不満ではダメ
何か関心を持っている事に対する考え方の話。関心を持っている事に取り組んでいる時、その取り組み方は如何に続けるか?って話だ。
自転車でも、バイクでも、何でもだが、どのように考えるべきか?って話なんだが、チョット人と話す機会があったんで記事にしてみた。
例えば、何かを望んで、道具や方法を選んで取り組んでいる時の話。その時、道具や方法論に対して、どう接すべきか?って話だが、、、、
他人は兎も角、自分の場合は、選んだ選択には、必ずや良い点がある筈と信じて行っている。自分の選んだモノに対しての不満は最後迄しないというのがモットーなのだ。
勿論、自分で選んだモノという前提であり、他人の選んだもの、或いは、自分が信用しないモノっていうのは論外だ。
そこで重要なのは、何を選ぶかという選択なのだが、その選択では、絶対に信用出来るモノでなければダメなのだ。
例えば、信用出来るモノっていうのは何か?っていうと、ありきたりだけど、絶対的なモノである。モノの生い立ちが見えるモノなのである。それ以外であれば、自分の責任で受け入れる事が出来るモノしか有り得ないのである。
信用出来るモノは何か?っていうと、、、、自転車や単車ならば、単純にマスプロダクションメーカーの製品、歴史と伝統と実績を持つ製品しか有り得ないし、自分の責任で受け入れる事が出来るモノっていうのは、自分の決断で自分で作ったモノ、或いは、自分で改造したモノしか有り得ないのである。自分で行う改造っていうのは、自分の責任において、自分の持ち物に機能を付加したいという希望の結果であり、そこには必然性があるけど、他人のお薦めには自分にとっての必然性がないからダメなのだ。
それ以外のモノ、ショップブランドとか、又聞きで良いって言われているもの、怪しいモノっていうのは信用出来ないし、自分の手の加えた範囲でも自分の能力を超えた領域はダメなのだ。ブームの世界で怪しいのが新興ブランドであったり、ショップブランドの類。信用出来る人にとっては良いかも知れないが、ローカルな世界では、モノの評価が揉まれていないのは純然たる事実であり、そういう場合は、作り手の人間次第なのだ。その人間に尊敬の念を抱ければOKだが、懐疑の念を抱けばNGなのだ。
判りやすく?言えば、車等でメーカー純正はOK、自分のカスタムもOK、しかし、よく判らないショップのカスタムとか、改造された結果っていうのはNGなのだ。
そういう信用したモノであれば、絶対的に信用できるし、信用したら、その選択に対しては、不満を漏らすのではなく、最後の最後迄、その選択の良いところを見つけ出すっていうのが自分の考え方なのである。
人の言ったとおりにやってもダメとか、何やっても今一だから別の選択に走るって行動パターンは有り得ないのである。
自分の責任において自分の認めたモノには、絶対に答えがあると信じるのが前提で、信じれるモノを選ぶっていうのも大事。そして、その選択に対して、絶対に『良かった!』って認められるモノを見つけるというのが基本なのである。
こういう話をしたのだが、これは、正しいものには絶対に存在価値があるという事であり、その良いポイントを見抜くことこそが自己を高める秘訣と思っているのである。改造や買い換えという別の選択を行うのは、今の状態において見抜いたポイントのレベルを高めるために行うのであり、良い結果を得ないという結果で別の選択に行くのとは別なのである。
良いポイントを見抜くから、更に上のポイントを目指すというのが基本であり、不満ばかりで良いポイントが見抜けないから別の横方向の選択を行い直すとは違うのである。前者は自分の意識の中ではステップアップであり、後者の選択はやり直しに過ぎないのである。
中高生の参考書の買い方でも見られる傾向だが、似たような参考書ばかり買って、最初の数ページしか読まず新品同様で並べるのはNGであり、ある参考書を完読し上のレベルの参考書に移行するのがOKというものなのだ。
まぁ、こういう考え方が全てとは限らないが、コレのこういうポイントは捨てがたい!って思うから、モノが増えて増えまくるのだろうと反省するところはあるのだが、そういう事を考えるのである。
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