教育産業に思う
我が家の娘は、この春、小学校に入学だ。
最近は、そのタイミングを狙ってか、教材販売、習い事斡旋、、、、、そういうのが異様に多いし、年齢毎の学習の大切さを売りにした教育産業の商売方法にひたすらに関心するばかりである。
この間、女性の社会進出を先行して取り組む教育産業の例が紹介されていたが、その教育産業で商売する企業の教材を見て思うのは、自分的には、それは意味無いだろう?って印象だ。その商売方法も、オプションが幾ら、これもオプション、あれもオプション、、、、フルオプションは結構高価、、、、或る意味、親の弱味につけ込んで巻き上げるような商売方法に見える。その割に、内容がどうか?っていうと、その対価に見合う価値があるとは思えないのが正直な感想だ。
嫁は兎も角、自分は、そんな教育産業の教材に価値があるとは全く思えないのがホンネである。習い事も、どっちでも良いように思うところ。教材、習い事、、、、そういう事に子供が本気で一生懸命になっているならばいざ知らず、そういう事への関心が薄く、遊びに一生懸命ならガンガン遊べば良いかな?と思うのである。
ハッキリ言って、小さい時に、色んな事を教えようが、教えまいが、成長と共に必要な事は勝手に学ぶもんだと思うのである。別に、小難しい内容を簡単な言葉に置き換えて、小学校で教えるべき事を幼稚園で教えたり、小学校高学年で教える事を低学年で教えて教材の素晴らしさを説いたところで、全く意味無いだろうと思うのである。
そんな事しなくても、多分、普通に能力は身に付く筈なのだ。過去において、私的教育が一般でない時期に幼少期を過ごした世代を見て思うのは、決して、現在の世代より劣っているか?というと、そんな事は無く、寧ろ勝っている例の方が多いのは、結局は、勉強なんぞは、したい時にしたい奴が勝手にやって身に付けているという事なんだろうと思うのである。
子供に対しては、親が趣味に没頭して好き勝手に生きている様を見せるだけでOKか?というのが自分の考え方である。
こんな当たり前?の記事を今更書くのは、、、、上の娘は結構色んな教材を与えて親子で取り組んだ反面、下の息子はほったらかしで勝手に大きくなっているのだが、どっちも代わり映えしないし、寧ろ、息子の方がアクティブで色んな事をやらかしているように見えるのである。結局、幼児期の教育なんぞはその程度のモノであり、一番大切なのは激しい?スキンシップではないが、ややデンジャラーな香りを含んだ空中遊びとか、園児で一輪車とか、一歳児にバランシングバイクとかの方が良いように思うのである。
自宅でパソコンつついたり、自転車バラしたり、単車の整備したりしていると、子供はそういうのが大好きなようで、それを勝手に見よう見まねで何かを始める。子供の好奇心の根元は実態のある行動の模倣であり、模倣対象である親が勝手に色んな事をして見せることこそが、子供の好奇心アンテナには反応するんだろうと思うのである。
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