資格と技術は別物だ。
最近、表題の言葉を度々聞く。
例えば、派遣労働者の就職活動における資格云々、資格の有無が重要という話。そして、再就職支援に資格取得斡旋云々、、、、理解出来るけど、、、、微妙。
他にも、最近流行のスポーツサイクルを取り扱うショップでの話。技術云々、、、、、。
まぁ、判らないでない。
しかしである。
資格、或いは、技術って何?って疑問である。
資格が沢山ある。資格っていうのは何か?っていうと、これは特定業務を行う上での免状みたいなもので、逆に言えば、斡旋されるようなモノであり、斡旋されて、その気になれば取得出来るモノに違いないのも事実である。更に言えば、斡旋されて取得出来るというのはフォーマットが決まっている事でもある。更に言えば、誰にでも出来る事が資格なのだ。
資格を沢山取っていても、それが何?って言えば、其れまでとも言えるように思うのである。
採用する側が何を求めるか?これは、今のように人件費勝負で低コストで教育不要な労働力を確保するという観点から見れば有資格者は、作業の指導コストが低減できるから有り難いというレベルの話であり、先の記事で書いたように、低コスト人件費で製造された外国製品と競争するという前提での話であり、人件費削減競争とは別に、全く新しい価値観を生みだして高付加価値製品を生み出す上では、資格なんぞは殆ど役に立たないと言っても差し支えないように思うのである。
人が出来ないモノを生み出す力であったり、人が気付かない事に気付く洞察力であったり、それこそがリストラ対象にならない人間になる上で必要な資質では無いか?ということである。つまり、資格は資格であって、望んでも手に入らない能力こそが求められる時代が迫っているのでは?というのが感想である。そういう資質こそが先の記事でいう、派遣労働者は賃金が正規雇用よりも高いという状態を生み出す前提となりうると思うのである。
俺が経営者ならば、資格の有無よりも、前職での実績であったり、或いは、開発系であれば特許等権利の取得件数こそを重視するのである。仮に、見ず知らずの人の採用を判断するならば、個人の名称をJ-Tokkyoのようなサイトで検索して、検索に引っ掛かるか?で判断するようなものである。幾ら資格を持っていても、無から生み出す力が無ければ、経営者的な立場になって考えれば雇う気持ちが沸き上がらない感じなのだ。
で、次いでの話が、技術って話。技術っていうのが、最近は資格と等価のような扱いにも聞こえるのが寂しい話。技術っていうのは、『わざ』であり『すべ』なのである。つまり、技は誰にでも出来る事ではない筈なのだ。
流行りのスポーツサイクル専門のショップで良く聞くのが、、、、、、組み付け不良の商品を売る店、取次店、輸入ショップを指して技術がない!って宣う自転車店の話。組み付け不良をバカにする上で、『技術が無い!』っていうのはチョイ違うのである。無いのは『技術』でなく、『資格』であったり『モラル』なのである。俺的に言えば、そういう事を言う店自体にも『技術』があるとは思えないのである。
もっと言えば、スポーツサイクルの組み付けなんぞは、技術なんぞ不要とも言えるのである。当然の事を当然に行うだけでOKであり、それが出来ないのは技術以前に資格が無いといっても過言では無いのである。サービスが代金を伴うっていうのは、決して技術料ではなく手間賃、工賃の範疇である。手間賃は手間の対価であり、手間の対価に基準額が決まっているのは、手間自体が定型化しており、定型化した作業をこなせるか否か?が資格の有無であるのだ。手間を定型通りこなせるか?が資格なのだ。資格とは、決まった作業が出来れば得られるモノだが、技術っていうのは、当然+αで、αが一般化されていない先進的且つ有意なモノでなければならないのである。つまり、技術とは定型化されていないものであり、技術料には基準金額なんぞ有り得ないもの。つまり、言い値が通る仕事こそが技術なのである。料理人における職人のような存在が技術に相当すると思うのだ。
技術っていうのは、これは『わざ』であり、本来は出来ない事が出来る事、見えないモノを見せる能力の事なのである。つまり、技術って言葉を安易に吐く店は、俺的にはあんまり信用出来ないのである。
技術とは資格と異なるモノ。資格は当然の話。技術は特別な話なのだ。資格を身に付けるのはデフォルトであり、これからの世の中を生き抜いていくのに必要なのは、本当の意味での技術であり、それは、誰にでも出来るモノではないのである。
誰でも出来る事なんぞは技術とは言わない。それは、人に対しても、企業に対しても思う事である。
人や企業が生き残っていく術は何か?
それは色んな選択があるのである。
正しいか否かは別として、技術で勝負するもあり、価格で勝負するもあり、アフターサービスで勝負もあり、裏取引、談合で勝負するもあり、癒着、贈収賄もあり、詐欺や騙しもありなのだ。
モラルや法律に問われるような選択は論外だが、、、、資源の無い国が栄えるためには、今迄の価格で勝負って世界感や価値観では駄目なのだ。これからは、やはり技術で勝負するっていうのが基本ではないか?と思うのである。
人や企業が技術で勝負する。それは、他人や他社が出来ないことを実践すると言うこと。つまり前例が無いことであり、そこで初めて言い値が通る訳だ。言い値が通る仕事をする。それこそが重要であり、それが出来れば、多分、強気で行けるんだろうと思うのである。
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