« チャリンコパフォーマンス | トップページ | 今更ながら復活ソフマップ、、、やっぱり今更だなぁ »

2009年2月19日 (木)

信じれるのは?

 昨日に引き続き、チャリネタ。
 最近はスポーツサイクルブームということで、多くのユーザーがスポーツサイクルに関心を持ち、多くのショップがスポーツサイクルを供給している。

 以前、スポーツサイクルショップの組立やメンテナンスに技が必要か?という事に疑問を呈した記事をアップしたことがある。その技っていう部分が単なる常識の範疇の場合、技術も糞も無いだろうっていうのが自分の思いの根底に在るからだ。商売上最低限必要なモノは普遍的なモノであり、その普遍的な作業には特異が技術は殆ど含まれていないと言ったら言い過ぎかも知れないが、作業代金というのは工賃、賃料というモノであり技術料とは違うと思うのである。

 ならば、スポーツサイクルショップを含む自転車屋さんに、技は無いか?必要ないか?というと、実は、スポーツサイクルショップには他の自転車店とは異なり絶対的に技、匠、技術というのが間違いなく必要だとも思っているのである。勿論、スポーツサイクルを扱わない自転車屋さんにも、技術が必要だとも思うのである。

 自分の考える技術っていうのは、賃料を取る作業とは別のモノであり、技術というのは単価が決めれないモノであり、それは担い手固有のモノだと思うのである。特に、スポーツサイクルショップが持つべき技術っていうのは、スポーツサイクルを斡旋する、紹介する、選ぶ等々において必要なものと思うのだが、その技術が、スポーツサイクルショップを気取っている店全てに備わっているか?というと、実は、備わっていないと思うのが正直なところである。

 常識的な作業が実践出来ないっていうのは、スポーツサイクルショップを語る以前に商売で金を得る資格が無いということで論外だが、スポーツサイクルショップとしてテクニカルフィーを得るならば、それに見合った知見、技術をユーザーが満足する形で提供してやらなければならないが、開示するモノが信じれるかどうか?正しいものかどうか?が重要になってくる。
スポーツサイクルショップにおいて、ユーザーはスポーツサイクルと付き合う上で必要な情報を得ようとする訳であり、そのニーズに合ったモノを答えて初めて見合う訳だが、見合うかどうか?(ニーズに応じた応えを与えられるかどうか?)は、ユーザーのレベルに応じて的確な指導が行える必要があり、様々なユーザーが満足出来るという事は、様々なユーザーに併せた答えを用意できるということ。その答えが正しいかどうか?っていうのは、ユーザーの直面している体験を伝え手側が過去に経験したモノでなければ、実は正しい事を伝える事は出来ないように思うのである。
 もっと言えば、乗れるユーザーを満足させるショップっていうのは、そのユーザーの思いを本当に理解できる経験を持たなければ、そこに正しい答えは与えることが出来ない筈である。

 フレームビルダー、或いは、本職さんが集まるショップっていうのは、殆どの場合、店主が、その世界に身を置いた経験のある人の場合が多かったりするけど、それは、客から見て、ショップに信用できる技術が見えるからだろうと思ったりするのである。
 流行の自転車を扱う洒落た店、流行の店っていうのがあるけれど、扱う商品や、その商品の扱われる先に在るモノを経験を通して身に付けた店主で無いと、そのモノを本当に伝える技術は無いだろうなぁっていうのが正直な印象だ。
 それでも、売り手が持っている知識を技術というのなら、それは『技』術ではなく、『偽』術の勘違いでないの?って思ったりするのである。

 まぁ、現実には、客が店に何を期待するかによって、顧客の満足度は変わるモノだろう。ただ、店側が技術を売りにして商売するならば、前述のような事を考えてしまうのである。此処彼処で技術がどうの!って話を聞いて、技術があるぜ!ってショップが剰りにも多いような気がするけど、そういう風に技術を語るならば、技術とは?って、つい思うところがあるので、こんな記事を書きたくなったのである。

 『技術』って言葉の裏に、整備する時にホイールの振れがどうの、ベアリングの当たりがどうの、或いは、パーツの組み付けトルクがどうの、グリスがどうの、変速がどうの、、、、って聞くけど、俺的には、そんなモノは技術とは言わず、作業にしか過ぎないという思いがあるからだ。技術と作業は別個のモノ。こんな作業というのは、常識的にやれば常識的に出来るものであり、それは技術以前に常識の筈である。技術っていうのは、本当は簡単に出来ないモノの筈だ。

 そんな魔法のような技が技術であり、その魔法が掛けられるかどうか?は、ユーザーが望む何かに答える事が必須であり、それが出来なければ技術って言葉を使って欲しくないというのが生意気ながらの感想だ。  

 単車なんぞは、普通に組まれたら普通に乗れる。しかし、一線を越える世界に持ち込むには、一線を越えるために必要な調律が必要で、その調律は信用できなければ機能を発揮させることが出来ないようなモノ。信じるから機能を活かせる。その機能は、普通には使いづらいモノ。それを使えるようにする技なんかが、技術みたいなものと思うのである。

 単車ならば、本当に攻めれない奴、乗り切れない奴には、任しきれないというのと一緒。自分より乗り手として下手くそな奴に、攻める上で必要な部分の整備は任せれない。
 自転車でも一緒。自分より踏めない奴、乗れない奴の理屈に従った整備や調律は、信用出来ないって事。

 逆に、任せれる人っていうのは、乗り手としても一定レベル以上を客に見せてくれる人ということになる。乗るのはNGって諦めているような人、或いは、過去にそういう経験さえしていない人っていうのは、やっぱり、そこにしっかりとした技術があるようには見えない場合が多い。
 ペダリング云々でもそうだ。その重要性を本当に理解して実践できるような人の意見ならば聞けるけど、伝聞に基づいた伝道師的な話には魂が宿っていない気がする。ギア比だって、ポジションだってそうだ。人の話から、こうだよ!って言われても、そこには真実が見えない感じなのだ。

 信じれるのは、伝えて側に経験と知識が本当にある言葉のみである。それが無い上っ面の言葉は、信じれない。まぁ、それが上っ面かどうか?っていうのは、直ぐに判る場合が多い気がする。以前、当ブログで紹介したN-RS.comを運営するショップなんかは、店主に拘りと経験が本当に在りそうな気がするけど、そういう意固地なショップは実は殆ど無いような気がするところである。

 材料を知らずして材料を語ったり、或いは、鍛えた経験が無い奴が、鍛えた身体を使って得られる世界を、さも知っているように語るのは、俺的には有り得ないのである。

|

« チャリンコパフォーマンス | トップページ | 今更ながら復活ソフマップ、、、やっぱり今更だなぁ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 信じれるのは?:

« チャリンコパフォーマンス | トップページ | 今更ながら復活ソフマップ、、、やっぱり今更だなぁ »