素である。

 好奇心を持ち続ける事が出来るのは、考える事の答えが見つからない事。それは、つまり誰もやった事がないって部分が大きいように思うのである。

 取っ掛かりとしては、やった事が無い事柄って部分では、そういう未体験ゾーンには関心を持つことができるが、持ち続ける事が出来るか?は、未体験ゾーンに入って出来るようになった後の話。その領域で続けれるテーマと、飽きて投げ出したくなるテーマに分かれるのである。

 例えば、、、、身近な所ではCAD(コンピュータ製図)業務なんかがある。CADに初めて接したのは18年も昔の話。EWSとかPCで作図が出来て便利!って思ったのは、最初の頃のみ。作図作業に慣れてからは、作図が楽しいとも何とも思えない。単調過ぎる作業で、気になる事といえば視力を失いそう、、、、って心配ばかりだったりする。勿論、作図作業に馴れてという部分では、作図行為のインターフェースがどうの、入力データ構造がどうの、データ管理形態の根拠が何で、それ故に、管理形態がこうなったとか、、、、そういう部分も引っくるめて自分の納得出来る理解を含めて慣れたという表現だ。

 作図に慣れてからは、管理構造(層概念、図形概念、部品概念、コマンド形態・・・・)を把握した後に、手を加える方向に関心を持ち、データ変換用プログラムであったり、ユーザーカスタマイズプログラム(標準マクロを使ったり、C言語で作ったり)の作成、ライブラリーの作成、コンパイル作業・・・・を行ったりしてきた。
 この一連の作業の中で、ユーザープログラムの作成では、C言語関連の様々のテクニカルな手法を用い、思い描くプログラムを作ったりしたのである。パソコン初心者ながら、ポインタがどうの、構造体がどうの、或いは、仮想メモリを確保するためにどうの、、、、といった手法を身に付けて取り組んだりしたのを思い出す。
 そのような作業を終えると、既にCAD自体に目新しさを感じなくなり、それは、その後のCAEソフト等々にも通ずる感覚で、それを使った業務を言われると、お前がやれ!って感じに関心を失ったりしたのを思い出す。

 これは、技術開発、特許申請、システム開発全般に言えることで、誰かの成果の焼き直しとか、或いは、人のパクリはNGで、誰もやったことがない、誰も見つけたことのない、或いは、思い付かない事でないと、やる気が湧かないのである。兎に角、新しい発見が第一であり、誰か別の人がやったことを自分で追うという事自体受け入れられない。

 不明の領域、未知の領域の面白さは、その先に答えが在るかどうかが判らないというのが楽しい感じである。そこに答えを生み出すべく、論理と手法を組み立てる、組み換えるプロセス自体が楽しいものであり、道筋に従って、手順通りに行えば答えが間違いなく出るというのは、どうも興味が持続出来ないような感じなのだ。

 好奇心というか、興味が持続出来ることは?っていうと、自分にとって未知であるというのは当然として、一番は、自分にとって未知という以上に、皆にとって未知というのが大事で、誰も見たことも経験したことも無いようなモノを生み出すというか、そういうモノかなぁ?と思うのである。

 先週、他の企業の方と出張に出掛けて話したことでもあるけど、その出張に出掛けた目的は、最近自分で開発した全く新しいシステムの説明である。新しいシステムを構成する部品、部品の持つ役割、機能、効能、効果とその成立する根拠等々を説明しに出掛けたようなものである。そのような説明が必要な理由っていうのは、その開発したモノが世の中に存在しない類のモノであり、それ故に説明が必要という訳だ。説明が必要という理由は、それが使いたいという前提があるからであり、手応えとしては、将来的に間違いなく採用されるとも言える訳だ。
 今回の説明では、最新のシステムを説明したのだが、実際にこの度採用されそうなのは、最新のシステムの一歩手前のシステムだ。そのシステムの試験ノウハウの説明に出掛けたのだが、その話の流れで最新のシステム迄話をしたのである。

 このような経験を含めて、持論を展開するならば、自分としては、世の中に未だ存在しないモノを実際に生み出して、何か一つでも、それが使われれば、それで自分の天命は全うしたかな?ということ。それで儲かろうが、名誉を得ようがは関係無しで、自分の考えたモノが、どういう形であれ実際に使われれば、それでEverything OK!って思うのである。
 逆に、自分で何も新しいモノを生み出すことが出来なければ、自分の価値観では、自分は自己意識の中で失格の烙印を押さざるを得ないかなぁ?と思ったりするのである。

 何か、全く新しいモノを生み出したいという欲求こそが、好奇心のある理由かなぁ?と思うのである。

 思うに、人がやった事を同じようにやったり、確立した手順を繰り返し行ったりというのが苦手。更には、究極的な目標というか形が既知の存在としてあったとすれば、その過程は、全て他人に任すことなく自分だけの論理で組み立てたいという欲求が強い上に、究極的な目標を実現する手法も、何にも似ていない、誰も思い付かないという事に至上の喜びを感じる性格、、、、、、やっぱり、変わり者であるのは間違いないと思うところ。

 人間、誰しも個性があり、価値観自体は個人毎に全く異なるモノ。自分の価値観だけで論ずるならば、他人の真似、機械的な繰り返し作業、新たな価値観を生み出す事の出来ない思考なんては、全く無意味で存在価値が無いように思うのである。

 でも、営利活動においては、価値観を生み出す事は二の次で、価値を生み出すことが重要なのが現実だ。価値創造とは利益誘導であり、価値観創出というのは利益ではなく需要発掘なのだ。似ているようで異なるもの。本来、社会の仕組みが担う役割を考えれば、官公庁、大学教育機関が担うのが価値観創出であり、企業が行っているのが価値創造である。

 勝手に思うのは、これから必要なのは価値観創出ではないか?ということだが、これは結構難しいのかなぁ、、、、、。

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