« 自転車に乗っても変化しない理由は? | トップページ | 血圧降下で失神、溺死 »

2009年2月 1日 (日)

カツマー増殖中なんだそうだ。

 不景気な時分、メディアで最近よく聞く名前が、『勝間和代』さんである。そして、その生き様に共感し、それを目指す人が『カツマー』なんだそうだ。

 色んな名言を発信されているようで、『毎年0.2%ずつ進化しろ!』とか『離婚は転職と同じ!』とか『楽して年収10倍とか、、、』、、、で、コンセプトは効率至上主義というか何というか、、、

 まぁ、なる程なぁっていうのが正直な感想。そういう生き方はカッコイイと思うけど、それは、それを編み出した本人が格好いい訳で、それに感化されてか、その結果を信じてかしらないが、影響を受けて迎合するのがカッコイイか?っていうと、多分、迎合するカツマーには、本家と同じ結果はやって来ないだろうなぁ、、、っていうのが印象だ。

 本家の格好良さは、多分、自分の生き方を自分で見つけて、成功体験に基づく自信が活力を生むというスパイラルに乗っているような印象であり、その探求心、向上心のエネルギー源こそが原動力なんだろうと思うけど、その結果としての成功体験への抽象的な憧れだけで同じ結果は絶対に同じ結果は得られないだろう。

 純粋に思うのは、そういうのは成功が成功を読んだ結果で、苦境における考え方がどうか?と言う部分が、あまりにもメディアには露出していない事に逆に違和感を感じるところ。全てが成功体験に彩られており、挫折体験は無いのか?或いは、その逆境における気持ちの切り換えというか、そういう部分が見えにくいのが逆に空論的な印象を受けるのが正直な感想。

 他には、効率優先主義が紹介されていたけど、その効率優先の結果が時間の有効活用で、共用できる事は並行して進めるという考え方が紹介されていたけど、チョイ違和感を感じたところ。効率優先というのは聞こえは良いけど、悪く言えば、ながら主義である。並行して複数を行う行為とういのと、集中して行う行為というのは、どっちが優れるという質のモノでは無いような気もするし、短期集中、並行実施というのは、どうも本質が見抜けないような気もするところである。俺的には、少しずつ、長期に渡り、ターゲットを見据えたままに諄い程に続けるというのが理想であり、そうしなければ見えてこないモノといのは確実に存在すると思うけど、行為の先に何を得る事が目標か?という価値観の違いによって得る方針は変わるんだろう。
 結果として財を成すのが目的の場合と、結果として自分の疑問を氷解するのが目的というのは結果は異なるもの。多分、勝間さんの本質は前者であり、結果として財を成すのが目的で、財こそが成功者の証という考えなんだろうと思うところ。それが、『年収を10倍』云々という言葉に繋がっているのだろうと想像したりする。

 想像だが、最近のメディアでの露出から感じるのは、女性の社会進出という賛同を得やすい表現を出す事で人気を得ようとしているのでは?という気もするし、そういうメディア露出の根元というのは、そのギャラに相応の価値を求められているのかなぁ?とも、うがった見方さえしてしまう。
 個人的な感想だが、グローバル化の進んだ現代社会で日本が豊かで在り続けるには、外貨を得る事が必須だ。外貨を得るのは加工貿易であり、必要なのはモノを生み出す力だが、それこそが企業に求められている力の筈。そんな企業の本質的ニーズに対し、女性の社会進出こそ重要!って論理は、現状と乖離しているのでは?というのが感想だ。

 例えば、高校における理系、文系の比率は1:2程度だろう。大学での理工系、文系の比率差は更に拡大して1:3程度の筈。モノを生み出す力の根元となるエンジニアの数は人口の1/4程度の筈。更に、経験上、理工系学部、学科に属する女性の数は?っていうと、自分の学生時代を振り返ると、、、、一講座130人中で10人はいなかった筈。つまりは、物作りのパワーの根元となるスタッフとしては供給段階で女性は1/10も居ないのが現状だろう。それで、社会進出というと、外貨を得る根幹分野外となる筈であり、それ以外の分野で働く状況は、相当に高い競争率で闘うという現状を考えれば、メディアで露出して叫ばれている論法は単純に当て嵌める事は無理があるような気もする。

 恐らく、そういう現状は理解されていると思うけど、こういうメディア受けする論調を発信するのは、やっぱり年収アップに貢献できる戦略として選んでいるのかな?とも思うのである。

 話を戻して、綺麗事では生きていけないが、財を為す以前に知的探求心を満たす事の方が魅力を感じるのだが、こういう考え方は実は少数派なのである。あんまり、カネカネといったり、額面で物事を推し量るような考え方は、どうも受け付けがたいのである。

 話が逸れるけど、最近は損得の話が多いし、不景気と言われている時代のニュースでも時価総額なんて実態の無い金額で損の話を伝えたりと、何かに付け、損得で物事を考えるようになっているし、転職ネタでも年収云々、、、、とまぁ、金額で物事の評価を進める話が多すぎのようだ。
 まぁ、チョット時期ズレだが、福袋なんぞも良い例で、何万円相当の品物の詰め合わされた1万円の福袋を買って得を感じるという感覚自体が自分は理解出来ない。在れば良いもの、在ったら使うモノと、今必要なモノは絶対的に違う筈だし、更に言えば、使いもしないのに高額なモノを所有して嬉しいか?というと、自分は違うのである。額面だけで損得を考えるような方向性っていうのは、日本という国の成立条件にはそぐわない思想だと思うのは自分だけだろうか?

 ニュースソースとしては、儲かる話、損した話っていうのが美味しい話なのかもしれないが、発見した話とか、論理を生みだした話とかの方が本当は価値があるような気がするのである。生き方にしても、見た目華やかで豊かさを象徴させるようなカッコイイ話よりも、泥臭く執念深い話の方が本当はカッコイイような気もするのである。でも、こういうのが昭和臭いとか、オッサン臭いとかに見られる古い考え方なのかもしれない。

|

« 自転車に乗っても変化しない理由は? | トップページ | 血圧降下で失神、溺死 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: カツマー増殖中なんだそうだ。:

« 自転車に乗っても変化しない理由は? | トップページ | 血圧降下で失神、溺死 »